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【坐禅作法70】星読みの酔狂

ちょっとはマシな坐禅作法 星読みの酔狂〜十牛図提唱7〜

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〜十牛図提唱7〜


いかにも、これは星読みの酔狂

欲望や願望を滅尽(めつじん)するには二つの方法があると申します。

一つは理性のメスで取り除くこと、それで敵(かな)わない分は成就してしまうこと。

心願成就第一主義の私は、ひとまず42歳から飛躍して俗世で成功してみるつもりでいましたから、プラトンの説くように50歳で隠遁するのではあまりに短く、それはもう殺生なお話でありました。

そこで、こういう往生際の悪い求道者向けの救済モデルをシミュレーションしてみたのでございます。 いかにも、これは星読みの酔狂。 悪ふざけと申されても返す言葉がございません。

四住期〜プラトンモデル〜
図:布施仁悟(著作権フリー)


まず私は、ベースのプラトンモデルにもう一つのモデルケースをかぶせて、よりゆっくりと涅槃へ向かう“ゆるモデル”を構築することを考えました。 参考としたのは、やはり我が国の誇る厄年モデルであります。

厄年の発想の根底にあるのは年男年女(としおとことしおんな)、すなわち、干支の十二年周期と考えられます。 昔は数えで年齢をカウントしていましたから、時系列で表すとこうなるわけです。

年男年女〜干支の十二年周期〜
図:布施仁悟(著作権フリー)


ここに厄年の発案者とされる平安時代の陰陽師・安倍晴明の星読みから、運命の転機とみられる年齢を加えると厄年モデルが完成することになります。 一般に厄年とされているのは、19・25・33・37・42・61歳ですから、安倍晴明によって追加されたのは19・33・42歳の三つとわかります。

なお現代に伝わっている厄年のしきたりでは13歳と49歳が抜け落ちていますけれども、その理由は謎です。 13歳はスタンド・バイ・ミー現象の完了する時期ですし、49歳はプラトンの50歳隠遁説とほぼ一致しますので、いずれも重要な年齢のはずですから、おそらく、後年の星読みのセンスのない陰陽師たちによって歪められて伝わってきたものと思われます。

厄年の構造
図:布施仁悟(著作権フリー)


さらにまた、これは説き尽くしてきたことでありますが、人間はちょうどお釈迦さまの出家した29歳で新たな人生周期を迎え、運命から価値観の転換を迫られます。

人間の運命は、こうした29年周期の輪廻を繰り返しているようですから、平均寿命を考慮すると、人生は大きく三つの時期に分割できるはずです。 それぞれを青年期、壮年期、老年期と名づけると、最初の青年期は「真理探究をはじめるまでの29年」と定義できるでしょう。

赤雲水

真理探究をはじめるまでの29年

黒雲水
青年期〜真理探究をはじめるまでの29年〜
図:布施仁悟(著作権フリー)


図中のSBMはスタンド・バイ・ミー現象の起こる時期でありますから、“求道者の星まわり”を背負うかどうかは、これ以前にすでに決定してしまっていることになります。

で、どういう子供が“求道者の星まわり”を持つに至るのかについては、壮年期33・37歳の厄年にあるレーベンスヴェンデ(ドイツ語:Lebens Wende[生の転換点])と同じものが、29年前のこの時期にもあると仮定すると非常にうまく説明できるので、少し解説を加えておきましょう。

この青年期におけるレーベンスヴェンデ(以下、LW)は、4歳前後のLW1期と8歳前後のLW2期の各3年間に分けられます。

昔からよく「舞いや三味線の稽古をするには4つか5つ頃からがよい」と云われますのは、全くこのLW1期を説明したものでありまして、秀才・天才として人生をスタートする子供たちは、早くもLW1期から創造的活動の喜びを覚えるため、己れの自由意志を尊重する意識がここで芽生えてくるようでございます。

こういう子供たちは、青年期25〜29歳の収穫期にそれなりの業績を残すものでして、ニュートンの万有引力やアインシュタインの相対性理論、ミケランジェロのピエタ・ダヴィデ像の発表はこの収穫期にぴったり嵌(は)まりますし、卑近(ひきん)な例では、矢沢永吉や徳永英明といったミュージシャンは、25歳位から本格デビューして、29〜31歳で生涯最大のヒットを飛ばした後、30代に入って見事に苦悩するというお決まりのパターンを辿っているのですが、これは“呪い”とでも申しましょうか、LW1期のレギュラー選抜者の宿命のようであります。

