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【坐禅作法95】悟りの軌道理論

ちょっとはマシな坐禅作法 悟りの軌道理論〜縁覚道の地図15〜

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〜縁覚道の地図15〜


オカマはどこかに消えてくれ

もしも“悟りの軌道理論”発見の献辞を述べるなら、32歳で精神分裂症を発症した修行者にこそ奉(ささ)げられるべきであろう。

黄金(こがね)のような素質を持ちながら、センスは砂粒ほどもなく、どうしてここまで知性が欠落しているのかと不思議に思いながらも、彼の修行の一助となるように前作『ちょっとはマシな坐禅作法』を書き、彼が精神分裂症を発症してからは、その生態研究の成果を今作『かなりキワどい坐禅作法』に反映させることにした。 悟りの軌道理論はその中で偶然発見されたものであり、私の作品は、つまるところ、彼に宛てた手紙である。

坐禅修行の伝統的体系自体が、彼を邪道へ導く要因となっていたことから、祖師方を槍玉にあげて血祭りにあげるという大胆なアプローチをするしかなかった。 もちろん批判は承知の上である。 ダンテやガリレオやミケランジェロといったルネサンスの騎士たちが中世ヨーロッパの価値観にコペルニクス的転回を突きつけたとき何が起こったか。 私は天才の宿命を受け入れる覚悟もなしに才能を望んだわけではない。

私の分析では、精神分裂症を発症するような修行者の共通点は彼らがオカマだということである。 本気で惚れた女にふさわしい男になりたいと思ったら、誰かと比較して相対的に己れを評価したところで何の意味もない。

「君にふさわしい男になれたら、必ず君を迎えに来る」

9歳で体験した初恋のとき。 この姿勢が私の中に宿り、それから一貫して変わることはなかった。 たしかに私の坐禅修行の動機は色欲的かもしれないけれど、この姿勢のおかげで己れと誰かを比較して他人より優位に立とうとするようなマネをしたことは一切ない。 ところがオカマな連中というのは、他人より優位に立つために、丹力がどうのこうのとほざき、つまらない知識集めに奔走しようとする。 そもそもの動機の部分がどうかしているのだ。

わが禅風はいたってシンプルである。

心随観による自我暴露でない禅は禅ではない

それだけのことなのだ。 しかしたったそれだけのことですべてのことが後からついてくる。 批判してくるオカマな連中の気がしれない。

ちょっとばかり腹をくくって決心さえすれば、その瞬間からはじめられる「四六時中、心随観による自我暴露に没頭する」という話にもならない正統の禅の常識が、遠まわりに見えたり、禁欲主義に思えたり、あるいは、その効果の面で別の行法に劣ると考えるなら、そもそもの坐禅の動機がくだらない何かにあるはずだ。

そういうオカマな連中は正統の禅のサンガにふさわしくはない。 さっさとどこかに消えてくれ。

矢印マーク 『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』

坐禅修行のプロセスを正確に記述してある唯一の本。
(2011年1月現在・ボク調べ)
こういう本が市場に出回っている現在、
秘密にしておくことなんてもはや何もないはずである。
そろそろまともな禅書を誰かが出版しても
いいのではないだろうか?

赤雲水

行法により蓮華を開花させるということは…

黒雲水


― さて修行者が行を始めると、まずこれらの蓮華は輝き始め、後になると回転し始める ―
(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.142「霊界参入が与える諸影響」)

蓮華(チャクラ)と呼ばれる魂の感覚器官の開発方法について、R・シュタイナーほどこうるさい覚者を私は知らない。 それは「ところで宿題はやったの?」と何度も訊ねて、せっかくの夏休みを台無しにしてしまう母親の小言ほどにしつこい。

