こうした四十五歳の生態について、田口ランディさんの『人生二十九歳変動説』には、「それまで全く興味のなかったものに狂ったように魅かれたりする」という40歳代特有の現象が報告されている。
田口ランディの『人生二十九歳変動説』〜四十歳代の迷い〜
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この四十歳代の迷いというのは、身体の変調という形で表出したり、もしくは女性(あるいは男性)に恋をしてしまう……というような形で現れたり、それまで全く興味のなかったものに狂ったように魅かれたりするのだが、とにかく心と身体が動揺し、その経験によって、本当に自分が望んでいる生き方とはどんなものかを再確認し、それが完了すると五十歳から「奉仕」というものを仕事の中心に据えて生き始めるようなのである。
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田口ランディ『馬鹿な男ほど愛おしい』P.150-151「人生二九歳変動説」
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ひょっとするとこれは、25歳で本屋の店主におさまってご隠居気分だった早川義夫が、45歳になってから唐突に「空いっぱいに夢を描きボクはじいっと待っていた」と歌い出したように、45歳になると自分の生まれてきた目的を突然思い出し、それをなんとか果たそうとするのではないだろうか。
この点について、20世紀最高の心随観の教科書― M・ベイン『解脱の真理』シリーズ ―には、著者のM・ベインが大師からこんな風に告げられる場面がある。
呼ばれるものは多いが招かれるものは少ない
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何ひとつ偶然に起こるものはないのだよ。
呼ばれるものは多いが招かれるものは少ないものでね。
君は君自身の生まれてきた目的に従ってこれまでやってきたのだ。
しかしその通りにする人はめったにいない。
俗世間に呑み込まれてしまうのだ。
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M・マクドナルド・ベイン『解脱の真理』-P.322「第11章 隠者様の説く解脱の真理(一)・霊体移動」
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45歳を迎える以前の段階で、すでに俗世間に呑み込まれてしまっていたにもかかわらず、それでも自分の生まれてきた目的を果たそうとする行き場のない本能。
それが四十五歳におけるミッドライフ・クライシスの原因なのかもしれない。
そういえばシンガーソングライターの斉藤和義が45歳で放ったヒット曲があった。
地球儀を回して世界100周旅行
キミがはしゃいでいる まぶしい瞳で
光のうしろ側 忍び寄る影法師
なつかしの昨日は いま雨の中に
やさしくなりたい やさしくなりたい
自分ばかりじゃ 虚しさばかりじゃ
サイコロ転がして1の目が出たけれど
双六の文字には「ふりだしに戻る」
キミはきっと言うだろう「あなたらしいわね」と
「ひとつ進めたのならよかったじゃないの!」
強くなりたい 強くなりたい
我慢ばかりじゃ 誤魔化しばかりじゃ
愛なき時代に生まれたわけじゃない
キミに会いたい キミに会いたい
愛なき時代に生まれたわけじゃない
強くなりたい やさしくなりたい
(斉藤和義『やさしくなりたい』より)
この『やさしくなりたい』は「愛なき時代に生まれたわけじゃない」「キミに会いたい キミに会いたい」というサビの悲痛な歌詞が印象的な歌で、こういうことは30代で体験しておくべきことだ。
45歳まで生きてきて自分の生まれてきた目的を思い出したのに何も準備できていなかった…というのはできれば避けたいものである。
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