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【坐禅作法109】青春の影

ちょっとはマシな坐禅作法 青春の影〜アニムスの歌を聴け10〜

Presented by

〜アニムスの歌を聴け10〜


守れそうにない約束

ある種の言葉はいつまでも人の記憶に残る。

ボクの遭遇してきた十代の女の子たちは、ときに手旗信号のように無駄をそぎ落とした語法で、暗示的な言葉を口にすることがあった。 たぶん本能的に。 そういうとき、その場の雰囲気に呑(の)まれたボクは、催眠術にでもかけられたかのように思いもよらない返事をしてしまうのだ。 そのときもそうだった。

「わたしはね。あなたが、どんな人と付き合って、どんな人と結婚するのか、すごく興味があるの。 あなたね、絶対に同窓会、出てくるのよ。 いい、わかった?」

それは高校の美術室での出来事で、絵はリラックスした空気の中で描くべきだ、という教師の方針のもと、賑やかなおしゃべりが始まることもあった。 美術の授業を選択した生徒は指で数えるほどしかいなかったこともあり、そこには割と打ち解けた雰囲気があったのだ。 彼女がこの言葉を投げてきたのは、2号の噂話が終わった直後のことで、それ以来、2号の存在がボクの意識に割り込んでくることになった日でもある。

とはいえ、すでに早稲田大学を目指していたボクは、合格して東京ゆきの切符を手に入れたら札幌には二度と帰ってこないつもりでいた。 おそらくは永久に。 それは片道切符の予定だったのである。 そのため、そのときまっ先に脳裏をよぎったのは、この歌のフレーズだった。

守れそうにない約束はしないほうがいい ゴメンね
(作詞:松本隆 作曲:筒美京平『卒業』より)

ここで「絶対に」なんて約束をしたら後々やっかいなことになる、とおもった。 「君のそういう下世話な興味のために、どうしてボクがそんなものに出なくちゃならないんだよ」と返答することもできただろう。 それにもかかわらず、気がつけば頭で考えていることとは裏腹に、こう答えてしまっていたのだ。

「うん、わかったよ」

それは17歳、高校三年になったばかりの出来事だった。

矢印マーク YUKI’S MUSEUM


 生粋のチェイサー斉藤由貴。
 作詞をさせてみたらチェイサーの心情をいきなり書き始めたという人で、なにをかいわんや『正しいチェイサーとの出会い方』を男の子たちに指南するのが彼女の歌手活動の主題だったのだ。 『卒業』がデビュー曲というめぐり合わせは決して偶然ではありません。
 当時、彼女のファンにならなかった男の子はロクな男になってないとおもう。

赤雲水

四二歳前後の恋の迷い

黒雲水

時は流れ…ボクの周りで奇妙な現象が起こりはじめたのは40-42歳の大厄に入ってからのことだ。

40歳になった年の6月に東北を巡るツアー旅行に参加したのだけれど、そのときのバスガイドが中学生のときに村上春樹の『ノルウェイの森』を貸してくれた女の子にそっくりだった。 それはただ似てるなんてものではない。 気持ち薄めの唇に、愁いを含んだ瞳や、外股に構えたちょっと無骨な歩き方、それから、聴く耳が後を追いたくなるようなキュートな声まで。 何から何までそっくりで、彼女が成長したらこんな感じだろう、と容易に想像することができた。

彼女とは、何度かデートをして、便りも何通か交換した仲だったのだけれど、友達以上の関係にはならなかった。 いわば彼女は、セックスシンボル的に魅了された最初の女の子で、「理想の女性は?」と聞かれたら、まず一人目に挙がるはずの存在だったのだ。 ところが、そのツアー旅行を終えたとき、彼女への憧憬や未練みたいなものが跡形もなく消えていた。 実はたいして好みでもなかったことを再認識したからだ。

正師・秀爺がその年の1月に“覚者”を名乗って告げてくれた予言の意味を理解しはじめたのは、そのときだとおもう。

正師の予言


JINGOよ、落ち着くのじゃ、そなたは、まだ俗世間には慣れておらんのじゃろ?

世の中にはまだまだ色々な人がおる。 今度はそなたがその目で会って確かめるのじゃ!

その先にそなたを待つものがおる。 ずっとそなたを待っておる。

迷わず進め、行けばわかるさ!!時はきた!!

2014年1月29日のコメント


ここで「ボクをずっと待っているもの」というのは、過去に出会ったことのある女の子のうちの誰かと関係あるらしい…。

また、東北旅行で体験したバスガイド・ショックは40-42歳の大厄における運命の課題の一つであることもわかってきた。 ヒントをくれたのは田口ランディさんの『人生二十九歳変動説』である。

田口ランディの『人生二十九歳変動説』


私は十年間、編集者をやってきて、数多くの文化人、名士、タレントさん、学者さんなどなどに、取材という名目で会ってきた。 で、その経験を通して、とても不思議に思うことがあったのだ、それを私は「人生二九歳変動説」と呼んでいる。

いろんな人の話を聞くと、かなりの確率で……というか、びっくりするような確率で、二九歳で人生の転機を迎える人が多いのである。 二九歳には何かある、とつねづね思ってきた。 そういえば、ブッダが出家したのだって二九歳だった。

この二九歳の転機というのは、その人の天職というものと非常に深く関わっている。 二九歳で、自分の価値観や、携わっている行為に対して疑問を持ち、そして疑問を解決すべく行動した人はその後、三二歳の時に別の転機と遭遇するのだ。 で、この三二歳の時の転機が、自分の天職を決めていく。 その後、三五歳、三八歳と順調に自分の人生の意味を見いだし、四二歳前後で迷いが出る。

この四十歳代の迷いというのは、身体の変調という形で表出したり、もしくは女性(あるいは男性)に恋をしてしまう……というような形で現れたり、それまで全く興味のなかったものに狂ったように魅かれたりするのだが、とにかく心と身体が動揺し、その経験によって、本当に自分が望んでいる生き方とはどんなものかを再確認し、それが完了すると五十歳から「奉仕」というものを仕事の中心に据えて生き始めるようなのである。

