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【坐禅作法107】カナリア

ちょっとはマシな坐禅作法 カナリア〜アニムスの歌を聴け8〜

Presented by

〜アニムスの歌を聴け8〜


からっぽの部屋

33歳のぷっつん体験をした日。 ボクは「からっぽの部屋の夢」をみた。

からっぽの部屋の夢


以前働いていた情報システム部とよく似たオフィス。 そこへ突如として押し寄せた洪水がオフィスにある備品のすべてを流し去る。 びしょ濡れになって立ち往生するボク。

そこへ一人の男が現れる。 男は隣りのビルへボクを案内した。 その何階かにあるだだっ広い事務所の扉を開ける男。 事務所の中には窓から射し込む光と柱しかない。

「ここが君の新しい仕事場だ」
男は続けた。 「ワタシは君のことは別段好きなわけじゃないんだが、努力だけは認めよう。好きに使ってくれたまえ」
「えっ?どういうことですか」
「いま言ったとおりだよ、君」
男は言葉を継いだ。 「まったく君のそういう鈍いところが気に入らない」
「どうもすみません」

矢印マーク 『ちょっとはマシな坐禅作法』【坐禅作法31】出家より


いま思えば、この夢には深遠な隠喩(メタファー)があったような気がする。

かつて情報システム部のオフィスで働いていたとき。 ボクのいた世界は何もかも確立されきっていた。 そこでは社会から与えられる存在証明―アイデンティティ―が精神の均衡を保障してくれたし、あらかじめ敷かれているレールの上を歩いていくだけでよかったから、将来の先の先まで見通すことができた。 そのため、その世界から外に出ようとさえしなければ何の不安も感じなくて済む。 たとえそれが挑戦と冒険と創造を放棄した代償として手に入れる単調な将来だったとしても…。

それは原始人の世界観と何ら変わらない。 彼らは、弓矢で獲物をしとめ、銛(もり)で魚介を突き、密林で木の実を採る―そんな日々が過去から連綿と受け継がれて未来へ向かっていくものと信じて疑わない。 ボクは過去を志向して生きていた。

過去に生きる原始人、未来に生きる文明人


発達した社会は未来に生きる。 未発達の社会は過去に生きる。 原始人たちはいまだに過去に生きている。 未来に生きるのは文明化した人たちだけだ。 未来の中に生きることは過去の中に生きることよりも高度の状態なのだ。

若者たちは未来に生きる。 老人たちは過去に生きはじめる。 若者たちは老人たちよりも生き生きとしている。

新しい国々。 新しい文化は未来に生きる。 たとえばアメリカは未来に生きている。 インドは過去に生きている。

―インドが成長できないのはそのためだ。 それは進化できない。 それは進歩できない。 それは過去にへばりついている。

和尚(バグワン・シュリ・ラジニーシ)『般若心経』-P.461-463「第9話 彼方からのメッセージ」


ところが、からっぽの部屋の夢はボクを未来志向に変えた。

からっぽの部屋にどんな家具を持ち込もうと、どんな風にレイアウトしようとボクの勝手だった。 社会から与えられる存在証明―アイデンティティ―を喪失する賭けに出て、それに打ち勝ったとき、そこには未来が開けていた。 33歳のそのときになって、ボクはようやく過去志向の原始人から未来志向の文明人に進化したのだ。 生まれてはじめて自由を手に入れた気がした。

とはいえそれは、昨日まで草原を走って獲物を追いかけていた原始人が、唐突に文明都市に連れて来られて電子計算機の前に座らされたようなものだった。 過去に蓄積してきた知識や技能は目前に広がる未来にはまったく通用しない。 未来のキャンパスは、真っ白というより、お先真っ暗だった。 ボクはたちまち将来不安に襲われた。

不安は未来とともにやってくる


不安は未来とともに介入してくる。 あなたは計画を立てなければならないからだ。 ただ自分の人生の古いやり方をくり返し続けるわけにはいかない。

そして何か新しいことをやるとき。 そこには過ちの可能性がある。 過ちの可能性の方が強いくらいだ。 新しいことを試みれば試みるほどそれだけあなたは不安になる。

―しかし覚えておきなさい。 進歩は不安を通じてやって来る。

和尚(バグワン・シュリ・ラジニーシ)『般若心経』-P.464「第9話 彼方からのメッセージ」


それは、からっぽの部屋に取り残されて入口の鍵をかけられてしまったようなものだった。 そのとき生まれた将来不安を落とす方法を見つけたのは40-42歳の大厄の時節で、それまでボクはからっぽの部屋に幽閉されることになったのである。 まるで鳥籠の中のカナリアになったような気分だった。

