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【坐禅作法124】火裏の蓮

かなりキワどい坐禅作法 火裏の蓮〜養心門15〜

Presented by

〜養心門15〜


海を越えたら…なぜか上海

芸術家は悪夢のような渾沌の淵から生まれてくる。

渾沌の悪夢たる所以(ゆえん)は、そこでは何ひとつ思い通りにいかないことだろう。 しかも、その悪夢から逃げおおせる場所など、この青い地球のどこにも存在しないのだ。 ただ己れの惨状に目をみはり、<<どうして何をやっても、こんなに致命的なまでに一切が手に負えなくなってゆくのか>>と絶えず自問し続けることになる。 とはいえ四方を壁に囲まれたようなところに追い込まれ、逃げ場のない無力感を突きつけられるからこそ、己れに課せられた痛烈な宿命を背負いこむ覚悟が決まるのだ。

それまで着飾っていた衣服を脱ぎ捨て、人は<全体>のつくりだす運命の川の流れに身をゆだねる。 その川は緑の木立ちをくぐり抜け、牛や馬が草を食む牧場をくねり流れ、やがて大河と合流し、大海へと注ぎ込む。

しかしその大海に流れはなく、無表情に水をたたえるばかりだ…もしも波がなければ。

流れないのが海なら
それを消すのが波です

(井上陽水『なぜか上海』より)

<全体>のつくりだす運命の川の流れに身をゆだねたなら、誰しも大海まではたどりつけることだろう。 しかしそこで流れることをやめてしまったら、どこまでも深く暗い海溝に沈み込んでいくほかない。 そのままだと渾沌は渾沌のままで終わってしまうのだ。

けれども大海の波間をただようことができたなら話は違ってくる。 波間にゆられ渾沌をのりきったところ…そこに芸術家の港― 上海(シャンハイ) ―の灯(あか)りが見えてくるからだ。

海を越えたら上海
どんな未来も楽しんでおくれ

海の向こうは上海
ながい汽笛がとぎれないうちに

(井上陽水『なぜか上海』より)

もしも上海までたどりつけなければ、芸術家として生み落とされる前に渾沌に呑みこまれてしまうことだろう。

井上陽水の『なぜか上海』に歌われている海は、35-37歳の厄年を抜けた後からはじまる創造の病の隠喩になっている。 ユングはそこから40-42歳の大厄を抜けるまでの渾沌を夜の航海と名づけていた。 もしもその夜の航海を無事に航行できなければ、渾沌に取り残されたまま、それほど長くもない一生を浪費してしまうことになるだろう。 創造の病における夜の航海には、そんな危険な暗礁地帯がいくつもあるのだ。

われらが井上陽水の20-30代における作品は、そんな夜の航海図となっている。 それらは不測の暗礁地帯を知らせる海図となり、われわれを魂の秘密へと導いてくれるに違いない。 そこに標(しる)された航路を実際にたどり、神秘の幽宮のとびらを押し開くがいい。

ここではそんな井上陽水作品を読み解きながら夜の航海図を描いてみることにする。

矢印マーク スニーカーダンサー

1979年―井上陽水31歳のアルバム
『なぜか上海』収録

赤雲水

渾沌の青い闇

黒雲水

渾沌を体験する時期は19・25・33・37・42歳の各厄年にそれぞれ暗示されている。

まず19歳の最初の渾沌で運命の小川に飛び込み、25歳の二回目の渾沌で慣れ親しんだ景観を離れると、33歳の三回目の渾沌で大海へと続く大河に合流できる。 やがて37歳の四回目の渾沌で大海にたどりつくと、夜の航海がそこからはじまり、42歳の五回目の渾沌を抜けたときに上海の灯りが見えてくる。 そんな感じになるだろうか。

各渾沌の時期になると、小さなものからはじまって、回数を重ねるごとに大がかりなアイデンティティ・クライシスを体験していくことになる。 そのとき、失なわれたアイデンティティを取り返そうとして、自我が元に戻ろうとしてしまうのだ。 その戻ろうとする力に打ち勝つための試練が渾沌なのである。 和尚はこの渾沌を“闇夜”になぞらえていた。

和尚の語る渾沌 〜 その一 〜


自我が完全に消滅し、あなたが自分の実存が根づいていることに気づくまでには、ひとつの隙間(ギャップ)があるだろう。 その隙間が“闇夜”なのだ。 その隙間の中で、あなたはとても不安になってしまう。 恐ろしくなってしまう。

「何がどうなっているのだろうか?」
「自分は狂っているのだろうか?」
「自分は何もかも失っているのだろうか?」

それというのも、いまあなたが持ってるのは、すべて自我(エゴ)のアイデンティティだからだ。 もしそれが手から滑り落ちようものなら、何もかもなくなってしまったような感じがする。 しっかりと根をおろしていられるように、昔ながらのものごとにしがみつこうとする誘惑に襲われるだろう。

和尚『TAO 永遠の大河3』-P.493「第10話 Q&A 老子とグルジェフ」


この渾沌の闇夜から抜け出してくるのは、アイデンティティが永久に失なわれた現実を受け容れられた人たちだけだ。

和尚の語る渾沌 〜 その二 〜


もしそれをトータルに受け容れることができたならば、次の瞬間には、あなたは根づきを感ずるだろう。

しかし、それをトータルに受け容れるのは難しい。 あなたは疑いを抱く。 心(マインド)はこう言うだろう。

「どうなっているんだ? 古い家は崩れてしまった。 しかし新しいのはどこにあるんだ? 古い存在はなくなってしまった。 が、新しいのはどこにあるんだ?」

時間が必要だ。 隙間(ギャップ)が必要だ。 その間に、古い家が消え失せて、古い家の消滅によって生じた動揺や渾沌がおさまり、あなたの目がはっきりとして、煙もゴミもなくなる。 そうして、あなたは不意に新しい家を、実存を見ることができるようになる。

和尚『TAO 永遠の大河3』-P.493「第10話 Q&A 老子とグルジェフ」


そうして渾沌の闇夜から抜け出したとき、人は、なぜか上海にいる。

和尚の語る渾沌 〜 なぜか上海 〜


もしあなたが目を見張り続けていたら、渾沌はそこにあっても、あなたは渾沌の中にいない。 あなたはそれを超越する。 覚醒というのは超越的現象なのだ。

自分のまわりがすべて渾沌だということはわかっていても、あなたの内の深いところには渾沌などない。

不意にあなたはその上方にいる。 その中に飲み込まれてはいない。

和尚『TAO 永遠の大河4』-P.249「第5話 病める心」


この19歳から体験することになる渾沌の過程は、1978年に発表された井上陽水の『青い闇の警告』に歌われている。 その歌が2015年放送のテレビ番組で紹介されたとき、井上陽水はこんなことを語っていた。