田口ランディ『馬鹿な男ほど愛おしい』P.150-151「人生二九歳変動説」


四二歳前後の恋の迷い…それは神託のような既視感(デ・ジャ・ヴュ)を伴ってやってくる。

たとえば、過去に強く魅かれた女の子が夢の中に何度も登場したり、現象世界でもそっくりな女性がメッセージ性を持って現れたりする。 そうして、もつれた記憶と感情の糸を解きほぐすように過去に出会ってきた女の子を一人一人消去していくのだ。 もしもそこで判断を一歩間違えれば、憧憬や未練の錯綜(さくそう)する出口の見えない袋小路にはまってしまうだろう。

こうして「ボクをずっと待ってる女性探しゲーム」が幕を開けた。

その女性の存在は、4号とひとつ屋根の下で暮らして、小さな共通項を一つ一つ積み重ねていくのとは別のところから、ふいに浮上してきたようなものだ。 そのため、このゲームに参加する動機には誰かに説明して納得させられるような筋道なんてものはない。 ただ、そこには強く引きつけられずにはいられない理不尽な重力みたいなものがあったのだ。 重要なのは、自分が今まさに巻き込まれようとしている理不尽な重力には何か特別な意味があるはずだということであり、ボクはその“何か”を知りたかった。 それはボクをずっと待っている女性に対する興味と同じくらい強い動機だったような気がする。

矢印マーク 『馬鹿な男ほど愛おしい』

「人生二九歳変動説」だけでも値千金のコラム集


ボクをずっと待ってる女性探しゲーム

まず最初に、しっかり破局しているという理由から、大学時代の彼女の3号を消してしまい、その次に消したのが4号だった。

40-42歳の大厄を迎える頃になるとボクの才能は“ひとりの天使”を必要とするようになっていた。 ボクの才能の価値を認め、その創造性に翼を与えてくれる“ひとりの天使”の役割を4号に求めるようになっていたのだ。 でも、ボクらはレタスとキャベツが結婚したみたいにバラバラだった。

男女ばらばらではどちらもが苦しむことになる


女性的な原理は受容的であり、男性的な原理は創造的だ。 そしてどちらも手を携えて進むしかない。 ばらばらでは、どちらもが苦しむことになる。 そうなったら女性には受け取るものが何もなく、虚しい気持ちになる。 一方、受け取ってくれる相手がいないと、男性の創造性は失われてしまう。 その価値を認め、励ましてくれる人がいないからだ。 女性は受け取り、励まし、男性が創造性を発揮するのを助けてくれる。 男性の創造性は女性が受容性を深めるのを助けてくれる。 この女性の受容性はたんに生物的なものではなく、霊的(スピリチュアル)なものでもある。

和尚『黄金の華の秘密』-P.549「第十五話 かわず飛び込む水の音」


そもそも4号というのは本を読む習慣がなかったため、ボクの創作する文学にまったく興味を示してくれない。 そのため、そばにいて読んでくれる人がいなかったら本なんか書かないほうがましだ、という気分にいつもさせられる。 たしかに4号はボクの文章修行をずっと支えてくれた。 でも、ボクに与える翼を彼女は持っていなかったのである。

矢印マーク 黄金の華の秘密

和尚は経典の解説をしているようでいて、実は心随観のコツを伝えている。 中国道教の真髄『太乙金華宗旨』で学ぶ心随観。 これは、いいね!


その次に消しにかかったのは1号だった。 彼女は“9歳の運命のクロスポイント”を過ぎた頃にあらわれた初恋の相手なのだけれど、その1号のおかげで、ボクの心には一定の空間ができていた。

それはたとえるなら、自分の店を構えたばかりのコックが、いつかそこに招待したい女性が訪れたときのために、レストランの一等見晴らしのいいテーブルにいつも予約済みの札を立てておくようなものだ。 ボクの心の中にあるその予約済みのテーブルは、いつか自分の創造力を最大限に発揮したときにあらわれる“ひとりの天使”ために設けられたテーブルで、そのときが来るまで、そこはいつまでも予約済みのままなのだ。

1号の消息は、19歳のとき以来、途絶えたままになっていた。 大学1年の冬休みに帰省したとき、泊りがけでスキーに行くことになったのだけれど、中学時代の相棒(バディ)が彼女を呼んだらしく、どういうわけかそのメンバーの中に彼女も入っていたのである。 もしかしたら彼が気をきかせてくれたのかもしれない。 ボクはどうしても1号をデートに誘うことができなかったからだ。 他の女の子なら誘えるのに、どういうわけか1号だけはダメだったのである。

こういうのは、たぶん、“星のフラメンコ症状”とでも名づけるべきものなのだろう。

好きなんだけど 離れてるのさ
遠くで星をみるように
好きなんだけど だまってるのさ
大事な宝 かくすように

君は僕の心の星
君は僕の宝
こわしたくない なくしたくない

だから

好きなんだけど 離れてるのさ
好きなんだけど だまってるのさ

(浜口庫之助『星のフラメンコ』より)

いつか自分の創造力を最大限に発揮したとき、予約済みのテーブルに招待したい女性は、その当時、やっぱり1号しか考えられなかったのだとおもう。 15歳のときに街中でばったり会って以来、うまく手を切ったつもりでいても、何度席替えをしても隣り合わせになったという“わざとらしい偶然”を体験している。 なにか因縁めいたものを感じずにはいられない相手だったのだ。

だから、遠くで星をみるように、大事な宝をかくすように、離れて黙ってみている。 ボクにとっての1号というのは、そんな存在だった。 高校時代に学校の女の子には目もくれず、ただひたすら受験勉強をしていたのも、そのせいだったのかもしれない。