矢印マーク 『般若心経』―バグワン・シュリ・ラジニネーシ、色即是空を語る

“無”・“空”の経典『般若心経』。
それは最後の扉をひらく究極の教え。
和尚の解説があれば雰囲気だけでも味わえる。

赤雲水

いちばん大好きな人の名前うちあけて…

黒雲水

ボクが将来不安に直面したのと同じ年齢の頃、井上陽水が『LION&PELICAN』というアルバムを発表している。 これはそこに収録されている『カナリア』という曲の歌詞。

人々の愛を受けるために飼われて
鳴き声と羽根の色でそれに応える
カナリア カナリア カナリア…

盗賊は夜を祝い君にうたわせ
プリンセスからのながい恋文を待つ
カナリア カナリア カナリア…

少年は春を呼びに君をつれだし
老人はもの想いへ君を誘なう
カナリア カナリア カナリア…

(井上陽水『カナリア』より)

鳥籠の中に捕らわれて飼い慣らされたカナリアは自分の喜びのために歌うことを忘れてしまっている。 いまやその鳴き声はもっぱら人々の関心を買うために使われるようになってしまった。

ボクもまた長い過去志向生活の名残りを引きずっていた。 人々の関心を買うように飼い慣らされてきたため、この歌のカナリアのように、“自分の言葉、自分の声”というものを失くしてしまっていたのである。

鳥籠はいまも部屋の隅に飾られ
入口の鍵の場所は誰も知らない
カナリア カナリア カナリア…

(井上陽水『カナリア』より)

この鳥籠は実のところカナリアを閉じ込めているわけではない。 カナリアが、みずから入り、みずから鍵を掛けてしまっただけなのだ。 ゆえに入口の鍵の場所は誰も知らない。 その鍵はカナリア自身が握っている。

いちばん夢を見てた人のことを教えて
いちばん恋をしてた人のことを教えて
いちばん大好きな人の名前 うちあけて
カナリア カナリア カナリア…

(井上陽水『カナリア』より)

これがその鍵だ。 人々は長い飼い慣らし生活の末、自分の本心を偽って生きることに慣れすぎてしまっている。 そのため、自分が本当に愛している人に出会っても、素直に愛しているとは言えない。 人が異性に魅了されると、いつのまにか劣等感を刺激され、そこに恐怖心が生まれるからだ。 するとその慕情は嫉妬心―ジェラシー―にすり変わってしまう。

そこには恐怖と魅力の両方がある


そして、憶えておきなさい。 そこには恐怖と魅力の両方がある―つねにそうだ。 何かに魅了されるとき、かならずあなたはそれを恐れてもいる。 男が女に惹かれても、女を恐れるのはそのためだ。

だが、恐怖は魅力を示している。 恐怖はあなたがまだ巻き込まれていることを示している。

女性が男性に惹かれるときにも恐怖がある。 すべての愛が恐怖を生む、即座に恐怖をもたらす。

和尚『一休道歌 上』-P.357「第8話 古い寺院を壊しなさい」


これは『LION&PELICAN』の前年に発表されたアルバム『あやしい夜をまって』に収録されている『ジェラシー』の歌詞。

ジェラシー 愛の言葉は…
愛の裏側… ジェラシー

窓辺にたたずんでる君を見てると
長い年月に触れたような気がする
夕焼けの空のどこかで
忘れた愛が忍び込む
流れるのは涙ではなく汗

君によせる愛はジェラシー

春風吹き 秋風が吹き
さみしいと言いながら…

(井上陽水『ジェラシー』より)

そもそも出会った当初から長い年月を共に過ごしてきたような親密さを覚えるのに、うれし涙を流すどころか冷や汗が頬をつたい、愛する人の前を気づかずに通り過ぎて孤立していく。 それは この嫉妬心―ジェラシー―のせいだ。

ところが“自分の言葉、自分の声”を取り戻し、創造性が目覚めてくるにつれて、少しずつ将来不安の落とし方がわかってくる。 やがて劣等感を落とすことにも成功したとき、はじめて、本当に愛している人を「愛している」と言えるようになるのだ。 すると鳥籠の鍵が開き、カナリアはいよいよそこから飛び立っていく。 それが30代における運命の試練のカラクリだった。

