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【坐禅作法125】天才作家の死んだ日

かなりキワどい坐禅作法 天才作家の死んだ日〜実践!現成公案1〜

Presented by

〜実践!現成公案1〜


己事の現成公案

運命には課題がある。

私はそれを己事の現成公案(こじのげんじょうこうあん)と呼んでみたい。

我が禅風は入室参禅(にっしつさんぜん)を用いず。 師家から与えられる公案よりも、日常生活にまさに現成している公案を重んじる。 己事の現成公案の解き方を心得ることが威儀即仏法、作法是宗旨に通じるのだ。

己れ自身の成長のために運命から与えられる公案をいかに透過するか?

ここの消息を説く師家は少ない。 しかし、己事の現成公案に参じることが禅の本筋だと私は信じている。 今日はその一端をご覧に入れよう。

試みに挙(こ)す、看よ。

赤雲水

ボクとペルソナとドッペルゲンガー

黒雲水

あれは40歳の秋、10月8日の夜坐のことである。

36歳の第三の結節解放時に夢の中で与えられた公案を突然解いてしまった。

ドッペルゲンガー遭遇の夢


雪の降りしきる夜、目的地までランニングウェアを着て走っていた私は、先を急ごうとタクシーを止め、その後部座席に乗り込みました。

そこへタクシーのドアを叩く男が一人。

「なかなかタクシーがつかまらなくてさ。悪いんだけど一緒に乗せて行ってくれないか」

私の座席の反対側のドアから図々しく乗り込んできた男を見て、背筋が凍りつくという恐怖を生まれて初めて知りました。 私と同じランニングウェアを着た何から何まで鏡うつしのドッペルゲンガーがそこにいたのです。 それは“死の予兆”とされている怪奇現象と聞いていた私は思わず知らず叫んでいました。

「オマエは誰だ!」

するとドッペルゲンガーも言い返します。

「オマエこそ誰だ!」

「オマエの名前を聞いてるんだ、答えろ」
「というか…オマエ、オレのランニングウェア盗んだなあ」
「嘘をつけ、盗んだとしたらオマエぢやねえか。 勝手に変な色に染めやがって、高かったんだぞ、どうしてくれるんだ」
「なんだとコノヤロウ」

自分の身に着ているランニングウェアを盗んだとか盗まないとか言うのですから、落語の粗忽(そこつ)ものみたいな滑稽話ですが、本人は必死なのです。 笑い話どころではなく、もう、わけがわからない。

しかし、私がこの数日後に死なないためには、 このドッペルゲンガーを捕まえて、何らかの方法で融合しなければならないと咄嗟(とっさ)に考えたのです。

「とりあえず、こっちに来い」

私が彼の腕を把(とら)えようとしたとき、ドッペルゲンガーはタクシーから飛び降りて駆け出しました。 私もすぐに後を追ったものの脚がもつれて捕らえ損ね、彼が塀を飛び越えようと高く跳躍したとき、まばゆい閃光が彼の全身を包み込むがはやいか、そのまぶしさに眼が眩(くら)んだ私は、その場にしゃがみ込まざるをえませんでした。

その直後に仙道で云うところの小薬が発生し、全身をめぐり始めたことで夢から醒め、第三の結節解放を体験したのでございます。

36歳の第三の結節解放時の夢


しばらくして、そのときボクに起こった変性を象徴する言葉を『碧巌録』に見つけた。

― 面南看北斗(めんなんかんほくと) ―

南に面して北斗星を看よ…40歳の10月8日、ボクの中で何かが変わり、ゲシュタルト転回が起こりはじめたのだ。 以来、価値観がまるっきり逆転してしまったので、これで先に進めると思った。

「ドッペルゲンガー遭遇の夢」の中で、ボクのドッペルゲンガーが着ていたランニングウェアは、他人が見ているボクのイメージのシンボルになっている。 その一方でボクは他人に見せたいと思っている自己イメージも持っていて、それがボクの着ていたランニングウェアに象徴されている。 いわゆるペルソナだ。 つまり、36歳の第三の結節解放体験のときからボクの抱えてきた問題が「ドッペルゲンガー遭遇の夢」に象徴されていたのである。

