トップ写真 ゆんフリー写真素材集
Contents menu
Google Search
Google
Web サイト内
関連記事リスト

【坐禅作法127】空気さなぎは21年周期で一子相伝の夢をみるのか

かなりキワどい坐禅作法 空気さなぎは21年周期で一子相伝の夢をみるのか〜付録1〜

Presented by

〜付録1:アブダクションモデル〜


これから余興をはじめることにする

これは余興である。

世の中に出まわっている禅の本があまりにつまらないので、ぶっちぎりの禅のテキストを書こうとしたら、ぶっちぎりすぎて途中から誰もついてこれなくなった。 おかげで一文にもならない文章を長年に渡って書くことになり、「バカヤロー、訳のわからんものばかり書かせやがって、最後くらい余興をやらせろ」と民族の指導霊たちに文句を言ったら、「まあ、ちょっとくらいならよかろう」と返事をもらったような気がした。

ということでバカヤロー余興をはじめることにする。 毒舌注意。

これから幾つかのアブダクションモデルを図示していこうと考えているのだけれど、それらは、そのモデルなしには理解不能であるような多くの事象を解明するのに役立つだろう。 そのなかには、33歳のぷっつん体験に失敗した人たちの敗者復活にかかわるモデルもある。 37歳を越えてもなお人生に挑戦する気力が残っているなら、参考にするといい。

人間の<生>には愛とロマンが必要だ。 愛とロマンを伝えることのできない禅の本など何の魅力もない。 そうは思わないかね、諸君。

赤雲水

一子相伝システムについて

黒雲水

漫画やアニメをなめてはいけない。

子供は漫画を読んだり、アニメを観て育つのだから、よほど質の高い作品を提供しなければならないはずだ。 ところが実に嘆かわしいことに、1984年以降に発表された作品は基本的に駄作しかなかった。 決定的な違いは、そこを境にして誰も愛とロマンを描かなくなったことにある。

私がまだ小学生だった頃は、漫画がアニメ化されたときの主題歌で、中身のある作品かどうかは容易に判定できたものだった。 たとえば『宇宙戦艦ヤマト』(1974)は、地球を覆った放射能を除去する装置を取りに宇宙の彼方イスカンダルへ旅する戦士たちの物語。 これはつまり、バブル景気に浮かれて頭のいかれた日本人から、その迷妄を取り除く知恵を持ち帰ってくるため、神隠し現象の渾沌に挑む団塊ジュニアの使命を描いた物語だった。 また『タッチ』(1985)は、意中の男の子に振り向いてもらえる時をずっと待っているいじらしい女子高生の物語。 これは要するに、ひとりの天使に花の首飾りをかけてもらう青春時代のお話だ。 おまけに『デビルマン』(1972)というダーク・ハーフの物語まであった。

誰も知らない 知られちゃいけない
デビルマンが誰なのか
何も言えない 話しちゃいけない
デビルマンが誰なのか

人の世に愛がある
人の世に夢がある
この美しいものを守りたいだけ

今日もどこかでデビルマン
今日もどこかでデビルマン

(作詞:阿久悠 作曲:都倉俊一『今日もどこかでデビルマン』(1972)より)

こういう漫画やアニメの文化が衰退したのは、子供の質が低下しているからで、その時代に聞く耳を持つ子供(いわゆるレシヴァ)がいないと、民族の指導霊だって価値あるものを提供できないのである。 おそらくここ数十年は、胎児として羊水に浮かんでいるときから、潜在的に頭のいかれてる子供ばかりが生まれてきていたのだろう。 理由は単純明快で、ファム・ファタールと結婚しようとするハナタレ男たちが人の親になっているからである。 そういう家庭にはハナタレ男子しか生まれてこないものなのだ。 恋せよ、男子。 まっすぐ生きて本物の恋をしなさい。

したがって、ハナタレ男の私の父のところに、度胸千両の男の子が生まれてきたのは、世界の七不思議と言っていい。 たぶん、そういう突然変異もたまには起こるのだろう。 もしかすると私が人並み以上に女好きだっただけかもしれない。

矢印マーク 北斗の拳 1巻


1983年―「週刊少年ジャンプ」誌上で伝説は始まった

一子相伝の北斗神拳。 正統伝承権を持つ主人公のケンシロウは破壊神シヴァの象徴。 この現象世界における一子相伝システムを物語にした傑作。


社会とは、男たちが自分の天職を賭けて血みどろの火花を散らす鉄火場(てっかば)である。 私だって、好んで人生の賭けに出た危険愛好者ではない。 でも天職に就くロマンに賭けるというなら話は別だった。 男が社会で天職に就くロマンを忘れたら、その時をずっと待っている女は自分の愛を捧げる相手が分からなくなって迷走してしまう。

男たちの鉄火場に、そんな迷走する女たちが出入りすることを善しとする社会になったのは、男女雇用機会均等法が制定された1985年からだった。 この法律のせいで、「ここは男が天職を賭けて勝負を決する鉄火場だ。はなから女の来るところじゃねえ、とっとと出てけ!」とは誰も言えなくなった。 2018年の現在、こんなことを公共の場で発言しようものなら、とたんに袋叩きに遭うことだろう。

その後に起こったことは、ほとんどお笑いでしかなかった。 基本的に自分の頭でものを考えることのできない男と女ばかりだから、人生の選択肢が増えた女は自分の居るべき場所が分からなくなり、男は自分の存在意義が分からなくなった。 そもそも男は女の愛がなければまともに成長できない生き物だ。 9歳の運命のクロスポイントでぷっつんレディ1号に出会うまでは、男の子は母親の愛によって育てられることになる。 少なくとも、天職の軌道に乗れるかどうかの厳重試験がある七歳までは、男の子にとって最も大事な時期なのに、家庭よりも社会を優先しようとする母親たちが育児放棄をはじめた。 そのため男の子たちは天職の軌道からはずれて現実逃避をするしかなくなり、まともに恋をすることもなくなってロマンを忘れた。 そしてついに、「人生には勝ち負けなんかないんだ」なんてことを言い出すハナタレ男しかいなくなった。 世紀末の到来である。

元号が平成になった1989年には、はやくも世紀末の様相を呈してきていたことを、井上陽水の『最後のニュース』が教えている。

眠りかけた男達の夢の外で
目覚めかけた女達は何を夢見るの

親の愛を知らぬ子供達の歌を
声のしない歌を誰が聞いてくれるの

(井上陽水『最後のニュース』(1989)より)

こうして人々は愛とロマンを見失ない、日本男児と大和撫子(やまとなでしこ)は日本列島から姿を消した。 「日本男児(にっぽんだんじ)―かつては日本中に棲息(せいそく)していましたが、平成元年(1989年)に東京都葛飾区亀有公園で捕獲された布施仁悟と名乗る一頭を最後に絶滅しました」。 あとにはハナタレ男だけが残り、人々はただ世紀末救世主の出現を待ちわびるより他になす術を知らなかった。 ヒュルルルゥウウ………

YouはShock 愛で空が落ちてくる
YouはShock 俺の胸に落ちてくる
熱い心 鎖でつないでも 今は無駄だよ
邪魔する奴は 指先ひとつでダウンさ

(作詞:中村公晴 作曲:山下三智夫『愛をとりもどせ!!』(1984)より)

ということで1984年に『愛をとりもどせプロジェクト』の本格始動を告げたアニメ『北斗の拳』のお話なのだけれど、 この物語の主人公ケンシロウの決めゼリフは、そんな愛とロマンを忘れた時代の男たちに死亡宣告を申し渡すものだった。

「おまえはもう、死んでいる…」

私も37歳を迎えたハナタレ男たちに、この死亡宣告を何度申し渡してきたか分からない。 そう、『北斗の拳』は、私のように天職に就くロマンに生きる男の宿命を描いた物語なのだ。 この日本に生まれながら、『北斗の拳』を知らないまま大人になってしまった君へ。

「おまえはもう、死んでいる…」

この物語は、それくらい重要な人生のマニュアル・ブックになっている。

(『北斗の拳』にみる)陰陽合一モデル
図:布施仁悟(著作権フリー)


『北斗の拳』は陰陽の合一を描いた物語。 陽の拳法・南斗聖拳と陰の拳法・北斗神拳を統一して陰陽のバランスをもたらす者が主人公のケンシロウという設定になっている。 ケンシロウがあやつる北斗神拳は、一子相伝(いっしそうでん)の拳法で、正統伝承権を持つ者はその時代に一人でなければならない。 そのためケンシロウは門下の兄弟子(あにでし)たちと正統伝承権を巡って熾烈な勝負を繰り広げる。 やがてケンシロウが南斗と北斗の統一を達成して陰陽のバランスがとれたとき、かつて離ればなれになったユリアという女性と再会する。 そんなツインレイの愛の物語にもなっているのだ。

この物語の設定を現実に当てはめると、こういうことになる。

たとえば南斗聖拳とはJ−POPのこと。 いつも太陽がさんさんと輝いていて、海水浴場に寝ころんだ人々はコカ・コーラやピナ・コラーダを飲んでいる。 誰ひとり歳を重ねることなく、誰ひとり人生に躓(つまづ)かない現実逃避の世界を見せてくれる音楽。 こういうのはビートルズの系統で、少しも女々しくなくて、親しみやすく、とても楽しい。 才能がなくても使い手になれるため、南斗の流派にはさまざまな分派があり、その数も多い。 ただし、この南斗聖拳を極めると、阿久悠の『雨の慕情』のように、表と裏の解釈が同時に成り立つ歌を生み出すようになる。 もちろん正解は裏の解釈にあるのだけれど、誰もが表の解釈をして盲目的に受け容れてしまう。 そうやって人々に背伸びをさせることなく真理を説くのだ。 また、『五番街のマリーへ』と『ジョニーへの伝言』のように、二曲一双(にきょくいっそう)になって一つの物語を紡ぎ出すのは、雄の「鳳(ほう)」と雌の「凰(おう)」が対になって舞をまう南斗鳳凰拳―南斗の究極奥義である。 かつてこの技を使えたのは阿久悠だけだった。

そうすると一方の北斗神拳というのは井上陽水の流派ということになる。 最初は不吉で難解な印象を与えるのだけれど、ひとたび背伸びをして信じれば、意識の奥深くに眠っている何かが呼び覚まされ、自分たちの生きている世界の意味を開示してくれる。 長く繰り返し聴いていると、いつのまにか特別な意味を持つ背景音楽となり、常に美しいたたずまいで励ましてくれるようになる人生の栄光の歌。 この流派はボブ・ディランの系統で、一子相伝であることから、正統伝承権を持つ者は各国各時代に一人しか出てこない。 したがって現代の日本で北斗の歌を創れるのは井上陽水しかいないことになる。

ギターを手にしていた大学生の頃の私は、井上陽水の握っている北斗神拳の正統伝承権を狙っていた。 今になって考えてみれば、その時期の井上陽水は脂が乗りまくっていたから、「おいジジイ、そいつをよこせ」と言っても権利を手放すはずはなく、21-22歳の私にお鉢が回ってくるわけもなかった。 つまり大学生の私は、猿山のボスに喧嘩を売ってボッコボコにされたようなものなのだ。 若者は、こうして若さだけが正義ではないことを学ぶ。

社会とは男たちが自分の天職を賭けて血みどろの火花を散らす鉄火場だというのは、そういう意味で、男の魂は精子だった時代から熾烈なポジション争いをする宿命にあるのだ。 したがって敗れた男たちは、つまらないポジションに甘んじるか、反撃の機会がやってくるときまで放浪の旅に出なければならない。

そうしてポジション争いを勝ち残り、いよいよ北斗神拳の正統伝承者として世に出ていこうとするとき、同じ門下の兄弟子たちの存在に気づくことになる。 これは脅威だ。 何しろそのポジションは一子相伝であるから、正統伝承権を持つ者は各国各時代に、たった一人。 いやがうえにも自分の存在基盤がゆらぐ。 おそらく井上陽水だけでなく、村上春樹のポジションも一子相伝のはずで、村上春樹の後継者に選ばれた男は、いまごろ兄弟子たちの存在にビビっていることだろう。 この場面では自分の立脚点をいかに確立するかが課題になってくる。 この辺りのことは、ボブ・ディランが自伝に書き残してくれているので参考にするといい。

矢印マーク ボブ・ディラン自伝

― ボブ・ディランの境域の守護霊との遭遇体験 ―

早熟の天才は20歳そこそこで境域の守護霊と遭遇して世の中に飛び出してくるらしい。 これはその貴重な体験談になっている。 衝撃の真実。


ボブ・ディランはウディ・ガスリーというフォークシンガーから北斗神拳の正統伝承権を引き継いだ。 二人はツインシャドウの関係にあったので、最初にレコードを聴いた瞬間にガスリーの歌から絆を感じ取ったらしい。

(『ボブ・ディラン自伝』にみる)一子相伝システム1 〜 ツインシャドウの発見 〜


 その日の午後いっぱい、憑かれたようにガスリーを聞きつづけ、わたしは自身に課する生き方の本質をつかんだと感じた。 心のなかに、いままでよりもありのままの自分でいられる場所ができたような気がした。 頭のなかの声が「これこそがやるべきことだ」と言っていた。 わたしは、そのとき聞いた歌のすべてをひとつ残らず歌うことができたし、それだけが歌いたいものだった。 いままでは暗闇のなかにいたのに、だれかが避雷針のメインスイッチをいれたようだった。

菅野ヘッケル訳『ボブ・ディラン自伝』 P.302 第5章 氷の川


ところがほどなくして、ジョン・パンケイクという人物からジャック・エリオットという兄弟子にあたる存在について聞かされる。 ボブ・ディランは、おおいにビビる。

(『ボブ・ディラン自伝』にみる)一子相伝システム2 〜 兄弟子の発見 〜


 彼はゆったりと歌って部屋いっぱいに声を響きわたらせ、そしてその声を好きな箇所で爆発させることができる。 あきらかにウディ・ガスリーのスタイルを一歩前進させていた。

 もうひとつ―ジャックには、人を楽しませるエンターテイナーとしての資質がそなわっていた。 フォークミュージシャンの大半は、そういうことに無頓着だった。 たいていのフォークミュージシャンは聞き手が近づいてくるのを待つだけだが、ジャックは自分から働きかけて聞き手の心をつかまえた。 わたしより十年早く生まれたジャック・エリオットは、実際にガスリーといっしょに旅をして、じかに教わった歌とスタイルを完璧にマスターしていた。

 パンケイクの言うとおりだった。 エリオットはわたしのずっと先にいた。

菅野ヘッケル訳『ボブ・ディラン自伝』 P.311 第5章 氷の川


こうしてボブ・ディランはウディ・ガスリーの後継者としての存在基盤をゆさぶられた。 もしも正統伝承権がウディ・ガスリーから与えられるとしたら、ジャック・エリオットの方が自分よりもふさわしい立場にいるからだ。 そこでボブ・ディランは正統伝承者としての立脚点をニューヨーク公立図書館に探した。 アメリカの南北戦争について調べて民族の歴史をひも解いたのである。