行法により開花させた蓮華は戯画でしかない

「蓮華」を規則正しく開花させようとする意志を忍耐強く保持し続ける人以外には、霊学の行的側面の伝授は決して許されない。 人はこの点を常に考えねばならない。 ゆっくりと、ふさわしい形式を獲得するに到る以前に開花させられてしまう蓮華はまさに戯画でしかなくなってしまう。 なぜなら霊学の特殊な行法は蓮華を開花させはするが、しかしその花の正しい姿は以上に述べた生き方によってのみ生み出されうるからである。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.142「霊界参入が与える諸影響」)


たしかに蓮華の開花を促進する行法は存在するけれども、そんなことより健全な生活を送れ、そうすれば蓮華は自然に開花する、と表現を変えて何度も繰り返すのだ。 最初に『いか超』を読んだとき、このR・シュタイナーの老婆心の意味がよくわからなかった。

第一の火の試練モデル(布施仁悟型)
図・布施仁悟(著作権フリー)


私の場合は、延髄の経穴活性や第一、第二の結節解放といったクンダリニー活性現象の体験が見性の内的体験の進捗と完全にリンクしていたため、誰でもそういうものだと思っていたからである。 クンダリニー活性現象などについては、修行者の内的体験の進捗にあわせて適時に体験できるように配慮されているはずだと考えていたのだ。 そのためR・シュタイナーは生真面目すぎるのではないかと思っていた。

ところが実際にはそうではなかったのである。

32歳で精神分裂症を発症した修行者は、白隠と同じ24歳頃に変性意識状態を体験していたので、その時点で最初の見性である興菩提心体験を透過しているはずだと私は想定した。 しかしながらそれにしては誤読が著しかったのである。 私の前作『ちょっとはマシな坐禅作法』を読んで感想を伝えてくるのだけれど、自分に都合の良いようにしか解釈していないため、己れのオツムを疑うということがまったくできていなかった。 彼の文章を読むかぎりでは単なる精神世界オタクだったのである。 それでも興菩提心体験を透過しているはずだから、次のぷっつん体験を経ればちょっとはマシになるだろうと仮定して、ぷっつん体験を奨(すす)めることにした。 これは明らかに私の判断ミスだったとおもう。

彼が興菩提心体験すら透過していなかったことを知ったのは、残念ながら精神分裂症を発症してからのことだった。

精神分裂症の症状は他人の言葉や文章をまともに理解できないというコミュニケーション障害にあらわれる。 いわゆる“聞く耳”が閉じているという状況で、何を言われても自分の都合の良いように勝手な解釈をしてしまうのだけれど、それは蓮華が歪んだ形で形成されてしまっているからだとR・シュタイナーは説明している。 この記述を読めば、なぜ彼らが瞬間湯沸かし器と化してしまうのかもわかるだろう。

行法により蓮華を開花させたときに生じる弊害

この蓮華を開花させるための特殊な行法も存在する。 しかしいずれの場合にも、感覚器官が規則正しく形成されるかどうかは、魂の特性の開発如何にかかっている。 この点がいい加減にされると、この器官は歪んだ形で形成され、その結果、魂の特性は善に向う代りに、悪に向う危険に晒される。 そして周囲の環境に対して苛立ちやすく、不寛容になり、他人の魂の要求に対して敏感になるあまり、それを無視したり、憎んだりする。 そして最後には自分の気に入らぬ考え方や感じ方に出会うと、心が冷え、そのため相手の言うことに耳を傾けることができず、不愉快な態度に終始してしまう。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.156-157「霊界参入が与える諸影響」)


32歳で精神分裂症を発症したと言っても、その前兆はすでに31歳のときにあった。 そのときから、症状が序々に進行し、手遅れになったのが32歳というわけである。

その前兆を目の当たりにしたのは「詩が浮かんできた」とかいう幻想・幻覚にとらわれた彼が支離滅裂な文章を私に送りつけてきたときだ。 どこかの精神病院から別人によって送られてきたのではないかと疑ったほど突然のことで、もしかしたら、そのときにカウンセリングを勧めていたら手遅れにならずに済んだのかもしれない。 別人のように豹変することは『いか超』を読んでいたおかげで あらかじめ知っていたとはいえ、現実に目の当たりにするとやはり戸惑う。

