トップ写真 ゆんフリー写真素材集

【坐禅作法110】猫婆

ちょっとはマシな坐禅作法 猫婆〜養心門1〜

Presented by

〜養心門1〜


公案の透過

禅の公案は入門者の手に負えるものではない。

『無門関』『碧巌録』『従容録』『葛藤集』

入門者は代表的な公案集すべてにおいて門外漢として扱われることになる。 ところが、そうした現実にも気づけない鈍感な師家もいて、「『無』の字を提(ねんてい)しろ」とか「『隻手』の声を聴いて来い」などと入門に位置づけられている公案をいきなり提示するそうだ。

禅の入門者諸君、そんな無能な師家にはデコピンして帰ってきなさい。

残念ながら、禅には入門者向けの公案集が編纂(へんさん)された歴史はなく、入門段階における話頭はイスラム教圏に優れたものが多い。 殊にイスラムのスーフィズムの成果は21世紀の禅にも取り入れるべきだろう。 スーフィーの導師は伝統的に“たとえ話”を用いて修行者を導く。 そこに深遠な真理を含ませ、その心に疑団(きづき・わだかまり)を植えつけるのだ。

たとえば、こんな風に。

電脳山養心寺公案集 養心門 第一則 蟻と蝶


蟻(アリ)が身の丈よりも大きな虫の死骸を運んで花の下を通っていたとき蝶が飛んできてその蜜を吸った。 蝶は軽やかに飛び去り、またすぐに戻ってきて、再び蜜を吸った。 そこで蟻は蝶に苦言をていした。

「おまえは無計画に努力することなく生きているようだが、私は違う。 こうして来たるべきときのために毎日備えを怠らない。 備えあれば憂いなしだ。 何ら計画らしいもののないおまえにとって生きている価値などあるのか?」

蝶は答えた。

「わたしは気ままに楽しく暮らしているの。 それがわたしの生きる道。 計画など持たないのがわたしの計画なの。 余計なお世話よ」

その瞬間、駆けてきた人間の子供に踏まれて蟻は死んでしまった。


これは20世紀から21世紀を生きた日本の布施仁悟居士によるシュールな話頭。

常識に凝り固まった蟻と常識から自由に生きている蝶を対比させ、最後の「蟻が死ぬ」という衝撃的なオチによって疑団を促す狙いがある。 これがよくある道徳的な物語ならば、なまけものの蝶の方が死ぬはずだ。 もしもセンスのある修行者なら、この物語を読んだとき、己れの常識的判断を疑いはじめるだろう。

こうして修行者の心に疑団(きづき・わだかまり)を植え付けた導師はその疑団が深まるのを待つ。 修行者がみずから疑団を深め、おのずから疑団を起こす大疑団となったとき。 話頭に蔵(かく)された深遠な真理が修行者の肺腑(はいふ)をえぐるのだ。

そのとき修行者は、話頭に蔵された真理を自分の内的体験として透過する。 その真理に対する確信が知的理解としてではなく自分の全存在の中に浸透していく。 この“透過”の起こるとき、その真理は初めて自分のものになったといえる。

本来、公案とはそういうものではないだろうか。

赤雲水

電脳山養心寺公案集 養心門 第二則 猫婆

黒雲水

こうした透過の体験をもたない師家は公案の知的理解だけで終わっている。 禅の修行道場で無能な師家が雨後のタケノコのように量産されるのは、公案の透過の仕方を知らない無眼子(むがんす)のまま導師の資格を与えられるからである。

彼らは、この基本的な話頭すら透過できていないことだろう。

電脳山養心寺公案集 養心門 第二則 猫婆(ねこばば)


昔々、悩みごとを抱えて苦しんでいた婆さんがいた。 婆さんは、ある日、次のような誓いを立てた。

「観音様、もしも私を悩ませているこの問題を解決できたなら、私の家を売りに出し、それによって得られたお金をすべて貧しい人々に施します」と。

やがて問題を解決した婆さんは、家に猫を一匹つけて売りに出した。 そのとき家の対価としては銀貨一枚しか請求せず、かわりに猫の対価として銀貨一万枚を請求した。

かくして家を売った婆さんは、乞食に家の対価である銀貨一枚を渡し、猫の対価である銀貨一万枚は自分のふところにした。

参考:イドリース・シャー編『スーフィーの物語』P.90-91 22―誓い


この話頭は「デリーのランプ」として知られたインドの導師の創作による。 そのナースィル・アッディーン・シャーによると、この話頭の主題は「無意識的ごまかし」にあるそうだ。 話頭の末尾にはこのような教訓が書き添えられている。

