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【坐禅作法69】求道者の星まわり

ちょっとはマシな坐禅作法 求道者の星まわり〜十牛図提唱6〜

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〜十牛図提唱6〜


求道者の星まわり発見の経緯

時はまさしく末法の世と言われます。

禅の精神的完成に至ると欲望や願望は姿を消してしまうそうでありますが 「今ではすっかり欲がなくなってしまったよ」などと言う人物に限って強欲であるとは知れたこと。 意識の奥底に根づいた欲望や願望は観念的に捨てたつもりになっても拭いきれるものではございません。

したがいまして印度伝来のニルヴァーナ第一主義による禁欲的アプローチは、末法の世を生きる私にとって滅相もないお話しでありました。 実現可能性の乏しい絵空事に興味を持てるはずなどありませんから、ひとまず涅槃(ニルヴァーナ)は置いといて、俗世で成功してみるという心願成就第一主義による悟りの道を模索したことを白状しなければなりますまい。

かくなる上は、いきおい一つの疑問が浮かび上がる。 これは果たして“邪道”というものではなかろうか?

しかしながら、心願成就という業を修めるためには、この世はまさに打ってつけの修業道場ではありますまいか。 わが国では司馬遷『史記』の「列伝」にあるような英雄譚や四書五経を規範とし、運命に抵抗せず、それに順応するところに精神の涵養を求め、自然得られた地位や名誉を尊しとしてきました。 それが天地神明に恥ずべき生き様とは思えません。 してみれば、涅槃へ至る修行中には心願成就の過程を挿(はさ)んでいると考えるのが至当であり、とりわけ機根貧乏の凡人出身者が涅槃に至る実現可能性を考えれば、それは至極もっともな方法論でございましょう。

なおまた悟りへの道は一つではないとも申します。

おのおのの機根に合わせて各人各様の人生プログラムが用意されているとしたら、それを宿命と呼んでもいい。 宿命にしたがえば運気は上がり、宿命から外れたら運気は下がる。 運気を上げる努力がそのまま涅槃へ至る道になるとするならば、心願成就を追い求めること自体が修行となって然るべきである。

私はそう考えたのであります。

そうして己れの宿命を解き明かすべく始めた星まわりの研究は、一つのモデルケースを探り当てることになりました。 星まわりにしたがうことで俗世の成功を手に入れ、仕舞いには涅槃にも至るという、一生で二度おいしい贅沢三昧のモデルケースで、この軌道に乗ると、知らず識らず、十牛図の階梯を上るように導かれるという“求道者の星まわり”があったのであります。

赤雲水

四住期(アシュラマ)

黒雲水

私はこのモデルケースの存在を統計的に導き出したのでありますが、それを裏付けるものが全く無いわけでもなく、印度の古代ヴェーダやギリシア哲学において、すでに解き明かされていたのでございます。 この心願成就第一主義による悟りへの道程は、説明されてみれば理想的な人生設計として、誰でも納得の展開ではありますまいか。

古代ヴェーダは人生の理想的な送り方として、これを四つのアシュラマ(時期)に分けている。 第一期は肉体と精神と道徳と霊性について教育を受ける独身の学生(ブラーマチャリ)。 第二期は家庭を持ち社会的な責任を果たす所帯持ち(グリハスタ)。 第三期は世間的な仕事から引退してアシュラムに入ったり隠遁したりして霊的探求と瞑想により多くの時間を献げる修行者(ヴァーナプラスタ)。 第四期は俗世間を外面的にも内面的にも完全に放棄した隠者または遊行者(サンニャシ)。

(『人間の永遠の探求』P.401<講話49>)


まず心願成就にふさわしい人格を形成する学習期(ブラーマチャリ)があり、それを卒業すると心願を成就する機会を与えられ、家庭を持ち社会的責任を果たす家住期(グリハスタ)を楽しむ。 その虚栄に厭(あ)きた頃から隠遁して修行に打ち込む林棲期(ヴァーナプラスタ)を過ごし、ついに悟りを経て宇宙経綸に合致して生きる遊行期(サンニャシ)に至るという展開です。