― ドッペルゲンガーとペルソナの相違にいかに折り合いをつけるか ―

ボクはペルソナに自分を投影していたため、ドッペルゲンガーの着ているランニングウェアの色が思い通りにならないことに腹を立てていた。 どのみち自分を投影しているペルソナの通りに他人が自分を見てくれることは絶対にないから、ドッペルゲンガーがひとり歩きすることを恐れるようになっていたのである。

心随観の教科書 〜 解脱の真理シリーズ 〜
矢印マーク 矢印マーク 『解脱の真理 改訂版―ヒマラヤ大師の教え』


[心随観に入門する本]

つまり心随観の入門書がコレなのである

矢印マーク 『キリストのヨーガ―解脱の真理 完結編』


[心随観を深める本]

つまり心随観の極意書がコレなのである


40歳の10月8日までのボクは、ペルソナとドッペルゲンガーを切り離して考えていた。

ところが、自分を投影しているペルソナと他人の見ている自分のドッペルゲンガーが、どちらも思想・想念にすぎないという事実が分かりはじめると、ペルソナに自分を投影すること自体が怒りや恐れの原因だったという洞察が生まれる。 すると、自分を投影しているペルソナの通りに他人が自分を見てくれないことを気にすることはなくなり、自分のドッペルゲンガーがひとかどの人物でないことを恐れることもなくなるというわけである。

すなわち自尊心を落とすことが可能になるのだ。 自分の心から自尊心がなくなれば、それと対立する劣等感も消え失せる。

このときの洞察については、M・ベインの『キリストのヨーガ』に、このように説明されている。

思考する者と思想・想念 〜 ボクとペルソナとドッペルゲンガー 〜


君自身を理解し始める前の君は、自分がひとかどの人物でないことを恐れていた。

それは、思想・想念と思考者とは別のものではないという事実を識別せず、自分自身の思想・想念と思考する者とを別のものと見、かくして思想・想念を恐れていたからである。

しかし今や君は、思想・想念が思考する者を造り、思考する者は思想・想念をめぐって考え、従って両者は別々ではないことを知った。

M・ベイン『キリストのヨーガ』第五章 P.89

オマエの修行は完了した?

こうして36歳の第三の結節解放体験のときにみた「ドッペルゲンガー遭遇の夢」の意味を知ったとき、ボクは自尊心と劣等感の両方から解放され始めた。 とはいえ、まだ“内なる声”の意味を解き明かしていない不安は残っていた。

「オマエの修行は完了した」

それは39歳の8月4日の深夜2時ごろ、ふと目が覚めた瞬間に聞こえてきた内なる声だったのだけれど、いったい何の修行が完了したのか?…何も終わってないし、何も始まっていないじゃないか。 そんな思いを募らせながら まるまる一年を過ごし、ボクは40歳の10月を迎えていた。

レイ・ブラッドベリ大全集

旅館の方のご好意でGET
煤(すす)けた古い本だけど宝物である


あの内なる声を聞いた39歳8月4日の翌日、北海道・洞爺湖畔にある温泉旅館に泊まった。 そこのラウンジにある本棚から一冊の本を手に取って読んだとき、<<オマエの修行は完了したとは、これのことか?>>と思った。 それは米国のSF作家・レイ=ブラッドベリのエッセイ「禅と作文技術」の一節だった。

「禅と作文技術」の一節


この小論を読み終わるやいなやさっそく取りかかろうと、なんらかの予定を立てるだろうか?

どのような予定か?

