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【坐禅作法121】小川

かなりキワどい坐禅作法 小川〜養心門12〜

Presented by

〜養心門12〜


想い出したとき 想い出せれば 想い出す

かつての相棒(バディ)たちが挑戦も冒険も創造もない灰色の天国に船出してしまった…というのは43歳になった今でもちょっと信じられない。

これは井上陽水が28歳のときにリリースした『Good,Good-Bye』の歌詞なのだけれど…

また会えるのはいつだろう?
約束なんかしない―
想い出したとき 想い出せれば 想い出す

Good,Good-Bye さよならBaby
本当にこれで終わりにします
Good,Good-Bye さよならBaby
いとし 悲し 寂し やるせなし 恋し

(井上陽水『Good,Good-Bye』より)

私も幾人かの人たちと、27歳の運命のクロスロードまでに、こんな感じのいい加減な約束をしてお別れしてきた。 「かならず生きて帰ってまた会おう」―そんな風に敬礼をかわして戦地に散っていった兵隊たちみたいに。 いわば“守れそうにない約束”だ。 ただし…

また会えるのはいつだろう?
約束なんかしない―
想い出したとき 想い出せれば 想い出す

と歌詞にもあるように、守れそうにない約束は、「あれは果たして約束だったのだろうか」という疑問符のつくような暗黙の了解になっていた。 そんなこともあって、いつのまにかすっかり忘れてしまっていたのである。

それでも40-42歳の大厄を迎えた頃から、そういう守れそうにない約束が記憶の底から意識の表面にいくつも浮かんでくるようになった。 そしていま、浮かびあがってきた順番に連絡をとってみている。

矢印マーク 招待状のないショー

1976年―井上陽水28歳のアルバム
『Good,Good-Bye』収録


とはいえ、そういう約束がひとつならずいくつも自分の記憶の抽斗(ひきだし)にしまってあったとしても、たいていの人々は不可視の世界をないがしろにして生きているものだから、「たんなる思い出のひとつ」とでも考えるらしい。 かつて私が守れそうにない約束をしてきた相手のほとんどは、― 想い出したとき 想い出せれば 想い出す ―ことに失敗していて、せっかく連絡をとってみても、しばしば薄情な仕打ちが返ってくる。

「どいつもこいつも嘘つきばかりだ。さっぱり約束を果たしやしねえ…」

43歳の私はいま、かつての戦友を亡くして焦土にひとり立っている帰還兵の気分なのだ。 以下は井上陽水が30歳のときに発表した『white』の歌詞。

嘘をつく子は日暮れの
別れの時の居場所がわからない
遊びつかれた言葉と
空気のぬけたゴムマリかかえて

ミルクを飲んでも同じでしょうか?
甘いミルクを飲んでも白いだけです

(井上陽水『white』より)

自分の本心に嘘をつき続ける人たちは、守れそうにない約束をして別れた後、自分の居場所がわからなくなって迷子になってしまうものなのだろう。

矢印マーク white

1978年―井上陽水30歳のアルバム
『white』収録

赤雲水

時代が置き去りにしてきた大事なもの

黒雲水

43歳になったいま、こうして『Good,Good-Bye』や『white』といった歌をあらためて鑑賞してみると、20代から30代前半にかけて創作された井上陽水の作品は、神隠し現象の手引きになっていたことがわかってくる。

私は中・高校生の頃から井上陽水の作品を聴きはじめたのだけれど、そういう多感な青年期に彼の歌に触れられたことは幸運なことだったとおもう。 ただ繰り返し聴いているだけで、神隠しに入って抜け出る方法を身心に浸み込ませることができたのだから。

井上陽水に関して言えば、デビュー曲の『人生が二度あれば』からして、当時の私にはかなり衝撃的だった。

父は今年二月で六十五
顔のシワは増えてゆくばかり
仕事に追われ
このごろやっと ゆとりが出来た

父の湯飲み茶碗は欠けている
それにお茶を入れて飲んでいる
湯飲みに写る
自分の顔を じっと見ている

人生が二度あれば
この人生が二度あれば

(井上陽水『人生が二度あれば』より)