井上陽水の語る『青い闇の警告』


それはもう、とっても孤独で、かなしくて、ある種つらいんですけど。

人間て不思議なもので、そこに慣れると、苦しいというか、かなしいんだけど、ある種…「居心地がいい」という面もあるんですよね。

2015年12月22日放送 NHK『SONGSスペシャル 井上陽水』


和尚の渾沌の説明と同じ内容を語っていることが解るだろうか。 和尚が渾沌を闇夜と形容したのと同じように、井上陽水はそれを“青い闇”と呼んでいるのだ。 このような心境の変化は各渾沌の時期において毎度体験するもので、井上陽水の『青い闇の警告』はその過程を巧みに描写している。

矢印マーク TAO 永遠の大河3〜OSHO老子を語る〜


必要なのは真っ直ぐ生きることだけだ
ほかには何もいらない
それが道なのさ


19-20歳の渾沌

たとえば青年たちが19になる直前の勇気をみせると、ほどなくして人生の雨が降ってくる…そのときに体験する青い闇がこんな感じのものなのだ。

青い闇の警告1 〜19-20歳の渾沌〜
井上陽水『青い闇の警告』(1978)


19歳とは両親の束縛を離れて自分なりの生き方を模索しはじめる時期だろう。 そのとき、それまで両親の口癖によって潜在意識に刷り込まれてきた堅実な道を逸脱すると、人生最初のアイデンティティ・クライシスが起こる。 まさしく星まわりのいたずらにより、窓のガラスが割れて、あたり一面に破片が飛び散るのだ。

― 星のこぼれた夜に 窓のガラスが割れた ―

この時期の19歳の青年の行動には三つの型が考えられる。 一つは両親から刷り込まれた堅実な道に決して逆らわない保守型の青年たちだ。 彼らは十三歳の厄年の時点で精神年齢を完全に止めているから、すでに天性の義務を果たす道は断たれている。 おそらく社会システムの伝統を後世に伝えるためだけに生きることを運命づけられているのだろう。 私の大学の友人たちがそうだった。 そうした素朴で無難な生活の意匠もまんざら悪いものではないとおもう。 精神を病むことなく生涯を送れるという意味では健全な人たちなのだから。

そうではなくて両親から刷り込まれた堅実な道を逸脱しようとする青年たちもいる。 己れの中にたぎる血潮が何かもっと波乱のある人生を求めてうずいている…この型の青年たちはその天性の衝動にしたがうのだ。 彼らは19歳になると堅実な道を逸脱して渾沌を体験していくことになる。

しかしながらそんな青年たちも20歳の8月を迎える頃には二つの型に分かれてしまうものだ。

渾沌の構造(三月生まれの布施仁悟型)
図:布施仁悟(著作権フリー)


渾沌を体験する年月には一定のパターンがある。 とりあえず三月生まれの私のケースで説明すると、こんな感じになるだろうか。

たとえば私の33歳夏のぷっつん体験や42歳夏の高校の同窓会が8月の出来事だったように、それまで立っていた精神基盤が崩壊するような出来事は後厄の八月に起こると決まっている。 それがアイデンティティ・クライシスで、通常、その出来事を転機として渾沌がはじまる。 するとそこから翌年6月上旬までの10ヶ月間くらいを混乱状態のなかで過ごすことになるのだ。

村上春樹の『騎士団長殺し』は、この10ヶ月間を題材にしている小説で、渾沌とはまさにその冒頭に書かれているようなものである。

『騎士団長殺し』にみる渾沌


 私の人生は基本的には、穏やかで整合的でおおむね理屈の通ったものとして機能してきた。 ただこの九ヶ月ほどに限っていえば、それはどうにも説明のつかない混乱状態に陥っていたということだ。 その期間は私にとってあらゆる意味において例外的な、普通ではない期間だった。 そこでの私は、静かな海の真ん中を泳いでいる最中に、出し抜けに正体不明の大渦に巻き込まれた泳ぎ手のようなものだった。

村上春樹『騎士団長殺し 第一部』<1章 もし表面が曇っているようであれば>


渾沌の10ヶ月間のうち、とりわけきつい時期を耐え忍ぶことになるのは最初の半年間くらいだろうか。 その半年間は青い闇とでも呼ぶべき時期で、それまでいろんな揉めごとから抜け出してきた、その知識や経験をたよりに乗りきろうとしても不可能となる。 何をやってもドラッグをキメてオーケストラを指揮しているかのような不協和音が鳴り響いてしまうのだ。 そうして、それまで蓄積してきた知識や経験の無力に直面させられ、人間がまったく赤裸々になったとき、新たな生きざまを求めて激しい冒険がはじまる。 それが青い闇の狙いなのだ。 したがって青い闇の期間は“忍耐”とか“勇気”という言葉がもっとも切実な意味を帯びてくる。

そうして半年くらいもがき続けると、翌年2月の節分の頃には青い闇を抜け出す突破口を見つけられる。 すると2月下旬くらいから通過儀礼がはじまり、6月下旬にある最終試験を通過したところで、ようやく渾沌から解放される。

7月半ばも過ぎる頃には、次に目指すべき化城が開示され、8月になると古い着物を脱ぎ捨てるように新しい人生に踏み出している。 そういうときは、からだ中にうずくような生命の喜びを感じ、生きることを楽しみたい気分になるものだ。 自然に胸もたかなる。 渾沌を抜けたあとの八月は夢花火のあがる夏まつりの季節となる。

夏まつり 宵かがり
胸のたかなりにあわせて
八月は夢花火 私の心は夏模様

(井上陽水『少年時代』より)


しかしながら“忍耐”や“勇気”の欠けていた人たちにとっては、渾沌の後の八月は引退の花道を敷かれる季節となる。 19歳で堅実な道から逸脱した青年たちが、20歳の8月を迎える頃には二つの型に分かれてしまうのはそのためだ。 アイデンティティ・クライシスに直面したあと、元に戻ろうとする自我の力に打ち負かされた人たちには、青い闇から抜け出す突破口が見つからない。 引退の花道はそんな彼らが渾沌から普通の男の子に戻るための唯一の道として現われる。 もしもその花道を引きあげなかったら…渾沌に取り残されたまま精神を病み、そのうちカオナシとして誕生してくることになるだろう。

