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【坐禅作法126】ひつじ雲がきれいだった日

かなりキワどい坐禅作法 ひつじ雲がきれいだった日〜心随観奥義2〜

Presented by

〜心随観奥義2〜


サンニャースとカルマヨーガ

人間ただ悟ればいいというものではない。

ヒンドゥー教の聖典『バガヴァッド・ギーター』は、悟りに至るには二つの道があることを教えている。

出家による仕事の放棄(サンニャース)と
在俗による奉仕活動(カルマヨーガ)は
どちらも人を解脱へ導く
この二つのうちでは
カルマヨーガの方が勝(すぐ)れている

(『バガヴァッド・ギーター』5-2)

歴代の禅師たちのほとんどは、この二つのうちサンニャースの道(出家による仕事の放棄)を説いてきた。 そのため我が禅風は少々特異に見えることだろう。 というのも、もう一方のカルマヨーガの道(在俗による奉仕活動)を説いているからである。

サンニャースで至る境地にはカルマヨーガでも達せられる
この二つをおなじに見る人は事物の実相をよく知る賢者である
けれども奉仕活動を行うことなく
ただ仕事を放棄してきた者たちには
むなしい日々が待っている

(『バガヴァッド・ギーター』5-5・6)

われわれカルマヨーガの道をゆく禅者からみるとサンニャースの道によって悟った歴代の禅師たちは未熟にみえる。 これは、そんな未熟な覚者たち―腐れ神(くされがみ)の生態と弊害についての考察である。

矢印マーク 『神の詩―バガヴァッド・ギーター』

世界中で聖書の次に読まれているという聖典
仏教とキリスト教をつなぐ架け橋となる

赤雲水

正師・秀爺と僕の関係性

黒雲水

正師・秀爺は純粋な覚者ではあったけれど、いわゆる腐れ神だった。

腐れ神とは、宮崎駿氏の映画『千と千尋の神隠し』に登場するキャラクターで、過去に蓄積したものが身体にまとわりついて身動きできなくなっている神様として描かれる。 主人公の女の子は、その腐れ神が過去に蓄積してきたものを洗い流す手助けをするのだ。 つまるところ、正師・秀爺と僕の関係はそういう関係性にあった。

矢印マーク 千と千尋の神隠し[DVD]


 ― これは“神隠し現象”を疑似体験するための映画だ ―

したがって、この作品には賞味期限がある。 おそらく26-27歳の時節に鑑賞するのが最も効果的だろう。 その後は“神隠し現象”をみずから体験して、その忠実な描写に驚くがいい!


正師・秀爺とは当初から見解の相違があったのだけれど、僕より格上の存在であることに変わりはなかったため、僕の判断の方が間違っているのではないかと悩み続けた。 彼が腐れ神だったと確信できたのは、神隠し現象を抜けて『千と千尋の神隠し』の寓意の意味が明らかになった43歳のときで、それまでは当惑されっぱなしだったのである。 それでも恩師は恩師であるから、真相を暴露することは今ひとつ気が進まなかった。 けれども、これは僕の使命の一つのようなので、後進のために書き残すことにしたい。

まず、正師・秀爺が腐れ神ではないかと疑いはじめたのは、このコメントを読んだ40歳のときだった。

2015年2月27日の正師・秀爺のコメント


つまらん。お前の話しはー、つまらん。 文学は何も、布施さんのようなエリート集団でなりたつものではないと思うがのう。

尾田栄一郎さんをみてみ。 子どもや大人を夢中にしてるだろうが。 そんな感じで、どんな文学ができるというのじゃ。 天才は片鱗をすでに見せてると思うのじゃが。


尾田栄一郎というのは『ONE PIECE』という少年向けの作品を描いていた漫画家で、僕と同世代の人物だった。 22歳のときに才能が目覚めた典型的な飛べる豚だったのだけれど、30代にあるレーベンスヴェンデ(生の転換期)を乗り越えることに失敗して、40代に入っても20代と同じことを続けていた。

もしも30代のレーベンスヴェンデを乗り越えていれば、主戦場を移して村上春樹作品のような求道者限定の作品を書き始めるもので、それまでの読者層を切り捨てて、新しい読者層を獲得しようとするはずなのだ。 そうなると、もはや「子どもから大人までを夢中にする」なんてことはできない。 残念ながら尾田栄一郎にはその決断をする勇気がなかったため、40歳を迎えた頃にはただ能力を浪費するだけのオカマチキンに成り下がっていた。 いまだに彼の作品を読んでいる大人というのは、つまり精神年齢が13歳で止まっている昏睡状態の豚たちなのである。

僕が青少年の頃に憧れた村上春樹は、38歳のベストセラー『ノルウェイの森』で獲得したファンを39歳の『ダンス・ダンス・ダンス』でいきなりふるいにかけ、井上陽水は27歳までに獲得したファンを28歳で切り捨てた。 井上陽水が28歳頃にリリースしたシングル『Good,Good-Bye』を聴くと、その決意が伝わってくる。

Good,Good-Bye さよならBaby
そろそろこれで終わりにします
Good,Good-Bye さよならBaby
こんなに遅くまでありがとう

終りはいつもさみしくて
悲しくひびくメロディー
別れのテープは
からみつくだけの邪魔なもの
Good,Good-Bye さよならBaby
とにかくこれで終りにします
Good,Good-Bye さよならBaby
ひとりぼっちは使いすての言葉

(井上陽水『Good,Good-Bye』より)

この後にリリースしてきたのが『青い闇の警告』で、井上陽水は聞き手に背伸びをして聴くことを要求してきた。 面白いのは、このとき彼の歌声が別人のように変わっていたことだろう。 いまだ眠っている人々の潜在意識に語りかけ、正気を取り戻させるような神秘的な声になったのが、このときだった。 天職に就任したシンガーは変身して声がわりするのである。

矢印マーク 招待状のないショー

1976年―井上陽水28歳のアルバム
『Good,Good-Bye』収録


一方の村上春樹の場合は、能力を覚醒させた人物が尾田栄一郎と同じ失敗をしでかさないように、小説の地の文や登場人物の台詞でさりげなく警告を発するようになっていった。

―  能力があっても、残念ながらそれだけでは十分じゃないんです。 そして考えようによっては、十分ではない優れた能力を持つってことは、まったく何も持たないよりかえって危険かもしれません。  ―
(村上春樹『1Q84 BOOK2』 第6章(天吾)我々はとても長い腕を持っています)

人々の中には村上春樹作品を好まない者も多く、彼の出す作品は全部叩いてやろうという誹謗者たちの得々とした攻撃が、かえって彼の小説の売り上げに貢献した。 大衆は流行しているものにはとりあえず手を出しておかなければ気が済まないから、村上春樹作品の価値なんか誰も分かっていなかったのに、人々は背伸びをしながら読んできた。 こうした社会現象は、人々が彼の作品に対してまったく無関心であることは、ほとんど不可能であったという事実を裏書きする逸話だろう。

矢印マーク 1Q84 BOOK2

2009年―村上春樹61歳厄年の集大成


このあたりのことを和尚はこんな風に語っている。

才能が目覚めた人物の直面する問題


偉人には問題がつきまとう。 というのも彼らと大衆との間にはあまりの開きがあるからだ。 可能性は二つしかない。

一、偉人の方が大衆のところまで降りてくる

それは不可能だ。 なぜならば、それは起こり得ない。 それは不自然なことだから。

二、あるいは大衆が背伸びをする

それがただひとつの可能性であり、それには時間がかかる。

和尚『TAO2』P.458 第9話 穏やかな静けさについて


僕は尾田栄一郎のように大衆のところまで降りていくようなマネは絶対にしたくなかった。 そんなことをしたらせっかく覚醒してきた才能がつぶれてしまう。 第一そんなものは天職じゃない。 人間にとって生きざまというのは大事なことなのだ。 生まれ方は選べなくとも、生きざまは選べる。 僕は村上春樹や井上陽水のように求道者たちを導く仕事をしたかった。 なのに正師・秀爺は僕の歩いている道の先にはいなかったのである。

<<なに言ってるんだよ。何でオマエがこんなことも分からないんだよ!?>>

僕は理解者だと信じていた人物に裏切られた気分を味わった。 それは麻酔を打たれて意識がもうろうとしていくなかで、いいようにサンドバックにされているようなものだ。 日常を持ちこたえるために自分を支えてきたものが足もとから崩れ落ちてゆく…。

矢印マーク TAO 永遠の大河2〜OSHO老子を語る〜

必要なのは真っ直ぐ生きることだけだ
ほかには何もいらない
それが道なのさ


正師の正師たる理由

正師・秀爺の投稿してくる言葉は、表現がきわめて曖昧で、中心がぼかされ、幼稚でアホっぽかった。 僕の置かれている状況のすべてを見透かしているようであり、そうではないようでもある。 何か意図があってわざとそうしているのか、それともさしたる意図など何もなくてただアホなだけなのか。 さぐりを入れてもはぐらかされてしまったため、僕にはどうにも判別できなかった。

そんな正師・秀爺の投げてくる言葉は、とにかく僕を緊張させた。 そこには僕を緊張させる何かが含まれていたのだ。 その言葉の意図を考えれば考えるほど、いいしれぬ不安と恐怖が流れ込んできた。 たぶんその理由のひとつは理解者を失いたくないという緊張だったとおもう。 すなわち孤独への不安と恐怖だ。 それともう一つ。 <全体>を一瞥(いちべつ)させられたことによる緊張もあっただろう。 いわゆる未知なるものへの不安と恐怖である。

恐怖とは何だろう?


恐怖とは何だろう?

恐怖とは存在と何のつながりもないという感覚だ。 これを恐怖の定義にするといい。 存在と何のつながりもない状態が恐怖なのだ。

和尚『TAO4』P.95 第2話 Q&A マスターをしたたかに殴りつけよ


正師・秀爺の投稿してきた言葉によって、僕は内に抱えていた障害物を取り除くことになった。 けれども、そのとき僕が一瞥していたのは正師・秀爺その人ではない。 その言葉の背後にある存在―<全体>だったのだ。 理解者だと信じていた人物に裏切られた気分を味わったとき、僕は孤独の不安と恐怖のなかで<全体>を一瞥したのである。

正師・秀爺は<全体>のはたらきが生じる焦点だった。 <全体>の智慧がその焦点の背後にはたらいていたのである。 その<全体>の智慧を垣間(かいま)見る感覚は絵画教室でヌードモデルをしている気分に近いかもしれない。 そこではまったくの丸裸にされてしまう。 それゆえの緊張なのだ。

正師・秀爺は<全体>から何らかのメッセージを運んでくる役割を担っていた。 その点では間違いなく僕が関係を結ぶべき正師だったのだけれど、その実態はただの腐れ神だったのである。

矢印マーク TAO 永遠の大河4〜OSHO老子を語る〜


必要なのは真っ直ぐ生きることだけだ
ほかには何もいらない
それが道なのさ


その腐れ神が運んでくる<全体>からのメッセージの意味は、村上春樹の『1Q84 BOOK2』に描かれている。 ちょうど牛河という登場人物が腐れ神に相当するので、牛河の台詞から腐れ神の運んでくるメッセージの意味を読み解いてみよう。

青雲水

腐れ神の生態の牛河的考察

緑雲水

村上春樹作品の特徴は登場人物の年齢や設定が現象世界の出来事とは微妙にズレているところにある。 井上陽水作品の場合は描かれている寓意が現象世界の出来事とそのまま符合するのだけれど、村上春樹作品にはそういうことがない。 これは本人があくまでも読みものとして物語を立ち上げているからなのだろう。 したがってその寓意を読み解くには現象世界の出来事に合わせて読みかえる必要がある。 『1Q84』もそんな ややこしい物語なのだけれど、その寓意を現象世界の出来事にあわせて読みかえると、こういうことになる。

主人公は1984年に10歳だった男女―川奈天吾と青豆雅美。 天吾と青豆は小学校の教室で出会い、その後は別々の人生を歩む。 1984年は10歳の僕が小学校の教室でぷっつんレディ1号と出会った年だから鮮明に覚えている。 そのときボクの心の中にいずれ出会うことになるひとりの天使のための一定の空間ができた。 この一定の空間のことを小説では空気さなぎと呼んでいる。 『1Q84』という小説は1973-74年生まれ世代のツインレイの物語なのだ。

また、これに続く記事で詳しく解説することになるのだけれど、徳永英明が『壊れかけのRadio』で「何も聴こえない 何も聴かせてくれない」と歌った1990年まではツインレイの男女が出会うための地図が流行歌として創造されていて、その創造の蛇口が閉じられはじめたのが1984年だった。 つまりわが国の創造の時代は1984年で止まっていることになる。 あたかも時空が歪んでそれまでの創造の世界が1Q84年という別世界に移行してしまったかのように。 僕らはいま21世紀を生きているつもりでいるけれど、実は創造性の失われた1984年の世界に、いまでも取り残されたままになっている。

やがて天吾と青豆が成長して29歳になったとき、神隠し現象によって、それぞれ別々に1984年の世界から1Q84年の世界に迷い込む。 その世界にはツインレイのからくり― 空気さなぎの成り立ち ―の秘密を握っている宗教団体が存在し、その周辺で起こる事件に巻き込まれていくうちに天吾と青豆はその秘密を暴いてしまう。 ほどなくして天吾はツインレイのからくりを描いた小説を書きはじめ、青豆はツインレイのからくりを語る能力を持つ次世代の霊媒を身ごもる。 1Q84年の世界で再会した二人は1984年の世界に一緒に戻ってくる。 やがて天吾と青豆の子供が成長したとき、創造の時代が再びめぐってくるだろう。

と、こんな感じで『1Q84』というのは1973-74年生まれ世代の使命を描いた小説で、世の中に救世主伝説を流布する預言書みたいな性格を持っていた。 したがって他の世代の人たちにはあまり面白くもない小説だとおもうのだけれど、出版されたときは社会現象になって異様な売れ方をした。 それは物語の面白さによるというよりも、この小説の持っている時代的メッセージのせいだったとおもう。

それで、ここで話題にあげる牛河という登場人物は、ツインレイのからくりの秘密を握っている宗教団体が、小説家としての才能を覚醒しはじめた天吾の口封じをするために送り込んできた刺客という設定になっている。

(『1Q84』牛河の台詞にみる)腐れ神の生態1 〜 出現時期 〜


 しかしいいですか、話の流れからすると、どうやらあなたは何かを世間に向けてべろっと解き放ってしまったみたいです。 あなた自身にも何のことだかよくわからないうちに。 そいつは場合によっては、ひどく危険なものになりかねないようです。 それがどれくらい危険なものなのか、どのように危険なものなのか、私のクライアントはよく承知しています。 そしてその危険に対処するある程度のノウハウも持っています。 だからこそ我々はあなたに、援助の手を伸ばそうとしているのです。

村上春樹『1Q84 BOOK2』 第6章(天吾)我々はとても長い腕を持っています


腐れ神は、自分の能力を覚醒させた人物が、大衆のところまで降りていこうとせずに、大衆に背伸びをさせようとするときに現れる。 R・シュタイナーの運命の試練によると風の試練に入ろうとする直前の時期のことで、求道者がそのまま先に進まないように警告を与える役割を担っているらしい。

運命の試練モデル(布施仁悟型)
図:布施仁悟(著作権フリー)


僕は29歳から『1Q84』で描かれているところの1Q84年の世界に迷い込み、才能を覚醒させることに成功した。 そして40歳の10月からは『かなりキワどい坐禅作法』のインスピレーションを受け取りはじめることになる。 その中には悟りの軌道理論やツインレイの法則や渾沌の構造や神隠し現象についての真相が含まれていて、これらの知識は来たるべき新時代へと人類を連れて行く可能性を秘めていた。

しかしながら、時代の変化を歓迎しない人たちにとっては、これは思考犯罪とでも呼ぶべきものだ。 インターネットの片すみで公開しているだけなら、それほどの影響力は持たないけれども、これが出版されて時代の旗ふり役になったり、どこかの世代の代弁者にでもなったら危険なことになる。 そこで尾田栄一郎のように、中途半端をして水の試練のところで手を打つのか、それとも村上春樹や井上陽水のように、天職に就くために風の試練に志願するのか。 腐れ神はその岐路に立って水の試練のところで手を打つように迫ってくる。

(『1Q84』牛河の台詞にみる)腐れ神の生態2 〜 あきらめの勧告 〜


 彼らがあなたに求めるものは沈黙と忘却です。 今回のものごとにあなたは関与した。 しかしその意図や事情を知らずにやったことです。 命令されるままに動いていたただの兵隊さんです。 そのことに関してあなた個人を責めるつもりはありません。 ですから、ここであったことを何もかも忘れていただければ、それでけっこうです。 ちゃらにしちゃえます。

 私が言いたいのはですね、世の中には知らないままでいた方がいいこともあるってことです。 真相を知ることはあなたを傷つけます。 またいったん真相を知れば、それに対する責任を引き受けないわけにはいかなくなる。

村上春樹『1Q84 BOOK2』 第10章(天吾)申し出は拒絶された


要するに、このあきらめの勧告が正師・秀爺が<全体>から運んできていたメッセージだった。

僕が彼の言動にいちいち当惑させられた原因は、正師・秀爺は、自分が腐れ神に成りさがり、人の足を引っ張る交渉代理人になっていることにまったく気づいていなかったことにある。 <<覚者がこんなにバカなはずがない、きっと何か意図があってわざとやっているに違いない>>…そう思っていた。 でも現実はこういうことだったのだ。

― バカは悟っても治らない ―

(『1Q84』牛河の台詞にみる)腐れ神の生態3 〜 第三の眼 〜


 繰り返すようですが、私はただの交渉代理人に過ぎません。 細かい事情背景はよく知りません。 限られた情報しか与えられていません。 たっぷりとした情報の水源も、私のところまで下りてくるころには、ぽつんぽつん という したたり みたいなものに細っています。 私はクライアントから限定された権限を与えられ、こう言うようにと指示されたことを、そのままあなたにお伝えしてるだけです。 どうしてクライアントが直接連絡してこないんだ、その方が話が早いだろう、どうしてこんなわけのわからない男を仲介人にしなくちゃならないんだ、とあなたはお尋ねになるかもしれない。 どうしてでしょうね。 私にもわかりません。

村上春樹『1Q84 BOOK2』 第6章(天吾)我々はとても長い腕を持っています


腐れ神のやっかいなところは中途半端に悟っていることだろう。 いかにも芝居がかっていて思わせぶりな言葉をいくつも投げてくる。 しかも、その背後にはたらいている<全体>の智慧を読み解けば、そこに嘘つきダイヤモンドが転がっているものだから、すべてを見透かされているように思えてしまうのだ。

そのからくりがわかってきたのは、41歳で迎えた2015年8月20日早朝5時頃―僕の眉間のクタスタの結節が解放されたときからだった。 そのときからは、いかにも芝居がかっていて思わせぶりな言葉を僕自身も投げるようになっていった。 つまり正師・秀爺と同じように相手のすべてを見透かしているような眼を持つようになったのである。 正師・秀爺が持っていた「俺はおまえの知らないことを知っている」という印象を与える眼…それは第三の眼だったのだ。

第三の眼を持つと上記の牛河が語っているように、実は何も見透かしてはいないのだけれど、相手にそういう印象を与えるようになる。 しかもそういうときに語ることは、表現がきわめて曖昧で、中心がぼかされ、幼稚でアホっぽくなる。 まったく自分でも嫌になるくらい。

「布施さんの言う事って全般的に分かりにくいですよ」
「何を根拠にそう言うのかが分かりません」
「聞く側としては困りますよ」

ブログを運営していて読者とメールでやりとりをしていると、こういうことをよく言われた。 そういう時はいつも気の毒だとおもってきたのだけれど、僕はふつつかな私見を述べる権限を与えられていただけで、はっきり回答することができなかったのである。

(『1Q84』牛河の台詞にみる)腐れ神の生態4 〜 ふつつかな私見 〜


 「申し訳ないですが、川奈さん、私はただのお使いに過ぎません。 クライアントから送られたメッセンジャーです。 原則的なものごとについて、できるだけ婉曲(えんきょく)に話すというのが、今のところ私に与えられた役目になってます」 と牛河は慎重な声で言った。 「あなたをじらしているみたいで申し訳ないですが、こいつは曖昧(あいまい)な言葉を使ってしか話せないことなんです。 そして正直に申しまして、私自身の知識もかなり限定されたものです」

 「私はなんとなく思うんですがね、川奈さん、それは『はい、こういうもんですよ』って他人が簡単に解答を差し出せるものではないんじゃないでしょうか。 それは川奈さん自身が自分で出かけていって、額に汗して発見しなくちゃならんことじゃないでしょうか。 しかしあれやこれやの末にそれを理解したときにはもう遅すぎる、ということにもなりかねません」

村上春樹『1Q84 BOOK2』 第6章(天吾)我々はとても長い腕を持っています


腐れ神だけではなく、運命の転機に現れるハディルも全般的にこういう性質を持っている。

ブログのコメント欄やメールでやりとりをしていた人たちのほとんどが、この性質を理解しようとせず、即座の回答を欲しがった。 おかげで「あれやこれやの末にそれを理解したときにはもう遅すぎる」という事態になってしまったのは言うまでもない。 それは正師・秀爺も例外ではなかった。

(『1Q84』牛河の台詞にみる)腐れ神の生態5 〜 沈黙の捨てゼリフ 〜


 「けっこうです」と牛河は言った。 「なんにせよお返事をうかがえてよかった。 答えはノー。 申し出は拒絶された。 はっきりしてわかりやすいです。 上の方にそのまま伝えます。 私はただのしょうもない使い走りですから。
 それに答えがノーだからといって、あなたの身にすぐさま害が及ぶと決まっているわけじゃありません。 及ぶかもしれない、と申し上げているだけです。 何ごともなく終わってしまうかもしれません。 そうなるといいですね。
 いや、嘘じゃなくて、ほんとに心からそう思ってるんですよ。 というのは、私は川奈さんに好意を持っているからです。 あなたは私に好意なんか持ってほしくもないでしょうが、それはまあいたし方ないことです。 わけのわからん話を持ち込んでくる、わけのわからんちんの男ですからね。 見かけだってこのとおりみっともないの限りです。 昔から人に好かれて困るというタイプじゃありません。 しかし私の方は川奈さんに、あるいはご迷惑かもしれませんが、好感のようなものなど抱いております。 あなたがこのまま何事もなくうまく大成なさればいいんだがと考えております。
 そろそろ失礼しますよ。 そうですね、私があなたの前に姿を見せるのは、これがおそらく最後になるはずです」

村上春樹『1Q84 BOOK2』 第10章(天吾)申し出は拒絶された


人間関係は一期一会(いちごいちえ)だ。 腐れ神もまたハディルの一種であるから、自分の果たすべき役割を終えたら去っていく。 そのとき残していく沈黙の捨てゼリフはこういう内容のもののような気がする。

僕の場合、『縁覚道の地図4〜空はこんなに青いのに〜』で下の文章を書いたとき、腐れ神の申し出を拒絶して風の試練に志願することになったらしい。 正師・秀爺との運命的な関係も、そこでひとまず切れていたのかもしれない。

(41歳になったばかりの)布施仁悟、風の試練に志願する


R・シュタイナーによると悟りに至る道の秘密は導師たちによって守護されているという。 たしかに“悟りの軌道理論”の書かれた文献を私は読んだことがない。 そのため、この知識を公開することにはためらいを隠せないというのが本音ではある。

しかし、これが一般的に知られてはならない秘伝とされることよりも、一般的知識として知られることにより精神分裂症のリスクを回避することの方が、21世紀の現代においては、むしろ、有益であると私は考える。

ゆえに、私は書く。

たとえ、達磨や六祖にヤメテオケと言われても、もはや、この私を止めることは不可能だろう。 これ以上、無駄な悲劇に直面するのはあまりにつらすぎる。 その是非の判断はただ天命に委ねるばかりだ。

『縁覚道の地図4〜空はこんなに青いのに〜』(2015.3)より


正師・秀爺と僕の見解の相違は、彼が水の試練や風の試練に志願しなかったオカマチキンだったことに起因していた。 そこで『縁覚道の地図』とそれに続く『アニムスの歌を聴け』で、正師・秀爺の抱えている問題点を指摘して見解の相違を埋めていこうとしたのだけれど、彼が僕のもとから離れていく力を食い止めることはできなかった。 いつのまにか彼は引き潮にさらわれる小舟に乗って目路(めじ)のとどかない遥か遠くへいってしまった。

正師・秀爺は臆病者だっただけで、まだオツムは逝っていない…それが僕の意見だった。 もしも彼のために老婆心で書いていた僕の記事をちゃんと読んでいれば、彼にもまだ水の試練や風の試練に志願する機会が残されていたのではないかとおもう。 しかし二年後に彼がコメント欄にぶらりとやってきたときには、すでに時節を取り逃がして手遅れになっていた。

腐れ神の末路


千と千尋はのう、中心線の話にワシは思える。

それは、一人の「千」という線の細い子が一般的なまかれた大人を対比させてえんがちょして、中心線を作り上げていくのじゃ。 本当の大人は子どもの体に線が通っていくことじゃが、一般的な大人は子ども+鎧じゃな。 それでは立命にはならんのじゃ。

舞台は風俗産業をモチーフにしていると宮崎監督も言っておる。 あの湯屋はそれにあたる、つまり性欲じゃ。 最初にいかにも、一般的な父、母が食べ物をあさりブタになる、食欲じゃ。 そして、顔なしが金をばらまき、一般的な人々が飛びつく、金欲じゃな。 つまり、性欲にひたると魔女に支配され、金欲にひたると顔のない実体のないものに食い物にされ、食欲にひたると豚のように飼いならされるという事じゃ。

ここで、大事なのは、映画でてくるような極悪人がそうなるのではなく、テレビを見ている一般的な善良な仮面を被っているあなたこそ、そうなってないですか?という投げかけではないだろうか、、、

話が戻るが、そこに「千」― 線という子がその欲と距離を保ちながら、顔なしを改心させ、龍を従え、魔女を報復させ、父母を助けるといったふうにも見えるんじゃがのう。

2017年3月19日のコメント


支離滅裂だった。 物語という概念そのもの…いやそれだけじゃない、人間関係の原則を意図的に冒とくしているとしかおもえない発言だった。 『千と千尋の神隠し』は水の試練や風の試練の寓意になっていて、その試練を体験したものにしか意味を読み解くことはできない。 彼があれからの二年間を無駄に過ごしていたことは明白だった。

この世界を動かしている人間関係の原則はギブ・アンド・テイクだ。 一方的にカードが投げられる不平等条約を締結するようなことは決してない。 だから誰かと人間関係を結んだなら、僕らは相手の言動の背後にある<全体>からのメッセージを心して聴かなくてはならない。 その声に注意深く耳を澄ませるコツさえつかめば、誰とつきあっても不均衡な貿易を続けている気分になることはないだろう。 互いに今なにをすべきかという時節を教えあうのが運命の転機に現れるハディル―人間関係だからだ。

この腐れ神についての考察はあるいは間違っているのかもしれない。 そして間違っていればいいともおもう。 でも、このように考えると、いろんなものごとが僕の中で自己完結し、いくつもの疑問がうまく解消されていくのである。

