『バガヴァッド・ギーター』はこう教えている。
自分の義務が完全にできなくても
他人の義務を完全に行うより善い
天性によって定められた仕事をしていれば
人は罪を犯さないでいられる
どの仕事にも短所や欠点がある
ちょうど火に煙がつきもののように
ゆえにアルジュナよ 自分の天職を捨てるな
たとえその仕事が欠点だらけだとしても
(『バガヴァッド・ギーター』18-47・48)
三障のつくりだす闇に蔽(おお)われると、人は自分の天性の義務をすっかり忘れ、他人の義務を遂行しようとしてしまう。
私の場合は、父親から長年吹き込まれてきた「現実的で堅実な道」とやらを歩みはじめてしまった。
おそらくその15-16歳のときから、私は自分の本性に対して罪を犯すことになったのだろう。
けれどもそれを「若い過ち」と呼んでしまうのは少しばかり違うとおもう。
― 人生には遠まわりしてでも踏まなければならない幾つかの心理的段階がある ―
大体にして私たちは何が最良かをいつも心得ているわけではないはずだ。
パラレルワールドのルールの中には遠まわりして一皮むけなければ理解できないものが幾つもあった。
その場合には、あらゆる意味合いにおいて遠まわりが正解だったのである。
現在の私はただ「あの当時はそうしなくてはならなかった」としか言いようがない。
そこで三障の闇に蔽われはじめた15-16歳からの私は、はじめは毒薬のように苦しくても、終いには甘露になるような大道を選ぶようにしてきた。
はじめは毒薬のように苦しくても
終(しま)いには甘露となるような
大道を歩む清純な喜びは
サットヴァの幸福である
はじめは甘露のようで
終いには毒薬のようになるのは
感覚がその対象に触れたときの喜びで
ラジャスの幸福である
自己の本性について全く関心なく
始めから終わりまで妄想であり
惰眠と怠惰と幻想から生ずる喜び
それはタマスの幸福である
(『バガヴァッド・ギーター』18-37・38・39)
世の中の人々の運命を観察して、よくよく考えてみてもらいたい。
彼らが45歳のミッドライフクライシスや人生の果実を受けとる54歳の収穫期に入ったとき、彼らの人生は「はじめは甘露のようで終いには毒薬」のようになってはいないだろうか。
彼らの語る幸福は「始めから終わりまで惰眠と怠惰と幻想から生ずる妄想」ではないだろうか。
私はわずかでも父と同じ道をたどったら、自分の天性の義務を完全に忘れ切ってしまうことがわかっていた。
私は父の口癖によって、15-16歳までにほとんど骨抜きにされてしまっていたからだ。
そのため「父の歩んだ道は人間の歩むべき道ではない」という哲学を持ち、父の歩んだ人生とは正反対の道に旅立たなければならなかった。
そこで私は19歳の後厄で札幌を旅立ち、25歳の後厄までに東京で勇気をひろいあつめ、27歳の運命のクロスロードにさしかかったとき、父親とタイマンで勝負するために再び札幌に舞い戻った。
この『遠くへ行きたい』は、17-19歳の厄年のときに起こる旅立ちの衝動をよく表現しているとおもう。
知らない街を 歩いてみたい
どこか遠くへ行きたい
知らない海を 眺めてみたい
どこか遠くへ行きたい
遠い街 遠い海
夢はるか一人旅
愛する人と めぐり逢いたい
どこか遠くへ行きたい
愛し合い 信じあい
いつの日か 幸せを
愛する人と めぐり逢いたい
どこか遠くへ行きたい
(作詞:永六輔 作曲:中村八大『遠くへ行きたい』より)
わかるだろうか…求道者は19歳の後厄になると故郷を旅立つ。
けれどもどれほど遠いところへ旅立とうと、いつかはオトシマエをつけるために戻ってこなくてはならない。
両親の待っている故郷はそんな遠心力を持っている。
故郷は出発点のあるところだ。
そこはオトシマエをつけられなかったすべての負い目の故郷でもある。
なぜならそこは15-16歳の頃に最初の仮面(ペルソナ)―リトルが誕生したところだからだ。
人格に分裂を起こしはじめた原因は両親の待っている故郷にある。
そして、ここに25歳の後厄を過ぎた頃に故郷へ帰ろうとする男の歌がある。
『いきものがかり』というグループの水野良樹がちょうどその年齢で創作したものだ。
この歌は彼の最高傑作だと私はおもっている。
心の穴を埋めたいから 優しいフリして笑った
出会いと別れがせわしく 僕の肩を駆けていくよ
ダメな自分が悔しいほど わかってしまうから損だ
強くはなりきれないから ただ目をつぶって耐えてた
ほら 見えてくるよ
帰りたくなったよ 君が待つ街へ
大きく手を振ってくれたら 何度でも振り返すから
帰りたくなったよ 君が待つ家に
聞いて欲しい話があるよ 笑ってくれたら嬉しいな
(水野良樹『帰りたくなったよ』より)
求道者はひとまず故郷を旅立ち、やがて円をえがくように故郷に舞い戻る。
天職への扉の前に立ちはだかっている“キーパーソン”と対決するために。
最初の人格分裂をもたらしたペルソナ―リトルと対決するために。
すなわち三障の闇に蔽われはじめた15-16歳の自分と対決するために。
そしてその先には…再会を約束した愛すべき人が待っている。
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