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【坐禅作法120】洞山五位

かなりキワどい坐禅作法 洞山五位〜養心門11〜

Presented by

〜養心門11〜


死と復活の招待状

あと数日で43歳になろうとしていた2017年3月5日の早朝、こんな夢をみた。

死と復活の夢


 なに者かに追いかけられ、私は走って逃げていた。

 家の玄関の扉までたどりついた私は、相手の力に抗して必死にドアノブを抑え、内側から鍵をかけようとした。 扉がガタガタと音をたてる。

 扉の鍵は思うようにかかってくれず、相手があきらめる様子もない。 もう降参するしかないとおもった。 私がドアノブから手を離すと、扉を開けて、そいつは入ってきた。

 顔の無い男だった…もしかすると虚無だったのかもしれない。

 男の顔を凝視したまま後ずさりする私に、男は手にしていた銃を向けた。 引き鉄がひかれ、私は死んだ…はずだった。

2017年3月5日早朝の夢


目が覚めたとき、私は生きていた。

<<人は夢の中に死するとき、別世界に命を得て復活するのか…>>

死と復活…私はこうして十字架に象徴されているものの意味を知った。

それは鍵となる夢だ


あなたの夢は、人が夢見ることのできるもっとも重要な夢のひとつだ。 それには深遠な精神的含みがある―それは鍵となる夢だ。

それをたんに夢とみなしてはならない。
それを忘れてはならない。

夢のなかで鍵があなたに渡された。 今度はそれをあなたが昼間目を開けたまま見つづけているもっと大きな夢に使いなさい。

目覚めるがいい。

和尚『一休道歌 下』-P.648-649「第13話」


これからは<全体>のみる夢が私のみる夢だ。 私の夢が最後を迎えるとき、私は<全体>の夢の中に目覚める。 それでいい。

<<でも、どうやって!?>>

とにかくこうして“死と復活の招待状”が私の元にやってきた。

矢印マーク 一休道歌 下

風狂の禅師・一休の和歌で学ぶ禅
こいつはイカシテル

赤雲水

千と千尋の神隠し現象はたしかに存在する

黒雲水

いま振り返ってみると、私の運命は故郷の札幌に帰った27歳のときから、31-33歳の大厄におけるアイデンティティ・クライシスに向かって動き出していた。

そこから37歳までは、どうにかして俗世に戻ろうとしていたのだけれど、いつも何らかの不可抗力がはたらいて、その望みはついに叶わなかった。 私の四方には見えない有刺鉄線が張られ、立入禁止の看板があちこちに立てられているかのようだったのだ。 そのため38歳になったとき、私は俗世に戻ることを一度諦めることにした。

<<通常の方法ではなく何らかの別の方法によってしか俗世に戻ることはできない>>

そんな風におもったからだ。 その頃から書き続けてきたのが『坐禅作法』シリーズで、一度も口に出すことはなかったけれど、ほかにやるべきことがあるともおもえない…というのが暗黙の認識だったような気がする。 いつかこの『坐禅作法』シリーズを書きあげたとき、この状況から脱出できると信じてやってきたのだ。

そんな状況には“神隠し”という言葉がしっくりくるだろう。

アニメ映画監督の宮崎駿に『千と千尋の神隠し』という作品がある。 この映画は私が26-27歳を迎えていた2001年に公開され、東京・上野の映画館で観ていた。 「千尋」という名の女の子が俗世の名前を奪われて神隠しに遭う物語で、彼女は代わりに「千」という名前を与えられて神隠しの期間を過ごす。

27-42歳までの私もまた、アイデンティティ・クライシスによって俗世の名前を奪われ、代わりに布施仁悟という名前で『坐禅作法』シリーズを書いてきた。 したがって、この一連の記事には『布施仁悟と私の神隠し』という副題を付けることもできる。 私は映画のあらすじどおりの神隠し現象を実際に体験してきた希少人種のひとりなのだ。 断言しよう。

― 千と千尋の神隠し現象はたしかに存在する ―

『千と千尋の神隠し』という作品は、奇跡的なまでに良くできた神隠しの寓意だったのである。 ただし、ここで映画に込められている寓意や隠喩を詳細に解説するつもりはない。 そんなことをしたら物語の大事な部分が失われてしまうからだ。

― 寓意や比喩は言葉で説明されるべきものではない。呑み込まれるべきものだ ―
(村上春樹『騎士団長殺し 第一部』<28章 フランツ・カフカは坂道を愛していた>)

ここで強調しておきたいのは、私が神隠しに入ろうとしていた2001年に『千と千尋の神隠し』が公開されたことと、それを観た26-27歳の私が映画の寓意や隠喩をまるごと呑み込んでいたという事実である。

つまり私は、この映画で神隠し現象を疑似体験していたおかげで、神隠しをどうやって抜けたらよいのか、をあらかじめ知ることになった。 38歳のとき、<<通常の方法ではなく何らかの別の方法によってしか俗世に戻ることはできない>>という発想が生まれたのは、たぶんそのせいだったとおもう。

また42歳のときに神隠しを抜けたことも、この映画のおかげで知ることができた。 主人公の女の子が「千尋」という俗世の名前を取り戻したとき、神隠しを抜けるための最終試験を受けるのだけれど、それとまったく同じ現象が私にも実際に起こったからだ。

私が死と復活の夢をみた2017年3月5日は、その神隠しの最終試験を終えた数日後のことだったのである。

矢印マーク 千と千尋の神隠し[DVD]


 ― これは“神隠し現象”を疑似体験するための映画だ ―

したがって、この作品には賞味期限がある。 おそらく26-27歳の時節に鑑賞するのが最も効果的だろう。 その後は“神隠し現象”をみずから体験して、その忠実な描写に驚くがいい!