行法により蓮華を開花させると別人のように豹変

蓮華を不健全な仕方で開発すると、或る種の見霊能力が現れても、その能力は主観的な幻想や空想と客観的な霊的体験との相違を区別できないばかりではなく、日常生活を迷いに陥(おとしい)れ、節操を失わせる。 そのような場合、修行者は臆病で嫉妬心や虚栄心の強い人、あるいは高慢で我儘な人などになりやすい。 このような悪しき性質がそれまで見出されなかったような人々の場合にもである。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.149「霊界参入が与える諸影響」)


その31歳のそのときに「喉に穴があいた」と言っていたから、おそらく喉頭部の蓮華(ヴィシュダ・チャクラ)を不健全な仕方で開発してしまったのだろう。 蓮華の形成に失敗して社会不適合者になっているにもかかわらず、それを“行”の証果と勘違いしてしまうため自覚症状がない。 それが坐禅修行に伴う精神分裂症の恐ろしいところである。

行法により蓮華を開花させると人生の方位感覚を一切失う

これらの原則を厳守しようとすることなしに、神秘修行を志す人は、不完全な認識眼をもって霊界に参入することになり、真実を認識する代りに、幻想、幻覚に捉えられる。 その場合にも或る種の見者であるといえるであろうが、しかし実際は以前よりもっとひどい盲目状態に陥っている。 なぜなら、少なくとも以前の彼は感覚世界の中にしっかりと立ち、その中で確かな拠り所を見出してきた。 しかし今の彼は中途半端に感覚世界を突き抜けてしまい、超感覚的世界に拠り所を見出すどころではなく、感覚世界そのもののことも分らなくなってしまっているからである。 そうなってしまうとそもそも何が真実で、何が虚偽であるかを区別することもできず、人生の方位感覚を一切失ってしまうことになる。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.157-158「霊界参入が与える諸影響」)


― そもそも何が真実で、何が虚偽であるかを区別することもできず、人生の方位感覚を一切失ってしまうことになる ―
(R・シュタイナー)

以前、行法にたよって蓮華の開発に成功した結果、コミュニケーション障害をおこして精神分裂症を発症した修行者がいた。 その人物にそれを指摘したとき、彼はこんな珍妙な返答をしてきた。

「精神の首座は肚だぞ、分裂は頭の中の話だぞ」

…坐禅修行に伴う精神分裂症はまことに恐ろしい。


悟りの軌道理論発見の経緯

たとえば、それがニーチェじゃなかったら。 彼も31歳の時点で危機感を抱いてカウンセリングを受けに行ったかもしれないと思うことがある。

彼が奇妙な文章を送りつけてきたときに寒気を訴えていたことから、私はニーチェの『この人を見よ』を読んでみることを勧めた。 それはニーチェも同様の寒気を訴えていたからで、彼とニーチェは同じ問題を抱えている可能性があるから、それを探るといいと示唆したつもりだった。 今になって考えてみれば、精神分裂症を患って人の文章をまともに読めない人物に対して、発狂前夜のニーチェの文章を読んで自分の問題点を探れと指示すること自体がどうかしていた。 おそらく普通の思想書としてしか読めなかったのだろう。 後日「あれは非常に勉強になった」と彼は述べた。

やがて32歳を迎えた彼が精神分裂症の症状に完全に侵されたとき、いくらなんでも早すぎると思った。 そのとき私の描いていた悟りの軌道モデルはこういうものだったからである。

悟りの軌道モデル(初期型3)
図・布施仁悟(著作権フリー)


32歳で悟りの軌道に入ることを許された修行者は、9年後の41歳を迎えると頭脳分裂の開始とともに禅定の階梯を昇り始める。 しかしながらそれ以前に運命の試練の透過に失敗していると、頭脳分裂の進行に耐え切れず、精神分裂症を発症する。 そうなるとニーチェの発狂した44〜45歳に向って症状は悪化の一途を辿るというものだった。 ところがこのモデルだと、彼のように32歳で精神分裂症を発症する修行者の存在を説明できなかったのである。

