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【坐禅作法131】原哲夫・武論尊『北斗の拳』

かなりキワどい坐禅作法 原哲夫・武論尊『北斗の拳』

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〜付録2:縁覚の経典4〜


禅者諸君、妙法蓮華経を聞くがいい!

妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)は永遠に進化と成長を続ける未完の経典である。

ところが、この経典には文字による真理の解説がない。 そのため、誰もが目や耳にしていながら、誰も読むことができないという謎の経典となっている。 それでも諸経の王『法華経』は、「もしもこの経典の一偈一句(いちげいっく)でも聞くことができたなら、君こそが菩薩だ。さあ、すぐにでも教え諭(さと)せ」と伝えている。 そうすれば誰でも無上のさとりを約束されるのだよと…ここでは、その真意を伝え残そう。

矢印マーク 『図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説』


妙法蓮華経は人類共通の故郷の言葉で説かれている。
だから『法華経』は、最後まで読みきっても、
「どうせ読んだってわからん」としか書いていない。
禅者諸君!故郷の言葉を思い出せ。
さすれば“妙法蓮華経”が聞こえてくるだろう。


原哲夫(はらてつお)と武論尊(ぶろんそん)の漫画『北斗の拳』は、その妙法蓮華経のひとつである。

この経典は、世紀末救世主「ケンシロウ」として選ばれた菩薩が、世に出現するときに起こる現象を説明した預言書。 主な舞台設定は1999-2019年の日本だ。 そして主人公のケンシロウとは、この『坐禅作法』シリーズの著者・布施仁悟のことである…

ここで私の頭がおかしくなったと考えるのは、まだ早いぞ。 そういうことは、この記事を最後まで読み終えてから判断するといい。 そもそも頭がおかしいのは、妙法蓮華経を読めない諸君のほうだと知るだろう。

私がこれを書きはじめている現在は2018年12月。 ちょうどこの預言書の登場人物ほぼ全員が世に出てきて顔をそろえたところだ。 時代はあと、総大将ケンシロウ菩薩の登場を待つばかりとなっている。 いまや機は熟した! そろそろこの経典の極意を知らしめるべき時だろう。

おそらく『北斗の拳』は「史上最強の仏教経典」と言ってもいい。 その解説を読めるのは、この時代の日本に生まれて、この記事にたどりついた諸君の特権だろう。 是非とも続編の『蒼天の拳』までを手元にそろえてお楽しみいただきたい。

矢印マーク 北斗の拳 1巻


1983年―「週刊少年ジャンプ」誌上で伝説は始まった

一子相伝の北斗神拳。 正統伝承権を持つ主人公のケンシロウは21世紀の日本に出現する菩薩。 これは史上最強の仏教経典だ!

矢印マーク 蒼天の拳 1 (ゼノンコミックスDX)


2001年―北斗の物語は再び動き出した

一子相伝の北斗神拳。 正統伝承権を持つ主人公の霞拳志郎はカルマヨーガの師。 『北斗の拳』の真意を詳細に解説した副読本。

矢印マーク 蒼天の拳 REGENESIS 第1巻<アニメ>


2018年―北斗の物語は完結へと動き出した

舞台は、ナショナリズムが台頭し、「古い悪魔」のうごめいてた1930年代。 2018年現在の世界を包む空気はその時代の背景とよく似ている。 人類は同じ過ちを再び繰り返そうとしているのだろうか? 拳志郎、蒼天に死す…この男の大いなる遺言を伝承するのだ!

赤雲水

ミスミの爺さん―小泉純一郎

黒雲水

北斗の拳の舞台は199X年に起こった核戦争の後の物語という設定になっている。

―  一九九X年、世界は核の炎につつまれた! 海は枯れ、地は裂け…あらゆる生命体が絶滅したかにみえた。 だが…人類は死滅していなかった!!  ―
(作:武論尊 画:原哲夫『北斗の拳』―「第1話 心の叫びの巻」より)

この漫画の連載が『週刊少年ジャンプ』誌上で始まったのは1983年。 アメリカとソ連(現ロシア)の東西冷戦の時代で、1990年代に核戦争が起こると言われても、誰も不思議に思わない時代だった。 実際には核戦争なんか起こらなかったのだけれど、1990年代というのは人間が人間らしさを失っていった時代だ。 その空白の十年を経て2000年になった頃には、この漫画で描かれているのと同じ状況が生まれていた。

