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【坐禅作法45】禅者の生活信条

ちょっとはマシな坐禅作法 禅者の生活信条〜ちょっとはマシな坐禅作法 6〜

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〜ちょっとはマシな坐禅作法 6〜


コヘレット(伝導者)の箴言

生きるということは実にバカバカしい。

旧約聖書にあるコヘレット(伝導者)の箴言は天下のすべてのことには時節があり、
それをコントロールする権利など人間にはないことを見抜いた人の言葉だ。

天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。

(コヘレット<伝道>の書3-1)


坐禅にしてもその密教的世界を知るには時節が調っていなければならない。
見えないカースト制度の最下層から抜け出すには最短でも38年の長年月かかる。
それも因果を洞察する能力を磨かなければそのカラクリにすら気づけない。

たとえ凡人階級から抜け出したところで、それが何だというのだろう。

天才・ミケランジェロはローマ教皇から不本意な仕事を押し付けられたし、
ソクラテスは毒杯を仰いで死に、イエスは磔(はりつけ)によって殺された。
覚醒後の釈迦も大病を免れず、祖師・達磨大師は僧侶に毒殺されたという。

そこでコヘレットは言う。

すべては空しいことだ。風を追うに似ている。

(コヘレット<伝道>の書2-17)


ものごとの因果をよく観察してみれば確かに運命だって変えられるらしい。
ただし、それは「意識レベルをあげればそれに相応しい運命に変わる」
という程度のもので、ものごとのすべてを思い通りにできるものではない。

やはりコヘレットは言う。

飲み食いして、自分の仕事を楽しみにする以外、よいことは人間にはない。 それらが神の手からくるものだと私は知った。 だれが神なしに飲み食いすることができよう。 神は自分でよいと思われる人間に、知恵と知識と楽しみをお与えになる。 そして罪びとには、神に喜ばれる人のために、拾い集める仕事をさせられる。

これも空しいことだ。風を追うに似ている。

(コヘレット<伝道>の書2-24〜26)


もちろんイエスの云っていたことは本当である。

およそ祈って願うことはすでに叶えられたものと信ぜよ、然らばそのとおりになる。

(マルコ11-24)


これは体験できるようになってきたから確かにそう言える。
ただしボクが期待していたものとはちょっと違った。

何を食べ、何を飲み、何を着ようかと心を配ってはならぬ。

それらはみな異邦人が切に望むことである。 天の父はわれわれに必要なものをあらかじめ知っておられる。

(マタイ6-31・32)

ゆえに、まず神の国とその義とを求めよ。 さすれば、自余(じよ)のすべては添えて与えられん。

(マタイ6-33)

明日を思いわずらうな。 明日は明日自身で解決するであろう。 一日の苦労は一日にして足れり。

(マタイ6-34)


これらをボクの実感に合わせて表現するとこうなる。

天の父はボクらの想定以上にボクらにふさわしいものを知っておられる。
ゆえにあれこれ願ったところで、それは空しい。
ボクらの受け取るものはそれ以上でもそれ以下でもないからだ。
しかも心配しているうちは受け取れるものも受け取れない。

またこの世の出来事には人間の理解の及ばぬこともある。
悪因を作った本人が必ずしもその悪果を受け取るわけでもないことだ。
たとえば冤罪で刑務所にぶち込まれた日にはたまったものではない。

そういう意味でもコヘレット<伝道>の書は面白い。

ところが、この世には人を迷わせるような出来事がある。
悪人の行為の報いを身に受ける正しい人がある、また、正しい人の行為の報いを悪人が受けるときもある。
これは空しいことだといいたい。

(コヘレット<伝道>の書8-14)


まったくこの世はどういうカラクリになってるんだとつねづね思う。
ところがそれは、行住坐臥、悩みぬいたところで答えの出ないことなのだ。

そこでコヘレットは結論を出す。

そこで私は楽しむことをたたえる。 この世では、食べて、飲んで、楽しむこと以外の幸福は人間にない。 それは、神がこの世で与えられる生涯の間、労苦にともなって与えられるものである。

