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【坐禅作法105】宙船

ちょっとはマシな坐禅作法 宙船〜アニムスの歌を聴け6〜

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〜アニムスの歌を聴け6〜


アイデンティティ・クライシス

就職して間もなく大学時代の友人がこんなことを呟いた。

「うちの会社のオジサンたち、みんな定年した途端に死んじゃうんだよね。どうしてだと思う?」

その原因は存在証明の危機―アイデンティティ・クライシス―という心理学用語で説明できるのだけれど、まさか20代のボクがその危機に直面するとは思わなかったから、当時はおつに澄まして聞き流していたものである。

アイデンティティ・クライシス


心理学者たちは、人は退職するとそのまま仕事を続けた場合よりも早く死ぬということに完全に気づいている。 一〇年の差が生じる。 本来八〇歳まで生きるはずの人が六〇歳で退職すると…。

しかし、彼は生涯にわたって退職を待ち望んでいた―「あと数年で退職だ。そうなったら休息をとり、ずっとやりたかったことをすべてやるんだ。 すばらしい詩を読んだり、すばらしい音楽を聴いたり、ギターを弾いたり、美しい庭を造ったり、あるいは山に行き、陽を浴び、風に吹かれながら休むんだ…」

だが退職すると、彼はとにかく死を恐れるようになるだけだ―他には何も起こらない。 ひとたび退職すると、彼は自己の存在証明(アイデンティティ)を失いはじめる。

和尚『一休道歌 下』-P.311「第6話 永遠に生きる炎」


ボクの27-33歳の六年間に起こったのがこれだった。 とくに29歳頃が最もひどくて、アキレス腱を切ったり、歯が折れてしまったり、免疫力が低下して原因不明の湿疹に悩んだりしたのだけれど、あのまま何も手を打たなかったら、オジサンたちよりも40年早く死んでいたことだろう。 大学時代のサークル仲間の女の子が29歳の若さで亡くなったのも、この―アイデンティティ・クライシス―が原因だったと考えられる。

ボクは25歳で会社を辞めて無職になったときから、外に出かけて誰かと顔を会わせることを少しずつ懼(おそ)れるようになっていった。 自分が何者であるかを世間で堂々と主張する肩書きがなくなることは、存在の自由をもたらすどころか、むしろ、存在証明の喪失をもたらしたからだ。 いつもその一員だったはずの社会から日を追うごとに切り離されていく感覚の中で、それまで自分を成り立たせていた自信が薄氷のように脆(もろ)いものにすぎなかったと思い知らされる結果になった。

アイデンティティの喪失


あなたはある種の仕事をしているから医者だ。 あなたは絵を描くから画家だ。 あなたは歌を歌うから歌手だ。 あなたの自己証明(アイデンティティ)は、あなたの行為に基づいて与えられる。 あなたはこれだ、あなたはあれだ―あなたの定義はあなたの行為から生まれる。

何もしていないとき、あなたは誰なのか?
医者、画家、技術者、歌手―誰だろう?

あなたの自己証明(アイデンティティ)は消えはじめる。 あなたの定義はあなたの存在から脱落する。 あなたは一糸まとわぬ裸になり、自分が誰なのかわからない。

和尚『一休道歌 下』-P.307「第6話 永遠に生きる炎」


それまでは「早稲田大学の学生である」とか「システムエンジニアである」など、誰かに自分を説明するための定義を持っていたし、人に自慢できる定義を持つことで自信を形成してきたところがあったのだとおもう。 ところが、いまやそれがない。 無職という状況下にあっては自信を支えるものが何ひとつ見出せないのだ。 社会の中で自分を定義するものを無くすことは当時のボクにとって耐えがたい苦痛となった。

次第に<<自分は役立たずだ>>とか<<もう自分には未来がない>>などと思い込むようになり、神経を研ぎ澄ませば研ぎ澄ますほど、ボクの携(たずさ)えていた自信は砥石(といし)のようにすり減っていった。 こうしてボクは、もはや従来の方法論では自分を支えきれない地点まで追い詰められた。

矢印マーク 一休道歌 下

風狂の禅師・一休の和歌で学ぶ禅
こいつはイカシテル

赤雲水

27歳の運命のクロスロード

黒雲水

27歳には運命のクロスロードがある。

そのときボクの前には二つの道があらわれた。 一つは公認会計士の資格を取得して、社会から与えられる存在証明―アイデンティティ―を取り戻し、普通の男の子に戻る道。 もう一つは、公認会計士のテキストを捨てて、社会から与えられる存在証明―アイデンティティ―を突き返し、自分は誰かを探究する禅者の道だった。 この二者択一は同時にこういうことでもある。

昏睡状態の豚に戻るのか?
それとも覚醒して人間になるのか?