罪と美徳


私に言わせれば、世の中に罪悪というのはたったひとつしかない。 それは自分の天命をまっとうしないことだ。 そして美徳というのもひとつしかない。 自分がそうと定められたものになることだ。 人と競わずにね。

和尚『TAO4』P.65 第1話 先頭に立つべからず


ここからはR・シュタイナーの語っている第三の風の試練ついて考察していこう。

腐れ神が去っていくとき、置き土産として苦団子(にがだんご)を残していくことが『千と千尋の神隠し』に描かれている。 その苦団子は伝家の宝刀だ。 風の試練の最中の適切な局面で使うと修行者の強力な武器になってくれる。 そのあたりの事情も含めて風の試練の概要を知っておくといいとおもう。


風の試練ついて1 〜 忘却の飲み物 〜

第三の風の試練ついて1 〜 忘却の飲み物 〜


 今述べたところにまで成熟した志願者は象徴的に「忘却の飲み物」といわれているものを受ける。 すなわち低次の記憶に邪魔されることなく、いつでも霊的な働きに集中できる方法を伝授される。 これは導師となるには必要な事柄である。
 なぜなら導師は常に現在の状況に直接向い合うことができなければならないからである。 どんな時にも人間を取り巻いている思い出というヴェールを取り除くことができなければならない。 もし私が今日の事件を昨日の経験に従って判断するとしたら、さまざまの誤謬に陥ることになりかねない。

R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.106 霊界参入の三段階


風の試練に志願したときにまず僕を悩ませたのは、ぷっつんレディ2号にまつわるわざとらしい偶然の記憶だった。 だいたい彼女は一度しか会話を交わしたことのない女の子だったのだ。 それが何で今さら浮上してくるのか僕にもわけがわからなかった。

それは一般的に赤い糸と呼ばれている運命のイタズラなのか、かつて抱いていた憧憬や未練みたいなものが未解決のまま潜在的に残っていて執拗(しつよう)に具象化されてきているのか、それとも、なにか別の想定外のからくりが働いているのか、うまく判別できなかった。

そのとき僕のとった行動は、とりあえず記憶のトリックに引っかかってみるというものだったのだけれど、2号は高校の同窓会の幹事をやっていて、彼女が僕をひとりの天使へと導いてくれたようなものだから、2号もまたハディル的な役割を担っていたと考えられる。 その存在は井上陽水の『氷の世界』や『青い闇の警告』にも登場してくるとはいえ、2号のハディルとしての生態はやはり謎のままだ。

そこで「忘却の飲み物説」というのを勝手にぶち上げて生態分析をしてみよう。 それは「人間を取り巻いている思い出というヴェールを取り除く試練を与えるハディルだった」という仮説だ。

(村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』にみる)人間のピークのお話


 奇妙なことには人間にはそれぞれにピークというものがある。 そこを登ってしまえば、あとは下りるしかない。 それはどうしようもないことなのだ。 そしてそのピークが何処にあるのかは誰にもわからない。 まだ大丈夫だろうと思っている、そして突然その分水嶺がやってくる。 誰にもわからない。
 あるものは十二歳でピークに達する。 そしてあとはあまりぱっとしない人生を送ることになる。 あるものは死ぬまで上り続ける。 あるものはピークで死ぬ。
 多くの詩人や作曲家は疾風のように生きて、あまりにも急激に上りつめたが故に三十に達することなく死んだ。 パブロ・ピカソは八十を過ぎても力強い絵を描き続け、そのまま安らかに死んだ。 こればかりは終わってみなくてはわからないのだ。

 俺はどうなんだろう、と僕は考えてみた。

村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス(下)』25章


これは村上春樹が39歳の時に世に送り出した『ダンス・ダンス・ダンス』という小説の一節で、社会現象となった『ノルウェイの森』の次に発表された作品だったから、中学生の僕は相棒(バディ)たちと競うようにして背伸びしながら読んでいた。 『ダンス・ダンス・ダンス』は興菩提心体験ぷっつん体験の意味を教える非常に高度な内容で、「現代のウパニシャッド」と形容できるくらい見事な小説なのだ。

もちろん中学生の男の子が理解できるはずはなかったのだけれど、それでも14-16歳という思春期に村上春樹作品に触れたことは貴重な体験で、特にこの人間のピークのお話は僕の生きざまを形成してきたような気がする。 これを読んだ頃から、ぷっつんレディ1号と2号が僕の目の前でピークに登りつめ、あとは下りていくばかりとなってしまったからだ。

矢印マーク ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

1988年-村上春樹「創造の病」の決意

“興菩提心体験”と“ぷっつん体験”を主題にした村上春樹作品の中核となる小説…僕の青春の一冊


そういう現実をみてきた青年の心情を巧みに表現した歌がある。

映画をみるならフランス映画さ
若かった頃の君と僕の想い出ばなしは
君が手を振りきった二十歳の時
埋もれ陽の道に すべては消え失せた

僕らは飛べない鳥じゃなかったはず
翼を広げたら きっと飛べたんだ
僕らは飛べない鳥じゃなかったはず
君は翼がある事を知って恐かったんでしょう

わかれるために君を抱きしめたんじゃない
燃え尽きるほど二人 生きちゃいないじゃない
大都会 そんな痛みに傷ついた街に
ほんとの君は なぜ死んでしまったの

ポップコーンをほおばって
ポップコーンをほおばって
天使たちの声に耳を傾けている

(甲斐よしひろ『ポップコーンをほおばって』(1975)より)

この『ポップコーンをほおばって』を書いた甲斐よしひろは、かつて創造されていたツインレイの男女が出会うための地図の要(かなめ)となる部分を担当していた天才詩人で、彼の歌はこれから再発見されて見直されていくことになるとおもう。 僕は大学一年生だった19-20歳の頃に甲斐よしひろの歌をよく聴いていた。

人間には内省的歳月と実証的経験によってしか身につかない美しさがある。 それは若さゆえのいくぶん持てあましぎみな美しさとはまったく違う質のもので、もしも、いかがわしい抜け道を見つけて近道をしたらその美は手に入らない。 その後に残された<生>は心地よい陰鬱さに酔っているような手応えのない日々でしかないだろう。 42歳までの人生では、そのいかがわしい抜け道を見つけた人にピークが訪れる。 いわゆる引退の花道だ。

十代の僕がぷっつんレディ1号と2号にみていたものは、彼女たちが卵を割らないようにそっと抱えて込んでいた大事なものが損なわれていく様子だったような気がする。

― 僕らは飛べない鳥じゃなかったはず ほんとの君はなぜ死んでしまったの? ―

一般的なアイドルの賞味期限が16-21歳であることを考えればわかると思うけれど、そこで人生のピークを迎えてしまう男女がいる。 とりわけ高校の教室でピークを迎えていた17歳の2号は美人でとても可愛かった。 だから余計につまらないところで翼をたたんでしまう彼女が哀れにみえてしまったのだ。 そのとき彼女は僕と正反対の宇宙の星に行こうとしていた。

どんなに素敵な女性と出会っても彼女たちは遅かれ早かれ手の届かないところに行ってしまう…これは求道者として生きてきた僕の宿命みたいなものだった。 とりわけ2号は僕が背を向けてきた宇宙で最も輝いてみえた星だから、訣別すべき世界の象徴みたいなものだったのかもしれない。 このことは村上春樹の『1Q84 BOOK2』でこんな風に表現されている。

(『1Q84 BOOK2』にみる)求道者の男の宿命のお話


 彼女たちの中には、天吾が本当に求めているものはどうしても見出せなかった。 美しい女もいたし、心の温かい女もいた。 彼を大事にしてくれる女もいた。 しかし結局のところ、鮮やかな色合いの羽をつけたいろんな鳥たちが、枝にとまってはまたどこかに飛び立っていくみたいに、女たちはやってきて、そして離れていった。 彼女たちは天吾を満足させることができなかったし、天吾もまた彼女たちを満足させることができなかった。

村上春樹『1Q84 BOOK2』 第4章(天吾)そんなことは望まない方がいいのかもしれない


こういうことを描かせたら甲斐よしひろの右に出る詩人はいないとおもう。 彼の詩の言葉は触れただけで血が噴き出してきそうだ。

この世の中を何もなく 晴れた日をめざし
調子よく風に任せて 渡っていく奴もいる
つまずいては起ち上がり よろめきながら生きている
そうさ ほとんどの奴がただ落ちていくだけ

都会という名のガラスのように きらめく街
狭き檻のその中で うごめく人たち
話すことなく僕はしゃべり 聞くことなく耳を傾け
見えない明日を手さぐりで かけ登っていく

暗く流れたルージュのような 摩天楼の下
愛する喜びも憎しみも 痛みとひきかえ
傷つけることだけを ただ覚えた僕は
毎日を指おり数え どこへ行くんだろう

あたたかい人の心も 触れてはみたさ
小さな命よせた恋人も そこにはいたさ
だけども何もかも捨ててきてしまった
ただ引き金の指のように 体ひきつらせている

人生なんてそんな風に 悪い旅じゃないはず
めぐりめぐる人生は 曲がりくねった階段のように

(甲斐よしひろ『らせん階段』(1976)より)

人生は曲がりくねった螺旋(らせん)構造をしているDNAのようなものだ。 最初はどんなにひどい人生にみえても、そのらせん階段をかけ登っていけば、最後には積み重ねられた色々な要素が有機的に絡みあって青空がみえてくるはず…この『らせん階段』は19-20歳の頃からずっと僕の根底に流れていた歌だった。

こう言っていいものならば僕はとてつもなくまっすぐに生きてきたらしい。 しかしそれは世間一般の尺度に照らせば、どこか絶対的にひねくれていることでもある。 誰かと親しい関係になればなるほど、いろんなほころびが顔をのぞかせてきてしまうから、一定の距離を意図的に置いて人とつきあう処世術を身につけてしまった。 きっと、拒絶されて遠ざけられているという印象を避けがたく与えてきたことだろう。 おかげで慰めたり励ましたりしているつもりなのに、わりに人を傷つけることがあって、そのことで僕自身も傷ついてきた。

でも1号や2号は宇宙の反対側から親しげに近づいてきてくれた。 僕は彼女たちを傷つけることが怖くなって、一定の距離を意図的に置いてしまったのかもしれない。

― あたたかい人の心も触れてはみたさ だけども何もかも捨ててきてしまった ―

そこへいくと4号は特別だった。 4号の持っていたハディル的性質については『1Q84』の安田恭子という登場人物がそれに当たるので、参考になるとおもう。 もしも求道者の男なら、宇宙の反対側の女たちを見限ったとき、こういう異性と出会うはずだ。

(『1Q84』の安田恭子にみる)ぷっつんレディ4号の持っているハディル的性質


 大方の女性は、性的な関係を持っているにせよいないにせよ、天吾を居心地悪くさせた。 そしてそのような居心地の悪さを抑制するために彼は、自分の中のある種の領域をうまく囲い込んでおかなくてはならなかった。 別の言い方をするなら、心の部屋のいくつかをしっかり閉め切っておかなくてはならなかった。
 しかし安田恭子を相手にしているときには、それほど複雑な作業は必要とされない。 彼女は天吾がどんなことを求め、どんなことを求めていないのか、とりあえず呑み込んでいるみたいだった。 だから彼女と巡り合えたことを、天吾は幸運だと考えていた。

村上春樹『1Q84 BOOK2』 第6章(天吾)我々はとても長い腕を持っています


その特別だったはずの4号も、僕が風の試練に志願しようとする頃から損なわれていった。 どのようなかたちにおいても、そこから先へは連れていけないことが明るみに出てきてしまったのだ。

― 小さな命よせた恋人もそこにはいたさ だけども何もかも捨ててきてしまった ―

2号の姿をテレビで観たのは、そんな時だった。 どこかで根本的な手違いが起こって、彼女が僕と同じ宇宙の星にやってきて同じ言葉を話すようになったのかもしれないと、ささやかな奇跡を期待してしまった。

僕のテレビは寒さで 画期的な色になり
とても醜いあの娘を グッと魅力的な娘にしてすぐ消えた

(井上陽水『氷の世界』(1973)より)

僕はばらばらになって元に戻せなくなった人生の破片をもう一度かきあつめようとした。

誰か指きりしようよ
僕と指きりしようよ
軽い嘘でもいいから
今日は一日 はりつめた気持でいたい

小指が僕にからんで
動きがとれなくなれば
みんな笑ってくれるし
僕もそんなに悪い気はしないはずだよ

(井上陽水『氷の世界』(1973)より)

しかしそのとき克服しなければならなかったのは、むしろこうした、すでに損なわれた人たちを取り戻そうとする衝動だったのだ。

すでに損なわれた人たちと交流しようとする心の扉を閉じると、その閉ざされた心の内側に、ものごとの真相をゆがめて観せている低次の記憶のからくりが誇張されて照らし出されてくる。 それが忘却の飲み物(低次の記憶に邪魔されることなく、いつでも霊的な働きに集中できる方法)だった。

正師・秀爺にしても、すでに損なわれた人という意味では同じことで、腐れ神に成りさがった以上、もう取り戻せないことを理解しなければならなかったのである。

矢印マーク KAI FIVE History Live

1993年-19-20歳の僕をつくったアルバム

甲斐よしひろのいいとこ全部な一枚
『ポップコーンをほおばって』『らせん階段』収録

桃雲水

風の試練ついて2 〜 高次の自我 〜

赤雲水
第三の風の試練ついて2 〜 高次の自我 〜


 この第三の試練にとって必要なのは、速やかに自分自身を取り戻すことにある。 言葉のもっとも真実の意味で自分の「高次の自我」をこの試練の間に見出さねばならない。
 すべての事柄において霊の呼びかけに応じる決意を速やかに固める。 もはやどのような意味でも躊躇、疑惑などに費す時間はない。 ただの一分間だけ逡巡しても、ここではまだ成熟していないことの証明になる。 霊の声に従おうとする気持を邪魔するものは、直ちに克服されねばならない。 大切なのはどんな状況の下でも霊の現存を証明することである。 今この進化の段階で完成させねばならないのはこの能力である。

R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.103 霊界参入の三段階


風の試練に志願して忘却の飲み物の洗礼を受けると、この『かなりキワどい坐禅作法』に書いてきたような高次の知識が啓示されるようになる。

― この能力のおかげで未参入者の目には隠されている多くの事柄が彼には明らかとなる ―
(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.107 霊界参入の三段階)

とは言っても僕の場合は、神がかりみたいな形式で啓示されることはなく、ものごとの洞察力が普通の人たちよりも鋭くなるにすぎなかった。 でも、それはある種の霊媒体質になって天命を授かるということなのだ。 『解脱の真理』のM・ベインもヒマラヤの大師に出会ったときにその天命を告げられている。

M・ベイン、天命を告げられて狼狽する


 「君はある種の稀に見る霊媒なんだ。 君はそういう星の下に生まれたのだ。 この仕事のために君は生まれたのだよ」
 「とんでもありません。私にはそんな値打ちはありません」
 「或はないかも分からない。 しかし君は撰ばれたのだ」
 「それが本当でしたら、それこそどんな試練でも受けます。 しかし、神がかり― Over-Shadowing ―によって語られたことをみんな書いて発表でもしたら、どういう事になりましょう? 眉唾ものだという訳で、誰一人として信じてくれる者はいないでしょう」
 「無智な者は信じないだろうね。 狂信者も信じまい。 しかし元々それは彼らには用はないのだ。 それは形而下の物質的なものを超越した者、それを見るように聞くように地上に於いて撰ばれた者のためなのである。 云われることは全部書き取り、一語も洩らしてはならぬ」

M・ベイン『解脱の真理』 第七章 チベットの風習(二)、愛恋実話


村上春樹も相当な霊媒体質だけれど、とりわけ井上陽水というのは世界遺産的な霊媒体質で、海外のソングライターを探しても彼ほどの霊媒体質はそんなにいない、と言ってもいいとおもう。 肩を並べられるのは2016年にノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランくらいで、あるいはそれ以上かもしれない。 ほとんど化け物級なのだ。

井上陽水の歌は彼自身の記憶や経験からではなく、深層意識の本源から口をついて出てきてしまったものという印象を受ける。 歌われている内容が本人自身のことではないから、誰の身に起こっていることなのか、さっぱり分からない。 彼にだけ見えている誰かに起こる出来事を歌っているとしか思えないのだ。

どうしてそんな歌が創れるのかを井上陽水は語ってくれていない。 けれども同世代のソングライターの谷村新司が、その疑問に答えてくれている。

谷村新司の作曲スタイル


 ミュージシャンの曲作りは人によっていろいろなタイプがあります。 ピアノの前に坐ったり、ギターを抱えてたりして、ひたすらメロディを口ずさんで曲を作る人もいれば、あるいはノートにひたすら歌詞を書いて推敲を重ねるタイプもいます。
 でも昔から私の曲作りはメロディと歌詞が同時に浮かぶケースが大半。 “閃き”というのでしょうか。 何の前触れもなく、新しいメロディが突如としてからだの中で鳴り響きます。 そこに最初から歌詞が乗っていることもあれば、メロディだけがやってくる場合もあります。 まわりのミュージシャンに話を聞いてもそういうタイプはあまりに少なかったので「こういう感じで曲を作るのは自分だけなのかな」と思って曲作りを続けていました。

『谷村新司の不思議すぎる話』P.17-18 第1章 『昴』が教えてくれたこと


谷村新司は井上陽水と同じ1972年にデビューしているのだけれど、この年にデビューした人たちの中には、財津和夫、矢沢永吉、松任谷由実、谷山浩子もいて、彼らは稀に見る霊媒体質だった。 彼らがデビューした1972年から、こういう作曲スタイルで生まれたツインレイの歌が日本中に流れ出し、日本の音楽界に奇跡を起こしはじめたのだ。 彼らの生み出した歌は、それまでの歌とは違う響きを持っていたので、いつしかニューミュージックと呼ばれるようになっていった。 ひと足先に生まれて活躍していた阿久悠が、こんな歌詞で彼らの登場を祝ったのが1972年だったのだ。

あなたに逢えてよかった
あなたには希望の匂いがする
つまずいて 傷ついて 泣き叫んでも
さわやかな希望の匂いがする

町はいま 眠りの中
あの鐘を鳴らすのはあなた
人はみな 悩みの中
あの鐘を鳴らすのはあなた

(作詞:阿久悠 作曲:森田公一『あの鐘を鳴らすのはあなた』(1972)より)

この『あの鐘を鳴らすのはあなた』には霊媒体質の人たちが生み出す歌にみられる一つの特徴がある。 僕はそれを「時空飛ばし」と呼んでいるのだけれど、二番にはいると一気に時空が飛んで未来を語ってしまうのだ。

あなたに逢えてよかった
愛しあう心が戻って来る
やさしさや いたわりや ふれあう事を
信じたい心が戻って来る

町はいま 砂漠の中
あの鐘を鳴らすのはあなた
人はみな 孤独の中
あの鐘を鳴らすのはあなた

(作詞:阿久悠 作曲:森田公一『あの鐘を鳴らすのはあなた』(1972)より)

谷村新司や井上陽水たちは戦後の第一次ベビーブーム(1947-1949)の生まれで、いわゆる団塊世代にあたる。 そしてこの『あの鐘を鳴らすのはあなた』が発表された1972年には、ちょうど第二次ベビーブーム(1971-1974)が起こっていて、いわゆる団塊ジュニアが子宮から生まれ出てこようとしていた。 つまりこれは団塊ジュニア世代の誕生を祝っている歌でもあるのだ。 1974年生まれの僕はその団塊ジュニアなのだけれど、この二番の歌詞は僕らが45歳のミッドライフクライシスを迎えて世に出ていくとき―2019年からの使命が歌われている。 現在(2018年3月)すでに2019年の改元が決まっていて、まさにそこから愛の時代がはじまることを予言した歌なのだ。

矢印マーク Born in 1952 - 愛の世代の前に

1981年―浜田省吾29歳のアルバム
『悲しみは雪のように』収録


かつてニューミュージックの時代を担っていたソングライターたちの使命は、『悲しみは雪のように』を収録した浜田省吾のアルバムタイトルに簡潔に表現されている。

― Born in 1952 - 愛の世代の前に ―

愛の世代の前と愛の世代…それが団塊世代と団塊ジュニアの関係性だった。 団塊世代のソングライターたちは1972年からツインレイの歌のインスピレーションを知覚し、団塊ジュニアはそこから1984年までの子供時代にその歌を聴いて育って実践に移す。 やがてその子供たちが成長して45歳になったとき、その真実の愛の体験を伝えはじめる。

この関係性は、村上春樹の『1Q84』で、ものごとを知覚するパシヴァ(perceiver)とそれを受け入れて周囲に伝えるレシヴァ(receiver)の関係として描かれている。 団塊世代にはパシヴァの能力を持つ霊媒が多く生まれていたから、おそらく団塊ジュニア世代にはそれと対になるレシヴァの能力を持つ霊媒が生まれているはずだ。 知覚する者と伝える者―それぞれに欠けている部分を有効に補い合うパワフルな組み合わせ。 この二大世代は二つで一つになっているらしい。

団塊世代の文化人には、20代からすでに老成している人たちが多くいて、いわゆる飛べる豚ばかりだった。 彼らを北海道に集めたら、そこに一国を築き上げてしまいそうなほどの勢いがあり、自分たちよりも古い世代をはじめから馬鹿にしている気概もあった。

― Don't trust anyone over 30! ―
(30代以上のうすらとんかちには一切耳を貸すな!)

それが彼らの掲げていたスローガンだ。 でも僕たち団塊ジュニアは違う。 僕らの世代の代表が尾田栄一郎であることからわかるように、精神年齢が途中で止まっている中途半端な文化人しか輩出してこなかった。 ほんらい団塊世代に匹敵するパワー世代のはずなのだけれど、本物の能力を秘めた人物は飛べない豚として生まれていて、20-30代ではまだ世に出られなかったのである。 この世代間の能力の違いはR・シュタイナーがこんな風に説明している。

飛べる豚と飛べない豚の違い


 神秘修行なしでもこのような行為を意識することなしに果たすことのできる人たちがいる。 この点も強調しておかねばならない。 このような「人類と世界の助力者たち」は人生の中を祝福と善行を施しながら歩む。 彼らには或る理由によって、超自然的なまでの天性が賦与されている。
 彼らと神秘学徒との相違は、意識的に全体の関連を考慮しつつ行うか否かに過ぎない。 この人たちが霊界の諸存在から世界救済のために授けられたものを、神秘学徒はまさに修行によって獲得する。

R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.096-097 霊界参入の三段階


団塊世代の谷村新司や井上陽水たちは、ものごとを知覚する能力を持つパシヴァだから、超自然的なまでの天性によって知覚したことを歌にしていただけで、それが何を意味しているのかを知らなかったし、説明もできなかった。 彼らが知覚したことの価値を人々に伝えるためには、それを実践した体験から洞察力を磨き、意識的に説明できるようになったレシヴァが必要になる。 僕たち団塊ジュニアはそのために、「神隠し現象の渾沌を切り抜けたあと再び俗世に戻ってくる」という面倒な手続きを踏まなければならなかった。

この『宇宙戦艦ヤマト』は、そんな僕たち団塊ジュニアのテーマソングとして阿久悠が贈ってくれたものだ。 歌詞にある「宇宙の彼方イスカンダル」とは神隠し現象の渾沌のことである。

さらば地球よ 旅立つ船は
宇宙戦艦ヤマト

宇宙の彼方 イスカンダルへ
運命背負い 今 飛び立つ
必ずここへ 帰って来ると
手をふる人に 笑顔でこたえ

銀河をはなれ イスカンダルへ
はるばるのぞむ 宇宙戦艦ヤマト

(作詞:阿久悠 作曲:宮川泰『宇宙戦艦ヤマト』(1974)より)

そういうわけで谷村新司は代表曲の『昴― すばる ―』が誕生したときのことを、こんな風に語っている。 ここには本人が意味もわからず名曲を生み出してしまった経緯が明かされていて、とても興味深い。

谷村新司の語る名曲『昴』誕生秘話


 『昴』の場合、メロディと歌詞が同時に、そして極めて鮮明にやってきました。 長いミュージシャン生活で、あとにも先にも『昴』ほど鮮明なイメージが一挙に降りてきた経験はありません。 「ん?『さらば昴よ』って何?」と歌詞の意味もわからないまま、手が自然に動いて歌詞を書き留めたのです。

『谷村新司の不思議すぎる話』P.17-18 第1章 『昴』が教えてくれたこと


こんな感じだから、この誕生秘話の収録されている『谷村新司の不思議すぎる話』では、自分の作った『昴』の謎を自分で解明していこうとする奇妙な努力の軌跡が綴られている。 結局、よく分からなかったみたいなのだけれど、そういうのは僕たち団塊ジュニアの仕事だから、彼には無理なんじゃないかとおもう。 というわけで僕が世代を代表して『昴』の謎を読み解くとしようか。

矢印マーク 谷村新司の不思議すぎる話

名曲『昴』の誕生秘話を本人が語る
「さらば昴よ」と叫ぶとき、君は自分の使命を知るだろう


ニューミュージック時代のソングライターたちが創造していた「ツインレイの男女が出会うための地図」は、きっちり役割分担がなされていて、基本的に各人の仕事が重複することはなかった。 したがって誰一人欠けても地図は完成しない。 で、谷村新司はこの部分を担当している。

運命の試練モデル(布施仁悟型)
図:布施仁悟(著作権フリー)


谷村新司の『昴』は境域の守護霊と遭遇するときのことを歌ったものなのだ。 境域の守護霊は頭脳分裂が霊的身体であるエーテル体とアストラル体において完成し、肉体に及びはじめるときに出会う。 僕の場合は、夢の中で「脳の手術をはじめます」と告げられたときから、まず境域の小守護霊と遭遇することになった。 それは43歳になったばかりの2017年3月15日のことだった。

境域の小守護霊との遭遇を告げる夢


 僕が総合病院の受付に立っていると横から看護婦が近づいてきて言った。

 「これから脳の手術をはじめます」

 それはいかにも痛そうだと思った私は言った。
 「ほんとに脳の手術が必要なの?」
 すると間髪を入れずに看護婦はこう答えた。
 「はい、傷つけてばかりなんですけど」

 嗚呼、傷跡がハゲとなって残る…そんな愁嘆とともに目が覚めた。

2017年3月15日(布施仁悟43歳)の夢


井上陽水が僕の半生を歌にしていたことを知りはじめたのは、そのときからだった。

それはこういうことだったのかもしれない。 僕が歩むように定められていた半生は愛の時代を生きる次世代のロールモデルになりうる。 そのため井上陽水は僕の半生の意味を読み解く手がかりを知覚して歌にし、その歌の意味を解読して伝えるのが僕の役目だった。 ツインシャドウ―井上陽水は僕のパシヴァであり、僕は井上陽水のレシヴァ。 それぞれに欠けている部分を有効に補い合うパワフルな組み合わせ―最強のデュオ。

いや、そんなことはあり得ない…最初は信じられなかった。 たしかに僕は井上陽水の歌に宿命的な絆(きずな)を聴き取ってきたし、その言動には僕のことが見えているとしか思えないところがあった。 とはいえ、やはり一度も会ったことのない雲の上の人なのだ。 なにゆえ井上陽水と僕が最強のデュオでありうる?

