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【坐禅作法48】結跏趺坐へのストレッチ入門

ちょっとはマシな坐禅作法 結跏趺坐へのストレッチ入門〜結跏趺坐へのストレッチ 1〜

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〜結跏趺坐へのストレッチ 1〜


結跏趺坐に王道なし

坐禅と言えば何はともあれ結跏趺坐なのである。

いつのまにやら心身脱落の金看板を下ろしてしまった現代曹洞宗なんかは、
『威儀即仏法、作法是宗旨』を掲げてことさら形式ばかりにこだわるから、
「結跏趺坐を決めた姿が悟りである」とまで言い出す体たらくなのである。

「いまだに結跏趺坐ができない」と悩み続ける謙虚な僧侶ならまだしも、
結跏趺坐らしきポーズをもって完成としてしまうおめでたい僧侶や、
未熟な坐禅による腰痛を長年の修行の勲章のように語る僧侶までいる始末。
結跏趺坐さえできれば僧侶の面目躍如なれば気持ちはわからないでもない。

もちろん結跏趺坐とは葬式仏教の僧侶たちが教えているようなものではなく、
何らかのコツを掴めば容易にできるようになる魔法があるわけでもないし、
長年坐れば坐るほど深みにいたるというワインの如きものでもない。
心に汗をかき気の感覚を肌身で覚えながら完成に近づくしかないわけである。

禅者のあこがれ結跏趺坐

結跏趺坐に王道なし。
百万巻の経典を読誦しても、 どんなに優れた師についても、 結跏趺坐のできる魔法なんてものはない。
安易な道を求めず一歩一歩進めよ。

図:布施仁悟(著作権フリー)


とにかく結跏趺坐のためには身体の不随意筋を解消しなければならない。
そうしてはじめて気道の中を円滑に気が流れ出すからである。

不随意筋により引き起こされる身体の歪みは結跏趺坐の姿勢の維持を困難とする。

このとき例外なく気道のどこかに詰まりを生じているわけで、
その詰った部分を流れようとする気がその部位に強い圧力をかけるから、
神経が刺激されて痛みや締め付けられるような息苦しさを覚えることになる。
そのときに起こる現象が坐禅修行において“偏差”と呼ばれるものだ。

一方、一般に知られている“偏差”というのは、ひどい頭痛や吐き気をもよおし、
幻覚をみて半狂乱に陥り、終いには廃人のようになる極めて危険なもの。
そこでウツを治したいと望む神経衰弱者へ与えられる助言においても、
禅寺より精神科で処方を受けたほうがマシというものすらまかり通っている。

半分当たっているところがあるのは残念だけれど、それは見当違いだ。

これは坐禅修行における“偏差”と“魔境”の違いを混同したがゆえの誤解で、
ウツの根本治療のメソッドは精神科の処方よりも、むしろ坐禅修行に分がある。
それに“偏差”自体をとってみればそんなに危険なものではない。

そもそも不随意筋を抱えているような凡夫ゆえに坐禅修行をするのだから、
この“偏差”は避けられないものであるとわきまえるべきであって、
危険だ何だ提灯だと根性なし坐禅に堕ちた連中の言うことなど無視すればよろしい。

いかなる時にもその修行の道からはずれることがなければ、どのような危険も恐れる必要はない。 危険を予想して、修行を回避したりしてはならない。 むしろ危険を予想すればする程、真の修行者が持つべきあの諸徳性を真剣に身につけようとすべきであろう。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』 P.217「神秘修行における人格の分裂」)


禅者たるもの心随観を修するかぎり、“偏差”など恐るに足らずというわけである。

真に警戒すべきは“偏差”よりも、その先に待っている“魔境”であり、
心随観を修めることなく“魔境”に遭遇することは警告に価する。

ここで少し“魔境”について解説をしておこう。

たとえば十六弁の蓮華を通して、霊界の諸形姿を見る。 その場合これらの形姿がそれを生み出す対象もしくは存在次第でどのように相違してくるか、 明瞭に理解できなければならない。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』 P.178「霊界参入が与える諸影響」)


