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【坐禅作法97】見性から観照へ

ちょっとはマシな坐禅作法 見性から観照へ〜縁覚道の地図17〜

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〜縁覚道の地図17〜


それでも悟りの軌道はまわっている

ここに展開している悟りの軌道理論は、かつて存在し失われた知識を再生(ルネサンス)しているだけのことである。 したがって真新しいことなど何ひとつない。

― 秘密というものは、語り手が不足しているからではなく、聞きとれる耳が不足しているからこそ、ひめやかに埋もれたままでいるのだ ―
(S・キング『スタンド・バイ・ミー』第一章)

断片的に存在している古来の文献を拾いあつめて、悟りの軌道理論を体系化し、これから歩むべき縁覚道の景色をのぞき見してみよう。

この試みにより、この理論はことさら秘密にされてきたわけではなく、聞きとれる耳が不足していたからこそ、ひめやかに埋もれたままになってきたことが明らかとなるに違いない。

とはいえ21世紀初頭の人類には時期尚早かもしれないため、今のところ、こう呟くことしかできないのがもどかしいところだ。

「それでも悟りの軌道はまわっている」と。

矢印マーク 『スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編 (新潮文庫)』

S・キングは自身の創造の秘密をここに綴じ込めたんだ。
これ、ただの小説じゃないよ。

赤雲水

下丹田定説の矛盾

黒雲水

この現象世界における正解というのは前向きで誰もが納得のいくこととは少しばかり勝手が違うらしい。 それは、むしろ逆説的で、当初は混迷世界へとつながっているようにすらおもえてしまうものだ。 すなわち…

― パラドックスが常に正しい ―

ということである。 私の坐禅修行を振り返ってみれば、このテーゼはいつだって絶対的な法則だった。

私は32歳の誕生日を迎える頃に『5つのチベット体操』という本を手にした。 そこに蓮華(チャクラ)や気(エーテル・プラーナ)などの一般には耳なじみのない概念を解説してあったという点で、私にとってのそれは密教世界への招待状のようなものだったといえる。

矢印マーク 『秘法超能力仙道入門』

この本の記述は古い文献や自身の実体験に基づいている。 何かと参考になるので手元に置いておくといいかもしれない。

ただし、インチキ気功師になってはイケナイので、 かならず見性してから読むようにしましょう。


その密教世界では、臍下にある下丹田(スワディスターナ・チャクラ)から眉間に位置する上丹田(アジュナ・チャクラ)へと、下から上に向って蓮華を開発していくという手順がまことしやかな定説となっている。 まず下丹田に熱感を発生させて体内に巡らせろというのだ。

まことしやかな定説

仙道では、はじめこの熱感を、おもに下腹部の丹田に発生させる。 というのは、頭とか上半身に熱を発生させると、脳や心臓、呼吸器などがやられるからだ。 こうした部分は、もともと血管が集中して熱を持ちやすいのだから、さらに熱を発生させるというのはよいことではない。
これに比べ、下半身は血ががとどこおりやすいから、いくら熱を発生させても問題はない。 精力がついて元気になるだけである。

(高藤聡一郎『秘法!超能力仙道入門』-P.144「第4章 小周天の行とは気による肉体の錬金術!」)


要するに「下丹田を作っておく事は安全に修行するための方法」というわけである。

こうした定説について、私は当初からいささか懐疑的であり、ついに信用するまでに至ることはなかった。 まったく密教的素質のなかった私にとって、蓮華や気を話題にするような人物の言動は、オタク的なオカルト趣味の極地であり、オツムがおかしいとしか思えなかったからである。

ところが32歳で悟りの軌道に参入すると、ほどなくして私自身が熱感を得るようになってしまったものだから、蓮華の開発手順について、かなり真剣に調べ上げなければならなくなった。 それはもちろん「クルクルパアの仲間入りをするなんてのはまっぴら御免である」という危機感に突き動かされていたからであり、「もしかするとすでにどうかしちゃってるかもしれない」という切迫感もあったため、すこぶる必死の探究であったといえる。

そんな私が定説の矛盾に気づきはじめたのは本山博氏の『密教ヨーガ』を読んでいたときだった。

矢印マーク 『密教ヨーガ―タントラヨーガの本質と秘法』

本山博先生の著作は大いに参考になる。
ただし、ほどほどにしておかないと怪我するぜ。


氏は「蓮華の開発は下から上が基本である」と定説をなぞりながら「順不同でもかまわない」などといい加減なことを説いていて、その根拠をサッチャナンダとかいうヨーガ指導者の言説に拠(よ)っていた。

