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【坐禅作法67】法華三乗の道

ちょっとはマシな坐禅作法 法華三乗の道〜十牛図提唱4〜

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〜十牛図提唱4〜


法華経と十牛図

十牛図の指し示す道は大略三つに区分できるのですが、それは法華経に説かれた真理を体得する三つの道に何ら矛盾するものではございません。

かの仏は声聞を求める者、すなわち説き示された法則を頼りに聖者の道をゆく修行者たちには、苦を脱する四つの真理である四諦を説きました。

辟支仏(びしゃくぶつ)、すなわち縁起の法則を頼りに孤高の道をゆく縁覚の修行者たちには、すべては縁起による現象であり、そこには十二の要素があることを十二因縁の法によって示しました。

常に人々と共に歩もうと志して菩薩の道をゆく求法者たちに対しては布施・智慧などの六種の完成、すなわち六波羅蜜を標章として無上のさとりに導き、真実を見とおす智慧をさずけました。

(大角修『法華経大全』P.019「予兆<序品第一>」)


すなわち三つの区分とは声聞・縁覚・菩薩道の三乗のこと。

それぞれ顕在意識の領域での修行、潜在意識の領域での修行、大悟徹底後に還俗して衆生を導く修行でありまして、十牛図と対応させるとこの表のようになります。

『法華経の三乗と十牛図の対応表』
図:布施仁悟(著作権フリー)


道元禅師は仏道を習う手始めに比叡山延暦寺で天台の本覚思想を学んだのですが、それは「人間は本来生まれながらに悟っている」だとか「人間はそのままでみな仏性をもっている」というもので、その根本経典である法華経もまた「これまで説かれてきた三乗の修行は方便で、仏にとっては一乗の道があるだけである」と読めないこともないため、誰でも仏と云うのだったら修行とは一体何ぞや、と当然のごとく大疑団を抱くことになるのであります。

本来本法性、天然自性身と、若しかくの如くならば、則ち三世の諸仏なにに依ってか、更に発心して、菩提を求むるや


そこで24歳で宋へ留学し、26歳の折に、浙江省天童山・如浄禅師の下で大疑団解決のうえ帰国するのでありますが、法華経にある「三乗の修行は実は方便である」という文言は修行の段階を上がってみればそうとわかるもので、すなわち、前の段階に至ったときの方法論を捨てなければ次の段階へは進めない、という十牛図の階梯と同じ道理を示唆していますから、道元禅師も、いきおい声聞・縁覚・菩薩道の三乗の階梯は避けて通れないもの、と覚って「とりあえず只管に打坐して身心脱落を得てみよ」と潜在意識の領域に突入する縁覚道の入口を指し示したのでございます。

その縁覚道は、十牛図の教えるところによりますと、自我を捕らえ、自我の動きを沈(しず)め、自我を手なずけ、自我を忘れ、自我を忘れたことすら忘れる過程で、その入口では“定力”すなわち精神集中力の訓練を求められていることがわかります。

矢印マーク 『図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説』

妙法蓮華経とは、最後まで読みきっても、
「どうせ読んだってわからん」としか書いてない経典。
それでも諸経の中の王なのである。
とても読みやすい現代語訳総解説。
読んでもわからん。だけど読む。それが法華経。

赤雲水

十牛図四『得牛』

黒雲水
十牛図四『得牛』

[自我を捕らえ…]

精神を竭尽して 渠を獲得す

図・布施仁悟(著作権フリー)


只管に打坐して身心脱落を得るならば潜在意識の扉が開く。 ただし自我は依然として恣(ほしい)ままに振舞っている。

いわば潜在意識の入り口にあるとされる魔境は、声聞道を軽んじてきた修行者に対する“しっぺ返し”でありまして、ニーチェのように“定力”だけがギラギラしている人物に当てはまります。 顕在意識の領域で自我を観る修行をないがしろにしたまま潜在意識に突入してしまうと、ユングが指摘していましたように、自我の投影として展開される幻覚に打ち砕かれてしまう。 左様に申しましても、心随観を行ずる正統の禅者にとって恐れるほどのことは何もございません。 ただ、定力無双の精神力を養うべく打ち坐ればよろしいのであります。

坐禅をしても意識がまだ散乱していて安定してこない間は魔境は現れない。 また本当に入定してしまえばこれまた魔境というものはない。 丁度、坐禅が半熟状態の時に魔境が現れるのである。

(山田耕雲『禅の正門』P.208「第六節 魔境」より)


そうして不動の定力を身につける頃から、いよいよ潜在意識の領域での縁覚道“十二因縁の法”による修行を始められるのでしょう。


十牛図五『牧牛』

十牛図五『牧牛』

[自我の動きを沈め…]

鞭策 時々 身を離れず

図・布施仁悟(著作権フリー)