きっと、あの大学1年の冬休みに会っていたら「もしよかったら待っていて欲しい」なんてことを冗談めかして口走っていたんじゃないだろうか。 でも、当日、彼女は来なかった。 風邪をこじらせて高熱が出てるとかで来れなくなったのである。

おそらく、それで良かったのだろう。 振り返れば、初恋の1号は、“ひとりの天使”の真相をヴェールに包んでおくための遮蔽幕(しゃへいまく)として現れていた気がする。 4号がアニー・ウィルクスの役割を担っていたように、なにか因縁めいたものを感じた1号も何らかの役割を担っていたのだ。 よく言われるように、初恋というものはやはり成就しないことになっているらしい。

矢印マーク UNITED COVER

2001年―井上陽水53歳のカバーアルバム
『星のフラメンコ』『花の首飾り』収録


そうして2号が最後まで消えずに残った。 たった一度しか会話をかわしていない2号は、本来なら真っ先に消えていいはずの存在である。 それでも2号を最後まで消せなかったのは、おそらく、思春期のボクが最も魅了されたからだろう。 それも猛烈でわいせつなまでに。

男性が女性に魅了されたときに生まれる恐怖は、劣等感を刺激して、その慕情を嫉妬心― ジェラシー ―にすり変えてしまう。 ツインレイのカラクリは、その嫉妬心に巻き込まれなくなってから結ばれるための運命の課題である、と解釈するなら、その意義をすっきり説明できる。 ツインレイのカラクリを調べ始めてからのボクは、かつて2号に対して抱いていた憧憬がふたたび疼(うず)きはじめ、そこに現実感を与えていくことになった。

たしかにそれは、何万光年も前に消滅して、今では存在しない星の光を夜空に見上げるようなものだったかもしれない。 なにはともあれ、それが輝いているうちはとてもリアルにみえる。 なぜなら、このボクがその星に現実感を与えるからだ。

それでも、ボクの人生の節目の記憶に度々彼女が登場してくるようなことがなければ、むしろ、その星の輝きが消えていくさまを観察していたことだろう。 ところが、そうではなかった。 ボクの2号の記憶は“わざとらしい偶然”をともなって存在していたからだ。 やはり2号というのも、なにか因縁めいたものを感じずにはいられない相手だったのである。

その2号の果たしている役割を教えてくれたのがロバート・ネイサンの『ジェニーの肖像』だった。

矢印マーク 一休道歌 下

風狂の禅師・一休の和歌で学ぶ禅
こいつはイカシテル

青雲水

記憶のトリック

緑雲水

『ジェニーの肖像』では主人公の画家・イーベン=アダムズのもとにジェニー=アップルトンという女性がやってくる。 いつ会えるかはまったくジェニーまかせで、しかもジェニーがやってくるとき、彼女は決まって数年分成長しているのだ。 現実的にはありえない速さで。 つまり、ジェニーはイーベンの住む世界の裏側にあるパラレルワールドの住人で、自分の成長を知らせにイーベンのもとにやってくるのである。

ボクの2号の記憶もまたパラレルワールドから彼女まかせで送られてくる成長メッセージのように点在していた。 まるで、それらの記憶をつなぎ合わせて2号との間の不可思議な縁を信じ込ませるかのように。 もちろん、それは普通ありえないことだとは分かっていた。 そのくせボクは、それを信じてみたのである。 そうやって記憶のトリックに引っかかってみたくなったのは、ひとえに2号への狂おしいまでの憧憬と未練のせいだろう。

するとそれが意外にも意識の飛躍をもたらしたのである。

ジェニーのもたらす意識の飛躍 〜 その一 〜


いままでわたしは、なぜに太陽が毎朝、ふるい日の繰り返しとしてではなくて、新しい一日へとさしのぼるのか、それをふしぎに思ったことはなかった。 あるいはまた、自分がしたと思っていることのどれだけが、はたして実際に自分のしたことなのか、疑ってみたこともなかった。 この地上では、われわれは、われわれの無知、われわれの無邪気さにたいして、十分なだけの感謝をしていないかのようである。

ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像(偕成社文庫4028)』P.132「11 ペーメット川の絵の前で」


おそらく2号は、ボクに成長メッセージを送るつもりなど一切なく、自分勝手に成りゆきまかせで行動していただけだろう。 ボクだって別に2号の追っかけをやっていたわけではない。 それなのに、誰かが彼女の出ている番組にチャンネルを合わせ、その時間帯にテレビの前にボクを座らせたのだ。 あたかも「彼女の人生の節目を観ておけ」とでも言うかのように…おかしな話だ。 でも、それらの“わざとらしい偶然”に注意を払ってみると、こういう疑問が湧きあがってきたのである。

― 人間が、自分がしたと思っていることのどれだけが、はたして実際に自分のしたことなのだろうか? ―

これはちょっとした自我の崩壊なのだ。

すべては起こっている 何も為されてはいない


すでに起こっていることを、あなたは自分がやっていると考える。 起こることを、やることへちょっと翻訳するだけで、エゴはつくられる。 見守りなさい。 そして、自分が何かやっていると感じるたびに、「それは起こっている」と翻訳するがいい。 「それは起こっている」と読みなさい。 そうすればエゴは消える。

すべては起こっている。 何も為されてはいない。 為す者も、為されるものもない。 それはすべて起こっている。

和尚『一休道歌 下』-P.330「第6話 永遠に生きる炎」


こうして、すべては起こっている、何も為されてはいない、という洞察が生まれて、自我の崩壊の口火が切られると、どこかに自分よりも偉大な“無限の宇宙”の脚本があり、その舞台劇における一人の役者として、自分たちが行動しているように思えてくる。 自分はその役分をできるかぎり完璧に演じればいいという意志がわいてくるのだ。

それが可能になるのは、“わざとらしい偶然”による記憶のトリックが“愛”の存在を信じさせてくれるからであり、それがまた“無限の宇宙”や“神”や“道(TAO)”といった“彼方なるものの一瞥”をもたらすからである。