「オレは65歳になったとき、人生が二度あれば…なんて言いたくないんだよ」

私が中・高校生だった1980年代後半は、日本がバブル景気に浮かれていた時代で、当然ながら流行歌も浮かれていた。 こういう気骨を持ったソングライターは絶滅危惧種だったのである。 私が生まれる以前の歌だから、すでに古い時代の懐メロだったのだけれど、むしろ新鮮な感じで、時代が置き去りにしてきた大事なものがそこにあるような気がした。

そして何より2ndシングルの『傘がない』がカッコよかった。

都会では自殺する若者が増えている
今朝来た新聞の片隅に書いていた

だけども問題は今日の雨 傘がない

行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ

冷たい雨が 今日は心に浸みる
君のこと以外は 考えられなくなる

それはいいことだろ?

(井上陽水『傘がない』より)

もちろん当時は この歌の深遠な意味なんてわからなかった。 けれども これはツインレイのカラクリをうたった中でも極めつきの歌なのだ。

ここで男が眺めている雨は17-19歳の厄年を過ぎたころから降り始める人生の雨だ。 男は雨を避けようとして傘なんかさしていったら、絶対に相手の女性に逢えなくなることを知っている。 そうして雨にぬれながら逢いに行っても、どうせこうなるに決まっている、と嘆いているのだ。

― 君のこと以外は考えられなくなる…それはいいことだろ? ―

これは実際に体験してみると、これ以外の表現は確かにありえないことが身に浸みてくることだろう。

矢印マーク 断絶

1972年―井上陽水24歳…衝撃のファーストアルバム
『人生が二度あれば』『傘がない』収録


私は42歳8月の同窓会で美術室の彼女と再会できた。 そこまではよかったのだけれど、どちらにしろ私たちは、めぐり逢えたら離れなければならない運命にあったのである。 この現象は井上陽水が46歳のときに『移動電話』という作品にしている。

めぐりあえたら僕等は離れてゆく
燃える想いが夜空をかすめてゆく

月の眺めに見とれて
夢の最後に気づいたら
移動電話にささやきかけて

Hello,How Are You?応えるから

(井上陽水『移動電話』より)

矢印マーク 永遠のシュール

1994年―井上陽水46歳のアルバム
『移動電話』収録


やるべきことの続き

ツインレイの法則では、男女が再会を果たすとき、「女性には自分たちの特別な関係性を相手に伝える役割がある」とされる。

これは本当にありがたいことで、私の場合、当日彼女が語ったことを考察してみると、これから何をすべきかを知ることができる。 次々に口にされた彼女の言葉のすべてが、あらかじめ台本が用意されていたかのように完璧な助言になっているのだ。 だから私が迷ったときは彼女の言葉を思い出せばいい。 彼女と守れそうにない約束をしたときもそうだったのだけれど…

― しばしば唐突に無意識の示唆をほのめかす人がいる ―

そういう人から投げられた言葉は軽視してはいけないものなのだ。 この“ほのめかし現象”については村上春樹の『騎士団長殺し』にこんな風に書かれている。

ほのめかし現象―無意識の示唆―


それは前後の脈絡を欠いた唐突な発言だった。 どうして彼が急にそんなことを言い出したのか。 私にはそのときよく理解できなかった。 だからこそ彼のその言葉をはっきり記憶していたのだと思う。

とくに意味のない発言だったのかもしれない。 たまたまそういう話になっただけかもしれない。 しかしここは事象と表現の関連性によって成り立っている土地なのだ。 私はそこで示されるあらゆる仄(ほの)めかしを、あらゆるたまたまを正面から真剣に扱わなくてはならないはずだ。

村上春樹『騎士団長殺し 第ニ部』<53章 火掻き棒だったかもしれない>


『騎士団長殺し』の主人公の男は「右に行くべきか、左に行くべきか」の岐路に立ったとき、このほのめかし現象にしたがって正解を導き出す。 たいていの人々は、こうしたほのめかし現象をないがしろにしているから、人生の選択を間違えるのである。 これはイスラムの諺なのだけれど…

― 人がしてくれることはしてくれるがままにまかせよ、自分がなすべきことは自分でなせ ―

私の経験から言っても、進路に迷ったときはこれに尽きる。

矢印マーク 騎士団長殺し〜第2部 遷ろうメタファー編〜


 ― 2017年2月25日…村上春樹のバトン ―

ポスト村上春樹に告ぐ。騎士団長を殺して出て来い!


