驚いたのは、感情の起伏が非常に小さくなったことだった。
当時私のブログに紛れこんでいた精神分裂症患者の二人というのは、愉快な遊び仲間で“瞬間湯沸かし器”という形容が当てはまるほど、ちょっと挑発するだけですぐに逆上してくれた。
精神分裂症患者の生態研究のためにも格好のサンプルであるから、イタズラ好きの研究者である私は試しに色々と挑発めいたことをやってみたのである。
すると以前なら私の方でもむきになっていたはずなのに、猫が鼠(ねずみ)をなぶるように余裕綽綽(しゃくしゃく)でからかうことができるようになっていた。
それは…
― しかも一度だけではない。あなたは何度も死ななければならない。 ―
と説いている和尚の『黄金の華の秘密』を読む以前だったこともあり、私はその境地だけで十分満足してしまったのである。
作家志望の私が38歳でぶつかった才能の壁。
「読者の心の琴線に触れるような韻文をモノにすることができない」という課題を抱えていたにもかかわらず、このまま41歳を迎えれば、運勢が変わって当分はなんとかうまくやっていけるだろうなどと楽観的な予測を立てるようになってしまった。
あとは目前に真っ直ぐ伸びている道路を道なりにひた走ればいいというわけである。
とりあえず精神分裂症患者の二人は すでに“聞く耳”が閉じていた。
そのため私の話など馬耳東風だし、その生態もだいたい理解できて用済みとなったので、お別れの餞別として最後の“なぶり”を楽しんでいたとき、再び“秀爺”はやってきた。
2015年2月26日の正師・秀爺のコメント
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お前さんたち、ワシは学がない。
だから、難しい事はわからんが、少し働いたらどうかの、、、、、、こんな感じで進んでたら、人々を魅了する文学ができるとは思えんのだが、、、
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それは このシリーズ記事の導入部分『縁覚道の地図3〜試練の意義〜』を書きはじめた頃のことだった。
作品のインスピレーションにはフロー(flow)がある。
そのフローに乗ってしまえば、あとは一気呵成(いっきかせい)に最後まで書き上げるまでのことで、先の展開など心配するには及ばない。
朝起きた時点でミューズがすべての手はずを整えてくれているから、ひたすら原稿を書く。
後の時間は作品について何も考えないようにするのがいい。
ミューズはそういう時間に舞台裏で働いてくれているものなのだ。
またフローに乗るとホグワーツ現象が起こるからアンテナだけは張り続けなければならない。
それが鉄則だ。
フローに入ったもの書きを書斎から引きずり出して別の仕事に従事させようなどということは「断頭台に首を伸べよ」と言うようなものである。
<<このやろう、せっかくフローが来てるってのに水を差すんじゃねえ>>
私は憤慨した。
このフローは約一年くらいのあいだ忍耐強く待っていたもので、しかも今まで体験したことのないビッグ・フローの予感がしていたからだ。
<<あんたの般若は認めているがフローの邪魔をするのは許せねえ>>
デコピンを喰らえ!臨済の喝、徳山の棒、仁悟のデコピンは禅のニュー・スタンダードである。
2015年2月27日の仁悟のコメント
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おそらく学がないわけではないでしょう。
しかし、いつも「難しい事はわからんが」という言い訳から始めるのは何故なのか。
単なる謙遜か、自信がないからか。
単なる謙遜として、どうやら創造過程や時節因縁についてさっぱりわかってないような印象も受けます。
創造過程については以前にもゴタクを並べてましたけど、とりあえず、あれは単なる経験不足ゆえの発言ということにしましょう。
今回の「人々を魅了する文学」なんて青臭い言葉は、インスピレーションの何たるかを経験したことのない人物の言葉ですよね。
そんなことを考えているうちはインスピレーションなんてやってきません。
それを捨てたときにやってきます。
ただ創造過程についてわかっていたのは日本の禅師では至道無難禅師くらいしか私は知りません。
これは一休禅師でもわかっていなかったことですから、今回のゴタクも仕方がないのかもしれません。
また私は今、37歳から41歳の間に仕上げるべき作品の最後の部分を書いているところです。
たまっているものを書き出しておかなければ先へは進めません。
先人の生涯をみても、トルストイの『戦争と平和』、ブラームスの『交響曲第一番』、ニーチェの『ツァラトゥストラ』、いずれもこの時期に創造されています。
これはこの周期に入ったすべての人物に起こるべくして起こるイベントです。
そして、おそらく、こうした時節因縁を感じることができるのは本人だけではないでしょうか。
ただこの時節因縁についてわかっていた禅師を私は百丈禅師くらいしか知りません。
ですから、今回のゴタクも仕方のないことなのかもしれません。
この時節因縁は、きっと秀爺さんも感じたことがあるんじゃないでしょうか?