「からっぽの部屋の夢」のあと、将来不安に襲われたときから、“自分の言葉、自分の声”を取り戻すボクの挑戦がはじまった。

矢印マーク あやしい夜をまって


1981年―井上陽水33歳の洞察
『ジェラシー』収録


マハラジに学ぶ<生>の学び方

ニサルガダッタ・マハラジの『アイ・アム・ザット』を手にしたのはちょうどその頃だったとおもう。 読み始めたときのマハラジの印象は“大きいだけでお呼びでない感じのおっぱいみたいな覚者”。 深遠なのはわかるんだけど何を言っているのかさっぱり理解できなかったのである。

ところが読み進めるうちにいつのまにか惚れ込んで、いつしかマハラジ語録を筆写して何度も繰り返し読むようになっていた。 読みはじめた時期もよかったのだとおもう。 そこには、これから挑むことになる運命の試練の学び方が書かれていたからだ。 それは内なる師との正しい付き合い方と言ってもいい。 ボクの精神はマハラジ語録という母乳をがぶ飲みしてスクスクと育っていった。

まずは<生>の学び方を学ぶ


何百万もの人々が、ただ偶発的な<生>を生きている。 自分の<生>のたずなを握り、それを偶発的なものから実存的なものに変えてゆかないかぎり、変容は起こりはしない。

それがまさにサニヤスというものに他ならない ― 偶発的なものを実存的なものに変えようとする努力、無意識の<生>を意識的な<生>に変えようとする努力、目覚めようとする努力。 そうなったら<生>は学びのプロセスになり、<死>もまたそうなる。 そうなったら人は学びつづける。 そうなったら、一瞬一瞬、ひとつひとつの状況が贈り物としてやって来る。 そう、苦悩でさえも神からの贈り物になる。

だが、学び方を覚え、贈り物の受け取り方を身につけた者たちにだけだ。 ふつうはどのようにして受け取ればいいかわからず、どのようにして吸収すればいいかわからないために、あなたにとっては祝福でさえ贈り物にならない。

和尚『黄金の華の秘密』-P.493-494「第十四話 空観、仮観、中観」


まず最初は、いかにして天職に就くのか、という観点から『アイ・アム・ザット』を読んでいった。 天職に就けないと性格が歪んでどうしようもない男になるのを父親を見て学んでいたから、それは何にもまして重要な命題だったのである。 天職に就けない男は男であって男ではない。

また常識的には33歳のオジサンになってから天職を探しはじめるなんて、どうしたって正気の沙汰ではないのに、マハラジはそこに保証を与えてくれていた。 崖っぷちに立たされていたボクはすがりつくようにマハラジ語録を読んだ。

マハラジの保証 其の壱


(質問者)私はヨーロッパに帰るのですが、そこでは何もすることがないのです。 私の人生はまったく空っぽなのです。

― もしあなたがただ静かにするように試みるならば― 仕事、仕事のための能力、正しい動機 ―すべてはやってくるだろう。 すべて前もってあなたが知っていなければならないのかね? 未来のことを心配してはならない。 今、静かで在りなさい。 そうすれば、すべては正しい場所に収まるだろう。 予期しなかったことが、かならず起こるだろう。 期待して待っていたことは、けっして起こらないかもしれないのだ。

(質問者)この二年間というもの成果がなく、私は寂しく虚ろな状態で、しばしば死が来るのを祈っていたのです。

― あなたがここへ来たことで、ものごとは起こりはじめている。 それを起こるがままに起こらせるがいい。 最後には、ものごとがそれ自体でうまく収まっていくだろう。 未来に向かってあなたが努力をすることはない。 未来はそれ自体であなたにやってくるだろう。 しばらくの間、あなたは意味も確信も失ったまま、今同様に眠り歩きを続けるだろう。 しかし、その時期は過ぎていく。 そして、あなたは仕事が順調に進み成果をあげるのを見るだろう。

『アイ・アム・ザット』P.267-268「53 満たされた欲望は、より多くの欲望を生みだす」


この時期に背中にのしかかってくる重圧は、死が自分を優しく引きずり込み、何もかも万事終わりにしてくれたらどんなにかいいだろう、と考えてもおかしくないほどのものだ。 それに対してマハラジは、ただ静かにしていれば予期していなかったことが必ず起こる、と答えていた。 マハラジに言わせれば、努力が必要なときには努力が現れるので敢えて努力するまでもない、のである。 中にはこんな対話もあった。

マハラジの保証 其の弐


(質問者)私が絵の仕事に従事することは私の誠実さを否定することになるのでしょうか?