とくに守れそうにない約束をしてきた相手と再会したとき、彼らの投げてくる無意識の示唆は、これから何をすべきかを教えてくれる。 すると過去からの木魂が響いてくるかのように人生の点と線が結ばれ、目の前に一本の道がたち現われてくるのだ。 過去と現在が神隠し現象に遭っていた空白の期間を越えてつながってくるのである。

神隠し現象のイメージ
図:布施仁悟(著作権フリー)


おかげで神隠しを抜けて43歳になったとき、神隠しに入った27歳の時点と43歳の時点とが時空を越えてつながってきた。 そこで見えてきた景色はこういうものだったのだ。

― やるべきことの続き ―

神隠し現象を抜けるとき、かつて俗世にいたときに遣り残してきたことの続きがはじまるのである。 守れそうにない約束をして別れた相手の中には、そのための仲間もいるのかもしれない。

青雲水

『傘がない』の奥義

緑雲水

そうしたことを確信していくにつれて、私は美術室の彼女のことしか考えられなくなっていった。 それまで当たり前だった彼女のいない生活がひどく平板で色あせてみえてしまう。 それは、もしかしたら逢わないほうが幸せだったかも知れないと思えてくるほどだ。

そもそもお互いに家庭を持っていたり、私自身まだ自分の夢を描き切れていなかったりするから、そうした状況下で再びめぐり逢ったところでどうにもならない。 いつか二人でつかむ幸せを願うこと自体がまったく現実的ではないのだ。 これがおそらく、井上陽水が『覚めない夢』で“夜空の魔力”と呼んでいる現象なのだろう。

あなたを好きになれば
幸せになれるかしら
おそらくなれない
私がまだ知らない夢に
連れ出してはくれるけど

あなたを夢に見れば
喜びは続くのかな
おそらく続かない
私はまだ未来の夢を
描き切れていないから

Just a little love 星空ばかり
大人になれない
夜空の魔力のよう

(作詞:井上陽水 作曲:井上陽水・川原伸司『覚めない夢』より)

私が彼女との再会を果たした後に夢みることになった幸せや喜びは、求めてみたところで絶対に手に入らないものだった。 それはほとんど絶望的な夜空の魔力に支配されていたのである。

矢印マーク 魔力

2010年―井上陽水62歳のアルバム
『覚めない夢』収録


しかしながら、この夜空の魔力に直面したとき、私の意識がはじめて<いまここ>に向かうことになった。 その絶望がこうした気づきを生み出してくれたからだ。

絶望の中での気づき


わたしたちの友情や愛を時空の中でとらえるとしたら、離ればなれになったとき、心のこりの記憶の過去と不安の入り混じった希望の未来のあいだで絶望的な時間と距離が生まれる。

しかし過去と未来にわずらわされない本来の意識に立ち戻れば、「いま」と「ここ」しかないはずだ。 もしもその友情や愛がホンモノであるとすれば、その「いま」と「ここ」のどこかで再びめぐり逢えるだろう。

私にできることがあるとすれば、「いま」と「ここ」を十全に生きることしかない。

2016年11月15日(布施仁悟42歳)のメモ


求めたところで手に入らないものを欲しがったら、私はいつもこうした絶望に直面させられてきた。 そういうとき、求めたところで手に入らないものを手に入れるたった一つの方法は、それは求めるほどに逃げていくものであると理解することだった。

求めればそれを逃す


何かがビューティフルで、至福に満ちているということを理解したとき。 それにあこがれないでいることがどんなに不可能か、私はよく知っている。

だが、だんだんとあなたにもそのコツがつかめるようになるだろう。 なぜならば、それを求めれば、必ずそれをのがしてしまうものだからだ。

とすれば、あなたは求めればのがすのだということを理解しなければならない。

これは経験でしか会得できない。

和尚『TAO 永遠の大河4』-P.391「第8話 神は肉体まで来ている」


私と彼女との間に立ちはだかる障害を取り除く方法は、その障害を取り除こうとすることではなく、障害を取り除こうとする欲望を落とすことなのだ。 そのとき障害はひとりでに取り除かれる。