ボクはその狭間(はざま)で六年間も葛藤し、最終的にクロスロードの分岐点から最初の一歩を踏み出したのは33歳の夏。 公認会計士のテキストを捨てた“ぷっつん体験”でのことだった。

27歳のクロスロードの葛藤


あなたが後戻りする可能性は大いにある。 なぜなら、古いものは知られているが、未来は未知だからだ。 わからないではないか?

― もし前に進んだら、苦痛はさらに増すかもしれない ―

誰が知る? あなたは一度も先の状態を知ったことがない。

が、あなたには知っていることがひとつある―それは後ろには苦痛がない瞬間があったということだ。 そこに後戻りすればいいではないか。

和尚『一休道歌 上』-P.695-696「第14話 深まりゆく神秘」


長渕剛が34歳でリリースした『JEEP』というアルバムがある。

これはちょうど この六年間の内的体験を振り返ったものになっていて、アルバム全体が“27-33歳のぷっつん世代への応援歌集”になっているのだ。 これはアルバムの最後を飾る『Myself』の歌詞なのだけれど、この時期の心境を表現したものとして、これ以上のものをボクは聴いたことがない。

やりたい事と やりたくねえ事とが
思いどおりにいかなくて
「夢は何ですか?」と聞かれる事が
この世で一番怖く思えた

上を見ると負けたくなくて
悔しさと羨ましさを かくして笑って見せた
俺みたいな男は…と背中を丸めたら
やけに青い空が邪魔くさく思えた

(長渕剛『Myself』より)

人間になるつもりできっぱりと世間を飛び出してきたはずなのに、なかなか最初の一歩を踏み出せない。 日々刻々と自信を失ってゆき、いまや生きるに値しない人生しか描けなくなっている。 昏睡状態の豚として眠りこけている人たちのほうが、かえって羨(うらや)ましい。 やがて、青い空、広い海、降りそそぐ太陽、人々の笑い声…そういったものですら神経にさわり始めてくるのだ。 ボクの場合、挙句の一年なんかは毎日のようにこう呟いていたものだ。

<<もう無理だ…普通の男の子に戻りたい…>>

牢獄に入ったわけでもないのに、ここはほとんど拷問である。

人ごみに紛れると なおさら涙がでるから
やっぱり一人になろうとした
それでも寂しくて涙がでたから
俺は初めてほんとの友を探した

離れていく者と 離したくねえ者とが
思いどおりにいかなくて
ひとときの楽しさに思いきり身をゆだねたら
なおさら寂しくて涙も枯れ果てた

(長渕剛『Myself』より)

おおよそ35歳を境に転職は難しくなるから、昏睡状態の豚に戻りたければ、自然に決断のリミットは31-33歳の大厄までとなる。 クロスロードの分岐点にとどまり続けることは現実的にゆるされていないのだ。 人はここで運命のふるいにかけられ、ほとんどの人が振り落とされていく。 古来、この時節を大厄としてきたのは そのためなのだろう。 その試練に耐え切れずに脱落してゆく友人たちをボクは何人も目撃することになってしまった。

27歳で札幌に帰ったとき、高校時代の友人に会った。 父親は民間企業になる以前の公社時代から通信大手に勤めていたサラリーマン。 負い目を抱えた成りさがりの父親という家庭環境がまったく同じだったから、あんな風にはなりたくない、と語りあったものである。 だから彼とボクが仲良しになったのは決して偶然ではなかったとおもう。 すなわち、ボクと彼とは一緒にぷっつん体験を乗り越えるためのほんとの友― 相棒(バディ) ―だったのだろう。