(『ボブ・ディラン自伝』にみる)一子相伝システム3 〜 トリムールティ理論の発見 〜


 そう考えると、恐ろしくなる。 わたしが生きている時代はこの時代とはちがうが、それでも理解を超えた形でそれを継承していて、よく似ている。 少しではなく大いに似ている。 わたしが生きているのはひとつの広範な連続体としての社会であり、そこで生きる人々の基本的な心理のすべてが、その連続体の一部なのだ。 そこに明かりを当てれば、複雑な人間性というものが見えてくる。

 あのときアメリカは十字架にかけられて死に至り、そして復活した。 まったく新しくつくり出されたものなど何もない。 この厳然たる真実が、このあとわたしが書く歌を支える包括的なひな型になる。

 こういうことを頭に詰め込めるだけ詰めこむと、わたしはそれを心の奥の見えないところに押しこめ、封印した。 あとで、トラックを仕立てて回収に行けばいいのだから。

菅野ヘッケル訳『ボブ・ディラン自伝』 P.106 第2章 失われた土地


世界中どこの国や地域でも創造―維持―破壊と再生の三つの時代が繰り返されている。 したがって、まったく新しくつくり出されるものなど何もなく、人々は前の時代から形而上的なものを引き継いで作り変えているだけなのだ。 その点に気づくと、あらゆる作品は時と状況と人という条件のもとに生まれることが分かり、すべてがひとつの広範な連続体の一部として組み込まれていることを知る。

<<自分を呼んでいたのはウディ・ガスリーじゃない。 もっと大きな連続体としての<存在>だ>>

ボブ・ディランは正統伝承者としての立脚点をそこに見つけた。

43歳になってからの一年間。 私もボブ・ディランとまったく同じ経緯をたどってきたから、北斗神拳の正統伝承者が世に出ていくときには、一つのパターンがあると想定される。 したがって、ボブ・ディランの自伝では、兄弟子についてジャック・エリオットのことしか語られていないのだけれど、おそらくウディ・ガスリー門下の兄弟子はあと二人いたはずだ。 この問題を解くために関数に投げ込むべき変数は5つと決まっている。

(『北斗の拳』にみる)北斗一門モデル
図:布施仁悟(著作権フリー)


この“北斗一門モデル”はそっくりそのまま現実に当てはまる。 ここでの登場人物は全部で5人。 まず師のリュウケンは井上陽水のこと。 末弟のケンシロウは、師とツインシャドウの関係にある人物―たぶん布施仁悟である。 ラオウ、トキ、ジャギは団塊ブリッジ世代の三銃士のことで、それぞれ玉置浩二、奥田民生、徳永英明にあたる。

そもそも「北斗の歌は正統伝承者しか作ってはいけない」という掟(おきて)があるので、玉置浩二と奥田民生は、井上陽水と一緒にツアーを回ったりして、共同制作する形で北斗の歌をリリースしてきた。 だから、この二人が個人名義で発表してヒットさせたものに運命の真理を説いたものはなく、原則として末弟ケンシロウの道しるべとなるサーチライトソングを作ってきている。 彼らが単純に弟おもいの兄たちなのか、それともこれは何かの罠で、遭ったとたんにキンタマのちぢむ思いをさせるつもりなのかは、よくわからない。

北斗最強の玉置浩二は、キング・オブ・ボーカリストで、とりあえず何も見ず何も聴かなかったことにして、存在を忘れてしまわなかったら、誰も「私は歌手です」なんて言えないくらい圧倒的な歌唱力を持つ。 自身の確立してきた歌唱法の骨格に縛られることなく、よりいっそうの陰影をつけて歌の持つ力を伝えられるから、 レコードとはまったく違う歌い方をしても、この歌は最初からこう歌われるべきものだったという印象を与える。 「海外進出でもして日本に帰ってこなければいいのに…」と密かに思っている歌手が大勢いることだろう。

最も華麗な技を使う奥田民生は、井上陽水と共同制作すると、深刻な歌詞の中にユーモアを忍ばせることを悪魔的な媚薬として使い、師匠顔負けの北斗の歌を生み出す。 そういう作品は、ふだん個人名義で発表するものとは全然次元が違うから、長らく不思議に思っていたのだけれど、一子相伝のカラクリを知ったら合点がいった。

面白いのは徳永英明のジャギのポジションで、『北斗の拳』の設定どおり、師の指導をあまり受けない男だから井上陽水と共同制作した作品が一つもない。 ために、当初は同じ北斗の門下だとは思わなかった。 けれども私が39歳だった2014年1月の夢に、江戸時代の城付きの世話人のような老人が現れて、「トクナガ公も一緒でございます」と告げられたのを思い出したとき、ようやく意味がわかった。 代表曲の一つ『壊れかけのRadio』(1990)は、末弟ケンシロウの道しるべとなるサーチライトソングだったのだ。

壊れかけのRadioの構造1〜 16歳への挑戦状 〜


 何も聞こえない 何も聞かせてくれない
 僕の身体が昔より 大人になったからなのか

 ベッドに置いていた 初めて買った黒いラジオ
 いくつものメロディが いくつもの時代を作った

 思春期に 少年から大人に変わる
 道を探していた 汚れもないままに
 飾られた 行きばのない 押し寄せる人波に
 本当の幸せ教えてよ 壊れかけのRadio

徳永英明『壊れかけのRadio』(1990)より


この歌がリリースされた1990年は、私が三障の闇に呑み込まれた16歳のときで、その頃から自分の想いと目の前の現実が、あらゆる意味で、うまくかみ合わなくなっていった。 徳永英明の語りかけるような歌声は、そんな私に秘密の内緒話を打ち明けるかのように響いてきた。

「この歌の意味、君にわかるかい?」

まるで挑戦状のようだった。 かつては、その時点では意味がわからなくても、いつかどこかで役に立つ秘伝を授けられているような歌がたくさんあった。 でも、いまは何も聞こえない、何も聞かせてくれない。

「その通りだよ、ミスター・トクナガ。Radioがぶっ壊れちまった…」

今だから言えるのだけれど、1990年を迎えたとき、ツインレイの男女が出会うための地図はすでに完成していた。 いくつものメロディが、いくつもの時代をつくり、すでにうんざりするほどたくさんの歌が作られていて、それ以上の歌を作ることは地図を複雑にするだけだったのだ。 ただ私の頭の中に広がっているツインレイの男女が出会うための地図には欠けている空白があった。 その空白を埋める断片は、時代の路傍(ろぼう)に見捨てられ置き去りにされている過去の埋もれ歌の中にあり、私にはそれらを探し出してひろい集める作業が残されていたのだ。

そのため1990年以降の私は、同時代の流行歌に興味を持てなくなっていった。 むしろ昔の歌のほうが、新しく生き生きとしていて、人生の本質をとらえているようにみえた。 やがて大学生になった私は、いつも中古レコード店をまわり、考古学者のように“古い新曲”を発掘した。 また、われわれ団塊ジュニア世代は、等しい幼児体験によりニューミュージックを嗜好しているはずであり、踏み絵をしてJ−POPに宗旨を改めることは世代的生存権にかかわることだと信じていた。 そのため、カラオケでJ−POPを歌う友人たちを見ると、「寝返ったやつ」という印象しかなく、「この転びバテレンめっ!」と罵ってやりたくなったものだ。

「こいつらに本当の幸せを教えてやれよ、この、くそったれのRadio!」

悔しくて仕方がなかった。 それからギターを手にして歌を作り始めのだけれど、21-22歳になっても『ウブな社長』しかできなかった。 たしかに着想はやってきた。 目の前にリズムとメロディとコードが現れて、私はそれをつかみとった。 その着想が人智を超えた力を持っていることもわかっていた。 本物の歌だけが持っている思考回路を透過して語りかけてくる、あの感じがある。 でも歌詞ができなかった。 そのために21年もの歳月を要した。 古代の吟遊詩人の魂が私に宿り、語りかけてくるようになるまでの21年。

そうして43歳9月を迎えたとき、子供の頃に覚えた歌たちが、私にその秘密を打ち明けはじめ、まず最初に「時空飛ばし」の存在を教えてきたのが『壊れかけのRadio』だった。

壊れかけのRadioの構造2〜 43歳9月への時空飛ばし 〜


 いつも聞こえてた いつも聞かせてくれた
 窓ごしに空をみたら かすかな勇気が生まれた

 ラジオは知っていた 僕の心をノックした
 恋に破れそうな胸 やさしい風が手を振った

 華やいだ祭りの後 静まる街を背に
 星を眺めていた けがれもないままに
 遠ざかる故郷の空 帰れない人波に
 本当の幸せ教えてよ 壊れかけのRadio

徳永英明『壊れかけのRadio』(1990)より


43歳2月に神隠しの最終試験をパスしてから、すでに半年が経過していた。 しかしながら、そこから何処にどう繋がっていけばいいのかは、いまだに分からなかった。 だからといって、ヒントを求めて、ひとりの天使に会いに行ってもしょうがない気がした。 その衝動を押しとどめていたのは阿久悠の歌だ。

また逢う日まで 逢える時まで
あなたは何処にいて 何をしてるの

それは知りたくない それは聞きたくない
たがいに気づかい 昨日にもどるから

ふたりでドアをしめて
ふたりで名前消して
その時 心は何かを話すだろう

(作詞:阿久悠 作曲:筒美京平『また逢う日まで』(1971)より)

心が何かを話すまで待っていたほうがいい…とはいえ、ひとりの天使が私の創造の翼を持っていることは確実だった。 創造の女神なしの私に一体何ができる? ひとりの天使に恋こがれて、胸から真っ二つに裂けてしまいそうだった。 そのとき、子供の頃に覚えた阿久悠の歌が私の心をノックした。

北国の旅の空 流れる雲はるか
時に 人恋しく

くちびるにふれもせず 別れた女(ひと)いずこ
胸は 焦がれるまま

熱き心に 時よもどれ
なつかしい想い つれてもどれよ

あゝ春には 花咲く日が
あゝ夏には 星降る日が
夢を誘う 愛を語る

(作詞:阿久悠 作曲:大滝詠一『熱き心に』(1985)より)

くちびるにふれもせず別れた女いずこ、胸は焦がれるまま、熱き心に時よもどれ、なつかしい想い連れて戻れよ―

「これは…まさしく“今”のことだ」

阿久悠の『熱き心に』は、1990年から壊れたままになっているRadioを修理するのは“今”であることを教えていた。

熱き心に きみを重ね
夜の更けるままに 想いつのらせ

あゝ秋には 色づく日が
あゝ冬には 真白な日が
胸を叩く 歌を歌う 歌を

オーロラの空の下 夢追い人 ひとり
風の姿に似て

熱き心 きみに…

(作詞:阿久悠 作曲:大滝詠一『熱き心に』(1985)より)

それはまるで阿久悠の遺言のようだった。 私は再び、ひとりの天使のいる故郷の札幌を離れて旅立たなければならないらしい。 人々のロマンを誘(さそ)い、愛を語り、歌を歌い、夢を追うために。 その洞察が起こったとき、パズルのピースが勝手にあるべき姿をとりはじめ、私の頭の中に広がっているツインレイの男女が出会うための地図が一気に完成した。

「すげえ…本当だ。Radioはすべてを知っていた」

もしもピアノが弾けたなら
小さな灯りを一つつけ
きみに聴かせることだろう

人を愛したよろこびや
心が通わぬ悲しみや
おさえきれない情熱や

だけど僕にはピアノがない
きみと夢みることもない
心はいつでも空まわり
聴かせる夢さえ遠ざかる
あゝああ…遠ざかる

(作詞:阿久悠 作曲:坂田晃一『もしもピアノが弾けたなら』(1981)より)

気がづけば私は、小学生の頃とも、大学生の頃とも、違っていた。 人を愛したよろこびや、心が通わぬ悲しみや、おさえきれない情熱や、今ならみんな書ける。 私にはピアノがあり、心が空まわりすることもない。本当の幸せを聴かせることができる。

「Radioを修理するなら今しかない…」

私はまたギターを弾きはじめた。

壊れかけのRadioの構造3〜 43歳の素敵な歌の約束 〜


 ギターを弾いていた 次のコードも判らずに
 迷子になりそうな夢 素敵な歌が導いた

徳永英明『壊れかけのRadio』(1990)より


それでもやっぱり次のコードが判らなかった…何処にどう繋がっていけばいいのかが分からなかったのだ。 そうして私の夢が迷子になりそうになったとき、北斗の一番星が輝き出し、素敵な歌が導いた。

矢印マーク BATON(通常盤)

2017年7月―北斗の一番星発見

『壊れかけのRadio』の素敵な歌『BATON』収録


それは2017年7月。 北斗四兄弟の三男・徳永英明が『壊れかけのRadio』の約束を果たすべく“素敵な歌”をみずから作って発表した。 それは次世代へのバトンの引き継ぎを歌ったものだった。

壊れかけのRadioの構造4〜 43歳に贈る素敵な歌 〜


 かっこ悪くていい 何か言われてもいい
 僕には出来ないって、心のまま伝えてみな

 大人だからなんなの? 好きな人のためなの?
 自信がないのなら、その気持ちを大事にして

 夜空が明けてゆくよ
 背中が僕の希望
 期待というバトン、いつもつなげること出来なくても

 ゴールが近づく頃
 笑顔になれるのなら
 不安だらけだよと
 いまは泣くがいい

徳永英明『BATON』(2017)より


この『BATON』は、2017年7月20日に放送されたNHK『SONGS』ではじめて知ったのだけれど、締めくくりが謎かけのような言葉で終わっていて、そのときは何を意味しているのか、よく分からなかった。

ゴールが近づく頃 笑顔になれるのなら
不安だらけだよと 微笑む僕に
また逢いましょう

(徳永英明『BATON』(2017)より)

このプロジェクトはチーム戦のリレーのようなものなのかもしれない。 北斗一門が北斗と南斗の勢力にバランスをもたらすためには、かつて神隠しに遭って行方不明になった末弟ケンシロウにバトンを引き継がなければならないのだ。 そのため北斗一門の兄弟子たちは、末弟ケンシロウが彼らと合流するべく神隠しの世界から帰って来る日をずっと待っていた。 徳永英明は、まず第一走者として、末弟ケンシロウに「また逢いましょう」とメッセージを送る役割を持っていたらしい。

この『BATON』は、おそらく作った本人も意味が分かってない難解な歌なのに、どういうわけか日本レコード大賞の作詞賞を受賞していて、その放送を2017年12月30日に観たとき、ようやく徳永英明が北斗四兄弟の三男―ジャギであることに気づいた。 この歌の意味を解読するのに、かれこれ半年かかったことになる。 こうして私は繋がっていくべき場所を見つけはじめた。

矢印マーク サボテンミュージアム


2017年9月―北斗の二番星発見

時代が変われば歌も変わる。 アルバムを買って聴いても損しない時代が来たぞ。 CD買おう!