「鞭策(べんさく) 時々 身を離れず」とは、己の自我を叱咤(しった)する鞭(むち)や綱を片時も離さないようにしなければならないことですが、廓庵禅師の頌には「相将(ひき)いて牧得すれば純和せり」と続けてあり、自我を観る訓練を怠りなく続ければ、自我は次第に大人しくなってくるようであります。

青雲水

十牛図六『騎牛帰家』

緑雲水
十牛図六『騎牛帰家』

[自我を手なずけ…]

干戈すでに罷み 得失また空ず

図・布施仁悟(著作権フリー) 参考:狩野芳崖『牧童図』


「干戈(かんか)すでに罷(や)み 得失また空ず」己の自我を叱咤する日々は終わりを告げ、自我をあえて制御しようとしなくても思考にしたがうようになる。

もはや自我を制御しようとしなくても自我が問題を起こさないならば、間もなく自我は忘却されるということで…


十牛図七『忘牛存人』

十牛図七『忘牛存人』

[自我を忘れ…]

牛もまた空じ 人もまた閑かなり

図・布施仁悟(著作権フリー)


自我の象徴としての牛の姿は消え、無垢な人だけが存在することになります。 己れの自我が沈黙してまったら、自我を制御する意味などありませんから、ほどなくして制御されるべき自我自体が忘れ去られるということでしょう。 ここをもって“無我”の境地と云うのでありましょうか。

ただし、この境地に達したとしましても「自我は消えるが人は残る」と説明しているようであります。

たしかに、次の十牛図八「人牛倶忘」では人すらも消えてしまうのですから。

桃雲水

十牛図八『人牛倶忘』

赤雲水
十牛図八『人牛倶忘』

[自我を忘れたことすら忘れる…]

鞭索人牛 尽く空に属す

図・布施仁悟(著作権フリー)


ここは体験したことのない私にとって想像に絶する境涯ですので、ニサルガダッタの『アイ・アム・ザット』にある忘牛存人からこの境地に至る方法を説いた記述を引用するといたします。

「身」を離れると、そこに「私」はなく、また「世界」もない。 その三つはともに現れ、ともに消えるのだ。 その根本には「私は在る」という感覚がある。 それを越えていきなさい。

(ニサルガダッタ・マハラジ『アイ・アム・ザット』P.310〜「至高なるもののなかに観照者は現れる」)


執着しているもの―[身]―を離れると、そこに自我―[私]―はありえないため、自我の投影として展開される仮想―[世界]―もなくなる。 そのとき根源にある「私は在る」という意識を粉砕することで“悟り”に至るということになりましょうか。

この方法論によりますと「鞭索(べんさく)人牛 尽(ことごと)く空に属す」とは、制御されるべき自我―[牛]―がないゆえに、自我を制御する必要性―[鞭索]―もないとき、己れは無我であると認識している“私”―[人]―が残るけれど、その“私”すらも虚空と化したときこそ“悟り”であると考えればよさそうでありますが、そもそも潜在意識の領域は直覚知の世界、観念的な理窟(りくつ)には何の価値もございません。 けだし体験してみて初めてわかることなのでありましょう。

矢印マーク 『アイ・アム・ザット 私は在る』

おバカな質問にも真剣に答えてくれる稀有な聖者。
550ページにものぼる質疑応答のなかに、
修行者の知りたい疑問と答えが必ずみつかるだろう。
解脱の真理を読めるようになってからひも解けば、
聖者・マハラジの説く心随観がよくわかるとおもう。


縁覚道の修行法・十二因縁

こうした縁覚道の修行法とされる十二因縁の法は、潜在意識の奥底に根付いてしまった自我を観るための道案内でありまして、いわば“潜在意識の歩き方”。 旅先で最も役立つ携行品を持たずに わざわざ迷子になる手はありますまい。

十二因縁の十二要素


無明…生の根底にある暗がり。迷い。
行…生きようとする本能。現世につながる過去世の行ないの集積。
識…知覚し識別する働き。胎内での意識の宿り。
名色…事物を名づけ認識の対象とすること。意識の形成。
六入…眼・耳・鼻・舌・身の五感と意(心)。すなわち六根の備わり。
触…知覚と認識の対象に触れること。
受…対象を受容すること。
愛…対象に愛着をもち、自我を形成すること。
取…対象への執着。確立した自我から逃れられないこと。
有…存在し、生存すること。迷いの世界で業を重ねていくこと。
生…それぞれの定めによる出生と生存。未来につながるものの形成。
老死…老いと死。

(参考『法華経大全』P.089-090)


たとえば十二因縁の十二要素のうちの“無明”の定義を「本心どおりにスジを通すことを妨げている自我の衝動」としますと、この“無明”のあるせいで何事にもオトシマエをつけられず負い目ばかりが募るようになると考えられます。 それが過去世の因縁となって現世につながる本能的な衝動“行”を生み出してしまうため、そうやって死んだ魂は再び母胎に放り込まれて、物事を知覚し識別しようとする働きの“識”を再び宿し、迷いの世界で業を重ね続けていく…。