― 人の心とはこのように働くものである。 教えに従おうとしながら、自分に都合のよいようにそれを解釈する。 特別な訓練によってそのような性癖を克服しないかぎり、何かを学ぶことは不可能である ―

たとえば、修行者が法句経(ダンマパダ)のこの句を読んだとしよう。

― 実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以ってしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。 怨みをすててこそ息む ―
(法句経5)

ところが、この文句を読んだ修行者が怨みを捨て去ることはほとんどない。 この話頭の猫婆のように、怨みを捨てなくても済む正論を持ち出してきて、無意識的に心をごまかそうとするからである。 ために、この法句経の文句はほとんどの修行者にとって、いつまでも知的理解に留まってしまう。 「怨みをすててこそ息む」という真理を自分の内的体験として透過することがないのだ。 そんな風に無意識的に本心を偽って生きているうちは何も学べない。

もしもこの話頭を透過できるとしたら、自分の中にいる“猫婆”に気づいたときだけだろう。 それが疑団の起こる最初の瞬間である。 しかし、その疑団はさらに深められなければ何の意味もない。 何度も首をもたげてくる猫婆を観察し続けるのだ。 それは、もう、何度でも。 すると、やがてそれが大疑団になるときがやってくる。

― 疑い来たり、疑い去って、疑わざるに、おのずから疑う大疑団 ―
(高峰原妙禅師[中国・元代の僧])

自分の中にいる猫婆を根絶する覚悟を決める瞬間、それが大疑団だ。 まもなく心の中にいる猫婆が暴露され消えていくことに気づくだろう。 こうして無意識的に本心を偽って生きることをやめたとき。 はじめて修行者は内的体験として公案を“透過”するのだ。

こうした己れの本心をごまかさずに観察する内的体験こそ禅門唯一の玄関である。 禅の入門者諸君、公案の“透過”の仕方をみずから体験してみるがいい。

(2014.12)

矢印マーク スーフィーの物語―ダルヴィーシュの伝承

これは、いわばイスラムの公案集
声聞道用の公案集は今のところコレしかない


肴はとくにこだわらず厳選情報

HPランキング参加中!

凡人たちにも本物のスピリチュアルを!

ワンクリック運動に参加しませんか?

ブッダの瞑想法―ヴィパッサナー瞑想の理論と実践

坐禅入門の決定版!

心の欠陥を克服する唯一最善の方法は坐禅・瞑想を実践することです。そして、この本以上の坐禅・瞑想の入門書を私は知りません。

聖書―旧約・新約

伝道の情熱を読みとれる貴重な一冊

イタリア人神父が丁寧に日本語訳した聖書。聖書は坐禅修行にも必ず役立つ。かりそめにも軽んじてはならない。

ブッダの真理のことば・感興のことば

こなれた現代語で読める法句経

私の仏教に対する誤解は この本で初めて解けました。

白隠禅師―健康法と逸話

坐禅と気の関係を明かした本

内観の秘法と軟酥の法は坐禅の基本。白隠禅師の『夜船閑話』と『遠羅天釜』で ちょっとはマシな坐禅をしよう。

5つのチベット体操-若さの泉・決定版

これはエクササイズの革命だ!

たった5つの体操を毎日続けるだけで体調は良くなるわ、痩せるわで驚きの効果が・・・!?食事に関するアドバイスも実に簡潔で的を得たもの。これはエクササイズの革命だ!

決定版 真向法

チベット体操と併せてどうぞ。

たった4つの体操を毎日続けるだけで怪我を予防するための柔軟な筋肉を作れます。チベット体操と併せてどうぞ。

魂をゆさぶる禅の名言

何にもならない坐禅はやめよう!

坐禅は単なる心の慰めではありません。坐禅を人生に役立てるための智慧がここにあります。救いのある仏教の入門書。