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【坐禅作法115】黒色の天馬

ちょっとはマシな坐禅作法 黒色の天馬〜養心門6〜

Presented by

〜養心門6〜


『できれば見たくなかったものを見るために片目を少しひらくレッスン』

できれば見たくなかったものを見なければいけないとき、片目を少しひらく勇気を持ち合わせている人間はほとんどいない。 たいていの人々は両眼をつぶったまま生きている。

しかるべきところに一線を引いて、そこから足を踏み出さないように生きるためにも、中学校に進学する頃からの友人選びはとても重要だ。 そこに同情は無用だし、そんなところで妥協してはいけない。

― 面倒くさいやつからはアメちゃん一個でももらうな ―

この点は神経質なくらいで丁度いい。

この頃すでに運命の試練は基礎訓練のカリキュラムに入っているらしい。 その運命の課題の解法は両親だって先生だって教えてはくれない。 もちろん教科書にも書いてない。 もっといえば経典にも聖典にも書いてない。 というのも誰にも教えられないことだからだ。

つまり、まだなんにも知らない世間知らずの子供のうちから、頼れるのは自分だけという孤独な旅路につくことになる。 ここからは自分の心の眼を探り針のように使って、隠れた天のルールを洞察しなければならない。

かりにそこからはじまる運命の基礎訓練にタイトルを付けるなら、『できれば見たくなかったものを見るために片目を少しひらくレッスン』ということになるだろうか。

赤雲水

十三歳の不可抗力

黒雲水

もう一度戻らなければならない時と場所があるとして、それが中学一年の教室だとしたら、それは勘弁してほしい。 もしも今あの教室に戻ったりしたら、何もかもがあまりにバカバカしくて、流血するまでハナクソをほじるくらいしかやることがなくなってしまいそうだからだ。

中学一年当時の教室にいた35人ほどのクラスメイトは、男女あわせて六人くらいのグループに分けられ、生き物係だとか給食係だとか適当な役割を与えられた。 とりわけ私の所属したクラスでは、一ヶ月間のグループ全体の忘れ物の総計で罰ゲームをやらされることになっていた。 一ヶ月に一度、放課後に居残って、ワックスがはがれて傷(いた)むのもかまわず、床を磨きあげる。 それはクルクルした巻き毛の天然パーマの担任の発案だった。

“連帯責任” ― おそらく私と同じグループにいた三人の女の子たちも、この言葉を蛇蝎(だかつ)のごとく嫌っていたに違いない。 私たちはグループ内のたった二人の男のために毎月罰ゲームをやらされた。 その二人の男がいたおかげで、この忘れ物レースは、スタート前から我々のグループにチェッカーフラッグが振られていたようなものだったのだ。

連帯責任の罰ゲームといっても一度目や二度目までなら笑っていられる。 けれども三度目ともなると当然グループ内の雰囲気自体が悪くなってくるもので、「反省だけなら猿でもできる」と文句も言いたくなってくる。 それでも私たちは問題の二人の男にひとつの文句もぶつけることなく床を磨き続けた。

しかしやがて、この二人の男はおかしな行動をとりはじめた。 そのやり場のない思いを自分の行動の改善に向けるのではなく、おかど違いにも私に向けてきて、私の筆入れにイタズラをしたり、私の髪の毛をいじってからかったりしてきた。 ついには喧嘩になって私は教室で鼻血を流すことになった。

連帯責任なんてものを中学校の教室に持ち込む教師は投獄にあたいする。 十三歳になって精神年齢が止まっていく子供たちには不可抗力がはたらいているらしく、いくら彼らに忘れ物をしない方法を教えたところで、どうしようもなかった。

「寝る前に確認したりして気をつけてはいるんだ。でも気がついたら鞄のやつが教科書を入れてない」

彼らの口からはそんな弁解しか返ってこない。 私がそんな彼らに嫌悪感を抱くようになるのは当然の状況だったし、逆に彼らは私を嫉妬の対象としてしまった。 そこに連帯責任なんてものをいつまでも持ち込まれ続けたら、どのみち猿ではなくても喧嘩になる。

しばらくして私たちの喧嘩がばれたとき、担任の教師は的はずれにもこんなことを言った。

「おれがその場にいたら喧嘩両成敗だったな」

その担任の説教を聞かされている間ずっと、私はこう言ってやりたい衝動をなんとか抑えていた。

「クルクルパーは天然パーマだけにしてくれ!」

喧嘩の原因を作った張本人がこんな調子だったおかげで、<<これからは自分のことは自分でなんとかしなければいけないのだ>>と思い知らされることになった。

それからほどなくして事態の解決策を学んだのは、スティーヴン・キング原作の映画『スタンド・バイ・ミー』を観たときだ。


十三歳の洞察

『スタンドバイミー』には12歳の四人の子供たちが登場する。 その子供たちが夏休みに死体探しの冒険に出るお話で、どうしてアメリカの子供たちは「死体を見つけたら英雄になれる」という発想をするのか、私は未だによくわからないのだけれど、とにかく長く印象に残る物語だった。

