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【坐禅作法93】究極の秘伝

ちょっとはマシな坐禅作法 究極の秘伝〜縁覚道の地図13〜

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〜縁覚道の地図13〜


何の因果か…“愛の禅”

わが禅風はスタイルとしての沈黙ではない。

己れの肌で運命を余すことなく体験するところに妙味がある。 そこで私の選択した縁覚道を歩むための手段は、何の因果か…“愛の禅”だった。

かつて禅師が愛の伝道師であった前例があるだろうか、また、そんな禅風が許されて然るべきだろうか。 私は そんな風変わりな禅があってもよいとおもう。

― 分けのぼる ふもとの道は おほけれど
       おなじ高嶺(たかね)の 月を見るかな
 ―
(一休禅師『一休骸骨』)

私という存在が運命と正面衝突したとき、心の底で眠っていた己れの本心の姿に意表を突かれて生命が躍(おど)った。 私はそこに愛の萌芽(ほうが)を見つけてしまったのである。

日本男児の一分(いちぶん)を心得ている者なら、きっとわかってくれるだろう。 われわれは西洋人のように「愛している」などと軽々しく口にできるものではない。 その言葉を口にするとすれば、己れの丸ごとすべてをこの世でたった一人の最後の女性に全身全霊でぶつけるときだ。

そしておそらく私は その最後の女性をこの地上に命を賭(と)して探しにきた。 そんなただの男が、たまたま日本に生まれ、禅の存在を知り、ひたすら坐っている。 それもすべては最後の女性と出会って愛するために。

私がそうした己れの宿命を知ったのは41歳の誕生日を迎えたときだった。

赤雲水

ソウルメイト

黒雲水
青年期〜真理探究をはじめるまでの29年〜
図・布施仁悟(著作権フリー)


私の目前に現れた求道者的性質を持っているとおもわれる女性はあわせて三人。 いずれも29歳以前の青年期の節目(ふしめ)に登場して、それぞれ重要な役割を演じてくれている。

また、私の41年の半生で抱いた女性は、もっとも付き合いの長いぷっつんレディ4号だけだった。 ほとんど無駄な交際をしてこなかったと言っていいとおもう。 おそらく私と同じような女性遍歴を辿る男性はそれほど多くはないだろう。 振り返ってみれば、9歳にある運命のクロスポイントで運命の選抜試験に通ったときから、最後の運命の女性に出会うミッションが始まっていたらしい。 1号と出会ったときに起こったわざとらしい偶然は、私の運命のミッションのはじまりを告げるものであったとしか思えないのだ。
(参考:「運命のクロスポイント(Age9)」矢印マーク 』【坐禅作法68】スタンド・バイ・ミー現象)

これは精神世界(スピリチュアル)でよく言われるソウルメイトの概念を活用すれば うまく説明できるのだけれど、やはりバベル語みたいなものなので、人生を中途半端に生きている人間には読み取れるはずもない。 そのため誤解されている部分も多い。 まずは少し解説を加えておこう。

私のソウルメイトの解釈を図示するとこんな感じになるだろうか。

ソウルメイト
図・布施仁悟(著作権フリー)


まず、ぷっつん体験を経て見性することで創造的知性を磨く試練があり、それを卒業すると愛すべき人たちと共に天職を遂行する過程に移る。 そこにソウルメイトの各役割を位置づけているのが上の図表である。

ツインメイト


これは「同じ目的に向かって繋がっている相手」と説明されるもので、“ぷっつん体験”に向かって集まってくる仲間。 相棒(バディ)がそうである。私の場合、中学時代に二人、高校時代に一人いた。 気がつくと行動を共にしてるような仲で、お互いにそれとない感化を及ぼしあいながら成長する。

ツインソウル


「近い振動数を持った魂を持つ相手」で、出逢った時に昔から知っていたような感覚に陥り、深い親近感を覚える。 ぷっつんレディたちがそうだったらしい。 私の場合は目を合わせることで見つけられることを人生の早い段階で学んだ。 ちなみに、ツインメイトの相棒(バディ)は男だから、目を見つめ合うような気色(きしょく)悪いことはしない。 男同士は黙っていても何となく気持ちが通じるものなので、そばに座っていれば、そうだとわかる。