(コヘレット<伝道>の書8-15)


労苦とは何か?考えてみればボクらは昼も夜も休みなしだ。
昼間にしっかり働くために夜間に眠る。
そうして働いた富を蓄えたってどうせロクなことはない。

コヘレットの達観ぶりはここに極まる。

財産がふえると、寄食者(きしょくしゃ)もふえる。

その持ち主は財産を自分の目でながめるだけだ。それが何の得になろう。

(コヘレット<伝道>の書5-10)


コヘレット<伝道>の書は傑作だ。生きるということは実にバカバカしい。
すべては空しいことだ。風を追うに似ている。

矢印マーク 『聖書―旧約・新約』


イタリア人神父が粋に日本語訳した聖書。
イラスト・地図などの資料も豊富で、
旧約・新約、あまつさえ詩篇もついたお徳な一冊。
聖書は坐禅修行にも必ず役立つ。
かりそめにも軽んじてはならない。

赤雲水

仏教の真実

黒雲水

仏教の教えも同じような思想のうえに成り立っているから、
当初は悲観主義的に思えてボクだって好きになれなかった。
こんなものは人生が終わってしまった枯れたジジイのための教えだと。

ところが実際には違ったのである。
これは究極の楽観主義、したがって、絶対的にポジティヴ。
枯れるどころか夏になっても散らない桜木になってしまう教えだっだのだ。

運命をコントロールする権利など人間にはないと知ることは、
運命をコントロールする義務もまた人間にはないと知ることである。
そこに気づいたら心に抱えていた重荷がざっくりと抜け落ちるのだ。

ボクがこれまで実践して紹介してきた行法はボクらをどこへも連れてはいかない。
ぐるっと360度周って同じ地点に戻ってくるだけなのである。
「結局、無念無想で運命を受け入れていくしかない」

ただ行法を実践したことでボクの生活は以前より満足のいくものになった。
行法は何ももたらしてくれないと知れば運命の歯車がキッチリ合ってくるからだ。
するといつの間にか超能力はおろか願望実現能力ですら興味がなくなってくる。

要するにそういう力を欲している間は運命から学ぶ覚悟ができていない。
それは何でも自分の思い通りにならないと気の済まない自我の表れで、
ものごとの結果を左右する権利のないことを思い知るとどうでもよくなる。

ボクらは行法によってパラドックスで彩られたパラレルワールドに移行するのだ。
そこでは「したいことをしなければ自由にしたいことができる」
すなわち、ものごとをコントロールしようとしないかぎり天下のすべてが味方する。

したがって何のことはない。行法は何ももたらさないと知る行法。
それが『ちょっとはマシな坐禅作法』なのだから、
ちょっとはマシな坐禅作法には作法と呼べるようなものは何もないのである。

そのため食事や睡眠や体調管理のお作法も運命をまっとうするためにある。
それなのに、ああしろ、こうしろ、これを食っちゃいけない、とか色々ありすぎて、
とにかくうるさくてかなわない。

そこでボクの実践してきた最低限のお作法を紹介しようと思う。

食事について


とにかく腸に負担をかけない。

それ以外にボクの食事についてのお作法はない。だからボクは肉食禅者。
腸内環境を良好に保ってさえいれば病気にかかりにくい身体を保てるからだ。
ただし、運命から菜食主義者になれと警告されればそれにしたがう用意はある。

また禅の修行道場では「一日二食」らしいけれどそれは理にかなっていると思う。

胃腸で食べ物を完全に吸収し排泄し終えるまでには18時間位かかるそうで、
この18時間を生活のどこかで作ってあげなければならないからだ。
そうしないと四六時中腸内に老廃物を溜め込むことになって身体が重くなる。

ただし禅の修行道場なのに朝食を食べているのはどうだろう。
オツムの一番冴えているのは午前中。気のエネルギーをオツムのために使いたい。
朝食を食べるということは食べ物の消化吸収のためにエネルギーを使うことになる。

