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【坐禅作法103】Love is over

ちょっとはマシな坐禅作法 Love is over〜アニムスの歌を聴け4〜

Presented by

〜アニムスの歌を聴け4〜


矢沢の福音

今となってはただの昔がたりにすぎないけれど、東京という大都会は、そのあまい蜜のためにミツバチたちの集まるレンゲ畑のように、若いボクを惹きつけた。

札幌という北国の都市に育ったボクにとって、冬でも雪の降らない土地というのは、映画の中のように華やかな世界をおもわせる。 何はともあれ雪かき不要。 そのことだけでも束縛から解放される高揚感があるのだ。

ところが、一年間の浪人生活を経て、東京の早稲田大学に合格した十九歳のボクを待ち受けていたのは、喪失感以外の何ものでもなかった。 世にいう一流大学の学歴をもってしても、いつもそこにある不安を埋め合わせることは叶わなかったのである。

おそらく五月病というやつだろう。 寝床で仰向け(あおむ)けになってアパートの天井をぼんやり眺めながら一週間ばかりを過ごすことになった。 そうして一週間経ったころ、予備校の講師が矢沢永吉の『成りあがり』を薦(すす)めていたのをふいに思い出した。

おまえらは反撃したくないか


聞いてほしい。
いま、キツイと思ってるやつ。 誰も助けてくれないよ。 おまえが、そのまま自分のはぐれる気持ちを継続さすと、ますます、まわりは「待ってました」とやってくる。
おまえらは、反撃したくないか。
「永ちゃん、オレ、反撃してえよ」
そうか。 反撃してやれ。 もっともっと。
反撃するって、どういうことか。
おまえ自身に負い目がなくって、自分で、てめえの手でメシを食ってるんだという誇りを持つことだ。

矢沢永吉『成りあがり How to be BIG―矢沢永吉激論集』-P.287「E.YAZAWA」


矢沢永吉は父親とほぼ同年代のロックシンガーだった。 けれどもその生きざまはまったく正反対と言っていい。

父は電力会社のサラリーマンで、半民半官の大企業に勤めていたから、自分自身に負い目を持っていた。 つまりは、会社に食わせてもらっていただけなので、自分に誇りを持つことなんかできるわけがなかったのだ。 その誇りが会社の肩書きに依存しているのであれば、その人物から会社の社員章をとったらそこには何も残らない。 それがために父の性格はゆがみ、「誰のおかげでメシを食えると思ってるんだ」とよく母をなじっていたものである。 そうやって粋がることしかできない男なんて、―成りさがり―以外のなにものでもない。

ボクが東京の大学に進学してひとり暮らしをしたかったのは、その父親から離れて反撃の機会をつかみとりたかったからである。 ちょうど『成りあがり』を読んだことで、そうした漠然とした思いを再認識できたのだとおもう。 当時は、こんな風に自己分析なんかできなかったけれど、少なくとも『成りあがり』が寝床から立ちあがる勇気をくれた。

その後は『成りあがり』をお守りのように持ち歩き、ボロボロになるまでリフレインで読んだ。 講義のレポートも『成りあがり』にある口語調の文体で書いた。 そうやって矢沢永吉の美学を心身に叩き込まなければ、とうてい自分を変えられないと思っていたのかもしれない。 ボクの心に巣喰っていた父親とおなじ―成りさがり―根性は、白いTシャツにこぼれたソースの染みのように頑固で、どうやって漂白したものか、思案に暮れるばかりだったのである。

確立の中を攻撃しろ


世の中っておもしろいものだな。
資本主義が確立された、エリート支配の世の中だ。
何が残されてるかって言ったら、攻撃するしかない。
確立の中を攻撃しろ。 それも、負い目がないようにな。 負い目がないという前提のもとで攻撃するしかない。
それこそ、オレのテーマだ。
「おまえら、あと十年かかるかもしれないけど、全員土下座させてやる。見とけっ!」
そういうことだ。
でも、反撃にもふたつあるな。
頭をまるめて、すいませんて言って、確立した社会に下から入っていく。
でも、それは反撃とは言わないな。 染まるっていうか、妥協だ。 あとあとまで悔しい思いをする。
そんな道じゃない。 オレは選んでもらいたくない。
いま悔しい思いをしてるやつが、また負い目を背負って、悔しい思いをしなきゃなんない。
オレは、はぐれてるやつには、負い目なく反撃してもらいたいよ。
自分でメシ食って、誇りを持って。
それなら、わかる。オレもうれしいよ。

