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【坐禅作法122】絨毯がない

かなりキワどい坐禅作法 絨毯がない〜養心門13〜

Presented by

〜養心門13〜


眉間のクタスタ

これから私の語ることは、これまで以上に荒唐無稽なお話になる。

おそらくいままで習い覚えてきた思考法そのものを否定しなければ理解できないことだろう。 そこでちょっとした前置きの必要性を感じている。

きっと誰にでも、魔法の絨毯に乗って飛んでいくような物語を面白がっていた子供時代があるはずだ。 そのとき抱えていた世の中の不条理を懐かしむ余裕があるのなら、あるいは理解してもらえるかもしれない。

矢印マーク TAO 永遠の大河4〜OSHO老子を語る〜


必要なのは真っ直ぐ生きることだけだ
ほかには何もいらない
それが道なのさ


41歳で迎えた2015年8月20日早朝5時頃―私の眉間のクタスタの結節が解放された。

そのときからだろうか…人と話をするにしても、文章を書くにしても、あまり迷うことがなくなったのは。 というのも、自分のすることが自然の秩序に従うようになったからで、残念なのは、それがどういうカラクリになっているのか、いまだにさっぱりわからないことである。

本当に生きている人間は感応する


本当に生きている人間というのは“感応”する。

彼には何の答えもない。 問いが現われて来ると、彼はその問いに対して感応する。 そして、答えが創造されるのだ。

実際のところ、彼自身も聞き手のあなたと同じくらいその答えに驚いている。 そんなことは夢にも知らなかったのだ!

というのも、それまでそんな状況があったためしがないのだから。

和尚『TAO 永遠の大河4』-P.462「第9話 生は呼吸とともに始まる」


それは和尚がここで云っている“感応”というものらしい。 もちろん私も人間だから勘違いして失敗してしまうこともあるわけで、以前ならそういうとき、かなり思い悩んだものだけれど、近頃はそれはそれで結構だとおもえてしまうのだ。

― <全体>の智慧は勘違いや過ちまでをも織り交ぜて逆説的なハプニングを演出している ―

なんだか私の成功や失敗のすべてが予定調和の中にあるような気がしてならない。 たとえもし失敗したとしても、そこには失敗しなければ気づけなかったことがある。 どのみち試行錯誤しながら生きていかなければならないのならば、失敗から学べばいいだけのことなのだ。 こうして成功や失敗に囚われなくなってくると、ずいぶんと気が楽になる。 こんなテキトーなことでいいんだろうか…とは思うのだけれど。

そうした予定調和の中に身を置いてみると、誰かに何かを伝える経路となって感応している自分に気づくようになった。 そこで見えてきたものは、この世の中には“決められたリズム”があるということである。

笑われたこと 立たされたこと
残されてひとり ガラス窓
許されたこと ほめられたこと
うつむいて歩く 帰り道

驚いたこと ときめいたこと
渡された白い ラブレター
愛されたこと 選ばれたこと
初めての夢の プレゼント

声をそろえて ピアノに合わせ
大空に歌声 決められたリズム

(井上陽水『決められたリズム』より)

この世は学校みたいなものだ。 その学校では、誰もが適切な時に、適切な人に出会い、適切な出来事を体験する。 笑われること、立たされること、残されること、許されること、ほめられること、うつむくこと…みんな避けては通れない貴重な体験になっている。

そしてそこには<全体>の作り出している決められたリズムがある。 <全体>の指揮のもとに、そのリズムにあわせて合唱してみたら…驚くこと、ときめくこと、愛されること、選ばれることがラブレターや贈り物のようにやってくる。

― あらゆるものが<全体>の指揮のもとに決められたリズムで共鳴している ―

41歳で眉間のクタスタの結節が解放されたときから、そんなことを信じられるようになってきた。

矢印マーク カシス

2002年―井上陽水54歳のアルバム
『決められたリズム』収録

赤雲水

シンクロニシティ 〜 なにやら意味ありげな偶然の一致 〜

黒雲水

少し話は変わって、これは中島みゆきの『問題集』という歌の歌詞なのだけれど、彼女は運命の課題をこんな風に観ているらしい。

二人のカバンの中には
違う問題集がある
代わりに解いてあげたなら
代わりに解いてくれるかな
取り替えてみたい気がする

あなたの問題集は
私にはたやすく見える
私の問題集は
あなたにはたやすく見える
取り替えてみたい気がする

答え合わせには
まだ遠い先のことらしい
一問も解けないうちに
問題ばかりが降ってくる

(中島みゆき『問題集』より)