北斗の二番星が輝いたのは、奥田民生が『サボテンミュージアム』というアルバムを発表して、NHK『SONGS』に出演した2017年9月21日のことだった。 そのときの対談で、奥田民生の『さすらい』(1998)が、『壊れかけのRadio』と同じく、末弟ケンシロウを主人公にしたものであることが判明した。

奥田民生が語る『さすらい』誕生秘話


 たとえば『さすらい』という曲は、ジャーンって始まって、そこから途中があって、最後までズーッとできたの、その場で。 ズルズルズルって。 ちょっと、ホントに、こう、笑みがこぼれたよ、うん。

 だいたい曲なんて、最後まで出来上がってみないと、いいかどうか実は分かんなくて、自信がないわけよ。 ただ『さすらい』だけは、「これ、いいのできた!」って最初から思ったんですよ。

 まあ、それはでも、一曲しかないからね。 この30年間に。

2017年9月21日放送 NHK『SONGS』第436回 奥田民生


実にわかりやすかった。 『さすらい』は神がかり― Over-Shadowing ―で作ったもので、「とりあえず、他のはいいから、これを聴け」と言っているようなものである。 おそらくそれは、奥田民生本人のことを歌ったものではなく、どこかの誰かの想いを民族の集合的無意識からすくい上げたもので、その誰かと絆を結ぶための作品なのだ。

さすらいの構造1〜 24歳の守れそうにない約束 〜


 さすらおう この世界中を
 ころがり続けてうたうよ 旅路の歌を

 まわりはさすらわぬ人ばっか 少し気になった

 風の先の終わりを 見ていたらこうなった
 雲の形を まにうけてしまった

 さすらいの 道の途中で
 会いたくなったらうたうよ 昔の歌を

奥田民生『さすらい』(1998)より


『さすらい』が発表された1998年は、私のもとに安物のギター「TEENAGER号」が届けられた年で、私は24歳だった。 こんなことを言ったら、ころころと喧(けたた)ましく笑われてしまいそうなので、実は言いたくないのだけれど言ってしまおう。 ファンタジー小説の金字塔『ハリー・ポッター』シリーズに、魔法の杖がみずからの意志で魔法使いを選ぶ、という設定がある。 TEENAGER号は、その魔法の杖みたいに、みずからの意志を持ったギターだった。 未熟な人間が抱えると、自分の身体をとても小さく感じさせるのである。

「ダメだ…今のままじゃあ、こいつは弾けない」

TEENAGER号は私の器が自分にふさわしくないと告げていた。 安物のくせに矜(ほこ)り高きギターだったのだ。

TEENAGER号

1998年―24歳の守れそうにない約束のシンボル

TEENAGER号…それはみずからの意志を持った矜り高きギター


そのとき、阿久悠や井上陽水みたいな歌を作りたいとか、壊れかけのRadioを修理するとか、そんな青臭い志(こころざし)は、その意味合いをまっとうした過去の思い出になった。 システムエンジニアとして働きはじめていたこともあり、もうこれで勝負ついたな、と思うしかなかった。 津軽平野にしんしんと降り積もる雪のようなあきらめが青春の夢に終止符を打った。

― さすらいの道の途中で 会いたくなったらうたうよ 昔の歌を ―

1998年に発表された『さすらい』は―そのとき24歳だった私の守れそうにない約束の歌だった。

さすらいの構造2〜 44歳9月からのさすらい 〜


 人影見あたらぬ終列車 一人飛び乗った

 海の波の続きを 見ていたらこうなった
 胸のすきまに 入り込まれてしまった

 誰のための 道しるべなんだった
 それを もしも 無視したらどうなった

 さすらいもしないで このまま死なねえぞ

奥田民生『さすらい』(1998)より


『さすらい』の後半部分は時空飛ばし。 おそらく44歳8月の夢花火を打ち上げた後の心象風景を歌ったものだろう。 すなわち“44歳9月からのさすらい”を歌ったものなのだ。 こうして俗世に戻っていこうとするとき、胸のすきまに入り込んでくるのは奥田民生その人なのである。

― 誰のための 道しるべなんだった? それを もしも 無視したらどうなった? ―

この歌は私のための道しるべだ。 「不義理非人情」を渡世の銘としてきたけれど、こんな“素敵な歌”を受け取ってシカトしてたらオトシマエがつかない。 さすらいもしないで、このまま死なねえぞ。

私はこうして北斗四兄弟の次兄―トキを見つけた。

矢印マーク ALL TIME BEST 安全地帯


2017年11月―北斗最強の三番星発見

『あの頃へ』収録


北斗最強の男―ラオウの三番星を見つけるのが一番難しかった。 彼の場合、徳永英明や奥田民生と違って、明らかにそうと分かるような、末弟ケンシロウを主人公にした歌がなかったからだ。 したがって歌から絆を感じとりづらい。 そこでラオウは師匠のリュウケンを引き連れて現れた。 さすがは最強の男。 やることが派手である。

その舞台は2017年11月10日放送のNHK『SONGSスペシャル 井上陽水×玉置浩二』。 その昔、1986年8月21日―ニューミュージック時代の事実上の終わりを告げた日―の神宮球場で、井上陽水と玉置浩二のふたりは『夏の終わりのハーモニー』という歌を一夜かぎりでうたった。 それを31年の時を経て復活させようという企画である。 いわばニューミュージック時代の再来を予告する歴史的番組だった。

そのとき玉置浩二は「歴史的瞬間が来た!」「頑張ってきて良かった!」と欣喜雀躍(きんきじゃくやく)し、今いちばん伝えたい歌ということで『あの頃へ』という作品を披露した。

あの頃への構造1〜 43歳11月の心象風景 〜


 雪が降る遠いふるさと
 なつかしい涙になれ

 春を待つ想いは
 誰を幸せにできるだろう

 あの空は あの風は
 いまも胸に限りなく
 あたたかい あの頃へ
 君をいつか つれて行けたら

作詞:松井五郎 作曲:玉置浩二『あの頃へ』(1992)より


この『あの頃へ』の一番は43歳11月の心象風景だ。 季節はすでに43歳8月から翌年2月まで続く渾沌の青い闇の最終試練に入っている。 これから雪の降る冬を過ごして春になったら、ふるさとを後にするさすらいの旅の準備を始めるつもりなのだ。 この日本のどこかで青いススキの小径を帰ろうとしている少年を導くために。

あの頃への構造2〜 44歳6月の心象風景 〜


 街の灯が 瞳に灯る
 神様の願いを見た

 夢だけで終わらないこと
 あといくつあるのだろう

 あの星は あの雲は
 いつも愛を見つめてた
 美しい あの頃へ
 君をいつか つれて行けたら

作詞:松井五郎 作曲:玉置浩二『あの頃へ』(1992)より


二番になると季節は移り変わって44歳6月になっている。 それは神隠しの世界に入ったときに交わした魔女との密約が期間満了となる季節だ。 自分がこれまでどのように導かれてきたのかを知り、かつて俗世に残してきた“やるべきことの続き”も分かっている。 瞳に俗世の街の灯がともり、神の計画が見えた。 どうやら神は積年の夢をひとつだけ叶えてくれようとしているらしい。

松井五郎の『あの頃へ』はじっくり読み返してみると、すごい詩だった。 でも、これを最初に聴いたときは、玉置浩二がこの歌を伝えたいと言っている意味が分からなかった。 けれども約一ヶ月後に、マーティン・スコセッシ監督の映画『ノー・ディレクション・ホーム』が深夜に放送されて、それを観たとき、私の視点は転換した。 それはボブ・ディランが『ライク・ア・ローリング・ストーン』を発表するまでのドキュメンタリー映画で、ボブ・ディラン登場前夜の時代背景を伝える作品だった。

矢印マーク ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム


2006年―マーティン・スコセッシ監督作品

ボブ・ディランの『ライク・ア・ローリング・ストーン』が出来るまでのドキュメント映画


玉置浩二の言っている“あの頃へ”とは、この時代のことか…私はこうして北斗四兄弟の長兄―ラオウを見つけた。

矢印マーク 青春のエキサイトメント


2018年2月―北斗の新星発見

新たな救世主伝説がこのアルバムから始まる…
『君はロックを聴かない』収録


私は北斗の星に導かれているから、南斗の勢力図がどうなっているのかは、いまいちよく分からない。 『北斗の拳』では、南斗の星にも一子相伝の南斗鳳凰拳があり、その正統伝承者サウザーの存在が描かれていたから、たぶんビートルズの流れを汲む誰かがこれから出てくるのだろう。 北斗と南斗は表裏一体。 ボブ・ディランとビートルズが競演していた時代がそうだったように、北斗の星と南斗の星が等しく輝くのは音楽にとって幸せな時代なのだ。

どちらにしろ、この時代の正統伝承者が決定したことで、北斗も南斗も、次世代の正統伝承者を発掘する時代に入ったらしく、2017年になってから、レシヴァ― 聞く耳を持つ子供 ―のための洗礼の歌が作られるようになった。 それらの歌がパシヴァ― 正統伝承者 ―とレシヴァの絆を結んでいくことになるだろう。 かつての私のように「けがれもないままに道を探している子供」の中から、次世代のケンシロウやサウザーが選ばれていくはずだ。

南斗の洗礼の歌『青空ばかり』1


 青空ばかりを ずっと見ていたら
 雨が恋しくて 傘をさしてみた
 ひとり浮いちゃって 恥ずかしくなって
 傘を閉じたとたん 雨が降りだした

 もっともらしい言葉で 誰か教えてよ
 そんな横文字じゃなくてさ よくある言葉で

斉藤和義『青空ばかり』(2018)より


これは斉藤和義が2018年の2月にリリースした『青空ばかり』の一番の歌詞なのだけれど、三障の闇に呑み込まれる16歳の心象風景を描いていることが分かるだろうか。 この歌は日本のどこかにいるレシヴァ(聞く耳を持つ子供)の潜在的な問いを呼び醒ます力を持っている。

斉藤和義は、45歳のミッドライフ・クライシスのときに、親しみやすく楽しいだけではない正統派の南斗の歌を作れる貴重なソングライターになった。 南斗聖拳の伝統を継承する達人の一人といえるだろう。 つまりこれは南斗の洗礼の歌なのだ。

南斗の洗礼の歌『青空ばかり』2


 星空ばかりを ずっと見ていたら
 君が恋しくて 涙が出てきた
 忘れられないよ 時間は経つけど
 やっぱり好きだな そこに理由はない

 もっともらしい言葉で 誰か教えてよ
 出会ってしまったんだから しょうがないんだろ?

斉藤和義『青空ばかり』(2018)より


『青空ばかり』の二番は時空飛ばし。 ツインレイと再会する42歳以降の心象風景を描いていることが読み取れる。 この歌の注目すべきところは、「もっともらしい言葉で誰か教えてよ」という部分で、まるで救世主の登場を待ちわびるかのような詩になっているところだ。

― そのころ洗礼者ヨハネ来たりて、ユダヤの荒れ野にて教えを宣べ給う
  「悔い改めよ、天の国は近づきたり」
  この者こそ、かつてイザヤの預言により、かくのごとく云われし者なり
  「荒れ野に叫ぶ声あり。主の道を準備し、その小道を正しくせよと」
 ―
(マテオ3:1−3)

元祖・救世主伝説の新約聖書に、イエスが登場してくる前に洗礼者ヨハネ(通称:バプテスマのヨハネ)が荒れ野に現れ、その小道を準備することが描かれている。 きっと、斉藤和義の『青空ばかり』みたいな歌が作られるのは「ヨハネのバプテスマ現象」とでも名づけるべきものなのだろう。

新約聖書は、どこまでが史実で、どこからが寓意なのか、その判断は難しい。 けれども、私が神隠しの最終試験をパスした後、団塊ブリッジ世代の三銃士が挨拶してきたのは、おそらくマテオ第二章の「東方の三博士現象」だとおもう。 その中のヘロデ王とは維持神ヴィシュヌ時代の支配者ダース・ベイダーの隠喩である。

― イエスはヘロデ王のとき、ユダヤのベツレヘムに生まれ給う
  ときに東方より三博士、エルサレムに来たりて云う
  「ユダヤ人の王とて生まれ給へる者は何処か。われらその星をみたれば礼拝に来たれり」
 ―
(マテオ2:1−2)

新約聖書によると、正統伝承者は、洗礼者ヨハネを探して会いに行き、洗礼を受けなければ教えを述べ始めることができないことになっている。 ボブ・ディランのときは、ジョーン・バエズという女性フォークシンガーが洗礼者ヨハネの役割を持っていて、彼女がディランの手を引くように紹介してまわったことで、ボブ・ディランの名が全米に知られるようになった。 ディランは、テレビでジョーン・バエズを観たときに将来の邂逅(かいこう)を予感したらしい。

(『ボブ・ディラン自伝』にみる)一子相伝システム4 〜 洗礼者ヨハネの発見 〜


 理にかなってはいないが、何かが彼女はわたしの片割れであると教えていた―わたしの声にぴったりと調和するのは彼女の声だと。 当時のわたしと彼女のあいだには、大きな隔たり、大きな断絶があった。 わたしはまだいなかの片隅から抜け出せずにいた。 それでも不思議な感覚が、ふたりがかならず出会うことになると教えていた。

菅野ヘッケル訳『ボブ・ディラン自伝』 P.316 第5章 氷の川


そこで私は洗礼者ヨハネを探さなければならなくなった。 たしかに斉藤和義の『青空ばかり』は洗礼の歌ではあるけれど、私との絆を歌ったものではない。 したがって彼は私の会いに行くべき洗礼者ではなかった。 ほかにも洗礼の歌を歌うソングライターがいたけれど、どれも違う。 たぶん私が絆を感じる歌を作る誰かが存在するはずなのだ。

その人物を見つけたのは2018年2月16日。 テレビ朝日『ミュージックステーション』を観たときで、「あいみょん」と名乗る女性シンガーが『君はロックを聴かない』という歌を歌っていた。

北斗の洗礼の歌『君はロックを聴かない』


 少し寂しそうな君に こんな歌を聴かせよう
 手を叩く合図 雑なサプライズ
 僕なりの精一杯
 埃まみれ ドーナツ盤には あの日の夢が踊る
 真面目に針を落とす 息を止めすぎたぜ
 さあ腰を下ろしてよ

 フツフツと鳴り出す青春の音
 乾いたメロディで踊ろうよ

 君は ロックなんか聴かないと 思いながら
 少しでも僕に 近づいてほしくて
 ロックなんか聴かないと 思うけれども
 僕は こんな歌で あんな歌で
 恋を乗り越えてきた

あいみょん『君はロックを聴かない』(2017)より


完璧な神がかり― Over-Shadowing ―だった。 「ヨハネのバプテスマ現象」を象徴する歌にして、パシヴァ(正統伝承者)とレシヴァ(聞く耳を持つ子供)の絆をつなぐ歌。 まさしく北斗一門の歌だ。 しかも作ったのは22歳の女の子だという。