矢沢永吉『成りあがり How to be BIG―矢沢永吉激論集』-P.288「E.YAZAWA」


この世の中は何もかも確立されきったようにみえる。 だから、ボクの父親のように、確立した社会に下から入っていって飲み込まれてしまえば、楽に生きられるのかもしれない。

でも、それが何になる。 父はよく言っていたものだ。 「大学さえ出ておけば後は何とかなる。オレは高卒だったから悔しい思いをしてきたんだ」と。

それは違った。 一流大学の学歴も、大企業の肩書きも、自分の力でメシを食ってる誇りを持ってるやつには敵わない。 そんなものをよすがにしていたら、自分の中にスジが通らない。 そんなことでは自分の中でオトシマエがつかない。 いつまでも負い目が残る。 負い目をつくらず、スジを通して、自分なりのやり方でオトシマエをつけなきゃいけないのだ。 だから…

― 確立の中を攻撃しろ!それも、負い目がないようにな。 ―

それは何もかも確立されきったような世の中にあっても、新しいことがまだまだ可能だという意味だ。 きっと、自分の力でメシを食ってる誇りというのは、自営業で独立しているというくらいでは得られないだろう。 誰にでもできるような借り物で妥協していては、やはり、いつまでも負い目がつきまとうに違いない。 確立の中を攻撃しろとは、自分の中に眠っている独創性を目覚めさせよ、という意味でもあるのだ。

オレはだれもがBIGになれる“道”を持っていると信じている


この本に書いたことは、あくまでもオレ自身の背景だ。 読者は、特殊な例だと感じるかもしれない。 でも、オレは、だれもがBIGになれる“道”を持っていると信じている。

矢沢永吉『成りあがり How to be BIG―矢沢永吉激論集』-P.4「読者へ」


人間は誰もが独創的な才能を持って生まれてきている。 矢沢永吉のメッセージは、それを活用することが生きるということなんじゃないのか、という問いかけだったのである。

これは20世紀の覚者・和尚のメッセージとまったく同じものだ。

才能と負い目


神から与えられたものにはすべてとほうもない目的が隠されているにちがいない。 それを避けてはいけない。 それを避けたら、貧しいままでいなければならない。 それから逃げ出してはいけない。 逃げ出したら、あなたのなかには、生きなかった部分が残ってしまう。

和尚『黄金の華の秘密』-P.253「第七話 光の循環と呼吸」


自分の生まれながらに具(そな)えている才能が、その片鱗をのぞかせる瞬間は、誰もが一度は体験しているはずである。

しかし、その才能を活かさなければ、己れの中の生きなかった部分が抑圧されたまま残ってしまう。 結局、それが負い目となり、性格を歪ませ、精神を分裂させるのだ。 逆に、創造性を追究し、才能を活かしていけば、道を踏み外すことなく正道を歩んでいける。

創造性と宗教


私の宗教のヴィジョンもまた創造性のそれだ。 あなたは創造性を通して神に近づく。 あなたは創造性を通して創造者に近づく。 創造性は宗教的な人物を見定める根本的な基準のひとつであるべきだ。

和尚『一休道歌 上』-P.561「第11話 エゴの風船」


ボクが大学生の時分に手にした『成りあがり』は正真正銘の宗教書だった。 それは創造性のなかに成長するという21世紀型の宗教だったのである。

矢印マーク 成りあがり How to be BIG―矢沢永吉激論集

10代・20代を正しく歩むためのバイブル。
10代・20代の諸君、人生には時節というものがある。
おそらく「聖書」や「経典」を読むのはまだ早い。
まず、これを読んで来たるべきときに備えよう。

赤雲水

井上陽水の極意

黒雲水

そんな自分の才能を信じはじめたボクの前に井上陽水が巨大なモニュメントとしてたちあらわれた。

井上陽水の極意


メロディは、作るんじゃなくて、そこにあるんだと、ディランが言ってるんです。 それを取っただけだと。 抽象的な答えですけど、そういう感じですね。 ギターを持って、ああだこうだやってると、頭からお尻までメロディができちゃうんです。 それは振り返っても、ある意味じゃ客観性のない空白の時間なんです。 精神的に無にするという状態ですかね。 歌詞の場合は、もう少し意識的ですが、それでも、どうしてこの単語が出たのか、自分でもわからないときがありますね。

『井上陽水 FILE FROM 1969』P.227


静寂の中から言葉を拾いあげた経験ならボクにだってある。 もしもこの井上陽水の極意を身につけられたら突破口がひらけるに違いない…それからギターを手にして歌を作りはじめた。 それがボクの卒業制作になるはずだったのである。