愛は彼方なるものの一瞥を与えてくれる


人が神のことを考えるのは、愛が一瞥を与えてくれるからだ。 人が神のことを思うのは、愛が希望を与えてくれるからだ。 人が神についてどうしても考えずにいられないのは、愛が欲求不満をもたらすからだ。 希望はすべて絶望に変わる。

愛がなければ、神の探究はありえない。 なぜなら、そのとき人は希望や意味や、意義や高遠なるものの体験を少しも味わうことがないからだ。 愛はあなたに彼方なるものの一瞥を与えてくれる…。

しかし、それに執着してはならない。 それに手掛かりを得て、より以上のものを探し求めなさい。 探究を続けなさい。 愛を踏み石として使うのだ。

和尚『一休道歌 上』-P.92「第2話 炎に飛び込む蛾」


そうした“彼方なるものの一瞥”は、自分は全体から分離しているという孤立感を雲散霧消(うんさんむしょう)させる力を持っていた。

ロバート・ネイサンは『ジェニーの肖像』の中で、それをこんな風に表現している。

ジェニーのもたらす意識の飛躍 〜 その二〜


わたしがジェニーにあこがれるのは、そんなとき、世界の美しさが、わけてもわたしの胸にかげをおとす、こんなときだった。

それにしても、ある説明しがたい状態のために、わたしはさびしくはなかった。 なぜならわたしは―いままでもいつだってそれを持っていたのだけれど―ひとりぼっちではないという感じをもっていたからだ。

世界とジェニーとわたしとは一体であり、名づけがたいひとつの結びつきにおいて、えもいえぬある点において、結ばれているという感情である。

ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像(偕成社文庫4028)』P.132「16 この世界は美しい」


ここで言っている「自分は独りぼっちではなく世界とえもいえぬある点において結ばれている」という洞察に達したとき、己れの運命に対する信頼が生まれ、もはや来たるべき運命に対して身構えたり、緊張しなくて済むようになっていた。

それまでは、未来を志向するようになった33歳の“ぷっつん体験”のときから、ずっと将来不安に悩まされていたはずなのに、それが日を追うごとに落ちていく。 こうしてボクの意識はいよいよ現在を志向できる地点まで飛翔していった。

分離感を落としたとたん問題は永遠に溶け去る


私たちが震えや恐怖を引き起こしている。 <存在>から切り離されているというその思いがそれをつくりだしている。 この分離感を落としたとたん―自分は切り離されていない、けっして切り離されることもないし、分離など起こりようがない、自分は全体の一部であり、元から全体に組み込まれている、自分は全体のなかにあるし、全体は自分のなかにあるということを見た瞬間―問題は解消し、永遠に溶け去ってしまう。

和尚『黄金の華の秘密』-P.457「第十三話 霊的な仙薬」


そして気がつけば…ボクの内的体験は『ジェニーの肖像』のあらすじと奇妙なまでに符合していたのである。

どうやら2号はジェニー=アップルトンの役割を担っているらしい…。

たしかに、その点に気づいたまでは良かった。 けれども、その事実に直面すればするほど、ボクはこの物語の結末から逃げ出したくなってきた。 この物語ではジェニーとイーベンが一緒になることは終(つい)に叶わないからだ。 ジェニーは乗っている船の上部甲板(かんばん)から投げ出され、イーベンは波間に消えゆく彼女を暴風雨の中で見送らなければならなくなる。

『ジェニーの肖像』には、こうした顛末をあらかじめ知っているかのように、ジェニーがこんな告白をする場面がある。

ジェニーのもたらす意識の飛躍 〜 その三〜


「イーベン」彼女はまもなく、息をころした奇妙な声で話しかけた。
「人間はときたま、さきのことがわかると思わない? ―というのは、自分の身にどんなことが起ころうとしているかってことよ。 どう?」
だが、わたしは仕事をしていて、自分のしていることだけに頭をうばわれていた。 でなければ、わたしは手をとめて、そして考えこみ―おそらくはこの質問に当惑させられて、ぜんぜん答えられなかったことだろう。 だが、そういう状態だったので、わたしはただ半分耳をかしているだけだった。 そして、考えもせずに答えた。
「そんなばかなことはないさ」
ジェニーは一瞬だまっていたが、やがて、のろのろと、「わたしにもよくはわからないの」といった。
「はっきりそうだとはいえないの。 でも、ときおり、なんということもなく―まだ起こってもいないことのために―悲しい気持ちになることがあるのよ。 たぶんそれは、これから起きようとしていることのせいなのね。 たぶん、わたしたちは、それを知っているんだけれど、自分でそれを認めるのがこわいだけなのね」

ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像(偕成社文庫4028)』P.128「10 若い心の秘密」


どんなに美しい絵画も年月とともに色褪(あ)せる。 この地上に永遠の美などというものは存在しないのだ。 そして愛もまた然り。 それは束の間のものであり、短い命であり、一場の夢にすぎない。 永遠の愛なんてものをこの地上に求めてはいけないのである。

きっとボクらは、それを知っているのだけれど、自分でそれを認めるのが怖いだけなのだ。

この地上には永遠の愛などありえない


私たちはこの生の無常を見たくない。 私たちは執着したい。 私たちはこれは永続すると信じたい。 あなたは、ある女性に恋をすると、それが永遠に続くものになると信じたい。 だが、あなたは知っている。 誰もが知っている。 この地上には永遠なるものなどありえない、と。

あなたは知っている。 だが、あなたは自分が知っているということを知りたくない。 あなたはそれを隠したい。 あなたは「他の者たちには起こらなかったかもしれないが、私には起こるかもしれない。 私は例外かもしれない」と信じたい。 自分の庭に花が咲くと、あなたは信じたい。 「他の人々の庭に咲く花は枯れても、私の庭の花は枯れない。 神が私にそんなに腹を立てているはずがない。 奇蹟が起こるだろう―私の花はいつまでも残る」と。