その状況を描いていたのが、『北斗の拳』の第2話に出てくる「種もみ爺さんの譬え」である。

種もみ爺さんの譬え


 ある村に向かっていたミスミの爺さんは野盗(やとう)たちに襲われた。

「た…たすけてくれ。わしはこの種もみを、どうしても村にとどけねばならんのじゃ〜」
「なにぃ?」

ボウガンを向ける野盗に、ミスミの爺さんは懇願するように言うのだった。

「この種もみが実を結べばあんたらにも分けてやろう。 それまで待ってくれ!! この種もみをやっと探し出して、一週間なにも口にせずに戻ってきたんじゃ」

ところが199X後の時代を生きる野盗は、オツムがひっくり返っているので、ミスミの爺さんの言っていることがさっぱり理解できない。

「なおさら、その種もみを食いたくなったぜ」
「た…たのむ!後生じゃ、見逃してくれ!!」

そこへ通りがかったケンシロウに助けられたミスミの爺さんは、せつせつと語るのだった。

「今ある食糧はいずれは消える。 だが…だが…その種もみさえあれば米ができる。 毎年、毎年、米ができるんじゃ。 だれもがみんないつまでも生きていくことができる。 そうすればもう食糧を奪い合うこともない。 争いもなくなる」

ミスミの爺さんは、さらに続けた。

「今日より明日なんじゃ」

それを聞いたケンシロウはつぶやく…

「今日より明日…久しぶりに人間に会ったような気がする…」

作:武論尊 画:原哲夫『北斗の拳』―「第2話 怒り天を衝く時!の巻」より


この種もみの爺さんは、2001年にみんなの前に登場している。 以下の小泉純一郎元首相の所信表明演説『米百俵』を読んでみてもらいたい。

小泉純一郎首相 所信表明演説『米百俵』


 明治初期、厳しい窮乏の中にあった長岡藩に、救援のための米百俵が届けられました。 米百俵は、当座をしのぐために使ったのでは数日でなくなってしまいます。 しかし、当時の指導者は、百俵を将来の千俵、万俵として活かすため、明日の人づくりのための学校設立資金に使いました。 その結果、設立された国漢学校は、後に多くの人材を育て上げることとなったのです。
 今の痛みに耐えて明日を良くしようという『米百俵の精神』こそ、改革を進めようとする今日の我々に必要ではないでしょうか。
 新世紀を迎え、日本が希望に満ち溢れた未来を創造できるか否かは、国民一人ひとりの、改革に立ち向かう志と決意にかかっています。

2001年5月13日


私はこの所信表明演説を聞いたとき、<<ようやく人間がこの国の首相になった>>と思った。 小泉純一郎首相は、「今日の私たちのエゴのために未来にツケを残していいものだろうか」と問いかけていたのだ。 今日より明日…その選択をするためには、今日の痛みを伴う志と決意が必要だと訴えていたのが小泉純一郎だった。

私が高校生のとき、サッカー部の連中がこんなことを語っていた。

「俺らが一年だったとき、先輩からパシリにされたり、ボール蹴らせてもらえなかったりしたからさ。 そういうの本当に嫌だったのね。 だから、俺たちが三年になったら、そういうの絶対止めようぜってみんなで話し合ってたの。 俺たちの代で終わりにしようぜってね」

これが人間として「生きる」ということだ。 「こんなことは俺たちの代で終わりにしようぜ」という志と決意を持てないやつは、人間として「死ぬ」。 ところが小泉首相の退陣した2006年以降、日本の国民は「今日の私たちのエゴのために未来にツケを残して何が悪いというのですか!」と主張する安倍晋三に丸め込まれていった。 彼は国の借金を増やしてまで雇用を生み出すことを景気対策と称し、歳出削減の努力よりも増税を推進する野盗の親玉だった。 「明日より今日」というわけである。

どうして平成時代の日本の国民にはこんな単純な道理も解らなかったのか。 それは誰もが「明日より今日」という生き様を選択して、自分の人生の勝負どきを取り逃がしていたからである。 自分個人の人生にすら真向勝負を挑もうとしない「死んだ」連中が集まれば、社会全体もまた「死ぬ」。 現代は「個人病むゆえに社会全体もまた病む」という病理が、時代に暗い影を落としているのだ。

― てめえらに今日を生きる資格はねぇ!! ―
(by ケンシロウ 『北斗の拳』―「第2話 怒り天を衝く時!の巻」より)

ケンシロウの北斗神拳の真髄は極限の怒りと哀しみにあるという。 これまで私をつき動かしてきたのも、幼い頃に感じた時代に対する怒りだった。 小学四年生のとき、社会科の資料集で年金制度の図を見せられたときのことを、私は今でも鮮明に覚えている。 そこにあったのは、現在は3-4人でひとりの老人を支えているけれども、私たちが大人になる頃には1人で何人かの老人を支えることになるという図だった。 そのとき感じた憤りは、私の心に濃いブルーの文字で刺青(いれずみ)のように刻まれている。

<<何だこれ、ふざけんな。フェアにやろうぜ!>>

どうして自分個人の人生すらまともに生きようとしなかった連中のケツをみんなで拭かなくちゃならんのだ?…さっぱり理解できなかった。 そんなことをしたら誰も自分の人生と真向勝負をしなくなるじゃないか。 この国で生きる未来に希望が持てなくなった。 こんな国と時代に生まれたことが本当に嫌になった。 だから私は、こんな思いを未来の子供たちに絶対にさせたくないと思った。

そうしてはじまった私の探求は、人間の人生が何によって、また何ゆえに失われるのかという原因について、突き止めるに至った。 それがこの『坐禅作法』シリーズに結実されている。 だからもう…