北斗固有の伝統と格式を次世代に引き継ぐためには絶対に新しい聴き手が必要だ。 現代の音楽シーンのメインストリームに汚(けが)されておらず、90年代から続く停滞した時代の音楽に嫌気をさして一歩はなれて見ている者たち。 彼女の歌にはそうした潜在的な聴き手を掘り起こす力がある。 荒れ野に叫ぶ声あり。悔い改めよ、ロックの王国は近づきたりと。

「間違いない、バプテスマのヨハネだ。ずいぶん探したぞ、ジョーン・バエズ!」

新約聖書では、洗礼を受けるためにヨルダン川に来たイエスがヨハネにひざまずくんだけど、 この時代にそんなことをしたら、いきなりパンツを脱がされるんじゃないか、くらいに愕(おどろ)かれることだろう。 男同士の友好の挨拶なら、首を絞めるか、ボディブローで済むのだけれど、相手が女の子というのでは勝手がわからん。 ちょっと困った。

とにかくこうして北斗の新星―バプテスマのヨハネは出現した。

まずは彼女が小道をととのえる。そしてロックの王国がやってくる。「待ちきれない」と誰かが言った。


空気さなぎシステムについて

ツインシャドウとツインレイの関係は互いに密接不可分の二重の魔法になっている。

そのため、その魔法のカラクリを解き明かさないかぎり、問題はどこまでもパラレルの直線を描く。 すなわちツインシャドウともツインレイとも寄り添っていくことはできないのだ。 この点に関しては、井上陽水と奥田民生が2006年に『パラレル・ラブ』を合作して忠告してくれた。

空に飛行線 青のバックグランドに
ふたつの飛行線 パラレルの直線

二人の願いは 寄り添うこと
二重の魔法を 解き明かすこと

(井上陽水奥田民生『パラレル・ラブ』(2006)より)

この二人の歌を聴いていると、なんだか、からかわれているような気がしてくる。 けれども、そこで「わかったようでわからない」などと言ってはいけないがツライところだ。 そもそも彼らはものごとを知覚する能力を持つパシヴァ(perceiver)であり、理屈なんかは通用しない世界の住人なのである。 したがって彼らの発信する情報を受け取るためには、聞く耳をそばだてるレシヴァ(receiver)としての心得を学んでおかなければならない。

以下は村上春樹の『1Q84 BOOK3』にある「レシヴァの心得」。 登場人物のふかえりと天吾はパシヴァとレシヴァの関係にあり、ふかえりの言葉を天吾が翻訳して『空気さなぎ』という小説を世に送り出す。

(村上春樹『1Q84』にみる)二重の魔法の解き方1 〜 レシヴァの心得 〜


 ふかえりの住む世界にあってはどうやら、事実はありのままに語られてはならないもののようだ。 海賊の埋めた財宝のありかを示す地図のように、ものごとは暗示と謎かけによって、あるいは欠落と変型によって語られなくてはならない。 『空気さなぎ』のオリジナルの原稿と同じことだ。

 しかしふかえりにしてみれば暗示や謎かけをしているつもりはないのだろう。 彼女にとってはそれがたぶんいちばん自然な語法なのだ。 彼女はそのような語彙(ごい)と文法によってしか、自分のイメージや考えを人に伝えることができない。 ふかえりと意思を交換し合うには、その語法に慣れる必要がある。 彼女からメッセージを受け取ったものは、各自の能力や資質を動員して、順序をしかるべく入れ替えたり、足りないところを補ったりしなくてはならない。

 しかしそのぶん天吾は、ふかえりからときおり直截(ちょくせつ)な形で与えられる声明を、何はともあれとりあえずそのまま受容するようになっていた。 彼女が「私たちは見られている」と言うとき、おそらく我々は実際に見られている。 彼女が「出ていかなくてはならない」と感じたとき、それは彼女がここを立ち去るべき時期だったのだ。

 まずそれをひとつの包括的事実として受け入れる。 その背景やディテールや根拠はこちらがあとで自分で発見するか、推測するしかない。 あるいはそんなものは最初からあきらめるしかない。

村上春樹『1Q84 BOOK3』 第15章(天吾)それを語ることは許されていない


井上陽水と奥田民生が『パラレル・ラブ』で解き明かせと言っている“二重の魔法”とは、村上春樹の『1Q84』に出てくる“空気さなぎ”のカラクリのことだ。 というわけで、また謎解きなのである。 ああ、頭痛が痛い。

矢印マーク ダブルドライブ


2006年―北斗の星から発信された謎解きのヒント

『パラレル・ラブ』収録


まず基礎知識を復習しておこう。

正統伝承者はものごとを知覚するパシヴァの能力を持つ者で、その人物が発信する情報を聞く耳を持つ者がレシヴァだ。 レシヴァはパシヴァから受け取った情報を翻訳して周囲に伝えることで才能を覚醒させ、ついには次世代の正統伝承者として独り立ちしていく。

これはたとえばローヤルゼリーを食べ続けた蜂の子だけが女王蜂になるようなもので、正統伝承者の発信する情報を聞き続けた者だけが、次世代の正統伝承者として選ばれていくものと考えられる。 いったい何時から候補者名簿に名前が載るのかは分からないけれど、候補者選びはかなり早い段階から始まっているものらしい。

私の感覚では、次世代の正統伝承者として選ばれ、井上陽水とツインシャドウの関係が構築されたのは、「オマエの願いは聞き入れられた」という内なる声を聴いた32歳のときで、それまでは有力候補者として何処かの誰かと伝承権争いをしていたような気がする。 その根拠は、井上陽水が『11:36 LOVE TRAIN』で「僕の荷物君にあげる、三時間だよこの旅は」と歌ったのが、ちょうどその年(2006)だったことによる。

これは余談になるのだけれど、その翌年(2007)の8月1日に阿久悠が亡くなった。 『北斗の拳』では、一子相伝の南斗鳳凰拳には、次世代の正統伝承者が決まったら師匠は死ななくてはならない掟が描かれている。 阿久悠は、その南斗鳳凰拳の正統伝承者だったから、彼の死は掟に従ってハラキリしたようなものだったのかもしれない。 どちらにしろ彼の歌は、命がけで残された民族の遺産なのだ。

さて、32歳で正統伝承者として選ばれた者には問題が生じてくる。 彼が次世代の正統伝承者に情報を発信するためにはパシヴァの能力を持たなければならない。 ところが、飛べない豚として生まれた彼の持てる能力はレシヴァとしての聞く耳だけなのだ。 彼はどうしたらパシヴァの能力を発揮できるようになるのだろうか? それが二重の魔法の問題だ。

レシヴァの抱える問題
図:布施仁悟(著作権フリー)


そこで次世代の正統伝承者に霊感を与えるツインレイの女性が登場してくる。 彼女が巫女(みこ)の役割を果たせば、二人一組でパシヴァの能力を発揮できるというわけだ。 古来より創造の女神ミューズは女性として描かれてきたのだけれど、それにはこういう理由があるのだろう。 かいつまんで説明すると、それがツインシャドウとツインレイの二重の魔法のカラクリということになる。

ツインシャドウとツインレイの関係モデル
図:布施仁悟(著作権フリー)


ただし、このカラクリはそんなに単純ではない。 厳密には、巫女の役割を果たすのはツインレイの女性の娘だからだ。 42歳の高校の同窓会のとき、私のひとりの天使は井上陽水と村上春樹から一字ずつとった名前を持つ長女の話を唐突に始めた。 どうやらそれは私に霊感を与える巫女の存在を教えるためだったらしい。 レシヴァの能力しか持たない正統伝承者はその娘の声を聴くことでパシヴァとしての役目を果たすのだ。

そうすると巫女の役割を果たす娘はツインレイの男女直系の子供ではないことになる。 これが新約聖書にある聖母マリアの処女懐胎が象徴しているものだ。 この処女懐胎のカラクリを暴いた小説が村上春樹の『1Q84』で、ツインレイの男女と巫女の娘の関係は、作中においてマザ(mother)とドウタ(daughter)と呼ばれている。

(村上春樹『1Q84』にみる)二重の魔法の解き方2 〜 マザとドウタ 〜


 「<声を聴くもの>はドウタの仲介を必要としているのでしょう」と天吾は言った。

 「ドウタを介して彼は初めて声を聴くことができる。 あるいはその声を地上の言葉に翻訳できる。 声の発するメッセージに正しい形を与えるには、その両方が揃(そろ)っていなくてはならない。 ふかえりの言葉を借りれば、レシヴァとパシヴァです。
 そのためにはまず空気さなぎをこしらえる作業が必要になります。 空気さなぎという装置を通してはじめてドウタを産み出せるからです。 そしてドウタを作り出すには正しいマザが必要とされる。

村上春樹『1Q84 BOOK3』 第18章(天吾)針で刺したら赤い血が出てくるところ


ここでいう「空気さなぎという装置」については後述するとして、とりあえずマザとドウタの関係を図示するとこんな感じになるだろうか。

マザとドウタの関係モデル1
図:布施仁悟(著作権フリー)


村上春樹の『1Q84』の示唆するところでは、ツインレイの女性がドウタを受胎するのは29-30歳のことらしい。 そうすると、ツインレイの男性が45歳のミッドライフ・クライシスを迎えて、レシヴァの能力が完成する頃に、ちょうどドウタが15-16歳の思春期を迎えて、肉体の成長の完了と同時にパシヴァの能力を開花させることになる。

ということは、ドウタの声を聴くべきツインレイの男性が神隠しの世界からの帰還に失敗した場合、ドウタ自身が情報の発信者とならなければならない。 たとえば中島みゆきや松任谷由実のような女性ソングライターが出現するのはそのためなのだろう。 彼女たちの共通点はみずからの子供を持たない選択をすることにある。 すなわち、生まれながらにして巫女の宿命を背負っているのだ。

マザとドウタの関係モデル2
図:布施仁悟(著作権フリー)


加えて、このモデルから、井上陽水のように「迷う余地のない確かな名前を持って生まれてくる男の子」のモデルも想定できるだろう。 彼らをドウタ(daughter)に対してサン(son)と名づけるなら、生まれたときからパシヴァとして成長することを運命づけられた“飛べる豚”の出現理由が明らかになる。

マザとサンの関係モデル
図:布施仁悟(著作権フリー)


世間一般には、彼らのような“飛べる豚”のパシヴァだけを天才と呼ぶ傾向があるけれど、“飛べない豚”として生まれたレシヴァが後天的にパシヴァの能力を発揮する道もちゃんと存在するのだ。 “飛べる豚”のパシヴァが発信する情報は、本人自身が意味を分かっていないから、翻訳能力を持つレシヴァを介さないかぎり誰にも理解できない。 本来は“飛べない豚”として生まれたレシヴァが後天的にパシヴァの能力を発揮し、翻訳済みの情報を発信していくのが理想的なモデルなのだろう。

たぶん元祖救世主のイエスが、難解な聖言ばかりを残したうえ、それを翻訳する能力を持つ弟子を育てることに失敗したせいで、人類は二千年ものあいだ迷走してきたのだ。 イエスとは、毒舌が過ぎて、あっという間に磔にされた半面教師のこと。 同じ毒舌の私が言うのもあれだけれど、口はわざわいのもとである。

こうしたモデルを通して、「自分のツインレイがドウタを産んでくれた」という超現実を確信することは非常に大切なことになる。 おそらく現実と超現実の境界線が不鮮明になることで、最初は戸惑いと混乱が生じるかもしれない。 けれどもそれがおさまると、その超現実がいつのまにか新しい現実として機能しはじめる。 やがてこれらのモデルが、そこに他の仮説を持ち込む余地がないくらい分かりきった話になったら、以下の文章を何度も読むといい。 それは性欲の克服に通じる。

きっと29-30歳頃のささやかながらも偉大な勃起体験を世界が祝福してくれることだろう。 これは断じて冗談ではない。 私はいたって大まじめである。 29-30歳頃の私に何があったのかは、教えてあげてもいいけど、恥ずかしいから教えてあげない。

(村上春樹『1Q84』にみる)二重の魔法の解き方3 〜 性欲の克服法 〜


 おそらくあの雷雨の夜の勃起が完全すぎたのだろう。 それはいつもよりずっと硬く、ずっと大きな勃起だった。 見慣れた自分の性器ではないように思えた。 つるつるとして輝かしく、現実のペニスというよりは何かの観念の象徴のようにさえ見えた。 そしてそのあとにやってきた射精は力強く、雄々しく、精液はどこまでも濃密だった。 きっとそれは子宮の奥まで到達したはずだ。 あるいは更にその奥まで。 それは実に非の打ち所のない射精だった。

 しかしものごとがあまりにも完全だと、そのあとに決まって反動がやってくる。 それが世のならいだ。 あれからあと俺はいったどんな勃起を体験しただろう? 思い出せない。 勃起は一度もなかったかもしれない。 思い出せないところを見ると、もしあったとしてもきっと二級品だったのだろう。 映画でいえば員数合わせのプログラム・ピクチャーのようなものだ。 そんな勃起に語るべき意味などない。たぶん。

 ひっとしておれはこんな風に二級品の勃起を抱えたまま、あるいは二級品の勃起すら持てないまま、残りの人生をずるずると送ることになるのだろうか、天吾は自らにそう問いかけた。 それはきっと長引いた黄昏のような物寂しい人生に違いない。 しかし考えようによってはまたやむを得ないことかもしれない。 少なくとも一度は完璧な勃起を持ち、完璧な射精をしたのだ。 『風と共に去りぬ』を書いた作家と同じだ。 一度偉大な何かを達成しただけでもよしとしなくてはならないのだろう。

村上春樹『1Q84 BOOK3』 第12章(天吾)世界のルールが緩み始めている


そして、ここからさらに「空気さなぎという装置」を登場させて、お話をさらに複雑にするのだけれど、 これはあくまでも個人的仮説のようなものだから、少々トーンを落として公明正大にいってみよう。

空気さなぎという装置が作られるのは9歳の運命のクロスポイントを過ぎた頃。 それは心の中につくられる一定の空間のことで、私の場合、ぷっつんレディ1号が空気さなぎを作るお手伝いをしてくれたようなものだった。

空気さなぎモデル
図:布施仁悟(著作権フリー)


その後、12-13歳にある人生最初の厄年を経て15-16歳で思春期を迎えるまで、精神年齢を止めることなく空気さなぎを育てると、17-19歳の厄年の頃に、ツインレイの関係になる女の子がその中に忍び込んでくる。 そこには「誰もが愛する人の前を気づかずに通り過ぎてく」という法則があるため、これはどこまでも秘密裏のミッションだ。 私は40-42歳の大厄になったときに、ひとりの天使が空気さなぎの中に入っていたことを知った。

したがって、空気さなぎは40-42歳の大厄になると開くタイムカプセルといえるのかもしれない。 自分のために用意された空気さなぎの中に何が入っているか。 42歳はその姿をのぞき見て、半生の決算報告書を受け取る年齢なのだろう。 もしもその真実から目を背けたら、一生そのことを後悔するに違いない。 真実は知らないほうがいいというのと同じくらい、真実を知ることのみが人に力を与えうるというのまた真実なのだ。