ざっとこんなところだ。 今後二十年間、毎日、千語から二千語書くこと。

訳・酒匂真理子「禅と作文技術」『別冊奇想天外No.14 レイ・ブラッドベリ大全集』P.185


つまり、35歳から志していた作家への道が開けたのだと思った。 今から20年間書き続けろと。 その本を持ち帰るわけにもいかなかったので、ラウンジで走り書きしながら筆写していたら、旅館の方がこんな風に言ってくれた。

「そんなに気に入ったのでしたら、お持ちになってください」

何という偶然、否、必然。 作家デビューは決定的だと思った。

しかし、帰ってからさっそく文章を書き始めたものの駄文を書き散らすことになった。 松本清張なんかは処女作のアイデアは突然浮かんだなんて言っていたのに、ボクには何にも浮かばない。 当然、ほどなくして、ただの勘違いだった気もしてきた。

何かが足りない…いったい何の修行が完了したというのか。 たぶん、それがわかれば道は開ける、と思うようになった。

やはり、40歳の10月8日にドッペルゲンガー遭遇の夢の意味を知ったことは転換点となった。 それまでは、傷つくまいとする心と誰かを傷つけようとする心を観察するばかりで、それらを引き起こす正体を突き止められずにいた。

たとえば傷つくまいと身構えたときに起こる自己弁護の内容。 あるいは誰かを傷つけようとしたときに巡らせる攻撃的な思考の内容。 そうした思考内容については観察できていたけれど、その思考がはじまる原因までは洞察できていなかったのである。 つまり、40歳の10月8日以前の観察は対処療法でしかなく根本治療ではなかった。

それらの思考にとらわれてしまう根本原因はなんなのか?

10月8日の気づきは、その根本原因へのアプローチを可能にしたらしい。

青雲水

困ったときは誰かが忠告してくれる。ただし…

緑雲水

当時のボクは作家志望だったので、いわゆる“メモ魔”だった。 とにかく気づいたことをメモ帳に書きまくっていたのだ。 この現象世界に変化が起こり始めたのは、このメモを残した前後のことだった。

― どうやら自己満足、自己保存のために思考の堂々めぐりがはじまることもあるらしい ―
(10月25日のメモ)

ボクの運営していたブログのコメント欄に勇気ある投稿が寄せられてきた。 自称・天才作家に意見なんかしたら罵倒される決まっている。 それでも意見してくるのだから、何らかの理由あってのことなのだろう。 たとえば、こんな風なものだ。

勇気ある投稿 〜 その一 〜


なんていうか、書いている事が複雑すぎ、その上、要点に迫っていないような気がします。

なんか、瑣末な事を書いてるだけ、みないな。

10月28日の投稿


こんなのもあった。

勇気ある投稿 〜 その二 〜


(敢えて言わせていただきます)岩波文庫(権威主義?)のあれやこれやに気を配り(?ではないのかな?)声聞だの縁覚だの、なんでくだくだと説明されるのか理解に苦しんでいます。

10月31日の投稿


これを読んだとき、自称・天才作家としての自尊心が反応する心の様子を観た。 ただ、このとき分かったのは心の中に何か変なやつがいる位なものである。

それにしても、ボクには彼らが何を理解できないと言っているのかよく分からなかった。 そこで「そのうちワカルんじゃない?」なんて適当な返事をしておくことにした。

これくらいなら、まだいい。 強烈なのもあった。

強烈な投稿 〜 その一 〜


その修行の過程をたどれば、本当に才能が開花して、世に出るつまり、出世できるのかのう? オタクがゴタクを並べるだけの集りに終始せぬよう気をつけないといけませんな。

10月24日の投稿


「オタク」で「ゴタク」ときたもんだ。 しかし、図星をついている。

当時、ボクの抱えていた「何かが足りない…」という問題を見抜いているなら実力のある禅者だ。 そうでなければ、ただのアホだ。 その判別がつかなくて迷った。 とりあえず「オタク」で「ゴタク」は失礼だから罵倒することにした。

ゴタクかどうかは自分で実践して確かめるしかないことだ。「やれるもんならやってみな」としか言いようがないね

とはいっても、これはボク自身のことでもあるんだよな…。

とにかく、「オタク」で「ゴタク」に反応して烈しく起こる思考を観察しているうちに、この洞察に至ったことは間違いない。

― どうやら自己満足、自己保存のために思考の堂々めぐりがはじまることもあるらしい ―
(10月25日のメモ)