『十九歳の地図』 〜 19歳の私はこの本で青い闇を抜けた 〜
矢印マーク 『成りあがり How to be BIG―矢沢永吉激論集』


[社会的アイデンティティの喪失のために]

10代・20代を正しく歩むためのバイブル
10代・20代の諸君!
人生には時節というものがある
おそらく「聖書」や「経典」を読むのはまだ早い
まず これを読んで来たるべきときに備えよう

矢印マーク 『人を動かす 新装版』


[人間関係の仕組みの理解のために]

小手先の処世術だと思ったらしっぺ返しを喰らうだろう
化けの皮は剥がれるものと相場が決まっている
この本を活かすにはもうひと越え必要なのだ


ここで私の19-20歳における渾沌の体験を例に挙げておこう。 これ以降に体験することになる渾沌も基本的な構造はまったく変わらない。 つまり、そこにすべての基本があるのだ。

私は19歳の4月に故郷の札幌を旅立ち、東京の大学に通いはじめた。 そんな十九の春の喜びは、平凡な哲学教授のおかげで5月にはあっけなく打ち砕かれていた。 さっそくアルバイトを始めてみたものの、どの職場に行ってもどういうわけか精神の屈折した人にしか出会えなかった。

おかげでこの時期の楽しい思い出といえば、夏休みに帰省した8月に昔の友人たちと飲み歩いたことくらいだ。 その夏休みの出来事を最後に、19歳以前によく遊んだ友人たち(相棒たちを除く)と会うことは二度となかったから、あの8月の夏休みの出来事は10代の終わりを告げる魔法の通廊だったような気がする。 夏休みの帰省を終えて東京に戻ってからの私は、ひたすらアルバイト先の人間関係で悩んでいた。 D・カーネギーの『人を動かす』を手にしながら、「この通りにやったところで、どうにもならないんだよな」なんて首をかしげていたのである。

また大学入学当初は高校の世界史の教師になるつもりだったため、教職免許を取得できる講義をいくつか履修していた。 けれども8月の夏休みになる頃には、矢沢永吉の『成りあがり』にすっかり洗脳されていたから、教職免許を取得すること自体があほらしくなって出席することもなくなった。 私はそんな風にして社会システムからちょっぴりドロップアウトしたのである。 いま振り返ると、こうした社会的アイデンティティの喪失が青い闇の課題の一つになっていた。 この19歳におけるアイデンティティ・クライシスは、これ以降のものに比べると、精神に受けるストレスレベルがはるかに劣る。 それでもやはりぷっつん体験の一種と言えるのかもしれない。

ようやく大学生らしい生活がはじまったのは大学二年になってからだった。 その4月から弟も東京の大学に通い始めることになったので広いアパートに引越し、心機一転のつもりで『ルノアール』という喫茶店でアルバイトをはじめた。 ところがルノアールにいた人たちというのは、9歳の運命のクロスポイントで精神年齢を止めたせいで、ろくでもない人生に転落した人たちだったのである。 おかげで人格がどうしようもなく屈折していたから、私はほんの些細なことで誤解され口論することを余儀なくされた。 私はそのルノアールで、これまでアルバイトをしてきた職場でも、そういう人たちに直面していたことを洞察することになった。 人生の途中で引退の花道を引きあげていった人たちの生態を理解できたらゆるしが起こる。 そうなったら、いつまでもつまらない連中と顔をつきあわせている筋合いはない。 私は副店長と喧嘩してルノアールを辞めてきた。 こうした人間関係の仕組みの理解が青い闇のもう一つの課題なのである。

その副店長との喧嘩が19-20歳の渾沌における六月の最終試験だったらしい。 その翌月から小さな出版社でアルバイトをはじめて以降、私を取り巻く環境が一変に好転していったのである。 この青い闇を体験してから後、私は自分の本心にしたがって進路を決めるようになっていった。

― 俺は破片を集めて 心の様に並べた ―

矢印マーク ハンサムボーイ

1990年―井上陽水42歳のアルバム
『少年時代』収録

青雲水

19-20歳の渾沌の後

緑雲水
青い闇の警告2 〜19-20歳の渾沌の後〜
井上陽水『青い闇の警告』(1978)


社会的アイデンティティを喪失することは、社会から与えられる存在証明の喪失を意味する。 社会における自分の存在価値がなくなってしまうわけだから、人はたちまち将来不安に襲われてしまう。

― 何か未来の事を すぐに知りたい俺は ―

19-20歳の渾沌を抜けてきた青年たちには、過去志向から未来志向へのゲシュタルト転回が起こりはじめるのだ。

ゲシュタルト転回の意味(布施仁悟型)
図:布施仁悟(著作権フリー)


とはいえ神隠し現象に遭遇して社会から完全に隔離されるのは31-33歳の大厄以降のことで、私はまだ大学生とかシステムエンジニアなどの存在証明を社会から付与されていた。 そのため周囲の人たちに比べて過剰な将来不安を感じていたくらいで、完全な未来志向に移行することはなかった。

そんなときに出来ることといえば、自分よりも先に同じ道を歩いていったロールモデルを見つけてあこがれることくらいだろう。 19-20歳の混沌の後、私はロールモデルたちの足跡に明日の自分を重ねあわせ、その背中を追いかけはじめた。

― 指にダイヤルからませ 明日の日付で廻した ―

矢印マーク white

1978年―井上陽水30歳のアルバム
『青い闇の警告』収録


25-26歳の渾沌の前

青い闇の警告3 〜25-26歳の渾沌の前〜
井上陽水『青い闇の警告』(1978)


23-25歳の厄年はツインシャドウの関係にあるソウルモデルとシンクロニシティを通じた接触が起こる時節らしい。 当時の私がそのシンクロニシティを認識することはなかったのだけれど、井上陽水からの長い手紙を私はたしかに受け取ってきていた。

― ひどい嵐の中で 長い手紙が届き ―

とはいえ、この現象はあまりにぶっ飛んだお話だから、解説を加えておく必要があるだろう。 ツインシャドウの関係にあるソウルモデルは、25-26歳の渾沌の後から忘れ去られ、42-43歳の渾沌を抜ける頃に再発見される運命にある。 それはこういう理由があるからだ。