その答えはR・シュタイナーの『いか超』にあった。

民族の指導霊のお話


 家族、民族、人種のいとなみの中には、個々の人間を離れてもまったく現実に存在する家族の魂、民族の魂、人種の霊が働いているのである。 個々の人間とは、或る意味では、これら家族の魂、人種の霊等々の単なる執行機関であるに過ぎないといえる。
 たとえば或る民族の魂がその民族に属する個々の人間を用いて、特定の仕事を成就させるということはまったく真実である。 民族の魂は自己の意図を物質的な感覚世界で実現するために、個々の人間の肉体を道具として使用する。 それは次元は違うが、あたかも建築家が建物の細部を仕上げるために、職人を使うのと共通している。
 どの人間も言葉のもっとも真なる意味で、家族の、民族の、もしくは人類の魂から自分の演じるべき役割を与えられている。

R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.236-237 境域の守護霊


井上陽水本人が僕に語りかけてきていると考えると、どうしても無理があった。 けれども民族の指導霊が最強のデュオを実現させようとしていると考えると合点がいった。 たしかに現象を分析して体系化する僕の能力は井上陽水に欠けている部分を有効に補うことができる。

境域の小守護霊と遭遇することは、こうした民族の指導霊の存在に気づくことと同義だった。

民族の指導霊による計画と果たすべき義務


 けれども感覚的人間は自分の仕事のこのような高次の計画については決して知らされていない。 彼は無意識的に民族や人種の魂の意図に従って働いている。
 修行者は、境域の守護霊と出会った時から、彼自身の個人的な立場を意識するのみならず、民族や種族によって与えられた使命に対しても意識的でなければならない。 彼の視野が拡がるにつれて、彼の果たすべき義務範囲もまた拡がる。

R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.236-237 境域の守護霊


谷村新司の『昴』は、境域の小守護霊と遭遇して民族の指導霊による高次の計画を知るこの情景からはじまる。

昴1
谷村新司『昴― すばる ―』(1980)


この『昴』のはじまりの情景はR・シュタイナーの『いか超』にそっくり解説されている。

目を閉じて何も見えず…


 今や修行者の前に完全な闇が拡がる。 境域の守護霊自身から放射される輝きが、その闇を時折中断するだけである。 そしてこの暗闇の中から、この守護霊の次なる警告の声が響いてくる。

 「おまえ自身、この闇に光を当てることができるまでに輝け。 それができぬ間は、私の境域を通過しようとするな。 おまえ自身のカンテラに十分燃料が備わっていると確信できるまで、一歩も前へ進もうとするな。 これまでおまえを導いてきた者たちの明かりはもはやこれからは存在しないのだから」

R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.239 境域の守護霊


この闇は風の試練の最後に待っているトンネルの闇だ。 このトンネルの前に立つときの助言が『千と千尋の神隠し』にある。

― 元きた道をたどればいいんだ。でも決して振り向いちゃいけないよ。トンネルを出るまではね。 ―
(byハク 『千と千尋の神隠し』より)

このトンネルは神隠し現象の渾沌を抜けて俗世に戻るための魔法の通廊になっている。 重要なのは決して振り向かないこと…どんなに哀しくとも、すでに損なわれた人たちへの感傷を断ち切ることだ。 そうして元きた道をたどりながらトンネルを歩むとき、民族の指導霊から与えられた自分の使命を知ると同時に、どうやって神隠し現象の渾沌に導かれてきたのかも知ることになる。

哀しくて目を開ければ…


 この言葉を聴いて、修行者は思わず振り向き、眼差しを後ろへ向ける。 すると境域の守護霊はこれまで人生の深い秘密を覆っていたカーテンを取り払う。 血族、民族、人種の守護霊たちがそのありのままの姿を現す。
 そして修行者は自分がこれまでどのように導かれてきたのかを明らかに悟るのみならず、今後もはや、このような指導を受けることはないであろうと悟る。

R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.239 境域の守護霊


団塊ジュニアの僕は団塊世代の作家やソングライターたちの背中を追いかけて生きてきた。 彼らは民族の指導霊から導き手の使命を背負わされていたからだ。 でも僕が俗世に戻るための魔法の通廊の前に立ったとき、彼らはその役目を密やかに終えようとしていた。

― Good Luck! ―
(井上陽水2017年コンサートツアータイトル)

昴2
谷村新司『昴― すばる ―』(1980)


ニューミュージックは1984年を境に衰退していき、華やかな創造の時代は1989年に昭和とともに終焉を迎えた。 そうして何もかも平らにしなければ気の済まない平成の時代になると停滞期が訪れ、人生の現実から逃避して気持ちよく昏睡するための子守歌ばかりが流行するようになった。 それら1990年以降の歌はもはやニューミュージックではなかったため、J−POP(ジェイ・ポップ)と呼ばれるようになっていった。

インドの宗教哲学は、こうした時代の変遷は八万年の繰り返しであることを教えている。 それがトリムールティ(trimurti)理論

トリムールティ理論
図:布施仁悟(著作権フリー)


創造神ブラフマーと維持神ヴィシュヌと破壊神シヴァが交代で時代を支配しているというのがトリムールティ理論である。

この理論に当てはめると、団塊世代は創造神ブラフマーの役割を持ち、団塊ジュニアは破壊神シヴァの役割を担っていると説明できる。 維持神ヴィシュヌの息のかかった架け橋的な世代には名称がないので、便宜的に団塊ブリッジ世代と名づけよう。 J−POPをつくった犯人はその団塊ブリッジ世代である。 彼らの役割は時代に停滞をもたらすこと。 うんざりするほど停滞するから破壊と再生の機運が高まるのだ。

そんな団塊ブリッジ世代のテーマソングといえば、この歌だろうか。

となりの席ではフケた男が さんざんからんで人生語る
どっかで聞いた事ある話だ 思えばあいつは昨日も来てる

おっさんあんたはそういうけれど いろいろややこしい世の中で
雨にも風にも夏にも負けず 明るい日本の見本となった

十分休んでから行こう いちいち道草して行こう
残りの福をみなもらおう イェー

ここらへんでそろそろ僕が その花を咲かせましょう
愛のために あなたのために 引き受けましょう
あー 燃えてるんだぜ 僕ごのみのワールド オブ ワールド
荒れる海原に船を出せ

(奥田民生『愛のために』(1994)より)

この奥田民生(おくだたみお)の『愛のために』がリリースされた1994年は、団塊世代が45歳のミッドライフクライシスを迎えて社会のお荷物になった頃だった。 彼らは終身雇用制度を基盤とする自分たちに都合のよい社会制度を作り上げたあと、そこに安住して次世代にツケを残すことを平気でやる人種に堕落していた。 そのほころびが少しずつ見えはじめた時代に登場してきたのが奥田民生を中心とする団塊ブリッジ世代である。 つまりこれは世代交代を告げる歌なのだ。

ただし彼らの役割はそもそも時代に停滞をもたらすことだから、「十分休んでから行こう いちいち道草して行こう 残りの福をみなもらおう イェー」とやる気があるのかないのかよく分からなかったのである。 これをリアルタイムで聴いた若者たちの多くは「日本は終わった…」と思ったことだろう。 それにしても最後の「イェー」が効いている。

ところがこの歌の不思議な魅力は、そんなに救いがないわけでもなかったところだ。 団塊ブリッジ世代のもう一つの役割は、団塊ジュニアによる破壊と再生の下準備をすること。 それが二番で語られる。

おっさんわかるよまあそういうな 確かに近頃よくわからない
だけども雨も降り風も吹く ステキな日本を守ってくれる

オー 僕らは僕らでそら行こう 10年たったら空行こう
君を必ず連れて行こう イェー

ここらへんでそろそろ僕が その花を咲かせましょう
人のために 自分のために 引き受けましょう
あー 僕ごのみのワールド オブ ワールド
せまる強敵打ちのめせ

陸海空 いろんなところから どこでも駆け付けましょう
愛のために あなたのために 生きて行きましょう
あー 知ってるんだぜ 君ごのみのワールド オブ ワールド
荒れる海原に船を出せ

(奥田民生『愛のために』(1994)より)

「君を必ず連れて行こう イェー」「陸海空 いろんなところから どこでも駆け付けましょう」「愛のために あなたのために 生きて行きましょう」… これは団塊ブリッジ世代から団塊ジュニアへの遠い未来の約束でもあったのだ。

矢印マーク サボテンミュージアム


2017年―奥田民生再始動のアルバム

時代が変われば歌も変わる。 アルバムを買って聴いても損しない時代が来たぞ。 CD買おう!
『いどみたいぜ』収録


そして時を経た2017年…奥田民生がリリースしたアルバムの片すみで打倒・団塊世代の蜂起命令はこっそりと布告された。

その日は近い その日が近い
いよいよ近い 早くいどみたいぜ
いどみたいぜ

準備いいか 覚悟いいか
いっちょまえか いつでもいけるか
と問いたいぜ

(奥田民生『いどみたいぜ』(2017)より)

嗚呼…1994年の約束は忘れられていなかった。 いよいよ団塊ジュニアによる破壊と再生の時代がはじまる。 その破壊と再生を司るシヴァは蒼白き頬をした神として描かれるのが一般的なのだ。

昴3
谷村新司『昴― すばる ―』(1980)


僕たち団塊ジュニアごのみのワールド・オブ・ワールドについて語ろう。 それが来たるべき時代の規範になるはずだから、知っておくといい。

民族の指導霊から使命を与えられるということは民族の歴史の長い鎖に巻き込まれることに等しい。 そのため歴史を読み解くことができないと自分の立ち位置も分からなくなってしまう。 歴史はそのために学ぶのだ。 で、お話は太平洋戦争終結直後にさかのぼる。

戦後のGHQ統治下の1949-50年にシャウプ勧告が提出された。 日本の税制についての調査報告書なのだけれど、そのとき、「お前たち日本人はろくに財政管理ができないから戦争なんか起こしたんだ」と指摘された。 僕たちの祖先はみんな頭にきたけど言われてみればその通りだった。 そうして日本の税制は大きく変わった。

戦争で膨らんだ国の借金をチャラにするかわり、これからは国債を発行しない、消費税も導入しない、所得税収入だけで身の丈にあった社会制度をつくりあげる。 つまり「次世代にツケを残すようなことはもう絶対にしない」と僕たち日本人の祖先は誓いを立てたのだ。 これからは自分たちのケツは自分たちで拭いて死んでいくんだと。

ところが最初の不景気がやってきたときに「景気が回復したら返せばいい」という償還原則のもと建設国債が発行された。 建設国債は未来への投資に当てるお金だから正確には借金ではないという理屈だ。 しかし大和民族は景気の波のような変化についていくことの苦手な農耕民族なのだ。 毎年、季節が同じようにやってきて、同じように去っていくことを望んでいる。 そのため一度味をしめたことは意地でも止めない。 その傾向は諸外国よりも顕著で、景気が回復したら借金を返すなんて芸当ができるはずがなかった。 かくして国の借金はどんどん膨らんでいき、建設国債だけでは飽き足らず、赤字を補填するための国債まで発行しはじめた。 だから消費税導入は絶対に足を踏み入れてはならない最後の聖域だったのだ。 そこに手を出したら戦後の焼け野原の中から復興を遂げた祖先たちの努力がすべて水の泡と消える。

しかし政府は、1984年に赤字国債の償還原則を破棄し、次いで1989年には消費税の導入に踏み切ってしまった。 太平洋戦争の終結した1945年から40年が経とうとしていたから、戦争の生き証人たちが亡くなっていきつつあった時代だ。 当時小学生だった僕は、この国の次世代を担うべき団塊世代が、国会議事堂にロケット砲を打ち込むのを期待していたのだけれど、それは起こらなかった。 彼らはかつて学生運動を主導して機動隊に火炎瓶を投げつけていたくせに、そのとき静観を決め込んだ。 「消費税導入を議論するときに掲げられる社会保障の大義名分は、自分のケツを自分で拭こうとしないクソッタレのための釣り餌だ!」彼らにはそう叫んで欲しかった。 でも団塊世代は戦争が終わってから生まれた戦争を知らない子供たちだった。 そのため消費税導入の意味するところが分かっていなかったし、そもそも1984年に35歳を迎えていた彼らは、自分のケツを自分で拭こうとしないクソッタレに成りさがっていたのだ。

運命の試練モデル(布施仁悟型)
図:布施仁悟(著作権フリー)


32-35歳までの火の試練アイデンティティ・クライシス―興菩提心体験とぷっつん体験―を透過できなければ、35歳の選抜試験を乗り越えられずに引退の花道を敷かれてしまう。 つまりアイデンティティ―社会から与えられる存在証明―に依存して昏睡状態の豚として生きる決断をしたとみなされるのだ。 1984年は団塊世代が昏睡状態の豚になった年だった。

そこから37歳までの約2年くらいのバベルの試練は、創造の扉に飛び込んで水の試練に志願するかどうかを試される試練になっている。 このバベルの試練で要求されることは、M・ベインの『キリストのヨーガ』のはしがきで語られている。

バベルの試練の課題


 たいていの読者の人々の聞き方には身が入っていない。 彼らは自分の聞きたいことだけしか聞かない。 彼らを洗脳(condision)しているもの、彼らの信仰や見解を突き破ったり、あるいはそれらを揺さぶるものには自分自身を閉ざしてしまう。 彼らは心地よいもの、彼ら自身を洗脳しているものを満足させるものにしか耳を傾けない。
 しかし、われわれが自分を喜ばせるものだけ、また自分の信じていることや観念を満足させ、あるいは確認させるものだけに耳を傾けるならば、正覚(understanding)はありえない。 あらゆることに偏見を抱かずに、また自分の無知、自分の堅信、自分なりの知識、自分特有の個性、自分の見解を守るために防壁を築き上げることをせずに耳を傾けること、そして事柄の真理を見出す意図をもって耳を傾けることは一個の芸術である。

M・ベイン『キリストのヨーガ』P.2 はしがき


昏睡状態の豚になるとバベルの試練を透過しようとしなくなるため、「自分の聞きたいことだけしか聞かない。自分の見たいものだけしか見ない」という現実逃避がその人物の生きざまとなるのだ。

団塊世代は、高度経済成長の最中に就職して、経済の安定成長の時代を生きた。 その時代を支えた終身雇用制度を前提として、税金制度、年金制度、健康保険制度など現在でも支配的なすべての制度が整備されていったのだけれど、それがずっと続くべきだと思っているのほほん世代なのだ。 「自分の聞きたいことだけしか聞かない。自分の見たいものだけしか見ない」という現実逃避が可能な時代を生きてしまったせいで、そういう生きざまが骨の髄までしみついてしまっている。 すでに形骸化した制度を維持しようとしたら、いくらお金があっても足りないし、次世代にツケをまわすことになる。 そんなことも分からないほどオツムの逝ってる連中なのだ。

一方の僕たち団塊ジュニアは、就職を目前にした頃にバブル景気がはじけた。 それは日本経済躍進の原動力とされていた終身雇用制度神話の崩壊を意味していた。 団塊世代と団塊ブリッジ世代が制度に乗っかって逃げ切りをはかる中で、僕らはフリーターや派遣社員といった働き方を積極的に選んでいった。 どこでも通用するスキルを身につけて生き残りをはかる戦略である。 僕らはそういう転がり続ける生きざまを善しとする社会に変わっていかなければならないと思っていた。 そのほうが絶対にフェアだからだ。 形骸化した制度にうまく乗った者だけが優遇され、そこからあふれた者は不当に搾取される。 そんなマルチ商法みたいな社会制度はどう考えたっておかしい。

でも団塊世代とバブル景気の最中に就職した団塊ブリッジ世代は変わろうとしなかった。 彼らが形骸化した制度の上に居すわり続けたおかげで、「自分の聞きたいことだけしか聞かない。自分の見たいものだけしか見ない」という現実逃避は進化する疫病のウイルスのように蔓延し、僕らの世代にもウイルスに感染する者たちがたくさん出てきた。 僕たちは運命のいたずらによって自分たちの親の世代から不当に搾取されることになり、運命の女神からの思いがけないウインクを待ち続けるしかなくなった。

― こんなことで本当に生き残っていけるのか? ―

こうして世代間格差社会は生まれた。 団塊世代と団塊ブリッジ世代が格差を生み出し世代を分断したのだ。 でも、そういう時代背景が逆に僕たち団塊ジュニアを強くしたともいえる。 団塊ジュニアの生き残りは団塊世代と団塊ブリッジ世代の作り出したウイルスに対する抗体を持っているからだ。

映画『スター・ウォーズ』は、この団塊世代VS団塊ジュニアの世代間闘争を描いている。

スター・ウォーズの関連図
図:布施仁悟(著作権フリー)


創造神ブラフマーの時代の担い手は、若者の頃は人々の期待の星なのだけれど、最終的には時代に形骸化をもたらす存在に変わる。 現代においては団塊世代の人たちがそうだったのだけれど、その世代の総意を代弁する人物が時代に必ず登場してくるもので、それが『スター・ウォーズ』においては生命維持装置がなければ生きられないダース・ベイダーとして象徴的に描かれている。 これはアドルフ・ヒトラーや東条英機が登場してきた経緯をたどれば意味がわかるとおもう。

ダース・ベイダーが誕生するのは維持神ヴィシュヌの時代。 理由は創造神ブラフマーの時代の担い手が54歳の人生の収穫期を迎えて、完璧なまでに人生に失敗した現実に直面するのだけれど、それを認めようとしないことによる。 日本ではちょうど小泉内閣の時代(2001-2006)に団塊世代がその時期を迎えていて、僕たち団塊ジュニアは「お前たちは人生に失敗したんだ。さっさと認めちまえ。俺たちにケツを拭かせるな!」と叫んでいた。

この時代は日本中が興奮していた。 小泉内閣は形骸化した制度をぶち壊そうとした内閣で、団塊世代が抑圧し置き去りにしようとしていた問題に燃えさしを放り込み、団塊ジュニアを焚きつけたという意味で野蛮な内閣だった。 もちろん団塊世代は、制度がぶち壊されることに怯えて、腹を立て、むかついていた。 しかし、それでもなお幸せな時代だったとおもう。 自分たちは変わっていけるという期待と予感があったからだ。 でもその流れは安倍晋三内閣(2006・2012)によって必ずせき止められることになる。

安倍晋三の登場はダース・ベイダーの誕生を意味していた。 この時代に彼がダース・ベイダーになっていく様子は『スター・ウォーズ episode1-3』(1999-2005)で、少しずつ力をつけて時代に闇をもたらしていく様子は、もうひとつのSF映画『ハリー・ポッター』シリーズ(2001-2011)でそれぞれ描かれていた。 不可視的に起こっている出来事が映像化されたことで、この頃に小学生だった完全ゆとり世代(1995-1998年生まれ)は時代の不穏な空気を感じ取っていたのではないかとおもう。 とにかく、この日本では安倍晋三がダース・ベイダーや闇の帝王ヴォルデモートのハディル的役割を担っていた。 なんとなれば彼は団塊世代の忠実な代弁者だったからだ。

そのダース・ベイダーを倒すのが破壊神シヴァの化身ルーク・スカイウォーカー。 破壊と再生の使命を背負っている。 そのハディル的役割を持った人物が団塊ジュニアと完全ゆとり世代の全面的支持を受けて2019年から出てくるだろう。 現在の形骸化した社会制度は十字架にかけられて、死と復活を遂げる。

ところが時代は変遷するものだから、そう遠くない未来に新たなダース・ベイダーが誕生するだろうし、新たなルーク・スカイウォーカーが登場する。 映画『スター・ウォーズ』では未来のルーク・スカイウォーカーはレイという女の子だと予言している。

人間は最初の息をして生きはじめたときから、民族の指導霊が配ってくれたカードとともに生き、最期には呼吸を終えて死ぬ。 だから民族の運命という横軸に生から死へと向かう人生の縦軸がクロスするところ…そこに自分の夢の守備位置―フィールド・ポジション―が見つかる。 僕の夢の守備位置は2019年からはじまる新しい日本の処方箋を書くことだ。 まずはダース・ベイダーを倒すレジスタンスに参加してルーク・スカイウォーカーを全力で支える。 その使命が与えられたことを誇りにおもう。

昴4
谷村新司『昴― すばる ―』(1980)


『スター・ウォーズ』の最初のシリーズ(episode4-6)が公開されたのは1977-1983年。 ちょうど1984年に団塊ジュニアが10歳になる前のことで、この映画は9歳の運命のクロスポイントにさしかかっていた僕たちに未来の宿命を教えていた。 自分たちの父親の世代がいずれ敵にまわること、彼らを倒すためには潜在能力―フォースを覚醒させなければならないこと、そしてダース・ベイダーを倒すことの意味、みんな『スター・ウォーズ』が教えてくれた。

僕がルネサンスの騎士と呼んできたのは、『スター・ウォーズ』でいうジェダイのことだ。 彼らはフォースをあやつり、選ばれし者― 光と闇のバランスをもたらす者 ―を導き育てる仕事をする。 つまりジェダイが目指しているのは光の世界でも闇の世界でもない。 その両方のバランスのとれた世界なのだ。

トリムールティ理論に当てはめるとこういうことになるだろうか。

トリムールティ理論2
図:布施仁悟(著作権フリー)


創造の時代の光はたしかに素晴らしい。 けれどもその側面にあまりこだわりすぎると、やがて維持の時代が到来したとき、かつて光だったはずのものが闇をもたらしてダース・ベイダーを生んでしまう。 そうして世界がすっかり闇におおわれてしまったとき、破壊と再生の使者ルーク・スカイウォーカーが現れて、光と闇のどちらかに傾きすぎることの誤りを教える。 そうやって破壊と再生の時代が到来したとき、はじめて光と闇のバランスがもたらされるのだ。 選ばれし者はそういう時代に登場してくるため、ジェダイたちはいつの時代も選ばれし者を導き育てるための仕事をする。

才能といっても、人々に人生の現実から逃避する方法を教える才能を賦与されている人たちもいて、彼らは光と闇のバランスを崩すことを仕事としている。 そういう人たちの仕事も<全体>としては必要なものだから、善いとか悪いとかの判断はできない。 正師・秀爺の腐れ神も安倍晋三のダース・ベイダーも誰かが引き受けなければならないハディル的役柄であり、この世界にはそういう存在も不可欠なのだ。

でも僕はそんな役柄を与えられるのはまっぴら御免だった。 『スター・ウォーズ』を最初に観たとき、フォースをあやつるジェダイになりたいと思ったからだ。

― Here, between you... me... the tree... the rock... everywhere!(フォースはここにある。われらを結びつけておる。木でも、岩でも、いたる所と!) ―
(by ヨーダ 『スター・ウォーズ エピソード5』)

映画監督ジョージ・ルーカスの圧倒的な想像力の奔流に夢中になって、劇中のフォースを信じてしまったなんて馬鹿な子供だったかもしれない。 でも、ジェダイは現実にいるのだ。 たとえば井上陽水はこんな風にジェダイとしての仕事を語っている。

たとえば井上陽水的ジェダイ発言


 そんなになんか、「南の島で太陽がさんさんと…もう私たちの未来は磐石ね」とか、そういう感じの曲は少ないですね。

 屈折とか、裏側とか、不吉とか、不幸とか。 そういうところをできるだけ提出するのが、僕らというか…音楽とかね、まあジャーナリズムもそうかもしれないけど。 そういう使命があるんじゃないかなとも思うんですよね。

 つまり、世の中っていうのが肯定的な感じに振れてればね、ちょっとこうネガティブな感じに。 世の中がずいぶんネガティブに行ってるなっていったら、こう明るい感じとかね。

 …そういうバランス。

2015年12月22日放送 NHK『SONGSスペシャル 井上陽水』


僕は飛べない豚として生まれてきたくせに、9歳の運命のクロスポイントにさしかかった子供の頃にフォースを信じた。 それからはジェダイたちが創造する導きの歌や物語を本能で探し当て、むさぼるように吸収してきた。 そうやってフォースはジェダイたちと僕を結びつけてくれたのだ。 そうしたら43歳になったとき、僕もジェダイに選ばれた。

― Remember, the Force will be with you, always.(覚えておくといい。フォースはいつだって君と共にある) ―
(by オビ=ワン・ケノービ 『スター・ウォーズ エピソード4』)

僕の人生にも、つまらない役柄で妥協するように誘惑される瞬間がいくつもあった。 でも、そこで妥協しなかった者だけがジェダイに選ばれるのだ。 ジェダイたちはいつの時代もフォースを信じた者たちを導いている。 信じて欲しい。 これは本当だ。 昼食のおにぎり代を賭けてもいい。

― May the Force be with you!(フォースと共にあらんことを!) ―

昴5
谷村新司『昴― すばる ―』(1980)


僕のいる団塊ジュニア世代は、若い世代から「あんな風にはなりたくない」と思われてきた世代だろう。 バブル景気がはじけたとき、自分たちが何処へ向かったらいいのか分からなくなってしまった迷走世代。 若い世代の人たちが僕たちの世代を半面教師にしていたこともよく知っている。 もしも生まれた時代が違っていれば僕もそうしていたに違いない。

でも民族の指導霊はいつか真実を話すときがくるまではと考えて僕たちをあざむいていた。 彼らが肚を決めて僕にその秘密を打ち明けてくれたとき、それまで僕のいる世代が置かれた理不尽な境遇に抱(いだ)いてきた“行き場のない怒り”は跡形もなく消えてしまった。 それはとても贅沢な気分だった。

僕たち団塊ジュニアはいちばん不遇な時代を生きてきたのかもしれない。 でもその代わり、見張り塔からずっとサーチライトで道を照らし続けてもらっていたのも僕たち団塊ジュニアなのだ。 それはきっと僕たちの歩んできた道が次世代のロールモデルになるからだとおもう。

運命の試練モデル(布施仁悟型)
図:布施仁悟(著作権フリー)


団塊世代が30代にある生の転換期(レーベンス・ヴェンデ)を乗り越えることに失敗して、創造の扉がひっそりと閉じられた37歳のとき、僕たち団塊ジュニアは人生最初の厄年13歳を迎えていた。 その年齢あたりから、友だちの中にも精神年齢が止まっていく子供たちが出てくるので、彼らに対するゆるしを学ばなければならなくなってくる。

この『愛しき日々』は、そんな1986年に流行していた。 旧体制の江戸幕府にしがみついた藩主に忠誠を誓って、無駄に命を落とした会津藩のマヌケな少年たち「白虎隊」を描いた時代劇の主題歌で、<<こういう馬鹿な大人たちに巻き添えを食ったら大変だ>>とおもった記憶がある。

風の流れの激しさに
告げる想いも揺れ惑う
かたくなまでのひとすじの道
愚か者だと笑いますか
もう少し時がゆるやかであったなら

雲の切れ間に輝いて
空しき願いまた浮かぶ
ひたすら夜を飛ぶ流れ星
急ぐ命を笑いますか
もう少し時が優しさを投げたなら

いとしき日々のはかなさは
消え残る夢 青春の影

(作詞:小椋佳 作曲:堀内孝雄 『愛しき日々』(1986)より)