『スタンドバイミー』に登場する四人の子供のうち、ひとりゴードン・ラチャンスのみが将来作家になる才能の片鱗をすでに見せている。 それ以外の三人はただの落ちこぼれという設定なのだけれど、それでも“それ以外”のうちのクリス・チェンバーズだけは、そこから何とか這い上がろうとしている。 そんな物語なのだ。

スタンドバイミーの構成メンバー


■ 1 ゴードン・ラチャンス ■
 後に作家になるエリート。カレッジコースに進んだ優等生

■ 2 クリス・チェンバーズ ■
 運命に抗ってカレッジコースに進むのだけれど落ちこぼれる

■ 3 バーン・テシオ ■
 職業訓練コースに進んだ落ちこぼれ

■ 4 テディ・デュシャン ■
 職業訓練コースに進んだ根っからの落ちこぼれ。一番のバカ


『スタンド・バイ・ミー』の中で最も印象的だったのは、クリスがゴードンに向かって放つこのセリフだった。

― おまえの友達はおまえの足を引っぱってる。 溺れかけた者がおまえの足にしがみつくみたいに。 おまえは彼らを救えない。いっしょに溺れるだけだ ―
(スティーヴン・キング『スタンド・バイ・ミー』<第17節>)

このゴードンの足を引っぱっている友達の中には残念ながらクリス自身も入っている。 でもクリスはそんな自分の悲しい運命を受け入れているのだ。 しかも残りの二人― バーン・テシオとテディ・デュシャン ―が溺れはじめている現実を理解したうえで、彼らと一定の距離を保って生きる術も身につけている。

当時の私はどうやら自分はクリス・チェンバーズのようだと思った。 ゴードンのような才能の片鱗なんてまるでなかったし、他の落ちこぼれどもに脚を引っぱられて溺れないように生きていた。 そんな自分の境遇とクリス・チェンバーズの境遇を重ね合わせたとき。 私は漠然とではあるけれど教室で喧嘩になった二人の男の境遇を理解した。

<<溺れかけている彼らはボクを仲間に引きずり込もうとしているだけだ…>>
<<ボクは彼らに情けをかける必要もなければ、嫌悪するまでもない…>>
<<どのみち彼らを救うことはできないのだから…>>

その洞察が起こった頃から他のグループの忘れ物の総計が私たちのグループを上まわってきた。 そうして私たちは床みがきの罰ゲーム地獄からようやく解放されたのである。 事態の解決策は、問題の二人の男を教え諭(さと)すことでも、同情することでも、喧嘩をすることでもなかった。 その解決策は、私が二人の男の境遇を理解し、なおかつ、それにまつわる思考に執(とら)われないでいる方法を知ることにあったのである。

すべてがまるでひとつのゲームのようにみえてきた。 私がそのゲームのルールを理解して課題を解いたとき、事態は自然に解消されてしまうみたいだった。

― あらゆる出来事はゲームである。 事態を解決するためにはまずそのルールを学ばなければならない ―

こうしてゲームのルールを理解しはじめた中学一年のときに漠然と感じたのは、<<この現象世界に浸透している不可視の世界があるらしい>>ということだった。 後に私はその不可視の世界をパラレルワールドと呼ぶようになったのだけれど、おそらく、そのパラレルワールドを支配している法則が天のルールなのだろう。 こうして私は天のルールを学びはじめた。 もう二度と戻りたくはないけれど、中学一年の教室には運命の課題の基礎が詰まっていたのかもしれない。

矢印マーク 『スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編 (新潮文庫)』

S・キングは自身の創造の秘密をここに綴じ込めたんだ。
これ、ただの小説じゃないよ。

青雲水

電脳山養心寺公案集 養心門 第八則 黒色の天馬

緑雲水

人生に巻き起こる出来事はすべてパラレルワールドからの挑戦状であり、それは『できれば見たくなかったものを見るために片目を少しひらくレッスン』ともなっている。 もしもパラレルワールドを支配している法則を学ぶことなく40歳を迎えた者は、天のルールを洞察するための片目を失うことになるだろう。 それは40-42歳の大厄の頃から覚醒しはじめる第三の眼を失うことを意味している。

アジーブの冒険の最終章『黒色の天馬』はそうしたことを教える物語となっている。

電脳山養心寺公案集 養心門 第八則 黒色の天馬


 少年を連れもどすために父親の小船が島にやってきたとき、アジーブは地下室から少し離れた場所の大樹の陰に隠れてその様子を見ていた。

<<どのような言い訳をしようとも、いまや私の無実を信じてはもらえないだろう…>>

小船から降りてきた老人は少年のなきがらを埋葬して孤島を去っていった。

 その数日後のこと、一羽のロック鳥が島に降りたった。 ロック鳥はトラやライオンすら丸呑みしてしまうほどの肉食の大型鳥でコウノトリに似ている。 どうやら片翼を怪我しているらしかった。

 アジーブが島に自生している野草で手当てをしてやると、ロック鳥は驚異的な回復力をみせ数日後には飛び立てるほどになった。 そうしてロック鳥は島から飛び去っていったのだが、翌日になると再び島に戻ってきて、今度はアジーブをつつきまわした。

