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【坐禅作法111】蟻と蜻蛉

ちょっとはマシな坐禅作法 蟻と蜻蛉〜養心門2〜

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〜養心門2〜


電脳山養心寺公案集 養心門 第四則 蟻と蜻蛉

人間には意識レベルの相違がある。

たとえ同じ言語を話していても、その相手と意識レベルが違っていれば意思の疎通ははかれないものだ。 人が何年も生きている間には、住んでいる世界の違いを痛感する体験を少なからず経験してきていることだろう。

この世には人間のつくった仕組みよりもはるかに深遠な仕組みがある。 「類は友を呼ぶ」という諺(ことわざ)のとおり。 この世には同じ意識レベルのもの同士が引かれあうという仕組みがあり、それによって“みえない身分制度”がたしかに形成されているのだ。

そのみえない身分を越えて意思の疎通をはかろうとしても、それはほとんど不可能に近い。 ところが人間の作った社会の仕組みはそれを考慮したものにはなっていないため、みえない身分制度に対する感性は万人均等に与えられてはいないのだ、という現実を忘れたら、とかくこの世は生きづらいものとなるだろう。

そこで仏教には、そうした意識レベルに応じて、人間を上根機、中根機、下根機の三種類に区分する概念があり、たとえば中根機と下根機が出会うとこのようなことが起こる。

電脳山養心寺公案集 養心門 第四則 蟻と蜻蛉(アリとトンボ)


蟻(アリ)が身の丈よりも大きな虫の死骸を運んで花の下を通っていたとき蜻蛉(トンボ)が飛んできてその蜜を吸った。 蜻蛉は軽やかに飛び去り、またすぐに戻ってきて、再び蜜にたかった。 そこで蟻は蜻蛉に苦言をていした。

「おまえは無計画に努力することなく生きているようだが、私は違う。 こうして来たるべきときのために毎日備えを怠らない。 備えあれば憂いなしだ。 何ら計画らしいもののないおまえにとって生きている価値などあるのか?」

蜻蛉は答えた。

「わたしは気ままに楽しく暮らしている。 それがわたしの生きる道だ。 計画など持たないのがわたしの計画なのだ。 余計なお世話だ」

その瞬間、駆けてきた人間の子供に捕らえられた蜻蛉は握りつぶされて死んでしまった。 蟻は蜻蛉の死骸を巣へ引きずっていきながら思った。

「この蜻蛉は自分の生き方に自信を持っていたようだが、それははかないものでしかなかった。 しかし、私がそのことを忠告しようとしたとき、彼は私のことを人の楽しみを邪魔する不愉快な奴だとしか思わなかったのだ」

参考:イドリース・シャー編『スーフィーの物語』P.117-119 32―蟻と蜻蛉


人間の作る社会は過去の成功パターンを踏襲して社会の仕組みを構築している。 過去は確実なのに未来はあくまでも不確実でしかない。 だから過去を踏襲することで人々は不安を解消しようとするのだ。

しかしながら時代や状況が変われば成功パターンも変わってしまう。 つまるところ、過去を踏襲して構築した仕組みなんてものは虚構にすぎないのだ。 けれども人々はその虚構を維持するために莫大な投資を続けなければ気が済まなくなっている。 そのため社会の仕組みが虚構にすぎないと暴露されることを人間社会はひどく懼(おそ)れてもいる。

そこで人々は、その仕組みに盲目的にしたがって生きようとする者に対してのみ、“存在証明―アイデンティティ―”を付与するのだ。 そうして人は社会から存在証明を付与されると安心し、剥奪されると不安になるように飼い慣らされていく。 すなわち立派な社会人とは、社会から与えるらる存在証明に依存して、過去の虚像を生きているだけの“昏睡状態の豚”にほかならない。 この公案において蜻蛉の語っている言葉は、そんな過去に依存して安心を買っている凡人たちの言葉だ。

そういう過去志向の凡人が下根機なのである。

その一方で社会から付与される存在証明を突き返す覚悟を決めた者たちもいる。 存在証明の危機―アイデンティティ・クライシス―を乗り越えて、未来を志向しはじめた者たちだ。 彼らはその代償として社会に対する反逆者とならざるをえない。 この公案において蟻の語っている言葉は、そんな未来を志向して生きている反逆者たちの言葉だ。 しかしながら寄りかかるべき過去の虚像を持たない彼らは常に将来不安を抱えている。 そのため計画を立て未来に備えずにはいられない。

そういう未来志向の反逆者が中根機なのである。

赤雲水

電脳山養心寺公案集 養心門 第一則 蟻と蝶

黒雲水

そんな中根機と下根機の住んでいる世界はまったく違う。 話す言葉の質もまるで異なっている。 だから中根機による下根機に対する忠告は虚しく響くだけとなってしまう。 それと同じことは上根機と中根機が出会ったときにも起こる。

電脳山養心寺公案集 養心門 第一則 蟻と蝶(アリとチョウ)