かように申しましても、レギュラー選抜者はまだマシなほうでして、可哀そうなのはLW2期の補欠選抜者だと私は思うのです。

LW1期は人生最初の反抗期として知られている時期でもありますが、大概は周囲の大人たちの圧力に屈して保育園を入口とする社会の仕組みに呑み込まれていきますから、LW1期に開く創造の扉を見送り、ほとんどの子供たちは才能とは縁のない青年期へと飛び立っていくのであります。

とは申しましても、そうしたレギュラー選抜に洩(も)れた子供たちの中には、大人たちから放り込まれた環境に馴染もうとしない子供もおりまして、たとえば登園拒否などの大人たちを悩ませる行動を起こしたりする。 こういう子供たちは、自らの本心に忠実に生きようと願っているにもかかわらず、心の使い方を過(あやま)っているため、たとえば他ならぬ私がそうだったのでありますが、「身体が大きくなったら、この保母のやろう、絶対、殴り倒しに来てやる」などとやんちゃなことを考えていますから、なまじ才能などを与えられないほうが良いのでございます。

たしか金剛般若経にも、仏道を習うようになるのは如何なる人物か、という問いに対して、前世で悪いことをして反省したやつさ、と応えてありますから、おそらく、そういう悪童たちが、LW2期の試練をクリアして、補欠のような位置づけで“求道者の星まわり”に入るのではないでしょうか。

したがいまして、LW2期の補欠選抜者にとっての青年期は、30代から真理探究をはじめるための準備期間となってしまうため、25〜29歳に収穫期を迎えるどころか、19、25歳の厄年に挫折を経験しなければならず、語るも涙の塗炭(とたん)の苦しみが待っている。

それもこれもみんな、壮年期から前世の報復戦(リターンマッチ)を果たすための試練であるとするならば、その意義もあろうと云うものであります。


真理探究の29年

壮年期〜真理探究の29年〜
図:布施仁悟(著作権フリー)


レギュラー選抜者が俗世の栄耀(えよう)に現(うつつ)を抜かしている間に、補欠選抜者の方は逆境に喘(あえ)いでいたのですから、補欠選抜者には失うものなど何もないのであります。 もはやレギュラー選抜者にも前世からのアドバンテージなんてものはない。

皆様のうち志(こころざし)を得ない青年期を過ごしてきた者は、土壇場の勝負どころで強(したた)かなのはどちらであるか、考えて御覧なさい。 壮年期にあるレーベンスヴェンデは、才能の枯れゆく秀才・天才と騎虎(きこ)の勢いにある凡人の逆転劇が38歳あたりから発(おこ)るカラクリを物語っているのでございます。

無論、勝負どきは33歳の大厄前後にあるLW1期。 この時期にある選抜試験が“ぷっつん体験”でありまして、ここを通過できた人物に天職への扉が開かれるのであります。 天職の栄誉は指呼の間(しこのかん)にあるのですから、時に及んで運気の勢いに乗ったもの勝ちでございましょう。

そうして天職の徴(きざし)の現れるのはプラトンご指摘のとおり35歳。 ここから歩むべき進路がおぼろげながら見えてきますし、創造的才能も目覚めてきますから、“生きる”ということの意味をようやく実感できるようになってくる。 別言すると、35歳にならないと天職は見えてこない、ということでもありますが、それは、気づいたら幸せのレールは隣を走っていた、という体(てい)のもの。 ただ目を逸(そ)らしてきただけだったと覚(さと)るのであります。

そういう選抜者に課せられる37歳前後LW2期の試練は天職のための実務研修にすぎません。 人生万事順調であったなら誰一人として己れの無知に気づこうとはしない。 かかるがゆえに課せられるのが試練であります。 すでに前途がはっきりと見えているからこそ、人生のどん底と呼ばれる30代のクスブリにも意味があるとおのずから知れるのでございます。

