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【坐禅作法102】22才の別れ道

ちょっとはマシな坐禅作法 22才の別れ道〜アニムスの歌を聴け3〜

Presented by

〜アニムスの歌を聴け3〜


魂の呼応性

歌や物語はパラレルワールドの扉を解き放つ。 それは自分でも思いもよらない場所に封じ込めた運命の扉を開く鍵となるのだ。

小さな子供たちには、いずれ訪れる人生の苦難をパラレルワールドの隠喩(メタファー)と寓意(アレゴリー)に埋もれながら陶然と待つ権利と義務がある。 だから、やがて己れの運命の現実に直面したとき、それを乗り越える力がおのずと湧き出してくるように、隠喩と寓意をふんだんに織り込んだ歌や物語で幸福なひとときを過ごさせてあげたい。 忘れてしまいたいほどの苦しみの中に安息を求めるとき、かつての幸福なひとときをきっと思い出すことだろう。 すると、そこに蔵(かく)されていた解決の糸口に気づくのだ。

歌や物語の隠喩や寓意には、そうしたタイムカプセルの役割がある。

だから歌や物語はとにかく、何度も繰り返し聴いたり、読み込んだりして、暗記したくなるほどの美しい残響を備えていなければならない。 そこに詩人や作家の使命があるとおもう。 それゆえに、作家志望のボクはパラレルワールドの入口を何としても見つけ出したかった。

矢印マーク 夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

まったく驚いた
ここには物書きの基本が詰まっている


たとえばボクたちが、この現実世界と心の内奥にあるパラレルワールドを同時に生きているとするなら、ある種の歌や物語は、そのパラレルワールドにおける心象風景を描き出している。 それは無意識的に誰もが通過している共通の深層世界の体験であるため、現実世界でどれほど別々の環境で暮らしていようと そこに共感が生まれるのだ。

共感力― 魂の呼応性 ―

たとえば僕がどんどん、どんどん深く掘っていってそこから体験したことを物語にすれば、それは僕の物語でありながら、Aという人の持っているはずの物語と呼応するんですよね。 Aには語るべき潜在的な物語があるのに、有効にそれを書けなかった、語ることができなかったと仮定して、そこで僕がある程度深みまで行って物語を立ち上げると、それが呼応するんです。 それが共感力というか、一種の魂の呼応性だと思う。 もし僕がそれである程度、自分が物語を立ち上げたことで癒された部分があるとすれば、それはあるいはAという人を癒すかもしれない―ということがあるわけです。

村上春樹インタビュー集1997-2011『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』P.120「『海辺のカフカ』を中心に」


ただし、こうした共感力を持った作品を生み出す才能の油田に到達するためには、やはり己れの心の闇を直視する自我の洞察力が不可欠である。

才能の油田と暗闇

そのためには、本当に暗いところ、本当に自分の悪の部分まで行かないと、そういう共感は生まれないと僕は思うんです。 もし暗闇の中に入れたとしても、いい加減なところで、少し行ったところで適当に切り上げて帰ってきたとしたら、なかなか人は共感してくれない。

村上春樹インタビュー集1997-2011『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』P.120-121「『海辺のカフカ』を中心に」


この現実世界の現象として、40-42歳の大厄の時節を迎えたとき、インスピレーションのフローを体験する作家は少なくない。 しかしながら、そのインスピレーションが共感を生み出すかどうかは別の問題なのである。

これは村上龍が『五分後の世界』という小説のあとがきに書いたものなのだけれど、ここにあるのは紛れもなくフローの体験談であり、この時期にフローライドしていたことが窺(うかが)える。

40-42歳大厄におけるフローライドの事例

果たして自分は書くだろうか?と考えた。 「書けるだろうか?」とは考えない。 「書くだろうか?」だ。 「たぶん書くだろう」ということにして、始めた。 途中、今までにない体験があった。 それがあまりにスリリングだったので、ワカマツの台詞として本文でも使った。 約半分まで進んだ時に、突然「物語の設計図」 とも言うべき三次元のパース画のようなものが出現した。 「作る」のではなく、それまで何もなかった湖から恐竜が現れるように、ずっと以前からあって単に見えなかっただけだという風に「設計図」が、頭の中ではなく、現前に、見えるものとして、出現した。 その後はマシンになって書いた。 間違えたり、余分なものや不足なものがある時は、「違うよ」と「設計図」から指摘された。 「物語の設計図」の奴隷になっていたわけでは もちろんない。 ただし、主人でもなかった。