― もうすでに言ったはずだ。 あなたが平和な時間を豊富に許すかぎり、あなたのもっとも敬うべき仕事を間違いなく実践できる。 それらの内なる沈黙の時間がすべての障害をかならず焼き尽くすだろう。 その効力を疑ってはならない。 試してみなさい。

(質問者)ですが、私は試したのです!

― けっして忠実にではなく堅実にでもなかった。 そうでなければあなたはこのような質問をしたりはしないだろう。 自分に確信がもてないから尋ねるのだ。

『アイ・アム・ザット』P.234-235「47 あなたのマインドを見守りなさい」


また、あえて求めずともやってくるものを精いっぱい使うなら必ず道は開ける、とも説いていた。

求めずともやってくるものを精いっぱい使え


いつであれ、あなたに求めずともやってくるものは神から贈られたものであり、もしもそれを精いっぱいに使うなら、かならずやあなたを助けることだろう。 あなた自身の想像と欲望から、骨を折って手に入れようとするものだけがあなたに困難を与えるのだ。

『アイ・アム・ザット』P.509「95 人生を起こるがまま受け入れなさい」


…何も努力しようとせず、ただ静かにしていれば、みずから求めずとも、予期していなかったことが必ず起こる?

メチャクチャだった。 ボクの付き合ってきた女の子たちは、「映画を観に行こう」と出かけたら、「なんだか気が変わったの。海を見に行かない?」と言い出すくらいメチャクチャだったけれど、その誰よりもメチャクチャだった。

<<そんなことを信じられるほどボクのオツムは単純ではございません…>>

そんなボクを諭すようにマハラジはこう語っていた。

しばらくの間、私を信頼して欲しい


自分自身を乞食だと信じきっている王子を決定的に確信させる方法はただひとつしかない。 彼に王子としてふるまうようにさせるのだ。 そうして何が起こるか見てみなさい。 私の言ったことが、あたかも真実であるようにふるまってみなさい。 そして実際に何が起こるか判断するがいい。 私が求めるのは第一歩を踏み出すために必要なわずかな信頼だけだ。 体験とともに確信がやってくる。 そうすれば、あなたは私をもう必要としないだろう。 私はあなたが何なのかを知っている。 だから、私はあなたに伝えているのだ。 しばらくの間、私を信頼して欲しい。

『アイ・アム・ザット』P.273「54 身体とマインドは無知の兆候だ」


たしかに、しばらくの間は信頼が必要だった。 けれども、体験が洞察を生み、洞察が確信に変わっていくにつれて、ボクは成果を挙げられるようになっていった。 はじめはゆっくりと、後になっては急速に進歩を遂げたのである。

マハラジは正しかった。

矢印マーク アイ・アム・ザット 私は在る

結局このニサルガ・ヨーガに行き着いたのは驚きだ
ニサルガダッタ・マハラジはあまりにクール
そのため当初は冷徹な印象を受けたものである
でも実はそれが本当の慈悲であり愛だった
愛は神であり、神は愛である
ゆえに愛はパラドックスである

青雲水

からっぽの部屋はからっぽの部屋のままにしておけばいい

緑雲水

結局、マハラジの指示していたことは「からっぽの部屋はからっぽの部屋のままにしておけばいい」ということだった。

33歳の「からっぽの部屋の夢」のあと将来不安を抱え込んでしまったボクは、そこにあれこれ持ち込んで周到な計画を立てることで将来に備えようとした。 けれども、40-42歳の大厄を迎えたときに見えてきたものは、その間に体験してきたことのすべてがその必要はないことを教えるものだった、ということなのである。

たとえば、将来不安を払拭しようとしてボクのしたことは星まわりの科学を研究すること。 過去の偉人たちの足跡に自分の足跡を重ね合わせることで未来の保証を得ようとしたのだ。 たしかにそれは未来への希望を生み、一定の効果を挙げたかもしれない。

でも、それだけだった。 希望を持つのは結構なことだし、それに向かって努力するのも立派だけれど、最後にすべてを決するのはそのどちらでもない。 未来は不確かであることが唯一確かなことであり、ボクの描いた未来は証拠不十分のかどでいつも却下されてしまった。 未来志向にはどこか限界がある。