渾沌と死


渾沌のあと、人は<死>と直面しなければならない。 渾沌がその用意をととのえてくれる。

和尚『TAO 永遠の大河4』-P.253「第5話 病める心」


19歳から43歳まで続く渾沌のあと、自我はみずから自殺を犯して<死>に直面しようとする。 各渾沌で体験するアイデンティティ・クライシスは自我の死の序章みたいなものなのだ。 つまり渾沌とは“無我”の境地に至るための準備過程なのである。

その自我の<死>に直面するとき、そこから<復活>を遂げるためには誰かの手助けが必要になる。 その<死>と<復活>の案内役がツインシャドウなのだ。

ツインシャドウがいなかったらほとんど不可能だ


マスターが必須となる。 マスターがいなかったらほとんど不可能だ。

あなたが死ぬのは簡単だ。 が、誰があなたを再誕させる? 誰があなたを、あまりにもショッキングですさまじいために、あっさりと自我(エゴ)が落ちてしまうようなその死の経験から引きずり出す?

死が起こっているというときに目を見張っているのはとても難しい。 だが、マスターがゆっくりと働きかけていればそれも可能だ。 もしあなたが眠り込んだら、マスターは目覚ましとして機能する。 彼はあなたをしゃきっと覚まさせる。 彼はあなたにショックを与え、気を配らせる。

そして、もしあたり一面に死が起こっているときに、気を配り、覚醒することができたなら、あなたは不死となる。

和尚『TAO 永遠の大河4』-P.258-259「第5話 病める心」


そのためツインシャドウの関係にあるソウルモデルは長い話を年月をかけてゆっくりと語りかけるのである。 このあたりのことを主題とした井上陽水のアルバムに『バレリーナ』がある。

僕はなんだかこの頃とっても妙だ
二人きりでも一人になってるようだ

使いならした日本語も
覚えかけてた計算も
君のことまでそのうちに忘れそうだ

その訳がわかるまで そのままで
ただ待っておくれよ 今日は

(井上陽水『この頃、妙だ』より)

それは、この『この頃、妙だ』のような自我の<死>に直面する“いつか”…「きっとあなたとどこかへ行こう」というソウルモデルの心情を描いたアルバムなのだ。

愛されてもワカラン人は罪にならないヨ
嫌われても泣かない人は雨にぬれてるヨ

誰か 誰か そんな あなたのこと教えて
いつか いつか きっと あなたとどこかへ行こう

(井上陽水『あなたを理解』より)

けれども私は、ツインシャドウの関係にあるソウルモデルから愛されているとはつゆ知らず、大学時代の友人たちから煙たがられ、だからといって泣くこともなく、ただ人生の雨にぬれるだけで精一杯だった。 気がづいときには、あっさり礼儀を忘れていた。

― 俺は返事にとまどい 軽く礼儀を忘れた ―

矢印マーク バレリーナ

1983年―井上陽水35歳のアルバム
『この頃、妙だ』『あなたを理解』収録

桃雲水

33-34歳の渾沌の後

赤雲水
青い闇の警告4 〜33-34歳の渾沌の後〜
井上陽水『青い闇の警告』(1978)


25-26歳の渾沌は、それを抜けたところに八月の夢花火があがらない唯一の渾沌だった。 たぶん、どしゃぶりの雨のせいで、夏まつりの花火大会が雨天中止になるからだろう。

25歳の当時、システムエンジニアとして働いていた私は平社員から主任に昇格しようという季節にいた。 その昇格試験の通知を受け取った10月―私は辞職する時節の到来を知って心の底から震えた。 なぜか知らん、女の子のようにおとなしく受け身で待っていれば、時節の到来は知れるものだ。

『騎士団長殺し』にみる時節の到来を知る方法


 よく耳を澄ませ、よく目をこらし、心をなるたけ鋭くしておく。 それしか道はあらない。 そしてそのときが来れば、諸君は知るはずだ。

 おお、今がまさにそのときなのだ、と。

 諸君は勇気のある賢い女の子だ。 注意さえ怠らねば、それは知れる。

村上春樹『騎士団長殺し 第二部』<61章 勇気のある賢い女の子にならなくてはならない>


そのとき一緒に会社を辞めた私と4号は、翌年2月の節分を過ぎた頃、東京から九州まで日本を横断する鉄道旅行を敢行した。 その鉄道旅行が俗世から切り離される魔法の通廊だったのだとおもう。

さらにその年の6月、大学時代のサークルの後輩の結婚披露宴で口論になりかけて、もう後もどりできなくなったことを痛感した。 そのジューンブライド事件が25-26歳の渾沌の通過儀礼だったのだろう。

この『リバーサイドホテル』は、そんな私と4号の歌だ。

誰も知らない夜明けが明けたとき
町の角からステキなバスが出る
若い二人は夢中になれるから
狭いシートに隠れて旅に出る

(井上陽水『リバーサイドホテル』より)

25-26歳の渾沌を抜けたとき、いよいよ「誰も知らない夜明け」が開幕する。 私と4号の二人を乗せたバスはどしゃぶりの雨の中をひた走った。

昼間のうちに何度もKISSをして
行く先をたずねるのに疲れはて
日暮れにバスもタイヤをすりへらし
そこで二人はネオンの字を読んだ

(井上陽水『リバーサイドホテル』より)

やがて行く先をたずねるのに疲れはてた頃には、31-33歳の大厄を迎えていた。 そこに待っていたのは大海へと続く大河のほとりにたたずむリバーサイドホテルだった。

ホテルはリバーサイド
川沿いリバーサイド
食事もリバーサイド
Oh リバーサイド

(井上陽水『リバーサイドホテル』より)

その頃には、渾沌の構造を体験的に知っていたから、すでに魚のような渾沌の泳ぎ手になっていた。 けれども33-34歳の渾沌を抜けることは、社会的アイデンティティを完全に喪失することを意味する。 私は渾沌の青い闇におびえ、なかなか大河に飛び込むことができなかった。

ベッドの中で魚になったあと
川に浮かんだプールでひと泳ぎ
どうせ二人は途中でやめるから
夜の長さを何度も味わえる

(井上陽水『リバーサイドホテル』より)

そうして狭いプールを行ったり来たりするような葛藤を繰り返すうちに、私の中にダークハーフが生まれてきた。 私は社会システムに対抗するための強固な自我の殻をまとった。