この世の学校で課せられる運命の課題は、人それぞれ別々の問題集を抱えているように見えなくもない。 どんなに他人の解いている問題集のほうがうらやましくても、自分の取り組むべき問題集と取り替えてもらうことは許されないのだ。

それでも問題の解き方には普遍的な公式がある。 私が最初の難問を解き終えたとき―33歳の大厄でぷっつん体験を乗り越えたとき―なんらかの自己表現を通して問題の解き方を分かち合わなければならないとおもった。

私はそうした分かち合いの自己表現を創造活動と呼びたい。 人間は人生経験のうちに智恵をやしない、その智恵を分かちあう創造活動を通して、良徳をつちかうのだ。

― 智恵ある者にはそれを分かちあう義務がある ―

だからケチンボはいけないと私はおもう。

矢印マーク 問題集

2014年―中島みゆき62歳の集大成
『問題集』収録


その自己表現に当たって気をつけなければならないのは自我を表現することだった。 自我が入り込むと、東洋人の平たい顔に欧米人の凹凸のある鼻をくっつけたような、不釣合いな印象を残すものになる。 だから創造活動に乗り出すなら、まずは自己表現と自我表現の違いを知らなければならない。

その違いは<全体>に対する責任感や使命感の有無にあるような気がする。

自己表現と自我表現


普通、人々は自己表現というのを自我表現と取り違えている。

自我表現というのは無責任なものだ。 自己表現には責任がある。 自己表現には<全体>に対する責任がある。

というのも、あなたは自分がその一部分であること、自分がその中に参加しているということを理解しているからだ。 それが何であれ、あなたのやることは<全体>に影響を及ぼすだろう。

和尚『TAO 永遠の大河2』-P.389「第8話 Q&A 存在の中に問いなどというものはない」


自己表現のためのインスピレーションを受胎するときには、そこに必ず<全体>に対する責任感や使命感を伴うはずなのだ。

ここでインスピレーション受胎にあたって忘れてはならない極意を付け加えておこう。

― 陣痛の起こる時節を待つこと ―

すなわち自分の振動数が<全体>の決められたリズムと共鳴しはじめる時節を待つのである。 受胎したインスピレーションには妊娠期間というものがつきものなので、あせって先を急げば堕胎して死産することになりかねないからだ。 はやる心がくだらない自我表現を産むのである。

たとえばこれは村上春樹の見つけたインスピレーション受胎の極意。

村上春樹の説くインスピレーション受胎の極意


座って仕事にとりかかる時がきたと感じる必要があります。 そう感じないのなら待っていた方がいい。

これは精神的安定とか新たな視点の発見とは全く関係ない。 単なる直観です。

その時がきたら、規則正しく仕事をします。

村上春樹インタビュー集1997-2011『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』P.455「ハルキ・ムラカミあるいはどうやって不可思議な井戸から抜け出すか」


こうして自分の振動数が<全体>の決められたリズムと共鳴しはじめたとき、いよいよ陣痛がはじまる。 そのとき周囲で起こり出すのが“ホグワーツ現象”だ。

― ホグワーツでは、それを必要とする者にまさに必要なものが与えられる ―
(by ホグワーツ魔法学校校長ダンブルドア)

すると周囲で起こる出来事と自分の自己表現の間に“シンクロニシティ(なにやら意味ありげな偶然の一致)”を見ることになる。

もしかするとホグワーツ現象を体験したことのない人たちには、世の中の誰もが自分勝手に行動しているように見えているかもしれない。 けれども、実はそこに<全体>の智恵がちゃんとはたらいていて、誰もが互いに連携しながら行動しているものなのだ。 だから自己表現にあたって行き詰まりを感じたときは、ひとさまが必ず適切な助言をしてくれたり、必要なものを与えてくれたりする。

矢印マーク Blue Selection

ジャズする井上陽水というアルバム
『嘘つきダイヤモンド』収録


ただし、そのとき気をつけなければならないことがある。 それは「ダイヤモンドは嘘つき」ということだ。

なけなしの金をさばくカードディーラー
暗がりな部屋の中を浮き沈む月
時々はHigh ほとんどがLow
トキメキはめくるまでのサスピション

だけど恋する以上 夢のない話

最後に配られたカードの裏には
嘘つきでさりげなく光るダイヤモンド

(井上陽水『嘘つきダイヤモンド』より)