ツインフレイム


「同じ活動を通して共に働く目的」と「純粋に献身する役割」を担っている存在。 天職遂行に当たって集まってくる仲間。 ツインメイトがツインフレイムに出会うための鍵を握っている。

ツインレイ


人間が輪廻転生の最後の段階で出会う「根源的存在、究極の相手」と説明される。 私の場合、41歳になってからツインソウルのぷっつんレディたちがツインレイへの扉をひらく重要な役割を演じていたことに気づきはじめた。 なかでも2号はその存在を忘れていたくらいで急に思い出したようなものである。 ツインフレイムとツインレイはすでにどこかで会っている。 けれども創造的知性(ミューズ)の覚醒に成功して天職を遂行する過程に入るまではベールに包まれ続けるものらしい。

このソウルメイトの概念の面白いところは、ツインレイとの愛を育み始めることが天職遂行の始まりであり、愛し合うことが悟りの入口になることである。 私はこれを和尚の『一休道歌』で知った。

愛を知らないかぎり人と神のあいだにかかる橋を知ることはできない

カジュラホ、コナーラク、その他の美しいインドの寺院を見たことがあるかね? 古い経典には、それぞれの寺院の入口に、恋人たちの彫像、彫刻が置かれるべきだと記されている。 実に不思議だ。 これらの経典は別にその理由を示していない。 なくてはならないものとして、建築家たちのために述べてあるだけだ。 各寺院の入口、扉には、“ミトゥナ”の境地にあるカップルが少なくとも一組なければならない。 オーガズムのなかで、深い愛のなかで、互いの手足をからませながら、大いなるエクスタシーに入っている二人。

なぜ扉のところなのか? 愛を知らないかぎり、人と神のあいだにかかる橋を知ることはできないからだ。 そして、扉はひとつのシンボルだ。 扉は心(マインド)の世界と無心(ノーマインド)の世界とのあいだにある入口だ。 心の世界を無心へと橋渡しするのは愛だ。 私たちは、愛を通してのみ生のオーガズミックな神秘を知るに至る。

(『一休道歌 上』P.17-18「第1話 その旋律が聞こえるとき」)


この文中にある“ミトゥナ”の境地というのは二元性を超越した境地なのだそうだ。

ミトゥナ

ミトゥナとは、神の一瞥が入手可能になるほど深く、この上もなく深く愛しなさいという意味だ。 ミトゥナとはもう二人ではない二人を意味する。 外からは二人の状態だが、内側ではただ<一>のみが存在する。 完全な<一>として存在する。 一瞬、二元性が超越される。 一瞬、ハーモニーが達成され、秩序が生まれた。 だからこそ、オーガズムはとてもくつろぐ。

(『一休道歌 上』P.65「第2話 炎に飛び込む蛾」)


なぜ二元性を超越するためにぷっつんレディ2号を私が必要としていたのか。 それは私にはよくわかる。

2号というのは、たとえば集合写真を撮ると、いつもその輪の中心にいるタイプの人だった。 私といえば、その正反対で、できればその輪の外に出ようとするタイプなのである。 陰と陽という形容が当てはまるくらい真逆の指向性を持っていたのだ。

だから私にとって彼女というのは最も劣等感を刺激される相手だったのである。 慕情と畏怖の入り混じった複雑な心境を引き起こすため、生半可な自尊心では打ちのめされてしまう。 一方で、強烈に惹かれながら、その一方で、できれば避けていたい。 それはほとんど神を前にしているようなものなのだ。 それが人間の形をとっているものだから、かつての私はそれが“嫉妬― ジェラシー ―”として表出してしまったのである。

そんな彼女を愛するということは、劣等感を解消して嫉妬心を克服し、正反対のもの同士も実は補い合う関係にあると理解し受け入れることだ。 すなわち二元性の超越にほかならない。

矢印マーク 一休道歌 上

風狂の禅師・一休の和歌で学ぶ禅。
こいつはイカシテル。


愛とミューズ

さらに私の才能に不足しているもの。 それは“愛”だと和尚は指摘していた。

詩人と愛

愛のみが入口になりうる。 なぜなら、あなたの詩を生き生きとさせるのは愛をおいて他にはないからだ。

(『一休道歌 上』P.18「第1話 その旋律が聞こえるとき」)