空気さなぎの中身は自分の分身みたいなもので、仏教では法身(ほっしん)と呼ばれている。 たとえばこれは、カオナシになった男が38歳のときに見た法身。 空気さなぎの中で、こういう物体を飼育する人もいるらしい。

カオナシの見た空気さなぎの中身の一例


 先日私はクンダリニーであろうと思える物体を見ました。 黄金のタコ状の無脊椎動物に植物を足したような形を持ち触手の先の細かいヒダまでがイヤらしいほど活き活きと金粉を散らしながら動いていました。 肉眼で見る金色が霞む程の深度でビット数が違うんですよ。


かわいそうに。 おそらく団塊ジュニア世代以降のほとんどの男性の空気さなぎの中には、こういう物体が生息していることだろう。 その理由も単純明快で、女性歌手の質が低下しているからだ。 この黄金のタコは少年時代に本当の恋をうたう歌姫がいなかった代償なのである。

私が9-10歳で迎えた1984年から15-16歳で思春期に入る1990年までも、少年が空気さなぎを育てるには、あまりいい環境ではなかった。 私と同世代の団塊ジュニアの少年たちは、バブル景気で頭のいかれた大人たちの作り出す流行に侵(おか)されて、一人また一人と頭がおかしくなっていった。 テレビをつければ素人同然の女の子が何人も集まってステージ上で踊り、中身のない薄っぺらな歌をうたっていた。 「何だこれ、ただの学芸会じゃねえか。キャバクラじゃねえんだぞ」。 私はそう思っていたのだけれど、彼らは「それがいい」と言うのである。 とても天才シンガー山口百恵を同時代体験した仲間とは思えなかった。 たとえるなら核戦争が起こって国土全体に黒い雨が降ってきたようなものだ。 少年時代の私は核シェルターを必要としていた。

その1984から1990年に核シェルターの役割を果たしたのが斉藤由貴である。

矢印マーク YUKI’S MUSEUM


 生粋のチェイサー斉藤由貴。
 作詞をさせてみたらチェイサーの心情をいきなり書き始めたという人で、なにをかいわんや『正しいチェイサーとの出会い方』を男の子たちに指南するのが彼女の歌手活動の主題だったのだ。 『卒業』がデビュー曲というめぐり合わせは決して偶然ではありません。
 当時、彼女のファンにならなかった男の子はロクな男になってないとおもう。


団塊ブリッジ世代の三銃士がいるのだから、それと対になる団塊ブリッジ世代の三歌姫もいなければおかしい。 で、1959年生まれの山口百恵(やまぐちももえ)から1964年生まれの薬師丸ひろ子(やくしまるひろこ)を経て1966年生まれの斉藤由貴(さいとうゆき)に至るラインがそれだった。

彼女たちはマイクをバトンリレーするように登場し、その任期期間だけ神がかり的な歌声を授かった。 まず1977年の『秋桜』で才能を開花した山口百恵が『さよならの向こう側』で引退したのは1980年。 薬師丸ひろ子は翌1981年に『セーラー服と機関銃』で歌手デビューして、1984年の『Wの悲劇』で活動を一時休止。 すると翌1985年に斉藤由貴が『卒業』でデビューしてきた。 彼女たちの歌姫としての任期は4-5年ととても短い。 で、布施仁悟少年はこの三歌姫の歌声にキュンキュンしていたというわけである。

当時は歌の上手な歌手がたくさんいたけれど、この三人は上手とか下手とかいう次元とは別のところにいた。 この歌姫現象については和尚がこう語っている。

和尚の語る歌姫現象


 その人の歌が、その人の内なる静寂を伝えてくれるような、歌われ得ないものを歌えるような、表現不可能なもの、言うに言われぬものを伝えられるような歌い手はごくごく少ない。 それはまれにしか起こらないことだ。

和尚『TAO3』第9話 自らの死体を見た者に祝福あれ


この三歌姫は、映画女優をやらせても賞を総なめにしてしまうほどで、ある種の霊媒体質だったのだ。 そのため、10代の山口百恵が『いい日旅立ち』のような44歳春の歌をうたっても不思議な説得力を持って迫ってきた。 当時の映像を観る機会があったら、彼女たちがカメラに送る視線の奥を覗いてみるといい。 その射抜くような眼はこう語っている。

「坊や、いったい何を教わってきたの?」

現代の若手女性シンガーの力量では、彼女たちのように歌の真実を伝えることはとてもできないだろう。 和尚が語っているように、こうした歌姫現象はまれにしか起こらないことで、残念ながら斉藤由貴以降に歌姫は出現していない。 奇蹟の歌姫現象を目撃していた団塊ジュニア世代の少年たちですら聞く耳が閉じていったことを考えると、その時代を知らない世代の男の子たちに歌を聞く耳がないのは当然のことなのかもしれない。

この歌姫現象を図表化すると、こんな感じの北斗の歌姫モデルを描けるだろう。

北斗の歌姫モデル
図:布施仁悟(著作権フリー)


中島みゆきと松任谷由実は陰陽の関係にあり、「景気が悪いときは中島みゆき、景気が良くなると松任谷由実が売れる」などと言われたくらいで、男性の井上陽水が一人で陰陽のバランスを取ろうとするのに対して、この二人の女性は分担して陰陽のバランスを取ってきた。 それぞれ表現の仕方が違うだけで、どちらの作品も芯のある大和撫子の歌になっている。 女性側の面白いのは男性側と違ってあからさまな師弟関係が見当たらないことだ。 北斗の星に導かれながら各人がバラバラに繋がりあっている。 それでも各ポジションに就任したら男性側の場合と同じ役割を果たすようで、やはり一番器用だったのは、奥田民生と同じ次女の立ち位置にいた斉藤由貴ということになる。

それでは彼女の構築した核シェルターの内部を公開しよう。 そこは聞く耳を閉じなかった団塊ジュニアの少年だけが入ることをゆるされた秘密の地下室だ。 その地下室に流れるプリンセス由貴の歌声に耳を傾けることで、少年たちは空気さなぎを育てたのである。

斉藤由貴の核シェルター1〜 もっと哀しい瞬間 〜


 光の中で生まれたら
 きっとこんな風だろうねと
 わたしより一瞬先に 同じ事言った

 あなたの心の扉が
 陽に透けて見えた その奥に
 あふれる愛の優しさは 泣きたくなる程

 笑ったり 手をつないだり 口づけ交わしたり

 「さよなら」 そんな言葉
 この世に決してないとおもう
 「さよなら」 今言われても
 きっと ずっと好きでいられる

作詞:斉藤由貴 作曲:原由子『さよなら』(1987)より


この『さよなら』は斉藤由貴が作詞したものなのだけれど、彼女の凄いところは、自身のデビュー曲『卒業』の解答を、作詞家の松本隆まかせにすることなく自分で書いてしまったところだ。

ああ 卒業式で泣かないと
冷たい人と言われそう
でも もっと哀しい瞬間に
涙はとっておきたいの

(作詞:松本隆 作曲:筒美京平『卒業』(1985)より)

この『卒業』にある「もっと哀しい瞬間」が、『さよなら』に描かれている情景で、ツインレイの42歳における再会と別れの日を歌ったものになっている。 斉藤由貴はこれを20歳のときに作詞したのだ。 まさしく不世出の天才である。 二番に出てくる恋人の定義がまたいい。

斉藤由貴の核シェルター2〜 恋人の定義 〜


 いつの間に あわせてくれた
 わたしの速さね 歩き方
 恋人という二文字を そっとかみしめた

 見つめたり 瞳ふせたり 未来を夢みたり

 自由な子供の頃のわたし
 虹をかけあがる
 二人で見あげながら感じた
 足許のあたたかさ

作詞:斉藤由貴 作曲:原由子『さよなら』(1987)より


ツインレイの男女が再会したとき、相手をそうと確信するのは、自分と同じ道を同じ歩調で歩いてきたことが分かるからだ。 したがってこの歌詞にある恋人の定義は絶対的に正しい。 私はこの歌を聴いてから、ずっと「恋人という二文字をそっとかみしめる瞬間」を探してきた。

少年時代に空気さなぎを育てるということは、ツインレイの関係になる女の子が入り込むスペースを心の中に作りあげることで、斉藤由貴はそのために必要な本当の恋の歌をうたっていた。 したがってそれは15-16歳で思春期を迎える以前に聴き込まないと意味がない。 斉藤由貴のアルバムと村上春樹の小説。 この二つは中学男子の必携教材と言えよう。 ちなみに、国語の教科書でくだらない作家の小説を読まされる時間に、友だちの背中に隠れて読むのが村上春樹の正しい読み方である。 もしも注意されたら「こんなトイレットペーパーほどの価値もない小説を青少年に読ませるなんて、あなたは教師として恥ずかしくないんですか」と言ってやれ。 面白いから是非ともやってみるといい。 どうなっても私は知らない。

斉藤由貴の声は特別で、時差ぼけやほろ酔いのときのような、霧の中にいる風合いの空気をつくりだせた。 どこまでも静かな水面にふわりと浮かんでいるような、神秘的な場所に聴き手を連れていくことができる声。 その声に谷山浩子(たにやまひろこ)の楽曲が重なると、いよいよツインレイの彼女の声が時空を超えて聴こえてくる。

斉藤由貴の核シェルター3〜 再会の場所からの呼び声 〜


 初めて逢った時に ひと目で恋をした
 誰にも言わないで 逢いに来て
 夜のブランコで待ってる

 やさしい人たちを 裏切り嘘をついて
 抜け出して走ってきたの 逢いに来て
 夜のブランコで待ってる

 わたしは 夜咲くガラスの花よ
 あなたの手で壊して
 かけらになって 粉になっても
 あなたが 好きよ 好きよ

 指輪は はずして来て まぶしくて胸が痛い
 あなたの黒い指が からみつく
 夜のブランコで待ってる

谷山浩子『夜のブランコ』(1984)より


斉藤由貴は谷山浩子の歌を何曲かレパートリーにしていて、この『夜のブランコ』はコンサートで歌っていた。 谷山浩子というのは、ツインレイの男女が出会うための地図の「少年が空気さなぎを育てる時代」を担当していたソングライターで、そのおいしいところを斉藤由貴がまるごと歌っていたのだ。 谷山浩子と斉藤由貴は互いに欠けているものを補いあう最強のデュオだった。

ここで歌われている「夜のブランコ」とは、かつて守れそうにない約束をした再会の時と場所のことだ。 友人や恋人を裏切ったり嘘をついて生きてこなければ、夜のブランコにはたどりつけない。 なぜなら、浮世離れした行動の理由を問われたとき、「あなたたちのように破滅したくはないから」とはっきり伝えるわけにはいかないからだ。 そういう孤独を何度も味わってきた男女が夜のブランコで再会を果たすのである。 この歌を斉藤由貴の声で聴くと、ツインレイの彼女の呼び声が時空を超えて響いてくることだろう。

斉藤由貴の核シェルター4〜 気づかずに通り過ぎる理由 〜


 MAY そんなにふくれないでよ
 笑った顔みせて いつもみたいにおどけて
 MAY そんなにふくれないでよ
 そのただひとことも 口に出せないの私

 困らせてる 今も あなたしずんでても
 なぐさめの言葉は 百も思いつくけど…

 どれも言えない!
 噴水の虹を見てるふりで
 「きれいね」とつぶやくだけ
 きっと 内気だと思ってるね…

 だけど言えない!
 あなたが魔法をかけた
 こんな秘密の庭の中では
 どんな 言葉もみんなウソなの

 いつも私 あなたを喜ばせたい
 なのに この夢から出られない
 少し うつむいて微笑むだけ…

 だけど 好きよ
 好きよ 好きよ 誰よりも 好きよ
 世界がふるえるほどに
 いつか 大きな声で告げるわ

作詞:谷山浩子 作曲:MAYUMI『MAY』(1986)より


この『MAY』は斉藤由貴の悩殺胸キュンソング。 彼女の声で、好きよ、好きよ、誰よりも好きよと何度も連呼されるとたまったものではなく、当時の男の子たちはまたたびを与えられた猫のようにコロコロしてしまったというわけである。 ほとんど無条件降伏だった。 しかしそのプリミティヴなエロスこそ、少年時代の恋の芽生えの原点だと私は信ずる。

「そんなにふくれないでよ。笑った顔みせて、いつもみたいにおどけて」…これはツインレイの彼女の青春時代の声そのものだ。 17-19歳の厄年に入るとツインレイの男の子はどんどん自分を見失っていく。 ツインレイの女の子はその様子を誰よりもよく見ているのだ。 なのに彼女は決して自分の気持ちを口にしようとしないし、そんなそぶりもみせない。 それが彼女の愛に気づかずに通り過ぎてしまう理由でもある。 でも、そんな彼女がかけてくれた花の首飾りの意味を知るとき、この『MAY』は往時の彼女の面影にぴたりと重なることだろう。

斉藤由貴の核シェルター5〜 青春時代の空耳 〜


 あなたを見ていたのよ
 いつでもあなただけを
 友だちの中で はしゃいでいても
 心だけ黙り込んで

 だけど口に出しては
 いけないとわかってる
 一度だけふれた指の熱さを
 ポケットにかくした

 送ってくれる いつもの海岸通り
 木立ちの枝に 今夜は
 たくさんの星を飾った

 星がささやく 「あなたが好きです」
 風がゆするたびに
 あなた ふりむき 耳をすましても
 それは たぶん SORAMIMI

谷山浩子『SORAMIMI -空が耳をすましている-』(1986)より


この『SORAMIMI -空が耳をすましている-』は『MAY』を別の視点から描いた作品。 ツインレイの女の子の「あなたが好きです」 という気持ちは決して口にされることがない。 それでも木立ちの枝をゆする風に乗って星のささやきのように伝わってくる。 谷山浩子はそんな彼女の声にできない声を「SORAMIMI」と名づけた。

この一番は、青春時代に聴こえてくるSORAMIMIのことだ。

斉藤由貴の核シェルター6〜 再会後の空耳 〜


 さりげないサヨナラで
 別れた風の駅の
 通路のよごれた壁にもたれて
 あなたを思っていた

 不幸になるわきっと
 愛をかわしあっても
 誰かの涙とひきかえにした
 記憶が重すぎて

 やさしい雨が 木立ちをぬらす夜更けに
 星は流星になって
 眠るあなたのもとへ走る

 星がささやく 「あなたが好きです」
 闇のカーテンごし
 あなた 目覚めても あかりつけないで
 それは ただの SORAMIMI

 星が泣いてる 「あなたが好きです」
 かくしきれない恋
 あなた きづかない ふりをしていてね
 それは ただの SORAMIMI

谷山浩子『SORAMIMI -空が耳をすましている-』(1986)より


『SORAMIMI』の二番は時空飛ばし。 42歳で再会を終えた後の情景からはじまる。 その日の二人は、お互いに連れあいがいるという微妙な状況のまま再会しなければならない。 そのため、相手の「愛する人を大切にして知らずに臆病」になってしまうから、煮え切らないまま「さりげないサヨナラ」をしてきてしまう。