普通は嫌がるけれども図星をつかれたほうが気づきは大きい。 凡人ではあるまいし、そこで耳を塞いだり、幼稚な反論をして逃げ出すのは、禅者失格なのである。 喝棒を受けたときの心の観察が禅の生命線なのだ。

ある意味、禅者とは、マゾなのかもしれない…。

さらに、この投稿主から最初の二つのコメントを受けてこんな投稿があった。

強烈な投稿 〜 その二 〜


やはり、そう感じる人もいるのだな。 布施さんよ、息詰まりを感じているのじゃよ。 つまり、おたくがごたくを並べはじめてる予兆があるのではないかと、、、布施さんはそやつらとは違う、迫るものがあったと皆、あなたを認めての発言だと思う。

10月31日の投稿


またもや「オタク」で「ゴタク」ときたもんだ。ま、口が悪いのはボクも一緒か。

たしかに“息詰まり”はずっと感じていた。 39歳の8月4日に「オマエの修行は完了した」という内なる声を聴いてからの長いスランプだ。 たぶん、この投稿者の般若(智慧)は本物で、何かを教えてくれようとしている。

それでも、やはり「オタク」で「ゴタク」は失礼だから反論することにした。

それは芋虫たちがサナギになった仲間に向かって「どうしちゃったんだよ?」と言っているようなものである。 芋虫が胡蝶になったとき、それでも葉っぱの上を這いずりまわるだろうか

生意気言うよね、ボクも…。

たしかに各人の投稿の焦点は少しズレている。 それでも、みんな口を揃えて「何か違う〜」と忠告してくれているのだから何らかの理由があるのだ。 それが的外れなのは当然のことで仕方のないことなのだろう。 これは己事の現成公案なのである。 その答えはボクの中にしかないと初めから決まっているのだ。

そう考えたとき、学生時代に読んだエマーソンの言葉の意味が腑に落ちた。

エマーソンの箴言


どんな人間でも、何かの点で、わたしよりも優れている ― わたしの学ぶべきものを持っているという点で

D・カーネギー『人を動かす』第一部 人を動かす三原則 第二章 重要感を持たせる


これはD・カーネギーの『人を動かす』にあった言葉で、ボクはその意味を20年かかってようやく理解した。

― 困ったときは誰かが忠告してくれる。 ただし、解決の糸口はその表現の裏側にある ―

ダイヤモンドはいつだって最後に配られたカードの裏に光っている…エマーソンも現象世界のカラクリをそう観察していたのだろう。 とにかく、何かが違うらしい。 そして、おそらく、その答えはここにある。

― どうやら自己満足、自己保存のために思考の堂々めぐりがはじまることもあるらしい ―
(10月25日のメモ)

宝処(ほうしょ)近きにありだ。

矢印マーク 『人を動かす 新装版』


[人間関係の仕組みの理解のために]

小手先の処世術だと思ったらしっぺ返しを喰らうだろう
化けの皮は剥がれるものと相場が決まっている
この本を活かすにはもうひと越え必要なのだ


39歳8月4日からの約一年間の試練

39歳の8月4日…ボクは「オマエの修行は完了した」という内なる声を聞いた。 そのときいったい何の修行が完了したというのか?

その答えはM・ベインの『解脱の真理』の中で、チベットのラマ僧の修行になぞらえて説明されている。 ラマとは「傑出した者」ほどの意味で、その修行過程は「求道者たちの通う形而上の学校のカリキュラム」として捉えることができる。

ラマ僧の修行1 〜 7-21歳 〜


普通、男の子は七歳頃に一応僧院に入る。

厳重な試験をして、肉体や精神に何らかの欠点があれば入れなくなる。 その子の十二宮図を作り、適性を調べ、その子の属すべき部門を調べる。

M・ベイン『解脱の真理』第三章 P.101-102


残念なことに、はやくも4-6歳の時点で聞く耳をふさぎ、一般的な道徳すら守ろうとしなくなる子供たちがいる。 どうやら、そうした子供たちは七歳になると天職へと導かれる軌道から外されてしまうらしい。 わが国の七五三の風習は、この七歳の厳重試験に至るまでの節目を意識させるためのものなのだろう。