この壮年期のレーベンスヴェンデを完了すると、生涯二度目の“スタンド・バイ・ミー現象”が始まるのですが、その様子を観察していると、42歳の大厄以降から大当たりにありつくための確率変動のように思えてなりません。 ともすれば人間の運命とはパチンコのごときものではありますまいか。

さて、ここに至って問題は49歳の扱いでありました。 それは厄年のしきたりから抜け落ちている年齢だったこともあり、さほど気に留めることもなく、老年期61歳の厄年から隠遁すればよかろう、と私は考えたのでございます。 実際に、42歳頃から飛躍したダ・ヴィンチや尾形光琳などは、54〜60歳頃に生涯最高傑作を残していますから、58〜60歳あたりで悔いの残らない業績を遂げれば未練も残らぬ…どうやら青年期ではLW2期生の補欠選抜だったようだから幕引きはそれからだ…それくらいの果報を頂戴しても罰は当たるまい、プラトンの説くように50歳で早々に隠遁するのではなく、それくらいの猶予があってもよいではないか、と思ったのでございます。

青雲水

集大成としての29年

緑雲水
老年期〜集大成としての29年〜
図:布施仁悟(著作権フリー)


そうして幕引きを図(はか)るべき老年期にたった一つある厄年が61歳。

そこは、いわゆる“還暦”ですから、一巡して起算点に戻ることになります…と申しましても1歳ではありません。 星まわりで考えると「おいくちゅかなあ?」と聞かれて「ちゃんちゃい(三歳)」と答える幼児と同じ立場に還るのです。

としますと、現世における人生プログラムは、ここで一区切りを迎えることになりますから、その生き様の成否は一目瞭然となっているわけであります。

したがいまして、青年期、壮年期のレーベンスヴェンデを無為にやり過ごした人物にとっては、今生最後の運命変革のチャンスなのですが、歳月は人を待たず、この歳になると取り返しのつかないほどオツムが逝ってしまっているので、何を言っても無駄な老人が多いものです。

人生のすべてに失敗したにもかかわらず、その事実に気づこうともしないため、病気に事故に身内の死、LW2期66歳は運命から最終警告を与えられる鬼門となります。 それでも心の使い方を間違えていることには気づこうとしないものでして、それは一体何故かと考えましても、アホだからである、と論を俟(ま)たないのが哀しき老人なのだと思います。


ゆるモデルの典型例

しかしながら、同じ無為でも無為自然を目指してきた老人の中には、この老年期のレーベンスヴェンデに今生の集大成として隠遁修行に入る者が出てくる。

そういう人物が、すなわち、よりゆっくりと涅槃を目指す“ゆるモデル”の体現者でありまして、実例を挙げるなら肥田春充がその典型例として挙げられるでしょうか。

肥田春充一代記⇔四住期〜ゆるモデル〜
図:布施仁悟(著作権フリー) 参考:矢印マーク 聖中心道肥田式強健術「肥田春充師の生涯」


こうして肥田春充一代記を眺めてみますと、求道者の星まわりに従って宿命を生きることは、計(はか)らずも四住期“ゆるモデル”を生きることになるとわかります。

たとえば春充は、18歳で強健を志して後、しばらく2年で肉体改造に成功しているのですが、プラトンの『国家』にも17・18〜20歳の間は体育のハードトレーニングを課すべきだとありまして、これは星まわりに忠実に従った当然の成果と考えられます。 ちょうど同じ時節に大学受験の浪人時代を過ごしていた吾が身を省みますと、32歳からの坐禅修行の中途で不随意筋に悩まされた原因は、この時期の過ごし方にあるような気がしてくるのです。

とはいえ、肥田春充の生涯をよくよく精査してみますれば、残念な最期を遂げていると言わざるをえません。


君は博識なことを話すが
悲しむ値打ちのないことを嘆いている
真理を学んだ賢い人は
生者のためにも死者のためにも悲しまない

(バガヴァッド・ギーター2-11)


このバガヴァッド・ギーターの記述から明らかなように、人類の前途を憂えるあまり拒食症を患って死んだ、というのは不徹底の証拠であり、肥田春充は大悟に至らなかったと判断できるのであります。