ところが再会した直後に、何を血迷ったのか、「公務員試験を受けたいんだけど、どう思う?」と訊いてきた。 「やめたほうがいい。あんなものは職業じゃない。そんなことをしたら親父と一緒になっちまうじゃないか」…もちろんボクはそう忠告した。 その後、しばらく音信が途絶えて「やっぱり公務員試験を受けることにしたよ」と電子メールが届き、一年後には警察官として採用されていった。 音信が途絶えている間に受験に賛成してくれる人を探して歩きまわったらしい。 「大学時代の恩師が受験をすすめてくれた」と言っていたけれど、公務員になることをすすめる人物のどこが恩師なものか。

プロレスのファンで「なぜ闘うのか?そこにリングがあるからだ!」という挑戦の言葉を教えてくれたのは彼だった。 「俺は大器晩成だ」と老子の言葉を教えてくれたのも彼だった。 お返しに長渕剛の歌を教えたはこのボクだ。 その彼が脱落していくのをただ眺めていなければならなかったことほど悔しくて悲しいことはない。

だから真っ直ぐ真っ直ぐ もっと真っ直ぐ生きてえ
恥ずかしそうにしてるお前が好きだ
だから真っ直ぐ真っ直ぐ もっと真っ直ぐ生きてえ
寂しさに涙するのはお前だけじゃねえ

(長渕剛『Myself』より)

いまボクがこんな文章を書いているのは、このとき感じた悔しさや悲しさのせいなのかもしれない。 振り返れば、どいつもこいつも口先だけの意気地なしだった。 ボクは真っ直ぐに生きているやつに、どこまでも真っ直ぐに生きてもらいたい。

勇気なくしては何ひとつ可能にならない


必要なのは勇気だけだ。 人々は恐怖に駆られ、古い型に後戻りする。

あなたに勇気を教えることができたら、私はすべてを教えたことになる。 あなたが勇気を奮い起こすのを助けることができたら、そのときには、私はあなたを宗教的にしたのだ。

私にとって、勇気以上に大切な宗教的資質はない。 真理よりもさらに大切だ。 誠実さよりもさらに大切だ。 他の何ものにもまして大切だ。 なぜなら、勇気なくしては何ひとつ可能にならないからだ―真理も、愛も、そして神も。

和尚『一休道歌 上』-P.697「第14話 深まりゆく神秘」
矢印マーク JEEP(24bit リマスタリングシリーズ)

ぷっつん世代への応援歌集
それが『JEEP』だったのかな
名盤だとおもう


Who Am I ? ―私は誰か?―

人々は社会からアイデンティティを与えられると安心する。 そうすると自分の存在価値を証明するためのお墨付きをもらえるからだ。 そのため、それが無くなった途端に自分の存在価値もなくなってしまったと考えてしまう。

職のない者は生きている意味がわからない


ひとたび職を失うと彼らは病気になる。 彼らはすぐに死ぬ。 職についている者は長生きできる。 職のない者は生きている意味がわからない。 人々はあなたを粗末に扱いはじめる。 人々はあなたを無視しはじめる。 あなたは非存在になる。 しかも、人々から見て非存在になるだけでなく、あなた自身から見ても非存在になる。 なぜなら、今やあなたは自分が誰なのかわからないからだ。

和尚『一休道歌 下』-P.312「第6話 永遠に生きる炎」


ボクは25歳で無職になったときから社会から与えられる存在証明を失っていき、自分が誰なのかわからない状況に直面して、ほとんど死にかけるところまでいった。 ところがそこに禅の正門の入口があったのだ。

Who Am I ? ―私は誰か?―

社会から与えられる存在証明を失うとき。 必然的に この20世紀の覚者・ラマナ=マハルシの公案に取り組むことになるのである。

内なる師との遭遇の条件


もしすべての自己証明―アイデンティティ―を失う用意ができたら、マスターはあなたのなかに現れる。

和尚『一休道歌 下』-P.312「第6話 永遠に生きる炎」


そして33歳夏のぷっつん体験で自己の存在証明―アイデンティティ―を失う覚悟を決めたとき、そこに内なる師―サットグル―も待っていた。 ボクの坐禅修行はそこから本格的に始まったのである。