さすがに鈍感な男だって彼女の愛に気づかないわけがない。 二人の「かくしきれない恋」はそうしてはじまる。 そのとき聴こえてくるSORAMIMIが…「あなた、きづかないふりをしていてね」なのだ。 そうして、この恋は決して急いではいけないのだと知るとき、愛なら静かに祈るものであることに気づく。

斉藤由貴の核シェルター7〜 未来の助言 〜


 So close your eyes.
 てのひらさしのべ
 鼓動の速さを お互いに確かめ

 True love comes soon.
 不思議なえにしを
 感じた めぐり逢いの神秘 今でも

 ふとした仕草にも ときめき止まらずに
 きれいな額に 前髪が
 はねて風に揺れた

 愛なら静かに祈るもの
 心寄り添い
 涙もいつかは報われる
 君に教えたね

作詞:来生えつこ 作曲:来生たかお『ORACION −祈り−』(1988)より


この『ORACION −祈り−』は斉藤由貴が出演した映画の主題歌だった。 42歳の再会と別れの後に聴きかえすことを想定して、未来の助言をしていることが分かるだろうか。 「愛なら静かに祈るもの…君にそう教えておいたよね」。 私は43歳になってこれを聴きかえしたとき、自分が避けがたくこの地点に運ばれて来ていたことを知った。

42歳の再会と別れの夜。 私はひとりの天使の言葉にできない言葉をハートで受け取ってきた。 その日、愛が口にされたかどうかはあまり重要ではなかった。 言葉にできない言葉を愛だと信じられたことのほうがよほど重要なことだったのだ。 思うところがあってひたすら何かに取り組んでいるとき、なのに誰にもその意義を認めてもらえないとき。 おとぎ話に真剣に耳をかたむける子供のように自分を信じてくれる彼女がいたこと―それだけでこの先数年間やっていくのに十分な勇気を得られる場合がある。 疑うことのない瞳。 それもまた彼女の贈り物のひとつだった。

斉藤由貴の核シェルター8〜 疑うことのない瞳 〜


 True love comes soon.
 プリズムのような
 光と景色に 二人なら 出会った

 疑うことのない 瞳を見つめてた
 吹き抜けた風に誘われて
 君の頬に触れた

 愛ならいつでも時代さえ
 越えてゆくもの
 急いで傷つくことはない
 君に教えたね

 愛なら静かに祈るもの
 二人寄り添い
 急いで傷つくことはない
 君に教えたね

作詞:来生えつこ 作曲:来生たかお『ORACION −祈り−』(1988)より


斉藤由貴は本当の恋を歌った最初で最後の歌姫だった。 彼女の構築した核シェルターに守られていたおかげで、私たち団塊ジュニアの少年時代は安泰だったのだ。 けれども1989年―彼女の歌姫としての任期は終了し、私たちはシェルターから出て行かなくてはならなくなった。 そのとき彼女はこの歌で私たちを見送ってくれた。

斉藤由貴の核シェルター9〜 そして北斗の寺院へ 〜


 探しものは何ですか?
 見つけにくいものですか?
 カバンの中も つくえの中も
 探したけれど見つからないのに

 まだまだ探す気ですか?
 それより僕と踊りませんか?
 夢の中へ 夢の中へ
 行ってみたいと思いませんか?

井上陽水『夢の中へ』(1973)より


斉藤由貴が1989年に『夢の中へ』をカバーしたことで、北斗のグランドマスター井上陽水がグッと身近な存在になった。 そうして北斗の寺院への道が開かれ、翌1990年には徳永英明が『壊れかけのRadio』を発表し、団塊ジュニアを導くマイクは三歌姫から三銃士へと引き継がれたというわけだ。

さて、愛なら静かに祈るものとして、ひとりの天使と再びめぐり逢えるのは何時のことなのだろうか?

矢印マーク KAI FIVE History Live

1993年-19-20歳の僕をつくったアルバム

甲斐よしひろのいいとこ全部な一枚
『HERO』『レイン』『翼あるもの』『破れたハートを売り物に』『安奈』収録


『壊れかけのRadio』にある通り、その答えもRadioは知っていた。 ツインレイの男女が出会うための地図の最後のパーツ「ふたたびめぐり逢うまでのさすらいの旅」―その部分を担当していたのが甲斐よしひろ(かいよしひろ)である。

甲斐よしひろのさすらいの地図1〜 42歳の再会と別れの夜 〜


 人生はいつも 路上のカクテル・パーティー
 ひとつ踊れば 熱い思いも消えてゆく
 今夜 お前はヒロイン もう泣かないで
 息が詰まるほどに 愛の痛みを感じてくれ

 銀幕の中 やせっぽちの 俺たちが見えるだろう
 今が過去になる前に 明日へ走り出そう

 だから HEROになる時 それは今
 ひきさかれた夜に
 おまえを離しはしない

甲斐よしひろ『HERO(ヒーローになる時、それは今)』(1978)より


甲斐よしひろは『甲斐バンド』というロックバンドをやっていて、この『HERO』は甲斐バンドの最大のヒットナンバーだった。 おそらくこの曲なら知っているという人も多いのではないだろうか。 私が甲斐よしひろの歌を聴いていたのは大学一年のときで、中古レコード店をまわって甲斐バンドのアルバムを買いあさっていた。

その頃すでに甲斐バンドはかなり昔のロックバンドになっていたから、周囲に聴いている友人なんかいなかった。 現在のようにインターネットで手軽に昔の音楽を試聴できる環境でもなかったため、中古レコード店をまわり、「うまいかまずいかは食べてみるまで分からない」というB級グルメを探訪するような投機的興味をもって、いろんなレコードを一枚一枚買って聴いていた。 その古傷を語ればきりがないほどで、アルバイトをして貯めたお金をいくらレコードで散財したか分からない。 ただ、思わず唸るような本物にたどり着いたときには、ものすごく得した気分になるわけで、その瞬間を味わうためだけに中古レコード店をまわっていた。 で、果たして甲斐バンドをターンテーブルに乗せたとき、私は唸りまくった。 そういうときは「おおっ」とか「うほっ」とか「あんっ」などのア行五段活用しか出てこない。 いきおい「あんっ、いいっ!」が出たときは、もう最高のエクスタシーに達している。 興奮さめやらぬうちに「すごいのを見つけたんだ」と大学の友人たちに勧(すす)めたら、「こういうのはよく分からない」とあっさり返された。

いまにして思えば、1985-1989年の間に斉藤由貴の核シェルターに避難しなかった団塊ジュニアの少年たちは、1990年になった時点ですでにオツムが逝っていた。 甲斐よしひろは、ツインレイの男女が出会うための地図の極秘パーツの担い手であり、彼の歌は聞く耳が閉じている人たちには必要のないものだから、もとより価値を理解できない仕組みになっているのだ。 たぶん大学生になったとき、彼らの空気さなぎの中には、ツインレイの関係になる女の子のかわりに黄金のタコの子が棲息していたのだろう。 タコなんかに愛とロマンに生きる男の歌を理解されてたまるか。

この『HERO(ヒーローになる時、それは今)』は、ツインレイの彼女と再会する42歳の真夏の夜の夢―彼女の愛に気づいた男の魂の叫びになっている。 人生は路上のカクテル・パーティーみたいなものだ。 ひとつ踊れば熱い涙も消えてゆく。 明日には別れなければならない愛の痛みを乗り越えるため、この恋が遠い日の花火になる前に一緒に走り出そうと誓っているのだ。 このHEROになる瞬間にロマンを抱けない男は、黄金のタコを飼っていると思って間違いない。

甲斐よしひろのさすらいの地図2〜 42歳の再会の後 〜


 そして夜がやってきた 二人のすきまに
 もやに霞む 思い出のターンパイク
 消えていく パラダイス

 胸の高鳴りは 聞えない
 きっと時間がたてば
 俺達のこの炎で 愛はきりぬけられるさ

 Call My Name 抱きしめて
 こんな冷たいハートじゃあ
 Call My Name 君さえ
 暖めることはできはしない

 こみあげる痛みを ベイビー
 冷たくころして
 今夜、今夜 すべての星が彼女をてらす

甲斐よしひろ『レイン』(1987)より


この『レイン』は、甲斐よしひろがソロとして発表した曲で、42歳の再会後の心象風景になっている。 真夏の夜の夢がもやに霞(かす)む思い出となり、胸の高鳴りが鎮まるころ、男が感じるのは自分の無力だ。 「こんな冷たいハートじゃあ、君を温めることさえできやしない」。 夜空の星を見あげて彼女の幸せを祈りながら、男は別れの痛みを胸の奥にしまい込む。 そうして霧雨の中を歩くうち、さすらいの旅に出る決意が少しずつ固まってゆく。

甲斐よしひろのさすらいの地図3〜 さすらいの決意 〜


 霧雨の中を歩いた 悲しみをかくして
 身がきれるようなWinter
 すぐに終わるはず

 シェイドをおろそう 押し寄せる
 闇を隠すために
 誰にも傷つけさせはしない
 愛は昔のままさ

 Call My Name 叫ぶのさ
 こんな冷たいハートじゃあ
 Call My Name 愛さえ
 暖めることはできはしない

 次の駅へと誘うように
 行き場のない涙
 物悲しい汽笛が響く 消えていくパラダイス

甲斐よしひろ『レイン』(1987)より


『レイン』の二番は43歳秋の心象風景。 その頃ともなれば、男はさすらいの旅に出なければならない宿命を理解している。 まもなくやってくる冬を越えて春になったら、いよいよさすらいの旅の準備をはじめるつもりなのだ。 その決心が揺るぎないものとなるにつれて、次の駅へと向かう列車の物悲しい汽笛が響いてくる。

甲斐よしひろのさすらいの地図4〜 43歳夜明けの春 〜


 どしゃ降りの雨をぬけ
 晴れ間に会えたとしても
 古いコートは きっと今は
 まだ脱ぎ捨てはしない
 今は きっと

 行く先を決めかねて
 佇む一人の曲り角
 さすらう風の 小耳にそっと
 行く先たずねてる
 うつろな 今日

 明日はどこへ行こう
 明日はどこへ行こう

 俺の海に翼ひろげ
 俺は滑り出す
 お前という あたたかな港に
 たどり着くまで

甲斐よしひろ『翼あるもの』(1978)より


この『翼あるもの』は『誘惑』という甲斐バンド初期のアルバムの収録曲で、シングル発表はされていない。 したがってコンサートに足を運んだりして、甲斐よしひろの世界に深く入っていかないかぎり知りえない作品になっている。 私はこうした作品のために甲斐バンドのアルバムを買い集めなければならなかった。

甲斐よしひろの作品は、ツインレイの男女が出会うための地図の極秘パーツだったため、たとえ彼が傑作を産みだしてもアルバムにひっそりと収録される傾向があった。 世の中には、聞く耳を持つ選ばれた者だけが聴くことを許される“埋もれ歌”が存在し、甲斐よしひろは、そんな埋もれ歌を担当していた男性ソングライターだったのだ。 もちろん彼と対になる女性ソングライターもいて、それが谷山浩子だったということになる。

この『翼あるもの』の一番は神隠しの最終試験をパスする2月の心象風景だ。 たしかに43歳夜明けの春を迎えているのだけれど、かつて魔女とかわした密約が期間満了となるまでには、まだやらなければならないことが残っている。 そのため古いコートを脱ぎ捨てるわけにはいかないのだ。 それでも、さすらう風の小耳に行く先をたずねると“やるべきことの続き”をそっと教えてくれる。 さて、どこへ繋がっていけば明日がみえてくるのだろう? そんな時節の歌だ。

甲斐よしひろのさすらいの地図5〜 44歳旅立ちの春 〜


 疲れ果てた 身体をだまし
 ただ鳥のように翔ぶさ
 風に乗り 雲をつきぬけ
 自由を夢見て めざして
 大きくはばたく

 現代に生きる俺たちに
 星は進路を指してくれる
 夜の海 誰かが高く
 燈火を 生命をともしてる
 悲しげに 高く

 明日はどこへ行こう
 明日はどこへ行こう

 いま夕陽に翼ぬらし
 俺は帰るのさ
 お前という あたたかな港に
 たどり着くまで

甲斐よしひろ『翼あるもの』(1978)より


そして二番になると、北斗の星が輝き出し、ルネサンスの騎士たちが灯火を高くかかげているのが見えている。 いまや自分の行くべき進路がはっきりと照らし出された。 男は夕陽に翼をぬらし大きくはばたく時が“今”であることを知る。 44歳旅立ちの春。

甲斐よしひろのさすらいの地図6〜 44歳秋からのさすらい 〜


 破れたハートを売り物にして
 愛にうえながら 一人さまよってる
 破れたハートを売り物にして
 うかれた街角で さまよい歌ってる

 あの雲をはらい落とし
 長い嵐 二人乗り越えて
 尽きるまで泣いたら 涙ふきな
 お前といきたい 一人ぼっちじゃいたくない

 燃えるよな赤い帆をあげ海を
 お前をだいて 渡ってゆきたい
 生きることを素晴らしいと思いたい
 お前といきたい 一人ぼっちじゃいやだ

 悲しみやわらげ 痛み鎮める
 終わることのない雨のような 愛で包みたい
 雨の日も 風の日も
 俺の愛は お前のものだから

甲斐よしひろ『破れたハートを売り物に』(1981)より


そうして44歳秋からさすらいの旅に出る男の歌が『破れたハートを売り物に』だ。 人々は1984-1990年の間に降ってきた「バブル爆弾」という名の人間核兵器に頭をやられ、核シェルターに逃げ込まなかった人々は人間から退行してタコになってしまった。 以来、現実逃避のための明日なき暴走が続き、街角は黄金のタコたちが浮かれ踊る異星の荒れ野と化している。 男はそんな街角をさまよいながら、恋に破れたハートを売り物に、ひとり、愛を歌って歩く。 「生きることを素晴らしいと思いたくはないか」 「君たちだってひとりぼっちはいやだろう」と。

そんなひとりきりの長い夜を過ごしている男のもとに、ある日、便りが届く。

甲斐よしひろのさすらいの地図7〜 年季明けの便り 〜


 寒い夜だった つらく悲しい
 ひとりきりの長い夜だった
 北へ向かう夜汽車は 俺の中の
 心のように すすり泣いてた

 そんな時 おまえがよこした便り
 ただ一言だけ 「淋しい」ってつづってた

 眠れぬ夜を いくつも数えた
 おまえのことを 忘れはしなかった
 それでも一人で生きてゆこうと
 のばせば届く愛を こわがってた

 安奈 寒くはないか
 おまえを包むコートはないけど
 この手であたためてあげたい

甲斐よしひろ『安奈』(1979)より


ツインレイの彼女とふたたびめぐり逢えるのは、人々の心に愛をとり戻すという自分の使命を果たし終えたとき―かつて手を伸ばせば触れあうことだってできたはずなのに、一人きりでさすらいの旅に出たのはそう信じたからだ。 男は、ついに待ちに待った年季明けが来たことを、ただひとこと「淋しい」とつづった彼女の便りで知る。