プラトンの説いていた真の眠りを38歳で初体験したとき。 以前から書きたいと願ってきた文学が夢の中で啓示された。 ところがその後、作家志望の私は才能の壁にぶつかってしまった。 いわばそれは、読者の自由な解釈をゆるせない、という心理的な障壁でもあった。

ここに展開しているような論理的構造をもつ散文という文章形態は、私の最も得意とするところである。 たしかに真理に至る道を体系化することができるのはこの文章形態ならではのことだ。 しかしその論理的明晰さは解釈の自由を読者にゆるさない。 それは受け手の“心の琴線をかき鳴らす”ようなもので、おのずから限界を持っている。

一方で、非論理的構造を持つ詩歌や寓話のような韻文という文章形態は、曖昧であるからこそ、ときに多くのことを語る。 寓意や比喩や風刺がほどよく織り込まれると、受け手は自由に解釈をはじめ、心の中に“わだかまり”をつくることができる。 それが“心の琴線にふれる”ということであり、作品と受け手が互いに共鳴しあうことになるのだ。 五感を越えたところで直に感じとった何かを伝えるためには韻文を頼みにせざるをえない。 この韻文をモノにすることが私にはどうしてもできなかった。

和尚はその理由を“愛”が足りないからだと説いていたのである。 これを読んだとき、スペインの天才画家・サルヴァドール=ダリ様の究極の秘伝の意味がわかった。

ダリ様の究極の秘伝

それから、あれも、これも―すべては、まだ何も、もたらしはしないのだ。 なぜなら、諸君が、絵を描くためイーゼルの前に座ったまさにそのとき、画家である諸君の手は必ずや、ひとりの天使の手に導かれるからだ。 これが本書最後の秘伝である。

(サルヴァドール・ダリ『ダリ・私の50の秘伝』-P.155「秘伝50」)


画家としての技術的訓練を一通り終えたとしても、それはまだ何ももたらしはしない。 仕上げとして…

― ひとりの天使の手に導かれなければならない ―

このひとりの天使とはダリ様の妻・ガラのことだ。 ダリ様は、画家として独り立ちする時節が来たら必ずひとりの天使に導かれる、と言っていたのである。 ダリ様にとってのガラは妻であると同時にミューズでもあったのだ。

もう一つ例を挙げよう。

S・キングの究極の秘伝

古人の誰だったか、私としたことが名前を失念したが、すべての小説は、つまるところ、ただ一人に宛てた手紙である、と言っている。 我が意を得たりとはこのことだ。 作家なら、きっと意中の読者がいるはずで、仕事にかかっている間は寝ても覚めても「彼/彼女がこれを読んだらどう思うだろうか」と気を揉まずにはいられない。 私が真っ先に原稿を見せる意中の読者は妻のタビサである。

(スティーヴン・キング『小説作法』-P.253「小説作法」)


― すべての小説は、つまるところ、ただ一人に宛てた手紙である ―

天才作家S・キングの手紙の受取人はその妻・タビサだ。 タビサはゴミ箱に投げ捨ててあった原稿を拾いあげて読み、「この作品には、何かがあるわ。行けるわよ。 私、本当にそう思う」とキングを励ました女性だ。 それがキングのデビュー作になった。

ダリ様とキングにとって、その妻は“愛”と“ミューズ”の象徴であり、創造力の源なのである。

自分と正反対の性質を許容できない私の作品は独りよがりになりがちだ。 それゆえに読者から解釈の自由を奪ってしまう。 私の才能の完成には正反対の性質を持つぷっつんレディ2号に対する“嫉妬― ジェラシー ―”の克服が必要不可欠なのだろう。 それに成功したとき、おそらく私はひとりの天使の手に導かれる。

つまり、ツインレイとの“愛”を育み始めることは天職遂行の始まりと考えられる。

矢印マーク 『ダリ・私の50の秘伝―画家を志す者よ、ただ絵を描きたまえ! 』

これほどの秘伝を自覚し公開した天才が他にいるだろうか?
救世主ダリ様!
あなたの公開してくださった秘伝を試そうともしない
哀れなわれわれ凡人をおゆるしください。
ああ、私もダリになりたい…。

矢印マーク 『小説作法』

これぞ名著。文章もかっこいい。
でも…あたりまえか。
だってキングだもの。
なんで絶版にするかね?