就職活動なんかしなかった。 「卒業したら公務員試験を受けるから。東京都民の下僕(げぼく)になって、算盤(そろばん)でもはじくよ」 そう言って うそぶきながらギターの弦をはじいていた。

そのため『ウブな社長』ができたときには、すべての道が閉ざされたような気がしたものである。 井上陽水の極意に近づいたにもかかわらず、そこには拾いあげるべき言葉が一つもない。 おまけにそれは大学四年のことで、その頃から付き合いはじめた彼女もいたため、公約どおり東京都の採用試験を受験しなければならなくなってきた。 ボクはみずから墓穴を掘ってしまった。

所詮、ボクの人生はここまでなんだ、と納得しようとつとめた。 だいたい自分の中に才能の源泉が眠っているなどと夢をみたボクが身のほど知らずだったのだ、と。

矢印マーク 井上陽水 FILE FROM 1969

ほんとうに好きなものはトラウマになる
井上陽水と村上春樹はそんな巨大なモニュメント
だったみたい…この感じ、わかります?


きつい旅だぜ お前にわかるかい?

ところがボクの中に息づいた創造の美学は、そんな妥協をゆるしてはくれなかった。 採用試験の合否の通知がアパートに届いたとき、何かの雑誌で目にしていた経営コンサルタントの言葉が脳裏をかすめたのである。

― 公務員だけには絶対なるな! ―

ボクは封も切らずにその通知をゴミ箱に捨てた。

その経営コンサルタントのお話は こんなものだった。 公務員になったときに与えられる安定はまやかしにすぎない。 それは心をむしばみ、ケツの毛まで抜かれ、再起不能にさせられる。 たとえどんな境遇にあろうとも、再起するための道を閉ざさなければ、いずれ機会がめぐってくるものだ、と。 大胆にも就職活動に臨む学生向けの雑誌にそんな記事を寄稿してくれていたのだ。

これは和尚のこのメッセージにつながる。

生は不安定を必要とする


安心になればなるほど、安全になればなるほど、それだけあなたは生気を失ってしまうだろう。

生は挑戦の中にある。
生は危機の中にある。
生は不安定を必要とする。

それは不安定という土壌の中で成長するものなのだ。 いつであれ、あなたが不安定であるようなとき。 あなたは自分自身がより生き生きとして、より醒めているのを見出すだろう。

和尚(バグワン・シュリ・ラジニーシ)『般若心経』-P.139「第3話 知識は禍いなり」


生は挑戦の中にある。
生は危機の中にある。
生は不安定を必要とする。

矢沢永吉が27歳のときに『A DAY』というセカンドアルバムをリリースしているのだけれど、これは矢沢永吉という男の野性が西岡恭蔵という詩人の本能を覚醒させたような作品で、ここではちょっとした奇蹟が起こっている。 一つのアルバムの中にインスピレーションによって綴られた歌詞が何曲も収録されることは滅多にない。 ところが西岡恭蔵はそれを成し遂げてしまっているのだ。

これは、そのうちの一曲。『トラベリン・バス』

きつい旅だぜ お前にわかるかい
あのトラベリン・バスに 揺られて暮らすのは
若いお前は ロックン・ロールに憧れ
生まれた町を 出ると言うけど

その日ぐらしが どんなものなのか
わかっているのかい?

(作詞:西岡恭蔵 作曲:矢沢永吉『トラベリン・バス』より)

生きることはロックン・ロールだ。 それは決して一つどころに安住することなく、町から町へと旅を続けるトラベリン・バスに揺られて暮らすようなもの。 もちろんキツイ旅になるだろう。 それでも、その日ぐらしの気ままなロックン・ローラーには生きがいがある。

たまらないぜ あのトラベリン・バスに
揺られて行くのは

(作詞:西岡恭蔵 作曲:矢沢永吉『トラベリン・バス』より)

ボクは機会のめぐってくる時節を待つのにふさわしい仕事を探すことにした。

矢印マーク A DAY

とにかく西岡恭蔵がすごいのです
ここで彼の書いた詩は人生公案なのだ

青雲水

いずれ勝負に出るために

緑雲水

それがシステムエンジニアの職種だった。 ちょうどインターネットの普及しはじめた頃で、米国のシリコンバレーを震源地として第三次産業革命が起こっていた。 この業界には未知のフロンティアがひろがっていたのである。 血潮がうずいた。