ひとさまの助言はイカサマ上手のカードディーラーが配る手札のようなものだ。 そのまま受け取ると決まってだまされる。 その言動の背後にはたらいている<全体>の智恵を読み解かなければならないのだ。 すると問題を解決するダイヤモンドは、最後に配られたカードの裏にさりげなく光っていることがわかるだろう。

― パラドックスが常に正しい ―

こんな感じで<全体>の決められたリズムと共鳴していると、シンクロニシティを通じて、<全体>の作り出している運命の流れ―“フロー”を感じられるようになってくる。 それは最初のうちは天の川のようにぼやけて見えてしまうことだろう。 けれどもそこには大河のような流れがたしかにあるのだ。

シンクロニシティを見つけたら


あなたは<全体>からやって来た。 その<全体>の方があなたよりよく知っている。 <全体>の智恵が働くのを許しなさい。

あなたのちっぽけな心(マインド)を持ち込んで戦わないこと。 流れに逆らう必要など何もない。 あなたはどこにもたとり着きやしないだろう。 ただ単に疲れるだけだ。

和尚『TAO 永遠の大河2』-P.192「第4話 Q&A ブッダたちと馬鹿者たち」


このようにして天の川のような<全体>の運命の流れ―“フロー”に飛び込むとき、いつのまにか<全体>とシンクロナイズド・スイミングしているような気分になる。 これから語ろうとしているのは、そんな不可視の世界のシンクロニシティのお話なのだ。

矢印マーク TAO 永遠の大河2〜OSHO老子を語る〜


必要なのは真っ直ぐ生きることだけだ
ほかには何もいらない
それが道なのさ


ソウルモデル・村上春樹の再発見

私がソウルモデルの村上春樹を再発見したのは41歳の2015年12月5日のことだった。

その日、私は浅田次郎のエッセイ集を買いに本屋へ足を運んでいた。 目的は『勇気凛凛ルリの色』シリーズ全四巻を買い揃えること―浅田次郎が傑作『蒼穹の昴』を書きはじめた43歳頃から『鉄道員』で直木賞を受賞する46歳くらいまでに執筆されていたエッセイ集だ。

もしも浅田の福音は何かと訊かれたら、私は『蒼穹の昴』のこの一節に集約されていると答えるだろう。

最も才気ある者は
最もみじめな思いをせねばならぬ
最も過酷な使命を負わねばならぬ

それは天の摂理じゃ

わしが生前そうであったように
そちもまた
世人の決して理解できぬ労苦を
なめねばならぬ

そしてそちには
それをなしうるだけの
天賦の才がある

(浅田次郎『蒼穹の昴』第ニ章二十三)

こうした浅田の言葉を心の支えにして私は30代後半を過ごしていた。 浅田次郎は35歳で作家志望になってからの私を支えてくれたロールモデルであり、いつの日か、浅田に追いつき、浅田を越えることが目標だったのである。 それまでは『勇気凛凛ルリの色』シリーズ第一巻が文章修行のテキストであると同時に私の愛読書でもあった。

そんな私も『蒼穹の昴』を書きはじめた浅田の年齢に近づいてきたこともあって、いよいよ彼のたどった46歳までの足跡を知りたくなってきたのだ。

<<42歳からの地図が欲しい…>>

それが『勇気凛凛ルリの色』シリーズ全四巻を買いもとめた動機だったのだけれど、そのとき何気なく手にとった別の作家の本が私の心をつかんでしまった。 それが村上春樹のインタビュー集『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』だったのである。

矢印マーク 勇気凛凛ルリの色

このエッセイ集は呆れるほど面白い
ただし30代後半限定で…


そのときの衝撃は今でも身体の奥にくすぶっているような気がする。

<<こいつ、インスピレーション受胎の極意を知っていやがる…>>

そこに書かれていたのは、創造の病に入った37-38歳頃から、私が試行錯誤しながら身につけてきた極意と同じものだった。 村上春樹は、その極意を完全に自分のものにしているだけでなく、さらにその先の極意を身につけていった経緯を惜しげもなく語っていた。 それはまぎれもなく私の探していた42歳からの地図だったのである。 村上春樹の背中を追いかけていけば間違いないとおもえた。