37歳で創造の扉が閉まったら「もう少し時がゆるやかであったなら…」なんて嘆いても、いまさら手遅れだ。 「かたくなまでのひとすじの道」をゆく人を愚か者だと笑ってきたから、そうなったのではないですか? 「ひたすら夜を飛ぶ流れ星」のように一瞬の命を燃やしている人を笑ってきたから、そうなったのではないですか? この小椋佳(おぐら けい)が作詞した『愛しき日々』は、37歳までの歳月をのほほんと過ごしてきた団塊世代に対する死亡宣告みたいなものだった。 それにもかかわらずこの歌が流行したのは、ドラマの影響で、白虎隊の悲劇を歌ったものだと誰もが勘違いしたせいだ。 小椋佳、してやったりである。

これと同じ1986年に小椋佳が発表してきたものに、美空ひばりの歌った『愛燦燦(あいさんさん)』がある。

雨 さんさんとこの身に落ちて
わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして
人は哀しい 哀しいものですね

(小椋佳『愛燦燦』(1986)より)

「かたくなまでのひとすじの道」を「ひたすら夜を飛ぶ流れ星」のごとく生きると、理性的な分別を持ち合わせた社会人としては、およそふさわしくない無鉄砲をやってしまうことになる。 そうして社会システムによって敷かれたレールを踏みはずすと、自分がなんだか罪人になったような気になるものだ。 それというのも両親や兄弟や恋人や友人たちから、はみだし者の烙印を捺(お)され、まるで臭い物に蓋をするかのように存在を否定されてしまうからである。 人は哀しい。

それでも 過去達は
優しく睫毛(まつげ)に憩(いこ)う
人生って不思議なものですね

(小椋佳『愛燦燦』(1986)より)

そのとき大切なのは、自分が罪人なんかじゃないということを理解して過去を乗り越えることだ。 過去にはみだし者の烙印を捺されたときに抱いた怒りや嫉妬や後悔や狼狽ときちんと向きあい、自分の過去とのきずなを結びなおさなければならない。 なぜなら、自分の過去から逃げまわっているかぎり亡霊みたいに生きなければならなくなるからだ。

愛 燦々とこの身に降って
心ひそかな嬉し涙を 流したりして
人はかわいい かわいいものですね

ああ 過去達は
優しく睫毛(まつげ)に憩(いこ)う
人生って不思議なものですね

(小椋佳『愛燦燦』(1986)より)

そうしてゆるしを学んで過去を乗り越えたとき、人に対する慈しみが心の底から湧きあがり、愛が燦燦とこの身に降りそそぐ。 人はかわいい。 自分の使命があきらかとなり、歩むべき未来の道が見えてくるのは、そう思えるようになったときだ。

ああ 未来達は
人待ち顔して微笑む
人生って嬉しいものですね

(小椋佳『愛燦燦』(1986)より)

小椋佳の『愛燦燦』は、『愛しき日々』と対称をなす作品で、団塊ジュニアの道を照らすサーチライトの役割を持っていた。 僕らが37歳になったとき、団塊世代と同じ轍(わだち)を踏まないように。

地球儀を回して世界100周旅行
キミがはしゃいでいる まぶしい瞳で
光のうしろ側 忍び寄る影法師
なつかしの昨日は いま雨の中に

やさしくなりたい やさしくなりたい
自分ばかりじゃ 虚しさばかりじゃ

サイコロ転がして1の目が出たけれど
双六の文字には「ふりだしに戻る」
キミはきっと言うだろう「あなたらしいわね」と
「ひとつ進めたのならよかったじゃないの!」

強くなりたい 強くなりたい
我慢ばかりじゃ 誤魔化しばかりじゃ

愛なき時代に生まれたわけじゃない
キミに会いたい キミに会いたい
愛なき時代に生まれたわけじゃない
強くなりたい やさしくなりたい

(斉藤和義『やさしくなりたい』(2011)より)

これは僕たち団塊ジュニアが37歳になったときの流行歌『やさしくなりたい』。 ダーク・ハーフに飲み込まれながらも神隠し現象の渾沌に挑む男の歌になっていることがわかるだろうか。 そのとき流行歌として歌われた内容は、団塊世代が37歳だったときとまったく違っていた。 この歌は僕たち団塊ジュニア世代が団塊世代とは別の道を歩んでいることを告知していたのである。

43歳になってからの一年間。 民族の指導霊はこうしたサーチライトの存在を一つ一つ僕に教えてくれた。 それらは民族の歴史のひとこまに鮮明な刻印を押すように存在していた。 ずっと後になって僕たちが読むときのために本のページのあいだにしおりをはさんでおくみたいに。 それらを読み返すと、まるで僕のために、みんなが作品を作ったり、歌ったりしてくれていたとさえ思えてくる。

― One for all,All for one.(一人はみんなのために、みんなは一人のために) ―

それが宇宙の普遍法則だったのだ。

運命の試練モデル(布施仁悟型)
図:布施仁悟(著作権フリー)


30代には二つの課題がある。 一つは人間関係に折り合いをつけること。 37歳までは、ひとまず故郷に帰り、ゆるしの基礎を学んで過去を乗り越えることが課題になる。 もう一つは創造性を身につけること。 といっても37歳までは潜在能力―フォースが目覚めてこないので、ジェダイの仕事に就けてもらえるようにひたすら志願することが課題になる。 この点については宮崎駿の『千と千尋の神隠し』(2001)が完璧なマニュアル・ブックになっていた。

― ここでは仕事を持たない者は湯婆婆(ゆばーば)に動物にされてしまう。 嫌だとか帰りたいとか言わせるように仕向けてくるけど「働きたい」とだけ言うんだ。 つらくても耐えて機会を待つんだよ。 そうすれば湯婆婆も手が出せない。 ―
(byハク 『千と千尋の神隠し』より)

湯婆婆(ゆばーば)とは『千と千尋の神隠し』に登場するおっかない魔女のことだ。 32歳で悟りの軌道に入ると、その魔女が支配している世界に迷いこむことになる。 人間の潜在能力はその世界の仕事を湯婆婆から与えてもらったときに目覚めてくるのだけれど、それはこの『坐禅作法』シリーズのように、まったく儲からない形而上的な仕事だろう。 だからといってその仕事に専念しようとしない人は湯婆婆に豚にされてしまうのだ。 覚えておくといい。

― 人生には儲からない仕事に専念しなくちゃいけない時がある ―

普通の人は32歳から悟りの軌道に入ることはないため、35歳で引退の花道を引き上げたあと昏睡状態の豚として一生を終える。 彼らは人生の最期に「なんだつまらん」と言って死んでいけばいいだけだから、社会生活を営むうえでは何も問題はない。 ところが悟りの軌道に入ったくせに、形而上の仕事に専念しようとしない人たちがいて、そういう人たちには腐れ神カオナシ湯婆婆の豚としてのハディル的役柄が神隠しの世界で与えられる。 そうなると神隠し現象の渾沌から抜け出す道が見つからなくなって迷子になってしまうのだ。 そうなりたくなかったら「働きたい」と言い続けるしかない。

第三の風の試練ではその三種のハディルが順番に目の前に登場してきた。 どうやら、そのハディル的生態を理解することがひとつの課題になっているらしい。 それぞれの生態を簡単に説明すると、腐れ神は形而上の仕事を途中で投げ出した覚者、サンニャースの道で悟った覚者がこれ。 カオナシは定力ばかりを追求したためにクンダリニー症候群を引き起こした禅定バカで、湯婆婆の豚は形而上の仕事に専念しようとしなかった人たち。 そんな感じになるだろうか。

『千と千尋の神隠し』では、三つめの湯婆婆の豚の生態を理解する最終試験にパスできないと、神隠し現象の渾沌から抜け出ることはできないとされている。

― これは決まりなんだよ。じゃないと呪いが解けないんだよ。 ―
(by湯婆婆 『千と千尋の神隠し』より)

僕がこの最終試験をパスしたとき、そこに混じっていた湯婆婆の豚のひとりは、『千と千尋の神隠し』を観たことがないと語っていた。 いったいどこの国のいつの時代を生きてきたのかとおもう。 僕は『千と千尋の神隠し』を観ておいたおかげで、神隠し現象の渾沌から出てこられたようなもので、もしも観ていなかったら僕もどうなっていたか分からない。 サットヴァ・ラジャス・タマスの三性質(トリグナ)うち、劣った性質(グナ)が優位になっている人は、こういう民族の指導霊からの贈り物を取り逃がしてしまうものらしい。

運命の試練モデル(布施仁悟型)
図:布施仁悟(著作権フリー)


とにかく32歳で悟りの軌道に入ってから「働きたい」と言い続けると、37歳で創造の病を発症して、いよいよ神隠し現象の渾沌の世界に本格的に引きずりこまれていく。 それがアニメ映画『千と千尋の神隠し』で描かれている一連の流れだ。

この映画は『1Q84』の天吾と青豆と同じように、ハクと千尋という男女のツインレイの物語になっていて、千尋という女の子が神隠しの世界にやってきたときには、相手の男の子はすでにダーク・ハーフに呑(の)み込まれてしまっている。 映画の設定ではダーク・ハーフに呑み込まれることを「魔女の弟子になる」と表現している。

― ハクはな。 千と同じように突然ここにやってきてな。 魔法使いになりたいと言いおった。 わしは反対したんだ。 魔女の弟子なんぞ、ろくなことはないってな。
 きかないんだよ。 もう帰るところはないと、とうとう湯婆婆の弟子になっちまった。 そのうちどんどん顔色は悪くなるし、目つきばかりキツくなってな。  ―

(by釜爺 『千と千尋の神隠し』より)

37歳以降の水の試練と風の試練は、それぞれ対立する目標を指向することになる。 まず水の試練では浮世離れした形而上の仕事に専念する孤独の中でダーク・ハーフを育て、次の風の試練に入るとそのダーク・ハーフを落として孤独からの解放を目指すことになるからだ。 したがって、この二つの試練はそれぞれ相容れない方程式で解かなければならない。 そのため目つきばかりキツくなってくるけれど、最初は持てる力を総動員してダーク・ハーフを育てるのだ。 そのあとのことはひとりの天使がなんとかしてくれる。

だから風の試練に入ったら忘れている記憶を隅まで探って呼び起こさなくてはならない。 ひとりの天使が花の首飾りをかけてくれた青春の日の思い出を。 巻貝の殻に耳を押しあてて遠い昔の潮騒(しおさい)の唄を聞くように。 いつどこに会いに行けば二人が再会できるのかを彼女はちゃんと伝えてくれている。 それが守れそうにない約束だ。 彼女はその時と場所からずっと呼び続けている。 僕の場合は高校の教室に忘れ物をしている夢を32歳の頃から何度もみていた。

― きれぎれにしか思い出せません。闇の中で千尋が何度も私を呼びました。その声をたよりにもがいて、気がついたらここに寝ていました。 ―
(byハク 『千と千尋の神隠し』より)

そうして守れそうにない約束を思い出したとき、少しばかりの勇気が必要になった。 僕にはそこに傷つけることになる人―ぷっつんレディ4号がいたからだ。 「あなたとあたしって南極大陸とペンギンくらいジャストフィットなのよ」と言っている目の前の恋人の手を振りほどいて会いに行かなければならない。 きっぱりとこう告げる勇気を試されている。

― あなたは何処から来たの?私、すぐ行かなきゃいけないところがあるの。あなたは来たところへ帰ったほうがいいよ。私が欲しいものはあなたには絶対出せない。 ―
(by千尋 『千と千尋の神隠し』より)

4号は両親の待つ故郷に背を向けて僕に付いてきたせいで、30代で大きく差が開くことになってしまった。 そこで「故郷は出発点のあるところだ」と言い聞かせなくてはいけなかったのである。 そのあと相手が故郷に帰ろうとするかどうかは問題ではない。 重要なのは「ここからあとには引けない」という意志をきっぱり伝えることだ。 そういう意志を人に告げるときの呼吸は正師・秀爺が去りぎわに教えてくれていた。 それが腐れ神の苦団子(くされがみのにがだんご)。 腐れ神は腐っても覚者なのだ。

そうして会いに行くのは、行ったきり帰ってはこれない沼の底だ。もうあと戻りはできなくなる。

― 昔は戻りの電車があったんだが、近頃は行きっぱなしだ。それでも行くかだ。 ―
(by釜爺 『千と千尋の神隠し』より)

ニューミュージック時代に、このあたりのことを担当していたのが松任谷由実(荒井由実)。 彼女の歌には、この勇気を試される場面で「それでいいのよ」と背中を押してくれる強さがある。

暮れかかる 都会の空を
想い出はさすらってゆくの
光る風 草の波間を
かけぬけるわたしが見える

青春の後ろ姿を
人はみな忘れてしまう
あの頃のわたしに戻って
あなたに会いたい

いま愛を捨ててしまえば
傷つける人もないけど
少しだけにじんだアドレス
扉にはさんで 帰るわ
あの日に

(荒井由実『あの日にかえりたい』(1975)より)

そうしてツインレイの男女が再会する日を描いたのが『ダンデライオン〜遅咲きのたんぽぽ』。 再会したとき、それまでの人生の苦悩がこの日のためにあったことを僕たちは知った。

夕焼けに小さくなる くせのある歩き方
ずっと手をふり続けていたいひと

風に乗り飛んで来た はかない種のような
愛はやがて来る冬を越えてゆく

きみはダンデライオン
傷ついた日々は 彼に出逢うための
そうよ 運命が用意してくれた
大切なレッスン
今 素敵なレディになる

(松任谷由実『ダンデライオン〜遅咲きのたんぽぽ』(1983)より)

そのときひとりの天使が手渡してくれる贈り物はいくつもあるのだけれど、そのうち最大のものは、かつて彼女がかけてくれた花の首飾りの意味だろう。 そこに刻まれた秘密の暗号を解読することは、高校生の僕にはできなかった。 再会当日、ひとりの天使はそこに集った人たちをも味方に誘って、自分が花の首飾りをかけてあげた日の記憶を思い出させようとするから、おもわせぶりなシンクロニシティがいくつも起こる。 きっと、こういう印象を抱くことだろう。<<なにがどうなってるんだよ?>>。

― わからんか、愛だ、愛。 ―
(by釜爺 『千と千尋の神隠し』より)

この世には時を経ても変わらない愛がある…花の首飾りの意味が長い忘却の歳月を経て明らかになる。

― 一度会ったことは忘れないものさ。思い出せないだけで。 ―
(by銭婆(ぜにーば) 『千と千尋の神隠し』より)

それはもう啓示としか言いようのない宇宙的風景だ。 ひとりの天使に花の首飾りをかけてもらう青春の日のことは、『1Q84』でこんな風に描かれている。

(『1Q84』にみる)花の首飾りをかけてもらう青春の日


新しい扉を目の前にしているが、その奥で何が自分を待ち受けているのかを知らない。 無力であり無知であり、感情的に混乱し、少なからず怯えてもいる。 自分でもそれはわかっていた。

そして少女も、今ここで理解されることを期待してはいない。 彼女が求めているのは、自分の感情を天吾にしっかり送り届けるという、ただそれだけのことだ。 それは小さな固い箱に詰められ、清潔な包装紙にくるまれ、細い紐(ひも)できつく結ばれている。 そのようなパッケージを彼女は天吾に手渡していた。

そのパッケージを今ここで開く必要はない、と少女は無言のうちに語っていた。 その時がくれば開けばいい。あなたは今これをただ受け取るだけでいい。

彼女はいろんなことをすでに知っている、と天吾は思った。 彼はまだそれを知らない。 その新しいフィールドは彼女が主導権を持っていた。 そこには新しいルールがあり、新しいゴールと力学があった。 天吾は何も知らない。 彼女は知っている。

村上春樹『1Q84 BOOK2』第14章(天吾)手渡されたパッケージ


花の首飾りに込められていたパッケージの意味を理解するまで、ひとりの天使は僕を帰そうとしなかった。 どうやら再会の日の主導権も彼女に握られていたようなのだけれど、僕も不器用ながら、彼女の歩んできた孤独な人生を肯定してあげることはできたとおもう。

つみとってささげたら ひとに笑われそうな
私にできる全てを受けとって

ふるさとの両親が よこす手紙のような
ぎこちないぬくもりほど泣きたくなる

(松任谷由実『ダンデライオン〜遅咲きのたんぽぽ』(1983)より)

ツインレイの男女は神隠しの世界に迷い込まなければ再会できない。 それが決めごとになっているからだ。 そのため神隠しの世界で再会したあと、ふたたび俗世に戻っての再会を誓って別れなければならない。

― 「またどこかで会える?」
  「うん、きっと」
  「きっとよ」
  「きっと。さあ、行きな。振り向かないで」 ―

(by千尋&ハク 『千と千尋の神隠し』より)

ただし映画と違うのは、この誓いが口にされることはないことだ。 守れそうにない約束は言葉にしないほうがいい。 なぜなら交わされなかった約束が破られることもないからだ。 だからこそ勝手に信じて待ち続けることができる。 <<先に戻って待っていてくれ、必ず君を迎えにいくから>>…その意志を沈黙したまま伝えるのは男の役目だ。 それは『タッチ』というアニメの主題歌が教えてくれていた。

呼吸を止めて一秒 あなた真剣な目をしたから
そこから何も聞けなくなるの 星屑ロンリネス

きっと愛する人を大切にして
知らずに臆病なのね 落ちた涙も見ないふり

すれちがいや まわり道を
あと何回過ぎたら 二人はふれあうの

お願い タッチ タッチ ここに タッチ

あなたから 手を伸ばして受けとってよ
ためいきの花だけ束ねたブーケ

愛さなければ 淋しさなんて
知らずに過ぎて行くのに
そっと悲しみに こんにちは

(作詞:康珍化 作曲:芹澤廣明『タッチ』(1985)より)

この康珍化(かんちんふぁ)の歌詞には民族の指導霊の息吹きがふきこまれている。 そういう歌同士は時代を越えて互いにキーワードで繋(つな)がりあっているもので、この歌は「ためいきの花だけ束ねたブーケ」で『花の首飾り』(1968)とつながっている。

こうして鮮明でありながらもその輪郭が超現実的な世界と溶けあっている再会の日の記憶を、心の指でなぞる日々ははじまった。 あれが幻影なんかじゃなかったことを確かめるかのように。 でもどうやって神隠しを抜けて、いつ彼女を迎えに行ったらいいのか…僕には分からなかった。 二度と会えなかったらどうしようという絶望の予感に日々圧しつぶされていく。 さっきまで極彩色を映し出していたはずのカラーテレビが白黒の世界しか映し出せなくなってしまったようだった。

その突破口を教えてくれていたのも松任谷由実の『ダンデライオン〜遅咲きのたんぽぽ』だ。

きみはダンデライオン
本当の孤独を 今まで知らないの
とても幸せな淋しさを抱いて
これから歩けない
私はもう あなたなしで

(松任谷由実『ダンデライオン〜遅咲きのたんぽぽ』(1983)より)

<<彼女がいなかったら幸せにはなれないと思っている僕は、今まで本当の孤独を知らなかったのかもしれない。 この幸せな淋しさを抱えているかぎり、きっと僕はこれから一歩も歩けない>>…この洞察が起こったとき、この和尚の言葉の意味がやっと理解できた。

孤独(loneliness)と独存(aloneness)


もし愛を味わって、それが何であるかわかったら、独存の中へはいってゆくがいい。

独りになるにも二種類ある。 ひとつは孤独(loneliness)、もうひとつは独存(aloneness)だ。

もし愛したことがないまま独りでいると、それは孤独になってしまうだろう。 あなたはほかの人を求める深い飢えを感ずるに違いない。

独存には相手がいる―不在として。 あなたは絶えず相手の不在を感ずるだろう。 あなたは相手を渇望するだろう。

和尚『TAO3』P.274 第6話 Q&A 祈りと瞑想


幸せは他の誰かによってもたらされると信じているかぎり幸せにはなれない。 だから独存の中へはいっていって、「私はもう あなたなしで」…も歩ける。 そう言えるようにならなくてはいけないのだ。 『ダンデライオン〜遅咲きのたんぽぽ』は松任谷由実の愛の公案だった。 人は愛の禅師のことをユーミンと呼ぶ。

「私はもう あなたなしで」…も歩ける!


人は相手など必要ないということが確信できる地点まで達しなければならないのだ。 私はそこまで達した人間は愛さないだろうと言っているんじゃない。 実際には、そのような人間しか愛することはできないと言ってもいい。

しかし、そうした愛はあり余るほどのものだ。 そうしたとき、それは要求ではない。 反対に、その人はあまりにも充実している。 分かち合わずにはいられないほどあふれ出しているのだ。

そうして彼は自分の荷を分かち持ってくれる人々、自分のハートを明かすのを助けてくれる人々を探しもとめる。

和尚『TAO3』P.275 第6話 Q&A 祈りと瞑想


井上陽水が僕の半生を歌にしていたことを知りはじめたのは、ここまで洞察が進んだときだった。 それから明らかになってきたことが、もうひとつある。 僕を主人公にした歌を作っていたのが井上陽水だけじゃなかったことだ。

徳永英明の『壊れかけのRadio』(1990)、玉置浩二の『田園』(1996)、奥田民生の『さすらい』(1998)…これらの歌は団塊ジュニアの中のソングライターの素質を持った人たちのために作られていた。 歌がそのうちの一人である僕を呼んでいたのだ。 風がうなり声をあげ、僕の視界をさえぎっていた暗雲を吹き飛ばし、この目で会って真相を確かめなければならないルネサンスの騎士たちが次々に挨拶してきた。

正師の予言


JINGOよ、落ち着くのじゃ、そなたは、まだ俗世間には慣れておらんのじゃろ?

世の中にはまだまだ色々な人がおる。 今度はそなたがその目で会って確かめるのじゃ!

その先にそなたを待つものがおる。 ずっとそなたを待っておる。

迷わず進め、行けばわかるさ!!時はきた!!

2014年1月29日のコメント


さらに僕たち団塊ジュニアのソングライターには果たすべき使命があることも知った。 長い世代間闘争でバラバラになってしまった民族の心を再び団結させる歌を作らなければならない。 僕たちの時代の『上を向いて歩こう』を作るのだ。 それはきっとニューミュージックを聴きながら子供時代を送った僕たち団塊ジュニアにしかできないことだろう。

子供の頃の僕はテレビやラジオから流れてくる歌を覚えて過ごすだけで幸せだった。 小児運賃で電車に乗れる年頃の頭では逆立ちしても理解できるはずがなかったのに、その頃に覚えた歌の歌詞はいまでも完璧に覚えている。 そこには生きるための知恵がきちんと描き込まれていた。 もちろんくだらないものの方が多かったけれど、本当の幸せを教えてくれる歌がその中に紛れ込んでいた。 僕にとっての歌は人生を探検するための地図であり、何にもまして価値のある黄金の山だった。 だから新しく発表される歌を聴くことは新鮮で素敵なことだったのだ。 歌は人生を学べる。 本物の歌を聴けば子供だって何かを学びとる。 それなのに僕たちはいつの間に大切なものを失くしてしまったのだろうかとおもう。

『もしもピアノが弾けたなら』を作詞した阿久悠は、僕が人生ついて感じている言葉にならない言葉を歌にしてくれた最初の詩人だった。 彼は神がかり― Over-Shadowing ―で歌をつくった。 誰かが感じていながら声にできないでいる声を歌にした。 人々の潜在意識の奥底にひろがっている民族の集合的無意識から声をすくい上げたのだ。 だから彼の歌は同時代を生きる人々の心に直接響いた。 それを聴いた人々は、今つくられたものでありながら、どこかなつかしい太古からの響きを感じとった。 今風なのに古風な感じ―それが歌の核になければならない。 なぜなら人々が民族の絆(きずな)を感じるのは、そんな民謡― フォークソング ―を聴いたときだからだ。 そういうことを最初に教えてくれた阿久悠との守れそうにない約束を果たそうとおもった。 彼女を迎えにいくのはそれからだ。

さらば地球よ 愛する人よ
宇宙戦艦ヤマト

地球を救う 使命を帯びて
戦う男 燃えるロマン
誰かがこれを やらねばならぬ
期待の人が 俺たちならば

銀河をはなれ イスカンダルへ
はるばるのぞむ 宇宙戦艦ヤマト

(作詞:阿久悠 作曲:宮川泰『宇宙戦艦ヤマト』(1974)より)

こうして僕はずっと忘れていたやるべきことの続きを思い出し、本来あるべき自分を取り戻した。 そして44歳の誕生日を迎えた今は歌を作っている…と言いたいところなのだけれど、こうして『かなりキワどい坐禅作法』の最終章を書いている。 それが神隠しの世界の掟(おきて)なのだ。 形而上の仕事を負い目のないように終わらせて、魔女との師弟関係にスジを通してオトシマエをつけないかぎり、俗世には戻れない仕組みになっている。

― 私は湯婆婆と話をつけて弟子をやめる。平気さ、本当の名を取り戻したから。元の世界に私も戻るよ。 ―
(byハク 『千と千尋の神隠し』より)

僕にとっては、この『坐禅作法』シリーズを書きあげる過程そのものが、神がかり― Over-Shadowing ―に熟達するための訓練になっていた。 最終的には心を空っぽにして自我を一切排除できるようにならなければならない。 さもないと民族の集合的無意識の声に自我の色づけをしてしまうことになるからだ。 神がかりにどれほと堪えられるかが天職遂行の鍵になる。 そのため高次の自我境域の大守護霊は形而上の仕事を完成させたところに待っているのだ。

境域の大守護霊との遭遇


 今からおまえは解脱によって得た力をこの感覚世界のために役立たせねばならない。 これまでおまえは自分自身の救済のみを計ってきた。 解脱した今、感覚世界に住むすべてのおまえの仲間たちの救済のために働かねばならない。 これまでおまえは一人の人間として努力してきた。 これからは全体の中に自分を組み入れる必要がある。 そしておまえだけではなく、感覚世界に生きる他のすべての人々をも、超感覚世界へ導こうと努めねばならない。 その過程でいつかはおまえも、私の姿と合一することができよう。

R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.250 生と死


ここまできたら甲子園の決勝戦まで勝ちあがってきたようなものだ。 あとは乗るか、反るかしかない。

昴6
谷村新司『昴― すばる ―』(1980)


1958年生まれの玉置浩二から1961年生まれの徳永英明を経て1965年生まれの奥田民生に至るラインを、僕は団塊ブリッジ世代の三銃士と呼んでいる。 彼らは団塊ジュニアの僕を遠くから護衛するようにサーチライトを照らし続けてくれたソングライターなのだけれど、おそらく彼らが何を歌っているのかは誰も正確には理解していなかったとおもう。 とくに玉置浩二の歌は天才的すぎて評価されないという皮肉な現象が起こっていた。