それも一つのゴールのようですけれども、それはどうかと私は思うのです。

矢印マーク 『国家〈下〉(岩波文庫 青 601-8)』


プラトンは古代ギリシャの哲人にして稀代の星読み。
その本領は下巻・第6〜第7巻で発揮されている。

矢印マーク 『神の詩―バガヴァッド・ギーター』

世界中で聖書の次に読まれているという聖典。
仏教とキリスト教をつなぐ架け橋となる。

桃雲水

十牛図十『入廛垂手』

赤雲水
十牛図十『入廛垂手』


酒肆魚行 化して成仏せしむ

図・布施仁悟(著作権フリー)


肥田春充は49日間の断食の末に亡くなったようですけれども、かつて菩提樹下に49日間坐して後、悟りをひらいたお釈迦さまも、そのまま涅槃に入るつもりだったと云われています。

この49日間には自我の生み出す煩悩の幻覚をみたらしく、こうした自我の誘惑を退ける約40日間の“降魔成道”の逸話は、聖書(マテオ第4章1-11)にも記され、そこに「悪魔(自我)はイエズスを離れ去り、天使たちが近づいて来て仕えた」とあるように、悟りのための通過儀礼のようなのであります。

なおまた涅槃は肉体の死を意味していますから、お釈迦さまがそのまま涅槃に入ってしまったとすると仏教は誕生しなかったことになりますけれども、そこは“梵天勧請”の逸話として語り継がれていますように、悟りの教えを説く決意をして思いとどまったそうでございます。

無論、十牛図の道を行く求道者は、すべからく、お釈迦さまの弟子でありますから、その目標たる大悟とは、悟りを経て菩薩道を生きること。

「酒肆魚行(しゅしぎょこう) 化して成仏せしむ」
(酒屋であろうと、魚屋であろうと、かまうことはない。仏と成してみせようぞ)

悟りをひらいたからといって肥田春充のように死んでしまうわけにはいかないのであります。

矢印マーク 『鉄人を創る肥田式強健術』


簡易強健術は臍下丹田を正しく開発した人向けの体操。
臍下丹田を開発できるとこれだけで十分だそうである。
やっぱりホンモノはいつの時代にもいたんだね。


十牛図九『返本還源』

十牛図九『返本還源』


水はみずから茫茫 花はおのずから紅なり

図・布施仁悟(著作権フリー)  参考:速水御舟『紅梅白梅』


たとえ悟りが何もない無一物の境地だとしても、昔からすべてを失ったものはすべてを得ると云われています。


すべてをあきらめなさい。 そうすれば、あなたはすべてを得るだろう。 そのとき人生は、その目的通り、無尽蔵の源からの純粋な輝きとなる。 世界はその輝きのなかに夢のようにぼんやりとかすんで現れるのだ。

(『アイ・アム・ザット』-P.275〜<すべてをあきらめなさい。そうすれば、すべてを得る>)


私は“ゆるモデル”をシミュレーションするという酔狂の果てに、このニサルガダッタの言葉に接して、虚栄と知りながら俗世での成功を求めることの馬鹿らしさに薄々気づいている自分を知ってしまったのです。

50歳で一旦ケツをまくって隠遁するのもスジか…

心願いつしか悟りの宿願に替わり私もついにヤキがまわったということでありましょうか。

矢印マーク 『アイ・アム・ザット 私は在る』


結局このニサルガ・ヨーガに行き着いたのは驚きだ。
ニサルガダッタ・マハラジはあまりにクール。
そのため当初は冷徹な印象を受けたものである。
でも実はそれが本当の慈悲であり愛だった。
愛は神であり、神は愛である。
ゆえに愛はパラドックスである。

黒雲水

人生の台本

青雲水

大体、ここで述べてきた星読みの酔狂は決して穏当とは言えないかも知れません。

けれども、こうした求道者の星まわりから感得していただきたい一事があるのです。

「己れとは何か」という原点に立ち返るとき本当の運命の歯車が動き出す

その運命の歯車がまわり出すとき、そこに周到に用意された人生の台本の存在に気づくことになります。 その台本を演じきる覚悟を決めたなら、すべての迷いが嘘のように消え失せることを知るでしょう。

(2014.3)


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