悟りの軌道が九年周期で巡っているという発想が生まれたのは、その時だった。

おそらく私の場合は32歳から悟りの軌道に入って50歳で大悟するという軌道に乗っている。 けれども彼の場合は私よりも9年早い23歳から悟りの軌道に入って41歳で大悟するという軌道に乗っているのではないかと私は考えた。 そう考えれば、彼は数え年42歳で大悟した白隠と同じ悟りの軌道に乗っていることになり、なぜ白隠と同じ24歳頃に変性意識状態を体験していたのかも説明がつくわけだ。

悟りの軌道モデル(白隠型)
図・布施仁悟(著作権フリー)


白隠と彼との違いは25歳以降の修行態度にある。 白隠が25歳から内観を修し始めたのに対し、彼は内観をないがしろにしたため、運命の試練の透過に失敗してしまったのだ。 白隠は早くも32歳で故郷の松蔭寺に戻って布教活動を開始しているから、彼が32歳で精神分裂症を発症してしまったことに引きくらべると、運命の明暗が32歳を境にくっきり分かれていることがわかる。

おかげで以前から疑問に思っていたことがひとつ解決した。 通常は数え年42歳の厄年を境にして運命の明暗がくっきり分かれるものだけれど、どういうわけか32歳にもそれがあったのだ。 たとえばJ.K.ローリングの『ハリー・ポッター』というファンタジー小説は、25歳で最初の着想を得て、32歳でベストセラーになっている。 後に映画化もされて世界的な大ヒットとなった。 まれに32歳から運勢の飛躍する人がいたのである。 悟りの軌道が九年周期で巡っていると考えることで、ようやくその謎が解けた。

とすれば32歳で精神分裂症を発症した彼と同様に、31歳で精神分裂の徴候をみせ、ニーチェの発狂した年齢より9年前の35〜36歳で発狂して精神病院送りになった人物がどこかにいれば、九年周期の悟りの軌道理論は完全に証明されることになる。

そのときに思い出したのがユングの自伝だった。 頭脳分裂の進行に耐え切れなかった人物として、ニーチェの他にもう一人の人物をユングが挙げていたのを思い出したのである。 そのドイツの詩人・ヘルダーリンの生涯を調べてみたら、まさしくビンゴ。 ヘルダーリンは私の仮説どおりの過程を辿っていたのだ。

******** ヘルダーリン発狂の経緯 ********

■ 31歳(1800年) ■
 ヒポコンデリー(心気症)の重い発作に見舞われるようになる。

■ 35歳(1805年) ■
 フリードリヒ1世暗殺計画に加担した疑いで逮捕されるも、精神鑑定の末、狂気を理由に逮捕を免れる。

■ 36歳(1806年) ■
 異常な言動が目立つようになり、精神科へ連れて行かれる。 8ヶ月の入院ののち回復の見込みなしと診断され、以降の生涯を「ヘルダーリン塔」と呼ばれる隔離部屋で過ごす。


以上が悟りの軌道理論発見の経緯である。

悟りの軌道に入るということは時限爆弾を抱えるようなものだ。 ゆえに坐禅修行をなめてはいけない。 それは、悟るか、それとも、発狂するか、二つにひとつの大勝負なのである。 発狂したくなければ心随観による自我暴露に専念するしかないだろう。

言うまでもなく、これはクソまじめな警告である。

それでは悟りの軌道理論の詳細を解説していくことにしようか。

(2015.6)

矢印マーク この人を見よ (岩波文庫)


たしかにニーチェはワカッテる。
だけどこいつは劣等感のカタマリなんだ。
自分の中にいるニーチェに気づけば、
発狂の危機を乗り越えられる。

青雲水

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