また、前作『ちょっとはマシな坐禅作法』を書いているときにホグワーツ現象が起こった。 記事の展開に悩んでいると、まったく予期していなかった人たちが、適切な瞬間に、最適な言葉を投げてくれる。 あたかもこれから書くべき記事のあらすじを彼らが知っているかのようだった。 ボクのインスピレーションは一体どこからやってくるのか。 ボクの作品は、ボクが書いている作品なのか、それとも、誰かに書かされている作品なのか。

そういった疑問は、少しずつ<全体>への信頼を育み、<全体>と調和して生きているボクの個性を認識させた。 さらに、その認識が<全体>の中に存在する一人一人の個性を尊重させるようにもなっていったのである。

個性とは何か


あなたの全身は調和のとれた統一体として働いている。 あなたの全身は調和がとれている。 あなたはもはや分裂していない。 あなたはもはや断片ではない。

これが個性化だ。

あなたはひとつの全体としてまとまり、部分はすべて共振しながらともに働いている。 どの部分も実存というオーケストラの一員を演じている。 調和からはずれているものは何もない。 肉体、心、魂、最も低いものと最も高いもの、セックスからサマーディまで…すべてがこのうえもない調和のうちに、一糸乱れずまとまりながら働いている。

和尚『黄金の華の秘密』-P.368「第十話 結晶する黄金の華」


そもそも30代のボクはまだ技術的に未熟で作家としてやっていける自信がなかった。 そのため、わざと天才作家の自己イメージを作り上げ、孤高の天才きどりで文章修行を進めてきた。 そうした自己イメージは、他人のヤジを蹴飛ばすのに役立ち、いまだ完成していなかった自我を守ってくれたし、その間に技術的な飛躍を遂げるためにも必要な殻だったのだとおもう。

けれども、ボクの個性が<全体>との調和のうちに成り立つものだとしたら…もはやその殻は邪魔ものでしかない。

自我の殻の必要性


人間の自我は種子に他ならない。 それはあくまでも自分を守ろうとする。 人々は私に尋ねる。 「自我が神に対してこれほど障害となるなら、いったいなぜ心は存在するのですか?」 それはあなたを守るために存在している。 ちょうど固い殻が種子の潜在力を守るために存在しているように。

その潜在力はひじょうに柔らかい。 まわりに固い殻がなければ壊されてしまうかもしれない。 固い殻は敵ではない。 固い殻が敵になるのは、春が来て、土壌が用意されているのに、種子が死ぬことを拒むときだけだ。 固い殻が「さあ、春を敵にまわしても、おまえを守りつづけるぞ。この土から君を守ってやるぞ」と言えば、問題が生じてくる。

―そうなったら問題が生じる。 そうなったら、守りであったものが破壊的になる。 そうなったら、あなたは自分自身の心と闘わなければならない。 もはや鎧は必要ではないからだ。 あなたは内なる潜在力を解き放たなければならない―春がやってきている。

だから春がやって来て、はじめてそれが問題になる。 さもなければ、それは問題にはならず、助けになる。 が、助けとなるものも障害になりかねない。 時が到れば、それは去らなければならない。

和尚『黄金の華の秘密』-P.165-166「第五話 解放の機縁」


そのことに気づいた40歳の11月6日。 ボクは肥大化していた自我―天才作家の自己イメージ―を落とした。

すると、もはや虚勢を文章に盛り込む必要はなくなり、より素直な言葉が自然に出てくるようになった。 以前にもまして自在に文章を操れるようになっていったのである。 自信があるとかないとかではなく、ただ自然体で書けばいい。 そんな確信が芽生えるにつれて、いつのまにか劣等感も消えていった。

― 自信を落とすと自信のなさも消えてしまう… ―

これはひとつのパラドックスだった。 と、ほどなくして前章『縁覚道の地図』や現章『アニムスの歌を聴け』のインスピレーションがやってきて即興性のレッスンがはじまってしまった。 草稿が書けなくなったのである。 以前なら一つの記事の頭からお尻までの草稿を書きあげ、プロットの分かりきった状態で清書して公開していたのに、いまはパソコンの前に座るまで何も浮かんでこない。 こうして書いている今もボクはこのシリーズ記事の結末を知らないのだ。 そのため、ジャズの即興演奏―インプロビゼーション―のようにその場のノリで書くしかないのである。