凡人にもわかりやすい芸術作品は破壊と再生の時代から創造の時代にかけて生まれてくる。 20世紀なら1965年から1984年くらいまでの約20年間が黄金期。 ボブ・ディランが『追憶のハイウェイ61』をビートルズが『ラバーソウル』を発表してきたあたりからはじまった。 そのためソングライターをやるなら運命的な人生のピークがその時代に重なるのが望ましい。 ところが団塊ブリッジ世代というのは、維持の時代に人生のピークがやってきているので、才能をもてあまさざるをえなかったのだ。

したがって団塊ブリッジ世代のソングライターたちは、本人にとっては不本意な時代にあって、作品を誤解されたり、過小評価されたり、忘れ去られたりしているようなので、ちょっとスポットライトを当ててみたい。 たとえ維持の時代に人生のピークを迎えても、やれることがある。 そういうことを彼らの作品から読み取ってほしい。

石コロけとばし 夕陽に泣いた僕
夜空見上げて 星に祈ってた君
アブラにまみれて 黙り込んだあいつ
仕事ほっぽらかして ほおづえつくあの娘

何もできないで 誰も救えないで
悲しみひとつもいやせないで
カッコつけてないで
やれるもんだけで
明日も何かを頑張っていりゃ

生きていくんだ それでいいんだ
ビルに飲み込まれ 街にはじかれて
それでも その手を離さないで
僕がいるんだ みんないるんだ
愛はここにある 君はどこへもいけない

(作詞:玉置浩二/須藤晃 作曲:玉置浩二『田園』(1996)より)

これは僕たち団塊ジュニアが22歳の分かれ道にいた1996年に玉置浩二が発表した『田園』。 それは大学生の僕がソングライターになる道を一度あきらめなければならなくなった年だ。 21-22歳で才能の目覚めなかった飛べない豚は、ひとまずビルに飲み込まれ街にはじかれる道を選ばなくてはならない。 玉置浩二は、そんな僕たちに「それでいいんだ。今やれることを探せ。とにかくその手を離すな。みんな待ってる」とメッセージを送ってきてくれたのだ。 つまりこれは、ソングライターの才能を持つ者同士の時を経ても変わらない絆を歌ったものなのである。

あんなにも好きだった
君がいた この町に
いまもまだ 大好きな
あの歌は 聞こえてるよ
いつも やさしくて 少し さみしくて

あの頃は なにもなくて
それだって 楽しくやったよ
メロディー いつのまに
大切なもの なくした

きみのこと 忘れないよ
いつだって 楽しくやったよ
メロディー 泣かないで
あの歌は 心から 聞こえてるよ

(玉置浩二『メロディー』(1996)より)

この『メロディー』で歌われているのはソングライターの才能を持つ者たちの住んでいる架空の町だ。 その町から一度出て行かなければならなくなった仲間との再会の約束を歌にしている。 発表は1996年、つまり同じ年にリリースされた『田園』と同じ主題の歌なのだ。 この歌詞の最も難解なところは「あの頃はなにもなくて それだって楽しくやったよ」という部分だろう。 ここは玉置浩二の属している団塊ブリッジ世代のソングライターの使命がわからないと解釈できない。 玉置浩二の歌が天才的すぎて評価されなかった理由もそこにあるとおもう。

矢印マーク ボブ・ディラン自伝

― ボブ・ディランの境域の守護霊との遭遇体験 ―

早熟の天才は20歳そこそこで境域の守護霊と遭遇して世の中に飛び出してくるらしい。 これはその貴重な体験談になっている。 衝撃の真実。


ダース・ベイダー安倍晋三が政権を完全に掌握した2012年になってから、しばらくQ−POP時代が続いた。 Q−POPのQはクエスチョンマークのQ、民族の集合的無意識の声がまったく聴こえてこない不可解な時代だ。 おかげで年度を代表する歌が一曲も生まれないという異常事態が発生し、民族の絆が完全崩壊したことを物語っていた。 そんな2017年に43歳になった僕が周囲を見渡すと、目の前にこんな光景がひろがっていたのだ。

ボブ・ディラン登場前夜―1962年以前の時代背景


 このころは最先端の音楽などというものはなかった。 一九五〇年代後期から六〇年代初頭にかけてのアメリカーナ音楽はかなり退屈だった。 人気があるラジオ局は一種の停滞状態にあり、楽しいだけの空虚な音楽ばかりを放送していた。 ビートルズやフーやローリング・ストーンズが音楽に新しい命と興奮を吹き込む前のことだ。

菅野ヘッケル訳『ボブ・ディラン自伝』 P.007 第1章 初めの一歩


ボブ・ディランやビートルズがデビューしてきたのは1962年なのだけれど、これはその前夜の時代背景をボブ・ディランが自伝で語ったものだ。 これとまったく同じだった。 2017年の日本には20世紀の破壊と再生の時代の担い手たちが登場してきた時代背景とまったく同じ環境ができあがっていたのだ。 さらに1962年前夜といえば、日本ではこんな歌が流行していた。

上を向いて歩こう 涙がこぼれないように
思い出す春の日 一人ぽっちの夜

上を向いて歩こう にじんだ星をかぞえて
思い出す夏の日 一人ぽっちの夜

幸せは 雲の上に
幸せは 空の上に

上を向いて歩こう 涙がこぼれないように
泣きながら歩く 一人ぽっちの夜

(作詞:永六輔 作曲:中村八大『上を向いて歩こう』(1961)より)

これは1961年の流行歌『上を向いて歩こう』。 全米チャートでも一位を獲得したことで知られている。 民族の集合的無意識から生まれた歌を海外に持っていく…という正攻法で世界進出した唯一の日本語の歌で、こういう作品は、1965年の東京オリンピックから高度経済成長がはじまる以前―「何もないけどみんな前向きに楽しくやっていた時代」ならではの歌だとおもう。 これとおなじ1961年には、こんな歌も流行していた。

貴方の好きな人と 踊っていらしていいわ
やさしい微笑みも
その方に おあげなさい
けれども 私がここにいることだけ
どうぞ忘れないで

ダンスはお酒みたい 心を酔わせるわ
だけどお願いね
ハートだけは とられないで
そして私のため 残しておいてね
最後の踊りだけは

(作詞:岩谷時子 作曲:Mort Shuman『ラスト・ダンスは私に』(1961)より)

この『ラスト・ダンスは私に』の原曲は男性目線の歌なのだけれど、作詞家の岩谷時子(いわたに ときこ)が女性の視点で訳詞したことでツインレイの歌に生まれ変わった。 これはひとりの天使が手渡す花の首飾りに込められた意味そのものなのだ。 『上を向いて歩こう』の永六輔(えい ろくすけ)や『ラスト・ダンスは私に』の岩谷時子は、ツインレイの歌のひな形をつくっていた詩人たちで、1970年代からの創造の時代につながる破壊と再生の担い手が彼らだったのである。 そういう才能が1962年前夜の日本に登場してきていた。

つまり2017年になったとき、ボブ・ディランやビートルズや永六輔や岩谷時子がやった破壊と再生の前提条件が揃っていたのだ。 今なら彼らの残した仕事から形而上的なものを引き継ぎ、次の創造の時代の試金石を作ることができる。

「あの頃はなにもなくて それだって楽しくやったよ」…玉置浩二『メロディー』(1996)
「君を必ず連れて行こう イェー」…奥田民生『愛のために』(1994)

団塊ブリッジ世代のソングライターの使命は、こういう時代背景に破壊と再生の担い手である団塊ジュニアのソングライターを連れて行くことだったのだ。

矢印マーク ハマクラの音楽いろいろ (立東舎文庫)

浜口庫之助が晩年に残してくれた人生の知恵
―これが愛の世代の生きざまなのさ


岩谷時子は1916年生まれ。 1945年の太平洋戦争終結のときは29歳で、『ラスト・ダンスは私に』を発表した1961年はちょうど45歳のミッドライフクライシスを迎えたときだった。 この世代は終戦した1945年に29歳の人生の変動期を迎えたため、32歳から35歳までの人生の勝負どきが戦後の混乱期に重なっていたことになる。 岩谷時子よりひとつ年下のソングライター浜口庫之助(はまぐち くらのすけ)が、この時代の空気感をエッセイに残している。

浜口庫之助の体験した戦後の混乱期における人生の勝負どき


 僕は、メンバーのなかで大きな会社に勤めていた人や、家業を継ぐことになっている人たちに「会社に戻れ、家に帰れ」とすすめた。
 それまで、バンドのメンバーは、音楽が好きだからとか、日本に大衆音楽を広げたいからだとは言っていたが、大部分は、混乱した時代に、飯が食えるからという理由でやっていた。 だが、僕は、社会が落ちついてきたら、本業に戻るべきだと思っていた。
 仲間に転業をすすめながらも、「僕は続けるよ」と言っていた。 これは決してエゴではない。 僕は一生音楽でやっていける自信があった。 天職だと思っていた。 だが、ほかの仲間は、音楽で一生やれる人たちではない。 いまは音楽の方が収入が良くても、必ず挫折がくる。 早く自分の道を見つける方がいいのだ。
 仲間は次々にやめていった。

浜口庫之助『ハマクラの音楽いろいろ』P.23-24 <1>音楽と人生


こうして戦後の混乱期に自分の天職に向かった生き残りが、45歳のミッドライフクライシスを迎えて世に出てきたのが1961年だった。 太平洋戦争のおかげで…というのも変な言い方だけれど、人生の最も大切な勝負どきに身の振り方を真剣に考えることになった世代がいた。 そんな時代背景があったから永六輔や岩谷時子はツインレイの歌をつくることができたのだ。 岩谷時子の世代が42歳になった1958年あたりから、ツインレイの男女が再会して愛の時代がはじまっていたからである。 いつの時代も名曲は民族の集合的無意識から生まれてくる。 だから、こういう愛の歌はそういう時代じゃないとつくれない。

夜更けの街に うるむ夜霧よ
知っているのか 別れのつらさ

いつか二人で つかむ幸せ
祈っておくれ

夜霧 夜霧

僕らはいつも そっと言うのさ
夜霧よ今夜も有難う

(浜口庫之助『夜霧よ今夜も有難う』(1967)より)

42歳で再会できても、男が自分の使命を果たすまでツインレイの男女は一緒になることができない。 深い夜霧が二人を包み、会えない時間に独存のなかで愛を育む。 だから男女は、いつか二人でつかむ幸せを祈りながら、心の中でそっと言うのだ。

「夜霧よ今夜も有難う」

1965年からの高度経済成長のうねりを生み出したのはそんな男女の想いだったのではないだろうか。 こういう時代を生き抜いてきた人たちは、人生には儲からない仕事に専念しなくちゃいけない時がある、ことをよく知っている。 退路を断って賭けに出ることができるから、人生の勝負どきを逃すことがないのだ。 そういう人たちが時代を引っ張っていたのである。

一度逃げた奴はダメな人間だ


 人生は面白い。 苦労すればするほど、なにかを覚えていく。
 「もうからないことをやれ」という意味も分かった。 景気がいいときに、寄ってきて、ダメになると逃げる人間は、何が起こっても必ず逃げる人間ではないだろうか。 いくらその後成功しようとも、一度逃げた奴はダメな人間だ。 いつも負け犬の目をしている。
 勇気ある人間の人生は、いつかは必ず太陽に恵まれる。

浜口庫之助『ハマクラの音楽いろいろ』P.26-27 <1>音楽と人生


そんな彼らの破壊と再生の時代は、ツインレイの男女が一緒になり、54歳の人生の収穫期を迎えた頃の1970年に終わった。 ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス、ジム・モリスンなどのロックスターが相次いで亡くなって、ビートルズも活動を停止。 翌年にはこんな歌が愛の時代の終わりを告げた。

赤とんぼの歌を歌った空は
何もかわっていないけれど

あの時 ずっと夕焼けを
追いかけて行った二人の
心と心が 今はもうかよわない

あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

(作詞:北山修 作曲:加藤和彦『あの素晴らしい愛をもう一度』(1971)より)

僕たち団塊ジュニアが生まれてきた第二次ベビーブーム(1971-1974)は、この年から始まった。 それは名づけて「愛をとりもどせプロジェクト」のはじまりでもあったのだ。 この時代からツインレイの男女が出会うための地図が創造されはじめたのには、そんな時代背景がある。 これは僕たち団塊ジュニアが小学生の頃に流行した『北斗の拳』というアニメの主題歌。 副題は世紀末救世主伝説だった。

YouはShock 愛で空が落ちてくる
YouはShock 俺の胸に落ちてくる
熱い心 鎖でつないでも 今は無駄だよ
邪魔する奴は 指先ひとつでダウンさ

俺との愛を守るため おまえは旅立ち
明日を見失なった
微笑み忘れた顔など 見たくはないさ
愛を取り戻せ…

(作詞:中村公晴 作曲:山下三智夫『愛をとりもどせ!!』(1984)より)

「愛をとりもどせプロジェクト」が本格始動し、空が落ちてきた1984年。 たがいの心を鎖でつなごうとしても今は無駄だよ…そう告げられて、僕たち団塊ジュニアはツインレイの男女が出会うための地図を抱えて人生の旅に出た。 愛の時代を取り戻すために…と言ったらカッコいいけど、訳のわからない時代に放り出されたというのが正確なところだ。 子供の頃に覚えた歌を地図に愛を求めてさまよう世紀末救世主…そんなものには誰もなりたくなかった。 誰か、僕たちの青春を返してくれ。

矢印マーク オー・マーシー

1989年―維持の時代に入った年のボブ・ディランの作品

同時代人には決して評価されない傑作もある


1960年代に登場してきた破壊と再生の主役たちの任期は十年がいいところだった。 1970年代の創造の時代に入ると活躍の場をゆずることになり、1980年代ともなればボブ・ディランですら、圧倒的な知名度を誇るだけの消えぞこないとなっていた。 本人も創作意欲の衰えを感じて引退を考えるほどだったらしい。

その状況が変わってきたのは維持の時代に入った1989年。 その年に発表した『オー・マーシー』というアルバムから、ボブ・ディランは創作意欲を取り戻していく。 結局、アルバムの売り上げ自体は芳(かんば)しくなかったのだけれど、ボブ・ディラン自身は自伝でこう語っている。

ボブ・ディランの回想―アルバム『オー・マーシー』(1989)にについて1


 初めて聞いたり見たりしたときには、まったく意味を持たなかったものが、最高のお気に入りとなって大きな意味を持つようになることがある。 このレコードには、いくつかそういう歌がある。 このレコードのすべてがとても単純で、そして歴然とした事実であるとわたしは思っている。

菅野ヘッケル訳『ボブ・ディラン自伝』 P.275 第4章 オー・マーシー


これは何を語っているのかというと、1989年の維持の時代に入ったとき、団塊ブリッジ世代のソングライターたちと同じ使命をボブ・ディランも背負ったということなのである。 次の破壊と再生の時代がやってきたとき、自分の残した『オー・マーシー』を次世代の才能が聴いたなら、そいつにはきっと意味がわかる。 ボブ・ディランはそういうメッセージを自伝に書き残しているのだ。

ボブ・ディラン自身は1989年の音楽シーンがすでに停滞していることを知っていた。 それでも1989年という維持の時代にあっては、破壊と再生の歌を作ることはボブ・ディランにもできなかったのだ。 そこで次世代の才能に破壊と再生の使命を託すことにした。 その出発点がダニエル・ラノワと製作したアルバム『オー・マーシー』(1989)だったのである。

ボブ・ディランの回想―アルバム『オー・マーシー』(1989)について2


 わたしはラノワが望んでいるような歌―「戦争の親玉」「はげしい雨が降る」「エデンの門」のような歌をわたしてやりたかった。 しかし、そうした曲は異なる環境のもとでつくられたものであり、同じ環境は二度とない。 厳密な意味では、そういうことになる。
 ダニーのためであっても、ほかのだれのためであっても、わたしはあのような歌をつくることができなかった。 そのためには、強い力をもって自分の魂に言うことを聞かせなくてはならない。 わたしはすでにそうした経験があり、一度で十分だったと。
 いつかはふたたび、そうした人が―ものごとの中味を、ものごとの真実を検分できる人が―現れる。 たとえではなく実際に検分ができる人、金属を見極めて、溶かし、それが何であるかを確かめて、厳しいことばと悪意に満ちた洞察でその実体を明らかにする人が。

菅野ヘッケル訳『ボブ・ディラン自伝』 P.272 第4章 オー・マーシー


この玉置浩二の『サーチライト』も、初めて聞いたり見たりしたときには、まったく意味を持たなかったものが、最高のお気に入りとなって大きな意味を持つようになる作品のひとつだ。

ラムネの瓶の 中のガラス玉
どうしても直ぐに 手に入れたくて
雨に濡れたまま
泣きながら 泣きながら
粉々に 割ったんだ

怖くて 寒くて 眠れなくなって
小さな光を 探した夜に

必ず僕を照らす サーチライトを
ずっと 信じてた 信じてた

(作詞:玉置浩二/須藤晃 作曲:玉置浩二『サーチライト』(2013)より)

社会的存在証明を喪失するアイデンティティ・クライシスを体験しなければ本物の才能は手に入らない。 だから男は「普通の男の子に戻りたい」という思いをねじ伏せて、半べそになりながらアイデンティティをぶち壊した。 そうして迷い込んだ暗い森でも、物知りのフクロウがちゃんと見つけて道案内をしてくれると信じながら。

けなげに咲いてる ありふれた花
枯れてもいいと思ってたのに
乾いたこの心で
ちぎっても ちぎっても
どうしても 枯れなくて

涙が溢れて とまらなくなって
小さな光を 探した夜に

必ず僕を照らす サーチライトは
そうなんだ 君なんだ 君なんだ

(作詞:玉置浩二/須藤晃 作曲:玉置浩二『サーチライト』(2013)より)

この二番の歌詞には天才ソングライターの秘技「時空飛ばし」が使われている。 みずからの破壊と再生の使命は果たし終えた。 しかし時が経つにつれて時代はまた停滞へと逆戻りしていった。 誰もが才能を持って生まれてくるとはいえ「呼ばれる者は多いが選ばれる者は少ない」。 若い世代は破壊と再生の使者として選ばれる前に脱落していく根性なしばかりになっている。 そこへ自分と同じ熱い炎を持った若者が、かつて残しておいたメッセージをたよりに這(は)い上がってくる。

怖くて 寒くて 眠れなくなって
誰かの胸を 探した夜に

必ず君を照らす サーチライトに
僕は なれるかな なれるかな

(作詞:玉置浩二/須藤晃 作曲:玉置浩二『サーチライト』(2013)より)

まっすぐな努力の存在するところには誰かが必ずサーチライトを照らしてくれている。 いつの日か、そういう誰かに僕もなりたい。

昴7
谷村新司『昴― すばる ―』(1980)
心随観の教科書 〜 解脱の真理シリーズ 〜
矢印マーク 矢印マーク 『解脱の真理 改訂版―ヒマラヤ大師の教え』


[心随観に入門する本]

つまり心随観の入門書がコレなのである

矢印マーク 『キリストのヨーガ―解脱の真理 完結編』


[心随観を深める本]

つまり心随観の極意書がコレなのである


風の試練ついて3 〜 記憶の飲み物 〜

第三の風の試練ついて3 〜 記憶の飲み物 〜


 導師に与えられるもう一つの「飲み物」は、「記憶の飲み物」である。 これを飲むと、高次の秘密を常に精神の中に生かし続けることができる。
 通常の記憶力はこの場合あまり役に立たないであろう。 人は完全に高次の真理内容と一つにならねばならない。 単にそれを知るだけではなく飲んだり食べたりするのと同じ生きた行為の中で、まったく自然に血肉化しなければならない。 真理内容そのものが行となり、習慣となり、性向とならねばならない。 その内容を通常の意味であれこれと思考する必要はまったくない。 その内容が人間そのものとして表現され、身体の循環機能のように、人間の中を流れていなければならない。

R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.107 霊界参入の三段階


この『坐禅作法』シリーズではカルマヨーガの実態を説いてきたのだけれど、それには三つの大きな柱があったような気がする。 それらの柱は三位一体となって一つの屋根を支えることになるから、本来どれが欠けてもいけない。 ところが僕のブログにやってきた読者の様子を見ていると、ほとんどの人がどれかの柱を欠損してバランスを崩しているようだった。

カルマヨーガの三本柱
【空】―シューニャータ〔sunayata〕


社会的存在証明の喪失によって空っぽの部屋に到達すること

【忠】―ウペクシャ〔upeksha〕


人間関係に折り合いをつけて心の均衡を保つこと

【信】―シュラッダ〔shraddha〕


創造性を身につける過程で民族の指導霊の導きを信頼すること


シュタイナーが風の試練について語っている「記憶の飲み物」は、とりあえず【忠】―人間関係に折り合いをつけて心の均衡を保つこと―に関連させて理解しはじめるといい。

世の中にはいろんな人間関係がある。 親、親戚、兄弟姉妹、友人、恋人、教師、職場の上司・同期・部下、妻または夫がいて、生きているかぎり、そういう頭のネジが緩(ゆる)んでいる人たちと折り合いをつけていかなくてはならない。 だいたい覚者ですら頭のネジがどこか緩んでいて与太話(よたばなし)をはじめるのだから、これは生半可なことではないのだ。 頭のネジがしっかり締まっている人間ばかりではないことを分かっていないことが分かるまで、人間関係には悩まされ続ける。

そこで、たいていの人たちは相手を傷つけないように生きる処世術を身につけて、人間関係に折り合いをつけたつもりになっている。 そうすれば人間関係に悩まなくてもいいし、なにより自分が傷つかなくて済むからだ。 そのため、いい大人のくせして喧嘩のルールを学んだことがなく、恋の仕方もろくに知らないハナタレばかりになっている。 そんなことではいつまでたっても愛をとり戻すことなんかできるわけがない。

親や教師や職場の上司と喧嘩をしたこともなく、兄弟や友人や恋人と傷つけあったこともない人間が、どうして愛をとり戻せるというのだろう。

心配ないからね 君の想いが
誰かにとどく 明日がきっとある
どんなに困難で くじけそうでも
信じることを 決してやめないで

Carry on,Carry out
傷つけ傷ついて
愛する切なさに 少しつかれても

(KAN『愛は勝つ』(1990)より)

1986年からはじまったバブル景気も終盤となり、人々の頭のネジが緩みきって理性がぶっ飛んでいた1990年―僕たち団塊ジュニアは三障の闇に呑みこまれて人生の十字架を背負う16歳を迎えた。 これはそんな世紀末に旅立ちのはなむけに贈られた『愛は勝つ』の一番。 団塊ジュニアにとっては『宇宙戦艦ヤマト』(1974)に続く第二のテーマソングで、この歌は僕らが将来45歳のミッドライフクライシスを迎えたとき、次世代に伝えるべき声明を教えていた。 この『愛は勝つ』には巧妙な時空飛ばしが使われているのだ。

Oh もう一度夢見よう
愛されるよろこびを知っているのなら

(KAN『愛は勝つ』(1990)より)

一番は1990年時点の16歳の団塊ジュニアへの助言だったのだけれど、これは2016年時点の42歳の団塊ジュニアへの助言になっている。 ツインレイの男女が再会して愛されるよろこびを知る42歳だ。 それから後、やるべきことの続きを思い出すと、もう一度、夢を追い続けるために俗世に帰還していく。 そうして45歳のミッドライフクライシスを迎えた2019年から次世代に伝えていく声明がこれだ。

夜空に流星をみつけるたびに
願いをたくし僕らはやってきた

どんなに困難で くじけそうでも
信じることさ
必ず最後に 愛は勝つ

(KAN『愛は勝つ』(1990)より)

現在の形骸化した日本の社会制度に破壊と再生をもたらす鍵は、一人ひとりが愛をとり戻すことにある。 僕らは小泉内閣の時代、政治や経済から社会全体を変えようとして失敗した。 だから今度は愛の歌や物語を共通言語として集合的無意識の奥深くから世代間の絆を結ぶ。 そんな静かでありながらも揺るぎない沈黙の革命―それが重要なのだ。 僕たちは愛を大きく育てることによって新しい日本を勝ちとる。

Carry on,Carry out
求めてうばわれて
与えてうらぎられ 愛は育つもの

Oh 遠ければ遠いほど
勝ちとるよろこびはきっと大きいだろう

(KAN『愛は勝つ』(1990)より)

それは遠い道のりになることだろう。 でもそれは不可能じゃない。 21世紀の日本国民は、誰もが愛される喜びを知ることができる、誰もが自分の天職を見つけることができる。 なぜなら、ここに『坐禅作法』シリーズというマニュアル・ブックがあるからだ。 愛の喜びを知った者たちが天職に就いて世の中を引っ張っていく。 それが正真正銘、真向勝負の正攻法だと僕はおもう。

さて、カルマヨーガのお話に戻ろう。 もしも喧嘩や恋をするなら、傷つけ傷ついて、与えてうらぎられることは避けられない。 それでもCarry on,Carry outするのだ。 つまり、途中で挫折しそうになっても起ち上がってまた立ち向かう。 そうやって喧嘩や恋を乗り越えていかなかったら、愛はとり戻せないのである。

心配ないからね 君の勇気が
誰かにとどく明日はきっとある

どんなに困難で くじけそうでも
信じることさ
必ず最後に 愛は勝つ

(KAN『愛は勝つ』(1990)より)

だからまずは、傷つけ傷ついて、与えてうらぎられる“勇気”。 それを基本姿勢として身につけていなければならない。 そうして【忠】を見つけたとき、はじめて「必ず最後に愛は勝つ」という真理を知ることができる。 【忠】は“どまんなかの心”と書いて「まごころ」と読む漢字。 そのどまんなかの心にスジがビシッと通ったとき、愛はそこにあるのだ。 その愛を見つけたとき、君の勇気が誰かにとどく。 つまり、ものごとがあるべきところに納まって一件落着となる。

ただ勇気といっても、こんな風にスジの通し方を履き違えてはいけない。

32歳で発狂した修行者の投稿


責任転嫁したんじゃない、切ったんだよ。
そんなこともわからないのか。
切ったんだよ、自分の中毒的な部分を。
だからあなたとの関係だってもう続けられるわけがない。
もう欺瞞でしかないからね。


この投稿者は32歳で発狂して手遅れになった人物で、ある日突然、切ったとか切らないとかいう頓珍漢(とんちんかん)な話を持ち出してきた。 僕の父親もそうだったのだけれど、自分の立場が悪くなると「縁を切る」などと言い出して人間関係の学びから逃げ出そうとするハナタレがいる。 そういうのは、まともに恋を乗り越えてきたことのない男に多くて、「人間関係の縁が切れるのは、どまんなかの心にスジを通したとき」という道理がまったく分かっていない。 そういうハナタレにかぎって男同士の喧嘩のルールも知らないものだ。

したがいまして、日本男児として生まれたからには、産湯(うぶゆ)を使ったすぐあとに、八代亜紀(やしろ あき)ねえさんと高橋真梨子(たかはし まりこ)ねえさんから恋の手ほどきを受けなければいけません。 阿久悠は八代亜紀と高橋真梨子という二人の女性シンガーに、それぞれ二曲ずつ恋の手ほどきを託している。 なかでも八代亜紀の『雨の慕情』は恋の基本を教える名曲中の名曲なのだ。