ボクの場合は、その七歳の厳重試験をうまくすり抜けてきていたみたいだ。 毎朝、神棚に手をあわせる習慣のある家庭に育っていたから神仏に対する畏怖の念みたいなものが自然に養われていたし、そこに4-5歳の頃に公園の池で溺れて、「なんだつまらん…」と言いながら死んでいくのが嫌になったことがうまく作用したのだとおもう。

ラマ僧の修行2 〜 21-39歳 〜


長い年月の準備の後、二十一歳に達すると、正式に僧侶としての勤めをさせて貰うように僧院長の許可を求める。

もし彼が密教に従う方を撰べば、密教に精通したラマ僧につけられ、形而上の教えや、高度の教えに関連したより重要な学科に熟達しなければならない。

そういう風にして進歩向上していって、やがて僧院内ではもう学ぶものが無くなる。 そこで彼は僧院を辞去して彼の望む智識を与えてくれる師匠を見出す旅に出る。 そういうもっともな願いに許可が与えられない事は決してない。

M・ベイン『解脱の真理』第三章 P.101-102


飛べない豚だったボクは21歳までに才能が目覚めなかった。 そこで二十二歳の分かれ道から天職に就くための試練を受けることにした。 そのときボクが入門の許可を求めたのは矢沢永吉を僧院長とする成りあがり僧院だ。

きつい旅だぜ お前にわかるかい
あのトラベリン・バスに 揺られて暮らすのは
若いお前は ロックン・ロールに憧れ
生まれた町を 出ると言うけど

その日ぐらしが どんなものなのか
わかっているのかい?

(作詞:西岡恭蔵 作曲:矢沢永吉『トラベリン・バス』より)

その成りあがり僧院の教えの根本原理は「不安定なその日ぐらしの旅に出ればよい」というものだった。 それは、この現象世界の法則を逆手にとってたくましく精神の変性を遂げようという教えなのである。

成りあがり僧院の根本原理


たいていの人々、実際にはほとんどすべての人々は外側の安定を求めている。

しかし、外側の安定があるところには常に心の不安があるものである。 ところが心の安定を求めると、それは常に外側の不安定となって現れるものだ。

この現象の理解を欠くがゆえに、人類は希望の哲学を発達させてきた。

M・ベイン『キリストのヨーガ』第五章 P.88


成りあがり僧院の入門資格は、この原理を実践するために公務員の採用通知を捨てたときに与えられた。

― 外側の安定があるところには常に心の不安があるものである ―

外側の安定に甘えていると、永久に心の不安から解放されることはない。 そこであえて不安定なその日ぐらしの旅に出る覚悟が求められたのである。

そうして不安定な環境に陥るときから、人は希望の哲学をつくりあげていく。 ボクが星まわりの科学を探求して、過去の偉人たちの足跡に己れの宿命星を重ね合わせてきたのはそのためだった。 しかしながら、やがて39歳の頃ともなると、その希望の哲学の限界に突き当たるようになった。

希望の哲学にしがみつき、希望の哲学をめぐって考えていると、希望の哲学がぶち壊されることを恐れるようになる。 その希望の哲学とはダーク・ハーフの哲学にほかならない。 その当時のボクは自称・天才作家としてダーク・ハーフに自分を投影していたから、自分自身で造りあげたダーク・ハーフとその希望の哲学をぶち壊しかねない何かを恐れて攻撃的になっていた。

人を傷つけたいな
誰か傷つけたいな
だけど出来ない理由は
やっぱりただ自分が恐いだけなんだな

そのやさしさを秘かに
胸にいだいてる人は
いつかノーベル賞でも
もらうつもりでガンバッてるんじゃないのか

(井上陽水『氷の世界』より)