「こんなことは俺たちの代で終わりにしようぜ」

人間として「生きる」とはどういうことなのか? 人間として「死ぬ」とはどういうことなのか? 『北斗の拳』はその生と死のはざまを見切って生きた男の物語になっている。

―  今こそ悟った! おまえは今日まで死を見切って生きてきた。 熾烈なる強敵(とも)との戦いの中で生と死の狭間(はざま)を見切ったのだと!!  ―
(by ラオウ 『北斗の拳』―「第136話 さらば強敵よ!の巻」より)


北斗神拳奥義―水影心

北斗神拳は究極の暗殺拳。 太平の世にあっては死神の拳法として忌避(きひ)される伝説の秘拳である。 この設定は、北斗神拳が自我の暗殺を目的とした技法であり、誰もが現実逃避をして亡霊のように生きていた平成のような時代の人々には、死神の技法としてしか映らないことを示唆している。

― ここに一子相伝をもって秘匿(ひとく)され続けてきた究極の殺戮暗殺拳がある。 その名も―北斗神拳。 この拳法の創始はおよそ一八〇〇年前にさかのぼる。 まだ小勢力であった西方の浮屠教徒(仏教徒)たちが群雄割拠する乱世にあり、その教えを守り、生き抜くためにあみだした秘拳であった…  ―
(原哲夫 武論尊監修『蒼天の拳』―「第1話 賞金首・閻王の巻」より)

また北斗神拳は、秘孔(ひこう)を突き、経絡(けいらく)に気を送り込むことで、肉体を内部から破壊することを極意とする。 この設定は、誰もが目や耳にしていながら、誰も読むことができない謎の経典―妙法蓮華経によって自我を暗殺する技法の喩(たと)えとなっている。

― 人体には七百八つの経絡秘孔(ツボ)がある。 北斗神拳究極の真髄はその経絡に気を送り込み、肉体の表面からではなく、その内部からの破壊を極意とした… 破壊された肉体に外傷なし―ゆえに究極の暗殺拳であった。  ―
(原哲夫 武論尊監修『蒼天の拳』―「第2話 江湖の義気の巻」より)

妙法蓮華経は、この原哲夫の漫画『北斗の拳』だけではなく、井上陽水の歌や村上春樹の小説や宮崎駿のアニメ映画として大衆文化の中に透け込み、人知れず心の中に忍び込んで、その自我を暗殺する。 北斗神拳の正統伝承者として選ばれた菩薩は、それら妙法蓮華経を自家薬籠中(じかやくろうちゅう)の法財として自在に活用できるのだ。 それが北斗神拳奥義…
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北斗神拳の正統伝承者の手にかかれば、ありきたりな大衆芸術が生きた経典として甦(よみがえ)る。

― おまえたちは北斗神拳がなにゆえ一子相伝の最強の拳法か知らない!それを教えてやろう!! 北斗神拳奥義・水影心! 北斗神拳は一度戦った相手の拳を、おのれの分身とできる。  ―
(by ケンシロウ 『北斗の拳』―「第84話 南斗白鷺拳!乱舞!!の巻」より)

この『かなりキワどい坐禅作法』で私が展開してきた説法の技法こそ、北斗神拳奥義・水影心にほかならない。 どうだ、まいったか。お約束だから、「あべし!」とか「ひでぶ!」と叫んでおきなさい。

青雲水

北斗神拳究極奥義―無想転生

緑雲水

北斗神拳は、釈迦の開いた初期仏教が潜在的に抱えていた限界を突破するために生まれた技法の喩え。 その限界は物語の中で、こんな風に解説されている。

―  わからぬか!? おまえが使った拳こそ、宗家の拳。 しかし、極められた拳ゆえに受け身の技も極められ、実戦での戦闘力を失くしていたのだ!!  ―
(by ケンシロウ 『北斗の拳』―「第208話 戦場の凄拳!の巻」より)

『北斗の拳』では、釈迦の開いた初期仏教のことを北斗宗家の拳(ほくとそうけのけん)と呼んでいる。 釈迦は悟りに至る仏陀の道について完璧な理論体系をつくりあげた人物だった。 たしかにそれは釈迦一代で「極められた」と言ってもいいほど見事なものである。

とはいえ人間の自我というものは何にでも理屈をつけられるものだ。 その理論体系が完璧であればあるほど、自我はその反証体系を完璧につくりあげていく。 自我は釈迦の教えを自身の都合にあわせて解釈することを学習し、自我を滅するための技法を自我を守るための技法にすり替えてしまう。 かくして「受け身の技も極められ」、釈迦の教えでは自我の構築する防壁を打ち破ることができなくなり、「実戦での戦闘力を失くしていた」。 すなわち、釈迦の開いた初期仏教を学んだ者たちは、誰も人間として生きようとしなくなった…というわけである。