十二因縁とは、こうした因果の連鎖の原因を十二要素にまとめたもので、その原因を生み出している自我の働きを順次暴露していけば、速やかに阿羅漢の境地に達して菩薩道に入ると法華経では説くのであります。

しかしながら、過去世の“行”や母胎内での“識”のようなものは、3歳くらいまでの幼児にそうした記憶を持つ事例が報告されてはいるものの、通常は潜在意識下に埋もれて忘却されているものですから、なまなかな集中力では心随観の及ぶところではない。

そこで顕在意識にあがってくる自我の動きを観察しながら、来たるべき時節に備える声聞道の修行が前提条件になってくるのであります。

黒雲水

声聞道の修行法・四諦八正道

青雲水

その坐禅修行の入口にあたる声聞道は「説き示された法則を恃(たの)みに歩むもの」と法華経にあるとおり、最初の依(よ)りどころとするべきものは、法則と極まりきっているのでございます。

ふと見渡せば、この世は不条理なことばかり。

私が小学生の頃は「いいか、日本という国は戦後に所得税だけで慎ましくやっていく誓いを立てたんだ。 欧米には消費税とかいうわけのわからん税金があるらしいが、その結果を見てみろ、失業者だらけでどうしようもないじゃないか。 いつの時代も身の丈にあった暮らしをしなければいかん。 そういう行き方をしなかったから戦争なんか始めちまったんだよ」なんていう話を聞かされて「よい時代のよい国に生まれたもんだ」と思っていたので、ほどなくして3%の消費税制度が導入されたときは驚天動地のカルチャーショックで何を信じたらいいのかわからなくなりました。 あれからたった25年かそこらで消費税もとうとう10%に引き上げられようとしています。 こんなふざけた時代の、歴史の教訓から何も学ぼうとしない国に何の因果で生まれてきたのか。 その意味を探ってみたところで、再三、不可解なことしか浮上してこないものでございます。

なおまた、私の生家は、毎朝、南無阿弥陀仏を唱えて線香をあげ、神棚に鎮座まします大黒天・恵比寿天に灯明を掲げて柏手を打ち、結婚式に出席すれば賛美歌を一節かまして帰ってくるという宗旨不明の典型的日本人家庭です。 おかげで私には神を信じるとか信じないとかいうたぐいの信仰心が見事に欠落していると言わざるをえません。

それでも幸福になりたいと願った私が注目したのは人間の運命にかかわる法則でした。 その法則を知り、そこから外れないことで人生の必勝パターンを見つけようと考えたのです。 そんな無垢とは呼べない信仰心を容認する宗教は仏教以外にないのであります。

お釈迦さまの説いた教えは、己れの心が現実世界に巻き起こす現象をつぶさに観察し、説き示された法則の真実を納得していくという実践的方法論で、“この世”という実験室で心と現象の関連性を分析していく科学的な面白さがある。 したがいまして仏教における信仰の対象とは、この世の不条理を司る神ではなく、己れの心で実証可能な法則そのものなのでございます。

たとえば法句経の第一句。

ものごとは、心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される


この法則を実証したければ、傷つくまいとして身構えてしまう己れの心を観察して、その動揺を一度鎮めてみて御覧なさい。 そうすると現実世界のものごとが あるべき場所に収まっていくという現象に誰でも例外なく直面できます。 こうして心を正しく観察する習慣を身につけるとき、経典に説かれた法則の真実を初めて納得できるのであります。 いきおい「なるほど、あらゆることがどういうわけか正解だ」と呟くことになるでしょう。

かさねて法則は、坐禅修行の途上で生じる無理からぬ疑問に回答を提示してくれることもあります。 修行の途上には敢(あ)えなく脱落してゆく人たちとの離別と孤独を経験する試練も待ち構えており、誰もが正しい道を歩めるとは限らない現実に直面しなければなりません。 そんな折、輪廻転生の法則により誰にでも再び機会を与えられると知る以外にどんな慰めがありましょうや。

かように十牛図の階梯は説き示された法則を受け入れることで上りはじめます。

十牛図の指し示す道とは そういう道です。 ひとたび道の上に立てば、そこから外れない限り、最終地点まで導かれることを約束される道です。ひとたび道の上に立つことがゴールだと気づいたなら、たとえその途上にあっても、心の中のガラクタがザックリと抜け落ちる道です。 ただし、そのためには、必ずしも思いどおりにならない法則を受け入れる覚悟を試される道なのであります。

無論、“星まわりの科学”もまた、法則の中に含まれて然るべきものでありましょう。

(2014.3)

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