村上龍『五分後の世界』-「あとがき」より


どうやら本人はフローライドの体験をもって、この作品を最高傑作と語っているみたいだ。 けれども、旧日本軍が地下組織を作って生き延びているという理想主義的なお話で、「ほう、これがアナタの42年間ですか」という記念碑的作品としての価値なら認められるものの、どうひいきめに見ても中身は浅い。 本人の思想・信条が前面に浮き立って魂の呼応を生み出すような深みがあるとは考えにくい仕上がりとなっているのだ。

矢印マーク 五分後の世界(幻冬舎文庫)

村上龍42歳頃の作品

赤雲水

『時代』の秘密

黒雲水

ボクが『ウブな社長』を作曲して、青春の挫折を味わった22歳のときにも、これと同じ現象が起こっていた。 「これがボクの22年間なのか…」と落胆したのと同じ年齢のとき、中島みゆきは『時代』を生み出していたのである。

彼女はそれを創作したときの状況をこのように語っている。

『時代』の秘密 〜 その一 〜

書いた時には、たぶん何も考えていなかったと思います。 誰にでもあることでしょうけれど小さな子みたいにね。
「口が勝手に歌うにまかせた」
というような生まれ方をした曲なので、そういうのって、ほとんどの場合、書きとめようとしても間に合わないんですね。 なのでこれはごく稀なケースでした。 今でも、もしかしたら もっと長い曲だったのかもしれない、という気がする時もあります。

NHK『SONGS』第254回「時代」〜中島みゆき


はばかりながら、ボクの『ウブな社長』だって同じようにして生まれたものだ。

頭の中で歌が鳴っているから、そこに和音(コード)を当てはめていくだけのことだった。 だから、こういうものは、ものの数分で出来上がる。 しかも出来上がったときには、何を歌っているのか、自分でもよくわからないのだ。

『時代』の秘密 〜 その二 〜

なんとも単純で漠然とした歌詞ですから、自分でも、何の意味だろうって考えながら、ずっと歌って来ました。

NHK『SONGS』第254回「時代」〜中島みゆき


しかしながら、中島みゆきの『時代』とボクの『ウブな社長』。 同じ年齢の創作でありながら、えらい違いである。 22歳のボクは、水平線の遠くにみえる孤島から「ここまで来れるものなら泳いで来てみなさいよ」とからかわれているような気分だった。


創作と星まわり

こうした現象の起こる理由は星まわりの科学で説明できる。

星まわりの科学

星学は、星の刺激に対する人間の反応を研究する科学だ。 星には意識的な善意や悪意があるわけではない。 星はただ、陽性または陰性の放射線を放っているにすぎない。 これらの放射線はそれ自体としては人間を助けたり害したりするものではないが、各人が過去においてまいた行為の種子(因)に、因果の法則による発芽の機会(縁)を与えるのだ。

パラマハンサ・ヨガナンダ『あるヨギの自叙伝』-P.170「運星をかわす」第十六章


つまりは星の放射線のイタズラなのだ。

おそらくボクは、22歳までの生涯を通じて悪果につながる業(カルマ)の種子をたくさん植えつけてしまっていたのだろう。 そのため、中島みゆきと同じ作詞・作曲の才能を持って生まれてきたにもかかわらず、その才能の発芽すべき時節が到来したときに、彼女と同じ深みに達していなかったのだ。 それでも星まわりの法則は非情なまでに正確にはたらく。 とりあえず発芽すべきものが発芽し、そこで生まれてきたのが、へんてこりんな『ウブな社長』という歌だったのである。

このようにインスピレーションのフローには周期や法則がちゃんとあるわけで、経験豊富な芸術家の中には、それに気づいている人物もいる。 これは村上春樹が54歳だった2003年のインタビュー。