それがソウルモデル村上春樹を再発見した瞬間だった。

矢印マーク 夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです


42歳からの地図がここにある

青雲水

生の円環理論

緑雲水

こうした現象の起こる理由は、和尚が『TAO 永遠の大河4』で解説していた生の円環理論を応用すると、うまく説明できるかもしれない。

生の円環図
図:布施仁悟(著作権フリー)


人間の一生には「根源から生まれて根源へと帰る」という円をえがくようなサイクルがあるというお話である。

0-1歳から15-16歳


人間が生まれた瞬間に自然に湧き起こってくる内からの衝動がある。 それが呼吸の衝動で、もしもこれが起こらないと胎児のまま死産してしまうことになる。 つまり呼吸の衝動にしたがう意志を持った胎児だけが肉体的変性の資格を得るのだ。 そこからは、少年少女時代を過ごす15-16歳頃までの期間を通じて、身体や脳の各機能を整えていくことになる。

15-16歳から40-41歳


やがて15-16歳頃になると成長ホルモンの分泌量がピークを迎える。 それが肉体的変性完了の合図だ。 すると今度は性の衝動が内から自然に湧き起こってきて、いわゆる思春期に入っていく。 このあたりまでに性の衝動を愛の衝動に昇華しようとする意志が目覚めていると、精神的変性の資格を得ることができる。

統計的に、9歳の運命のクロスポイントや13歳の厄年で精神年齢を止めた子供たちは、私にとってのぷっつんレディ1号のような異性に遭遇する機会を得られない傾向がある。 もしも15-16歳頃までにそういう経験をしていなければ、性の衝動を愛の衝動に昇華して精神的変性を遂げようとする意志が希薄になるから、彼らがオカマやチキンになってしまうのも仕方がない。 信じたくはないけれど、そもそも彼らには精神的変性を遂げるための下地が与えられなかった、ということなのだろうか。

そんな彼らがヨーガや気功法などの密教的行法をはじめるとカオナシとして誕生してくるのだけれど、その理由を和尚はこんな風に語っていた。

どこからでも源へ行くことはできる


どこからでも源へ行くことはできる。 円を一周するその旅から脱出することはできるのだ。

肉体活動はハタ・ヨーガによって用いられてきた。 ハタ・ヨーガはそこからひとつの全面科学を発達させた。 肉体的活動だけで、まったく肉体的な力だけで、いかに源へ帰るか―

和尚『TAO 永遠の大河4』-P.442-443「第9話 生は呼吸とともに始まる」


もしかすると彼らは、精神的変性の資格を得られなかった意趣返しとして、肉体を活用して根源に帰還する近道を模索するのかもしれない。

近道には気をつけた方がいい


近道には気をつけた方がいい。 生は近道を嫌う。 というのも、近道をすると成長せずに源に行けるからだ。

けれどもあなたはそでの下を使って成長しない。 ということは、生の複雑さの全体を知らないまま、性や愛や美のある生を知らないまま、ということだ。

それではいつまでも貧しい。

和尚『TAO 永遠の大河4』-P.441-442「第9話 生は呼吸とともに始まる」


覚者と呼ばれる人たちの中にも、こういう近道をした連中が何人もいる。 近道を模索しているうちに頓悟してしまった“頓魔(とんま)の覚者”たちだ。 彼らの特徴は恋や愛や美のある豊かな人生を語れないことにある。 そんな頓魔に引っかかったら、いつまでも貧しい人生を送り、結局最期に「なんだ、つまらん」と言って死んでいくことになりかねない。 なので、この生の円環のお話は最初に聞いて覚えておくべきものだとおもう。

さて、そんな近道には脇目もふらず、性の衝動を乗り越えて愛に昇華しはじめたとき、人は精神的変性の成果を得るようになる。 いよいよ眠っていた才能が目覚めてくるのだ。

天才の誕生


もし性を乗り越えたならば、あなたの中にひとつ別なタイプの活動が現われて来る。

知性だ。 一種の天才が解き放たれる。 そのときはじめて、あなたの知性はよく機能し始める。 あなたはものごとに大きな洞察力を持つようになる。

大勢の人たちがその境地にしがみつく。 彼らは神学者や哲学者、思想家、科学者になって、終点にたどり着いたと思い込む。

和尚『TAO 永遠の大河4』-P.449-450「第9話 生は呼吸とともに始まる」


この『坐禅作法』シリーズは、私の中のある種の天才が解き放たれたときから書きはじめているので、その内容自体も哲学者や思想家のそれとなっている。 その間、私のロールモデルだった浅田次郎もこの段階の作家であり、浅田の場合、小説家というよりは思想家と呼んだほうがふさわしい天才の文体を持っていた。 浅田次郎と私はおなじ段階にいたため相性が良かったのである。