心が忘れたあの人も
膝が重さを覚えてる
長い月日の膝まくら
煙草プカリとふかしてた

(作詞:阿久悠 作曲:浜圭介『雨の慕情』(1980)より)

男女が別れるときは、あらんかぎりの努力をはらっても、もはや空中分解を避けられなくなっている。 かつて関係がうまくいっていた時のように、どれほど相手にみずからの脳波を送り込んでみたところで、すでに引き返せなくなっていることを思い知るだけだ。 恋の終わりはお互いの努力が限界点に達したところでやってくるものと決まっている。

そしてその頃には、どちらに別れの責任があり、どちらを被害者と呼べばいいのか、分からなくなっているものだ。 別れの理由を考えれば考えるほど、そんなことは誰にもわからないという結論にしか行きつかない。 そもそもこれは白と黒をはっきり色分けする一般的尺度では解決できない問題になっているのだ。 おかげで憎いと恋しいの間で、心は激しく揺れうごくことになる。

憎い 恋しい 憎い 恋しい
めぐりめぐって 今は恋しい

(作詞:阿久悠 作曲:浜圭介『雨の慕情』(1980)より)

こうして制御不能のジェットコースターのような昇ったり降りたりを繰り返すうち、希望と失望のいり混じった ため息を交互に繰り返すことにうんざりしてくる。 そうして心の動揺が落ちついてきたとき、相手のことが憎いでも恋しいでもなくなるポイントが見つかる。 そこが【忠】―どまんなかの心―だ。 もちろんそのポイントを見つけるには気の遠くなるほどの時間がかかる。

雨々ふれふれ もっとふれ
私のいい人 つれて来い
雨々ふれふれ もっとふれ
私のいい人 つれて来い

(作詞:阿久悠 作曲:浜圭介『雨の慕情』(1980)より)

この歌の主人公の女性は恋を乗り越えようとしている“いい女”だ。 「人間関係の縁が切れるのは、どまんなかの心にスジを通したとき」という真理をちゃんと学んでいる。 そうしないと過去の恋をいつまでも引きずることになり、次に関係を結ぶべき“いい男”と出会うことが一生できないのである。

【忠】―ウペクシャ〔upeksha〕のコツ


 真ん中というのは外側にあるひとつの固定的な点じゃない。 あなたは左から右へと動くことによって、あるいは瞬間から瞬間へ、反対同士のバランスを取ることによってこそ、それに達することができる。

 愛の中の憎しみ
 慈しみの中の怒り

 反対同士の間でバランスを取り続けなさい。 すると少しずつ、あなたはその“コツ”をつかめるようになるだろう。 憎しみと愛の間のどこかで、それは起こる。
 私が“どこか”と言うのは、そのポイントは割り出せるものではないからだ。 それはあまりにも生きた現象であって、はっきりそれと指し示すことができない。

和尚『TAO1』P.320 第6話 Q&A 無言のメッセージ


この【忠】のコツは、求道者なら27から32歳のあいだに掴んでおくべきものなのだけれど、僕の統計では、【忠】のコツをつかみ損ねた人たちが27-32歳くらいの時期によく神秘体験をしていた。 そういう人たちが36歳を過ぎるとカオナシか湯婆婆の豚になっていったから、たぶん、この時期の神秘体験というのは渾沌の青い闇に呑み込まれ始めたことへの警告なのだとおもう。 その神秘体験とは、こういうものだ。

よくある神秘体験の一例


 唯一不思議な体験を上げるとすれば、瞑想合宿終了後、数日経って近くの公園を散歩しているとき、突然自分がいなくなるというか、自分という存在が無くなってしまい、目の前の景色がとても鮮明にキラキラと輝き始め、自然と心から湧き上ってきた言葉がありました。

 「この世にネガティブもポジティブも正も負もないんだ。 全てはフラットなんだ。 散歩中の人達も生えている樹木や草も全て同じで優劣なんてないんだ。」

 本当に不思議な体験でした。 1時間ほどで元の意識に戻ってしまいましたが、思考も妄想も起こることなく、心は静まりかえって平安で心地良い空間に満ち溢れていました。


これは最初に相談をしてきたとき35歳だった人物の32歳頃の体験なのだけれど、【忠】のコツを掴み損ねていたくせに、密教的行法でクンダリニーを刺激したのが32歳頃だったそうだ。 おかげで最初の相談の時点で、文章の意図をくみ取れないコミュニケーション障害がすでに始まっていた。 そこで、いますぐ俗世の仕事を辞めてアイデンティティクライシスを透過しないと精神分裂症になると指摘したところ、それっきり交信が途絶えてしまった。

これはその一年後、36歳で再び相談してきたときの症状。

36歳で発症するクンダリニー症候群の一例


 仕事帰りに電車で毎回うたた寝してしまうのですけど、目を瞑るだけで自動的に気の流れが激しくなったり、脳内が光に満たされたりしてしまうのです。 本当にただ目を瞑ってるだけなんです。 就寝前の座禅も、完全に目を瞑ると色んな現象が勝手に始まってしまうので、半眼にしています。

 そのエネルギーや光がここ最近、後頭部に集中し始めて、後頭部から仙骨辺りまでパイプのような空洞を知覚し始めました。 今までは頭頂部(百会)から気の出入りがあったのですが、現在は後頭部から背骨沿い → 仙骨までのルートで気の出入りが激しくなり、そして百会から今まで感じたことのないトロトロとした気が足先に向かって流れ始めます。

 「白隠禅師 健康法と逸話」という書籍を昨日から読み始めていますが、なんその法について以下の言葉がありました。

 「つねにこの観法をおこなって工夫し、熟達し成功すれば、いかなる病でも治り、どのような事業や学問にも、必ず成功するものであり、霊的療法であります。 白隠が老いさらばえて、大いにくだらぬことを説くということなかれ。 諸君は今後、おそらく、なんその法の真なるを悟り、手を打って悦び、大笑することがかならずあるでありましょう。」

 白隠禅師の言葉を信じて、なんその法に全てを賭けるくらいの気持ちで行じます。 クンダリニー症候群も含めて、しっかり治って昔の正常な自分に戻りたいです。


どうやら彼はそのまま俗世の仕事を続けてしまっていたらしい。 僕が悟りの軌道理論の探求を通して発見したのは、「人間関係の折り合いの付け方を知らないまま悟りの軌道に入って、なおかつ形而上の仕事に志願しないでいると、渾沌の青い闇に呑み込まれて、そのままあっちの世界に逝ってしまう」という現象だった。

おそらく2500年前の印度に釈迦の残した仏教教団は、そういう人たちを仏陀と呼ぶカルト教団に変質していったのだろう。 彼らはそういう究極の現実逃避の世界をニルヴァーナと呼び、あっちの世界に逝きたがった。 そのため滅後100年経った頃に仏典結集を行わなければならなくなったのだ。 600年頃に中国で生まれた禅も、100年後には南北に分かれて同じような運命をたどっている。 正統のカルマヨーガを伝える北宗のほうが廃れていってしまった。 けれどもいま僕たちが生きているのは、B.C.400の印度でもなければ、A.C.700の中国でもない。 21世紀の日本だ。 やるべきことをやらずに白隠の言葉なんか信じてたらクルクルパアと呼ばれるだけである。

もしも彼のような症状があらわれたら、出口のない迷路に投げ込まれてしまったことを、ひとつの冷徹な事実として受け容れ、あっちの世界で究極の現実逃避を楽しむ以外に方法はないとおもう。 できることならタイムマシンに乗せてB.C.400の印度に連れていってあげたいものだ。

なので人間関係に折り合いを付ける【忠】のコツは、27から32歳のあいだにしっかり掴んでおいてほしい。

矢印マーク 信心銘

和尚による三祖『信心銘』の解説
心随観の基本を禅的に説明するとこうなる


この【忠】のコツを教えるのが僕の大学時代の彼女―ぷっつんレディ3号のハディル的役割だった。 かつて別れ話をしたとき、彼女はトラベリン・バスに乗ろうとしていたボクの胸中を知っているかのようにほほ笑んでいた。 とても憎みきれそうにない微笑…その微笑がいつかうまく説明をつけなくてはならない風景として、僕の脳裏にそのとき焼きついた。

ぷっつんレディ3号は、ぷっつんレディ4号というハディルに出会う前に恋をするハディル。 いわばファム・ファタール―男を破滅させる運命の女―として一般に知られているハディルで、そのまま結婚したりすると男は天職への道を断たれてしまうことになる。 たいていの男がいい大人になってもハナタレなのはファム・ファタールと結婚しているからなのだ。 近ごろは恋をしようとしない草食系男子というのもいるそうだけれど、それはハナタレ以前の論外。 昔からそういう男たちはオカマと呼ばれている。 呼称を変えて日本男児を甘やかすな、このバカたれども…と僕は言いたい。 とにかく、独りになって始末しなくてはならない課題を出しあって別れるのが、ファム・ファタールと人間関係を結んだときの正しい作法となる。

お酒はぬるめの 燗がいい
肴はあぶった イカでいい
女は無口な ひとがいい
灯りはぼんやり ともりゃいい

(作詞:阿久悠 作曲:浜圭介『舟唄』(1979)より)

男はひとり酒をのみ、別れた彼女のとても憎みきれそうにない微笑にうまく説明をつけようとしている。 どこがどういけなかったとも言えず、どこがどうよかったとも言えない。 ただ、なにか胸にひっかかるものがあるのだ。 彼女の暗示と謎かけに満ちた微笑は、酒にまぎらわせてすんなり飲みこむことなんかできない。

しみじみ飲めば しみじみと
想い出だけが 行き過ぎる
涙がポロリと こぼれたら
歌いだすのさ 舟唄を

(作詞:阿久悠 作曲:浜圭介『舟唄』(1979)より)

男は弱くて脆(もろ)い自分の心の風景を誰にも見られたくなかった。 けれども彼女と恋をすることはそんな自分の心の風景をのぞかれることだった。 だから、かつての男は自分の周りに築きあげてきた心の防壁をぶち壊されたことに腹を立て、彼女を憎もうとしたのだ。 でも彼女の微笑はそれをゆるさなかった。 もしかすると彼女は、怯えながらもトラベリン・バスに乗ろうとしていた自分の胸中を察して、そっと送り出してくれていたのかもしれない。 男の目から涙がポロリとこぼれた。

沖のカモメに 深酒させてヨ
いとしあの娘とヨ 朝寝する ダンチョネ

(作詞:阿久悠 作曲:浜圭介『舟唄』(1979)より)

ギャアギャアうるさい沖のカモメのような心の声が静まっていき、男は憎いでも恋しいでもない【忠】―どまんなかの心―があることを知った。 これでようやく自分も新しい恋の海原に舟を漕ぎ出すことができる。 あとには海鳴りの歌が聴こえるばかりだ。

ルルルルルル ルルルルルル…
(作詞:阿久悠 作曲:浜圭介『舟唄』(1979)より)

舟のうえに立ってバランスをとる船頭のように、心の波間に揺られながら、どまんなかの心を保ち続ける…それを男たちは舟唄と呼ぶ。

【忠】―ウペクシャ〔upeksha〕とは無関心のこと


 何を感じようとも、真ん中に動こうとしてみるのだ。 するときっと驚くだろう。 あらゆる両極端の間にその両方が存在しなくなるような点がある。 憎しみでも愛でもなくなるような点だ―そこが仏陀がウペクシャ〔upeksha〕―無関心―と呼んだものだ。

 無関心というのはぴったりの言葉ではない。 ウペクシャとは、そこに立てば、あれでもなく、これでもなくなるような、そういう中間点のことだ。

和尚『信心銘』P.93 第二章 道は完全だ


このどまんなかの心にある無関心を、僕は見限りのポイントと呼んできた。 僕らは父親や母親と一騎打ちの喧嘩をはじめる前に、まずこの見限りのポイントを学んでおかなければならない。 だから手順としては、ファム・ファタールとの恋を乗り越えて見限りのポイントを掴んでから、いよいよ父親や母親と喧嘩をしていくことになる。

僕がぷっつんレディ3号と別れ話をした頃に、弟が或る女と付き合い始めた。 いわゆるファム・ファタールで、火遊びするにはいいけれど結婚するとしたら最悪な女だった。 馬鹿な弟は大学卒業後すぐにその女と結婚してしまったのだけれど、僕は断固反対で結婚式にも出なかった。 どの面(つら)さげて出席すればいいのか分からなかったからだ。 でもその出来事以来、僕は母親からずいぶん責められることになった。

「あんたはどうして素直に祝福できないの」
「祝福しないとは言ってない。お前らは馬鹿だと言ってるんだ」

そのとき親戚に42歳で交通事故に遭ってオツムの逝ってしまった叔父がいた。 事故に遭って稼げなくなった直後に結婚相手の女に逃げられ、叔父はそのショックでオツムが逝ってしまったようなものだった。 金の切れ目が縁の切れ目。 ファム・ファタールとのあいだに愛情なんてものはこれっぽっちも育たない。 弟の結婚相手というのは、つまるところ、そういう娼婦みたいな女だった。 で、どういうわけか彼女が叔父の結婚相手と同じ匂いを持っていることが僕には分かった。 たぶんぷっつんレディ3号との別れをすでに体験していたからだとおもう。 でも家族の中の誰もそういう匂いを嗅ぎとれなかったらしい。

僕も若かった。 弟の人生は、すでに沈没必至の巨大な氷山の一角に向かって避けることのできない緩慢な航行を続ける船のようなものになっている、ということが理解できなかった。 母親も滅茶苦茶で、ファム・ファタールはそもそも家族に招き入れるべき女ではないから、嫁と姑の関係は険悪になると決まっているのに、その責任を結婚式に出席しなかった僕に転嫁してきた。 だから最初に僕を駆り立てたのは、こうした無知や無理解に対して燃えさかる真っ赤な怒りだった。 そんな粛正(しゅくせい)の炎が僕の中にダークハーフを生み出して才能を覚醒させた。

それから父親や母親と喧嘩をしていくうちに、怒りと慈しみの間で心のバランスをとることを覚えるようになった。 やがて40歳になり、ダークハーフを落とす段階に入ると、真っ赤に燃えさかる怒りは、いつのまにか淡い青色の慈愛のようなものに姿を変えていた。 つまりは、そのための一騎打ちの喧嘩なのだ。

だから喧嘩といっても、「喧嘩のあとの和解もまた、どまんなかの心にスジを通したときにやってくる」という真理があって、その喧嘩のルールに則っていないと、旧日本軍がやったみたいに近隣諸国との間にしこりを残すようなマネをしてしまう。 喧嘩にだって、やっていいことと悪いことがあるのに、そんなことも分からない旧日本軍みたいなやつを田吾作(たごさく)と呼ぶことにしようか。

喧嘩のルールの基本は、人生最初の厄年13歳の頃に中学校の教室で学ぶものなのだけれど、その時期にいじめっ子やいじめられっ子をやっていたり、早稲田大学の附属校みたいなところでボンボンをやって喧嘩を避けていると、大人になっても喧嘩のルールを知らない田吾作になってしまうものらしい。 そういう田吾作たちが人の親となり、こういう田吾作父子の悲劇を生んでいる。

田吾作父子の悲劇の一例


 こんなの、出てきました。

 たびたび、父に殴られる。 小学生のころからでした。 高校時代の日記を見ると、三日に一度は殴られていました。 父は、言うんです。 「オマエは根本がわかってない。ま心がない」

 つまり、そんな、小学、中学時代を過ごしました。 暴力ですね。 だから、ボクは断言する人に弱わかったんだ。 ようやく、わかりました。

 ある晩、高三年のとき、父に殺意を抱き、口論のときに殺してやろうと、殴りかかったところ、迷いが生じ、ボクのパンチは、なんとも情けない、ペチンという音とともに、父の頬に。 しかし、父は、驚きました。 涙、流して、「出ていけ。出ていけ」と叫びました。 その晩、ボクは家を出ました。

 これが、ボクのプッツン体験だったんだと、ようやくわかりました。


こういう話を聞くと普通の人は彼に同情するのだろうけれど、そもそもその発想がおかしい。 僕の父親も田吾作だったから、家庭環境としてはこの田吾作父子の彼と何も変わらなかった。 田吾作父子の悲劇は、程度の差こそあれ、どこの家庭にもあるのだ。

ただ僕の場合は、人生最初の厄年13歳の頃から、S・キングの『スタンド・バイ・ミー』にヒントを得て、この喧嘩のルールを肌身で学んでいった。

― 事態の解決策は、問題の二人の男を教え諭(さと)すことでも、同情することでも、喧嘩をすることでもなかった。 その解決策は、私が二人の男の境遇を理解し、なおかつ、それにまつわる思考に執(とら)われないでいる方法を知ることにあったのである。  ―

人生に喧嘩の勃発は避けられない。 そういうときは、その事態の本質を理解して、どまんなか心を見つければいい。 そうすれば争いは調和にいたり、しこりを残すことなく和解できる。 旧日本軍のように、原子爆弾を二度も落とされるまで争いの終わらせ方を学ぼうとしなかった…なんてのは最低の決着なのだ。

さて、田吾作父子の彼はどうだろう? 高校三年になるまで自分の人生から喧嘩のルールを学んでこなかったくせに、「これがボクのぷっつん体験だった」なんて武勇伝みたいに語っている。 僕は、むしろ、こういう喧嘩のルールを学ぼうとしない男たちを責めるべきだとおもう。

そんな田吾作たちの問題点は、そもそもこういう少年時代を送ってこなかったことにある。

ものを考えない人間に限って他人の話を聞かない


 小学校時代、彼はろくに口をきかなかった。 いざとなれば弁が立つことは自分でもわかっていた。 しかし親しく話ができる相手もいなかったし、人前で弁舌を振るう機会も与えられなかった。 だから常に口を閉ざしていた。
 そして他人が語ることに―それがたとえどんなことであれ―注意深く耳を澄ませるのを習慣とした。 そこから何かを得ようと心がけた。 その習慣はやがて彼にとって有益な道具になった。 彼はその道具を使って多くの貴重な事実を発見した。 世の中の人間の大半は、自分の頭でものを考えることなんてできない―それが彼の発見した「貴重な事実」のひとつだった。
 そしてものを考えない人間に限って他人の話を聞かない。

村上春樹『1Q84 BOOK3』 第10章(牛河)ソリッドな証拠を集める


自分の生まれてきた現象世界の意味をいまだ掴みきれず、戸惑うばかりの少年少女は、少しでもその意味を理解しようとして、まず他人が語ることに注意深く耳を傾ける習慣を身につける。

― それがたとえどんなことであれ ―

そうやって少年少女は、あらゆる可能性や仮説を頭の中に並べて綿密に検証していくことを学び、やがては自分の頭でものを考えるようになっていくのだ。 そういう習慣は、まだどんな知識にも染まっていない小学生の時分に身につけておかないと、大人になってから取り戻すことは難しいとおもう。

僕の人生にとって大事なことはいつもNHKが垂れ流している電波みたいに送られてきた。 『宇宙戦艦ヤマト』『スター・ウォーズ』『雨の慕情』『舟歌』『昴』『愛燦燦』『スタンド・バイ・ミー』…これらはみんな小学生の頃にテレビやラジオで垂れ流しにされていたものだ。 僕はそこから民族の指導霊が発信している声明を受信してきた。 人生の大事なことはそうやって暗示的に知らされてきたのだ。 それが民族の指導霊の用いるバベル語の語法なのだとおもう。

― ものを考えない人間に限って他人の話を聞かない ―

だからこれは、ものを考えない人間は民族の指導霊の声明を受け取ることもできないという意味でもある。 以前『千と千尋の神隠し』を観たことがないと語っていた湯婆婆の豚は、こんなことも語っていた。

ものを考えない人間は民族の指導霊の声明を受け取ることもできない


 布施さんは小説や歌から、自我について訴えている事を汲み取ることができるようですが、これは布施さんが精神世界の勉強をしているからできる事であって、通常はできませんし、その為に作られているわけでもありません。
 実際に、小説や歌だけで、自我の確立について学ぶ事は不可能でしょう。


それは全然違う。 僕は歌や物語から自我の確立を学んできたし、歌や物語は民族の指導霊によってそのために創造されている。 それらは、その時代を生きる人々に耳ざわりな警鐘を鳴らし、歩むべき道を教え、ときには未来を予見してみせることさえある。

それを受け取れないのは、小学生の時分に、他人が語ることに注意深く耳を澄ませようとしなかったからであり、そのせいで自分の頭でものを考えることができないからだ。 その差が人生最初の厄年13歳にあらわれ、その後の歳月で大きく開いていくものと考えられる。

矢印マーク 1Q84 BOOK3

2009年―村上春樹61歳厄年の集大成


だいたい民族の指導霊というのは、NHKの集金人みたいなやつらで、勝手に電波を垂れ流しておきながら、しっかり代価を請求してくる。 僕は32歳になったときに集金人からドアをノックされた。 それが人生初となる内なる声だった。

― 「オマエの願いは聞き入れられた」 ―

おそらく僕は彼らの発信している電波の優良な受信者だったのだろう。 彼らは僕に形而上の仕事に従事する労役で代価を支払うことを要求してきた。 たとえば、こんな感じで。

ドアをノックする民族の指導霊


 「人は受け取ったものの代価を払わなくちゃなりません。 それが社会の決まり事です。 あなたは電波を受け取りました。 ですからその料金を支払う。 もらうだけもらって何も差し出さないというのは公正ではない。 泥棒と同じです」

 彼の声は廊下に大きく響いている。 しゃがれてはいてもよく通る声だ。

 「わたくしは何も個人的な感情で動いているのではありません。 あなたのことを憎んでいるとか、懲(こ)らしめてやろうとか、そういうことでは毛頭ありません。 ただ公正ではないことに生来我慢がならんのです。 人は受け取ったものの代価を支払わなくてはなりません。 高井さん、あなたがドアを開けない限り、わたくしは何度でもやってきてノックします。 そんなことはあなただって望まぬはずですよ。 わたくしだってなにも話のわからんジジイじゃありません。 話し合えばきっと妥協点が見いだせるはずです。 高井さん、ひとつ気持ちよくこのドアを開けてくれませんか」

 ノックの音がまたひとしきり続く。

村上春樹『1Q84 BOOK3』 第14章(青豆)私のこの小さなもの


そうして最後は泣き落としで説得してくる。 それが32歳の興菩提心体験。 その内的体験については村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』の冒頭で、こんな風に描かれている。

(『ダンス・ダンス・ダンス』にみる)ぷっつん体験1 〜 興菩提心体験 〜


 よく いるかホテルの夢を見る。

 夢の中で僕はそこに含まれている。 つまり、ある種の継続的状況として僕はそこに含まれている。 夢は明らかにそういう継続性を提示している。 夢の中では いるかホテルの形は歪められている。 とても細長いのだ。 あまりに細長いので、それはホテルというよりは屋根のついた長い橋みたいに見える。 その橋は太古から宇宙の終局まで細長く延びている。 そして僕はそこに含まれている。 そこでは誰かが涙を流している。 僕の為に涙を流しているのだ。

村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス(上)』1章


興菩提心体験とそれに続くぷっつん体験については、たいていの読者が勝手な思い込みをして透過したつもりになっていた。 41歳までの僕は(いまでもときどき…)彼らの言葉を疑うことなく信じたせいで、修行者をずいぶんミスリードしていた。 その誤りを指摘してくれたのが正師・秀爺で、それがなかったら湯婆婆の豚の生態を見抜けず、神隠しの最終試験にパスできなかったとおもう。

したがって以下のM・ベインの回想は腐れ神の苦団子の奥義と言えるだろう。 神隠しの世界から抜け出るためには絶対に必要なことだから、頭の片隅にメモしておくといい。

M・ベインの語る腐れ神の苦団子の奥義


 私は、意識的に、目を大きく覚まして、他人の意見を疑ってかからなければならない理由を知り得た。 彼等の云う事を電光石火の速さで探ると、彼等が単なる模倣者、単なる蓄音器にすぎないことを知ることができる。
 併し又それだけで済ましてはならぬことも分かった。 即ち、私は、自分自身の想念と感情とに対する反応にも疑問を発して、その行く先、その動機と理由とを見究めなければならないのである。
 私は今や自分の心の中にあるものの本態を知り、その依って来る所以とを見抜くことができた。

M・ベイン『解脱の真理』 第三章 リンポチェ大師の説く解脱の真理(二)


僕はこうして人の言葉を疑うことを覚えていったのだけれど、そこで見えてきたことは、僕が想定している以上に、自分の頭でものを考えることができない人たちばかりで、誰も他人の語ることに注意深く耳を澄ましていないということだった。 そんなことでは民族の指導霊にドアをノックされるわけがない。

その違いは32歳になる頃には打ち消しがたく存在していて、ドアをノックされる人とされない人、つまり興菩提心体験やぷっつん体験を透過できる人とできない人は、プラトンが指摘していたように30歳の選抜試験ですでに選り分けられていると考えたほうがよさそうな気がする。

そう考えるようになったのは、このずば抜けてセンスのいい女の子が投稿してきてからで、彼女は興菩提心体験の涙を自分の実体験から報告してきた。 こんな人はそれまで一人もいなかったのだ。

興菩提心体験の涙の報告


 ちょっとはマシな、、、の“興菩提心”をもう一回読んでみたところ、これは、、、ううむ、、、全部、そのまま思い当たりました。

 「心の奥底にもう一人の自分がいて、そいつが泣いているような感覚」という、まさにそうでしたし、ものすごく、ひとり、というのを思いました。 (寂しいとか孤独とかではなくて、たったひとりでここにあることの、何ていうのか、宇宙的な感じ)

 何度か読んでいるはずですけど、自分が通ったあとの振返りじゃないとビシッっと来ないようになってるものですね。


この世には泣いて泣いて泣き空かさないかぎり止まってくれない涙がある。 堰(せ)き止めることも押し戻すこともできない涙に思いのままにさらわれ、それまで味わったことのない深いやさしさに包まれる涙。 <<いまはただ泣くしかない、泣きたいだけ泣けばいいんだ>>…このときの涙はそんな涙だ。

永遠なのか本当か
時の流れは続くのか
いつまで経っても変わらない
そんな物あるだろうか

見てきた物や聞いた事
いままで覚えた全部
でたらめだったら面白い
そんな気持ち分かるでしょう

(甲本ヒロト『情熱の薔薇』(1990)より)

この『情熱の薔薇』もまた『愛は勝つ』と同じ1990年に僕たち団塊ジュニアに贈られた助言の歌だった。 「そんな気持ち分かるでしょう?」…これは32歳の興菩提心体験を透過した人たちへの問いかけになっていて、 いつまで経っても変わらない時と場所が心の奥にある、いままで覚えた全部は本当にでたらめだった…その真実を知ったとき、興菩提心体験の涙は心のずっと奥の方からやってくるのだ。

答えはきっと奥の方
心のずっと奥の方
涙はそこからやって来る
心のずっと奥の方

(甲本ヒロト『情熱の薔薇』(1990)より)

それは自分がこれまで失ってきたもののための涙であり、これから失おうとしているもののための涙なのかもしれない。 僕はその歳まで公認会計士を目指していた。 けれども32歳の興菩提心体験のときには、これ以上どうあがいても無駄だという限界点に立っていた。 そういうものに挑戦する若さと気力が失せていたのだ。