だが、奇蹟はない、例外はない。 法則は絶対的だ。

和尚『一休道歌 下』-P.629-630「第12話 存在するただひとつの世界」


おそらく、ぷっつんレディたちと出会ったときから、1号から4号まで一人の例外もなく、誰一人としてボクの予約済みのテーブルに招待する“ひとりの天使”じゃないことくらい、わかっていたのだ。 心の奥底では、はっきりと。 ただ、ボクはそれを認めたくなかっただけなのだろう。 それほどまでにボクは彼女たちに恋心を抱き、そして愛着を起こしていた。 でも40-42歳の大厄を迎えた今、そろそろ、その愛着に決着をつける時節が来ている。

愛は欲求不満をもたらす。 希望はすべて絶望に変わる。 探究を続けなさい。 愛を踏み石として使うのだ…和尚は憎らしいほどに正しい。

「ボクをずっと待ってる女性探しゲーム」

それはぷっつんレディたちに象徴される地上への愛着を壊して、永遠の生に目覚めるゲームでもあったのだろう。

一種の永遠の生がある


別の種類の生がありうる。 はかなさのない生がある。 一種の永遠の生がある。 が、あなたは、このいわゆる生にけりをつけ、この生に対する自分の愛着を壊して初めて、それに達することができる。 そして、愛着が壊れるときには、当然、痛みがある。

和尚『一休道歌 下』-P.631「第12話 存在するただひとつの世界」


高校の同窓会の開催を知らせる葉書が送られてきたのは、そこまで洞察の進んだ42歳6月のことだった。

もしも2号がボクをずっと待ってる女性ではないとすると他には誰も思い当たらなかった。 それがためにボクは2号への愛着を異常なまでに募らせていたのだ。 彼女が最後の砦だった。

この同窓会に参加すれば、ことの真相がいよいよ明らかになるだろう。 とはいえ、あえなく撃沈されるのがこのゲームの筋書きのようだから、それは勝ち目のない戦争を仕掛けるようなもので、結末ははじめから分かりきっている。 まったく気が乗らない。 不参加に丸をつけそうになった。 ちょうど、そのときである。

「あなたね、絶対に同窓会、出てくるのよ。いい、わかった?」

2号がボクの意識に割り込んでくることになった日―美術室で聞いた言葉が頭の中でいきなり響いた。 リストの『ラ・カンパネラ』のように、幾つもの鐘の音が重なり合うみたいに。

<<一体どういうことだ…あのときすでに、この日のボクの迷いが決まっていたというのか?>>

ボクも42歳の半ばを迎え、そろそろ創造の病を卒業して世に出ようとしていた。 たしかに真相をごまかすことが人生の公正な出発にふさわしいとは思えない。 ボクはやむなく参加することに決めた。

それから8月の開催日まではまったく手応えのなかった試験の合否の発表を待っているような日々だった。 きっと2号とかわす言葉を何も見つけられないまま虚しく帰ってくるに違いない。 そんなことになったら、心が痛み出し、声も涙も出ないすすり泣きに変わるまで笑うしかないだろう。 でも、それならそれでも構わない、とおもった。

矢印マーク ジェニーの肖像(偕成社文庫4028)

誤訳が多いという指摘もあるんだけど…
それでもこの山室静さんの翻訳が好きだ
なにより魂が込もってる

愛すべき人を胸の中に見つけたとき
この『ジェニーの肖像』を読むといい
いかに愛すべきかを教えてくれる


真実の愛のしるし―花の首飾り―

総じて昔の級友たちとの再会はあまり気持ちのいいものではなかった。

いわば“青春ごっこ”を現在でも続けて、挑戦と冒険と創造の自由を愛しているボクの生き様は、かつて机を並べて受験勉強をしながら、夢を語り合っていた頃のボクと本質的にはあまり変わっていない。 けれども彼らの意識ときたら、あの時と場所から遠く離れてしまっていたからだ。

「今、本を書いてる。それは一般向けじゃないんだけど、次の作品で勝負に出る」
「でも、それってさ。ほとんど自費出版みたいな感じでやるやつじゃないの?」

高校時代の相棒(バディ)は<<そんな風に普通の生き方から逃避してないで、ちゃんと地に足をつけて生きろよ>>とでも言うかのように答えた。

どうやら彼はボクのような人間を前にすると居心地が悪くなってしまうようだった。 きっと挑戦と冒険と創造の自由を失った自分の劣等感を刺激されるからなのだろう。 27歳以来ずっと会っていなかったから、いくつも話すことがあるだろうと思っていたのに、ボクらはまるっきり違う言葉を話しているかのようで、誰か通訳がいてくれないことには会話が成り立たないような気がした。

彼は警察官として採用されてから、人生の挑戦と冒険と創造の自由を少しずつ引きちぎられ、今ではすっかり過去志向の原始人の世界に足を搦(から)めとられてしまっているのだ。

「公務員試験を受けたいんだけど、どう思う?」

たったそれだけの迷いが人をこれだけ堕落させてしまうこともある。 相棒(バディ)とは、それとない感化をおよぼし合ってきた仲だけに残念でならない。 しかし、かつてボクらのいた時と場所を「昔は良かったね」と失われた楽園のように追憶してみたところで何もはじまらないのだ。 いまさら。

もしも他の誰かを 知らずに傷つけても
絶対ゆずれない 夢が僕にはあるよ
「昔は良かったね」といつも口にしながら
生きていくのは 本当に嫌だから

(槇原敬之『どんなときも。』より)

かつてのボクらには、他の誰かを知らずに傷つけても絶対にゆずれないものがたしかにあった。 ちょうど高校生の頃に流行した槇原敬之の『どんなときも。』は、そんなボクらの所信表明みたいなものだったはずなのに、相棒(バディ)は、いつしか迷い探し続ける日々をやめてしまったらしい。

そしていつか 誰かを愛し
その人を守れる強さを
自分の力に変えていけるように

(槇原敬之『どんなときも。』より)