青雲水

孤独の果て

緑雲水

また天職遂行に向かって集まってくるというツインフレイムも、これまでの気の合う仲間とはまったく性質が違っているはずだ。 おそらく私の持っていない才能を持つ人たちである。 お互いの才能を補い合うことで一つの仕事を成し遂げる。 それは以前の私なら劣等感を刺激されたため、避けて通ろうとしていたタイプの人たちに違いない。

すなわち、これまで“ぷっつん体験”の過程で集まってきたツインメイト・ツインソウルというのは、もう用済みなのである。 無理して付き合うことは お互いにつらくなるだけなのだ。 こういうことは会社の経営者が一番よくわかっているらしい。

人間の波動

また、人間は次の段階で人を育てるときが来たら、今までと違った人間が現れます。 人間の成長過程によって、寄ってくる人間、出会う人間が違います。
それはなぜかというと、人は人の波動で呼び寄せられるからです。
だから、会社が急成長したとき、従来からいる社員はほんの一人か、二人残るだけです。 その他の人は、成長する会社の波動についてこられなくなってしまいます。
昔の、現在よりワンランク下の波動で呼び寄せた人は、急成長を起した波動には使えないのです。
残った一人か、二人は、社長の成長する波動に必死に合わせて、自分を変えてきた人です。 だから、この人たちを部長にしたい、役員にしたい、出世させたい、そう思うのもしょうがありません。
ところが、成長している会社の社長のもとに集まった人というのは、前からいる社員よりも優秀な人たちが多いのです。 優秀になった社長が、その波動で呼び寄せた人たちですから。
昔からついてきてくれた人は必ずしも偉くしてあげることはないのです。
というのも、偉くしてあげるということは、その人にとって荷が重くなるだけかもしれないのですから。
無理に重い荷物を背負わせても、潰れてしまうのが関の山です。 それが本当の愛情なのでしょうか。
「君ならできる」
と言ったところで、人間、できないことはできないのです。

(斎藤一人『変な人が書いた成功法則』-P.221「社長が社員をクビにするとき」)


私は38歳の2012年7月14日に真の眠りを初体験した後から幽体離脱を体験するようになった。
(参考:「幽体離脱現象」矢印マーク 【坐禅作法58】じっくり効かせる望景内4)

23歳くらいから十数年の付き合いになるぷっつんレディ4号との溝が深まっていったのは、その辺りからなので、“波動が違ってくる”というのは それと関係がありそうだ。 すなわち己れの肉体の振動数が違ってくると共鳴する相手も変わる。 それまで共鳴しあっていた相手とは不協和音になってしまうのだろう。 4号とは寝る部屋も別々になった。 まったく抱く気も起きない。 それは、もしも4号が会社の社員ならクビにしてやるのが愛情…ということだ。

社長が社員をクビにするとき

ダメな社員も、ダメな社員になるようにインプットされているのです。
その社員はクビにされて、初めて一つの学びを終えるのです。 そして、社長が人をクビにできたとき、一つの学びを終えるのです。
ところが、それを思い悩む。 悩んでやせてしまったり、相手を苦しませたりして、お互いが苦しむ。
そうではないのです。 答えは最初から出ています。 そのダメな社員はクビにするのです。 この問題はそうやって解決するように出されたものなのです。
難しい問題ではありません。 ただ、六ヶ月で解決するか、一年で解決するか、一○年で解決するかの違いだけです。
ただし、一○年後にシャケが大きくなって川に戻ってくることはあっても、タラになったり、マグロになったりすることはありません。 人間も同じです。
解決できないままに一○年たっても、その人間は悪いままなのです。

(斎藤一人『変な人が書いた成功法則』-P.220「社長が社員をクビにするとき」)