そこで、大衆文化の中に透け込む妙法蓮華経により、人知れず心の中に忍び込んで自我を暗殺するという菩薩の道が説かれはじめた。 こうした大乗仏教の誕生により、釈迦の開いた初期仏教は小乗仏教と呼ばれるようになったのである。

―  北斗神拳は、戦場の千変万化する闘いの中にこそ、その奥義をみいだしたのだ!!  ―
(by ケンシロウ 『北斗の拳』―「第208話 戦場の凄拳!の巻」より)

大乗仏教の菩薩は、誰も到達できそうにない瞑想の世界から真理を説くのではなく、むしろ大衆の千変万化する日常の世界に溶け込んで真理を説く。 誰もが目や耳にしていながら、誰も読むことのできない妙法蓮華経によって真理を説くがゆえに、人知れず心の中に忍び込んで自我を暗殺することができる。 その妙法蓮華経は、複数の芸術家による分担作業により、ひとつの絵巻を紡ぎあげる経典であるため、誰も菩薩の実体をとらえることはできない。 それが北斗神拳究極奥義…
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無より転じて生を拾う無想転生は、自我を沈黙させたところに待っている実在の創造性により、自身の人生の守備位置を確保する技。 それは北斗神拳の正統伝承者が菩薩として世に出ようとするときに身にまとう究極奥義なのだ。

―  誰にもオレの実体は捉えられぬ。 無より転じて生を拾う。 それが北斗神拳究極奥義・無想転生!!  ―
(by ケンシロウ 『北斗の拳』―「第184話 玉砕!無想転生!!の巻」より)

私はこの究極奥義を身にまとうために、ああでもない、こうでもない、とやってきたわけである。 小乗の覚者である仏陀たちは、こうした菩薩の美学がわからない無粋(ぶすい)な連中なので、悟った途端に使い物にならないゴタクを並べはじめてしまう。 仏陀たちがさんざん与太話(よたばなし)を広めたせいで、菩薩たちは仕事をやりづらくて仕方がないのだ。 おバカな仏陀たちにはちょっと黙っててほしいものである。

そこへいくと、老子、あんたの時代はよかった…

― 知る者は語らず、語る者は知らず。 ―
(布施仁悟訳 『老子 道徳経―下篇』第五十六章より)

老子の語る無想転生


 道は広大無辺な空虚であるから一定の型にはまることはない。 それは深く水をたたえた淵(ふち)のような万物の根源をおもわせる。 そこで、血気さかんなぎらぎらの鋭気をへし折り、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の入り乱れた雑踏のただ中をそぞろ歩く。 人目を惹くぴかぴかの才気をひた隠し、なんでもないもののただ中に透けこむ。 それは気配を消して水中ふかく潜りこみ、その境域に息をひそめているようなものだろうか。 おかげで私は自分の氏素性(うじすじょう)もよくわからなくなってしまった。 万物をとりまとめている天帝の祖先になぞらえてみようか。

布施仁悟訳 『老子 道徳経―上篇』第四章より


『北斗の拳』では、この無想転生は「哀しみを背負った人間のみがなしうる」とされている。

―  この世で最強のものは無…その無より転じて生を拾う。 それが無想転生。
 ラ…ラオウ。 うぬがいかに強大になろうとも、この奥義だけはつかめぬ!! なぜならば、うぬはあまりに強大なその野望ゆえに哀しみを知らぬ。
 それは哀しみを背負った人間のみがなしうる。
 ―
(by リュウケン 『北斗の拳』―「第124話 血の奔流!の巻」より)

この哀しみの意味は、続編『蒼天の拳』で北斗神拳始祖シュケンの生涯を通じて明らかにされた。


北斗神拳の源流―始祖シュケンの生涯

妙法蓮華経の原型は、ユダヤ教の聖典『旧約聖書』に見ることができる。 それは『蒼天の拳 REGENESIS』で、天斗聖陰拳(てんとせいいんけん)と呼ばれているもので、旧約聖書の預言者たちは物語や詩によって自我の壁を打ち破る技法に長(た)けていた。 その技法がイスラムのスーフィズムに受け継がれて、アラビアンナイトのような文学や西欧の童話に影響を与えていったことは、すでに紹介した通りである。 天斗聖陰拳は北斗神拳とよく似た技法なのだ。

― 天斗聖陰拳は気の流れを操る。 自他の気の流れを自在に変動し、人体の操作、破壊を行う。  ―
(by ヤサカ アニメ『蒼天の拳 REGENESIS』―「第9話 赦す者」より)

ただし、それが聖典の形式になり教義として完成された時点で、経典の進化と成長が止まってしまうのが欠点だった。 そのため、スーフィーの導師の中には、自分が弟子に授けた物語を決して文字にしてはいけないと言い残している者もいる。 以下はアニメ『蒼天の拳 REGENESIS』に登場する北斗神拳伝承者・霞拳志郎と天斗聖陰拳伝承者・シメオンの会話。