シュタイナーが「十六弁の蓮華」と説明しているのは喉頭近くにあるチャクラで、
ヨーガではヴィシュダ・チャクラと呼ばれている。

心随観に基づく坐禅修行ではこのチャクラを最初に開発することになり、
そのときある種の霊的能力が身につくのだそうだ。

喉頭近くに在る霊的感覚器官には、他の魂的存在の思考内容の在り方を霊視する能力がある。 それはまた自然現象の真の諸法則への深い洞察力をも所有している。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』 P.143「霊界参入が与える諸影響」)


そして、でたらめな修行で獲得したヴィシュダチャクラの霊視能力が“魔境”である。

外にある何かに向けられた願望は、その願望を抱く人自身のところへ向う形姿として現れる。 人間の低い本性に基づく情欲は動物のような姿をとって、人間に襲いかかってくる。 実際にはこの情欲は、それを満足させてくれる対象を外の世界に求めている。 けれども外に向けられた欲求が、鏡像の中では、情欲の所有者への攻撃として表現されるのである。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』 P.181「霊界参入が与える諸影響」)

修行者が、霊的直観を獲得する以前に、冷静な自己観察を通して、 自分の性質をよく認識していたなら、自分の内面が外なる鏡像となって立ち現れてきた時にも、 まともにそれと向かい合う勇気と力を持つことができるであろう。 静かな自己反省を通して自分の内部に精通しようとしなかった人は、 このような鏡像を己れの姿であるとは認めたがらず、 それを自分と異質な外的現実の一部分と見做すであろう。 またはそのような鏡像に接して不安に陥り、その姿が見るに耐えなくなり、 それを根拠のない空想の産物であると思い込もうとするかも知れない。 そのいずれの場合にも、人は未成熟なまま、或る種の霊的開発に成功してしまったので、 取り返しのつかぬ不幸な状態に陥っているのである。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』 P.181-182「霊界参入が与える諸影響」)


要するにやっかいな幻覚に遭遇するようになってしまうわけだ。
ところが心随観を修めてこなかった修行者にかかると、
それが自分の内面を鏡のように反映した幻像にすぎないことを認識できない。

そうなると性的衝動、異常な食欲、感情の嵐などにゆさぶられ、
強烈な空想の世界の虜になって現実から遊離し、あたかも精神病者の如くなる。
これが“魔境”である。

精神病者のみならず、いんちき霊媒師やとんちき僧侶にならないためにも、
禅者たるもの心随観をしっかり修めなければならないというわけである。

この十六弁の蓮華を別の仕方で開発しようとする行法も存在する。 しかしそのような行法はすべて、真の神秘学を否定している。 なぜなら、それによって身体の健康が損われ、道徳の頽廃が生じるからである。 そのような行法はここに述べたものよりも実行しやすい。 本書の行法は時間がかかり、努力を要する。 しかしそれは確実に目標へ導き、道徳的な力を強めてくれる。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』 P.148-149「霊界参入が与える諸影響」)

矢印マーク 『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』


坐禅修行のプロセスを正確に記述してある唯一の本。
(2011年1月現在・ボク調べ)
こういう本が市場に出回っている現在、
秘密にしておくことなんてもはや何もないはずである。
そろそろまともな禅書を誰かが出版しても
いいのではないだろうか?

赤雲水

偏差はつらいよ…

黒雲水

だから、ここで問題にしている“偏差”のごときものにはたいした危険はない。

ところがとるにたりないはずの“偏差”に悩む禅者が後を絶たないらしく、
「胸に気が滞って痛い」「背骨を気があがりぶるぶる震え締め付けられ苦しい」
という相談がアングラサイトのはずのこのブログにもどういうわけか寄せられる。

その度に「そういう体験はしたことがない」と応えているのだけれど、
やはり“偏差”を体験したことがないというのも経験不足のようで癪なのである。
そこで日課のストレッチを意図的にサボり、“偏差”を体験してみることにした。

結果として、たしかに胸が痛くなり締め付けられるような苦しさに我を忘れた。
「坐禅は安楽の法門のはずじゃなかったのか?道元の嘘つき!」
虚空に向かって叫んだことは言うまでもない。