記録によると…この斎藤一人さんの『変な人が書いた成功法則』を読んだのは38歳の2012年4月のことである。 ほどなくして4号との溝が深まり始めたので、「一人さんの言っていたのはこのことか…」と愕然とした。 私の30代の人生のどん底を支えてくれた女性が運命を転落していくなんて悔しくて仕方がなかった。 「己れのオツムを疑え、自分の心を観察しろ、やる気がないなら、さっさと田舎に帰れ」と私は何度も叱った。 もしも私の波動についてくることができれば転落しなくて済むと思ったからだ。

しかし、運命に逆らうのは空しい努力だ。 むしろそれは反発を招くばかりだった。

39歳で「オマエの修行は完了した」という内なる声を聞いたとき。 これからは4号も心随観を学んで変わるのかもしれないと期待した。 しかしそんなことはなかった。 どうして私の4号はひとりの天使になってくれないのか。 技術的にはもう世間に出られるところまで文章修行をしてきたのに、なぜ私の前にはひとりの天使があらわれないのか。 私は苦悩した。

キングとタビサ

私は売れる当てもない作品を書いた。 もし、タビーがそれを時間の無駄と言ったなら、私はほとんど気持が萎えていただろう。 しかし、タビーはただの一度も懐疑を口にせず、ひたすら私を励ましてくれた。 身に過ぎたことで、当然と考えたら罰が当たる。 今でも私は、新人作家が処女作を妻、または夫に捧げている献辞を見ると、わかっているのだな、と共感に頬が緩むのを禁じ得ない。 物書きは孤独な仕事である。 信じてくれる誰かがいるといないではわけが違う。 言葉に出すにはおよばない。 信頼が伝わればそれで充分である。

(スティーヴン・キング『小説作法』-P.083「生い立ち」)


前作『ちょっとはマシな坐禅作法』を書いている間、私はまったく孤独だった。

「ボクには才能が生まれたんだよ、才能の源泉を見つけたんだ」

そんな風に私が語るとき、4号から返ってくる言葉はいつもこうだった。

「そういうことは売れて証明してみてから言ってちょうだい」

ただでさえ孤独な物書きをさらに孤独に陥れるには、この言葉があれば充分だろう。 文章修行の師匠であるスティーヴン・キングが妻・タビサを賞賛する言葉を読むたびに、私は涙した。 やがて4号が41歳の誕生日を迎えたとき、私は決心した。

<<コイツはもはやオツムが逝ってる。彼女にとやかく言うのはもうやめよう…>>

“授記の夢”を見たのは、その数日後のことだった。 40歳の2014年8月20日のこと。 私のもとに経典の巻物一式が届いて、そこに手紙が添えてあった。

「よくそこまで修行した。増上慢に気をつけよ」

皮肉にも彼女を見限ったことが運命の歯車を廻し始めたらしい。 それから頻繁に見るようになった夢がある。 場面設定は色々だけれど「4号と連絡が途絶える」というのがその共通点だ。 長年連れ添ってきた仲ではあるから彼女のいない生活というのは想像できない。 そのため初めは動揺したけれど、そのうち慣れてしまった。

<<オレ…どうせなら独りでいたい…>>

そのころに私は41歳の誕生日を迎えた。 ぷっつんレディ2号をテレビでみかけたのは、まさしくその日である。

まずは、お互いに老けたな、と思った。 必死で生きてきたから気づかなかったけれど二十数年の月日の経過を思い知らされた。 しかしながら彼女の雰囲気は、どこかギラギラしていた20代の頃と異なっていて、30代の苦悩を乗り越えてきた自信と落ち着きをたたえているようにみえた。 もしかすると私とおなじように人生のどん底を味わってきたのかもしれない。 そういう成熟した女性を伴侶にしている男が現実に存在している…それは私にとっては別世界にある夢のような暮らしで羨ましくて仕方がなかった。 さらに、こんなことを考えてしまった。

<<もしもこの人が伴侶だったら、今でも抱けるだろうか?>>

きっかけは、そんなささいな疑問だった。 すると彼女の存在が私の頭の中のひだに引っかかって離れなくなってしまったのである。

<<ちきしょう…惹かれちまってる…>>

そう気づいたとき、頭がどうかしてるんじゃないのか、と思った。 たった一度会話を交わしただけの相手だ。 だいたい彼女は人妻であり二児の母なのである。 いまさら、どうなるものでもあるまい。