もちろん最初は、そうした先の見えない綱渡りは不安ばかりが先行した。 ところが場数を重ねていくと、その不安自体を落とせるようになってきて、代わりに<いまここ>のインスピレーションに対する信頼が湧きあがってきた。 こうして先の見えないことにより生じる不安を落とすとき…人は未来志向から<いまここ>を生きる現在志向へと飛躍を遂げるのだ。 人間の意識は過去志向から未来志向、そして現在志向へと三段階で進化するのである。

未来を落とすのではなく自我を落とせ


未来は不安を作り出す。 あなたは未来を落とすこともできる。 そうしたらあなたすべり落ちるだろう。 あなたはその前の状態に逆戻りする。

自我(エゴ)を落としなさい!

そうしたらあなたは乗り越える。

和尚(バグワン・シュリ・ラジニーシ)『般若心経』-P.467「第9話 彼方からのメッセージ」


ボクのやってきたことは、あえて求めずともやってきたインスピレーションを精いっぱい使っただけだ。 ボクはただミューズとの情事を楽しんできただけなのだ。 でも、それがボクに<空>を教えてくれた。

からっぽの部屋


すべて落としてしまいなさい!
無条件に落とすのだ!

あなたがあなたの実存の中に持ち運んでいるすべての“家具”を荷おろししてしまいなさい。 ただそこを“空室”にするのだ。 その空室があなたに真実を明かしてくれるだろう。 その認識の中に…

スヴァーハ!
ハレルヤ!

大いなるエクスタシーが、歌となって、ダンスとなって、静寂となって、創造性となってほとばしり出る。

これから何が起ころうとしているかは決してわからない。 そのエクスタシーがあなたによってどのように表現されるのかは決してわからない。 誰もがその人自身の仕方でそれを表現するだろう。

和尚(バグワン・シュリ・ラジニーシ)『般若心経』-P.501「第9話 彼方からのメッセージ」


マハラジや和尚の言うとおり…

― からっぽの部屋はからっぽの部屋のままにしておけばいい ―

矢印マーク 一休道歌 上

風狂の禅師・一休の和歌で学ぶ禅
こいつはイカシテル


「今」という ほうき星

BUMP OF CHICKENというバンドの藤原基央が22歳のときに『天体観測』という歌を発表している。 彼もまた預言者の才能を持っていて、主にツインレイのカラクリについてのインスピレーションを受信することがあり、ボクはこの22歳の作品は『なごり雪』に匹敵するくらいの天啓だとおもっている。 あえて形容するなら“平成の伊勢正三”といったところだろうか。

『天体観測』は、40-42歳くらいの境地を先取りして書かれたもので、ちょうど“自分の言葉、自分の声”を取り戻した時期のことを歌っているのが特徴だ。

午前二時 フミキリに望遠鏡を担いでった
ベルトに結んだラジオ 雨は降らないらしい

二分後に君が来た 大袈裟な荷物しょって来た
始めようか 天体観測 ほうき星を探して

深い闇に飲まれないように 精一杯だった
君の震える手を 握ろうとした あの日は

(藤原基央『天体観測』より)

午前ニ時はあらゆるものが活動を休止する静寂の時刻。 まさしく瞑想者にふさわしい時刻である。 男はその時刻に喧騒と静寂の境界にあるフミキリまで望遠鏡を担いで天体観測をしに行く…<生>と<死>を司る宇宙の神秘を知るためだ。 すると、そこにもう一人、男が愛することになる彼女が過去と未来という名の重い荷物をしょってやってくる。 これで役者はそろった。 「さあ、ほうき星を探しはじめよう!」。 ほうき星とは、現れては一瞬のうちに消える星。 “いまここの輝き”のことだ。

話は少し脱線するのだけれど、厄年の概念には大厄とされる時節が二つある。 31-33歳と40-42歳にある二つの大厄だ。 それぞれの時節になると求道者は大きな人生の賭けに出るように促される。 まずはこれが31-33歳の大厄の時節における人生の賭け。

31-33歳の大厄における人生の賭け


これは私の経験なのだが…

あなたがサンニャーシンになれるのは、もしサンニャースでなければ自殺しかないという地点まで来たときに限る。

サンニャースというのはこういう意味なのだ。

自分は生きている間にひとりの個人になるんだ! 自分は自分の<生>を自分なりに生きるんだ。 命令されたり支配されたりするのはごめんだ。 機械みたいに、ロボットみたいに機能するのはごめんだ。