なんでもサッチャナンダという人物は、一番最初に上丹田(アジュナ・チャクラ)を目覚ませておけば蓮華開発に伴うありとあらゆるリスクを回避できると説いていたらしいのだ。 それはすなわち、まず眉間に位置するとされている上丹田(アジュナ・チャクラ)を目覚ませてから、各蓮華を開発すべきであるという指示であり、定説の逆説(パラドックス)こそが正しいということになる。 このとき私は、蓮華や気を話題にする人物たちの言動がどこかおかしいのは、こうした蓮華の開発手順を履き違えているからに違いないと直感した。

そこでサッチャナンダとかいう人物の説いていた行法に照準を定めて、それを詳しく解説してある文献を探し求めることにした。 こうして手にすることになったのがR・シュタイナーの『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』なのである。

矢印マーク 『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』

坐禅修行のプロセスを正確に記述してある唯一の本。
(2011年1月現在・ボク調べ)
こういう本が市場に出回っている現在、
秘密にしておくことなんてもはや何もないはずである。
そろそろまともな禅書を誰かが出版しても
いいのではないだろうか?


蓮華の開発の意義

チャクラの蓮華たるゆえんは睡蓮の花に似ていることによるらしい。 修行をはじめると、その花弁が開いて輝き出し、後になると回転する様子から車輪(ホイール)にもたとえられる。

坐禅修行はそうした蓮華の開発過程でもある以上、その回転を制御する機構(メカニズム)についても語らないわけにはいかないだろう。

蓮華の回転の制御機構

諸蓮華をただ活動させるだけでは不十分である。 人は自分の霊的諸器官の活動を自分でまったく意識的に制禦し、支配することができなければならない。 そうでないと外から働きかけてくる諸力に翻弄されてしまうであろう。 そうならぬためにはいわゆる「内なる言葉」を聴く能力を身につけねばならない。 そのためにはアストラル体だけではなく、エーテル体も開発されねばならない。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』-P.166「霊界参入が与える諸影響」)


ここでR・シュタイナーは「車輪の回転を制御できないような車が公道を走るのは危険である」という当たりまえのことを語っている。

車の安全な走行を確保するためには車輪(ホイール)をやみくもに転がすだけではいけない。 機関(エンジン)とそこで生み出される動力を伝達するシャフトや車の制動を約束するアクセル・ブレーキ・シフトレバー・ハンドルといった駆動機構(ドライビングマシーン)に故障のないことが大前提となる。 何より大切なのは安全に走行するための知性を備えた運転手(ドライバー)がハンドルを握らなければならないことだ。

この車のたとえ話の霊的シンボルをR・シュタイナーの分類にしたがって表にしてみよう。

車のたとえ
図:布施仁悟(著作権フリー)


『いか超』によると、蓮華というのはアストラル体と呼ばれる霊的身体の感覚器官であり、それを回転させる動力が気(エーテル・プラーナ)と説明されている。 ただし経絡や体軸といった気の流れを司るエーテル体の組織を形成しておかなければ、蓮華の回転を制御できない。

またエーテル体の組織形成や蓮華の開発にあたっては、気の流れの出発点となる中心点をまず最初に頭部に形成しなければならないとある。

頭部の中心点

ひとつの暫定的な中心点がエーテル体の流れのために作られる。 この中心点は最初はまだ心臓部にではなく頭部にある。 見霊者はこの部分にエーテル体の流れの出発点をみるであろう。 ― はじめにこのような中心点を作る行法だけに完全な成功が期待できる。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.170-171「霊界参入が与える諸影響」)


― はじめにこのような中心点を作る行法だけに完全な成功が期待できる ―
(R・シュタイナー)

R・シュタイナーは密教の入門者が最初に教わることになる行法― 心臓部の中丹田(アナハタ・チャクラ)や臍下の下丹田(スワディスターナ・チャクラ)に熱感を生んで気の流入口を形成する行法 ―を真向否定していた。 何はともあれ上丹田の位置に気の流入口を形成することが先決であるというのである。 すなわちサッチャナンダというヨーガ行者と同じ手順を唱えるものが他にもいたのだ。 この記述を見つけたとき、私は鼻息も荒く興奮していた。

「ざまあみやがれ、やはり定説は間違いだった!パラドックスが常に正しい」

そしてR・シュタイナーは、頭部に形成される中心点はあくまでも暫定的なものであり、いずれ喉頭部さらには心臓部へと下方に向って移動していくと説明していた。 さきほど引用した中にある「内なる言葉を聴く能力を身につけねばならない」という記述の能力は、中心点が心臓部に移されたときに獲得するものらしい。