― 俺はこたつで生まれ 狭い風呂場で遊び ―

そして33歳の8月―ついに私はぷっつんして大河の流れに飛び込んだ。 その後は固い自我の殻に守られながら、ダークハーフを盟友として才能を育むことになる。

― 重い毛布にくるまり 夜の間に育った ―

矢印マーク LION&PELICAN


1982年―井上陽水34歳のアルバム
『リバーサイドホテル』『とまどうペリカン』収録


37-38歳の渾沌の後

青い闇の警告5 〜37-38歳の渾沌の後〜
井上陽水『青い闇の警告』(1978)


35-37歳の厄年の課題は社会システムに対抗する<個>を確立することだった。 それに成功すると37-38歳の渾沌を抜ける頃から夜の航海がはじまる。 私の場合、38歳6月の京都旅行が通過儀礼となり、翌月の7月14日には真の眠りを初体験して化城が開示され、本格的に創造の病に入っていった。 それ以降は俗世から完全に隔離されることになる。

― 今の住所はここで 固い扉が守り ―

そのときいちばん堪(こた)えたのは4号が少しずつはぐれていったことだろうか。 この時期の私と4号の関係は、井上陽水の『とまどうペリカン』でライオンとペリカンに喩(たと)えられている。

夜のどこかに隠された
あなたの瞳がささやく

どうか今夜のゆく先を
教えておくれとささやく

私も今さみしい時だから
教えるのはすぐ出来る

(井上陽水『とまどうペリカン』より)

37-38歳の渾沌を抜けるまでは4号が私の羅針盤だった。 彼女の直感が私のいる座標と行く先を教えてくれたから、なんとかやってこれたようなもので、4号がいなかったら私はとっくの昔につぶれていたとおもう。

夜を二人でゆくのなら
あなたが邪魔者を消して

あとを私がついてゆく
あなたの足あとを消して

風の音に届かぬ夢をのせ
夜の中へまぎれ込む

(井上陽水『とまどうペリカン』より)

また38歳6月の京都旅行までは父と喧嘩をするのが私の課題だったのだけれど、その後始末を引き受けてくれたのが4号だった。 私と父が喧嘩をしながらも関係をうまく保っていられたのは、まったく4号のおかげだったのである。

あなたひとりで走るなら
私が遠くはぐれたら

立ち止まらずに振り向いて
危険は前にもあるから

どこからでもあなたは見えるから
爪を休め眠る時も

(井上陽水『とまどうペリカン』より)

たしかに私の才能は38歳の7月14日から爆発的に覚醒していった。 4号もそれをともに喜んでくれるはずだったのに、彼女は私の文章修行にまったく興味を示してくれなかった。 いつのまにか風向きが変わり、私の夢の行く先に彼女はついてこれなくなっていたのだ。

私たちは語りあいたいものを数かぎりなく持ちながら、トラベル英会話のような陳腐な対話を繰り返すよりほかなかった。 肩を並べて会話をかわしながら、私は彼女を理解できず、彼女は私を理解できず、さびしくそれぞれの道を歩いた。 4号はあきらかに私の才能の覚醒にとまどっているようだった。 行き場のない思いを互いにぶつけ合う日々がはじまり、私たちの関係はいつのまにか険悪になっていた。

あなたライオン たて髪ゆらし
ほえるライオン おなかをすかせ
あなたライオン 闇におびえて
私はとまどうペリカン

(井上陽水『とまどうペリカン』より)

私と4号は二人でいながらにして一人ぼっちになった。 それはまるで…氷の世界だ。

― 俺はつめたい息をし 水を飲むたび凍らす ―

矢印マーク 騎士団長殺し〜第1部 顕れるイデア編〜


 ― 2017年2月25日…村上春樹のバトン ―

ポスト村上春樹に告ぐ、騎士団長を殺して出て来い!

黒雲水

42-43歳の渾沌の前

青雲水
青い闇の警告6 〜42-43歳の渾沌の前〜
井上陽水『青い闇の警告』(1978)


40-42歳の大厄になると、私の無意識の扉がひらきはじめた。 恋を忘れたあわれな私は、たちまちぷっつんレディ2号の記憶のトリックに引っかかることになる。

― やがて気分が変わり 俺はミセスに恋し ―

こうして渾沌の山場を迎える緊迫した場面は、井上陽水の『氷の世界』に歌われている。

窓の外ではリンゴ売り
声をからしてリンゴ売り
きっと誰かがふざけて
リンゴ売りのまねをしているだけなんだろ

(井上陽水『氷の世界』より)

リンゴは人を昏睡状態の豚にする知識の木の実だ。 しかしいまではもう、そんなものに引っかかるほどバカではない。

僕のテレビは寒さで
画期的な色になり
とても醜いあの娘を
グッと魅力的な娘にしてすぐ消えた

(井上陽水『氷の世界』より)

けれども二人でいながらにして一人ぼっちになった孤独の寒さは、記憶のトリックに引っかかるだけの十分条件となる。 その恋は破れるものと分かっていながら、私は2号の記憶と想い出を追いかけずにはいられなかった。

― ななめによろけ悲しみ 床にひれふし泣いてた ―

そうして2号の幻想が消えると私の目の前に美術室の彼女が現れた。

矢印マーク 氷の世界


1973年―井上陽水25歳のアルバム
『氷の世界』収録


42-43歳の渾沌

青い闇の警告7 〜42-43歳の渾沌〜
井上陽水『青い闇の警告』(1978)


42歳8月の高校の同窓会というのは氷の世界のはじまりを告げる開会式のようなものだった。

その夜、私と美術室の彼女は地下鉄の中で別れた。 お互いの姿が見えなくなるまで大きく手を振ってくれた彼女の残像が、私の意識下の記憶の殿堂にいまでもしっかりと刻まれている。 そうして別れてしまうと、私の乗っている地下鉄が遠い昔に誰もいなくなった古代遺跡のようなところに向かっているように感じられた。 おそらく私は、さっきまでいたところに心を開くことのできる場所があることを知ってしまったのだ。

私は彼女がどこにいるかを知っていた。 彼女は会いに行こうと思えば会いに行けるところにいるのだ。 しかしそんなことをしたら、すべてがぶち壊しになることも知っていた。 おそらく、私が会いに行きたいとか、会いに行けないとか思いつめているかぎり、彼女に会ってはいけないカラクリになっているのだ。