つまり、希望の哲学を後生大事に持ち歩いているがゆえに、みずから外側に敵を作り、かえって混乱してしまっていた。

― ところが心の安定を求めると、それは常に外側の不安定となって現れる ―

それが39歳8月4日までのボクだった。

希望の哲学は自分自身で造りあげた牢獄である


恐怖のために人は希望の哲学にしがみつき、希望の哲学によって恐怖から逃れようとする。

それが彼を一層洗脳する。 彼のひねり出した結論は、自分のまわりに建てられた壁になってしまう。 彼は幽閉されてしまったのだ。

自分自身で造った牢獄の中に幽閉されている限り、彼は壁を立ててはまた壊し、他とくらべたり手直ししたり、おさえつけたり、戻したりするが、それは一層混乱を造り出すだけであり、そんなものはさまざまな恐怖や矛盾をともなう自我自身の牢獄の中から自我が映し出したものにすぎない。

M・ベイン『キリストのヨーガ』第五章 P.91


この希望の哲学の真相が分かり出したとき、希望の哲学からの解放を求めて新たな探求がはじまった。

希望の哲学からの解放を求めて…


たいていの人々は動乱のない状態を求める。 なぜか。 まさしく心が動乱しているがゆえにである。

もし君もそうであるならば、心が動乱している理由を突き止めなければならない。 そうすれば自分が希望を求めている理由が分かるであろう。

不安定となる瞬間、人は失望の状態に陥って不安になる。 すると人は希望の哲学を造りあげる。 しかし希望の哲学の真相が分かり出すと、不安と希望との両方からの解脱が生ずる。

M・ベイン『キリストのヨーガ』第五章 P.88


ボクはそれまで学んできた希望の哲学に決着をつけるため、成りあがり僧院を後にすることにした。 それが39歳の8月4日…「オマエの修行は完了した」と告げられた日だったのだ。

ラマ僧の修行3 〜 39-40歳 〜


かくて彼は食料と衣料の入った笈(きゅう)を負うて僧院を出る。

僅かの食料を携えただけで、隠れ場もないヒマラヤの荒天を切り抜けるのは大へんな事だ。

彼が自分の価値を証明するのはこの試錬の中に於いてこそである。

M・ベイン『解脱の真理』第三章 P.103


そこから40歳の10月8日までの約一年間…ボクは何となく方向性を失ってしまう時期を過ごした。

「書いている事が複雑すぎる」
「要点に迫っていない」
「瑣末な事を書いてるだけ」
「権威主義じゃないのか」
「息詰まりを感じる」
「ごたくを並べはじめてる予兆がある」

こうした意見が投稿されてきたのは、この『かなりキワどい坐禅作法』を書きはじめたときで、これはおそらく、それまでの『ちょっとはマシな坐禅作法』とはまったく違う方向性を打ち出し始めたからだろう。

この『かなりキワどい坐禅作法』のインスピレーションは、ドッペルゲンガー遭遇の夢の意味を知った40歳10月8日以降にやってきたのだけれど、正直に言うと、それにはボク自身も少々困惑していた。 それはこれまでの宗教の常識にコペルニクス的転回を突きつけるものだったからだ。 つまり『かなりキワどい坐禅作法』を書きはじめることは、天動説を信じていたヨーロッパ中世の人々に地動説を説くようなルネサンスを意味していたのである。 おそらくそのせいで、この投稿者たちのオツムはついてこれなくなったのだろう。

39歳8月4日からの約一年間…それはボクにとって天性の義務を果たすための勇気を集めた一年だった。 この期間は天職に就けるかどうかを判定する試練を受けていたようなもので、その証拠にボクは39歳の12月から天職遂行のための決心を固める記事を少しずつ書いてきている。

一 『アカデメイアからの手紙』(2013.12-2014.1 [39歳])
二 『十牛図提唱』(2014.2-2014.3 [39-40歳])
三 『リトル仁悟はかく語りき』(2014.5-2014.6 [40歳])

このうち三番目の『リトル仁悟はかく語りき』にいたってルネサンスという言葉をはじめて使ったとき、『かなりキワどい坐禅作法』を書く覚悟がようやく決まったような気がした。