でもボクは、いつか誰かを愛し、その人を守れる強さを自分の力に変えていけるように、生きてきたのだ。

どんなときも どんなときも
迷い探し続ける日々が
答えになること 僕は知ってるから

(槇原敬之『どんなときも。』より)

ボクらが迷い探し続ける日々の先に見つけた答えとは何だったのか…相棒(バディ)とは、そんな話をしてみたかった。 できれば2号とも。

「ちょっと聞いてみたいことが、たくさんあるんだけど」
「わたしに?」
「うん」

そうやってボクは2号に接触を試みた。 でも、何ひとつ言葉が浮かんでこなかった。

「いや…やっぱりいい」

同じだ。 15-16歳の高校一年のとき、1号と街中でばったり出くわしたときとまったく同じだった。 あのときもボクは何も話しかけられずに帰ってきてしまったのだ。 こういうとき、どうして何もかける言葉が見つからなくなるのだろう。

花咲く娘たちは
花咲く野辺で
ひな菊の花の首飾り
やさしく編んでいた

おお 愛のしるし 花の首飾り

私の首に かけておくれよ
あなたの腕が からみつくように

(作詞:菅原房子・なかにし礼 作曲:すぎやまこういち『花の首飾り』より)

ぷっつんレディたちは、その昔、創造力を失っていたボクの首に「花の首飾り」をかけてくれた。 彼女たちがボクに生きる力をくれたのだ。 だからずっと、生きているうちに、それを返さなければならないような気がしてきた。

花つむ娘たちは
日暮れの森の
湖に浮かぶ白鳥に
姿をかえていた

おお 愛のしるし 花の首飾り

私の首にかけて下さい
はかない声で白鳥は云った

(作詞:菅原房子・なかにし礼 作曲:すぎやまこういち『花の首飾り』より)

そして、やっとの思いで創造の源泉を見つけ出し、いよいよ「花の首飾り」を返すべき時節がやって来ようとしている。 なのにボクは、その誰からも「それを受け取るのは私じゃないの…」と言われてしまった。

<<誰か、この花の首飾りを受け取ってくれる白鳥はいないのか!>>

涙の白鳥に
花の首飾り
かけた時嘆く白鳥は
娘になりました

おお 愛のしるし 花の首飾り

(作詞:菅原房子・なかにし礼 作曲:すぎやまこういち『花の首飾り』より)

どうやらボクの42年間の思いは、実らずに潰(つい)え去り、やがて、はかなくも息絶えるというのが運命の掟らしい。 この蕭条(しょうじょう)たる世の中は、かくもつまらぬものなのか…されど、それが運命というならば、それに遵(したが)おう。

<<ボクはもう帰る…>>

ぷっつんレディたちへの愛着が壊れるときの胸の痛みは、最初の受験に失敗したときの痛みを再び思い起こさせた。 まったく高校というのはロクな思い出を残してくれないものだ。 もしかしたらボクは、30代のどこかで運命のシフトチェンジに失敗していたのかもしれない。

<<やれやれ、また浪人時代からやり直しだ…>>

そうして帰ろうとしたとき、ボクの名前を呼ぶ声がした。 あの美術室の彼女だった。

「あなた、もちろん二次会行くでしょ」
「いや、ボクはもう帰る…」
「何言ってるの、あなたも来るのよ、さあ、いこう、さあ、いこう」

こうして宵の口(よいのくち)からはじまる乱痴気騒ぎにボクも巻き込まれることになった。

矢印マーク 一休道歌 上

風狂の禅師・一休の和歌で学ぶ禅
こいつはイカシテル

桃雲水

恋のよろこび 愛のきびしさ

赤雲水

二次会の会場へ向かう途中で美術室の彼女は言った。

「私は基本的に村上春樹しか読まないの」

どうやら大学に入学してから村上春樹の小説を読み始めたらしい。 ボクはその一言で一気に彼女に惹きつけられた。 村上春樹というのは好き嫌いのはっきり分かれる作家で、それは彼の持っている精神性に拠っている。 村上春樹の読者層は、いまだに迷い探し続ける日々を止めていない年齢層に限られているのだ。 <<こいつはボクと同じ言葉を話すかもしれない>>とおもった。

村上春樹の読者層


今、僕に対してインターネットでメールを送ってくる大部分の人たちは二十代から三十代の前半なんだけど、僕が最初に小説を書いた二十年以上前も、読者層はやっぱり二十代から三十代前半だった。 不思議なことに、年齢層は変わっていないんです。 もちろん読みながら歳をとっている人もいて、四十代五十代の人もいるけれど、コアは二十代から三十代前半。 普通読者というのは、作家とともに歳をとっていくことが多いんだけど、僕の場合そうならないのは、僕の書いてることが、その年代の人たちにとって切実なことだからなんじゃないかな。 正確にはわからないけれど、それはつまり、人が孤独に、しかも十全に生きていくにはどうすれば可能か、ということだろうと思う。

村上春樹インタビュー集1997-2011『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』P.73「『スプートニクの恋人』を中心に」


「お話しよ」

二次会の会場では彼女の誘いに乗ってずっと二人で話をすることになった。 とりとめのない軽口の言い合いにはじまり、高校時代に早稲田大学を目指したきっかけは、村上春樹に打ちのめされて作家の才能をあきらめてからだということ、でも30代になってから再び作家を志して創造の源泉を見つけたことなど。 そんな普通の人となら絶対にしない話を彼女になら自然にできた。 新鮮だった。<<世の中にボクと同じ言葉を話す人がいる>>。

「あなた同窓会なんかに出てくるタイプじゃないでしょ。で、どうして来たわけ?」
「あなたに、絶対出てくるのよ、って言われたからですよ。ボクはあなたに呼ばれたから来たんです」

過去の同窓会は28と38歳のときの二回、10年毎に開催されていて、そのどちらもボクは欠席していた。 どうやら彼女も毎回出席していたわけではなかったらしい。

「ごめん、覚えてない。わたし、そんなこと言ったっけ?」

38歳のときは顔全体にぶつぶつ湿疹が出ていたせいで欠席するしかなかったと言っていたのだけれど、「絶対に出てこい」と命令しておいて「覚えてない」とは何たることかと思った。