― [霞拳志郎] 北斗神拳は究極無形の技。 まず疑い、相手の拳(こぶし)を我が身に受ける。 おのれ自身と拳を鍛錬させる。 それが北斗神拳。 この拳は一八〇〇年の歴史の中で成長と進化を続けてきた。
 [シメオン] 成長、進化だと?それこそ不完全である証し。我れの神技は完璧に完成している!
 [霞拳志郎] 止まってるんだ。 おまえの拳は大昔に止まったままだ。 まるで脱皮しない蛇みてえにな。
 ―
(by 霞拳志郎&シメオン アニメ『蒼天の拳 REGENESIS』―「第18話 ナハシュの落日」より)

北斗神拳の源流図
図:布施仁悟(著作権フリー)


さらに『蒼天の拳』には、天斗聖陰拳との交流で生まれた西斗月拳(せいとげっけん)という拳法が登場してくる。 中国に最初に仏教経典をもたらしたのが中央アジアの遊牧民・月氏(げっし)だと言われているのだけれど、物語の設定上では、月氏はその他にも西斗月拳を中国に持ち運んだことになっている。 北斗神拳はその西斗月拳から経絡秘孔の秘術を取り込んで生まれたものと説明されるのだ。 すなわち妙法蓮華経による自我暗殺の技法は、イスラエルから中央アジアの遊牧民を経て中国にもたらされたという設定なのである。

― かつて北斗宗家の拳は、世の平和を守らんとする英雄を守護する最強の暗殺拳であった。 しかし、この時代にはあらゆる受け技が極められ、もはや最強拳ではなくなっていた。
 そこで浮屠教(仏教)の高僧たちは、北斗宗家の拳の天才シュケンに西斗月拳を学ばせた。 それは、その経絡秘孔の秘術を北斗宗家の拳に取り込み、新たな最強の暗殺拳を生み出すためであった。
 そして、ついに完成されたのが正に北斗神拳であったのだ。
 ―
(原哲夫 武論尊監修『蒼天の拳』―「第234話 北斗神拳始祖!!の巻」より)

こうして北斗宗家の拳の天才シュケンによって北斗神拳は生み出される。 その後、始祖シュケンは北斗神拳を一子相伝の秘拳とするため、西斗月拳の高弟すべてを惨殺してしまう。

― 西斗月拳の秘術は…知れば恐るべきものだった! まさに人を死神に変える。 だから私は西斗月拳を永遠に封じるのだ。 敢えてこの手で!  ―
(by シュケン 『蒼天の拳』―「第234話 北斗神拳始祖!!の巻」より)

北斗神拳の正統伝承者に選ばれて菩薩になるためには、始祖シュケンのたどった経緯をそのままなぞらなければならない。 修行者は何よりもまず北斗宗家の拳(釈迦の開いた初期仏教)を究めることになるだろう。 やがてその限界を知る頃になって、ようやく妙法蓮華経の価値が分かってくるからだ。 そのときに学ぶことになるのが西斗月拳の経絡秘孔の秘術なのである。 これは妙法蓮華経の意味を誰かに説明しようとする過程で、「妙法蓮華経による自我暗殺の技法」を学ぶことを意味している。

また、北斗神拳伝承者の宿星は北斗七星。 それは死をつかさどる星であるため、北斗神拳の正統伝承者になる過程は死神の子のOJT(On the Job Training)にもなっている。 その死神の子の仕事とは「人間の生と死のはざまに立ち会うこと」だ。

(村上春樹『海辺のカフカ』にみる)人間の生と死のはざま


 僕らの人生にはもう後戻りができないというポイントがある。 それからケースとしてはずっと少ないけれど、もうこれから先には進めないというポイントがある。 そういうポイントが来たら、良いことであれ悪いことであれ、僕らはただ黙ってそれを受け入れるしかない。 僕らはそんなふうに生きているんだ。

村上春樹『海辺のカフカ』第17章より


この村上春樹の『海辺のカフカ』で説明されている「もう後戻りができないポイント」と「もうこれから先には進めないポイント」が“人間の生と死のはざま”だ。 たいていの人々は33歳と37歳の厄年でそのポイントを迎えるらしい。 そのとき人間として「死ぬ」選択をした人たちに、死神の子は「おまえはもう、死んでいる…」と深い哀しみの中で告げることになる。 ほとんどの人が、その生と死のはざまを乗り越えようとしないからだ。

始祖シュケンが「西斗月拳の高弟すべてを惨殺した」という挿話は、妙法蓮華経の意味を説明しようとする過程で知り合った人たちに、「おまえはもう、死んでいる…」と告げることの寓意になっている。

― もう後戻りはできないのです。 ならば背負うのです。 この哀しみを…背負う哀しみが深く重いほど、天はあなたの願いに微笑むでしょう。 哀しみは、天があなたに課した試練! そして宿命!  ―
(by ヤーマ 『蒼天の拳』―「第236話 北斗の慈母!!の巻」より)

こうして深くて重い哀しみを背負わなければ、北斗神拳の正統伝承者に選ばれて菩薩になることはできない。 では、なぜそうまでして西斗月拳(妙法蓮華経による自我暗殺の技法)を学ぶのか…始祖シュケンはこう答えている。