心臓部の中心点と内なる言葉

今や流動するエーテル体組織全体の中心点が心臓部に移されるようになる。 これはふたたび集中と瞑想の行によって可能となる。 これと共にいわゆる「内なる言葉」を理解しうる段階に到る。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.172「霊界参入が与える諸影響」)


この記述はさらに「これと共に修行者は霊界へ参入する 」と続いていくのだけれど、それは中心点が心臓部に移されてしばらくすると眉間の第三の眼が目覚めるからだと説明されている。

眉間の第三の眼の覚醒

そして今はじめて、両眼の付近にある二弁の蓮華を用いる時がきたのである。 この蓮華が回転しはじめると、自分の高い自我をそれより一層高次の精霊達と結びつけることが可能になる。 この蓮華から生じる流れは高い位階にまで拡がっていくので、その精霊たちの活動が完全に意識化できるようになる。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.184「霊界参入が与える諸影響」)


この眉間の第三の眼の覚醒の意味するところは“己れの高い自我の誕生”なのだそうだ。

己れの高い自我の誕生

比喩ではなく、現実の事件として、ひとつの誕生が霊界の中に生じたのである。 したがって新しく生れた者、すなわち高い自我は、生き続けるために必要なすべての素質や器官をもたねばならないのである。 幼児が健全な眼や耳をもって生れるように配慮するものが自然であるとすれば、高い自我が必要な能力をもって現れるように配慮するものは行法である。 そして霊そのものの高次の器官が健全に育成されるように配慮するこの行法とは、物質界の健全な理性法則と道徳法則のことに他ならない。 胎児が母胎内で育つように、霊的人間は物質界の自我の中で育つ。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.184「霊界参入が与える諸影響」)


― 霊的人間は物質界の自我の中で育つ ―
(R・シュタイナー)

修行者は初めのうちこそ自我の殻を必要とするけれど、運命の試練のカリキュラムを地道にこなすことで自我を完成させ、やがて自我の殻を破って自我放棄へと向うとき、己れの高い自我が誕生してくる。 そうした見性の階梯をR・シュタイナーは説いているのである。

己れの高い自我の誕生は自我放棄の結果であることから、見性の内的体験の性格はこの辺りから大きく変わる。 そのため自我放棄の段階から先にある見性の内的体験は、とくに“観照(かんしょう)”と称(とな)えられることもある。 この観照の段階から次第に顕現してくるものが己れの高い自我、すなわち“自性”、“本来の面目”、“一無位の真人”というわけだ。

ここでひとつ、インターネットに出現した21世紀の善智識・鬼和尚の解説で観照の定義を味わってみよう。

観照の定義


自我の厭離(おんり)”とは、私が天才作家の自己イメージを脱落したときのようなペルソナの脱落のことにほかならない。 私の声聞道九年間における最後の課題は、ペルソナを脱落する自我の厭離を成し遂げて、見性から観照へと内的体験のシフトを起こすことだったのである。 したがって縁覚道から先の修行過程は、見性の階梯というより“観照の階梯”といったほうが適切かもしれない。

その観照の階梯の最初に待ち受けているものが第三の運命の試練“風の試練”なのだろう。

R・シュタイナーの説く第三の風の試練

この第三の試練にとって必要なのは、速やかに自分自身を取り戻すことにある。 言葉のもっとも真実の意味で自分の「高次の自我」をこの試練の間に見出さねばならない。 すべての事柄において霊の呼びかけに応じる決意を速やかに固める。 もはやどのような意味でも躊躇、疑惑などに費す時間はない。 ただの一分間だけ逡巡しても、ここではまだ成熟していないことの証明になる。 霊の声に従おうとする気持を邪魔するものは、直ちに克服されねばならない。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.102-103「霊界参入の三段階」)


このR・シュタイナーの記述によると、第三の風の試練とは、本来の面目(ほんらいのめんもく)を見出し、その声にしたがう意志を固める自我放棄の過程である。 自我の象徴であるペルソナの脱落を何度も積み重ねていく過程で、その本来の面目は誕生してくる。 それがR・シュタイナーのいう“霊界参入”なのだ。このように…

1.クンダリニー活性現象を伴う蓮華の開発過程
2.化城の啓示を伴う運命の試練のカリキュラム
3.内的体験を伴う見性の階梯


この三項目の相関関係を明確に打ち出そうとしていた点で、20世紀初頭に書かれたR・シュタイナーの『いか超』は画期的な試みだったといえる。 ただしその試みが成功しているとはお世辞にも言えない。 ここで私の展開している『ちょっとはマシな坐禅作法』や『かなりきキワどい坐禅作法』のような注釈書がなければ誰も読みこなせない代物だからだ。 R・シュタイナーというのは、頭がいいんだか、悪いんだか、よくわからない覚者である。