2017年2月…時代は再び動き出した

井上陽水の2017年コンサートツアーがあることを知ったのはそんなときだ。 ツアータイトルは…

『Good Luck!』

あたかも神隠しを抜けて俗世に戻ろうとしている私の状況を見透かしているようなタイトルだった。 そこに何らかのヒントがあるような気がした私は、すぐさまチケットを入手し、未聴だった井上陽水のアルバムを全部買いそろえることにした。 というのも、2001年に発表された『UNITED COVER』というアルバムを最後に、私は彼の新しい歌を聴かなくなっていたからだ。 そのときまでは、すっかり狂信的なまでの信仰を捧げ尽くしていたにもかかわらず…。

この現象については、2017年2月に出版された村上春樹の『騎士団長殺し』という小説にも、こんな風に回想されている。

2001年の時間停止線


ある時点から私は新しい音楽をほとんど聴かなくなってしまった。 そして気に入っていたふるい音楽だけを、何度も繰り返し聴くようになった。 本も同じだ。 昔読んだ本を何度も繰り返し読んでいる。 新しく出版された本にはほとんど興味が持てない。 まるでどこかの時点で時間がぴたりと停止してしまったみたいに。

あるいは時間は本当に停止してしまったのかもしれない。 あるいは時間はまだかろうじて動いてはいるものの、進化みたいなものは既に終了してしまったのかもしれない。 ちょうどレストランが閉店の少し前に、もう新しい注文を受け付けなくなるのと同じように。 そして私ひとりがまだそのことに気がついていないだけかもしれない。

村上春樹『騎士団長殺し 第ニ部』<45章 何かが起ころうとしている>


2001年といえば、『千と千尋の神隠し』が公開された年でもあるのだけれど、9.11アメリカ同時多発テロの起こった年でもある。 この年以降、世界的におかしな時代に突入し、終わりの見えない紛争が頻発するようになった。 私見を言わせてもらえるなら、2001年の時点で人類の進化の時間はぴたりと停止していたような気がする。

そう感じるのは、もしかすると私の俗世にいた時間が2001年の26-27歳を迎えた時点で止まったままになっていたからかもしれない。 とにかく私は2001年以降に発表された映画や音楽や本にはほとんど興味を持てなかった。 まるで才能ある芸術家がみんな神隠しに遭ってしまったみたいで、<<どうせつまらない作品しか生まれてこないよ>>としか思えなかったからだ。

では2001年から2017年の現在に至るまで、井上陽水や村上春樹のような、ほんの一握りの才能ある芸術家は何をしていたのか?

これは井上陽水のアルバムを買い揃えて気づいたことなのだけれど、その間に発表された彼らの作品は極めて個人的なメッセージになっていた。 それらの作品は2001年の26-27歳の時点から神隠しに遭っている次世代の才能にピンポイントで捧げられていたのである。

彼らはそこに、みずからの才能を分け与える旨のメッセージを込め、なおかつ、神隠しを抜けるためのガイドを買って出てくれていたのだ。 そう考えてみると宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』が2001年に公開されたのも偶然なんかではなかった気がしてくる。

私が俗世の名前を取り戻して神隠しを抜けたのは42歳の2017年2月21日のことだったのだけれど、その直後の2月25日に村上春樹の『騎士団長殺し』が出版された。 この小説は、太平洋戦争時代に神隠しに遭っていた老画家が、これまた神隠しに遭っている現代の画家に才能を引き継ぐ物語で、まさにこの時代のテーマを穿(うが)った作品になっていた。 それは次世代を担う才能がこれから何人も台頭してくることを予言しているかのようなSFだったのである。

矢印マーク 騎士団長殺し〜第1部 顕れるイデア編〜


 ― 2017年2月25日…村上春樹のバトン ―

ポスト村上春樹に告ぐ、騎士団長を殺して出て来い!