なるべく小さな幸せと
なるべく小さな不幸せ
なるべくいっぱい集めよう
そんな気持ち分かるでしょう

(甲本ヒロト『情熱の薔薇』(1990)より)

何でもがむしゃらに頑張ればいい…というものではなかった。 やり直せるものなら、今度は両親や世間の目を気にすることなく、自分の本心に嘘をつかないで、どんなに小さなものに見えても、自分だけの幸せを探し求めたいとおもった。 僕はそうした小さな幸せをいっぱい集めてくるべきだったのだ。 たとえ誰かの意見に流されて道を踏みはずしたとしても、なるべく小さな不幸せにとどめて、早い段階で自分だけの幸せの道に引き返すべきだったのだ。 でもそうしてこなかったために、ものごとが大きく複雑になりすぎていた。

情熱の真っ赤な薔薇を
胸に咲かせよう
花瓶に水をあげましょう
心のずっと奥の方

(甲本ヒロト『情熱の薔薇』(1990)より)

僕は人生の行く末を賭けるつもりで公認会計士の受験勉強に専念した。 周囲にもそうやって宣言してきた。 けれどもそれは大きな不幸せをもたらしただけだった。 今からでも自分だけの幸せの道に引き返したかった。 そしてもしそうするなら赤っ恥を覚悟で振り出しに戻るしか方法はないだろう。 でも、それくらいで済むのなら、たいした問題ではない気がした。

頭を悩ませたのは、引き返すといっても僕には何の技能も手づるもないことだった。 だからといって、ありきたりな仕事に就職する道を選んでしまったら逆戻りになる。 情熱の真っ赤な薔薇を胸に咲かせることなんか一生できやしないだろう。 崖っぷちだった。 よかれと思って試してきたことのすべてが行くあてを失ない、いまや時計の針を元に戻すこともできない。 再起に賭けるとしても自分の手持ちのカードだけではどうしようもないのだ。 テレビの電源プラグを引っこぬくように、人生ドラマのすべてを終わりにして初めからやり直したい気分になってくる。 でなければ、なんらかの奇蹟を期待するほかない。

小さい頃は神様がいて
不思議に夢をかなえてくれた
やさしい気持ちで目覚めた朝は
大人になっても奇蹟はおこるよ

カーテンを開いて 静かな木洩れ陽の
やさしさに包まれたなら きっと
目に映るすべてのことは メッセージ

(荒井由実『やさしさに包まれたなら』(1974)より)

そういえば興菩提心体験の涙を流したとき、たしかに僕はやさしさに包まれた。 もしかしたら大人になっても奇蹟はおこるかもしれない…僕は精神世界の本を物色して心随観を会得していった。 花瓶に水をあげましょう、心のずっと奥の方。 そうやって目に映るすべてのことに注意を払ってメッセージを待った。 やがて相棒(バディ)から一本の電話がかかってきたのは、33歳の夏のことだった。

「前任者がノイローゼで入院したらしくてプログラマーを探してる人がいる。たいした仕事じゃないから面接を受けてみないか」

僕はこの機会を利用してひとつ運試しをしてみることにした。 もしも採用されたら僕の人生はそこまでだ。 あとは賃金奴隷になって一生を終える。 でも採用されなかったらもうありきたりな仕事なんかしない。 自分の天職を見つけるさすらいの旅に出る。 それで、運が良かったのか、悪かったのか、僕は採用されなかった。 あまりにもわかりやす過ぎる顛末(てんまつ)だった。 もはやこれ以上失うべきものなど何もないじゃないか…僕は笑った。 ようやく自分の境遇を笑い飛ばせるようになったということかもしれない。 これが自由だ! 生まれてはじめてそう思えた。

小さい頃は神様がいて
毎日愛を届けてくれた
心の奥にしまい忘れた
大切な箱 ひらくときは今

雨上がりの庭で くちなしの香りの
やさしさに包まれたなら きっと
目に映るすべてのことは メッセージ

(荒井由実『やさしさに包まれたなら』(1974)より)

あとは振り出しに戻り、サイコロを転がして、出たとこ勝負の賭けに出るだけだ。 僕は公認会計士のテキストを捨てた。 それが社会から与えられる存在証明を突き返し、自分の社会的立場を危険にさらし、俗世の名前と引き換えに魔女と密約を結んだぷっつん体験の瞬間だった。 そうして僕という存在が社会から抹消されたとき、心の奥にしまい忘れた大切な箱が開き、僕は空っぽの部屋に立っていた。

「ここが君の新しい仕事場だ」

(『ダンス・ダンス・ダンス』にみる)ぷっつん体験2 〜 空っぽの部屋 〜


 「でもあんたは結局ここに来た」と羊男は言った。

 「そうだね、僕は結局ここに帰ってきた」と僕は言った。 「この場所のことを忘れることは出来なかったんだ。 忘れかけると、何かが必ず僕にここのことを思い出させた。 たぶんここは僕にとって特別な場所なんだろう。 好むと好まざるとにかかわらず、僕は自分がここに含まれているように感じるんだよ。 それが具体的にどんなことを意味しているのか僕にもわからない。 でも僕ははっきりとそう感じるんだよ。 夢の中でそう感じたんだ。 ここで誰かが僕のために涙を流して、そして僕を求めているんだって。 だから僕はここに来る決心がついたんだ。 ねえ、ここはいったい何処なんだい?」

村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス(上)』11章


空っぽの部屋はノーディレクションホーム(No Direction Home)という名称で世界的に知られている。 名づけの親はボブ・ディラン。 彼の最大のヒットナンバー『ライク・ア・ローリング・ストーン(Like A Rolling Stone)』(1965)は空っぽの部屋に到達するぷっつん体験の歌になっていて、これに相当する歌は残念ながら日本にはまだない。

Once upon a time you dressed so fine
You threw the bums a dime in your prime, didn't you ?
People'd call, say, "Beware doll, you're bound to fall."
You thought they were all kiddin' you

そういえば昔のあんたはたいそう着飾ってたよな
浮浪者に小銭を投げつけたりしてさ、そうだろ?
誰もが言ってたもんだ。「気をつけなお嬢ちゃん、あんたもいまに落ちぶれるよ」ってね
でも「冗談言わないでよ」くらいに思ってたんだろう

You used to laugh about
Everybody that was hangin' out
Now you don't talk so loud
Now you don't seem so proud
About having to be scrounging for your next meal

昔のあんたは笑い飛ばしてたもんだ
あんなぶらぶらしてるやつらなんかと一緒にしないでってね
でも今はどうだい 一言も言い返せないだろう
さて今はどうだい すっかり誇りもなくしちまって
ほとんど次の食事もねだらなくちゃいけないありさまとか

(Bob Dylan『Like A Rolling Stone』(1965)より)

空っぽの部屋への切符は、お金も名誉も仕事も名前もみんな失くして、これ以上失うべきものなど何もないという境遇になると手に入る。 僕の統計でも32-33歳のときにそんな環境崩壊を体験して空っぽの部屋への切符を手にする人はかなり多い。 でも、たいていの人は嵐が通り過ぎるのをただ待っているだけだったり、ありきたりな仕事に就いて切符を失くしていくものだ。 その引退の花道には桜の花びらが舞っているから、みんなおめでたい気分になって「春が来た」と勘違いするものらしい。

空っぽの部屋にはそのとき退路を断って賭けに出た人だけがたどり着ける。 どこまでも孤立しながら、それでいて孤独に染まることのない、世界にただひとつの完結した場所。 そこに帰る以外もう何処にも行くところがない故郷だからノーディレクションホームと呼ばれているのだ。

How does it feel?
How does it feel
To be on your own
With no direction home
Like a complete unknown
Like a rolling stone ?

どんな気分だい?
もう最高って気分だろう
あんた自身であるために
ノーディレクションホームとともにあり
すっかり忘れ去られちまって
石ころみたいに転がってる気分は?

(Bob Dylan『Like A Rolling Stone』(1965)より)

(『ダンス・ダンス・ダンス』にみる)ぷっつん体験3 〜 空の奥義 〜


 「大丈夫、心配することはないよ。 あんたは いるかホテルに本当に含まれているんだよ」羊男は静かに言った。 「これまでもずっと含まれていたし、これからもずっと含まれている。 ここからすべてが始まるし、ここですべてが終わるんだ。 ここがあんたの場所なんだよ。 それは変わらない。 あんたはここに繋がっている。 ここがみんなに繋がっている。 ここがあんたの結び目なんだよ
 「みんな?」
 「失われてしまったもの。 まだ失われていないもの。 そういうものみんなだよ。 それがここを中心にしてみんな繋がっているんだ

村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス(上)』11章


空っぽの部屋に着いたとき、僕の直感は「まだ動くべき時ではない」と警告していた。 そのままではどう動いたところで何処にも繋がっていけない気がしたのだ。 普通の人たちはすぐに動きたがる。 そういう人生は、ある一線を越えると、空気が重くなり、息が苦しくなり、不思議に煮詰まってしまう。 その苦痛は32歳までの人生でうんざりするほど味わってきた。 だから、もう二度と同じ過ちはしない。 僕は肚を決めて一切仕事を探さなかった。

それはすでに空観の修行がはじまっていたからかもしれない。

空観―シューニャヴァーダ〔sunyavada〕


 空観とはあらゆるものが何もないものから出てくるという意味だ。 現実(reality)とは目に見える物の世界を意味し、真実(truth)とは何ものもない無の世界―すなわち空を意味する。

 一切のものが無から出現し
 一切のものは無であり
 一切のものは無の中に消え去ってゆく

 これが空観だ

和尚『般若心経』P.96 第2話 Q&A 現実と真実


この和尚の言葉は、一切のものは空っぽの部屋から出現し、一切のものは空っぽの部屋であり、一切のものは空っぽの部屋の中に消え去ってゆく。 空っぽの部屋からすべてが始まり、空っぽの部屋ですべてが終わる。 空っぽの部屋が結び目となり、空っぽの部屋を中心にしてあらゆるものが繋がっていると言い換えることができる。 それが【空】―社会的存在証明の喪失によって空っぽの部屋に到達すること―の奥義だ。

僕が引きこもりみたいな生活をしていても平気だったのは、この【空】の奥義を知っていたからで、空っぽの部屋を中心にしてあらゆるものが繋がっているから、あえて僕が動かずともシンクロニシティがひとりでに起こった。 たとえばホグワーツ現象がそのひとつ。 シンクロニシティとして現れるいくつもの要素が確かな手応えのあるひとつの道を照らし出していたのだ。 だから僕にはいつも化城がみえていたというわけ。 ライク・ア・ローリング・ストーン。 僕はそうやって空観―シューニャヴァーダ〔sunyavada〕―の修行をしていた。

これは33歳のときにぷっつんする勇気のなかった男の投稿なのだけれど、彼は空っぽの部屋に到達できなかったために、空観の意味がさっぱり分かっていないことが読み取れるとおもう。

ぷっつんする勇気のなかった男の投稿


 布施さんもちょっとはましになったかなと、励ましにきただけなんだがな〜。 やっぱり相変わらず、口先だけか。 布施さんは

(早稲田を出たけど、落ちぶれてしまった。まわりの人達みたいに人並みの幸せな生活ができていない、現在も)

結局、この客観的事実は認められない訳だ。

昔、禅者は人を犬豚呼ばわりしない、って言ってませんでしたか?? ホント布施さんはいつも口先だけ、知識だけ、和尚の猿真似だけですね。


このぷっつんする勇気のなかった男には、僕の書いていることが「口先だけ、知識だけ、猿真似だけ」だと映っていたらしい。 おそらく彼自身が「口先だけ、知識だけ、猿真似だけ」の人生を過ごしていたから、僕もまた同じだとしか思えなかったのだろう。 でも僕の書くことは空っぽの部屋からもたらされる経験と知恵に基づいていた。 そうした空っぽの部屋のカラクリを信頼する生き方があることを彼は想像すらできなかったのだ。

【信】―シュラッダ〔shraddha〕


 信頼―われわれがシュラッダと呼んできたもの―東洋においてその状態は<明け渡し>として知られてきた。

 生を信頼すること。 自分の個的な心(マインド)を信頼するのではなく、<全体>を信頼すること。 部分を信頼するのではなく、<全体>を信頼すること。 心(マインド)を信頼するのではなく、存在を信頼すること。

和尚『TAO4』P.339 第7話 役立たずでいなさい


<全体>とは空っぽの部屋を結び目として繋がるものだから、そのカラクリを信頼することが【信】―創造性を身につける過程で民族の指導霊の導きを信頼すること―の鍵にもなっている。 したがって33歳でぷっつん体験しておかなかったら、創造性なんか身につかないし、43歳になったときに境域の守護霊にも遭遇できない。 つまり神隠しの世界からの出口が見つからなくなるのだ。

上記のぷっつんする勇気のなかった男は、37歳のときにカオナシになってあっちの世界に逝ってしまった。 なのでぷっつん体験してない悪い子のみんなは布施仁悟のマネなんか絶対にしてはいけません。 たぶん気が狂うよ。

(『ダンス・ダンス・ダンス』にみる)ぷっつん体験4 〜 リトル仁悟の発見 〜


 「どうすればいいんだろう、僕は?」

 「あんたはこれまでにいろんな物を失ってきた。 いろんな大事なものを失ってきた。 それが誰のせいかというのは問題じゃない。 問題はあんたがそれにくっつけたものにある。 あんはた何かを失うたびに、そこに別の何かをくっつけて置いてきてしまったんだ。 まるでしるしみたいにね。 あんたはそんなことするべきじゃなかったんだ。 あんたは自分のためにとっておくべき物までそこに置いてきてしまったんだな。 そうすることによって、あんた自身も少しずつ磨り減ってきたんだ。 どうしてかな? どうしてそんなことをしたんだろう?」

 「わからないね」

 「でも、たぶんそれはどうしようもないことだったんだろうね。 何か宿命のようなさ。 なんというか、うまい言葉が思いつかないけど…」

 「傾向」と僕は言ってみた。

 「そう、それだよ。 傾向。 おいらは思うんだよ。 もう一度人生をやりなおしても、あんたはきっとまた同じことをするだろうってね。 それが傾向っていうもんだよ。 そしてその傾向というものは、ある地点を越えると、もうもとに戻れなくなっちまうんだ。 手遅れなんだ。 そういうのはおいらにも何ともしてあげられない」

村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス(上)』11章


僕を無駄な努力に駆り立て、ものごとを大きく複雑にした、そもそもの始まり。 それがぷっつん体験のあとのリトル仁悟の発見によって明らかになってきた。 父親のつくり出した三障の闇のせいで僕の精神は分裂して、少しずつ磨り減ってきていたのだ。

― それが誰のせいかというのは問題じゃない。 問題はあんたがそれにくっつけたものにある。 ―

これは認めるのがもっともつらい真実のひとつだった。 三障の闇を生み出した原因は明らかに僕の父親にあった。 でも問題の要点はオカマチキンの父親につられて僕もオカマチキンになってしまったことにあるというのだ。 僕が16歳のときに自分にくっつけた臆病風のせいで、無駄な努力に駆り立てられてきたのだから、僕以外の誰にも責任はない。 つまり僕は父親に責任を転嫁してはいけないというわけだ。

― たぶんそれはどうしようもないことだったんだろうね。 何か宿命のようなさ。 ―

父には自分が息子を苦しめる元凶だったという事実を認める気配もなかった。 でもそれは宿命のようなものだから、僕はひとりでその事実をまるごと受け容れなければならない。 そんな馬鹿な話があるかとおもった。 ふざけんな、フェアにやろうぜ。 このとき直面した父親の無知と無理解のせいで、僕の中に粛正の炎が燃え上がり、ダーク・ハーフは覚醒した。

― そう、それだよ。 傾向。 おいらは思うんだよ。 もう一度人生をやりなおしても、あんたはきっとまた同じことをするだろうってね。 ―

だから、その時できたことは三障の闇を生み出した元凶を見つけるところまでだった。 ただ同時に新しい課題も見えてきた。 「もう二度と三障の闇に呑みこまれないためには心の内側にある青写真を焼き尽くさなければならない」… もしもそれができなかったら、もう一度人生をやりなおしても、僕はまた同じ過ちを繰り返してしまうだろう。

父親との一騎打ちの喧嘩はそのためにはじめた。 僕の中に潜在的にあった父親と同じ傾向が三障の闇に呑みこまれた原因だったからだ。 相手を関係性の鏡にして自分の傾向を理解するには喧嘩をするのが手っ取り早い。 そうやって見限りのポイントを見つけるのに37歳までの歳月を要した。

<< 父には自分が僕を苦しめる元凶だったという事実を認める勇気も根性もない。 おかげで彼が天性の義務を果たす道は閉じられてしまった。 いまや僕らは別々の目的地に向かっているのであり、彼は苦しみと歯ぎしりのうちに死んでいく運命を選んだのだ。 気の毒だけれど僕にはもう何もしてやれることはない >>

和解成立。 僕の中の傾向は解消され、37歳から創造の病がはじまった。

― その傾向というものは、ある地点を越えると、もうもとに戻れなくなっちまうんだ。 ―

つまりある地点というのは37歳だ。 そこを越えると、ある者はカオナシになり、ある者は湯婆婆の豚になり、ある者は腐れ神になり、元の世界に残してきたやるべきことの続きを失なう。 僕の歩んできた道とは別の出口があるのかもしれないけれど、僕の統計では今のところそんなケースは見つかっていない。

(『ダンス・ダンス・ダンス』にみる)ぷっつん体験5 〜 創造の扉 〜


 「踊るんだよ」羊男は言った。

 「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。 おいらの言ってることはわかるかい? 踊るんだ。 踊り続けるんだ。 何故踊るかなんて考えちゃいけない。 意味なんてことは考えちゃいけない。 意味なんてもともとないんだ。 そんなこと考えだしたら足が停まる。 一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。 あんたの繋がりはもうなくなってしまう。 永遠になくなってしまうんだよ。 そうするとあんたはこっちの世界の中でしか生きていけなくなってしまう。 どんどんこっちの世界に引き込まれてしまうんだ。 だから足を停めちゃいけない。 どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。 きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。 そして固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ。 まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。 使えるものは全部使うんだよ。 ベストを尽くすんだよ。 怖がることは何もない。 あんたはたしかに疲れている。 疲れて、脅えている。 誰にでもそういう時がある。 何もかもが間違っているように感じられるんだ。 だから足が停まってしまう」

 僕は目を上げて、また壁の上の影をしばらく見つめた。

 「でも踊るしかないんだよ」と羊男は続けた。 「それもとびっきり上手く踊るんだ。 みんなが感心するくらいに。 そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。 だから踊るんだよ。 音楽の続く限り」

 オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。

村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス(上)』11章


33歳でぷっつん体験をした年の11月。 僕は中学時代からの相棒(バディ)たちと札幌から函館まで一泊二日の小旅行に出かけていて、そのとき、このセリフを聞いた。

「こんな風にみんなで旅行するのもこれで最後かもしれないね」

その瞬間、札幌藻岩山スキー場にクラスメイトと滑りに行った12歳のときの記憶で既視感(デジャヴュ)した。

「これで俺たち最後になるかもしれないからさ。一緒に行こうよ」

いまになって振り返ると本当にそれが最後になっていて、その出来事があって以来そこに集ったメンバーは別々の道を歩むことになった。 スタンド・バイ・ミー現象。 僕の場合は12歳と33歳の二度、21年周期で体験したということになるだろうか。

村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』は13歳と34歳を対比する形式で物語が進行するのだけれど、それまで慣れ親しんでいた繋がりが断ち切られて、まだどこにも繋がれていないという意味で、13歳と34歳はたしかによく似ている。 この時期のことは、ボブ・ディランの歌だと、こういう感じで表現されている。

Mama, take this badge off of me
I can’t use it anymore
It’s gettin’ dark, too dark for me to see
I feel like I’m knockin’ on heaven’s door

ママ、こんな勲功バッジなんか外しちゃいたいよ
もう使いものにならないみたいだから
どんどん暗くなってきて視界はすっかりお先真っ暗
でも何だか天国の扉を叩いてる気がするんだ

Mama, put my guns in the ground
I can’t shoot them anymore
That long black cloud is comin’down
I feel like I’m knockin’on heaven’s door

ママ、銃なんか地面に置いてお手上げするしかないよ
もうどうにも撃ちようがないんだ
黒い雲が長くたなびいて暗い影を落としてくる
でも何だか天国の扉を叩いてる気がするんだ

(Bob Dylan『Knockin'On Heaven's Door(天国への扉)』(1973)より)

なんていうか…34歳というのは、もう使えなくなったカードとまだ使えるカードを選り分ける一年だったような気がする。 それはもう使いものにならないカードを手放さなければならない季節だった。 別の言い方をするなら、もはや『坐禅作法』シリーズを書くより他にカードが残されていなかったということだ。 それは心のどこかで分かっていたのに、そのたった一枚のカードに賭ける決心が37歳までつかなかった。 つまり無駄な抵抗をやめて、お手あげしちゃうまで創造の扉は開かれなかったことになる。

― 固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ。 まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。 使えるものは全部使うんだよ。 ―

僕だって自分の中に創造性が眠っているなんて信じられなかったから、当初はありきたりなネット通販事業を起こそうとしたり、喫茶店をやろうとしてコーヒーの淹れ方やカレーのレシピ研究に没頭したりもした。 それで結局、使えそうなカードはシステムエンジニア時代に身につけたプログラミングの技術くらいだったので、それを使ってホームページ『肴はとくにこだわらず』を起ちあげた。 そこまでが34歳でやったこと。 そうやって迷走しながら残された一枚のカードで勝負する覚悟を少しずつ固めていった。 最終的な問題は自分の創造性を認めようとしない心の働きにあった。 出口を求めて必死でもがいているのに、まったく手ごたえのない気分になるのは、そいつのせいだった。

ぷっつん体験を透過して34歳になった君に問いたい。

― 自分に創造性があるのなら、なぜそれで勝負しようとしないんだ? ―

それともう一つ。

― どうしてそこから飛び出して人類の奉仕者になろうとしない? ―

一度足が停まったらそこでオシマイだ。だから叩き続けるんだ、創造の扉を。踊るんだよ、音楽の続く限り。ダンス、ダンス、ダンス!

Knock, knock, knockin’ on heaven’s door
Knock, knock, knockin’ on heaven’s door
Knock, knock, knockin’ on heaven’s door
Knock, knock, knockin’ on heaven’s door

叩けよ、叩け。天国の扉をノックするのさ
叩けよ、叩け。天国の扉をノックするのさ
叩けよ、叩け。天国の扉をノックするのさ
叩けよ、叩け。天国の扉をノックするのさ

(Bob Dylan『Knockin'On Heaven's Door(天国への扉)』(1973)より)

(『ダンス・ダンス・ダンス』にみる)ぷっつん体験6 〜 ダンスの基本 〜


 でも、駄目だ。 その前に結び目をきちんと整理しなくてはならない。 中途半端なままで物事を放り出すことはできない。 そんなことをしたら、その中途半端さを次の段階までずるずるとひきずっていくことになる。 どこまで進んでもすべての事物が中途半端さの薄暗い影に染まることになる。 そしてそれは僕の理想とする世界の有り方ではない。

 僕はいったいどうすればいいのだろう?

 でもどうすればいいのかは僕にはわかっていた。 とにかく待っていればいいのだ。

 何かがやってくるのを待てばいいのだ。 いつもそうだった。 手詰まりになったときには、慌てて動く必要はない。 じっと待っていれば、何かが起こる。 何かがやってくる。 じっと目をこらして、薄明の中で何かが動き始めるのを待っていればいいのだ。 僕は経験からそれを学んだ。 それはいつか必ず動くのだ。 もしそれが必要なものであるなら、それは必ず動く。

 よろしい、ゆっくり待とう。

村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス(下)』33章


僕は「35歳から作家志望」というのが口上だったから、「小説が書けない。小説を書きたい。俺に小説を書かせろ」とやっていたら、「おい、小説はまだなのか」という投稿が寄せられてきた。 やるべきことの続きを思い出した頃には、「これから歌を作ろうとおもう。ギターの練習をしているのだ」と書いたら、「ネットにあげて披露しろ」と催促された。 そんなものにはお構いなしに、小説を書き出すこともなく、歌を作ることもなく、のらりくらりとやっていたら、 「おまえは才能のない分野にしがみついてるんじゃないのか」なんて言われることになってしまった。

湯婆婆の豚になった女の投稿


 才能のない分野に無理に留まって鳴かず飛ばずで終わるより、才能を生かす道を選んだ方がいいのでは?……と言っただけなんですが(布施さんに才能がないなんて誰も言ってないですし)。 それがどうして、人生をなめてる事になるのやら。

>でも、ぜんぜんうまく書けなかった。
>父親は「そんなものでメシが食えるか」という人生哲学を持ってる人でね。
>幼い私はそれに飲み込まれて、一度あきらめたんだ。

 お父さんが反対しようがどうしようが、その時、諦めるという決断をしたのは布施さんですよね? 本気で好きな分野なら、誰に何と言われようと踏みとどまったと思うんですが。 まさか、今、天職に就いている人全員が、家族や周囲の人から全面的に応援してもらってたとでも思ってます?

 もっと言うなら、布施さんの内なる師は、今に至るまで小説のインスピレーションを授けてくれていないわけで。 それが答えなのでは?