<<手当てをしたロック鳥に食べられて死ぬなんて、これはきっと少年を刺し殺した報いに違いない>>

逃げまどいながらも、ついにアジーブは観念した。

 アジーブを丸呑みにしたロック鳥は、雲の上、人の近づくことをゆるさない山のいただきに舞いあがった。 そこでロック鳥に吐き出されたアジーブが見たものは、地獄ではなく、黄金やエメラルドで飾られた壮麗な宮殿だった。

「ご主人さま、ようこそいらっしゃいました」

世にも美しい四十人の娘が豪華な衣装を身にまとってアジーブを歓待するではないか。

「当宮殿のロック鳥を助けていただいてありがとうございます。 あなたさまのような殿方が来られるのを、私たちはずっと待ち続けておりましたのよ。 さあ、こちらへ。宴の用意ができております」

 そうしてアジーブと四十人の娘たちの宴がはじまり、その歓楽がつきる頃にはすっかり真夜中になっていた。 そのとき、ひとりの娘が話しかけてきた。

 「ご主人さま、お疲れでございましょう。そろそろお休みになる時刻ですわ。 今夜はわたくしがお相手いたします」

 その日から四十日間。 アジーブは毎晩違う娘に夜伽(よとぎ)をしてもらい、その一人ひとりから宮殿に伝わるという四十の物語を聞いた。

 ある娘は世界中の果実を集めた果樹園の物語、別の娘はあまい香りのただよう花園の物語、また他の娘は鳥たちの歌う百鳥園の物語。 そして四十人目の娘はその黄金の鞍にまたがると世界のすべてが手に入るという黒色の天馬の物語を話した。

「ああ、私もその黒色の天馬の鞍にまたがってみたいものだ」

アジーブが物語にうっとり聞きほれながら言うと娘はこう答えた。

「この宮殿に伝わる四十の物語は、一度聴いただけでは整合性を欠いているようにおもえますし、明快な解答を得られるほど親切なものではございません。 それでも物語にかけられた魔法は、自分の見たいと思うものだけではなく、見たくないと思っているものを見ようとして片目を少しひらいたとき、同時に解ける仕掛けとなっている、と伝えられております。 いつの日か、その魔法のとける日まで。 四十の物語はご主人さまの人生に寄り添って何らかの示唆を与えてくれると存じますわ」

 翌朝になると、涙にほおをぬらしながら三十九人の娘たちが部屋に入ってきて、口々に言った。

「しばらくお別れですわ、ご主人さま。 わたしたちはここを出ていかなくてはなりません」

四十人の娘たちは諸王の娘で、おつとめを果たすために一時的に国に戻るので、四十日のあいだ宮殿を離れなければならない、ということだった。 アジーブは宮殿のすべての扉の鍵を渡され、娘たちの留守のあいだ好きに過ごして待っているように言われた。 こんな警告とともに。

「ただし黄金の扉だけは開けてはいけません。 黄金の扉を開けたら二度とお会いできなくなります」

 ロック鳥が四十人の娘たちを諸国に送り届けたあと、アジーブは百年の孤独を味わう気分だった。 さびしさをまぎらわすため宮殿の扉を開けてまわると、宮殿に伝わる四十の物語そのままの景色があらわれてきた。

 第一の扉は、聞いたこともないような珍しい果実が色づく果樹園だった。 第二の扉は、本来なら別々の場所で異なる季節に咲くはずの花々がいっせいに咲き乱れる花園。 第三の扉は、この世のものとは思えぬほどの鳥たちの調べが響きわたる百鳥園といったように。

 アジーブは一日に一つずつ宮殿の扉を開けてそのひとときを楽しんだ。 そして四十日目になったとき、決して開けてはいけないと言われた黄金の扉だけが最後に残っていた。

<<私はまだ黒色の天馬を見ていない…>>

 好奇心を抑えることができなくなったアジーブはついに禁断の扉を開けた。 部屋からただよう濃厚な香りに耐え切れず、気が遠くなってその場に倒れたものの、目が覚めたとき、アジーブの眼前には美しい毛なみをした一頭の黒馬が立っていた。 四十人目の娘が話していたとおり、見事な細工のほどこされた黄金の鞍をつけている。

<<これがそれに跨る者は世界のすべてを手に入れるという黒色の天馬か…>>

 アジーブがその黄金の鞍にまたがると、黒色の天馬は翼を大きく広げて天高く舞いあがろうとした。

「これで世界のすべては私のものだ!」

アジーブがそう叫ぶやいなや、天馬はアジーブを鞍から振り落とした。 そのとき天馬の尾が鞭のようにしなり、転がり落ちていくアジーブの右目をしたたかに叩いた。

 アジーブはこうして片目を失った。

参考:ガラン版アラビアンナイト第五十六―六十二夜『王の息子である第三の遊行僧の話』


できれば見たくなかったものを見なければいけないとき、片目を少しひらく勇気を持ち合わせている人間はほとんどいない。 たいていの人々は両眼をつぶったまま生きている。

(2017.4)


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