「でも、今日は出てきて良かったじゃない。こうしてファンも一人増えたことだし…」
「ん?ああ、そうか」

そうしてボクらは握手をしたのだけれど、彼女は両手で受け支えるようにうやうやしくボクの手を握った。 まるで自分を受け止めてくれる場所がこの世界にちゃんと存在していて、このボクがその場所なのだと確かめるかのように。 きっと彼女も新鮮だったのだとおもった。 彼女と同じ言葉を話す人間なんて世の中にそんなに多くはいないはずだから。

それから、ボクが大学に入学してすぐに絶望してしまった話をしたとき、彼女はこう答えた。

「そうでしょう、そうでしょう。早稲田に行ってチャラチャラやってるタイプじゃないなと思ってたわよ」

とはいえ、当時の彼女はこんな風に言っていたのだ。 「あなた、頑張りなさい。早稲田に行ったらきっとモテるわよ」。 適当なことばかり言われていると思っていたけれど、どうやらボクのことを冷静に見ていたらしい。

そのとき彼女がいつもボクを励ましてくれていたことを思い出した。 まるで<<あなたの中には、とても素晴らしいものがあるとおもう>> とでも言うかのように。 そういえば納得いかなくて首をかしげているボクの絵を褒めてくれたのも彼女だった。 なにか下手なことを言おうものなら去勢されてしまいそうなハリケーン・レディだと思っていたけれど、案外、可愛いところがあったのだ。

やがて二次会もお開きとなり、彼女は「メールアドレス交換しない?」と言ってきたのだけれど、27歳で結婚して今は二人の娘の母だという。 人妻のメールアドレスなんてやっかいなものを知っていたら、後々、困ったことになりそうだから断った。 「近いうちに何かの文学賞を取るから、いまにわかるさ」とでも言って帰ろうとしたところ、またもや彼女に引きずり込まれてしまった。

「何言ってるの、あなたも来るのよ」

矢印マーク 夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

まったく驚いた。
ここには物書きの基本が詰まっている。


そうして移動した先の居酒屋では12人くらいが座卓を囲むことになったのだけれど、彼女は自分の右隣をボクの指定席のような扱いにした。 「こいつ、私しか高校に友達いなかったんだから」というのがその理由で、その言葉をおおげさに繰り返していた。 大きなお世話である。

なんだか将来が不安だ、とたびたび彼女が言うので、君は大丈夫だよ、とボクは答えた。

「ボクの研究によると…」
「ねえ、それ何の研究?」

星まわりの科学を人に説明するときはいつも慎重にならなければならない。 法則から外れて生きている人は激しい拒絶反応を起こすからだ。 でも彼女の場合は問題がないという確信があった。

「ボクの研究だよ、これ当たってるよ。 42歳は大厄って言うでしょ。 そこから人間の運命の明暗ははっきり分かれるんだ。 飛躍する人と転落する人。 でも君の場合は大丈夫、いい人生になるよ」
「どうして?」
「ほら、38歳のときの顔のぶつぶつだよ。 そのとき何があったのか知らないけど…」

ボクがそう言いかけたとき、想い出の小道をたどりながら、彼女はこう言った。

「なんだか…主人が…どこか遠くへ行ってしまったようで…子供たちも…」

彼女はまるでそこに何か見るべきものがあるかのように遠い目をしていた。 一緒に覗き込んでみれば、そこに映っているものがボクにも見えてきそうな気がした。 彼女が自由と孤独を学ぶ38歳からの運命の試練を乗り越えていることを知ったのはそのときだった。

「わかる、わかるよ…君は真っ直ぐに生きてる。 そういうことをちゃんと乗り越えてきてる人が42歳から飛躍するんだ」
「ほんと?」

ボクは大きくうなずき、「いい女になったね」と言いかけてやめた。 でも、彼女ならきっとこの歌の意味がわかるに違いないとおもった。

愛を知ったために 涙がはこばれて
君のひとみを こぼれたとき

恋のよろこびは 愛のきびしさへの
架け橋にすぎないと

ただ風の中に たたずんで
君はやがて みつけていった

ただ風に涙をあずけて
君は女になっていった

(財津和夫『青春の影』より)

この『青春の影』は、時節を告げる預言者・財津和夫が27歳のチューリップ時代に発表して、42歳のときにソロとして再録している歌で、ちょうど42歳のテーマソングになっている。 これは二番の歌詞で女性側の27-42歳における運命の課題を歌っているのだけれど、男性側の運命の課題を歌った一番はこんな感じだ。

君の心へ続く 長い一本道は
いつも僕を 勇気づけた

とてもとても険しく 細い道だったけど
今 君を迎えにゆこう

自分の大きな夢を 追うことが
今までの僕の 仕事だったけど

君を幸せにする それこそが
これからの僕の 生きるしるし

(財津和夫『青春の影』より)

こうしてボクは、そのうち迎えにいくべき女性は彼女なのかもしれない、と思いはじめることになった。 そして、ことの真相が明らかになったのはこの質問を受けたときだ。

「ねえ、村上春樹の一番好きな小説は何?」

文章修行をはじめてからは小説を読んでもすべて解剖分析の対象になってしまっていた。 おかげで、とくに好きな作品はなかったのでこう答えた。

「一番うまいとおもったのは『1Q84』かな」
「あれは全部読んだけど村上春樹の集大成ね。 その次のも読んでみたけどイマイチ。うん、あれは集大成」
「君はあれが集大成だってワカるのか?すごいな」