― 上り下りの気持じゃ 好きなあの娘に会えない ―

42-43歳の渾沌における青い闇はそうしてはじまった。 渾沌の青い闇の期間は翌年2月までの半年間…それまでに突破口を見つけられなければ― THE END ―だ。

― 俺は心を変える 俺は心を変える ―

その青い闇の半年間に変容を遂げるためには、なにかそれまでとは別の要素を引っ張りこまなければならないはずだった。 そしてそれはこんな風に、誰かに青い闇から連れ出してもらうことを期待して指きりするようなことではないはずだった。

誰か指きりしようよ
僕と指きりしようよ
軽い嘘でもいいから
今日は一日 はりつめた気持でいたい

小指が僕にからんで
動きがとれなくなれば
みんな笑ってくれるし
僕もそんなに悪い気はしないはずだよ

(井上陽水『氷の世界』より)

それなのに私の意識はいつまでも内に向かわず、外の何かに救いを求めて彷徨(さまよ)うばかりだった。

おまけに私は、あいかわらず思想家の域を抜け出せずにいた。 思想家の表現は潜在意識に押しやられてきたダークハーフにひそかな満足を与えている。 表現する道を持たないダークハーフに表現による血肉を与えることで、思想家は一種の解放感を得ているのだ。

人を傷つけたいな
誰か傷つけたいな
だけど出来ない理由は
やっぱりただ自分が恐いだけなんだな

そのやさしさを秘かに
胸にいだいてる人は
いつかノーベル賞でも
もらうつもりでガンバッてるんじゃないのか

(井上陽水『氷の世界』より)

ダークハーフは33-34歳の渾沌を抜けた頃に誕生してくるもので、社会システムに対抗する<個>を確立するために生まれてくる。 そのため思想家の表現は、いつかノーベル賞の授賞式に呼ばれるくらい社会に自分の思想を認めさせてやろうという野心をはらんでいる。 それと同時に、たとえ人を傷つけてでも渾沌の中へ引きずり込んでやろうという優しさもはらんでいる。 そんな怒気を含んだままの優しさを胸にいだいている思想家の表現は狂気ともいえるだろう。

私が布施仁悟を名乗りはじめたのは、ちょうどダークハーフが誕生する33-34歳の渾沌を抜けた頃だった。 もしかすると、私が布施仁悟として書いてきた『坐禅作法』シリーズは、私の中のダークハーフにひそかな満足を与えるための思想表現でしかなかったのかもしれない。 おそらく私はいつまでも『坐禅作法』シリーズを書いていてはいけないのだ。 私は布施仁悟と訣別しなければならないことに気づいた。

もしも青い闇の半年間のうちに何らかの突破口を見つけられたら、『坐禅作法』シリーズの完結篇にふさわしい記事のインスピレーションがきっとくる。 それを布施仁悟の最後の仕事にしよう…私はその瞬間を待った。

矢印マーク TAO 永遠の大河4〜OSHO老子を語る〜


必要なのは真っ直ぐ生きることだけだ
ほかには何もいらない
それが道なのさ


世の中には行為によっては達成できないものごとがある。 青い闇の前では、いつものぼやきによる悲痛な哀訴も、文士の正統を守るという激越な義憤をあおりたてることも、妙にまがぬけていた。 心というものは理性では量りしれない理屈を隠し持っているもので、私はそれを見つけなければならなかったのだ。

私を思想家の狂気に駆りたてる何か

その何かはとても深く隠されていた。

公式には存在しない異分子となって、社会とは別の流れ方をする歳月の中で生活する青い闇は、人の心を狂わせる。 私の半生の努力はすべて失敗に終わったのか。 長く苦しいだけのぼやきっぱなしの物語…それ以外の何ものでもなかったのか。 お娯しみはこれからだ!…そうやって生きてきた私の半生には何の意味もなかったのか。 そんな風におもえてくる。

しかしながら、青い闇におけるそうした苦悩や葛藤は少なくともどこかに進んでいるという意味で順調なのだ。 ただ世間との扉をかたく閉ざすことによって、わずかにその場を切り抜けるよりほかないのである。 かくして半年間を苦悩と葛藤の中で過ごした末、2017年2月の節分を迎えたとき、ついに私は突破口をつかんだ。

42-43歳の青い闇の突破口をひらいたコメント


 君は「精神世界の中では、すごいと思う」とか「期待している」と言ってくれるけど、実のところ、そういうのはあんまり嬉しくないんだよね。 私は悟ってないけど、その正門だけはちゃんと知ってる。 で、その正門のくぐり抜け方をずっと書いてきてるんだ。 だから、「おかげで禅の正門を通り抜けられました」と言ってもらえるのが一番うれしい。 「もうアンタなんかの世話にはならん。なぜなら私は一人で歩んでいけるからだ」と言ってもらえるのが一番うれしい。 そうじゃなかったら『坐禅作法』シリーズというのは単なる心の慰めで終わっちゃう。 どんなに読んだって何の価値も持たないんだ。

2017年2月5日の投稿


「もうアンタなんかの世話にはならん。なぜなら私は一人で歩んでいけるからだ」と言ってもらえるのが一番うれしい…このコメントをブログに書き込んだとき、私は唐突に正師・秀爺の生態を理解した。 それが青い闇の突破口になったのである。

まず40歳になる直前に現れた正師・秀爺は、「覚者」というハンドルネームで、私との信頼関係をつくりあげた。

正師の生態1 〜 信頼関係の構築 〜


 まずマスターはあなたがその人に恋をするような状況をつくらなければならない。 その人に自分の道案内を許し始めるような状況をつくらなければならない。

和尚『TAO 永遠の大河4』-P.121「第2話 Q&A マスターをしたたかに殴りつけよ」


その次に正師・秀爺のしたことは、私の天才作家のペルソナを落とすために、二度の鉄槌を下すことだった。 けれども41歳の秋にそれに成功したことを確認したら、今度は私を置き去りにしはじめたのである。

正師の生態2 〜 置き去り 〜


 最後の一歩に至るまでにグルはだんだんと消えてゆく。 あなたはひとりで置き去りにされる。 あなたは勇気を奮い起こしてジャンプしなければならない。

最後の瞬間まではグルがあなたに力を貸すこともできる。 彼はあなたが最後のステップを踏む用意をととのえてくれる。

しかし、最後の一歩のところには、彼はいるわけにはいかない。 なぜならば、そこでは彼の現存そのものが邪魔物になってしまうからだ。

和尚『TAO 永遠の大河3』-P.392-393「第8話 Q&A 愛と責任」


天才作家のペルソナが落ちた41歳の時点で、社会に私の思想を認めさせたいという欲求は消えていた。 ところが42歳になっても、私を思想家の狂気に駆りたてる何かがわずかながらに残っていたのである。 私はその原因をつかめなかったため、青い闇の半年間を苦悩と葛藤の中で過ごしたようなものだった。