そうして怒りをぶつけたところで“偏差”は治るものではないわけで、
すがるようにストレッチを再開したら面白いように偏差を解消できたのである。

心随観を真剣に修めても不随意筋のある限り“偏差”は避けられないものらしい。

たしかに心随観を実修していれば、脊髄の結節は自然に解けて、
次第に気道が開き、いわゆる蓮華(チャクラ)も開発されてくるものである。
ただし、その過程で不随意筋が身体の歪(ひず)みとして禅者の前に立ちはだかる。
この歪みを解消できるまで“偏差”の危険は常に隣り合わせにあると言えそうだ。

仙道修行について書かれた本でも同様の弊害について述べられている。

実際はいろいろ問題もある。 そのひとつは、潜在的に隠れていた体のひずみが吹き出すことである。 もちろんこれは、体が自らひずみを治すために働き出したわけだから、悪いとはいえない。 多少きついが、一定期間やりすごせば、医者にかからなくてもきれいに治る。

(高藤聡一郎『秘法超能力仙道入門』P.188「仙道による原因不明の病気」)


ここで「多少きつい」とあるのは絶対にウソだ。ボクの体感では「かなりキツイ」。

矢印マーク 『秘法超能力仙道入門』


この本の記述は古い文献や自身の実体験に基づいている。
何かと参考になるので手元に置いておくといいかもしれない。

だから、その名も『望景内』

そこで、この期間を無事にやり過ごすためのストレッチを紹介したいと思う。
ボクの偏差実験による体感が相談者のものと同じであるとしたら、
ストレッチのコツを掴んでいるか否かの違いは大きいはずだからである。

これから披露するのは身体の内側の景色を望むストレッチ。
だから、その名も『望景内』。できれば「ぼけない」と読んで欲しい。
なんとなれば「只管打坐」とダジャレを飛ばした道元禅師にならったものなのだ。

望景内は数冊のネタ本から構成した独自のストレッチなのだけれど、
何の変哲もない普通のストレッチでもある。

おそらくその解釈のほうに斬新さはあるだろう。
「筋肉に効かせるのではなく効かせる気道を意識したストレッチ」
それが望景内の基本コンセプトだ。

自発動功の始まった禅者あるいは三つの結節を解いた禅者にとっては、
おそらく大いに実践的な内容になっているとおもう。
それ以前の段階にある禅者にとっても参考程度にはなるに違いない。
どちらにしろ覚えておいて損はないはずである。

この望景内の偏差予防法としての効果はボクの身体が保証しよう。
できれば毎日続けて欲しいけれど、忙しい日のための簡易望景内も用意した。
簡易望景内は場所を選ばない。駅のホームでオフィスではたまた公衆トイレで。
どこでもできる優れものだ。ただし恥ずかしさを払拭できれば…の話ではある。

それでは、とりあえず最初ということで、お約束のガイダンス。
望景内を構成するストレッチのネタ本を紹介しておこう。

まずはご存知。チベット体操!
矢印マーク 『5つのチベット体操-若さの泉・決定版』


チベット体操は人生の基本です。
5つまるごと望景内の構成要素。


まずはごぞんじ、チベット体操。

この体操はイダ・ピンガラ(衝脈)を刺激しながら筋力トレーニングもできる。
極めて簡潔ながら一石二鳥。欲張りな気風の体操なのだ。
筋トレがどれほど人間にとって大切かは いまさら説明するまでもなかろう。

チベット体操との相乗効果を狙う
矢印マーク 『決定版 真向法―3分間4つの体操で生涯健康』


真向法はストレッチの王道です。
4つまるごと望景内の構成要素。
筋トレの要素をそぎ落とし、
衝脈をダイレクトに刺激する。


「朝夕わずか3分間。4つの体操で生涯健康」
ちょっと虫が良すぎるくらいの夢のような体操である。

ただし望景内では3分間ではなく、もっと時間をかける。
実は4つの体操よりも準備体操のほうがはるかに重要だからだ。
するとイダ・ピンガラ(衝脈)をダイレクトに刺激できるのである。
チベット体操と合わせてやることで相乗効果が大きくなるのも魅力。

この体操は長井津(わたる)という人が創案したのだけれど、
四十二歳で脳溢血で倒れて半身不随になったのを自力で治癒したそうだ。
その体験から生まれた体操だから効果があって当然なのである。