きっと普通の人には、こういう逆説的な発想は生まれないだろう。 けれども、この段階まで真っ直ぐに生きてきた求道者は、こういう発想をするものなのだ。 それは「これまでもそうだったし、おそらくこれからもそうだろう」という経験則によるもので、それゆえに和尚は「これは経験でしか会得できない」と云っているのである。

こうしたことを理解するようになる頃、欲望の定義がこんな風に変わってしまう。

欲望とは?


欲望というのは、あなたが<いまここ>にいないということだ。

心(マインド)がどこかへ行ってしまっている。

和尚『TAO 永遠の大河4』-P.391「第8話 神は肉体まで来ている」


そうなると心のはたらきによりいっそう注意が向くようになる。 なぜなら<いまここ>の意識から離れさせようとして、あれやこれやを持込んでくる心が夜空の魔力を作り出しているからだ。 そのトリック全体がみえてくる。

心随観の極み


人は心がどう機能するかを理解しなければならない。 それがすべてだ。

心の機能に関する暗黙の了解― と、突然あなたは笑い出す。 トリック全体がわかったのだ。

そうしたら問題は対象を変えることじゃない。 ただ単に欲望を落とすことだ。

和尚『TAO 永遠の大河4』-P.384「第8話 神は肉体まで来ている」


夜空の魔力を生み出しているトリックは単なる魔法だ。 魔法を解いたら凝集力を失って隠れていた真相があきらかになる。 まるでシンデレラの乗っていたカボチャの馬車みたいに。

すると心が意識に持ち込んでくるものに少しずつ関心がなくなってゆき、その心随観が極みに達すると<観照>が起こる。

観照


観照するということは、ひとつの努力じゃない。 あなたが関わり合いになっていないとき。 その<観照>は自然に湧き上がるものだ。

心(マインド)には無関心でいるがいい。 すると、その無関心の空気の中で<観照>が湧き上がってくる。

和尚『TAO 永遠の大河1』-P.402「第8話 Q&A <観照>の心」


そういうわけで…

― 君のこと以外は考えられなくなる…それはいいことだろ? ―

なのである。 これが恋の讃美歌『傘がない』の奥義なのだ。

矢印マーク TAO 永遠の大河4〜OSHO老子を語る〜


必要なのは真っ直ぐ生きることだけだ
ほかには何もいらない
それが道なのさ


電脳山養心寺公案集 養心門 第十四則 小川

井上陽水自身は『傘がない』の結末を作っていないのだけれど、それは65歳を越えたときに発表したカバーアルバム『UNITED COVER 2』で表現されている。 『黄昏のビギン』という収録曲がそれで、これによって『人生が二度あれば』と『傘がない』ではじまった井上陽水の人生絵巻が完結するわけだ。

― 最後にはあらゆるものがぴたりと符号する ―

最後にはあらゆるものがぴたりと符号する


これは私の体験なのだが…

最後には、人はあらゆるものがぴたりと符合するのを見出すことになっている。

あなたがやったあらゆること―
いいものも悪いものも
正しいものも間違ったものも
道徳的なものも不道徳なものも
それが何であれあなたがやってきたこと―

最後には、人は生が本当に素晴らしいものであること。 何もかもうまく符合するのだということを発見する。

もし振り返って見たとしても、あなたは何ひとつ変えようと思わないだろう。 なぜならば、もし一部でも変えようものなら、その全体が変わってしまうだろうからだ。

(和尚『TAO 永遠の大河1』-P.533「第10話 Q&A 知恵と理解」


そこには65歳を迎えたときに『人生が二度あれば』と言わなかった男の生きざまが垣間見える。

雨に濡れてた たそがれの街
あなたと逢った 初めての夜
ふたりの肩に 銀色の雨
あなたの唇 濡れていたっけ

傘もささずに 僕たちは
歩きつづけた 雨の中
あのネオンがぼやけてた

雨がやんでた たそがれの街
あなたの瞳に うつる星影

夕空晴れた たそがれの街
あなたの瞳 夜にうるんで

濡れたブラウス 胸元に
雨のしずくか ネックレス
こきざみに ふるえてた

ふたりだけの たそがれの街
並木の陰の 初めてのキス

初めてのキス

(作詞:永六輔 作曲:中村八大『黄昏のビギン』より)