けれどもこの天才の境地にしがみついているかぎり愛や美を描くことはできない。 私が愛や美を描くためには思想家を卒業して芸術家にならなければならなかった。 そこでロールモデルの浅田次郎を卒業して、ソウルモデルの村上春樹を再発見する必要があったのである。

40-41歳から65-66歳


40-41歳頃になると愛の衝動が内から自然に湧き起こってくる。 すると天才作家のペルソナのようなダーク・ハーフが邪魔者になってくるので、そいつを落とすことに成功すると愛の衝動を魂の衝動に昇華しようとする意志が目覚め、芸術的変性の資格を得ることになる。

たしかプラトンの『饗宴』に愛の三段階について語られていたのだけれど、最初の愛はエロス…これは性の衝動を昇華しはじめたときの愛。 その次の愛はフィリア…これは<全体>を愛すること、そして最後の愛がアガペー…自己犠牲ともいえる無償の愛ということになっている。 このエロスからアガペーに至る過程で美が解き放たれる。 すなわち自分の中に芸術家が誕生するのである。

芸術家の誕生


もしあなたが精神活動を乗り越えたならば、そこに愛が生まれる。 そのとき、あなたのハートが機能し始める。

もし愛を乗り越えたならば、そのときこそ、本物の美的活動が始まる。 そのとき、あなたの実存の中に詩が湧き上がる。 そのとき、あなたは生まれてはじめて、音楽を感ずる能力を持つようになる。 そのときはじめて、あたりを見まわすと自然の美しさが露呈する。 そうしたとき、あなたは宇宙のハーモニーを、星々の交響楽を耳にする。

そうして、あらゆるものがどこまでもどこまでもビューティフルになってゆく。 幾重も幾重もの美があらわになる。 あなたの目には浸透する力が備わっている。 どこを見ても、あなたは深く見る。 石ころの中にさえ、花が咲いているのが感ぜられる。

しかし、これもまだ終点ではない。 多くの人がこれにしがみつく。

和尚『TAO 永遠の大河4』-P.450-451「第9話 生は呼吸とともに始まる」


村上春樹は40-41歳の頃に芸術的変性の資格を得ることができた作家で、たしかに愛の衝動を魂の衝動に昇華しようとする意志が目覚めていた。 そこでインタビュー集『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』その他の作品を、一年半くらいかけて読み込んで42歳からの地図を探っていったのだけれど、その点では村上春樹というのは、少しばかりものたりない作家だった。 プラトンの愛の三段階で云うと、エロスとフィリアの中間くらいの段階にしがみついていて、倒錯したエロスを表現する傾向が抜けない作家だったのである。

愛の階梯
図:布施仁悟(著作権フリー)


おかげで43歳になっても、私の42歳からの地図は未完成のままだった。

そこで再発見されることになったのが、もうひとりのソウルモデル井上陽水なのである。 すなわち私にとっての村上春樹というのは、浅田次郎と井上陽水をつなげる架け橋として再発見されるべきソウルモデルだったようなのだ。

これは、ぷっつんレディ2号と美術室の彼女の関係性とまったく同じことで、村上春樹と井上陽水という二人のソウルモデルの関係性もパラドックスになっていたらしい。 そのとき井上陽水は村上春樹という最後に配られたカードの裏にいた。 彼は村上春樹というイリュージョンの裏をついて逆説的に浮上してきたのであり、この場合、井上陽水が嘘つきダイヤモンドだったということになる。

最後に配られたカードの裏には
嘘つきでさりげなく光るダイヤモンド

(井上陽水『嘘つきダイヤモンド』より)

65-66歳から90-91歳


65-66歳頃に内から湧き起こってくるという魂の衝動は、再び生まれたときの呼吸の衝動を呼び覚ますそうだ。 この段階まできた求道者たちが瞑想的変性の資格を得るのである。