これは37歳で湯婆婆の豚になった女性の投稿なのだけれど、人間の潜在的な傾向がもたらす問題について、まったく理解していないことが読み取れるとおもう。 これは彼女に限ったことではなく、たいていの人が自分の潜在的な傾向を解消するためのダンスの基本を何も学んでいなかった。

湯婆婆の豚になった男の投稿


 本当にやりたい事だったら、やりたくてしょうがないでしょう。 自分は今、武道をやってるって書きましたけど、やっていて楽しいし、やめる気なんかさらさらありません。 小説だったらば、書きたいし、話を考えたくなるものでしょう。

 生活上の時間がないとかなら、仕方がないですけど、やる事にしてるのに、やってないのは、結局、さほどやりたくないという可能性はありますよね。

 やっていて、そして、そうゆう中で時節が到来し、飛躍したり、インスピレーションを得たりする。 成功する人って、どの分野でもそうゆうものじゃないですか。


これは『千と千尋の神隠し』を観たことがないと語っていた湯婆婆の豚の男の投稿で、彼は最後までこんな調子だった。 天職として「やるべきことの続き」は潜在的な傾向を解消しなければ始まらない、という現実をまったく理解しようとしなかった。 湯婆婆の豚として神隠しの世界に取り残された人たちの共通点は、こんな風に自分の潜在的な傾向を解消する努力をせず、ひたすら近道をしようとしていたことにあるような気がする。

― その前に結び目をきちんと整理しなくてはならない。 中途半端なままで物事を放り出すことはできない。 ―

33歳でぷっつん体験をすると、34歳になる頃には俗世との繋がりが一切断たれてしまう。 自分が何を求めているのかわからず、何処に行くべきかもわからず、何から始めたらいいのかもわからない。 かろうじて<全体>と結びついているのは空っぽの部屋だけだ。 しかし、もつれたままの結び目のせいで、どこにも繋がれない。 その<全体>との結び目を回復するには自分の潜在的な傾向を取り除く必要がある。

僕が小説を書かずに、まったく儲からない『坐禅作法』シリーズばかり書いていたのは、そのインスピレーションだけは空っぽの部屋から定期的にやって来たからだ。 僕はその導きの糸にしがみつくしかなかった。 けれどもそれが傾向を取り除いて<全体>との結び目を回復する唯一の手段になった。 もしもそれを中途半端なところで投げ出していたら、僕はどこにも繋がっていけなくなって、あっちの世界に逝っていたことだろう。 足が停まったらそこでオシマイだった。 だから空っぽの部屋からやって来たものをそのまま吐き出した。それだけだった。 才能のある分野?才能を生かす道?本気で好きな分野?本当にやりたい事?そんなもんは知らん。

― 手詰まりになったときには慌てて動く必要はない。 じっと待っていれば何かが起こる。 ―

空っぽの部屋の中では、唇を噛(か)みしめて、力ずくで自分を押しとどめるしかない局面が多すぎる。 「布施さんの内なる師は、今に至るまで小説のインスピレーションを授けてくれていないわけで。それが答えなのでは?」―そんなこと誰が知るか。 すでに手詰まりなのか、そうじゃないのか、それすらも分からないのだ。 ただひとつ言えることは、こういう挑発に乗って慌てて動けば身の破滅をもたらすということだろう。

生まれかけている人生のリズムにステップをあわせ、物事が流れていく方向に身体をあずけ、空っぽの部屋からシンクロニシティがやって来るのをじっと待つ。 そうやってフローの波に乗るのがダンスの基本だ。 フローライド。 すると色んな出来事が周囲でシンクロしはじめる。 だから空っぽの部屋から命綱のように伸びてくる導きの糸だけは見えている。 もしもそこで何処に連れて行かれるのかなんて考え出したら、足が停まってしまうだろう。 ただ何かが起こっているのだ。 それはわかる。 ゆえに必死でたぐり寄せる。

― もしそれが必要なものであるなら、それは必ず動く。 ―

そもそも空っぽの部屋からもたらされるシンクロニシティに説明可能な整合性なんか見つからない。 かりにああこう憶測してみたところで、ていよく煙にまかれたようになる。 せき込みがちに誰かに話せば、うわごとをしゃべっているとしか思われない。

「いったい何の話をしているんだ君は?」
「おい、頼むからしっかりしてくれ!」

おかげでせっかく不可視の世界の神秘に目を見開きはじめたのに、当の本人が早飲み込みしてしまっただけかもしれないと思いはじめ、笑いものにされるよりは…と日常の雑多な用件にとりまぎれてしまう。 それがシンクロニシティだ。 だから誰の意見にも耳を貸さず、自分の最初の直感を信頼し、何かと口を出してくる論理的思考は黙らせなければならない。

そうして目を凝らし耳を澄まして待っていれば、そのうち何かが必ず動く。 そのとき何より大切なのは<全体>とのハーモニーだ。 あらゆるものが決められたリズムでダンスしている。 だからお呼びがかかっていないのに自分から出向いて行ってはいけない。 呼ばれるときがきたら、きちんと呼ばれるものだ。 「天職には呼ばれるんです」というのが僕のお気に入りの標語である。

こうしたダンスの基本は、34歳で『できる受験生できない受験生』を書いたときに学ぶことになった。 そうして35歳になって間もなく、ゴールデンウィークのある晴れた日の朝、突然おもいたって襟裳岬(えりもみさき)に旅行した。 その日、僕の人生にもようやく“何もない春”がやって来た。 それはこんな心象風景だった。

布施仁悟35歳の何もない春


北の街ではもう
悲しみを暖炉で 燃やしはじめてるらしい

理由のわからないことで 悩んでいるうち
老いぼれてしまうから

黙りとおした歳月を ひろい集めて
暖めあおう

(作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎『襟裳岬』(1974)より)

考えてみりゃ、おいらは小ちゃな頃から、考え方も人生に向き合う姿勢も他の連中とは違ってた。 あらゆる青春の楽しみを犠牲にして、劣等感と優越感のはざまで不安定に揺れ動きながら、来たるべき冬の時代の準備をしてきたような気がする。 そのせいで誤解されることも多かったし、若い頃は信じられないような無理解に直面して悲しい日々を積み重ねてきたもんだ。 けれどもよ、35歳になって襟裳岬に旅行したとき、ようやく雪どけの季節がやってきたんだ。

君は二杯目だよね
コーヒーカップに 角砂糖をひとつだったね

捨てて来てしまった わずらわしさだけを
くるくるかきまわして

通りすぎた夏の匂い 想い出して
懐かしいね

(作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎『襟裳岬』(1974)より)

でも淋しい別れもあったな。 これまで一緒にやってきた相棒(バディ)たちが世間という苦い道場に戻っていった。 あいつらには何もかもが雪だるま式に大きく複雑になっていくわずらわしい人生が待ってる。 なんか言ってやりたかったけど、冗談をかわすくらいしかできなかった。 二杯目の苦いコーヒーには角砂糖をひとつ…なんてね。 あいつらに会うとさ、ぷっつん体験をした33歳の夏の日の出来事が懐かしく思い出されてくるんだ。

日々の暮らしは いやでもやってくるけど
静かに笑ってしまおう

いじけることだけが 生きることだと
飼い馴らしすぎたので

身構えながら話すなんて
ああ 臆病なんだよね

(作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎『襟裳岬』(1974)より)

もうダンスの基本は覚えた。 だから何がやって来ても、きっと静かに笑い飛ばせるとおもう。 ちょっと前まで「普通の男の子に戻りたい」なんていじけてたのが嘘みたいだよ。 それに、これからの課題も見えてる。 今はまだ身構えながら話すことしかできないけど、この真っ赤に燃えさかるダーク・ハーフの怒りだって、そのうち淡い青色の慈愛に変えてみせるさ。

襟裳の春は 何もない春です
(作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎『襟裳岬』(1974)より)

あ〜あ、振り出しに戻っちまった。 でも「何もない春」ってのもいいもんだよ。 これ、強がってるんじゃないぜ。 いままでがさ、ひどすぎたんだ。

寒い友達が訪ねてきたよ
遠慮はいらないから 暖まってゆきなよ

(作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎『襟裳岬』(1974)より)

どうやらお客さんがみえたみたいだ。 あいつら調子いいんだぜ。 「無料でダンスレッスンしてくれ」なんて言うんだ。 そのくせ人の話なんかぜんぜん聞いちゃいない。 まったく割に合わねえよ。 でも、おいらにはわかってる。 人生には儲からないことをやらなくちゃいけないときがあるってね。


僕はこうして、車の免許を取得できる年齢を待ちわびる男の子のように、来たるべき時を待った。 そのあいだに自然に身につけてきたことは、M・ベインがこんな風に語っている。

【信】―シュラッダ〔shraddha〕の極致


 大小問わずすべての事象の背後に或る智慧が働いているらしく、細かいことまで世話が行き届いていた。 次第に私は「なるほど」と肯くように成り、遂には確信するようにまでなった。 宇宙を支配する英智があり、その英智はまた吾々をも支配していることが会得された。 この英智はそれ自身完全なるが故にどんな微細な事物でも洩らすものではないことを会得した。

 爾来(じらい)この信念は常に私の身について離れることがない。

 故に、私自身は自分みずからで計画を立てることをせず、宇宙の英智にそれを全托する。 一切が私自身が計画したとした場合より千倍も順調に行くのである。 ところが自分で計画すると、結局またそれを立て直さなければならない破目になるのであった。 そこで私は物事は自分で計画を立てると、一切の技術を知り給う宇宙の英智が導いて下さる時のようには行かないものである事を悟ったのである。

M・ベイン『解脱の真理』P.308-309 第十章 匿名大師の説く物質化・非物質化と解脱の真理(三)、リン・シ・ラへの旅


記憶の飲み物」は、このようにカルマヨーガの三本柱― 【空】【忠】【信】 ―を実践した結果として自然に与えられる。 ちなみに【信】は「まこと」と読んで「ものいわざる声の言葉を聞く人」を意味する文字。 そのためには、どこかで事物を統(す)べる宇宙の英智を認める必要があるし、その根本原理が愛であると信じる必要もある。 だからとにかく信じることさ、必ず最後に愛は勝つと。

記憶の飲み物とはひとつの“コツ”


 それはひとつの“コツ”なのだ。

 それならば“コツ”とは何か? コツというのはあなたがたくさんのことをやったときに来る。 試行錯誤を通じて―転んでは起き、道を踏み外しては戻り、生きることにおける何千という実験を重ね―そうしておいて、突然ある日、あなたはそのコツをつかむ。 コツというのは、たくさんの間違いや失策、試行錯誤のエッセンスなのだ。

 何かがあなたの中で育つ。 そして一度それをつかんだら、それは忘れられないものだ。 あなたはつねにそれを知っている。 それを覚えておく必要はない。 もし覚えておく必要があるとしたら、それはまだ“コツ”じゃない。 それは心(マインド)の中にある何かだ。

 もしそれがコツだとしたら、それは血の中に、骨の中に、まさに骨の髄まで、まさに実存そのものにまでしみ込んで行く。 そして、そうなったら、あなたはそれを忘れることなんかできない。

和尚『TAO1』P.262-263 第5話 綱渡り
矢印マーク 『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』

坐禅修行のプロセスを正確に記述してある唯一の本。
(2011年1月現在・ボク調べ)
こういう本が市場に出回っている現在、
秘密にしておくことなんてもはや何もないはずである。
そろそろまともな禅書を誰かが出版しても
いいのではないだろうか?

赤雲水

風の試練ついて4 〜 沈黙の誓い 〜

黒雲水
第三の風の試練ついて4 〜 沈黙の誓い 〜


 この時点でさらに何を為すべきかはしばしば次のように表現される。

 「神秘修行者は神秘教義の秘密を決して他人に漏らさぬという誓いを立てねばならない

 とはいえ「誓い」と「秘密を漏らす」という表現は事実に即しておらず、したがって誤解を招きやすい。 ここでいう「誓い」とは、通常の意味での誓いではない。 むしろこの進歩の段階に応じたひとつの経験をもつことを意味している。 人はどうしたら神秘教義を人類のために役立たせうるかを学ぶ。 今はじめて世界を正当に理解しはじめる。 高次の真理内容について「沈黙を守る」ことではなく、むしろその真理内容を主張する正しい仕方、ふさわしい態度を経験的に知ることが大切なのである。

R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.104-105 霊界参入の三段階


腐れ神、カオナシ、湯婆婆の豚…どうしたら神秘教義を人類のために役立たせうるかを教えてくれたのは、風の試練で登場してきた彼らだった。

― 説明されないとわからないのであれば、説明されてもわからないのだ。 ―
(村上春樹『1Q84 BOOK2』)

彼らの生態を理解するにつれて、この真理が僕の中で次第に腑に落ちていった。 風の試練の中での彼らとの対話は、電波状況の悪いトンネルの中で通話しているようなもので、どのような言葉や文脈をもって説明しても互いに理解しあうことはできなかった。 『かなりキワどい坐禅作法』は、そうした対話の努力の結晶なのだけれど、これだけ言葉を費やしたにもかかわらず、彼らの誰一人として神隠しの世界から救い出すことはできなかった。 ただの一人もだ。 その最終的な結論を言うと、「説明されないとわからないのであれば、説明されてもわからないのだ」というところに帰結せざるをえない。

だから神隠しの最終試験を通り抜けた日(翌月に43歳の誕生日を控えていた42歳の2月)、このスーフィーの言葉が身にしみた。

歌の名人の話


 「あなたの主君には、歌が歌われるときの条件というものが、お分かりでないようだ。 単に私の顔を見たいというのであれば、私は喜んで参上いたしましょう。 しかし、私の歌を聞きたいのであれば、あなたの主君も他の人々と同じように、私の心がそれにふさわしい状態になるまで、お待ち願わねばなりません。 歌うべき時と、歌うべきでない時を知ることによって、私は優れた歌い手になることができたのであり、この秘密さえ知れば、どんな馬鹿者でも名人になることができるのです」

イドリース・シャー『スーフィーの物語』43-時と人と場所


僕は説明するべき時と説明するべきでない時があることを知らなかった。 当初は、腐れ神やカオナシや湯婆婆の豚には知識が不足しているのだから、その知識さえ補ってあげればなんとかなると考えていた。 でもその目論見はあまかった。 彼らの頭のネジはどこか緩んでいたので、知識はどこにも着床(ちゃくしょう)することなく、そこから抜け落ちてしまったのだ。 そんなものは何の役にも立たなかった。

これは33歳でぷっつんする勇気のなかった男の37歳のときの投稿。

ぷっつんする勇気のなかった男の末路


 布施さん、わかりやすい説明ありがとうございます〜

 せやけど昨日、臍下丹田を見つけてしもたんでん。

 しばらくは邪道で行きますわ(笑)

 あと俺はなにごとも自分の都合の良いように解釈する訳やけど、周りも困らへんし、自分も困らへん。 何も問題は起こらないんやで〜。 斉藤一人さんが言うてるのって、こういう事ちゃうのん??


僕の統計では、こんな風に37歳で臍下丹田を見つけたと報告してきて発狂していく人が圧倒的に多かった。 どうやら33歳のぷっつん体験に失敗していると、そこから37歳にかけて急速に蓮華の開発が進行していくものらしい。 中国道教の文献には40歳になるまでは小周天のような密教的行法をやってはいけないと警(いまし)めているものもあって、それはたぶんこのためなのだろう。

僕は思うのだけれど、神隠しの最終試験をパスする以前に臍下丹田が開発されるのは、あっちの世界に引きずり込まれて出口がふさがれた証拠なのではないだろうか。 つまりこの男は「自分は昨日カオナシになった。もう元の世界には戻れそうにない」と報告しているのである。

この投稿のあった時点では、まだ解明されていないことがたくさん残っていて、うまく説明できない保留事項も少なからずあった。 そのため、もう少し時間が経てば正確な情報を提供できるようになるはずだし、そうすれば僕たちはもっと深く理解しあえるはずだと思いながらやっていた。 それなのに、自分が帰りの電車の切符を失くしてしまったとも知らない男から、こんな風に人生のもっとも輝かしい一コマを語るように語られると、どう返答したらよいものか困ってしまう。

これは時と状況と人の条件が揃っていなければ、知識の伝授は不可能だと痛感した出来事だった。

時と状況と人


 「王さま、聞きたいと思う歌を聞くためには、まず歌い手が存在し、聞き手がいて、さらに歌が歌われる回路を作れる者がいなくてはなりません。 師とその弟子の場合も、この歌の名人の場合と同じように、時と状況と不可視の世界に精通した者が揃っていなければならないのです」

イドリース・シャー『スーフィーの物語』43-時と人と場所


知識の伝授には、この時と状況と人という条件が最も大切なことだったらしい。

また僕は、不可視の世界に精通するだけでは世に出られず、時と状況と人という条件が揃う日までじっと待つことを学ばなければならなかった。 そういった現象世界の真相を経験的に知ることも、R・シュタイナーの語っている沈黙の誓いの奥義だった。

電脳山養心寺公案集 養心門 第十八則 歌の名人


 ある王がダルヴィーシュを呼んで言った。
「おまえの卓越した叡智の助けを借りて真理を学びたい。わたしに教えてくれぬか?」
すると長い沈黙の時をはさんで、おもむろにダルヴィーシュは答えた。
「真理をお教えするには、それにふさわしい伝達の時がやってくるのをお待ち願わねばなりません」
翌日からダルヴィーシュは毎日宮殿にやってきて王に仕えたが、決して真理を教授しようとはしなかった。 そのまま月日はめぐり、苦難と喜びの時がただ過ぎ去っていった。

 そんなある日の座談の席のこと。 ある者が「ダーウードこそ、この世で一番の歌の名人だ」と話した。 そのような話にはふだん興味を引かれなかった王が、そのときばかりは、その歌い手の歌を是非とも聞いてみたいという衝動に駆られた。

「その男をここに連れて来い!」

 そうして宮殿から遣わされた秘書官に、歌の名人ダーウードはこう答えた。
「あなたの主君には、歌が歌われるときの条件というものが、お分かりでないようだ。 単に私の顔を見たいというのであれば、私は喜んで参上いたしましょう。 しかし、私の歌を聞きたいのであれば、あなたの主君も他の人々と同じように、私の心がそれにふさわしい状態になるまで、お待ち願わねばなりません。 歌うべき時と、歌うべきでない時を知ることによって、私は優れた歌い手になることができたのであり、この秘密さえ知れば、どんな馬鹿者でも名人になることができるのです」

 その返事を聞いた王の心の中に、ダーウードに対する怒りと、その歌をぜひとも聞いてみたいという欲望が交互に湧きあがってきた。

「誰かおまえたちの中に、この男に歌を歌わせられる者はいないのか!」

 するとダルヴィーシュが立ち上がって言った。
「ついに時機を得た不可視の世界の波が現世の岸辺に打ち寄せてきたようです。 王さま、真理をお教えする時がきました。 私と一緒にその歌い手を訪ねましょう」
王は無言のまま立ち上がり、ダルヴィーシュの後について宮殿を出た。

 歌い手の家の戸を叩くとダーウードの不機嫌そうな声が返ってきた。

「帰ってくれ。今日は歌う気になれない」

 そのとき、ダルヴィーシュがダーウードの最も得意にしていた歌を歌いはじめた。 ダルヴィーシュが歌い終えたとき、王は懇願した。
「ダルヴィーシュよ、お願いだから、もう一度歌ってくれ。 こんな甘美な歌を私はいまだかつて聞いたことがない」
するとその瞬間、ダーウード自身の歌声が聞こえてきた。 王はその場に釘づけになり、ダーウードの歌声に完全に魅せられてしまった。 ダルヴィーシュは、わざと微妙に音程をずらして歌い、歌の名人の心に音程を正そうとする気持ちを目覚めさせていたのである。

 宮殿に帰ったとき、王は言った。
「ダルヴィーシュよ、歌の名人に歌を歌わせたおまえの腕前を私はなんと称賛したらいいかわからない。 どうか、わたしの顧問になってくれ」
ダルヴィーシュは答えた。
「王さま、聞きたいと思う歌を聞くためには、まず歌い手が存在し、聞き手がいて、さらに歌が歌われる回路を作れる者がいなくてはなりません。 師とその弟子の場合も、この歌の名人の場合と同じです。 時と状況と不可視の世界に精通した者が揃っていなければならないのです」

参考:イドリース・シャー『スーフィーの物語』43-時と人と場所
矢印マーク スーフィーの物語―ダルヴィーシュの伝承

これは、いわばイスラムの公案集
声聞道用の公案集は今のところコレしかない


ひつじ雲がきれいだった日

僕の知るかぎり、八月は一年で最高の季節だ。 渾沌の青い闇を抜ける二月もいいけど、僕は夢花火があがる夏の終わりの八月に軍配をあげる。 大学時代のサークル仲間に会いに長野県軽井沢に出かけたのは43歳の2017年8月5日のことだった。

そこにはごく普通の地球人の営みがあった。 彼らには、つつしみ深い家庭があり、健康で快活な子供がいて、たまに集まって鷹揚(おうよう)に笑いあえる昔なじみの友がいる。 けれども僕は、そこにはまったく属しておらず、ひとりの宇宙人としてそこに降り立っていた。 僕の立っている場所は、かつての僕が立っていた場所とはまったく様子が違っていた。

みんな僕のことをよく覚えていて親しげに話しかけてくれた。 でも言葉ひとつしくじれば宇宙人としての正体がバレてしまいそうだった。 「ちょうど良かった。 そろそろ地球の男に飽きていたところなのよ」と言ってくれる女性もいそうにない。

心優しいやつらなのだ。 僕は彼らが大好きだった。 今でもそのことに変わりはない。 まっすぐに生きようとして訳もわからずもがいていた僕なりの誠実を、彼らは受け容れてくれた。 僕は、かつての彼らの息づかいを、ともに口ずさんだ歌を、一晩中語り明かした後にみた朝焼けを、いまでも覚えている。 そこには当たり前の大学生として生きている僕がいた。

でもきっと今の僕は、彼らをエベレストの山頂にいるような気分にさせてしまうに違いない。

「なあ、ここ…なんだか空気が薄くないか?」

そんな息苦しい思いをさせてしまうのだ。

「どんな山かは登ってみればわかるさ」

そんな登山家の気分でいられた学生時代と現在では、互いに吸っている空気自体が違うのだ。 彼らが僕との対話をあきらめ、哀しげな沈黙とともに背中を向ける姿が想像できた。

それでも、からりと涼しい夏の北海道から、わざわざ暑くて湿った軽井沢までやってきた意味は、夜の飲み会の席でぷっつんレディ3号の噂話を聞いたときに判明した。 3号は29歳で亡くなったサークル内の女の子の葬儀以来、一度も顔を出して来ていないという。 今では結婚して子供も何人かいるはずだという話だった。

「よかった…それならいいんだ」

そんな言葉が思わず口からこぼれたとき、この高橋真梨子の歌を思い出した。

ジョニィが来たなら伝えてよ
二時間待ってたと
わりと元気よく出て行ったよと
お酒のついでに話してよ

友だちなら そこのところ うまく伝えて

ジョニィが来たなら伝えてよ
わたしは大丈夫
もとの踊り子でまた稼げるわ
根っから陽気に出来てるの

友だちなら そこのところ うまく伝えて

今度のバスで行く 西でも東でも
気がつけば さびしげな町ね
この町は

(作詞:阿久悠 作曲:都倉俊一『ジョニィへの伝言』(1973)より)

やっぱり阿久悠はすごいと思った。 この『ジョニィへの伝言』はファム・ファタールとの恋の結末を描いた歌だったのだ。 「もとの踊り子でまた稼げるわ 根っから陽気に出来てるの」なんてところは、すごく粋(いき)だ。 僕と別れたあと、3号もまたトラベリン・バスに乗って旅をして、ダンスの基本を学び始めたのかもしれないと思わせてくれる。 この歌には対になっている『五番街のマリーへ』という作品がある。

五番街へ行ったならば マリーの家へ行き
どんなくらししているのか 見て来てほしい

五番街は古い町で 昔からの人が
きっと住んでいると思う たずねてほしい

マリーという娘と 遠い昔にくらし
悲しい思いをさせた
それだけが気がかり

五番街でうわさをきいて もしも嫁に行って
今がとてもしあわせなら 寄らずにほしい

五番街は近いけれど とても遠いところ
悪いけれどそんな思い 察してほしい

(作詞:阿久悠 作曲:都倉俊一『五番街のマリーへ』(1973)より)

僕と3号はジョニィとマリーの関係だった。 ジョニィは43歳の8月に昔の友人たちを訪ねて、かつてマリーが彼らに託していった伝言を受け取る。 そのとき同時にマリーに残していく伝言がこの歌の内容なのだ。 だからこの歌のタイトルは『五番街のマリーへ』となっている。 きっと大学時代のサークル仲間たちが、僕の伝言を3号にうまく伝えてくれることだろう。

― もしあなたが生の中に足を踏み入れたならば、かつて書かれたあらゆる詩が、どこかしらに生きているのを、どこかしらに生育しているのを、どこかしらに花開いているのを見出すことができる。 ―
(和尚『TAO 永遠の大河2』第3話)

この和尚の言葉は本当だ。 それも1960年代から1980年代前半にかけての日本の詩人たちは世界でも最高峰のレベルにいた。 だから日本の昔の歌は人生の道の上にいくつも花開いている。 みんなにも、まっすぐ<生>の中に足を踏み入れていって、そんなステキな歌をたくさん見つけてもらいたい。

矢印マーク 星のふる夜に When Stardust Falls…


帰りに軽井沢にある千住博美術館に寄った
そこに、この絵本の原画が飾られている
襟裳岬が「35歳の春の聖地」なら
千住博美術館は「43歳の夏の聖地」だ
その時がきたら、その意味を確かめに行ってみるといい
あゝ日本のどこかに私を待ってる人がいる…


さて…と札幌の自宅に帰ってきた僕はおもった。 俗世に帰還する前に、地球人たちと繋がりを回復するための平衡感覚を取り戻さなくてはならない。 とはいえ地球の重力は宇宙人の僕にはいささか負担が大きすぎる。 たとえばかぐや姫のように「月からお迎えがまいりました。おとうさん、おかあさん、さぁよぉうならぁぁ」と叫びながら帰ってしまいたくなってきた。

43歳8月の長野県軽井沢で感じてきたことは、どうやら今の僕はかつて親しんでいた人たちとの繋がりを完全に失おうとしているらしい、ということだった。 たぶん、これから繋がっていくべき時と場所に彼らはいない。 けれども、これからどこにどう繋がっていけばいいのか、僕には見当もつかなかった。

その答えを出せないまま八月が終わり、九月末になったある日の夕方。 日課としている散歩に出てみると、午後の光のやわらいだ空いっぱいにひつじ雲が浮かんでいた。 そのとき、山口百恵が歌った『いい日旅立ち』の短い文句が断片的に脳裏に浮かんできた。

いい日旅立ち ひつじ雲をさがしに
父が教えてくれた歌を 道連れに

(谷村新司『いい日旅立ち』(1978)より)

父が教えてくれた歌を道連れに…「そうか、『昴』だ!」と僕はひとりごちた。 谷村新司の『昴』はかつて父が買ってきたレコードで覚えた歌だったのだ。 すぐさま記憶の底を探って『昴』の歌詞を拾い上げてみると、この『いい日旅立ち』と『昴』は、ともに半年後の44歳3月の心象風景を歌っていることが分かってきた。

雪解け間近の 北の空に向かい
過ぎ去りし日々の夢を叫ぶとき
帰らぬ人達 熱い胸をよぎる
せめて今日から一人きり旅に出る

あゝ日本のどこかに 私を待ってる人がいる

岬のはずれに 少年は魚釣り
青いススキの小径を帰るのか
私は今から 思い出をつくるため
砂に枯れ木で書くつもり“さよなら”と

あゝ日本のどこかに 私を待ってる人がいる

(谷村新司『いい日旅立ち』(1978)より)

これからの僕の使命は、かつての僕と同じように、青いススキの小径(こみち)を帰ろうとしている少年を導くことだ。 腐れ神、カオナシ、湯婆婆の豚、相棒(バディ)たち…すでに帰りの切符を失くした人たちには、きっぱりと“さよなら”を告げなければいけないらしい。 もちろん彼らはいまでも僕の友だちだ。 だから“さらば”と言おう。 そして日本のどこかに僕を待ってる人がいるなら、その人物に会いに行こうとおもった。

いい日旅立ち 幸せをさがしに
子供の頃に歌った歌を 道連れに

(谷村新司『いい日旅立ち』(1978)より)

その答えは「子供の頃に歌った歌にある」と谷村新司の『いい日旅立ち』は教えていた。 子供の頃に覚えた歌たちが、僕の鼻をくすぐる秋の微風に混じって、早速その秘密を打ち明けはじめた。

(2018.2‐2018.4)

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