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【坐禅作法86】運命の試練

ちょっとはマシな坐禅作法 運命の試練〜縁覚道の地図6〜

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〜縁覚道の地図6〜


己れを導くのは、あくまでも己れである


とてもかくても光陰をくるにはやし
(至道無難禅師『即心記』)

そうは言っても、10代、20代の若者にとって、人生は絶望するほど長い。

もしも私が革命家やロックンローラーたちのように比較的早い段階で最期を遂げるつもりでいたならば、もっと別の人生戦略をとることもできただろう。 しかしながら、どういうわけか老子の道徳経にある“大器晩成”という言葉が10代、20代における私にとってのお題目であり、それを盲目的に信じて続ける努力は破綻の危ぶまれている国民年金の掛け金を払い込んでいるようなものだった。 積み上げるほどに不安の増してゆく努力ほどむなしいものはない。

「オマエの願いは聞き入れられた」

この32歳で聴こえてきた内なる声を振り返ってみれば、そうした努力に対する報いとして、これ以上の言葉はないだろう。 とはいえ、ストーンズのライブチケットを入手できたことで、「これからいいことがたくさん起こるに違いない」などと楽観視していた私にとって、その直後から始まった運命の試練には裏切られたような気がしたものである。

その運命の試練には厳密なカリキュラムがあり、その年数もだいたい決まっているから、焦っても仕方のないことだったと知ったのは四十の坂を越してからだった。

そういう大事なことは初めから教えとけ!

…である。 歴代の祖師方は、どうして運命の試練の厳密なカリキュラムを明確にしてこなかったのか、私にはさっぱり理解できない。 そのおかげで、この21世紀においては、精神分裂を引き起こしても みずからを省(かえり)みることすらできない修行者が後を絶たないからだ。

悟りの軌道モデル(法華経型)
図:布施仁悟(著作権フリー)


頭脳分裂開始以降の縁覚道については文献も豊富で、しかも、たいていの悟りをひらいた歴代の祖師方というのは縁覚道から先の話を好んでしたものである。

これは祖師方の語録を読むようになってから気づいたのだけれど、法華経を読み込み、私と同じモデルを描くようになっていた祖師には、私の知るかぎりで馬祖道一門下の百丈懐海がいる。 ところが、この百丈懐海の法嗣(ほっす)である黄檗希運の名著『伝心法要』には、すでに声聞道を歩む修行者を凡人扱いして端(はな)から相手にしていない言葉が散見(さんけん)されるようになり、さらにその弟子の臨済義玄の時代になると、声聞道を歩む修行者は「クソ野郎」呼ばわりされるに至ってしまう。
kansiketu
なんともお粗末な伝言リレーである。 どうやら歴代の祖師方というのは声聞道における運命の試練にまったく興味がなかったらしいのだ。 もちろん彼らの般若(智慧)は本物なので間違ったことは言っていないだけに、これは非常にやっかいな問題だろう。

このような状況下にあれば、こんな弊害が生まれることは容易に想像できるに違いない。 入門時にそういう祖師方の教えを聞いて、縁覚道から先の知識ばかりをすり込まれた修行者は、それが先入観となるため、縁覚道以前の声聞道を歩むべき時節を禅定や三昧を目指すことにばかり専心して無駄にやり過ごしてしまう。 おかげで運命の試練を一つも透過しないまま頭脳分裂の始まる時節を迎え、そこで、なまじ禅定や三昧を体験してしまうものだから、それを修行の証果と勘違いし、精神分裂を引き起こしても症状の悪化を自覚することができない。

そんな彼らは出発時点で九年後の時刻表を渡されて列車の旅に出たようなものだ。 途中下車して経験しておかなければならないイベントを何一つこなすことなく、ただ座席に座って、お茶をすすりながら、のほほんと弁当を食べていたら、目的地の最寄駅についてしまったというだけのことである。 そこから目的地までの間に待ち受けている試練を透過する能力の欠落に気づいたとしても、もはや引き返すことは不可能だろう。 これは学生時代にしかできない淡(あわ)い体験を卒業してしまった後から取り戻そうとしても、それは無理な相談であるのと同じ道理である。

気の毒ではあるけれど、間に合わせで作った入れ歯のような祖師方の教えにたぶらかされて消化不良を起こした彼らが悪い。

教えは大きにあやまる。それを習ふは猶あやまる。 ただ直に見、直にきけ
(至道無難禅師『即心記』)