『ちょっとはマシな坐禅作法』は『結跏趺坐へのストレッチ』(2011.10-2013.5 [37-39歳])までで内容的には完結していて、そこまでなら聞く耳の閉じている凡人でも、気軽に読める内容になっている。 心が一切傷つかないからだ。 でも『かなりキワどい坐禅作法』は違う。 心の逃げ道をふさぎ、狭い路地に追いつめ、刀で斬りつけるような内容だから、これを書きはじめた頃の読者からのあたりは非常にキツかった。

けれども、もしも彼らの意見に屈して自分の方針をねじ曲げるようなことをしていたら、いまごろボクは天職への軌道からはずれ、40-42歳の大厄のうちに松本清張や浅田次郎クラスの作家としてとっくに文壇デビューを果たしていたことだろう。 もちろんその場合、たとえ芥川賞や直木賞を受賞できたとしても、43歳になったときに天職を啓示されることはなかったとおもう。

39歳8月4日からの約一年間…それは頭をまるめて「すいません」と言いながら大衆社会に下から戻っていく思想家になるのか、それとも晴れて<全体>から選ばれて天職に就き大衆社会に上から戻っていく芸術家に脱皮するのか、その分かれ道になっていた。

― 彼が自分の価値を証明するのはこの試錬の中に於いてこそである ―

芸術家としての創造活動をするためには何よりまず最初に勇気を試されたのだ。 ここのところをM・ベインはこんな風に語っている。

創造の勇気


もしわたしがこの書が受け入れられるかどうかを案じたなら、この書は決して執筆されなかったであろう。 自我が邪魔に入ったであろう。

しかし自我が自我自身を知った時、ものごとがありのままに見え、そこから逃げようとする思いはもはやなくなる。

M・ベイン『キリストのヨーガ』第七章 P.126


創造の勇気もまた心随観の成果としてやってくるものなのかもしれない。

ラマ僧の修行4 〜 40-42歳 〜


さて、こうして新しい師匠を見出すと、時を移さずに教育が始まる。

彼は先ず、一切の迷妄(まよい)と以前の生活の影を心から放下(ほか)すように命じられ、自分の心の中を見詰め、その中にあるものを観察することを仕込まれる。 こうして彼は自分の心が、自分の我で造った種々様々の心象で満ちていること、その心象自体には本来は何の力もなく、実は自分自身がそれに力を与えていた事を悟る。 人間の想念と反応とは主として恐怖、心配、疑惑、無智によって生ずること、それらを、恰(あたか)も乞食の着物を脱ぎ捨てるがごとくに捨て去らねばならない事を悟る。

かくして彼は、真我は、心の想念、心象、観念(かんがえ)や肉体や環境などによって成るものではない事を発見し、人間の思考の虚妄を徹見し始める。 これが彼の修業における肝要な点である。

M・ベイン『解脱の真理』第三章 P.103


こうして『かなりキワどい坐禅作法』を書き始めたとき、「息詰まりを感じる」「ごたくを並べはじめてる予兆がある」と強烈な投稿をしてきていたのが正師・秀爺だった。

― さて、こうして新しい師匠を見出すと、時を移さずに教育が始まる ―

ほかの聞く耳の閉じている読者たちと一緒になって、「オタク」で「ゴタク」と言ってきたくらいだから、正師・秀爺は39歳8月4日からの約一年間の試練の意味がさっぱり分かっていなかった。 したがって<生>の学びを中途半端にして天職に就くことなく近道をしている可能性があったのだけれど、とにかく覚醒していることだけは確かだった。 ボクはこのとき新しい師匠を見出したのだ。

桃雲水

天才作家の死んだ日

赤雲水


― どうやら自己満足、自己保存のために思考の堂々めぐりがはじまることもあるらしい ―
(10月25日のメモ)

おそらく、この自己満足、自己保存の執着を生み出しているやつが自我だ。 ただし、どうやって手放したらよいものやら、さっぱりわからなかった。

禅林の連中は、「無の字を拈提しろ」などと言って、馬鹿のひとつ覚えみたいに「むー、むー、むー、むー」やっていて、「むーっ、むーっ、とやっていれば、いずれ拓けてくるものがある」などと曰う。 どいつもこいつもアホじゃないかと思った。

ボクが知りたいのは自我の手放し方であって、むーむーじゃない。 無論、どんな語録を読んでも、ボクの知りたいことに答えている禅師はなく、とにかく心随観を続けるより他はなかった。 かくして、気づきは突然訪れた。

天才作家のペルソナに気づいた投稿


>「僕は自分のことを天才だなんて思ったことは一度もありません! 」ってあながち嘘じゃありません。

そうなの?