そのため、その原因を洞察できたとき、そのあまりのお粗末さに自分でも呆れ返ったものだった。 なんとその原因は、ふいに置き去りにされてしまったせいで、正師・秀爺に認められたいという欲求を、私がつのらせていたからだったのだ。 そのために私の意識は内に向かわず、いつまでも外の何かに救いを求めて彷徨っていたのである。

私は正師・秀爺に、冷蔵庫の奥で魚が腐っているのを見つけたときのような苦々しい顔をされるのが怖かった。 おかげで正師・秀爺に対しては、警官に呼び止められたときに味わわされる居心地の悪さみたいなものを常に抱えていたのである。 それが私を思想家の狂気に駆りたてていた。

私は正師・秀爺に対する依存心を落とすことにした。

正師の生態3 〜 感謝だけを残す 〜


 グルはあなたに力を貸して、ほかのすべてが落ちるようにしてくれる。 すると、ただグルだけが残る。 そうして最後にグルは自ら身を引く。

そうすると、あなたは独りだ。 その全面的な<独存 aloneness>の中で神が起こる。 ほかに道はない。

<最終的なるもの>に到達したとき、まさにハートの底から、あなたは感謝するだろう。 あなたは感謝をもって自分のグルに頭を垂れるだろう。 彼が最後の瞬間に身を引いてくれたことに―

和尚『TAO 永遠の大河3』-P.393「第8話 Q&A 愛と責任」


「もうアンタなんかの世話にはならん。なぜなら私は一人で歩んでいけるからだ」

それが弟子からの正師に対する最高の賛辞なのだろう。 究極の無執着―それが正師と弟子の愛のかたちなのだ。 正師・秀爺は私に感謝の念だけを残して去って行った。

緑雲水

42-43歳の通過儀礼

桃雲水
青い闇の警告8 〜42-43歳の通過儀礼〜
井上陽水『青い闇の警告』(1978)


以上の過程によって42-43歳の渾沌の青い闇を抜けたとき、私はこの『養心門』のインスピレーションを受胎した。 そしてついにこの記事にいたって、私が<生>について理解し、かつ望見してきたものの一切を語り尽くしたような気がする。 もしもこれ以上書き続けようとするなら、「心ならずも」と付け加えなくてはならなくなるだろう。

私が『坐禅作法』シリーズを書きながら布施仁悟として過ごした数年間は、すべてこの記事のための苦しい準備期間でしかなかったのかもしれない。 ただ私の中に潜んでいる布施仁悟を調伏(ちょうぶく)して訣別するための数年間…おそらく近いうちに布施仁悟は喜んで<死>に直面してゆくことだろう。 なんとなれば彼の存在目的は達せられたのだから。

― 俺の熱意もつづいて フェードアウトに消え去る ―

また42-43歳の渾沌の通過儀礼に入ったとき、私はツインシャドウとのシンクロニシティを見つけることになった。 しかしそれは、オムツをはいた奈良の大仏がよちよち歩いているのを目撃したようなもので、にわかには信じられないことだった。 くわえて私は作家志望ではなく、実はソングライター志望だったなんて、ナックルボールみたいな無軌道を描いて飛んできた想定外の展開だった。

<<私の人生は小説ではないのだよ…>>

当然のごとく迷いはじめたものの私はすでに正解を知っていた。 ユングも夜の航海を抜けた43歳のときに、私と同じ状況に直面していたからだ。

ユングの43歳の回想


 私は自分の前に平坦な道のひらけているアカデミックな経歴を続けるか、私の内的人格の法則、つまり、より高い理性に従い、無意識との対決における実験という奇妙な仕事をもって進んでゆくか、その選択を迫られていると感じた。 しかし、それが終るまでは、私は公の場に出ることはできなかったのだ。

 そこで、意識して、私は自分のアカデミックな経歴を捨てた。 というのは、何か偉大なことが私の中に起こりつつあると感じ、私が永遠の相の下でより重要であると感じることに信頼をおいたからである。 私はそれが私の人生を満たすだろうと知っていたし、その目的のためには、どのような危険もおかす用意があった。

ヤッフェ編『ユング自伝1』-P.275「6 無意識との対決」


私はかつて軽く礼儀を忘れた男だ。 それなのにツインシャドウは、長い年月を越えてなお、記憶と想い出を歌の花束に添えて重大な音信(おとづれ)を運んできてくれた。

未来のあなたに 幸せを贈る
記憶と想い出を 花束に添えて

(井上陽水『瞬き』より)

その記憶と想い出をたどると、そこには、われにもあらず心を打たれるものがあった。 これが歌だ。 こんな歌を私は創ってみたかったのだ。 自分にそんな才能があるかどうかなんてもちろんわからない。 しかし、私はもう歌を創らずにはいられないのだ。 私自身の意志ではどうすることもできない烈(はげ)しさで、何かが私をつかんではなさないのだ。 そんな答えにならない答えしか返すことができない。 私もユングと同じように、永遠の相の下でより重要であると感じることを信頼してみようとおもう。

― 悩むテレビの後で 迷うラジオが終り ―

矢印マーク UNITED COVER 2


2015年―井上陽水67歳のカバーアルバム
『瞬き』収録


いま『生きるに値する人生とは何か?』という運命の第一幕が閉じられ、『死ぬに値する人生とは何か?』という第二幕の足音を聞いている。

未来はどこまでも深いとばりのかなたに秘められ、青ざめた夜明け前の光が無気味な神聖さをたずさえているばかりだ。 そんな果てしなく広がる蒼茫(そうぼう)の海のような荒涼を前にして、ほほえむがごとく楽しげにしていられるのは、ひとしお耐えがたい青い闇を幾度となく体験してきた自負があるからだろう。

たしかに神隠し現象を体験してきた十五年ほどの歳月は脱線でしかなかったのかもしれない。 しかしながら、初恋の相手と黙って歩いた青葉の小路も、友人たちと嬉々として語り合った学生街の喧騒も、卒業してしまえばただの想い出に変わるように、いずれ根源という故郷に最後の一歩をきざむとき、すべては旅の宿りにすぎなかったことになるだろう。 そう考えればたかが十五年間の脱線なのだ。 そんなことは青い闇のもたらしてくれた精神的ごちそうに比べれば物の数ではない。