己れを導くのは、あくまでも己れであり、祖師方の教えではないのだ。 そこを履き違えてはイケナイのである。

赤雲水

修行道場は人倫日用の間にある

黒雲水

さて、目的地の最寄駅で待ち受けている最終試練は“第三の風の試練”と呼ばれている。

第三の風の試練

最後のこの試練にはどんな目標も感じられない。 すべては彼自身の手に委ねられている。 何ものも彼を行為に駆り立てようとはしない。 そのような状況の中で、彼はまったく独りになって、自分で道を見出さねばならない。 どこへ向っていったらいいのか、自分自身の他には、自分の行くべき方向を示し、自分の必要とする力を与えてくれるような何ものも、何ぴとも存在しない。 自分自身の中に力を見出せないなら、彼はすぐにふたたび、もといたところに立ち戻ってしまうであろう。 とはいえ、これまでの二つの試練を通過した者の中で、この力を見出せないのは極くわずかな人たちだけだということができる。 すでに落伍(らくご)してしまったか、この試練をも通過できるかのいずれかである。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.102「霊界参入の三段階」)


「すでに落伍してしまったか、この試練をも通過できるかのいずれかである」

とにかく、この第三の風の試練に至るまでの二つの試練を透過できていれば安泰というわけだ。 そして、その二つの試練というのが、声聞道における運命の試練に他ならない。 すなわち、縁覚道突入時の頭脳分裂開始以降に課せられる試練が第三の風の試練であり、それ以前の声聞道における第一、第二の試練の取り組み方次第で、そこから明暗がくっきり分かれるのである。

その第一、第二の試練は、各々“火の試練”“水の試練”と呼ばれている。 それぞれの試練を私の体験から悟りの軌道モデルにプロットしてみるとこんな感じになるだろうか。

運命の試練モデル(布施仁悟型)
図:布施仁悟(著作権フリー)


これら運命の試練の特徴は、その修行道場が、坐禅堂にではなく、人倫日用の間(じんりんにちようのかん)にあることである。

まずは第一の火の試練の解説から。

第一の火の試練の道場

或る人たちの場合、日常生活そのものが多かれ少なかれ無意識的な「火の試練」による霊界参入の過程を示している。 その人たちは豊かな経験を通して、自己信頼、勇気、不撓不屈の精神を健全に育成する努力を重ね、苦悩、幻滅、失敗を魂の偉大さ、特に内的平静と忍耐力とをもって堪えぬく術を知っている。 このような人生経験を通過してきた人の多くは、自分では気づかなくとも、すでに霊界へ参入している。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.093「霊界参入の三段階」)


お次は第二の水の試練より。

第二の水の試練の道場

したがってここでもまた、霊界参入以前の人生経験において、自制心を身につけることができた人の方が一層容易にこの試練を通過することができる。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.099「霊界参入の三段階」)

すでに意識せずに獲得された日常生活における霊界参入がどうしても必要なのだ、といわねばならない。 なぜなら若いときに正しい文字の書き方を習わなかった多くの人には、成年に達したあとで、それを取り返すことがむずかしいように、すでにあらかじめ日常生活の中で或る程度の自制心を獲得することなく、高次の世界の認識に直面して、必要とされる自制心をあらためて獲得するということもまた、むずかしいからである。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.100「霊界参入の三段階」)


最後に、こちらは第三の風の試練からの引用。

第三の風の試練の道場

そして他の場合にもまして、日常生活がこの場合多くの人にとっての神秘修行の道場となっている。 突然一生の大問題を迎えて、おそれることなく、あまりくよくよもせずに、すみやかな決断を下すことができるようになった人物にとって、人生は修行の場であったに違いない。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.103-104「霊界参入の三段階」)


いずれの場合も、日常生活における人生経験の重要性を説いていることを読み取れるだろうか。 ここでは、いわゆる、禅門において動中の工夫(どうちゅうのくふう)と呼ばれるものが求められているのだ。

動中の工夫は静中に勝ること百千万億倍
(白隠禅師『於仁安佐美(おにあざみ)』)

したがって、禅定や三昧の証果を得ることばかりに専心している“禅定バカ”は、これら三つの運命の試練を透過することなど決してできない。

「てんで話にならない。禅定バカはよそ行ってやってくれ」
「君は類人猿なみの知性しか持ち合わせていないようだから精神病院にでも入院しとけ」
「聞く耳を持たざるものにかける言葉は見つからない」

ときどき私は、このような非常識な言葉を使うのだけれど、こうしたわが禅風の厳しさは上記の事情による。 そうした私の態度に疑問を懐き、反論してくるものがいたとしても、私は一向にかまわない。

まんぢゅうでも食って、屁をこいて、ふんぞりかえって、寝るだけだ。

(2015.3)

矢印マーク 『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』

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(2011年1月現在・ボク調べ)
こういう本が市場に出回っている現在、
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そろそろまともな禅書を誰かが出版しても
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