ただ、このとき己れの本心をはっきり観ていたことは自分でもわかる。 4号に別れ話を切り出したときに返ってくるであろう言葉、彼女と別れたときに両親から投げかけられるであろう言葉、それから人妻を愛しているなどという背徳的思考を持つ己れの世間体。 それらに囚われている己れの自我をはっきり観たとき、私は自分の中に眠っていた本心を知ったのだ。

<<ちきしょう…こいつに惹かれちまってる…>>

それは太古の恐竜の卵の化石がとつぜん孵化したかのように己れの根源から甦ってきた慕情だった。

<<私は禅者だ。己れの本心には嘘をつけない。私は彼女が好きだったのである>>

そのとき頭をよぎったのがソウルメイトの概念だった。 ツインレイが出会ってから再会するまでのパターンというものが研究されていて、どうやら私と2号がそのケースに当てはまっているらしいことがわかった。

しかしながら、そんなものは2号と私がツインレイである確証を与えてくれるものではない。 運命の女という幻想に取りつかれているだけかもしないとも思えてくる。

<<いよいよ私も人生の黄昏(たそがれ)どきを迎えて、徒花(あだばな)を咲かせてみたいと思う年頃になってしまった…>>

そう思ったとき、彼女が髪型の話をしていたのを思い出した。 高校生の彼女に「似合う?」と聞かれたとき、「似合うよ」と答えた私はちょっぴり嘘をついた。 正確には嘘じゃない。 美人はどんな髪型をしたって似合うものだ。 とはいえ内心では<<君の年頃にはまだちょっと早いんじゃないのかい?>>と思っていたのである。 彼女の髪型はその時の髪型だ。 現在の彼女にはぴったり似合っている。

運命は、たった一度の会話で、私が嫉妬心― ジェラシー ―を克服して、それが彼女への恋心の裏返しであったことに気づいたとき、それが確信に変わるように、私の記憶の中にタイムカプセルを埋め込んでいたのだ。 なぜ彼女は私との会話に髪型の話題を選んだのか。 長年の疑問が一気に氷解していった。 これ以上の証拠が必要だろうか。

彼女は私のツインレイに違いない…

こうしてツインレイのカラクリが日を追うごとに私に開示されていくことになった。

矢印マーク 『変な人が書いた成功法則』

読みやすいため理解は容易なのだけれど、
頭で理解するのと痛感するのとでは次元が違う。
一度読んだくらいでわかったと思ったら大間違いだ。
著者・斎藤一人さんは声聞道の大家なのである。
「声聞道って何よ」って言ったらコレなのよ。
『変な人が書いた驚くほどツイてる話』
と合わせて声聞道二部作ってとこかな。


ツインレイの出会いから再会までのプロセス

私がソウルメイトの概念を調べ始めたのは、テレビの対談番組で、ある男性タレントの初恋の話を聞いてからだった。

そのタレントは高校生の頃に一晩語り明かしただけの女性に恋をするのだけれど、まったく手を出そうとせず、ときおり聞こえてくる“風のたより”をもとに相手の女性の動向を知り続ける。 相手の女性は生涯独身で通し、その男性タレント宛ての手紙を残して60代半ばで亡くなってしまったそうだ。

その男性タレントには妻子があるため、もはや関係のない女性のはずなのだけれど、亡くなった話を切り出したときの表情が印象的で、まるで妻よりも大切な伴侶を亡くしてしまったかのようだった。

― もしかするとこの二人は運命の伴侶で、共通のミッションを持って地上に生まれてきたのだけれど、失敗に終わってしまったのではないか? ―

この仮説を裏付ける法則をソウルメイトの概念に求めたのが調査のきっかけである。 こんなところにまで厳密な法則があるとは驚きではあるけれど、たぶん、これも普遍法則のひとつなのだろう。

矢印マーク 真実の愛『ツインソウル応援プロジェクト』 というインターネットサイトに掲載されていた資料をもとに、私の経験から『ツインレイの出会いから再会までのプロセス』をまとめてみた。