「眠れぬ夜をいくつも数えた。おまえのことを忘れはしなかった」

甲斐よしひろのさすらいの地図8〜 めぐり逢い、ふたたび 〜


 二人で泣いた夜を おぼえているかい
 わかちあった夢も 虹のように消えたけど

 おまえのもとに今 帰ろうとして
 今夜 俺は旅をはじめる

 クリスマスツリーに灯りがともり
 みんなの笑い声がきこえる頃

 安奈 おまえに逢いたい
 燃え尽きたローソクに もう一度
 二人だけの愛の灯をともしたい

 安奈 クリスマスキャンドルの灯はゆれているか
 安奈 おまえの愛の灯はまだ燃えているかい

甲斐よしひろ『安奈』(1979)より


かつて彼女と再会した42歳のときは、自分の“やるべきことの続き”を思い出す前のことだった。 そのとき二人で分かちあった夢は虹のように消えてしまったけれど、いまでは聖なる愛の灯火がキャンドルからキャンドルへと次々にともされ、みんなの笑い声が聞こえている。 時代は変わった。 「安奈、おまえに逢いたい。燃え尽きたローソクに、もう一度、二人だけの愛の灯をともしたい」。 男は彼女のもとに帰ろうとして旅支度をはじめる。

「安奈、おまえの愛の灯はまだ燃えているかい?」

そこでこの記事を読んでいる少し寂しげな少年の君に問いたい。 これが男のロマンでなくて何であろうか? これが真実のロック―転がり続ける者たちの旅路の歌―だ。 現代はタコたちが浮かれ踊るためのポップスしかない時代だから、君はきっとロックなんか聴いたことがなかっただろう。 けれども私が恋を乗り越えられたのはポップスのおかげじゃない。 そこにロックがあったからだ。 私はこれから君のためにロックを歌う。 けがれもないままに道を探せば君は私の歌との間に絆を見つけることだろう。 そうして君が恋を乗り越えたとき、私の持っている北斗神拳の正当伝承権をあげよう。 私はいつまでも君を待っている。

青雲水

21年周期について

緑雲水

時代は変わる。 旧約聖書の預言をイエスが実現したときから新約聖書の時代に移り変わっていったように、布施仁悟の登場により、井上陽水を中心とする旧約ロックの預言者たちの時代は終わる。 彼らの預言は布施仁悟によってことごとく実現され、この『かなりキワどい坐禅作法』に解明された。 いま、時代は新約ロックの預言者の時代へと移行しつつある。

これと同じことが1960年代のアメリカで起こっていた。

矢印マーク Bob Dylan


1962年2月―ボブ・ディラン20歳のデビューアルバム

古い預言のまとめ


そのとき、かつて隆盛したアメリカン・ルーツ・ミュージックの預言者たちの詩をまとめた人物がボブ・ディランだった。 1962年に発表された彼のファーストアルバムはアメリカン・ルーツ・ミュージックのカバー集で、それはいわば古い預言を編纂した旧約聖書のようなものになっている。 まずは原点回帰。 人々の記憶から忘れ去られた預言の復興。 20世紀ロックの隆盛はそこからはじまったのだ。

「わたしは古い預言を完成しにきた」とイエス自身が語ったように、救世主とはそういうものだと考えると、なにもイエスだけが救世主ではない。 20世紀の救世主はボブ・ディランだった。 20世紀がアメリカの時代だったのは、たぶんそのせいである。

今、この場所からすべての同胞に伝えよう。
ともし火はアメリカの若い世代に引き継がれた。
この国があなたに何をしてくれるかではなく、
あなたがこの国に何をできるかを問おう。

(ジョン・F・ケネディ大統領就任演説[1961年1月20日]より)

そのときアメリカ大統領に就任したジョン・F・ケネディは、世界のルーク・スカイウォーカーだった。 ケネディとディランが世界に愛と平和の時代をもたらすはずだったのである。 ところが当時のアメリカ人には彼らの価値が理解できなかった。 アメリカはケネディを暗殺し、ディランを迫害してしまった。

すると1970年代に入ったとき、預言者たちがどういうわけか日本に現れはじめた。 当時の邦楽と洋楽で歌われていた内容を較べてみるといい。 洋楽は実に幼稚だ。 自国にあらわれた預言者たちの価値に気づかず、あっさりJ−POPに宗旨を改めていった経緯は、当時の日本人のオツムがどれほど逝っていたかを物語っている。 預言者たちの価値に気づいたボブ・ディランという青年が20世紀の救世主となり、布施仁悟というオヤジが21世紀の世紀末救世主に選ばれるのは当然の結果だろう。

私の思春期の夢は、おそろしくもの静かにイタリアルネサンスの栄光について語る世界史教師になることだった。 その私がどうしてこんな面倒なことに巻き込まれたのかと言えば、私よりも優秀な頭脳を持って生まれた選良たちのオツムが、いつのまにか逝ってしまったからである。 私のささやかな夢を返してくれとまでは言わないけれど、自分の頭でものを考えられないにもほどがある。 君たち日本人は1960年代のアメリカと同じ間違いをやらかすつもりなのか?

この布施仁悟の『かなりキワどい坐禅作法』は、ボブ・ディランのファーストアルバム『Bob Dylan』に相当する。 いわば日本に出現した預言者たちの古い詩を集めて編纂した『旧約聖書21』だ。 それも、イエスやディランよりも親切な毒舌解説つきである。 ありがたく拝読するがよい。 新たな福音『新約聖書21』は、新時代の預言者たちにより、これから創造される。 ちょっと待っとけ。

矢印マーク FREEWHEELIN' BOB DYLAN


1963年5月―ボブ・ディラン21歳のセカンドアルバム

福音のはじまり。右の女性がスーズ・ロトロ。


ボブ・ディランのファーストアルバム『Bob Dylan』発売の直後に書かれたのが『Blowin' In The Wind』で、日本でも『風に吹かれて』というタイトルでよく知られる代表曲のひとつになった。 社会の不公平を告発するプロテストソングとして受け容れられたのだけれど、よく聴くとそんな内容じゃなくて、新たな福音を述べ始めることを宣言する歌になっている。 古い預言をまとめあげたから、いよいよ新たな福音を述べはじめようというわけだ。 ボブ・ディランの曲は奇妙な知られ方をするのが特徴で、イエスの十二使徒が福音を述べ伝えて各地を歩きまわったように、数人の歌い手がカバーして宣伝することによって人々に知れ渡っていく。 それがディラン本人の録音よりも親しみやすくてよく売れるのだ。 その“十二使徒現象”を最初に巻き起こしたのが『Blowin' In The Wind』だった。

How many roads must a man walk down
Before you call him a man?
How many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand?
How many times must the cannon bolls fly
Before they’re forever banned?

The answer, my friend, is blowin’in the wind
The answer is blowin’in the wind

人はあとどれほどの道を歩めば
人間と呼べるのだろう?
白い鳩はあとどれくらい海原を渡れば
砂浜に休めるのだろう?
砲弾があと何度飛び交えば
永久に射ち止むのだろう?

友よ、その答えは風に吹かれている
あの風の歌に聴け

(Bob Dylan『Blowin’In The Wind(風に吹かれて)』(1963)より)

この曲が収録されたセカンドアルバム『FREEWHEELIN' BOB DYLAN』が発売された前後に、ディランは洗礼者ヨハネの役割を持つジョーン・バエズと対面した。 宿世の邂逅(かいこう)である。 すると申し合わせたように運命の旗が振られ、それまでの恋人スーズ・ロトロと別れなければならなくなった。

(『ボブ・ディラン自伝』にみる)一子相伝システム5 〜 運命の旗 〜


 わたしとスージーの仲は、森のなかの休日のようには展開しなかった。 やがて運命の旗が振られてふたりの仲は終わる。 スージーは分かれ道のいっぽうを、わたしはもういっぽうを進むことになる。
 そうやっておたがいの人生から出ていくことになるが、それまでのあいだは、炎が消えるまでのあいだは、西四番ストリートのアパートメントでともに多くの時間をすごした。 夏のあいだ、そこはむっとする熱気が充満していた。 狭い部屋は、噛んでのみくだせそうなぐらい息苦しい空気でいっぱいで、オーブンのようだった。 冬は暖房がなかった。 身を切るような寒さのなかで、わたしたちは毛布の下で抱きあい暖めあった。

菅野ヘッケル訳『ボブ・ディラン自伝』 P.343 第5章 氷の川


そういうわけで、この記事を書き終えたら、さっそく私の『風に吹かれて』をつくって売り込むつもりなので、ぷっつんレディ4号との別れの日が近いことを感じている。 ボブ・ディランとスーズ・ロトロが別れたのは20代だから、相手の将来の心配なんかする必要はなかっただろうけれど、私と4号のように40代ともなると相手の行く末もちゃんと考えて別れなければ、オトシマエがつかないのである。

で、そのあたりのことは北斗三姉妹の三女・薬師丸ひろ子ねえさんの担当だった。

矢印マーク エトワール


2018年5月―薬師丸ひろ子20年ぶりのオリジナルアルバム

北斗の星(エトワール)から、すべての4号へ


彼女のように北斗の星に導かれている人は、その存在の成り立ち自体が普通の人とは違うから、時代の節目になると行動のひとつひとつに意味と関連性が生じてくる。 そんな彼女が2018年5月に『エトワール』というアルバムを出したんだけど、それは1998年以来、20年ぶりに発表されたというオリジナルアルバムだった。

風の言葉に諭されながら
別れゆくふたりが 5月を歩く
木々の若葉は強がりだから
風の行く流れに 逆らうばかり

鐘が鳴り花束が目の前で咲きほこり
残された青空が 夢をひとつだけ
あなたに叶えてくれる

(井上陽水『5月の別れ』(1993)より)

この井上陽水の『5月の別れ』は44歳の5月を歌ったもので、この記事を書いている今がちょうどその44歳5月だったりする。 << いよいよ来るべき時が来たぞ、よしっ! いや、よく考えたら全然よくない。 このままではオトシマエがつかないじゃないか >>…そんなあなたの薬師丸ひろ子なのである。

彼女がこの5月にオリジナルアルバムを発表して動き出したのにはやっぱり意味があるとおもう。 たぶんアルバム『エトワール』は、この5月に別れゆくすべての4号へのはなむけのメッセージなのだ。 なぜなら彼女は4号の恋をささえる歌姫だったからである。

薬師丸ひろ子のステキな恋の忘れ方1〜 42歳の悲劇 〜


 もう行かないで そばにいて
 窓のそばで 腕を組んで
 雪のような星が降るわ
 素敵ね

 もう愛せないと言うのなら
 友だちでもかまわないわ
 強がってもふるえるのよ
 声が…

 ああ 時の河を渡る船に
 オールはない 流されてく
 横たわった髪に胸に
 降りつもるわ 星の破片

 行かないで そばにいて
 おとなしくしてるから
 せめて朝の陽が射すまで
 ここにいて 眠り顔を
 見ていたいの

作詞:松本隆 作曲:呉田軽穂(松任谷由実)『Woman “Wの悲劇”より』(1984)より


この『Woman “Wの悲劇”より』は、4号の42歳の悲劇を歌ったもので、相手の男(つまり私)が「もうおまえを愛せない」とかなんとか言って、ツインレイの彼女に会いに行ってしまうわけである。 ただし、その男の行動だけをみて「悪い男だ」と責めるわけにはいかない。 男の人生には、天命を果たすために、「俺のわがままをゆるして欲しい」と恋人や妻に告げなければならない時がある。 それは男にとっても悲劇の瞬間なのだ。 その胸の痛みは男にとっても女にとっても同じこと。 すなわち『Wの悲劇』になる。

そもそもぷっつんレディ4号の役割は、ひとりの男を預言者にまで育てあげて世の中に送り出すことにある。 だから、男がツインレイの彼女と再会して帰ってきた後、隙あらば会いに行こうとするのを、腕を組んで見張って引き止めなければならない。 「もう行かないで、そばにいて。おとなしくしてるから」というのはそういう意味だ。 朝の陽が射すまで男のそばにいて、俗世に帰っていくのを見届けるのが彼女の役目になっている。

薬師丸ひろ子のステキな恋の忘れ方2〜 別れのヒント 〜


 青くたそがれた頃
 恋に気がついた夜
 街がキラメクまでに
 早く口づけを遊びのように終わらせて

 悪い大人の歌が
 あまくせつなく響く
 恋がはなやかなうち
 少しさみしそうにあなたのそばで踊らせて

 あなたに聞いてみたいのは
 ステキな恋の忘れ方
 それとも愛はこの胸に刻まれたの?