― この世に平和をもたらすために! これ以上、この悲劇を繰り返さぬために! 俺がこの世の救世主となる!  ―
(by シュケン 『蒼天の拳』―「第252話 究極の愛!!の巻」より)

そうして敢えて西斗月拳を封じるとき、すなわち妙法蓮華経の意味の解説を封印するとき。 修行者は、北斗神拳の正統伝承者となり、乱世に菩薩の智慧の光をもたらす救世主として世に出て行く。

妙法蓮華経の意味の解説を封印するのは、妙法蓮華経自体が、ある種の人を強く惹きつける吸引力を持っているからだ。 ある種の人たちは、見つけるべき時に、見つけるべき場所で、そのときの自分にふさわしい妙法蓮華経を見つけ出す。 別の言い方をするなら、妙法蓮華経みずからがその人物を選び取る。

それは分かる人にしか分からない言葉で説かれているため、分かる人には解説なんかしなくても分かる。 それは分からない人には解説しても分からない言葉ということでもあるから、そういう人たちには妙法蓮華経を解説すること自体が逆効果になってしまう。 幼児(おさなご)に語るサンタクロース伝説のように、真実を知るべき時がくるまで知らない方がいいこともあるのだ。

けれども、こうした道理は妙法蓮華経の意味を解説する修行の中で、何人かの被験者に「おまえはもう、死んでいる…」と告げ、その限界を思い知らなければ腑に落ちてこない。 したがって、その悲劇は修行者が妙法蓮華経の解説をみずからすすんで封印するまで続く。

矢印マーク 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)


2002年―村上春樹流「預言書の読み方指南」

― 君が声を求めるとき、そこにあるのは深い沈黙だ。 しかし君が沈黙を求めるとき、そこには絶えまのない予言の声がある。 その声がときとして、君の頭の中のどこかにかくされている秘密のスイッチのようなものを押す。 ―
(第1章)


中島みゆき禅師は、その分かる人にしか分からない言葉をこう名づけている…
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愛詞の構造1〜 ツインレイとの合言葉 〜


 ありふれた男と ありふれた女が
 群像の中で 突然の中で 特別な人になる

 傷ついた昨日も 傷ついた未来も
 諦めの中で 突然の中で 意味のある日になる

 逢いたくて
 昨日までと違う意味で 逢いたくて
 触れたくて
 昨日までと違う意味で 触れたくて

 傷ついたあなたへ 傷ついた命へ
 わかる人にしかわからない
 それでいい 愛詞

中島みゆき『愛詞』(2013)より


中島みゆきの『愛詞』の一番は、ツインレイとの合言葉について歌ったものだ。

ツインレイの男女の再会は、逢いたくても逢ってはいけない現実に直面したとき、諦めの中で突然に意味のあるものに変わる。 その後、男は世に出て天職の義務を遂行する中で、彼女にしか分からない愛詞を送るのだ。

愛詞の構造2〜 ツインシャドウとの合言葉 〜


 風の強い夜です 手をつないでください
 昨日までならば 言えた戯(ざ)れごとも ためらう風の中

 願いごと増えました 独りなら願わない
 あなたが微笑んでいてくれるように 泣かずにいるように

 伝えたくて
 昨日までと違う意味で 伝えたくて
 せつなくて
 昨日までと違う意味で せつなくて

 凍(こご)えてるあなたへ 凍(こご)えてる命へ
 心の扉の鍵になれ
 ひと粒(つぶ) 愛詞

中島みゆき『愛詞』(2013)より


中島みゆきの『愛詞』の二番は、次世代のツインシャドウとの合言葉について歌ったものだ。

菩薩が妙法蓮華経を紡ぎあげる仕事は複数人の芸術家の協力のもとに遂行される。 それは「独りなら願わない」仕事なのだ。

また世の中には、言葉で説明されてしまうと、かえって大事な何かを損なうことがある。 それに妙法蓮華経は自分で発見したほうが宝さがしみたいでいい。 そのため、この仕事のためには妙法蓮華経の意味の解説を封印しなければならない。 妙法蓮華経はいつ何処で手にするかで、まるっきり嘘になってしまうこともあるから、それを受け取るべき誰かが現れる時節をひたすら待つことになる。 「昨日までと違う意味で伝えたくて」、「昨日までと違う意味で切なくて」とは、そういう意味だ。

沈黙をともなった愛詞は、人知れず次世代のツインシャドウの心の中に忍び込み、その自我を暗殺する。 北斗神拳の正統伝承者に選ばれる次世代の菩薩は、そうやって心に投げ込まれたひと粒ひと粒の愛詞によって育てられるのだ。 これが北斗神拳が一子相伝の秘拳とされる所以(ゆえん)なのである。

矢印マーク 問題集

2014年―中島みゆきの集大成

最後の扉を開くためのアルバム。ツインレイとの再会の後に聴くといい。
『愛詞』収録

桃雲水

剛の拳と柔の拳―無想陰殺

赤雲水

北斗一門のラオウ・トキ・ケンシロウの三兄弟は、菩薩修行の三段階を象徴している。

北斗三兄弟の拳質図
図:布施仁悟(著作権フリー)