『四住期(アシュラマ)』
図:布施仁悟(著作権フリー)


これは日本では四住期として知られている概念で、星まわりにしたがって宿命を生きれば、この通りになるというようなモデルケースなのですが、それぞれの時期に突入する時節は、生来の機根によっても異なるため、残念ながら古代ヴェーダを読んでも解き明かすことはできません。

矢印マーク 『人間の永遠の探求』


修行者はどういう生活をしたらいいのか。
迷ったらこの人に聴けばいい。
ただし納得できたものから少しずつ取り入れていかないと、
ただのストイックな禁欲主義になるのでご用心。


四住期〜プラトンモデル〜

と申しましても、星読みの智慧を授かった求道者同士であれば、その導きだす結論は奇妙な一致をみせるもの。 時と場所を超越して、似たような人生設計を描き、国家の人材育成モデルとしてシミュレーションしてみせた好事家(こうずか)がいまして、それが古代ギリシアの哲学者・プラトンなのでございます。

矢印マーク 『国家〈下〉(岩波文庫 青 601-8)』


プラトンは古代ギリシャの哲人にして稀代の星読み。
その本領は下巻・第6〜第7巻で発揮されている。


プラトンは29歳で人生の周期が変わることに気づいていたらしく、真理探究に乗り出す時節を迎えた30歳の国民に選抜試験を課すべきだと主張しています。 それ以前の10、20代は数学や天文学をみっちり学べと説いていて、それらは世の中に存在する普遍の法則を導き出す学問ですから、真理探究にあたって法則を洞察する基礎を作る意味で“学ぶ価値あり”と考えていたのでありましょうか。

そこからさらに優れた素質を示した人物だけを35歳で再び選抜したうえで、公務に就かせて職業訓練を課すべきだとし、35〜50歳までを実務研修期間に位置づけました。 統計的にも、天職をおぼろげながら知るのは35歳で、いわゆる“脂が乗ってくる”のが50歳。 プラトンの学説はそれを反映したものと思われます。

そうして、いよいよ50歳からは悟りを目指すことになります。 プラトンは悟りのことを“<善>のイデアの認識”と呼んでいたのですが、人は<善>のイデアを認識できて初めて世の役に立つ役職に就けると説きました。

そして彼らがそのようにして<善>そのものを見てとったならば、その<善>を範型(模型)として用いながら、各人が順番に国家と個々人と自分自身とを秩序づける仕事のうちに残りの生涯を過ごすように強制しなければならない。 すなわち彼らは大部分の期間は哲学することに過ごしながら、しかし順番が来たならば各人が交替に国の政治の仕事に苦労をささげ国家のために支配の任につかなければならないのだ。 そうすることを何かすばらしい仕事とみなすのではなく、やむをえない強制的な仕事とみなしながら―。

そして、このようにしながら、つねにたえず他の人々を自分と同じような人間に教育し、自分にかわる国家の守護者を後にのこしたならば、彼らは<幸福者の島>へと去ってそこに住まうことになる。

(プラトン『国家〈下〉』<第七巻18>)


これがプラトンの理想とした終着点で、四住期における遊行期や仏教徒にとっての菩薩道に相当するものであることを読み取れます。

『四住期〜プラトンモデル〜』
図:布施仁悟(著作権フリー)


しかしながら、私は当初、このプラトンモデルにいささか不満を持ったのであります。 このモデルによると隠遁生活に入るのは50歳ですので、首尾よく42歳の大厄で才能開眼と相(あい)成ったとしますと、そこから8年しかない。 これから“脂が乗ってくる”という50歳の時期に「そろそろ君は引退して隠遁しなさい」と言われたら、皆様、どう思われるでしょうか?

あまりに心のこりで修行に専心するなんて出来やしないぢやないか…と私は考えたのでございます。

(2014.3)

青雲水

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