ところで四十二歳で脳溢血をやる人はあたりまえに多い。
長井津は四十二歳の厄年からの転落組だけれど、人生と真摯に向き合えば、
ひとかどの人物になれるという好例ではないかとおもう。
四十二歳転落組の人もそうじゃない人も真向法で生涯健康といきましょう。

次はチベット体操と真向法の欠点を補うための一冊。

チベット体操と真向法の欠点を補う
矢印マーク 『ハタ・ヨーガ完全版』


P.36-37の入門編「腕の運動機Ν供Ν掘
P.78のひねり系統7「ジャタラパリヴァルタナ」
P.103の前屈系統20「ハヌマーン」
これらは日々のストレッチに是非とも取り入れたい。
簡潔に書かれた解説はストレッチのコツの宝庫だ。
やっぱヨーガでしょ。


チベット体操と真向法には残念ながら捻(ひね)りの要素が足りない。

身体の歪み方というのは人によって違うものだけれど、
何らかのかたちで必ず捩(ねじ)れているものなのである。
それを矯正するのがヨーガの捻りの入ったアーサナというわけだ。
坐禅修行の補助としてヨーガのアーサナ本は一冊持っていてもいいとおもう。

それから簡易望景内のネタ本を紹介してみよう。

簡易望景内の元ネタ
矢印マーク 『鉄人を創る肥田式強健術』


簡易強健術は臍下丹田を正しく開発した人向けの体操。
臍下丹田を開発できるとこれだけで十分だそうである。
やっぱりホンモノはいつの時代にもいたんだね。


肥田式強健術という立ったままできる健康体操がわが国・日本にあるのだ。
この本の中にある簡易強健術というのが簡易望景内の元ネタである。

この簡易強健術を創始した肥田春充という人物は、
これを打ち出す以前に「川合式強健術」で名声を馳せていたらしい。
ところが四十歳でいわゆる臍下丹田の獲得に成功したため、
あらためて「肥田式強健術」として再編し、臍下丹田を“聖中心”と称し始めた。
一般に言われている臍下丹田は間違った行法で獲得されたものだからである。

興味本位に肥田式への一過程にあたる「川合式強健術」をみてみると、
イダ・ピンガラ(衝脈)を意図的に刺激するような操体法になっていて、
臍下丹田を獲得したのが四十歳だという根拠もたしかに伺(うかが)える。
その証拠にこの人の身体操作についての指摘は小憎らしいほど的確なのである。

武道の実践者なら国会図書館のアーカイヴで
肥田春充の著書を無料で閲覧できるから読んでみるといい。
稽古に必ず役立つはずである。

矢印マーク 『二分三十秒の運動で健康の中心を強くする法』で検索してみよう!
国会図書館のアーカイヴ

ところで肥田春充が四十歳で臍下丹田を獲得したというのは興味深い。
真向法の長井津が四十二歳からの転落組なら、こちらは飛躍組と言ったところ。
その後の肥田春充の活躍は『鉄人を創る肥田式強健術』に詳しい。
バカバカしいほど奇想天外な活躍ぶりである。

というわけで肥田式強健術は少々レベルの高い体操だから、簡易望景内は、
以下のような本を利用して聖中心獲得以前の禅者にも有効な体操にしてみた。

その他いろいろ
矢印マーク 『日本伝統のコアトレがすごい! シコふんじゃおう』


シコトレは老若男女におすすめである。
国民体操に認定して学校で教えたらどうだろう。
というか教えるべきだ。

矢印マーク 『ストレッチ・メソッド』


筋肉博士・石井直方先生の本。
首のストレッチをこの本で知った。
肩甲骨をはがすのに首のストレッチは
極めて大切なのであります。

矢印マーク 『武術空手の極意・型』


武道の型稽古の重要性を知るならこの本に限る。
宇城師範の強さの秘密を知ることは
武道の奥義へ至る道を知ることなのである。


望景内とはことほどさように元手のかかったストレッチ体系なのだ。
ああ、無料で公開しちゃおうというボクはなんて太っ腹なんだろう。
とはいえボクはぶよぶよとしたデブじゃないから、そのへんは同情無用。

そこで早速公開と行きたいところだけれど次回からにしよう。
これは出し惜しみではなく記事の長さに属するやむをえない理由による。

(2011.10・改訂2014.8)

青雲水
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