和尚(バグワン・シュリ・ラジニーシ)『般若心経』P.184「第4話Q&A―自殺考」


こうして過去に蓄積してきたものを置き去りにして、未来に飛び込む賭けに出た勇気ある禅者―サンニャーシン―だけが宇宙の神秘を知る。

人生の賭けに出たものだけが<生>の神秘を知る


いつでも変化でき、過去を忘れ、過去を許すことができ、瞬間とともに進んでゆく用意のある者たちこそが真の人間だ。 なぜなら、彼らは冒険家だからだ。 彼らは<生>の美を、<生>の祝福を知っている。 そして<生>はその神秘をこのような人々に、このような人々にだけ明かしてくれる ―なぜなら、彼らはそれに値するからだ、みずからの手でそれを稼ぎ取ったからだ。 賭けることで、彼らはそれを稼ぎ取った。 彼らには勇気がある。

和尚『黄金の華の秘密』-P.428「第十二話 六月に白い雪が舞う」


時は流れ…31-33歳の大厄で人生の賭けに出て、それに打ち勝ったとき、男の探求は始まった。

気が付けばいつだって ひたすら何か探してる
幸せの定義とか 哀しみの置き場とか
生まれてから死ぬまで ずっと探してる
さあ 始めようか 天体観測 ほうき星を探して

(藤原基央『天体観測』より)

宇宙の神秘が男に明かされはじめている。 その探求の動機を支えているのは、かつて愛する彼女を守れるだけの力を持っていなかった悔しさだ。

今まで見つけたモノは 全部覚えている
君の震える手を 握れなかった痛みも

(藤原基央『天体観測』より)

それが微妙なところで孤独な探求を続けるための心の支えとなっているのだ。

見えてるモノを見落として 望遠鏡をまた担いで
静寂と暗闇の 帰り道を 駆け抜けた
そうして知った痛みが 未だにボクを支えてる
「今」という ほうき星 今も一人追いかけてる

(藤原基央『天体観測』より)

やがて…明かされはじめた宇宙の神秘を人々に伝えることが、自分の使命であると男は気づいた。

背が伸びるにつれて 伝えたい事も増えてった
宛名の無い手紙も 崩れるほど重なった

(藤原基央『天体観測』より)

自分の学んだ宇宙の神秘を人々に伝えようとすることは、“自分の言葉、自分の声”を取り戻すことにもなる。

見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ
静寂を切り裂いて いくつも声が生まれたよ

(藤原基央『天体観測』より)

過去志向の生き方に見切りをつけたとき、未来とともにやってきた不安は少しずつ解消され、劣等感もなんとか克服できそうな予感もしている。 ただひとつ心残りなのは愛する人を守れるだけの力を持っていなかったあの日のことだ。

僕は元気でいるよ 心配事も少ないよ
ただひとつ 今も思い出すよ
予報外れの雨に打たれて 泣き出しそうな
君の震える手を 握れなかった あの日を

(藤原基央『天体観測』より)

男が次に挑もうとしているのは40-42歳の大厄における人生の賭けだ。

40-42歳の大厄における人生の賭け


自分はどんな理想も持たないし、どんな目標(ゴール)も持たないことにする。 自分は瞬間の中に生きるんだ。 自分は瞬間瞬間に応じて生きるんだ。 自分は内発的でいよう。 そして、自分はそれに一切を賭ける!

サンニャースというのはひとつの賭けなのだ。

和尚(バグワン・シュリ・ラジニーシ)『般若心経』P.184-185「第4話Q&A―自殺考」


いつの日か…ほうき星―いまここの輝き―を見つけたとき、もう一度、彼女に会えると信じて男は人生の賭けに出る。

もう一度君に会おうとして 望遠鏡をまた担いで
前と同じ午前二時 フミキリまで駆けてくよ

始めようか 天体観測 二分後に君が来なくとも
「今」という ほうき星
君と二人追いかけてる

(藤原基央『天体観測』より)

矢印マーク 黄金の華の秘密

和尚は経典の解説をしているようでいて、実は心随観のコツを伝えている。 中国道教の真髄『太乙金華宗旨』で学ぶ心随観。 これは、いいね!