この魂の衝動はギリシア哲学でプシュケーと呼ばれているもので、根源へ帰還しようとする衝動のこと。 そもそも古代ギリシア語のプシュケーは「呼吸」を意味していた。 つまりプシュケー ― 魂が根源へ帰還しようとする呼吸の衝動 ―が再び呼び覚まされたとき、無意識的だった呼吸が意識的な呼吸に変化していく。 瞑想的変性はこうして内から自然に起こりはじめるのだ。

これが晩年の釈迦が説いていた呼吸メソッド― アナパーナ・サティ・ヨーガ ―の奥義である。

アナパーナ・サティ・ヨーガ


仏陀は呼吸の内奥無比なる核心を発見する彼自身のメソッドをアナパーナ・サティ・ヨーガ(anapana-sati yoga)と呼んだ。 入息と出息のヨーガ、科学だ。

そして、仏陀はほかにはどんなヨーガも必要ないと説いた。 もし自分自身の呼吸を深く、それも、呼吸の中に隠れているものがすべて隠れたままにならず、あらわになるほど瞑想的に見守ったならば、あなたは一切を知るに至るだろう、と。

単純に聞えるが、やってみると難しい。

仏陀は弟子の僧侶たちに、坐っていても、歩いていても、立っていても、とにかくやることはやり続けながら、しかも、息の出入りに意識を醒ましておけと説いた。 自分自身の呼吸を見つめ続けてゆけば、ある日、まさにその呼吸に対する不断の打撃によって寺院が開くのだ、と。

神は呼吸という寺院の中に隠れている。 突然、ある日、あなたはそれがただの空気でないことに気づく。

和尚『TAO 永遠の大河4』-P.435-436「第9話 生は呼吸とともに始まる」


生の円環は、こうして呼吸の衝動にはじまり、呼吸の衝動によって完結することになる。

最後の最後までゆくがいい


私は円を支持する。 最後の最後までゆくがいい。 その円が自然な終点に達するようにしてごらん。

近道など見つけようとしないこと。 そうすれば、あなたは豊かな人間になるだろう。

和尚『TAO 永遠の大河4』-P.456「第9話 生は呼吸とともに始まる」


私は20代から(10代からかもしれない)こういう人生の地図が欲しくてたまらなかったのに、それはなかなか手に入らなかった。 けれども私が43歳になってソウルモデルの井上陽水を再発見したとき、彼がその生涯の作品を通して、その人生の地図を描いてみせてくれたのである。

これは井上陽水が65-66歳の時節を迎えた頃に、テレビ番組のオープニングテーマとして提供された『女神』という歌の歌詞。

ハロー ハロー お元気?
今夜なにしてるの?
TVなんか 見てないで
どこかへ 一緒に行こう

女神は この世に
ひとりだけじゃないの?
だからもう I love you so
I'd love to be back in your heart

(井上陽水『女神』より)

ここで歌われている女神とは、ツインレイの相手でも、それとは別の女性のことでもない。 ここに表現されているのは根源の入口で待つ女神の存在を発見した驚きなのだ。 すなわち愛の衝動を昇華して根源へ帰還する魂の衝動が起こった…そのときの心象風景を歌っているのである。

まわりは 星屑ばかり
数えたりは しない
よろこびを もっと
トキメキを ずっと
星空の果てまで 瞳を飾って

(井上陽水『女神』より)

きっと井上陽水にも星屑のように取りこぼした運命の課題が幾つもあったのだろう。 しかし、根源へ帰還する魂の衝動が起こった以上、そんなものを数えあげても仕方がないのだ。 彼はそのまま根源への旅を続ける決心を固めたらしい。

愛は究極的には満足を与えることができない


自我(マインド)を落としたら、問題は何もない。 そうなったら愛は流れることができる。 そしてあなたはその愛を通して成長することができる。

だが、それでも憶えておきなさい。 愛は究極的には満足を与えることができない。 それはひじょうに長い道のりを行くことはできても、全行程を行くことはできない。 最後にはあなたはそれを超えてゆかねばならない。

人々を愛することで、いかに愛するかを学ぶがいい。 そしていつの日か、学んだことを生かして<全体>、<存在そのもの>と恋に落ちなさい。 その日、初めてあなたはわが家に帰り着く。

和尚『一休道歌 上』-P.101「第2話 炎に飛び込む蛾」


私がソウルモデルの井上陽水を再発見したとき、彼はすでに<存在そのもの>と恋に落ちる過程に入っていた。 この『女神』を聴いたときから、私は井上陽水を先生として背中を追いかけていく決心を固めていったのである。