この菩薩修行の三段階を昇格していく過程は、定規と鉛筆を使って直線を引けばいいというほど単純ではない。 そこにはゲシュタルト転回の試練が待っているからだ。

ゲシュタルト転回〜北斗三兄弟の拳質的考察〜
図:布施仁悟(著作権フリー)


『北斗の拳』では、このゲシュタルト転回を北斗三兄弟の拳質の違いで描いているので、ここからは各兄弟の拳質を比較しながら考察してみることにしたい。

トキの柔拳〜聖人の道〜

まずトキは誰にでも慕われる人格者として描かれる人物で、いわゆる道徳を極めた聖人を象徴している。 世の中は道徳すらまともに守れない人たちばかりだから、トキの聖人の道を歩むことが人間の最初の目標となる。

ヨガナンダの語る聖人の道


 あなたがたは宗教的ではなくても道徳的であることはできますが、宗教を実践してゆくには、まず道徳の基本を身につけることから始めなければなりません。 なぜならば、真の宗教は神との交わりを目的とするため、普通の道徳よりも深いものだからです。

パラマハンサ・ヨガナンダ『人間の永遠の探求』P.304-305「講話三十六 キリストとクリシュナ―同じ真理を説いた二人のアヴァター」より


またトキの拳質は柔の拳。 これは運命の流れに逆らうことなく身をまかせる聖人の生き様を象徴している。

― 激流に逆らえばのみこまれる。むしろ激流に身をまかせ同化する。  ―
(by トキ 『北斗の拳』―「第68話 血を呼ぶ宿命!の巻」より)

たしかに最後はこの境地に行き着くことになるから、ほとんどの人はトキの生き様の何が間違っているのか分からないかもしれない。 けれども人間の運命の流れというのはそんなに単純なものではないのだ。 聖人のように善い行いをしていれば運命の流れも善い方向に変わっていくと考えるとしたら、とんでもない勘違いである。

運命の女神は自分の天性の義務を遂行しようとする人だけに微笑む。 自分の天性の義務をないがしろにしたまま、どんなに善行を施してみたところで、運命の流れは本来あるべき方向には向かわない。 ところが聖人は、誰もが認めるところの正道にしがみついて、その道を踏みはずことに怯えている。 しかしながら天性の義務を遂行する道は、その正道のとなりを走っているのだ。 もしもその正道のとなりを走っている道に飛び移らなかったら、人間として「死ぬ」のである。

老子の語る正道のとなりを走っている道


 上等の人士が道について聞くと、矢も楯もたまらず歩まずにはいられなくなる。 けれども中等の人士が道について聞く耳は、その場にいながら死んでいるかのように閉じられている。 そして下等の人士が道について聞くと、端(はな)から馬鹿にして笑い飛ばす。 けれども笑われないようであればそれを道とは呼べないだろう。 万古不易(ばんこふえき)の格言にはこうある。 本当に明かるい道は暗闇の中を歩むようであり、本当に前進しているときは後戻りしているようであり、本当に平坦な道は凸凹(でこぼこ)として入り組んでみえる。

布施仁悟訳 『老子 道徳経―下篇』第四十一章より


そのため『北斗の拳』では、トキは199X年に起こった核戦争で死の灰を浴びて、ただ死を待ちながら生きることになった生ける屍(しかばね)として描かれる。 聖人トキは、その星が見える者にはその年の内に死が訪れるという死兆星(しちょうせい)を宿星として背負ってしまうのだ。

矢印マーク 『人間の永遠の探求』

修行の基本はこの本で学んだ。
もしも道に迷ったらこの人に聴けばいい。
ただし納得できたものから少しずつ取り入れていかないと、
ただのストイックな禁欲主義になるのでご用心。


ラオウの剛拳〜仏陀の道〜

ラオウの拳質は剛の拳。 これは憂いや恐れを生むからという理由で情愛を捨てようとする仏陀の生き様を象徴している。

― フハハハハ〜ッ!!バカめ!よいかトキ、武に生き覇者となるに一片の情(なさけ)も無用!!  ―
(by ラオウ 『北斗の拳』―「第125話 運命の罠!の巻」より)

ラオウは拳王を名乗り、恐怖で乱世を支配しようとする人物として描かれる。 そのラオウが仏陀と同格というのは信じられないだろうけれど、仏陀の代表である釈迦は、こんな言葉を残しているのだ。


 愛情から憂いが生じ、愛情から恐れが生ずる。愛情を離れたならば憂いが存在しない。どうして恐れることがあろうか?
(法句経213)


「情愛を捨てよ、さすれば安らぎを得られん!」というわけである。 聖人の道を踏みはずした人が最初にすがるべき教えと言えるかもしれない。

(村上春樹『海辺のカフカ』にみる)13歳の厄年からの試練


 だからさ、こういうのは頭の良し悪(あ)しの問題じゃないんだ。 俺はべつに頭なんて良かねえよ。 ただ俺には俺の考え方があるだけだ。 だからみんなによくうっとうしがられる。 あいつはすぐにややこしいことを言い出すってさ。 自分の頭でものを考えようとすると、だいたい煙たがられるものなんだ。