「少し働いたらどうかの」
いつ動き出すべきかという時節因縁は本人が直感的に感じ取るものでしょう。
これをどういうつもりで発言したのかわかりませんけれども、他人に対する助言としてはちょっと軽率ではないでしょうかね。
フライング・アドヴァイスじゃないかな。
だってまだあれもこれも途中なんだもの。
まるまる2週間は早いです。
どうせなら、区切りのいいところでよろしく。
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「まるまる2週間は早いです」と書いたのは、2週間後に41歳の誕生日を控えていたからで、そのときに何らかの啓示があるだろうと想定していたせいである。
言われるまでもなく、そろそろ修行期間を投了して仕事を始めるつもりではいたけれど、何でまた作品のフローに乗ったこの時期に、このコメントを投稿してきたのかわからなかった。
大体いつも適切な時期に最適な助言をしてくれていたからである。
すると正師・秀爺はこう返答してきた。
2015年2月27日の正師・秀爺のコメント
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つまらん。お前の話しはー、つまらん。
文学は何も、布施さんのようなエリート集団でなりたつものではないと思うがのう。
尾田栄一郎さんをみてみ。
子どもや大人を夢中にしてるだろうが。
そんな感じで、どんな文学ができるというのじゃ。
天才は片鱗をすでに見せてると思うのじゃが。
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論理的構造を持つ散文を書くのは、このシリーズ記事『縁覚道の地図』を最後にして、いよいよ一般向けの詩歌や寓話のような韻文を書き始めたいとは思っていた。
とはいえ作品のインスピレーションは時節因縁に応じて賜(たま)わるもので、韻文を書くためには“愛”が必要だなどとは、当時思いもよらなかったのである。
この時点では、どうやら私に何か欠けているものがあるらしい、ということだけはわかった。
さいわい正師から侍が辻斬りするような不意打ちを喰らったせいで、挑発された自我が顔をにょっきり出してきた。
こういうときは文章に思いのたけをぶつけるに限る。
そうすると己れの抱えている問題点が文章の形になって浮かび上がってくるからだ。
これはいい機会なので、横綱の胸を借りるつもりでぶつけてみることにした。
2015年2月27日の仁悟のコメント
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わかっとらん。
お前はー、なーんにも、わかっとらん。
ここで展開しているのは、
1.目覚め始めたものたちには禅のテキストを!
私の創造活動の第一の柱です。
私と同じ軌道に乗ろうとしている人たちを対象にしていますから一般向けではありません。
ギラギラした文体で書いてます。
ここで展開している内容からエリート志向のように思うのは早とちりというものです。
一般向けは第二と第三の柱。
2.子どもたちにはファンタジーを!
3.大人たちにはソングスを!
こちらは自我を介在させずに創造の源泉に下りていかなければいけません。
それを学び始める時節は41歳。
ちょうど今年くらいからです。
尾田栄一郎がデビューした22歳は早熟の星まわりにある人たちが創造の秘訣をものにする年齢です。
凡人出身の私の星まわりの場合は29年遅れて51歳からそこに入ります。
もしも私がエリートなら、彼は超エリートですよ。でも、私も彼もきっとこう言うでしょう。
「なんか知らないけど、こういう星のめぐり合わせだったんだよね」
星まわりに忠実にしたがっていれば時節因縁に応じてインスピレーションが与えられる。
それだけのことです。
そのとき「自分はエリート集団にいる」とか「子供も大人も夢中にしたい」とか「どんな文学ができるか」なんて考えてたら何にもできませんよ。
まさしくゴタク。
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これを書き込んでから、私は坐って心随観をはじめた。
まず胸に込み上げてくるものを感じたのは、ここだ。
― 2.子どもたちにはファンタジーを!
3.大人たちにはソングスを! ―
この二つは是非ともやってみたいとおもって35歳から掲げているスローガンだった。
すぐにでも着手できれば理想ではあるけれど、これらをモノして軌道に乗せられるとしたら、それは51歳以降だろうと思い込んでいた。
それは私の得意としている星まわりの科学からの推測である。
― 22歳は早熟の星まわりにある人たちが創造の秘訣をものにする年齢です。
凡人出身の私の星まわりの場合は29年遅れて51歳からそこに入ります。 ―
ところが正師・秀爺はこう言ってくれていた。
「天才は片鱗をすでに見せてると思うのじゃが」
もしかして…今すぐできるということだろうか?