「未経験者歓迎」

そんなうたい文句にもつられて、あっさり飛びこんでしまっていた。 それと時を同じくして大学時代の彼女との関係は次第に壊れていくことになる。

「公務員はやっぱり違う気がした」
「採用通知はゴミ箱に捨てた」
「ボクはどうかしていたんだ」

突然そんなことを言いはじめた気ままなロックン・ローラーを誰が理解できるというのだろう。 大学時代の友人たちはみな名のある企業に就職を決めていた。 世間の尺度では立派な社会人である。 その一方で、ボクのやっていたことは、金鉱が発見されたという噂を聞いて駆けつけた雇われ坑夫みたいなもので、何のヴィジョンもノウハウもない。 その目的はといえば、単なる“時間かせぎ”だったのだから。

矢印マーク 黄金の華の秘密

和尚は経典の解説をしているようでいて、実は心随観のコツを伝えている。 中国道教の真髄『太乙金華宗旨』で学ぶ心随観。 これは、いいね!


彼女の眼には さぞかし頼りなさげに映っていたに違いない。 それからアテがはずれたとも。

<<よくわからないけど、いずれボクにも機会がめぐってくる。そのとき勝負に出るためにも、できるだけお金を貯めておきたい>>

そんな風に考えていたボクを「ドライヴに連れてって」とせがんで困らせるようになった。 車なんてバカ高い維持費がかかるだけの消耗品だ。 井上陽水だって車の免許をとったのは42歳を過ぎてからだというし、働きはじめたばかりの若造には贅沢すぎる。 だいたい交通に不便のない東京で、どうして車が必要なのか、さっぱり理解できなかった。

<<コイツと一緒にいたら勝負に出られない…>>

それでも当時は自分のやっていることに確信なんて持てなかったため、何も言えなかった。

「そのうち何とかするよ…」

30代の人生のどん底を支えてくれることになるぷっつんレディ4号と出会ったのは、そんなときである。 すると…

「アナタがわからなくなったの」
「わたしたちにはしばらく考える時間が必要だとおもう」

大学時代の彼女から突然そんな風に告げられてボクはフラれた。 まるで、ある駅に到着したら向かいのホームに乗り継ぎ電車が待っていた、というような絶妙のタイミングで。

矢印マーク 般若心経―バグワン・シュリ・ラジニネーシ、色即是空を語る

“無”・“空”の経典『般若心経』
それは最後の扉をひらく究極の教え
和尚の解説があれば雰囲気だけでも味わえる


コイツと一緒なら、きっと勝負ができる

それは本当に“乗り継ぎ”みたいな感じだった。 しかも普通列車から特急列車へと。 特急列車は、座席の仕様も、空調も、走行性能も、普通列車とはまるで違って乗り心地が好い。 それくらい、ぷっつんレディ4号はボクにしっくりきた。

<<コイツと一緒なら、きっと勝負ができる>>

もとより彼女は「車なんかいらない」と言い切る人だったのだ。 ボクはそこに自分の指定席を見つけた。

人生のパートナー選び


あなたは、この女性と結婚するか、あの女性と結婚するか。 二者択一を迫られたりはしない。 あなたのハートは全面的にひとりの方についている。 そこには何の動機もない。 したがって、もちろんあなたが二人に分裂する必要もない。

さらにそこには何の混乱もない。 もし混乱から決定したら、あなたは争いをつくり出すだろう。 混乱はあなたをますます深い混乱へと引きずり込むものだ。 けっして混乱から決定しないこと。

和尚(バグワン・シュリ・ラジニーシ)『般若心経』-P.477「第9話 彼方からのメッセージ」


ボクのハートは全面的にひとりの方についていた。 そこには何の動機もなかったから、他の選択肢なんてあり得ようもなかったのだ。

人生の選択と決断


人は選ばなければならない。 人は決断しなければならない。 人生の旅路を一歩進むごとに、人は岐路に立たされ、選ばなければならなくなる。 すべての道をわがものとすることはできないし、すべての道を歩くことはできないからだ。 私はものごとの善し悪しを云々しているのではない。 何であれあなたが全身全霊で選んだものが正しい、と私は言っているのだ。