この脱線の教訓は今後十分に生かされることだろう。

矢印マーク ユング自伝 1―思い出・夢・思想


[創造の病の回想録]

これは37歳のうちに読んでおくといい
夜の航海の羅針盤になる


電脳山養心寺公案集 養心門 第十七則 火裏の蓮

青い闇の警告9 〜42-43歳の渾沌の後〜
井上陽水『青い闇の警告』(1978)


最後に、わが国の剣豪が残してくれた挿話を一つ紹介しておく義務があるようにおもう。

19歳から43歳まで続く渾沌のあと、自我はみずから自殺を犯して<死>に直面しようとする。 この山岡鉄舟のお話は、そのときの貴重な体験談になっているからだ。

すなわち青い闇のお話はここに完結するのである。

電脳山養心寺公案集 養心門 第十七則 火裏の蓮(かりのはす)


 山岡鉄舟は少壮のころから武芸を志し、剣の道に悟りをひらいた人物を探し歩くこと二十数年。 なかなかそういう人物にめぐりあうことができずにいた。

 そんなある日、浅利又七郎義明(あさりまたしちろうよしあき)という一刀流の達人の噂をたまたま耳にする。 なんでも伊藤一刀斎の剣法を正しく伝える名人だというのだ。 鉄舟はさっそく手合わせをお願いしに出向いていった。

 浅利の剣は外は柔にして内は剛。 精神を呼吸に凝らし、こちらが打とうとする前に勝機をつかんでしまう。 噂どおりの達人だった。 何度手合わせをしても同じことで、鉄舟の力量でははるかに及ばなかった。

 それからは昼には剣法の稽古、夜には坐してその呼吸を精考するという日々が続いた。 目を閉じると、あたかも山に対するがごとく浅利の幻影が浮かんできては、あざ笑う。 こんなに修業しているにもかかわらず、どうして自分は浅利の秘訣を知ることができないのか。 鉄舟は思い悩んだ。

 かつて30代の頃、鉄舟は京都の嵯峨天龍寺の滴水禅師に教えを受けたことがあった。 そのとき「剣と禅はその機を一にするものではないか」と鉄舟が問うと、滴水はこう答えてくれた。

 「たしかにおまえの言うとおりだ。 しかし禅僧として嘘のないところを遠慮なく言わせてもらえば、現在のおまえは眼鏡を通してものごとを見ているようなものだ。 おまえのレンズは透き通っているようだから、おそらく視力を弱めているという感覚はないだろう。 けれども肉眼になんの欠点もなければ、眼鏡を使わないことの方が自然というものではないかね。
 おまえはこのことを問題にするところまできている。 もしも眼鏡という障害物を取り去ることができれば、殺活自在(さっかつじざい)、神通遊化(しんつうゆうげ)の境地に至らないこともないさ」

 滴水はそう言い終えると、こう付け加えた。

 「無のうちに道あり」

 それから約十年が経ち、鉄舟が40歳を迎えたときに、もう一度滴水に参じると、次の公案を授けられた。

 両刃交鋒不須避
 (りょうばほこさきをまじえるにさくるをもちいず)
 好手還同火裏蓮
 (こうしゅかえすことひのなかのはすにおなじ)
 宛然自有衝天気
 (えんぜんとしておのずからしょうてんのきあり)

 それは洞山五位の「四位 偏中至」だった。 鉄舟はこの公案の文句にひどく心を惹かれ、大帯に書きつけて忘れないように心がけた。 それからあれこれ工夫をこらして三年の月日が流れたある日、とある豪商と会話をかわす中で、この公案が突如として釈然としてきたのである。

 「私が若い頃の経験のうちで、ただ一つ貴重に思っていることがありましてな。
 ちょっとした金ができたもので商品を仕入れたまではよかったんですが、なんでも物価は下がり気味だという評判だったんです。 失敗しちまったと思って、早く売り払ってしまいたくなりましてねえ。 そうすると、どいつもこいつも私の弱みにつけこんで、安く買い叩こうとするじゃありませんか。 もう頭にきましてね。 どうにでもなれと思って放っておくことにしました。
 そのうち商人たちがやって来ては原価の一割高で買うと言い出したのです。 今度は私のほうが一割高ではいやだとつっぱねたら、それではもう五分だけ増そうと言って買い値を上げてくるじゃありませんか。 そこで売ってしまえばよかったんですけどね。 欲を出してしまいまして、もっと高く、そらもっと高く、なんて思っているうちに、最後には原価より二割以上も低い値で売ることになりました。
 商法の気合って言うんですかい。 私がそういうものを知ったのは、それがはじめてのことでした。 勝ち負けや損得に迷ったり、うろたえたりしていたら商売にならないものだと分かったのです」

 この商人の話と公案の語句を照らし合わせてみたところ、鉄舟はある洞察を得るに至ったのだった。 1880年3月25日―その6月に鉄舟が44歳になろうとしていた春のことだった。

 それから四日後の夜のこと。 鉄舟は天地無一物の心境に坐っている感覚をはじめて覚えることになる。 翌朝、坐りながら剣を構えてみると、いつも浮かんできては、あざ笑っていた浅利の幻影が消えているではないか。

 <<誰れのあこがれにさまよう>>

 われ無敵の極処を得たりとひそかに喜び、ただちに門人を呼び寄せ、木刀を手に試し合いをやってみた。

「先生、勘弁してください!」

鉄舟が新たに得た境地の手腕を試す間もなく、門人はこう言ったのである。

 「今朝のような先生の刀勢には一度も立ち会ったことがありません。 先生の前に立つのも恐ろしいくらいです。 とても人間わざとはおもえない…」

 次に鉄舟が浅利に手合わせをお願いしたところ、浅利は喜んで引き受けてくれた。 浅利と鉄舟。 二人が木刀を構えて対したとき、浅利は突然、木刀を捨て、面具をはずして言うのだった。

 「ついに達しましたな。 いまのあなたは以前のあなたと同じ人物ではない。 もはや何も言うことはありません。 剣法の秘伝とは、まさにそのことです」

それは1880年3月30日のことだった。

参考:高野澄編訳『剣禅話』「剣法論―剣法」


― 青い闇がささやく こんな夜は気をつけて ―

(2017.8)

矢印マーク 山岡鉄舟 剣禅話

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