桃雲水

引退の花道

赤雲水

33歳の11月。 ボクは中学時代からの相棒(バディ)たちと札幌から函館まで一泊二日の小旅行にでかけた。 その夏のぷっつん体験をした直後にいきなり持ち上がってきた企画で、道中、そのうちの一人がこんなことを呟いた。

「こんな風にみんなで旅行するのもこれで最後かもしれないね」

これと同じようなセリフをボクは生涯で何度か耳にしている。

― 通過儀礼というのは魔法の通廊だから、つねに通路―これは結婚のときに通るものでもあるし、埋葬されるときに運ばれるものでもある―が用意されている ―
(S・キング『スタンド・バイ・ミー』第二十四章)

天才作家スティーヴン=キングが描いたスタンド・バイ・ミー現象は運命の流れが変わるときに起こる通過儀礼だ。 この現象を通過すると、そのときを境にそこに集ったメンバーはそれぞれ別々の道を歩きはじめる。

今おもえば、あの函館旅行はスタンド・バイ・ミー現象だったのだとおもう。 ボクらの前に用意されていた魔法の通廊は国道5号線だった。 なにがなんだか意味もわからず、なにやら意味ありげなものに向かって、ひたすら車を走らせたのだ。 31-33歳の大厄の賭けに打ち勝ったボクと賭けに敗(やぶ)れて人生を妥協した相棒(バディ)たちは、あの小旅行以降から次第に疎遠になり、いまでは年賀状で挨拶するだけの間柄になってしまった。

人間の運命は選抜式になっていると見抜いたプラトンは、たぶん、正しい。 賭けに敗(やぶ)れた相棒(バディ)たちは、まるで引退の花道でもつけられたかのように、転職し、結婚し、子供が生まれて身が固まり、挑戦と冒険と創造の自由を奪われていった。

相棒のひとりは33歳のときに飲み会の席で職場の同僚から暴行を受けて会社をやめた。 その後、父親の勧めで介護の資格を取った彼は、34歳のときにこう言った。

「オレ、もう介護の仕事でいい。他人のウンコ触っても気にならねえし、きっとオレに合ってるんだよ」

本人が不本意に思っていることをわかっていながら、ボクは、こんな風にしか言ってやれなかった。

「そうか…自分に合ってるなら、たぶん、それが天職なんだろうな」

それでも別のある意味でボクは彼がうらやましかった。 いまや彼が運命の試練から受ける苦痛はひとまず終わったのだから。

矢印マーク 『スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編 (新潮文庫)』

S・キングは自身の創造の秘密をここに綴じ込めたんだ。
これ、ただの小説じゃないよ。


目的地はないんだ 帰り道も忘れたよ

それからまもなくして35歳になったとき…ボクはたったひとり残っていた。 いや、正確にはひとりじゃない。 ボクには4号がいたからだ。

「あいつらは哀れな奴らだ。かわいそうなやつらだよ」

不安と虚勢とうらやましさの入りまじったボクの複雑な言葉を、彼女はただ黙って聞いてくれた。 もしもたった一人で挑戦と冒険と創造を追究する青春ごっこを続けることになっていたら、きっとどこかで挫折してしまっていたことだろう。

でも、そのときのボクにはひとつのヴィジョンが生まれていた。 あまりにぼんやりとしていて誰にも打ち明けられそうにないヴィジョンだったけれど…。

<<ぷっつん体験を通じて発見したことをみんなと分かち合いたい。 ボクたち人類の前途にひらけている無限の可能性をみんなと分かち合うんだ>>

ボクは父からもらった万年筆を取り出してきて原稿用紙に向かいはじめた。 これはフラワーカンパニーズというバンドの鈴木圭介が35歳のときに作った『深夜高速』。

青春ごっこを今も 続けながら旅の途中
ヘッドライトの光は 手前しか照らさない
真っ暗な道を走る 胸を高ぶらせ走る
目的地はないんだ 帰り道も忘れたよ

壊れたいわけじゃないし 壊したいものもない
だからといって全てに 満足してるわけがない
夢の中で暮らして 夢の中で生きていく
心の中の漂流者 明日はどこにある?

生きててよかった
生きててよかった
生きててよかった

そんな夜を探してる

(鈴木圭介『深夜高速』より)

人生の賭けに出て35歳になったときに見えてくる景色はこんな感じなんだ。

(2016.7)

矢印マーク LION&PELICAN


1982年―井上陽水34歳のアルバム
『カナリア』収録

黒雲水

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