和尚『黄金の華の秘密』-P.247「第七話 光の循環と呼吸」


この時期の選択と決断の体験が、25・33・37歳の厄年で課せられた運命の試練の課題を乗り越えるのに役立った。

運命の試練の足音は真夏の台風のごときもの。 それは、はるか遠くからやって来るようで、それでいて絶え間もなしに近づいてくる。 それがどれほど人生をはげしく揺さぶろうとも、とりあえずは起こるべき何ごとかをやり過ごすよりほかに為すべきことは何もない。 そして過ぎ去った後には、それまで築きあげてきたものが崩壊した傷あとだけを残して、嘘のような青空が広がるのだ。

<<やれやれ、これからどうしようか…>>

それまで築きあげてきたものなど何の役にも立たないというのに、 ハートはその答えをすでに知っているというのに、 己れの中に脈打つ血潮がうずいているというのに、 挑戦をおそれ、危機(リスク)をおそれ、不安定をおそれて、決断を間違える。 すると その傷あとはいつまでも心の中に残り、負い目となるのだ。

― 負い目をつくらず、スジをとおして、自分なりのやり方でオトシマエをつける ―

この美学を持ち合わせていないオカマやチキンにつける薬はない。

矢印マーク 一休道歌 上

風狂の禅師・一休の和歌で学ぶ禅
こいつはイカシテル

桃雲水

愛に終わりがあって 心の旅がはじまる

赤雲水

大学時代の彼女と別れ話をしたとき、彼女はこんなことを語っていた。

「もっと叱ってほしかった」と。

あたかも、わがままを言ってボクを困らせたのは決して本心ではなかった、とでも言うかのように。 たしかに そこに至った経緯は、何らかの不可抗力がはたらいての已(や)むを得ずのことだったようにも思える。 いっそ、ボクが怒りをあらわにするくらい詰(なじ)ってくれたらよかったのに、彼女はそうはしなかった。 まるで、気ままなロックン・ローラーとしてトラベリン・バスに乗ろうとしていたボクの胸中を知っているかのように微笑んでいたのである。

おかげで、やるかたない思いがいつまでも残り、そのときのことを思い返すことがしばしばあった。 ようやく意味がわかってきたのは、41歳を超えて この歌を聴いたときだ。

Love is over 悲しいけれど
終わりにしよう きりがないから

Love is over わけなどないよ
ただ一つだけ あなたのため

Love is over 若いあやまちと
笑っていえる ときがくるから

Love is over 泣くな男だろう
私のことは 早く忘れて

(伊藤薫『ラヴ・イズ・オーヴァー』より)

これは伊藤薫が23-25歳の厄年の時分に創った作品で、この『ラヴ・イズ・オーヴァー』と同じ系統の別れの名曲は、決まって23-25歳くらいで生まれてくる。 求道者はこの時期に心の旅の準備をするのだけれど、そのとき、ひとつの愛が終わりを迎えるからだ。

たとえばこれは岡村孝子の『夢をあきらめないで』。 この時期の失恋をきっかけに創られた作品で、心の旅をはじめた男の心情を察した彼女がエールを送っている。

乾いた空に続く坂道
後ろ姿が小さくなる
優しい言葉さがせないまま
冷えたその手を振り続けた

いつかはみな旅立つ
それぞれの道を歩いてゆく

あなたの夢をあきらめないで
熱く生きる瞳が好きだわ
あなたが選ぶ すべてのものを
遠くにいて 信じている

(岡村孝子『夢をあきらめないで』より)

Love is over 悲しいけれど…心の旅をはじめた求道者にとってひとつの愛の終わりは避けられないものらしい。 しかしながら― over ―という単語には「終わり」以外にも「無限」「定義不可能」という意味だってあるだろう。

Love is over 私はアンタの
お守りでいい そっと心に

Love is over 最後にひとつ
自分をダマしちゃ いけないよ

お酒なんかでゴマかさないで
本当の自分をじっと見つめて
きっとアンタにお似合いの人がいる

(伊藤薫『ラヴ・イズ・オーヴァー』より)

こんなイカした女にふられたボクは幸せものである。 どうやら彼女はトラベリン・バスに乗って旅立とうとしていたボクを笑顔で送り出してくれていたみたいだ。

そんな風に考えると、世の中にはただひとつの愛があるだけで、それが姿かたちを変えて顕現しているにすぎないような気もしてくる。 まさしく愛は無限であり、定義不可能なのだ。 それは人間の理解をはるかに超えたものらしい。

そしてこれは財津和夫の『心の旅』の一節。 やはりこの時期に創られた別れの名曲だ。

いつもいつのときでも ボクは忘れはしない
愛に終わりがあって 心の旅がはじまる

(財津和夫『心の旅』より)

こうしてボクは求道者として心の旅路についた。

(2016.3)


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