蟻(アリ)が身の丈よりも大きな虫の死骸を運んで花の下を通っていたとき蝶(チョウ)が飛んできてその蜜を吸った。 蝶は軽やかに飛び去り、またすぐに戻ってきて、再び蜜を吸った。 そこで蟻は蝶に苦言をていした。

「おまえは無計画に努力することなく生きているようだが、私は違う。 こうして来たるべきときのために毎日備えを怠らない。 備えあれば憂いなしだ。 何ら計画らしいもののないおまえにとって生きている価値などあるのか?」

蝶は答えた。

「わたしは気ままに楽しく暮らしているの。 それがわたしの生きる道。 計画など持たないのがわたしの計画なの。 余計なお世話よ」

その瞬間、駆けてきた人間の子供に踏まれて蟻は死んでしまった。 蝶は蟻の死骸を上から眺めながら思った。

「この蟻さんは自分の生き方に自信を持っていたようだけど、それははかないものだったのね。 でも、私がそのことを忠告しようとしたとき、彼は私のことを人の楽しみを邪魔する不愉快な奴だとしか思わなかったのよ」


この公案の蝶は上根機だ。 たしかに下根機の蜻蛉と同じ言葉を語っていて、どちらも将来不安を抱えていないようにみえる。 けれども、そこには質的違いがあるのだ。

この蝶には女性的な受容性がある。 人生に起こることすべてを受容する用意があり、もはや蜻蛉の抱えている“過去依存”も蟻の抱えている“将来不安”もない。 すでにその両方を落としてしまっているからだ。

そうした心構えがあって、はじめて人は内からの自然な衝動にしたがって内発的に生きられるようになる。 ただ<いまここ>にわきあがる感応にしたがってあるがままを生きること―それがわたしの生きる道―となるのだ。 この公案において蝶の語っている言葉は、そんな現在を志向して生きている自然人たちの言葉にほかならない。

そういう現在志向の自然人が上根機なのである。

人生に起こることすべてを受け容れる覚悟の決まった上根機の言葉や仕草には、下根機時代の“過去依存”や中根機時代の“将来不安”の影がない。 そこには、えもいえぬ余裕がある。 もしもここに挙げた話頭の蜻蛉のように、下根機のくせに上根機の真似をしてみたところで、それが単なるポーズでしかないことは白日の下に晒(さら)されるだろう。 そんなものでは人間の底意地の悪さを隠すことはできず、それは言葉や仕草ににじみ出てしまうものだからだ。

あるとき、下根機のくせに上根機をきどっていた修行者が、こんな感じのコメントを寄せてきたことがある。

下根機のくせに上根機きどりの男


座禅観行は外道の法…とは六祖慧能もよく言ったもんだ。

知識をいくら集めても何にもならない(他人の役には立つかもしれないが)。 それが全然理解できないのですね。

まあ今までどおりのやり方で、好きにすればいいと思いますよ。 布施さんにはもう一度、シュタイナーの(いか超)を読む事をオススメします。

(それ故もっぱら判断を下してばかりいる人は、そもそも何も学んでいない訳である)

あと俺から一言。

くれぐれも邪魔しないでね
(puffy『これが私の生きる道』より)


中根機から上根機に至る過程では、自分の中に覚醒してきた知性を使って洞察力を磨くことになる。 その段階では、将来不安に打ち勝たなければならないため、より洗練された分別を身につけて、社会システムに対抗する<個>を確立することが課題になるのだ。 しかし、やがて<個>を確立できたとき、そこで身につけた分別を捨て去る季節がやってくる。 そのときになってはじめて人は中根機の段階を卒業して上根機に生まれ変わるのである。 下根機から中根機になり上根機へと意識の変性を遂げていく過程は、芋虫が殻をまとってサナギになり、殻を破って蝶になるようなものだろうか。

この修行者は、下根機のくせに上根機をきどっていたため、そうした意識変性の過程を理解しようともせず、密教的行法による近道を模索して、37-38歳になった頃に発狂した。 コメントの最後にある「くれぐれも邪魔しないでね」とは、まさしく『蟻と蜻蛉』の公案にある下根機の蜻蛉(とんぼ)の言葉そのものだろう。

「わたしは気ままに楽しく暮らしている。それがわたしの生きる道だ。計画など持たないのがわたしの計画なのだ。余計なお世話だ」

この37-38歳で発狂した修行者は、自分の生き方に自信を持っていたようだけれど、それははかないものでしかなかった。 しかし、そのことを忠告されたとき、彼は人の楽しみを邪魔する不愉快な奴だとしか思えなかったのである。

― 近道をしたやつは、その近道につぶされる ―

私は“9歳の運命のクロスポイント”を過ぎた頃から、下根機を抜け出すための運命の課題に挑み、“33歳のぷっつん体験”からは、中根機を抜け出すための挑戦を続けてきた。 意識レベルをひとつあげるだけでも、それなりの時間と忍耐がいるものなのだ。

なにより、己れの立ち位置を見失って、身の程知らずの増上慢になってしまったら、何も成し遂げられないことを忘れてはならないだろう。

(2016.10)

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