インスピレーションの周期

現在は、どのようなお仕事をなさっているのでしょうか。

―何もしていません、休んでいます。 昨日カズオ・イシグロに会ったんですけどね、彼は一冊の本を書くのに三年をかけ、それから一年間は、旅行をし、ジャーナリストに会い、外国に行くなどして過ごすそうです。 それはここしばらく、僕がしていたことでもあります。

村上春樹インタビュー集1997-2011『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』P.177「書くことは、ちょうど、目覚めながら夢見るようなもの」


英国の作家・カズオ=イシグロと同様に4年に一作品というペースで長編小説を創作しているというお話である。

たとえばイタリアルネサンス期にヴァイオリニストで作曲家だったコレッリという人物がいるのだけれど、彼のこだわりは約4年に一度のペースで作品集を出版すること。 気に入らない曲は切り捨て、かならず全12曲にまとめるという徹底ぶりで、その楽譜の表紙には、posteritati=「後世に」と印字されていたそうだ。

1681年(28歳)―トリオ・ソナタ(教会ソナタ)作品1
1685年(32歳)―トリオ・ソナタ(室内ソナタ)作品2
1689年(36歳)―トリオ・ソナタ(教会ソナタ)作品3
1694年(41歳)―トリオ・ソナタ(室内ソナタ)作品4
1700年(47歳)―ヴァイオリン・ソナタ 作品5
1712年(59歳)―合奏協奏曲集 作品6…遺作

身近なところでは、46歳以降における井上陽水のオリジナルアルバム発表ペースがきっかり4年に一度となっている。 「曲をつくるのが面倒くさい」と作ったカバーアルバムが馬鹿売れした、という幸運の持ち主なのだけれど、つまるところ、「インスピレーションのフローがこないうちは無理して作らない」という姿勢の自然な結果がこれなのだろう。

1994年(46歳)―『永遠のシュール』
1998年(50歳)―『九段』
2002年(54歳)―『カシス』
2006年(58歳)―『LOVE COMPLEX』
2010年(62歳)―『魔力』

また、アニメ映画監督の宮崎駿氏の長編アニメの公開ペースもほぼ4年に一度だ。 氏は、プロット未定のまま映画を作り始めて、仕事をすすめながら脚本を仕上げていく人物で、フローライドの心得をわきまえているフローライダーである。

1988年(47歳)―『となりのトトロ』
1989年(48歳)―『魔女の宅急便』
1992年(51歳)―『紅の豚』
1997年(56歳)―『もののけ姫』
2001年(60歳)―『千と千尋の神隠し』
2004年(63歳)―『ハウルの動く城』
2008年(67歳)―『崖の上のポニョ』
2013年(72歳)―『風立ちぬ』

とはいえ、こちらは残念ながら、きっかり4年に一度というわけにはいかなかったらしい。 もしかすると井上陽水と宮崎駿氏の違いは精神性の違いにあるのかもしれない。

星まわりとの調和

神は調和だ。 神に意識を合わせている者は、何をしても決して間違うことはない。 その人の行為は、自然に星学の法則にもかなうことになる。 人は深い祈りや瞑想によって、自己の内奥に宿る聖なる意識に触れることができる。 そしてこの内的守護こそ、何物にもまさる偉大な力なのだ。

いっさいの人間苦は、宇宙法則に対して何らかの違反を犯したことから生ずる。 人間は神の全能を信ずると同時に自然法則をも満足させなければならない、と聖典は指摘している。

パラマハンサ・ヨガナンダ『あるヨギの自叙伝』-P.171「運星をかわす」第十六章


たとえフローライドの仕方を知っていても、自然法則と調和していなければ、苦しみながら作品を創作することになり、逆に、成果をたぐりよせることを放棄し、自然法則と調和するなら、かえって無理なく作品を創造できるらしいのだ。 そうだとすると、成果のあがる時節というのは、あらかじめ星まわりで決まっていることになる。

その成功と失敗もまた、その時節までに どんな因果の種子を植えてきたかにかかっているのだろう。 つまり、冬が自然に過ぎゆくのを待つことしかできないのと同じ理由で、春を急(せ)かせて無理やり引き寄せることもできないし、種まきの時節に種をまかずに水をまいても、生えてくるのは雑草ばかりだろうというわけである。