黄昏のビギン―やるべきことの続きはこうしてはじまる。 傘もささずに雨の中を歩きつづけると、やがて雨がやみ、断絶していたはずの時間と距離が再びつながるときが来るのだ。

電脳山養心寺公案集 養心門 第十四則 小川


 小川が砂漠に出会った。

 小川はたちまち砂漠に吸い込まれてしまった。 砂漠はそれまで小川が乗り越えてきた障害とは勝手がまるで違った。 これまでと同じように流れるだけでは、先へ進むことは叶わなかった。

 そのとき砂の中から、ものいわざる声が聞こえてきた。

「風にのれ。そうすれば砂漠を渡ってゆける」

 この声に小川は反論した。

「流れるのが小川の性質だ。風にのることなどできるわけがない」

 ものいわざる声は答えた。

「風には水を天に持ちあげて運ぶ力がある。おまえは雨となって地に降りそそぎ、ふたたび小川となるだろう」

 それに対して小川は言葉にならない声で答えた。

「でも、その話が本当かどうか、確かめようがないじゃないか。とても信じられない」

 すると、もの言わざる声は底知れぬ侮蔑を込めて言った。

「ならば勝手にするがいい。おまえはこのまま澱んで沼になるのがお似合いだ。しかし…沼になったら、もはやおまえは小川ですらないんじゃないのか」

 小川は唇をかんで放心したように訊ねた。

「このまま小川であり続けることはできないのか…」

 ものいわざる声は、罪のない意地悪さを思わせる、乾いた薄笑いを浮かべたような声で答えた。

「いずれにせよ、このままでは小川であり続けることなどできない。おまえの本質が変わってしまうのだからな」

 それは小川にとって受け容れ難いことだった。風に溶け込むなんてことをしたら自分の個性を無くしてしまいそうだった。 それに、ふたたびもとに戻れるという保証がどこにあるというのだろう。

 それでも、これは絶対に実行しなければならないことなのだ、と小川は思いはじめた。 ものいわざる声の言うとおり、自分の一部が澱みはじめ沼になりつつあったからだ。

 <<いま私にささやきかけてくる―ものいわざる声―は、風に乗るようにしきりに促している。 どうやら、これまでの長い流れのどこかで地殻変動のようなことが起こり、何かが変わってしまっていたみたいだ。
 しかし、もしもこの声にしたがったら、長い歳月をかけて築きあげてきた私の精神基盤は、すっかり崩れ去ってしまうことだろう。 とはいえ、このまま流れ続けたところで、その先に語るに足る未来なんか期待できないのが現実だ。 おそらく「いまや完全にしくじっちまった…」というのが正確なところなのだろう。
 さて、かりに今、私の立っている精神基盤が崩れ去ったとして、この私に失うべきいったい何があるというのか。 そして、その精神基盤が崩壊したあとにやってくるものとは果たして何であろうか。
 それは…?
 それは…私の待ち望んでいた挑戦と冒険と創造のフロンティアではないのか。 そしておそらく飛び込むなら今しかないのだ。 しかし…しかしそれはあまりにも危険な賭けだ。 どうなるかわかったものじゃないぞ。 やるのか?
 私はやる! 私はそこにすべてを賭ける。
 どのみち後もどりなんかできないのだ。 今日を境にして、私はもう以前の私ではなくなるだろう>>

 小川は蒸発してゆき、上空で両手をひろげて待っている風の中へ溶け込んだ。 風は軽々と砂漠を乗り越え、遠く離れた山々のいただきに達すると、おだやかな雨を降らせた。

 そうして小川はふたたび小川となった。

参考:イドリース・シャー『スーフィーの物語』4-砂の話


諸君はこういう生きざまがあることを信じたほうがいい。

(2017.6)

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