矢印マーク 一休道歌 上

風狂の禅師・一休の和歌で学ぶ禅
こいつはイカシテル

青雲水

その船を漕いでゆけ

緑雲水

このあたりのことを中島みゆきが『宙船(そらふね)』という歌に仕立てているのだけれど、この作品はほとんど真言(マントラ)みたいなものだから、この歌の収録されたアルバム『ララバイSINGER』を仏壇に飾って、毎日のおつとめのように歌うといいのではないだろうか。

その船は今どこに
ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで
ぼろぼろで進んでいるのか

流されまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても

(中島みゆき『宙船』より)

27歳の運命のクロスロードにさしかかった時点では、ボクの相棒(バディ)たちも運命の試練に果敢に挑んでいた。 何処に向かっているかもわからずにふらふらと、アイデンティティを失う恐怖に精神を病みながらぼろぼろで。 大学時代の友人たちはとっくの昔に脱落していたから、相棒(バディ)たちはまだ勇気や根性を持ち合わせていたほうなのだろう。 そんな彼らも31-33歳の大厄を迎える頃には恐れをなして逃げ去っていった。

その船を漕いでゆけ
おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に
おまえのオールをまかせるな

(中島みゆき『宙船』より)

社会から与えられる存在証明―アイデンティティ―は、人の顔から表情を消し去ってしまう仮面―ペルソナ―にすぎない。 その仮面と同一化しすぎると人は顔無し― カオナシ ―になってしまう。 社会から自立して自分の顔に本来の面目を取り戻したければ、それまで自分の存在価値を証明する手助けとして与えられてきたものを突き返し、自身の手でオールを漕ぎはじめなければならない。

あなたは助けを必要としていない


実際あなたは助けを必要としていない。 事実、あなたに与えられたあらゆる種類の助けによって、あなたは損なわれてきた。

誰ひとり、あなたが自立することを許さなかった。 多大な助けがあなたの手に入った―あなたの母親、あなたの父親、あなたの教師、あなたの僧侶。 問題が生じてもいないのに、答えが、ありとあらゆる助けが、あなたにあてがわれた。 手を差しのべるこの社会、まわりを取り巻くこの助言者たち。 彼らはあなたに手を貸しつづけてきた―彼らは、あなたにそれが必要かどうかを気にかけない。 彼らは手を貸しつづける。 彼らは助けることに慢性的な強迫観念を持っている。 彼らは社会の奉仕者として知られている。

こういう人々はこの世でもっとも有害な人々だ。 彼らの害悪は、あなたには見ることができないほどのものだ。 彼らはあなたを助ける。 彼らはあなたによき忠告を与える。 彼らはあなたに品性や道徳、あれやこれを教える。 彼らはあなたの成長の可能性をすべて破壊する。 彼らはあなたを偽もの、まがいものにする。 彼らはあなたを造りものにする。

和尚『一休道歌 下』-P.323-234「第6話 永遠に生きる炎」


その船はみずからを
宙船と忘れているのか
その船は舞い上がる
その時を忘れているのか

地平の果て 水平の果て
そこが船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも

(中島みゆき『宙船』より)

これは一つの賭けだ。 アイデンティティの喪失を怖れる自我はすぐにでも後戻りしようとする。 普通の男の子に戻りたいとおもう地点がいくつもある。 それでも勇気を振り絞ってどんな手助けもアテにせずにオールを漕ぎ続けなければならない。 造りものではない真実の生をのぞむなら勇気は絶対不可欠なのだ。 そうして、精神が分裂し、死を間近にみるほどの存在証明の危機―アイデンティティ・クライシス―を通り抜けた地平の果てに禅の正門があらわれる。

地平の果て 水平の果て


自我という現象―このために自然を失い、自然に背き、自然から離れてゆく。 やがてあなたは息苦しさを覚えはじめるほど遠くへ行ってしまう。 あなたの存在に分裂症が生じるほど遠くへ行ってしまう。 あなたの周辺は中心から離れてばらばらになりはじめる。 それが回心の地点、宗教が的を射たものとなる地点だ。 あなたが出口を探しはじめる地点。 あなたが「私は誰なのか?」と考えはじめる地点。