もったいないことだとボクは思う。

だからボクの選択は『半日断食』。つまり、朝食は食べない。
一日三食を習慣化してしまった現代人は朝食を食べないと腹が減るものだけれど、
慣れてしまえばどうということはない。それに食べる機会を増やすということは、
カロリーオーバーにもなりやすい。朝食を食べなければカロリー計算は不要である。

それから、禅者たるものこれを食え!と言いたいのがリンゴ。
医者泣かせの食べ物としてはトマト、玉ねぎなんかも有名だけれど、
リンゴの整腸作用はヨーグルトをはるかに凌ぐ。一日半個はリンゴを食べよう!

矢印マーク 参考: 『できる受験生できない受験生』-「しっかり食べよう!」

矢印マーク 『奇跡が起こる半日断食』

不調の原因は食べすぎにあった!?
一日二食で健康になったら「一日三食べないと身体に悪いと言ったのはどこのデブだ!?」と疑問に思うこと間違いなし。
自分の身体で確かめよう。

青雲水

睡眠について

緑雲水

禅者の大敵は感情のコントロールを失わせるものである。

そこで昔から言われている「飲む、打つ、買う」には節度を持って対処したい。
だからボクは酒は飲(や)らない。女も買わない。かわりに競馬をたまにやる。

競馬は楽しい。ボクは離欲の訓練になって、さらに儲かる方法を編み出した。

競馬の予想は開催される週末前の月曜日から金曜日の間に終わらせる。
オッズとか競馬新聞の下馬評をみると欲が出て判断を間違えるからだ。

競馬の勝ち負けは展開の読みで決まる。展開の読めないレースは荒れる。
そのためレースの展開予想で三頭まで絞れないようなレースは買わない。
だから買ってもいいレースは土日開催全レース中1レースぐらいなものである。
絞った三頭を馬連でボックス買いにする。あとは勝っても負けても気にしない。

勝負の最後の拠り所は自分の直観を信じられるかどうかにかかってくる。
したがって馬券売り場に仲間は要らない。恋人を同伴させてもいけない。
判断が鈍るから馬券は独りで買いに行く。馬券師には孤独が似合う。

自宅から馬券売り場までの道のりにある時間は自分のとの闘いの時間である。
馬番をみるために手にした競馬新聞からオッズや下馬評が目に飛びこんでくる。
このとき馬券師は他人の意見に左右されない精神力を養うのだ。

ゆえに電話投票システムなんてものを使ってはならない。
その手軽さは勝負からの逃避に等しい。

どのみち所詮はギャンブル。毎レース一定額を投入し続けるのがコツだ。
この買い方の的中率は40%。3レースに一回以上当たるからペイできる。

ただし必勝法がわかってしまうと飽きるもので競馬も近頃はやらなくなった。
競馬で儲けたところでそれは空しい。風を追うに似ている。
だからボクは勝ち逃げ中。ボクは競馬で離欲を学びました。

矢印マーク 『競馬に勝つならこれしかない』

競馬の展開の読み方はこの本で学んだ。
20年前の本なんだけど…まだ売ってるんだ。


というわけで、とにかく何事も感情のコントロールを失わなければよいのだ。
そこで睡眠の取り方には十分に気をつけたいところである。

ボクらは腸内環境を良好に保てないと感情のコントロールを見失う。
腸のあたりには臍下丹田があるというでしょう?つまり人体の要は腸にあるのだ。
寝不足は整腸不足の原因になるから睡眠時間は余裕を持ってたっぷりとるといい。

したがって夜食も避けたほうがいい。
胃がガンガン活動しているときに寝ることも整腸不足の原因になるからだ。
快眠・快便!禅者たるものズバッとウンコを出していただきたい。

さらに寝はじめる時間にも注意しておこう。

身体を若々しく保つ成長ホルモンは22時から2時の間にドバドバ分泌する。
この成長ホルモンは整腸ホルモンと言ってもいいくらいなもので、
同じ8時間睡眠でも22時から2時の時間帯を外したら整腸効果は半減する。
そのためこの時間帯に寝れなかった日は感情の制御が難しくなるものだ。

ボクが酒を飲(や)らないのも整腸不足に理由がある。
たぶんアルコール分解のために肝臓で気のエネルギーを大量に使うため、
約8時間程度の睡眠サイクルの間に整腸まで至らないのだと思う。

女を買わない理由にしてもほとんど同じである。

矢印マーク 『眠るが勝ち』

この人は今が旬。収穫期真っ只中の人。
流れにのってるヤツには逆らうな。

禅者はセックスをするべきか?

