井上陽水の2017年コンサートツアーがあることを知ったのはそんなときだ。
ツアータイトルは…
『Good Luck!』
あたかも神隠しを抜けて俗世に戻ろうとしている私の状況を見透かしているようなタイトルだった。
そこに何らかのヒントがあるような気がした私は、すぐさまチケットを入手し、未聴だった井上陽水のアルバムを全部買いそろえることにした。
というのも、2001年に発表された『UNITED COVER』というアルバムを最後に、私は彼の新しい歌を聴かなくなっていたからだ。
そのときまでは、すっかり狂信的なまでの信仰を捧げ尽くしていたにもかかわらず…。
この現象については、2017年2月に出版された村上春樹の『騎士団長殺し』という小説にも、こんな風に回想されている。
2001年の時間停止線
|
ある時点から私は新しい音楽をほとんど聴かなくなってしまった。
そして気に入っていたふるい音楽だけを、何度も繰り返し聴くようになった。
本も同じだ。
昔読んだ本を何度も繰り返し読んでいる。
新しく出版された本にはほとんど興味が持てない。
まるでどこかの時点で時間がぴたりと停止してしまったみたいに。
あるいは時間は本当に停止してしまったのかもしれない。
あるいは時間はまだかろうじて動いてはいるものの、進化みたいなものは既に終了してしまったのかもしれない。
ちょうどレストランが閉店の少し前に、もう新しい注文を受け付けなくなるのと同じように。
そして私ひとりがまだそのことに気がついていないだけかもしれない。
|
村上春樹『騎士団長殺し 第ニ部』<45章 何かが起ころうとしている>
|
2001年といえば、『千と千尋の神隠し』が公開された年でもあるのだけれど、9.11アメリカ同時多発テロの起こった年でもある。
この年以降、世界的におかしな時代に突入し、終わりの見えない紛争が頻発するようになった。
私見を言わせてもらえるなら、2001年の時点で人類の進化の時間はぴたりと停止していたような気がする。
そう感じるのは、もしかすると私の俗世にいた時間が2001年の26-27歳を迎えた時点で止まったままになっていたからかもしれない。
とにかく私は2001年以降に発表された映画や音楽や本にはほとんど興味を持てなかった。
まるで才能ある芸術家がみんな神隠しに遭ってしまったみたいで、<<どうせつまらない作品しか生まれてこないよ>>としか思えなかったからだ。
では2001年から2017年の現在に至るまで、井上陽水や村上春樹のような、ほんの一握りの才能ある芸術家は何をしていたのか?
これは井上陽水のアルバムを買い揃えて気づいたことなのだけれど、その間に発表された彼らの作品は極めて個人的なメッセージになっていた。
それらの作品は2001年の26-27歳の時点から神隠しに遭っている次世代の才能にピンポイントで捧げられていたのである。
彼らはそこに、みずからの才能を分け与える旨のメッセージを込め、なおかつ、神隠しを抜けるためのガイドを買って出てくれていたのだ。
そう考えてみると宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』が2001年に公開されたのも偶然なんかではなかった気がしてくる。
私が俗世の名前を取り戻して神隠しを抜けたのは42歳の2017年2月21日のことだったのだけれど、その直後の2月25日に村上春樹の『騎士団長殺し』が出版された。
この小説は、太平洋戦争時代に神隠しに遭っていた老画家が、これまた神隠しに遭っている現代の画家に才能を引き継ぐ物語で、まさにこの時代のテーマを穿(うが)った作品になっていた。
それは次世代を担う才能がこれから何人も台頭してくることを予言しているかのようなSFだったのである。
|