和尚は待機と成果の関係をこのように語っている。

成果はひとりでにやってくる

あなたの行為には待つという質がそなわらなければならないし、あなたの待機には活動の質がそなわらなければならない。 そうなれば必ず成果があがる。 成果のことは考えなくてもいい。
―それはひとりでにやってくる。

和尚『黄金の華の秘密』-P.250「第七話 光の循環と呼吸」


ボクたちの学ばなければならないことは、いかにして成果をあげるかということよりも、むしろ、いかにして待つかということなのだ。

成果をたぐりよせなくても、それは花のように開く

成果がおのずからやって来るとき、そこにはとほうもない美がかもしだされる。 成果をたぐりよせなくても、それは花のように開く。 花を無理やり咲かせなくてもいい。 無理やり咲かせたなら、花は死んでしまう。 そういったやり方はよくない。 それに早く咲かせすぎたらその花には香りがなくなってしまう。 香りを集め香りをつくりだすために、花は正しい瞬間を待たなければならないからだ。 香りの準備が整ったとき、はじめて花はひとりでに開く。

和尚『黄金の華の秘密』-P.248「第七話 光の循環と呼吸」


要するにボクたちは、何らかの成果をあげたくとも、自我の観察を推し進め、己れの才能の油田をできるだけ深く掘り下げながら、時節の到来をじっと待つことしかできない存在なのだ。

矢印マーク 『あるヨギの自叙伝』

悟境の深まりにつれてエピソードに込められた真意が立ちのぼる。
そのとき物語は警句となり教訓となって迫ってくる。
聖者独特のぶっ飛んだユーモアも楽しい。
聖典『バガヴァッド・ギーター』入門書としても最適。

青雲水

まがり角でオレは ほんの少しだけコケた

緑雲水

この道理を知らなかった22歳までのボクは、成果をたぐりよせようと躍起になって、かえって自然法則に対して重大な違反を犯してしまっていたらしい。 ボクの作った『ウブな社長』は、たしかに、こう歌っていたのだから。

まがり角でオレは ほんの少しだけコケた
(布施仁悟『ウブな社長』)

では、ボクはいったいどこでコケたのか?

今ではそれがよくわかっている。 高校に進学して成績がふるわなくなったときだ。 その事実を認められなかったばかりに、ボクの精神は分裂をはじめ、性格が急速にゆがんでいった。 それまで両眼ともに1.5の視力を誇っていたのに、はやくも17歳で眼鏡をかけることになってしまった。 心の歪みが身体の歪みとなってあらわれるというのは本当のことだ。

その人生をコケた時点と原因をつきとめたのが33歳のことで、ほんの小さなつまずきが雪だるま式にふくれあがり、そのせいで何年も苦悩していたことを知ったとき、悔しくて仕方がなかったものである。

そんなボクが人生の軌道を大きく逸(そ)れながらも生還を果たすことができたのは、やはり“愛”のおかげだったような気がする。

高校の教室でぷっつんレディ2号に話しかけられ、そのまなざしに触れた高校三年のとき、ボクは自分の生きざまを恥じた。 その頃には、すでに自分でも嫌になるほど性格がゆがんでいたからだ。 だからといって、当時はどうすることもできなかったのだけれど、少なくとも「このままではいけない」とはっきり気づいたのは間違いなくその時だったのだ。 それ以来、彼女のまなざしが忘れえぬものとなり、夜の航路でも方角を教えてくれる北極星(ポラリス)のように、はるか遠くから変わることなくボクを照らし続けてくれるようになったのだろう。

41歳になるまで気づかなかったとはいえ、ボクが道を踏み違えそうになっていたとき、どういうわけか彼女の姿を目にする運命になっていたのだ。 そのたびに、彼女の忘れえぬまなざしが思い出され、自分の生きざまを振り返ることになり、嫉妬心や劣等感との葛藤を乗り越えつつ、なんとか人生の方角を軌道修正していった。 そうなのだ。 2号という存在は、見上げれば遥か彼方に輝くボクの北極星(ポラリス)だったのである。

だから今のボクにはパラレルワールドを通じて彼女とつながっているという感覚がある。 それはどんなに離れていようと決して失われることのないものだ。 それゆえにこそ、宇宙といおうか、道(タオ)といおうか、2号との不思議な縁を想うとき、自分はそういったものから分離してはいないのだ、という感覚を呼び覚ますことができる。 ボクはもう孤立した存在じゃない。 それを“愛”と呼ばずに何と呼ぼうか。