******** ツインレイの出会いから再会までのプロセス(布施仁悟型) ********

■ 概要 ■
 人間は愛が一定の周波数を超えた時にツインレイと出会うようにプログラムされている。 それは地球最後の生涯に予定されているもので、ツインレイとの出会いをきっかけにして魂が本来の姿に戻る為の最終調整に入り、霊的に目覚めることが求められてくる。 その霊的な目覚めとは輪廻の輪から脱けだして完全なる霊的覚醒―悟り―に至ることにほかならない。 ツインレイとの出会い―別れ―再会というプロセスを通して男女それぞれの魂が一緒に成長を遂げるように運命はプログラムされている。

■ 7つの段階 ■
 ツインレイのミッションがはじまると7つの段階を経験する。

第1段階:認識(ミッションの啓示)
 出会った瞬間愛おしく思えるような異性―ツインソウル―に出会い恋心を覚える。 わざとらしい偶然― シンクロニシティ ―が起こる。(9-12歳頃)

第2段階:テスト
 抑圧している人格と本来あるべき人格との隔たりが起こり、次第に劣等感を生みだしていく。 この時期にツインソウルの相手を通して出会い―別れ―再会のプロセスを事前に疑似体験する。(13-16歳頃)

第3段階:危機(出会い)
 人格を抑圧してきた弊害が表面化し、その克服の必要性を強く感じるようになる頃、ツインレイと出会う。 そのとき女は関係の本質や神聖さを直感的に感じとるが、理性に勝った鈍感な男は気づかない。(17-19歳頃)

第4段階:ランナーとチェイサー
 男は己れの成長のために遠くへ旅立つ衝動に駆られてツインレイの相手の前から走り去る。 女はそれを追いかけても上手くいかないことをさとる。 この関係性から、男はランナー、女はチェイサーと呼ばれる。 こうして完全に交信が途絶える“サイレント期間”が始まる。(19-22歳頃)

第5段階:手放し
 男女は別々の道を歩む中で宇宙の法則を学ぶ。 ランナーである男は、自分のペースで進化する時間と自由を与えられ、創造性を身につけることで自らの本心を取り戻していく。 チェイサーである女は、ランナーへの想いを手放し、周囲の人達と調和する受容性を育みながら自我を完成させる。(23-39歳頃)

第6段階:目覚め
 やがて自我の完成から放棄へと向かうとき、身体は神聖なエネルギーに満たされる。 叡智の創造性と愛の癒しのエネルギーを周囲と分かち合う方法を確立する。(40-42歳頃)

第7段階:調和(再会)
 再会によって男女は関係の本質や神聖さを確認し、ほどなくして完全に霊的な覚醒を体験する。 天職遂行のために物理的に一緒になる。(42-46歳頃)

■ その他法則 ■
1.わざとらしい偶然― シンクロニシティ ―はミッションの啓示となっている。
2.男女はそれぞれ離れていても同時期に同じような内的変性を遂げる。
3.出会いの段階で関係の本質や神聖さを深く感じとるのは女のチェイサー。
4.ランナーである男は関係の本質や神聖さを再会の段階まで知ることがない。
5.再会のときに関係の本質や神聖さをランナーに伝えるのがチェイサーの役割。
6.自尊心や世間体を捨ててチェイサーの元に戻ることがランナーの課題。
7.内的変性を遂げるときすべての障害は自然に取り除かれる。

参考:矢印マーク 真実の愛『ツインソウル応援プロジェクト』


普通は再会の時節の到来までツインレイのカラクリの真相を知ることはないのではなかろうか。 私が再会前の41歳の誕生日を迎えたときに2号の存在に気づいたのは、偶然であり、孤独な私を見かねた内なる師からの贈り物ともいえる。 孤独を癒すには、同じ道を共に歩いている伴侶がいる、と知ることが近道だった。 たとえまだ再会を迎えていなくても、それだけわかれば孤独を癒すには十分なのである。

自分にツインレイが存在することを知って以来、私は他人の言動にほとんど左右されなくなり、将来に不安を感じることもあまりなくなってしまった。 “愛”がこれほどまでに強力なツールになっているなんて41歳になるまで気づかなかったことである。 ツインレイとの愛の絆に気づくことはとても大切なことだとおもう。

(2015.5)

桃雲水

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