青雲水

21世紀ルネサンスの騎士

緑雲水

こうして私は43歳になったとき、自分が極めて特殊な星のもとに特別な使命を持って生まれていることを知った。

私の属している世代は個人の運命の時節が民族や人類の運命の時節と直接的にリンクしていたのである。 だからこそ宮崎駿や井上陽水や村上春樹のような先輩芸術家たちは、私たちに未来を託して、神隠しを抜け出るためのガイドを買って出てくれていたのだ。

おそらく私の属している世代の使命は、この新しい時代の処方箋を書くこと。 私はいま、何としてでも、この天性の義務を果たして恩返しをしなければならないとおもっている。

これまで『坐禅作法』シリーズを書いている最中、絶えず私に突きつけられていた疑問と困惑を、村上春樹が『騎士団長殺し』で代弁してくれていた。 彼もきっと、私と同じ疑問と困惑を抱えながら天性の義務を果たしていた21世紀ルネサンスの騎士だったに違いない。

21世紀ルネサンスの騎士の疑問と困惑


あるいは私はそれらの絵を描くことによって、ひとつの物語を記録しているのかもしれない。 そんな気がした。 私はそのような記録者としての役割を、あるいは資格を、誰かによって与えられたのだろうか? もしそうだとしたら、その誰かとはいったい誰なのだろう? そしてなぜこの私が記録者に選ばれたのだろう?

村上春樹『騎士団長殺し 第ニ部』<42章 床に落として割れたら、それは卵だ>


この『養心門』の締めくくりに、彼ら21世紀ルネサンスの騎士たちが『いかにして私をガイドしてくれていたか』を記録しておきたい。 とくに私がもっとも深い精神的親和性を感じる井上陽水について語ることになるだろう。

神隠しを抜けるまでには、いつどこでカオナシに転落してもおかしくない、というほどたくさんの罠が待ち構えている。 私のソウルモデル・井上陽水の残してくれた歌の数々は、その罠をかいくぐり、神隠しを抜け出るための最良のガイドになるはずである。

おそらくいま、私の世代に続く若き才能がこれを読んでいることとおもう。 私はいつのまにか神隠し現象の記録者として選ばれていたのだけれど、諸君もそうやって、思いがけず21世紀ルネサンスの騎士団に入隊することになるかもしれない。 今後これを読んだ者の中から、神隠し現象を乗り越え、ルネサンスの騎士として立ち上がる者が陸続としてあらわれることを私は期待する。

ルネサンスの騎士の覚醒と責任


醒めてゆけば醒めてゆくほど、あなたは責任を持つようになる。 それだけ感じるようになり、それだけ役に立つようになる。

あなたが人々に奉仕し始めるというのじゃない。 が、一生がひとつの奉仕になるのだ。 何かの義務から彼らに何かをしてやるというのじゃない。

いいや、あなたはただ単に自分自身の覚醒を成就しているだけなのだ。

和尚『TAO 永遠の大河4』-P.483「第9話 生は呼吸とともに始まる」
矢印マーク 騎士団長殺し〜第2部 遷ろうメタファー編〜


 ― 2017年2月25日…村上春樹のバトン ―

ポスト村上春樹に告ぐ、騎士団長を殺して出て来い!


電脳山養心寺公案集 養心門 第十三則 洞山五位

約1200年前の中国・唐の時代に洞山良价という禅僧がいた。 曹洞宗の“洞”の字は彼の名前から採(と)られているもので、禅宗の開祖ともいえる人物である。

わが国にも彼の発案になる『洞山五位』という頌が伝わっているのだけれど、実はこれ、神隠しを抜け出るための手引きになっているのだ。

井上陽水の歌もまた、神隠しを抜けるための手引きになっているから、ここから先の記事を読むと、洞山良价が『洞山五位』に込めた意味が浮かび上がってくることだろう。

まずはここでその全体を俯瞰(ふかん)しておくといい。

電脳山養心寺公案集 養心門 第十三則 洞山五位
[一位 正中偏]…27歳の運命のクロスロード


 初めて月明かりに照らされたような真夜中は
 本心を正しく観はじめたことを怪しんではならない
 たとえこれまでの悪習にいまだとらわれていようとも

[二位 偏中正]…33歳のアイデンティティ・クライシス


 盲目の老婆がはじめて古鏡をのぞきみるとき
 眼前にくもって映る己れの姿は真実の姿ではない
 理屈をめぐらせ影と自分を取り違えるようなマネをするな

[三位 正中来]…37歳の創造の病


 無になることを知るとき塵埃を抜け出る正道があらわれる
 ひたすら俗世の名前を忘れ去るようによく努めたなら
 隋代のおしゃべりな能弁家より才能あふれる者となろう

[四位 偏中至]…43歳の死と復活


 振りかかってくる太刀のきっさきに刃を合わせよ
 みずから恐れをつくり避けようとするものではない
 好手を返すとは 火の中に飛び込みながら
 その影響を受けずに蓮の花を咲かせるようなものだ
 天を衝くような気がひとりでに立ち昇る

[五位 兼中到]…49歳の天性の義務の遂行


 有無の二元を越えたなら誰とでも進んで調和できるだろう
 誰もがかつての君のように神隠しの罠にもがいている
 再び俗世に帰還して彼らとともに炉端に坐れ


(2017.6)

矢印マーク TAO 永遠の大河4〜OSHO老子を語る〜


必要なのは真っ直ぐ生きることだけだ
ほかには何もいらない
それが道なのさ

桃雲水

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