感心して、本を書いてみたらどうか、と勧めると、彼女は即答してきた。

「いいえ、わたしは書かない」

あたかも、それは私の役割ではないことくらい分かってるでしょう、という口振りだった。 身体に戦慄がはしった。

<<翼だ…彼女はボクの才能の翼を持ってる>>

そうおもったとき、高校生の彼女が何を言っていたのか、坂道を登りきった時に一気に眺望が開けるようにわかってきた。

「あなた、頑張りなさい。早稲田に行ったらきっとモテるわよ」。 彼女はそう言っていたはずなのに、今日あきらかになったところでは、早稲田に行ってチャラチャラやってるタイプじゃない、と内心では思っていたという。 おそらくあれは彼女のおとなしい心遣いの一つだったのだろう。 彼女のせいでボクが立ち停まることのないように、余計なことは何も言わずにそっと送り出してくれていたのだ。 こんな約束を残して。

「あなたね、絶対に同窓会、出てくるのよ。いい、わかった?」

それは、つまり、こういう体のものだったのだろう。

<<あなたの好きなようにやってきてごらんなさい。でも、いつかそのときが来たら、私に会いに来るのよ>>

さっきから冗談めかして彼女が何度も口にしている言葉だってそうだ。

「こいつ、私しか高校に友達いなかったんだから」

彼女は、かくれんぼをしている子供みたいに、いつかはボクの目につくことを期待しながら、遠くからちゃんと見ていてくれたのだ。 これこそ真実の愛のしるし―「花の首飾り」だとおもった。 ずっとボクの首にかかっていた花の首飾りは彼女のものだったのだ。

<<やられた…すべてが巧妙に仕組まれた逆説―パラドックス―だったのか…>>

生とは逆説的なものだ


生とは逆説的なものだ。 人は論理的な心(マインド)をちょっと脇にのけた上でそれを見なければならない。

もしあなたが生き生きとした光り輝く生を求めるならば、それを切り刻まないことだ。 それを解剖しないこと。 それに対して外科医にならないこと。 生とはひとつのロマンスだ。 人は可能な限り詩的なまでに逆説的でなければならない。

和尚『TAO 永遠の大河 1』-P.112-113「第3話 論争の空しさについて」
矢印マーク 財津和夫ワークス〜40周年を記念して〜

『心の旅』『虹とスニーカーの頃』『WAKE UP』
『青春の影』『サボテンの花』
預言者の詩、ここにあり!


今日から僕はただの男

今、あの一夜から一ヶ月が経ち、すべてが以前の生活に戻っている。 あの一件などまるでなかったと信じることすらできそうなくらいだ。 でもあの高校の同窓会はたしかにあったし、行ってきて良かったとおもっている。 美術室の彼女が愛の逆説を教えてくれたおかげで、ちょっとした論理破綻が起こっているからだ。

愛が起こると論理から脱け出すことができる


愛が起こると、そのとき初めてあなたは論理から脱け出すことができる。 さもなければ、あなたは論理から脱けだすことができない。 愛はあなたに、論理のパターンから脱けだす勇気を与える。

論理のなかで生きている人は臆病者だ―。 論理は、一貫性のなさ、矛盾、逆説、危険からあなたを守る。 論理は保証、安全対策だ。 それはあなたの周囲にはりめぐらされた万里の長城だ。 それはあなたを守る、危険からだけではない―最終的には、あなたを生そのものから守りはじめる。 なぜなら、生は危険をはらんでいるからだ。 それはあなたを神から守りはじめる、それはあなたを愛から守りはじめる。

そうなったらあなたは死んでいる。 そうなったらあなたは死体だ。

和尚『一休道歌 下』-P.415「第8話 生まれながらの仏教徒」


迷わず進め、行けばわかるさ!!時はきた!!

ボクが40歳になろうとしているときにこの助言をくれた正師・秀爺は、映画『フォレストガンプ』のキャッチコピーを使って、生の逆説や論理破綻の必要性を教えてくれていた。

「人生はチョコレートの箱のようなもの。開けてみるまで何が入っているかわからない」

その通りだった。 人生は開けてびっくりの玉手箱だったのだ。 中身をあれこれ論理的に推理して憔悴(しょうすい)するより、開けてみたときにびっくりしたほうがずっと面白い。

それに今のボクは、これまでたった一人で引き受けていると思っていた孤立した小世界に、もう一人、その扉のこちら側にいる“ひとりの天使”の存在を知っている。 それがたまらなく嬉しい。 たとえ彼女が、人の見ていないところでこっそりハナクソを食べていようと、ボクは彼女にイエスと言うだろう。

とはいえ、財津和夫の『青春の影』の最後にこう締めくくられているように、これが今の現実のようだ。

君の家へつづく あの道を
今 足もとにたしかめて

今日から君は ただの女
今日から僕は ただの男

(財津和夫『青春の影』より)

どうやら、彼女を迎えに行くまでには、もう少し、乗り越えなければならない運命の課題があるらしい。 でもボクは、その時節の到来まで、しっかり意識の準備を調えながら待つ。 なにしろ、すべては起こっているからだ。

何であれあなたに準備ができていることが起こる


いいかね。 成果のことは気にかけなくていい。 成果はつねにあなたの必要と力量に応じて現れる。 何であれあなたに準備ができていることが起こる。 成果が現れなければ、それはたんにあなたにはまだ準備ができていないということだ。 そのための準備をしなさい。

成果を求めても役に立たない。 自分にはまだ力量が足りないことを認め、こころをもっと浄化し、もっと意識を集中し、もっと瞑想し、もっと静かになり、くつろいで、内界ともっと調和してゆくことだ。 そして待ちなさい。

和尚『黄金の華の秘密』-P.326「第九話 大地が明るい春を迎える」


いま行き先も不確かなまま先を急いできた42年が終わろうとしている。 それは古井戸の底からはるか上空の青天を眺め、誰かが釣瓶(つるべ)を落として自分を引き上げてくれるのを、イライラしながらずっと待っているような日々だった。 でも、ボクはもう先を急がない。 なぜなら、そんなことには何の意味もないことをボクは学んだのだから。

人生は玉手箱のようなもの。開けてみるまで何が入っているかわからない。

それでいいのだ。

(2016.9)

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