矢印マーク UNITED COVER 2

2015年―井上陽水67歳のカバーアルバム
『女神』収録


電脳山養心寺公案集 養心門 第十五則 絨毯がない

こうして井上陽水先生の作品を研究していくうちに、先生と私の運命のあいだにシンクロニシティが起こっていたことに気づいた。

けれども、そのお話は次回にまわそう。 先にシンクロニシティのカラクリを描いたスーフィーの物語を紹介して、理解の下地をつくっておいたほうがいいとおもうのだ。

シンクロニシティを描くのは作家にとっての最終目標みたいなもので、それを文章で表現するのは非常に難しい。 村上春樹の『騎士団長殺し』という作品も、シンクロニシティのカラクリを描こうとした意欲作なのだけれど、彼は冒頭部分でその難しさをこんな風に語っている。

結果をもたらした原因を特定するのは簡単なことではない


 最終的に何かしらの意味を発揮するのは、おおかたの場合おそらく結果だけだろう。 結果は誰が見ても明らかにそこに実在し、影響力を行使している。

 しかしその結果をもたらした原因を特定するのは簡単なことではない。 それを手にとって「ほら」と人に示すのは、もっとむずかしい作業になる。 もちろん原因はどこかにあったはずだ。 原因のない結果はない。 卵を割らないオムレツがないのと同じように。

 将棋倒しのように、一枚の駒(原因)が隣にある駒(原因)をまず最初にことんと倒す。 それが連鎖的に延々と続いていくうちに、何がそもそもの原因だったかなんて、だいたいわからなくなってしまう。 あるいはどうでもよくなってしまう。 あるいは人がとくに知りたがらないものになってしまう。 そして「結局のところ、たくさんの駒がそこでばたばたと倒れました」というところで話が閉じられてしまう。

 これから語る私の話も、ひょっとしたらそれと似たような道を歩むことになるかもしれない。

村上春樹『騎士団長殺し第一部』<4章 遠くから見ればおおかたものごとは美しく見える>


シンクロニシティのカラクリに意識を向けることは、因果律を洞察する知性を養う訓練となる。 一見無関係にみえる事実の集積によく目を凝らしてみると、ただ自分にとってだけ重大な<全体>からのメッセージをその背後に見つけることができる。 その因果関係を読み解けるのは、ほかの誰でもない、自分だけなのだ。 それは嘘つきダイヤモンドを見つけるために欠かすことのできない能力と言ってもいいだろう。

矢印マーク 騎士団長殺し〜第1部 顕れるイデア編〜


 ― 2017年2月25日…村上春樹のバトン ―

ポスト村上春樹に告ぐ、騎士団長を殺して出て来い!


ここに紹介するスーフィーの物語は、シンクロニシティのカラクリを描いた中でも、とっておきの一編だ。 私の一番のお気に入りの物語でもある。

電脳山養心寺公案集 養心門 第十五則 絨毯がない


 むかしむかし、あるところに知恵を求めていた男がいた。 男は智恵を授けてもらうためにスーフィーの賢者の家を訪ねた。

 「あなたの智恵を私に授けてください。 私はそれを大切に育てて価値ある者になりたいのです」

 スーフィーは答えた。 「あなたが私から智恵を授かるためには、私があなたから、私の必要としているものをいただかなくてはなりません。わかりますか」
「なんとなく…」
スーフィーは言葉を続けた。 「私に絨毯をください。小さなものでもかまいません。 私は<全体>にとって価値ある仕事をしているお方に絨毯を差し上げねばならないのです」

 男はほうぼう探して絨毯を織る職人を見つけた。 「わたしに絨毯をください。どんな小さなものでもいいんです」
 絨毯職人は言った。 「どうして私があなたに絨毯をあげなければいけないのですか」
「私がその絨毯をあるスーフィーの賢者に差し上げると、私は智恵を授かることができます。 おまけに<全体>にとって価値ある仕事をしているお方がその絨毯を必要としているのです」
 絨毯職人は呆れたように言った。 「そんな話には私は興味がありません。絨毯を織る仕事には糸が必要なんですよ。 スーフィーの修行者に施しをすることで功徳を積むより先に、わたしには糸が必要なんです。 糸をたくさん持ってきてください。そうしたら協力しましょう」