和尚『一休道歌 上』-P.210「第5話 天国を焼き払う」


そこに待っている内なる師の手中に落ちるとき。 まさに、そのときから本来の面目を取り戻す挑戦がはじまる。 その挑戦のなかで少しずつ自分の才能が浮上し舞いあがってゆくのをみることだろう。

内なる師の手中に落ちるとき


あなたがマスターの手に落ちるとき―助けはすべて撤回されねばならない。 あなたはいやでも成長せざるをえないような、生の挑戦を受けざるをえないような、深い孤独のなかに残されることになる。 そして、まさにその挑戦のなかで、エネルギーが動きはじめ、形をとりはじめ、統合される。

和尚『一休道歌 下』-P.324「第6話 永遠に生きる炎」


そしてこれは中島みゆき禅師からの贈り物だ。 内なる師が禅者を導く仕事道具は因果律。 そのため因果律を正しく看破できなければ進歩は望めない。 これらは、そのために必要な真言―マントラ―となっている。

1 何の試験の時間なんだ?
(中島みゆき『宙船』より)

課題を見失うと自分の立ち位置を見失い増上慢に陥って進歩が止まる。 いま課せられている運命の試練の課題は何か?

2 何を裁く秤なんだ?
(中島みゆき『宙船』より)

内なる師はあくまでも禅者の自我を叱責するために因果律を使う。 ものごとがうまく運ばないとき誰かに責任転嫁してはいないか?

3 何を狙ってつき合うんだ?
(中島みゆき『宙船』より)

目前にあらわれる人物は誰であろうと己れの自我を徹見するための機会を与えてくれる。 その人物との関係から学ぶべき課題は何か?

4 何が船を動かすんだ?
(中島みゆき『宙船』より)

自我から行為するときにのみ間違いが起こる。 では本来の面目から行為するにはどうしたらいいのか?

ボクも実際にこの四つの問いを駆使して因果律を学んできた。 ここの処方箋をこれほど明確に提示した禅師はかつて存在した例がないとおもう。 まさしく21世紀の真言―マントラ―といっても過言ではないだろう。 これらの問いを発することが習慣になるまで何度も繰り返していると、ある能力が目覚めてくるはずだ。

詩とマントラ


マントラは凝縮された詩だ。 それは本質的な詩だ。 ただ読むだけでは、それは理解できない。 知的に理解できないというのではない―それは単純だ。 その意味は明白だ。

しかし、外見上の意味は真の意味ではない。 外見上の意味は第一の言語から来るが、隠された意味は待たなければならない。 あなたは深い愛のなかで、深い祈りに満ちて、それをくり返さなければならない…。

と、ある時突然、それはあなたの意識から噴きだしてくる。 それはあなたの前に姿を現わす。 ある旋律(メロディー)が聞こえてくる。 その旋律(メロディー)こそがその意味だ―。

和尚『一休道歌 上』-P.21-22「第1話 その旋律が聞こえるとき…」


その旋律の聞こえるとき…第二の言語―バベル語―の扉が開かれる。

矢印マーク ララバイSINGER

2006年―中島みゆき54歳のアルバム
『宙船』収録


松本隆の掟

27歳で札幌に帰り、高校時代の相棒(バディ)に再会したとき、ぷっつんレディ2号の風のたよりを聴いた。

小学生の頃に松本隆の作詞した斉藤由貴のデビュー曲『卒業』が流行ったのだけれど、高校生のボクはその歌の影響を色濃く受けてしまっていた。

離れても電話するよと
小指差し出して言うけど
守れそうにない約束はしないほうがいい
ゴメンね

(作詞:松本隆 作曲:筒美京平『卒業』より)

この歌詞に忠実に遵(したが)って、守れそうにない約束はしないように生きてきたし…

人気ない午後の教室で
机にイニシャル彫るあなた
やめて 思い出を刻むのは心だけにして
と呟いた

(作詞:松本隆 作曲:筒美京平『卒業』より)

という松本隆の掟を守り、高校の卒業アルバムは思い出とともに教室の隅に置き去りにしてきた。 おかげで高校時代の記憶はすっかり忘れていて、相棒(バディ)の話す当時のクラスメイトはさっぱり思い出せなかったのだけれど、彼女のことはかろうじて覚えていた。