そりゃあ、人生損してるぜ。 布施仁悟の天才きどりはサルヴァドール・奇天烈・ダリ様ゆずりなのさ。

― オレはドラッグはやらねえ、オレさまがドラッグだからな ―
(ダリ)

11月4日の投稿


「自分の中にダリがいるっ!」

ブログの投稿者にこの返答をしたとき、はじめて他ならぬ自分が天才作家のペルソナを造り上げている事実に気づいた。 自己満足、自己保存の執着を生み出している主体は、こいつじゃないのか。

さらに、その二日後、ボクはみずからブログの記事に書いた文章を読み返していた。

天才作家のペルソナを落とした文章


まあ、そりゃあ、布施仁悟のおとーさんは、自称・天才作家ですから、温めているアイデアがある。 でも、時節が到来しないとそれらのアイデアは、文章のなかにピッタリ収まらない。 この感覚がわかるってのが才能なのかな。

だから天才作家は伝家の宝刀をそうやすやすとは抜かないものなのさ。

11月3日の記事


この箇所を三度くらいリフレインしたときだっただろうか。 突然、ボクの中から天才作家の自己イメージが脱落して死んでしまった。 その様子は、まさしく、どこかの善知識が語っていた言葉通りだった。

― 自我は観られれば厭離(おんり)される ―

その自己イメージはただ観られただけで死んだ。 それは40歳2014年11月6日のことだった。 そのときボクは一度死んで生き返った気がした。 実に死ぬことは生きることだったのだ。

35歳から作家を志したボクは“天才作家”の自己イメージを作り上げることで、創造的知性(ミューズ)との付き合い方を学んだ。 才能に自信がなかったからだ。 でも、内なる声を聞いた39歳8月4日の時点では相当な自信を持っていた。 自分の中にミューズが息づいていることを確信できるまでになっていたからだ。

しかし、天才であるからには万能でなければならない。 失敗も許されない。 それは逆に息苦しいことでもある。

天才作家の自己イメージを失うまいとして、他人が自分を見ているところのドッペルゲンガーの存在に怯え、思考の堂々巡りが始まる。 己れの存在価値を再確認するために記憶を呼び起こし自己満足を得ようとする。 苦労してでも一流の作品をものにしなければならないと思い込んでいるから苦悩の連鎖がはじまる。

「オマエは、もう、必要ないんだよ、いいかげんにしてくれ」

この思いを三度のリフレインで心の中に強く繰り返したとき天才作家は納得の上で死んでいった。 そいつはボクが心の中で造り上げた観念・思想にすぎなかったのだ。

正師を見出した後の課題


君のこれからする仕事は、観念・思想とは一体何なのか、心象(イメージ)とはどういうものかを明らかにすること、心の中で造り上げたものは真理そのものではないこと、を明らかにすることである。

しかし観念が何であるかを理解しうる前に、実は先(ま)ずある観念を持たねばならないものでね。 君は自分で真理だと思っていたいろいろな観念で満たされる必要があった。

しかし君の心の中で造り上げたものは真理ではないのだ。 なぜなら真理は造り上げられるものではないからだ。

これから後、君はこのことを、くり返し、くり返し、聞かされることになるだろう。

M・ベイン『解脱の真理』第二章 P.64


― ころせ ころせ 我身をころせ
     ころし果てて 何もなきとき 人の師となれ
 ―
(至道無難禅師)

ボクはこうして縁覚道の歩き方を学びはじめたのである。

(2014.11・2017.10改訂)


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