 そこで男は糸の紡ぎ職人を訪ねて言った。 「糸をください。その糸を絨毯職人に渡すと、私は絨毯をもらえるんです」
 紡ぎ職人は言った。「それがどうしたっていうのかね」
 男はものごとの詳細を最初から説明しはじめた。 「私がその絨毯をあるスーフィーの賢者に差し上げると、私は智恵を授かることができます。 おまけに<全体>にとって価値ある仕事をしているお方が、なんとその絨毯を必要としているのですよ。 すごいでしょう」
「なにがすごいのか私にはさっぱりわからんよ。 糸を紡ぐには山羊の毛がなけりゃいけないんだ。 これはそういう単純な話なんじゃないのかね? 山羊の毛をたくさん持ってきてくれたら、やってやらないでもないさ」

 そこで男が山羊飼いを探して当てて窮状を訴えると、山羊飼いはこう答えた。
「難しいことはよくわからないけれどもよ。 俺に分かっていることといえば、誰だって自分の必要としているもののことしか考えてないということさ。 俺だって、夜、山羊があちこち迷い出て困っちまってるんだ。 いまの俺には山羊が逃げないような囲いを作ってもらうことしか考えられないね」
 そこで男は山羊飼いに尋ねた。 「その囲いを作ったら山羊の毛を分けていただけますか」
「そりゃ、もちろんよ」

 つぎに男は大工の家に行ってみたものの、大工の答えもこれまでと一緒だった。
「難しいことは勘弁してくれ。俺はいま結婚したいんだ。 俺の嫁を見つけてきてくれよ。そうしたら囲いの垣根を作ってやる」

 <<そんな…メチャクチャだ>>

 いまや男にとっての小さな絨毯は、求めてみたところで絶対に手に入らないものとなっていた。 いくつもの障害が積み重なり、どうにも手の打ちようがない。 もはや絶望的だった。 <<どうして人々は自分の利害のことしか考えないのだろう…こんな世界で智恵を授けてもらったところで一体何になるというのか>>。 さんざん思い悩んだ末に、やがて男は絨毯のことしか考えられなくなっていった。

 そんなある雨の日のこと。 男が傘もささずに市場を歩いていると、ひとつの歌が口をついて出てきた。

 この世には自分勝手な人ばかり…
 誰かが深刻な顔をしてしゃべってる

 だけども問題は 今日の雨
 鳴呼…絨毯がない

 行かなくちゃ 絨毯をもらいに行かなくちゃ
 絨毯を差し上げに行かなくちゃ 雨にぬれ

 冷たい雨が 今日は心にしみる
 絨毯のことしか考えられなくなる

 それはいいことだろ?

 すると一人の商人が彼に気づき、その歌を聞き取ろうとして近づいてきた。 「スーフィーの修行者さま、私にはその歌の意味はよくわかりませんが、なにか深遠な意味があるような気がします。 私を助けてください。智恵ある者にはそれを分かちあう義務があると私は聞いています」

 男は商人の苦痛に満ちた表情を見ながら言った。 「私は小さな絨毯すら手にいれられなかった間抜けな男なのです。 智恵なんてこれっぽっちもありませんよ。 でも、話してみてください。私にできることなら何でもして差しあげます」
商人は言った。 「私にはずっと病に苦しんでいる娘がいるのです。娘に会ってやってください。 真剣なスーフィーの修行者に出会えれば、信仰の力で病気が治るかもしれません」

 男が商人の家についていくと、男の姿を目にした娘がただちにこう言った。
「私はある大工に恋をしているの。 でも私の話なんか誰も真剣に聞いてくれないのよ。どうせあなたもそうなんでしょ」
そうして彼女の挙げた名前は、嫁を見つけてきてくれたら垣根を作ってやる、と言っていた大工の名前だった。 その商人は、娘がどこにいるかもわからない大工の話ばかりするので、病気で頭がおかしくなったと思い込んでいただけだったのだ。

 こうして男は絨毯を手に入れることができた。 その絨毯をスーフィーの賢者が受け取ったとき、賢者は「これで私はあなたに智恵を授けることができる…」と前置きして、こう告げた。

 「あなたは絨毯のことしか考えられなくなった。それはいいことだったでしょう?」

参考:イドリース・シャー『スーフィーの物語』75-いかにして知識を獲得したか


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(2017.7)

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