矢印マーク YUKI’S MUSEUM


 生粋のチェイサー斉藤由貴。
 作詞をさせてみたらチェイサーの心情をいきなり書き始めたという人で、なにをかいわんや『正しいチェイサーとの出会い方』を男の子たちに指南するのが彼女の歌手活動の主題だったのだ。 『卒業』がデビュー曲というめぐり合わせは決して偶然ではありません。
 当時、彼女のファンにならなかった男の子はロクな男になってないとおもう。


こうした風のたよりは、27歳頃に交換されるものらしく、この“風のたより現象”を歌った作品がやはりこの年齢前後にいくつか生まれている。 たとえばこれは松山千春の『人生(たび)の空から』。

深く耳をすませば 朝一番の汽笛
町はにわかにざわめいて

遠い人生の空から 君に送る便りは
力まかせのなぐり書き

いつもおびえていたね 風の音にふるえて
吐き出す言葉は愚痴ばかり

君ならよくわかるね こんな僕の気持ちが
今なら一からやれるよね

(松山千春『人生(たび)の空から』より)

男はより高い社会的地位を得るように教育されているから、アイデンティティ・クライシスに対する耐性が女性にくらべて弱い傾向がある。 そのため、この問題が露呈してくる27歳の男というのは、どうしようもない性格になっていたりするものなのだ。 相当に鈍感な男でないかぎり、本当に好きな女性の前には恥ずかしくて顔を出せない。 この『人生(たび)の空から』は、27歳から人生をリセットする旅に出て、出直そうとしている男の様子がよく描かれている。

まわり道でも 人生の終わりに
君にもう一度 逢えたならいいね

(松山千春『人生(たび)の空から』より)

矢印マーク 起承転結II

1981年―松山千春26歳の作品
『人生の空から』収録


この人生(たび)の終わりにおける再会を描いたものが矢沢永吉の『A DAY』。 作詞はもちろん西岡恭蔵である。 27歳頃に制作された矢沢永吉と西岡恭蔵の『A DAY』というアルバムは、気ままなロックン・ローラーとしてトラベリンバスに乗り、27歳頃から自分の内面を探究する旅に出て、その終わりに愛する女性と再会するという地図を描いてみせたのだ。 これが矢沢永吉の生涯にわたる音楽活動の主題となっている。

くらい闇のはてに 青い月の光
浮かぶ君に 出逢うまで
永い時が過ぎた

君の頬につたう 過ぎた日の涙
でも もう これっきり
すべて さよならさ

昨日までのことも 明日からのことも
何も思わず 君とだけ
月の光の中

二人ならば きっと
うまくゆくさ
君の悲しい 涙に
もうさよならさ

(作詞:西岡恭蔵 作曲:矢沢永吉『A DAY』より)

ボクがアキレス腱を切ってうなっている29歳のとき、2号が結婚することを知り、それ以降、風のたよりはぷっつりと途絶えた。

高校時代のことは、年月が経ちすぎていて もう過去のことになっていたし、すでに4号という望み得るかぎり最良のパートナーもいた。 彼女と一緒でなければ乗り越えられそうにない運命の試練に直面している状況下では、風のたよりといっても、<<その昔、とても素敵な女の子に出会ったことがあるけれど、忘れてしまったほうが賢明だとしか思えない>>という印象しか受けない。 いまや胸にそっとしまっておきたい思い出でしかなかった。

風のたよりの背後に働いている運命のカラクリは、40-42歳の大厄の頃にならないと明らかになってこないため、嫉妬心やら何やらも入り混じって、ものごとが歪んでみえてしまう。 この松本隆の作詞による『硝子の少年』は、それは通過儀礼みたいなものだ、と松本隆の掟を教えてくれている。

硝子の少年時代を
想い出たちだけ横切るよ
痛みがあるから輝く
蒼い日々がきらり駆けぬける

硝子の少年時代の
破片が 胸へと突き刺さる
何かが終わってはじまる
雲が切れて僕を照らし出す

(作詞:松本隆 作曲:山下達郎『硝子の少年』より)

ボクの探究も29歳のそこで何かが終わって何かが始まったのだ。

(2016.5)

矢印マーク A DAY

とにかく西岡恭蔵がすごいのです
ここで彼の書いた詩は人生公案なのだ
『A DAY』収録

桃雲水

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