村上春樹『海辺のカフカ』第20章より


世の中のたいていの人は13歳の厄年で精神年齢が止まる。 その頃には自分の頭でものを考えないように飼い慣らされてしまっているからだ。 聖人の道は、自分の頭でものを考えられない人たちの信じる道だから、自分の頭でものを考えられる人はその正道を踏み外してしまうことになる。 すると次第に煙たがられ、うっとうしがられて、差別されるようになっていく。

それは自分の頭でものを考えられない人たちにとっては、何ら罪の意識のない無感覚的な差別だ。 けれども世間的差別を受けた痛みは、心の中に傷口として残る。 やがて時を経るごとに住んでいる世界がどんどん乖離していき、自分と真逆の世界に属する人と憎み合うようにもなる。

(村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』にみる)憎しみのカラクリ


 「綿谷ノボル様は岡田様とはまったく逆の世界に属している人です」と加納クレタは言った。 それからしばらく口を噤んで言葉を探していた。 「岡田様が失っていく世界で、綿谷様は獲得していきます。 岡田様が否定される世界で、綿谷様は受け入れられていきます。 またその逆のことも言えます。 だからこそあの方は岡田様のことを激しく憎んでおられるのです」

 「僕にはそこがよくわからないな。 あの男にとっては僕の存在なんて目にも入らないくらいちっぽけなものじゃないか。 綿谷ノボルは有名だし、力もある。 それに比べれば僕はまったくのゼロだ。 そんなものを、どうして手間暇かけて憎んだりしなくてはいけないんだろう」

 加納クレタは首を振った。 「憎しみというのは長くのびた暗い影のようなものです。 それがどこからのびてくるのかは、おおかたの場合、本人にもわからないのです。 それは両刃の剣です。 相手を切るのと同時に自分をも切ります。 相手を激しく切るものは、自分をも激しく切ります。 命取りになる場合もあります。 でも捨てようとして簡単に捨てられるものではないのです。 岡田様もお気をつけになってください。 それは本当に危険なのです。 一度心に根づいた憎しみを振り落とすのは至難の業です」

村上春樹『ねじまき鳥クロニクル 第2部』―「14 加納クレタの新しい出発」より


こうした状況を打破する仏陀の処方箋は、世間的差別による孤独に抵抗するのではなく、むしろ孤独になりきればよい、というものになる。 「遁世により俗世への執着を捨てよ」というわけだ。


 愛する人と会うな。愛する人に会わないのは苦しい。また愛しない人に会うのも苦しい。
(法句経210)


 それ故に愛する人をつくるな。愛する人を失うのはわざわいである。愛する人も憎む人もいない人々には、わずらわしの絆が存在しない。
(法句経211)


 愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる、愛するものを離れたならば、憂いは存在しない。どうして恐れることがあろうか?
(法句経212)


これらの言葉を発した釈迦の心情をラオウの台詞で要約すると、こういうことになるだろうか。

― この拳に殉じた拳王…北斗の長兄ラオウが愛を背負ったなど恥辱!!  ―
(by ラオウ 『北斗の拳』―「第135話 血に染まる覇王!の巻」より)

仏陀というのは何かと生きづらい生き物のようである。 しかし、こうして孤独になりきって情愛に左右されないようになると、やがてある能力が活性化してくる。 その必殺拳が…
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それは無意識、無想に生まれてくるアイデア。 世間的な思考パターンから逃れられたとき、自由な発想による創造が可能になるのだ。

― 無想陰殺!! 気配を読み、殺気との間合いを見切り、無意識、無想にくりだされる必殺の拳!!  ―
(作:武論尊 画:原哲夫『北斗の拳』―「第102話 めざめる血!の巻」より)

この無想陰殺は、情愛を捨てる仏陀の道に入り、非情の剛の拳を学ばなければ身につかない。 そのため聖人の道にとどまったトキがラオウに勝つことは絶対になかった。

― トキ!このラオウをめざしていたのであれば、なぜ非情の剛の拳を学ばなかった!! 剛は殺!柔は情! 剛の道にふみ込まなかったきさまの優しさが命取りになった!! もはや、この勝負みえたわーっ!!  ―
(by ラオウ 『北斗の拳』―「第102話 めざめる血!の巻」より)

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残念ながら、この完全無欠のように見える仏陀の道には落とし穴がある。 釈迦というのは、その落とし穴にはまりこんで生還できなかった哀れな男なのだ。 ラオウと同じように。

矢印マーク ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編

1995年―村上春樹流「孤独からの生還指南」

― 時間をかけることを恐れてはいけないよ。 たっぷりと何かに時間をかけることは、ある意味では、いちばん洗練されたかたちでの復讐なんだ。 ―
(第17章)


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