 遠く流されてゆく
 今はささやいていつものように眠らせて

井上陽水『ステキな恋の忘れ方』(1985)より


この『ステキな恋の忘れ方』は、その冒頭のフレーズから、男がツインレイの彼女と“かくしきれない恋”をはじめていて、神隠しの世界を抜けて俗世の街に戻ろうとしていることがわかる。 これは男が再会を終えてきた後の4号の心象風景なのだ。 井上陽水は、この歌に4号との恋をステキに終わらせるためのヒントを忍ばせている。

「あなたに聞いてみたいのはステキな恋の忘れ方」
「それとも愛はこの胸に刻まれたの?」

別れぎわに、この回答を4号に差し出すのが男の役目というわけだ。

薬師丸ひろ子のステキな恋の忘れ方3〜 再び逢うまでの遠い約束 〜


 さよならは別れの言葉じゃなくて
 再び逢うまでの 遠い約束
 夢のいた場所に 未練残しても
 心寒いだけさ

 このまま何時間でも
 抱いていたいけど
 ただこのまま 冷たい頬を
 あたためたいけど

 都会は秒刻みのあわただしさ
 恋もコンクリートの籠の中
 君がめぐり逢う 愛に疲れたら
 きっともどっておいで

 愛した男たちを 思い出にかえて
 いつの日にか 僕のことを
 想い出すがいい

 ただ心の片隅にでも 小さくメモして

作詞:来生えつこ 作曲:来生たかお『セーラー服と機関銃』(1981)より


この『セーラー服と機関銃』は、さすらいの旅に出るのが男ではなくて女というケースが世の中にあることを教えている。 4号はそのさすらいの女なのだ。 私はこのタイプの男ではないから、まったく心理を理解できないのだけれど、さすらいの旅に出た4号の帰りを待ってる男がどこかにいる。 この歌はそんな男の心象風景なのだ。

これと同じケースを歌ったものに『さらばシベリア鉄道』がある。

哀しみの裏側に何があるの?
涙さえ氷りつく白い氷原
誰でも心に冬を
かくしてると言うけど
あなた以上冷ややかな人はいない

君の手紙読み終えて切手を見た
スタンプにはロシア語の小さな文字
独りで決めた別れを
責める言葉探して
不意に北の空を追う

(作詞:松本隆 作曲:大滝詠一『さらばシベリア鉄道』(1980)より)

これは薬師丸ひろ子ではなくて、太田裕美が1980年に歌ったものなのだけれど、この歌を聴いたときに少し謎が解けた気がした。 これは女性の思いと男性の思いが交互にかわされる相聞歌になっていて、まず最初に「あなたほど冷たい人はいないわ」と殴り書きした女の手紙がシベリアから届く。 ぷっつんレディ4号と出会った男なら分かると思うのだけれど、こういう恨みを買ったら確実に化けて出てきそうなところが4号にはある。 たぶんお小遣い帳をつけるような感覚で「閻魔の怨念帳」みたいなものを持ち歩いているに違いない。 実物を見たことはないけど。

で、4号と対になる相手の男もかなりオツムが弱いらしい。 その男は自分の天命を果たすために独り旅に出なければならないと知っておきながら4号に手を出した。 ところがやっぱり別れなければならないことに気づいて、冷たくあしらいはじめたら4号がさすらいの旅に出てしまった…そんなところなのかもしれない。 私ならはじめから手を出さないから、女に逃げられておきながら、「不意にシベリアの空を追う」という男の心理がよく理解できないのだけれど、これを別の言い方にしてみると、こういうことになる。

「君がめぐり逢う愛に疲れたら、きっともどっておいで」

この線路の向こうには何があるの?
雪に迷うトナカイの哀しい瞳
答えを出さない人に
連いていくのに疲れて
行き先さえない明日に飛び乗ったの

(作詞:松本隆 作曲:大滝詠一『さらばシベリア鉄道』(1980)より)

『さらばシベリア鉄道』は傑作である。 この二番の時空飛ばしを聴きながら、私はおもわず笑ってしまった。 やがて雪に迷った女はシベリアまで何しにきたのか訳がわからなくなっている。 で、「バカだねえ、この女は…」なんて思っていたら、その理由は「答えを出さない人に連いていくのに疲れて」と来るではないか。

<< もしかして行き先さえない明日とは…私のことですか? >>

この二番は42歳の悲劇を迎えている4号の心象風景だったのだ。 「この線路の向こうには何があるの?」って…たぶん、何もないんだろうな。

僕は照れて愛という言葉が言えず
君は近視 まなざしを読み取れない
疑うことを覚えて
人は生きてゆくなら
不意に愛の意味を知る

伝えておくれ 十二月の旅人よ
いつ…いつまでも待っていると

(作詞:松本隆 作曲:大滝詠一『さらばシベリア鉄道』(1980)より)

したがって二番の後半は、4号の相手の男が私に託したメッセージになっている。

「伝えておくれ、十二月の旅人よ」

十二月は一年を締めくくる最後の月。 4号との旅が締めくくりにさしかかったら、この想いを伝えて欲しいということだ。

「いつ…いつまでも待っていると」

これが北斗の歌姫・薬師丸ひろ子が歌っていた「ステキな恋の忘れ方」の全貌である。 おかげで、4号との「5月の別れ」にもなんとかオトシマエがつきそうで、胸をなでおろしているところなのだ。 さよならは別れの言葉じゃなくて、再び逢うまでの遠い約束なのさ。

シュタイナーの7年周期説モデル
図:布施仁悟(著作権フリー)


そういうわけで私の半生のお話はここまで。

上の表はR・シュタイナーが唱えていた7年周期説をまとめたものなのだけれど、これは7×3を一単位として21年周期で捉える見方もできる。 各時期の意味は、ここまで読んできた読者ならよく分かるとおもうので参考にするといい。

この7年周期は誰でも同様に体験するため、「自分の辿ってきた過程とこのサイトに書かれていることが非常に似通っている」と誰もが言っていた。 けれどもよく話を聞いてみると時節が通り過ぎるのをぼんやり眺めていた人たちばかりだった。 この『坐禅作法』シリーズの読者には、そんな頓珍漢(とんちんかん)しかいなかったため、坐禅を志す人に悪い人はいない式のノリでやっていたら、逆ギレされるは、呪いのメールが送られてくるは、でえらい目にあった。 たいていの人にとって、文章を読んだり、自分の頭でものを考えることは苦手なようだから、子供期からやり直すつもりで、まず人の話にちゃんと耳を傾ける習慣を身につけたほうがいいとおもう。

また、この表から分かるのは人生の勝負は63歳までということだ。 天命を背負って世の中に飛び出してくるソングライターは、そのデビュー曲で自分が何を歌うつもりなのかを物語る。 井上陽水のデビュー曲『人生が二度あれば』は、人生を無駄に過ごしたまま63歳8月を迎えてしまった夫婦の物語だった。 彼らはそのとき、人生の集大成となる八月の夢花火を打ち上げることができなかったのだ。

父は今年二月で六十五
顔のシワはふえてゆくばかり
仕事に追われ このごろやっと
ゆとりができた

父の湯飲み茶碗は 欠けている
それにお茶を入れて 飲んでいる
湯飲みに写る
自分の顔を じっと見ている

母は今年九月で 六十四
子供だけの為に 年とった
母の細い手
つけもの石を 持ち上げている

そんな母を見てると 人生が
だれの為にあるのか わからない
子供を育て
家族の為に 年老いた母

父と母がこたつで お茶を飲み
若い頃の事を 話し合う
想い出してる 夢見るように 夢見るように

人生が二度あれば この人生が二度あれば
人生が二度あれば この人生が二度あれば

(井上陽水『人生が二度あれば』(1972)より)

こんな風に「人生が二度あれば…」とつぶやくのは64歳2月の節分を過ぎて65歳になったときらしい。 私の父は65歳になったとき、高校の同窓会に参加してきてこう言った。

「あいつ、どうして死んだかなあ…」

それが同窓会から帰ってきた父の漏らした一言だった。 「あいつ」というのは、卒業以来、同窓会で毎度顔を合わせていた女性のことで、父は「いつも来ていたんだけどな」と語っていた。 おそらく父とツインレイの関係にあった女性だったのだろう。 けれども65歳になったとき、「つい先日彼女が亡くなった」という噂を聞いて帰ってくることになった。

人生の勝負は63歳8月までだ。 それまではまだ勝負は決まっちゃいない。 『かなりキワどい坐禅作法』をここまで読んでしまった人のほとんどは、無情な運命のカラクリを前にして、いまや挫折寸前だろう。 でも63歳8月までは愛される喜びを知る可能性がまだ残っている。 だから簡単にあきらめちゃいけない。

この記事の最後は、やはり歌で締めくくろう。 これから紹介する『カウント10』を作った竹原ピストルという男は、少なくとも33歳のぷっつん体験を乗り越えてきている。 その後、39歳8月からの天職に就けるかどうかを判定する試練に志願しなかったため、2017年―40歳のときに世の中に出てきてしまった。 ちょっとせっかち君なのだ。 たとえば作家の浅田次郎が彼と同じケースで、やはり40歳のときに最初の本を上梓している。 そのため霊感で歌を作る預言者タイプではないから、愛や真理を歌うことはできないんだけど、この『カウント10』は、この時代を生きる若い世代のテーマソングになっている。 彼の歌を私の激励の代わりとしたい。

全てを見尽くしたふりをして 全てを聞き尽くしたふりをして
走り方を忘れたふりをして 叫び方を忘れたふりをして
執着もできず 投げやりにも出来ず

文字通り“適当”にうまいことやって
茶化して無理に微笑んでみたところで
そこに見えるのは ただひたすらに瞼の裏っ側であり
明日じゃない、そんなのは明日じゃない

ほんとは覚えてるだろう?
ほんとは覚えてるだろう?

ド派手に真っ向から立ち向かって
しかし、ド派手に真っ向からブッ倒されて
歪んで、霞んで、欠けた視界の先にある
それこそが
正真正銘、挑み続けるべき明日だってことを

(竹原ピストル『カウント10』(2014)より)

この一番はぷっつん体験の乗り越え方だ。 33歳のぷっつん体験を乗り越えれば、もしもその先の試練に志願しなくても、これだけのことができる。 そういうことを彼の作品から読み取って欲しい。

で、いよいよ二番からは、いつのまにか「愛をとりもどせプロジェクト」が本格始動していた時代―1984年以降の日本を生きる人々のテーマにはいる。

確かに、誰に頼んで鳴らしてもらったゴングじゃない
例えば季節のように
いつの間にか始まっていた戦いなのかもしれない

しかも、運やら縁やら才能やらといったふわついた
しかし、絶対的に強大な事柄がどこまでも付きまとう
ちっともフェアじゃない戦いなのかもしれない

だからと言って、ふてくされて、
もがきもせず、あがきもせず、例えば季節のように、
いつの間にか終わるのだけはまっぴらごめんなんだ

誰かが言ってた
人生に勝ち負けなんてないんだと
確かにそうなのかもしれない
しかし、人生との戦いにおける勝ち負け
二アリーイコール
自分との戦いにおける勝ち負けはやっぱりあると思う

ぼくは絶対に負けたくないから
どんなに打ちのめされようとも
また立ち上がって、またどこまでも拳を伸ばす

ちなみに話は変わらないようで変わりますが
ぼくは“人生に勝ち負けなんてないんだ”という人の人生に
心を動かされたことは、一度たりとも、無い

(竹原ピストル『カウント10』(2014)より)

「お年寄」というのは、自分との戦いにおける勝ち負けにこだわって、自分の人生から知恵を学んで積み重ねてきた人たちのことをいう。 その知恵を次の世代に伝えようとしている人たちが大切にされるべき「お年寄」なのだ。 そうじゃないやつは、ただの「クソジジイ」と「クソババア」でいい。 正しい日本語ではそう呼ぶ。

この国の若い世代の君たち。 君たちには「僕たち、私たちは、クソジジイとクソババアを支えるために生きてるんじゃない」と言う権利がある。 団塊世代のクソジジイとクソババアが作り出した世代間格差社会は、いまや限界点に達している。 残念なのは、私たち団塊ジュニア世代が君たちと同じようにまだ若かった頃、ただ時代に流されるだけで何も声をあげてこなかったために、若い世代の君たちを全然フェアじゃない世代間闘争に巻き込んでしまったことだ。 でも、このままいけば日本は二度つぶれる。

どうか自分の生まれながらの才能を覚醒させて、世界にひとつだけの花を咲かせて欲しい。 ただし、そのためには、まず現実逃避の言い訳をやめて、自分との戦いにおける勝ち負けにこだわらなくちゃいけない。 人生の守備位置(フィールドポジション)を中途半端なところで妥協してちゃいけない。 それがこの歌の持つメッセージだ。 この時代のテーマだ。 そしてすでに、才能を覚醒させるための黄金の鍵は、この『坐禅作法』シリーズに書き留めてある。 君たちは、将来クソジジイやクソババアと呼ばれるような人生を絶対に歩んじゃいけない。

さあ、もう一度立ち上がろうぜ
そしてまた、どこまでも拳を伸ばそうぜ
ダウン!から カウント、ワン・ツー・スリー
4・5・6・7・8・9…までは、哀しいかな
神様のたぐいに問答無用で
数えられてしまうものなのかもしれない

だけど、カウント10だけは
自分の諦めが数えるものだ
ぼくはどんなに打ちのめされようとも
絶対にカウント10を数えない

カウント、ワン・ツー・スリー・4・5・6・7・8・9…

さあ、もう一度立ち上がろうぜ
もう一度、どこまでも拳を伸ばそうぜ

カウント、ワン・ツー・スリー・4・5・6・7・8・9…

どんなに、打ちのめされようとも
絶対にカウント10を数えるな

(竹原ピストル『カウント10』(2014)より)

竹原ピストルは「愛をとりもどせプロジェクト」の急先鋒の刺客だ。 このプロジェクトはもっと多くの魂の参加を求めている。 若い世代の君たちがルネサンスの騎士として立ち上がり、彼に続いてどこまでも拳を伸ばそうとする日を、私たちは心待ちにしているよ。

今、この場所から世界の同胞に伝えよう
ともし火は日本の新しい世代に引き継がれつつある
この日本発のプロジェクトがあなたに何をしてくれるかではなく、
あなたがこのプロジェクトのために何をできるかを問おう

(2018.5)


追補:ぷっつんレディの類型について

ぷっつんレディの類型モデル
図:布施仁悟(著作権フリー)


男が天職に就任するためにはひとりの天使にめぐり逢わなければならない。 彼女が天職遂行の翼を与えてくれるからだ。 ただし、それまでに何人かの運命の女― ぷっつんレディ ―との出会いと別れが待っている。

第一号は恋の手ほどきをするために現れる初恋の女。 ひとりの天使と出会うための予行演習をすることになるから、しっかり初恋するべし。

第二号は天職に就任するために訣別すべき世界の象徴として現れる女。 最も魅力的に映る。 決して彼女のいる世界には行くな。

第三号はファム・ファタール―男を破滅させる運命の女―と呼ばれている女。 天職を諦めるように男を誘惑してくる。 天職に向かう決意を固めて彼女の罠から脱出せよ。

そうして第三号と別れたときに現れる第四号の女が才能覚醒の鍵を握っている。

桃雲水

肴はとくにこだわらず厳選情報

HPランキング参加中!

凡人たちにも本物のスピリチュアルを!

ワンクリック運動に参加しませんか?

ブッダの瞑想法―ヴィパッサナー瞑想の理論と実践

坐禅入門の決定版!

心の欠陥を克服する唯一最善の方法は坐禅・瞑想を実践することです。そして、この本以上の坐禅・瞑想の入門書を私は知りません。

聖書―旧約・新約

伝道の情熱を読みとれる貴重な一冊

イタリア人神父が丁寧に日本語訳した聖書。聖書は坐禅修行にも必ず役立つ。かりそめにも軽んじてはならない。

ブッダの真理のことば・感興のことば

こなれた現代語で読める法句経

私の仏教に対する誤解は この本で初めて解けました。

白隠禅師―健康法と逸話

坐禅と気の関係を明かした本

内観の秘法と軟酥の法は坐禅の基本。白隠禅師の『夜船閑話』と『遠羅天釜』で ちょっとはマシな坐禅をしよう。

5つのチベット体操-若さの泉・決定版

これはエクササイズの革命だ!

たった5つの体操を毎日続けるだけで体調は良くなるわ、痩せるわで驚きの効果が・・・!?食事に関するアドバイスも実に簡潔で的を得たもの。これはエクササイズの革命だ!

決定版 真向法

チベット体操と併せてどうぞ。

たった4つの体操を毎日続けるだけで怪我を予防するための柔軟な筋肉を作れます。チベット体操と併せてどうぞ。

魂をゆさぶる禅の名言

何にもならない坐禅はやめよう!

坐禅は単なる心の慰めではありません。坐禅を人生に役立てるための智慧がここにあります。救いのある仏教の入門書。