動物はよりシンメトリーになろうとして進化を遂げてきた。

シンメトリーというのは左右対称。体軸の調ったバランスのとれた肉体である。
よりシンメトリーであるほどフェロモンをむんむん発散しているため、
オス・メスともにシンメトリーな異性を前にすると種付け本能を刺激される。

特に人間には発情期というものがなく一年365日いつでも発情中だ。

この性本能と如何につきあうべきなのか。
そこに踏み込んでいない禅の本は不親切というより怠慢だと思う。
だからボクは敢えてそこに触れよう。禅者はセックスをするべきか?

結論を言えば、ボクは禅者はセックスをしてもかまわないと思う。
人間文明はシンメトリーではない凡人にも種付けの機会を与える手段として、
一夫一婦制を発明した。であるからして非難を承知の上の不倫も結構である。
あとは社会における自分の地位や役分を勘案したうえで理性的に判断したらいい。

ただし条件がある。射精は極力避けた方がいい。
射精のダメージは飲酒の比ではないからである。射精一度で3日は立ち直れない。
気功ではこの射精のダメージを腎虚(じんきょ)と呼ぶそうだ。

腎虚の“腎”は腎臓の“腎”。
おそらくそれは失われた分の精液製造のために腎臓がフル稼働するために起こる。
気のエネルギーはその間ずっと腎臓に集中するためオツムが全く冴えない。
ボクシングやサッカーでも試合前のオナニーやセックスを禁止するらしいから、
プロの選手は肉体の変化を感じ取れるのだろう。確かにその間は筋肉も硬化する。

つまり坐禅修行の目的は不随意筋を解放することにあるにもかかわらず、
射精で筋肉を硬化させて気のコントロール能力を失ったら修行の意味がない。
よって禅者たるものセックスはしても射精をしてはいけないのである。

そうするとセックスもまた禅になる。

矢印マーク 『シンメトリーな男』

動物はよりシンメトリーになろうとして進化を遂げてきた。
つまりシンメトリーな男と女に惹かれるのは本能である。
その種付け本能に逆らうのは極めてムズカシイ。


『エロスと精気(エネルギー)―性愛術指南』というセックスを研究した学術書がある。
そこに「ポリネシアン・セックス」というものを紹介しているのだけれど、
その本質は禅の原理そのものなのである。

男女は抱き合ったまま30分から1時間交接する。
その間愛撫をしたら一切動かない。性器は挿入してもしなくてもよい。
そうすると30分から1時間経過後にエクスタシーに至るというのである。

おわかりのとおり、これは「坐禅の黄金時間」を説明したものに他ならない。
さらに90分まで交接すればなおさら良いという点には触れていないけれど、
そういうことになるはずだ。なぜならこのセックスは禅の原理の応用なのだから。

しかし、あれだ。

「セックスしよう」と裸にしておいて挿入せずに一切動かないというのも変だし、
体軸が調っていないと90分経過してもエクスタシーに至るわけないしで、
早漏男子ならほとんどのケースで我慢できずに暴発させてしまうだろう。

誘惑に陥らぬように目を覚まして祈れ。
心は熱しているつもりでも、肉体は弱いものだ。
(マテオ 26-41)

やはり禅者たるものセックスをするべきではないのかもしれない…。

(2012.12)

矢印マーク 『エロスと精気(エネルギー)―性愛術指南』

禅者はセックスをするべきか。
それは永遠のテーマ…かな?

桃雲水

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