とはいえ、顕在意識の上においては、そんな2号のことをすっかり忘れていった。 『ウブな社長』で挫折を味わい、捨て鉢(ばち)な気分になったときから、いつのまにか大学のサークルの女の子とつきあいはじめることになったからである。 だからそれは22歳からのことだ。

おそらくボクと同じような経緯をたどる人は少なからずいるはずで、というのも、この現象を描いた歌があるからだ。 伊勢正三の『22才の別れ』と『なごり雪』である。

矢印マーク 黄金の華の秘密

和尚は経典の解説をしているようでいて、実は心随観のコツを伝えている。 中国道教の真髄『太乙金華宗旨』で学ぶ心随観。 これは、いいね!


22才の別れ現象

これらは伊勢正三が静寂の中から拾い上げた作品で、22才の別れ現象を男女双方の立場から描いたものだ。 つまり、これらの楽曲は二つで一つ。 二曲で22才の別れ現象の意味を浮かびあがらせる仕掛けになっている。

22才の別れ現象とは、この時節を境にして、男女ともに十代のあこがれを忘れ、まったく別世界を生きるようになること。 それは、いわば記憶喪失にかかるようなものだろうか。

わたしの誕生日に
22本のローソクを立て
ひとつひとつが
みんな君の人生だねって言って
17本目からは一緒に火をつけたのが
昨日のことのように

(伊勢正三『22才の別れ』より)

この『22才の別れ』は、17歳くらいでツインレイに出会って、22歳から別々の道を歩み始める宿命を歌ったものなのだ。

わたしには鏡に映った
あなたの姿を見つけられずに
わたしの目の前にあった
幸せにすがりついてしまった

(伊勢正三『22才の別れ』より)

頭で考えてひねり出そうとしたら、このような歌詞は絶対に書けないだろう。 これは、22歳の時点では心の鏡がくもって錆びついているため、本来の自性がまだ顕現していないことを意味している。 そんな心の内奥にあるパラレルワールドの現実を表現したものにほかならない。

この『22才の別れ』が女性の立場の歌ならば、一方の『なごり雪』は男性の立場の歌である。 詩の完成度はこちらの方が高く、天啓としか考えられないほどで、どこにも破綻がない。

汽車を待つ君の横で
僕は時計を気にしてる
季節はずれの雪が降ってる

東京で見る雪は
これが最後ねと
さみしそうに君がつぶやく

なごり雪も降るときを知り
ふざけすぎた季節のあとで

(伊勢正三『なごり雪』より)

「このままではいけない」と気づいていながら、時ばかりが徒(いたず)らにすぎてゆく。 だからといって、どうすることもできないもどかしさだけを残し、まもなく彼女が旅立つ運命の汽車がやってくる。 季節は春だというのに、男の心の中の季節はいまだに冬だ。

動きはじめた汽車の
窓に顔をつけて
君は何かを言おうとしている

君のくちびるが
「さようなら」と動くことが
怖くて下を向いてた

(伊勢正三『なごり雪』より)

心の奥底では、もうすぐ別世界を生きるようになる現実を知っている。 「もう二度と会えないかもしれない…」。 男は気づいていないふりをするだけで精一杯なのだ。

時がゆけば幼い君も
大人になると気づかないまま
君が去ったホームに残り
落ちてはとける雪をみていた

いま春が来て
君はきれいになった
去年よりずっと
きれいになった

(伊勢正三『なごり雪』より)

情けないくらい不器用な自分にくらべて彼女のほうはずっとうまくやっていけるようにみえる。 もしまた会えるとしても、それまでに期待どおりの成長を遂げられる自信もない。 22才の別れ現象のあと、男の胸に去来するのは、不安と嫉妬と劣等感だけだ。

ボクはこうして22歳までに自分の才能を目覚めさせることに失敗した。 このあとは、ほとんどヤケクソ気分で長期戦に持ち込むしかなかったのである。

(2016.2)

矢印マーク 三階建の詩

『22才の別れ』『なごり雪』収録
22歳だからこそできた偉業

桃雲水

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