青雲水

正しい蓮華の開発手順

緑雲水

そのR・シュタイナーによると、霊界参入に至るときに第三の眼とも呼ばれるアジュナ・チャクラが覚醒するはずなのだけれど、そこに至る手順は定説とはかなり様相が異なっている。

R・シュタイナーによる蓮華の開発手順
図:布施仁悟(著作権フリー)


定説では最終行程にあたる眉間のアジュナ・チャクラ覚醒後にも臍下のスワディスターナ・チャクラの開発を残している点で、定説とは真逆の手順であるばかりか、ちょっと複雑な過程となっていることがわかるだろう。
(参考:「R・シュタイナーの説くチャクラ形成過程」矢印マーク 『ちょっとはマシな坐禅作法』【坐禅作法13】クンダリニー覚醒と小周天 矢印マーク 『ちょっとはマシな坐禅作法』【坐禅作法53】体幹を調える簡易望景内)

これは一体どういうことなのか?

私が密教入門段階でこの疑問を抱いたことは幸運なことだったとおもう。 なぜなら、このR・シュタイナーの示している手順に沿って、中国道教や印度ヨーガの文献を調べていくうちに、それらもまたR・シュタイナーの示している手順そのものを説明していることが判明してきたからだ。 つまりR・シュタイナーの手順こそが真実の道教、真実のヨーガの姿を描き出しているのである。 もしも定説どおりの手順を踏んでいる修行者がいるなら、おそらくその人は精神分裂症を発症していることだろう。

また密教的行法の基本となる小周天という行法については、こんなけしからんことを平気で唱える指導者がいる。

けしからん指導者の唱える小周天

最低、半年から1年はかかる。 それでも、古くさい方法でやっている人に比べれば、早いものだ。 彼らなど十数年もかけて、ようやく小周天ができたなどといっているから救われない。
仙道の修行は小周天が最終目標ではない。 ほんの入口にすぎないのだ。 小周天の上に全身周天→大周天→採薬→養胎→出神→還虚と、はてしなく奥深い行が続いている。 小周天程度に10年以上もかけていたら、仙人になる前に昇天してしまいかねない。
ここのところを読者諸氏はよく肝に銘じ、合理的な方法で仙道修行に励んでほしい。

(高藤聡一郎『秘法超能力仙道入門』P.143「第4章 小周天の行とは気による肉体の錬金術!」)


こんなことを真に受ける修行者もどうかしていると思うのだけれど、この指導者は中国道教の文献をあきらかに誤読している。 R・シュタイナーの示した手順は真実の小周天の姿を説明しているものでもあり、その手順を辿るためには忍耐強く待ち続けることを覚えなければならない。

― 「ふさわしい成熟に達したなら、いつかはそうあるべき自分になるであろう」という想念を深く心中に刻み込んでおけ ―
(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.118「実践的観点」)

― 真理に向って汝の認識を一歩進めようとするなら、同時に善に向けて汝の性格を三歩進めねばならない ―
(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.083「霊界参入の三段階」)

R・シュタイナーは、本当に避けるつもりなら誰にでも避けられる安易な行法を、自分勝手に修行の道の上に持込むことが最大の障害であることを強調する。 安易な行法により蓮華を開発することは、運命の試練を克服し、見性の内的体験を得ていく方法よりも遥かに容易であり、もしも安易な行法に頼るなら修行者の進歩はそこで確実に止まるからだ。 小周天の先には果てしなく奥深い行が続いているからこそ、じっくり時間をかけて完成させなければならないものなのである。 ここのところを読者諸氏はよく肝に銘じ、正統の坐禅修行に励んでもらいたい。

というわけで、まことしやかな定説の矛盾を暴き、“真実の小周天”を再生(ルネサンス)してみよう。

とはいえ多くの指導者が誤読してきたくらいであるから難しい内容ではある。 『密教ヨーガ』の本山博氏なんかは、自身はR・シュタイナーの手順をそっくりそのまま辿っておきながら、定説に沿って手順の解説を施すという器用なことをやっていて、どうしてそうなってしまったのか私には不思議でならない。 たぶん普通は容易に理解できないことなのだとおもう。 そこで理解できないものごとに出会ったときの鉄則を知っておくといいだろう。

― 理解できないことに出会ったなら、それに対して否定的な態度をとろうとせずに、むしろ全然判断を停止した方がよい。そして理解を将来に残しておけばよい ―
(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.136「神秘修行の諸条件」)

(2015.8)


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