<<だったら、やりてえよ、秀爺!>>
そう叫んでいる本心が観えたとき。
私は嗚咽を漏らしてむせび泣いた。
― この事はただ当人まさに切心あるを要す。
わずかに切心あれば真疑すなわち起こる ―
(高峰原妙禅師)
おそらく私の中にあった切心、つまり“切なる願望”を刺激されたことで、真疑、すなわち“疑団(気づき・わだかまり)”が生まれたのだろう。
それまでの私は星まわりの科学を研究して、過去の偉人の足跡に己れの宿命を重ね合わせることで心の支えとしてきた。
ところが今度はさかさまに、その星まわりの科学に囚われて、己れの自由をみずから奪っていることに気づいたのである。
― まさしくゴタク ―
ゴタクを並べていたのは他でもない…私ではないか。
「天才は片鱗をすでに見せてると思うのじゃが」と言ってくれた正師に向かって、恥を恥とも思わずにゴタクを並べていた。
そこに気づいたら、急に自分が恥ずかしくなり、布団にくるまって深い眠りの中に逃げ込みたくなってきた。
しかしながら こうした恥団が生まれたということは、今まで気づいていなかった己れの愚かさに意表を突かれたという証拠でもある。
この恥団の感覚は久しぶりだった。
おもえば33歳のぷっつん体験の時期に味わっていたものと同じだった。
おそらく何かが変わろうとしている。
方向性は間違ってない。
ふて寝を決め込む前に、坐から立ち上がって日課としていた三祖『信心銘』の読誦を始めてみた。
小見狐疑 転急転遅
〜 小ざかしい論理や見解にこだわって躊躇(ためらい)や疑いばかりを懐いていれば ますます焦りを生じかえって遅滞を招くことになろう 〜
(三祖『信心銘』)
究境窮極 不存軌則
〜 とどのつまりの究極においては ものごとを型にはめるような枠組みや法則などありはしないのだ 〜
(三祖『信心銘』)
三祖の言葉が胸に突き刺さってきた。
これは、まさしく私の処方箋ではないか。
それまで文字の羅列でしかなかった『信心銘』とこのとき初めて共鳴することができたのである。
まだ正体はよくわからないけれども自我の尻尾が見えたような気がした。
ただ、どうしたら良いものか、さっぱり見当がつかない。
私は秀爺に助けを求めることにした。
2015年2月27日の仁悟のコメント
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秀爺さん、見てくれるかな〜。
毎回、生意気ですみません。
おかげさまで見つかりました。
たぶん、仁悟の抱えてるおもちゃの奥に何かいます。
どうもありがとうございました。
でも、どこをどう観たら良いのか、まだわかりません。
前のより、ずっと奥深くに根付いていて手ごわいです。
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これを書き込んだ直後は、吹き出してきた“恥団”にいたたまれなくなってしまい、胸がくるしいばかりだった。
<<その恥団から逃げるな。その恥団の奥を直視するんだ>>
そう言い聞かせながら私は眠りに落ちた。
翌日、正師は公案を授けてくれた。
2015年2月28日の正師・秀爺のコメント
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布施さんよ、あなたは、千里先の火を消せますか?
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一日あれこれ拈提(ねんてい)して、その翌朝 坐っていると、千里先の山に立ち昇る煙が脳裏に浮かんできた。
<<あの下で何が起こってても私には何の影響もないよね>>なんて思ったら、それまで彷徨っていた想念がたちどころに消えた。
22015年3月1日の仁悟のコメント
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秀爺さん、この公案、痛快です。
山を隔てて煙を見て、つとに是れ火なることを知る。
ここからは、かすかに煙しか見えません。
いかなる論理も見解も、煙から火を推測することしかできませんから、たしかに役に立つとしても、それまでです。
逆に囚われなければ意識はここにスパンと立ち還って来ます。
「心に浮かぶ何ごとも煙みたいなものだ」なんて、「心に浮かぶ何ごとも観念にすぎない」と説明されているものに似てるような気もします。
ちょっとした疑団が生まれたかもしれません。
この煙なら、おもちゃの奥にいるやつをいぶり出せそうです。
すっげぇ、気に入っちゃいました。
昨日から「空、空」でも「無ぅ、無ぅ」でもなく「火ぃ、火ぃ」やってます。
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この私の回答に対する正師の返答は“喝!”だった。
私の見つけた解答は観想法であったわけで、実践されてはじめて価値を持つ。
流石だと思った。
2015年3月1日の正師・秀爺のコメント
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布施さん。
やはり、あなたはエリートさんですな。
考えに考えたようですが、返答が遅い。
喝じゃ!!とっさに、ふっと、息を吹きかけるくらいの自由さが欲しい所です。
悟りとはこうあるべき、こういう道をたどらなければならない。
自分をがんじがらめにすると、境界線だらけの人を寄せ付けない、魅力のない人間になりますぞ。
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しかしながら、後半部分の意味がよくわからない。
私の場合、坐禅修行の根底にある動機が惚れた女にふさわしい男になりたいという色欲的願望であるから、「悟りとはこうあるべき、こういう道をたどらなければならない」という発想自体がそもそもない。
何を言っているのかと考えてみると、精神分裂症患者たちと遊んでいたときに、あることないことを書いて挑発的していた“釣り”の記事のことが思い当たった。
どうやら心配されていたらしい。
ちょっと“おイタ”が過ぎたようである。
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