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【坐禅作法44】白隠・内観の秘法指南

ちょっとはマシな坐禅作法 白隠・内観の秘法指南〜ちょっとはマシな坐禅作法 5〜

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〜ちょっとはマシな坐禅作法 5〜


祈りの効果

本来ない“祈り”を坐禅作法に持ち込むのはおそらく邪道なのだろう。

しかし節分の厄除けを奨め、○○祈願お守りを販売する禅寺もあるわけで、
伝統の禅の世界は今や何でもありの百鬼夜行ワールドなのだから、
正統の禅を伝えるこの記事をとやかく言える筋合いは毛筋ほどもない。

むしろ坐禅進歩の秘訣は坐禅開始直後におけるわずか数分の祈りにある。

『真実の呼吸法』の元ネタを公開してあったM・マクドナルド・ベインの本には、
「実修に際しての祈り」として二つの祈りの文言を挙げ、こう記している。

左記の二つの祈りを貴下は毎日熱心にくり返すべきである。 最初の祈りは実修するつどその前に、二回目の祈りは実修し終った後に捧げる。 (わずか数分間しかかからないが、そのわずか数分が成功と失敗の大差をもたらす)。

(M・マクドナルド・ベイン『神癒の原理―ヒマラヤ大師の教え』P.102 「4…実修に際しての祈り」)


ボクは謙虚な性格なので『真実の呼吸法』の実修にあたって祈りの文言を作り、
それこそ毎日熱心にくり返してきた。単に臆病なだけかもしれないけれど…。

結果として、このM・ベインの忠告は決してウソではなかったと言える。

「わずか数分が成功と失敗の大差をもたらす」

その効果はちょっと合理的に考えればわかるはずだ。
坐禅開始直後の祈りのおかげで坐禅の方向性を間違えないで済むのである。

矢印マーク 『神癒の原理―ヒマラヤ大師の教え』

M・マクドナルド・ベイン。
ボクに師があるとすれば彼の著作だとおもう。
仲里誠桔氏の日本語訳したM.ベインの本は、
ボクの知る限り四冊あり、そのすべてを熟読した。
珍しく実践的な行法を録してあるのがこの本。


ところで祈りといったらどうだろう。こんなイメージが先行しているかもしれない。

叶えられるかどうかを怪しみながら願いごとを唱えるナニモノか妖しい儀式。

たとえば欲しいものを手に入れたいとき、病気になったとき、困ったとき。
祈りを捧げる時は心の裏で不安や自己矛盾に突き動かされているものだから、
物事のうまくいっているときに祈りを捧げる人なんて滅多にいないはずである。

ところが熱心な祈りの割にあずかった恩恵は乏しいものではなかっただろうか。
ゆえに叶えられるかどうかを怪しみながら願いを唱える習慣もむべなるかな。
そろそろボクらは“祈りの法則”を正しく知る必要があるだろう。

赤雲水

祈りの法則

黒雲水

これが聖書に記されている“祈りの法則”である。

およそ祈って願うことはすでに叶えられたものと信ぜよ、然らばそのとおりになる。
(マルコ11-24)


これをウソだと思うならちょっと振り返ってみるといい。

心の裏に不安や自己矛盾などの不信感を抱えながら祈願すれば、
不安や自己矛盾を招く状況を「すでに叶えられたもの」と信じることに等しい。
「然らばそのとおりになる」というわけで裏腹な現実に直面することになる。

すなわち“祈りの法則”はボクらのうえに歴然として働いていたわけだ。
よって、これまで“祈りの法則”になんとなく不信感を抱いてきた原因は、
心の裏に巣喰っている不安や自己矛盾にあったことがわかる。

以上から“祈りの法則”を信頼に足るものにする条件を考えてみれば、
心の中から不安や自己矛盾を払拭すればよいことに気づくはずである。
結局、祈りといってもその本質は不安や自己矛盾の正体を暴くことにあり、
それは禅の真髄・心随観にほかならないこともわかるのではないだろうか。

これを踏まえて聖書を読むと、“祈りの法則”の記述の直後に、
自己矛盾を払拭する必要性を説いていたりして懇切丁寧なことこの上ない。

また立って祈るとき、誰かに恨み持っているなら、まずはそれをゆるせ。
(マルコ11-25)


他人をゆるさずに自分だけゆるされて良い思いをしようなんてのは、
自己矛盾もはなはだしいという誰でも納得の論理展開なのだった。

人生なんて聖書を読んだもん勝ちなのである。

矢印マーク 『聖書―旧約・新約』


イタリア人神父が粋に日本語訳した聖書。
イラスト・地図などの資料も豊富で、
旧約・新約、あまつさえ詩篇もついたお徳な一冊。
聖書は坐禅修行にも必ず役立つ。
かりそめにも軽んじてはならない。

ふたつの祈り

自己矛盾の原因は実に単純で他人を見限れないことにある。

誰かの言動を気にして道を踏み違えたところに自己矛盾はあるからだ。
肩書きのために職業を決めたり、お体裁を気にしながら見栄を張る。
そこで形成したペルソナ(仮面)の剥がれるのを懼(おそ)れるあまり怒りを生じる。

これは心理学でもおなじみの理論だから理解も容易だと思うけれど、
その処方箋が“見限り”にあることはあまり知られていないようである。

また恨みを克服してゆるすにも、やはり“見限り”を学ばねばならない。
他人を見限って恨みを解消したとき自然にゆるしもやってくるからだ。

だからボクの祈りは“見限り”から始まる。

見限りの祈り

私は人の心の中にあるつまらない思い入れをすべて好かず嫌わず捨て置きます。

なぜなら禅者に課せられる試練は凡人の精神力ではとうてい耐えられるものではなく、 ゆえに誰もが今まさに内なる師の導きにしたがって心の準備を調えているところでございます。

したがいまして禅者の役分とは、そんな凡人たちと命運をともにしながら、 彼らが仏法に触れる手助けをすることにありますゆえ、ときには愚かさのとばっちりをも 甘んじて受け入れる覚悟を今まさに決めたいと思います。


こうして自己矛盾に方(かた)をつけておいて不安にきりをつける。
ボクの祈りはそういうプロセスになっているから、
次に不安を解消するための祈りに話を進めよう。

矢印マーク 『解脱の真理 改訂版―ヒマラヤ大師の教え』


つまり心随観の入門書がコレなのである。
霞ヶ関書房の本はAmazonで絶版扱いになっていても
大型書店で注文すれば取り寄せてもらえるはず。
いざとなれば出版社に直接注文するといい。
送料はかかるけどマーケットプレイスでカモられるより、
ずっといい。
参考までに…定価:5250円TEL:03(3951)3407

矢印マーク 『キリストのヨーガ―解脱の真理 完結編』

解脱の真理の続編。前作の内容をさらに掘り下げている。
心随観のより実践的な内容でありがたい一冊。
続編なのに出版社が違うのはどういわけだ?
参考までに…定価:3360円TEL:03(3439)0705


いずれ悟りをえられたところで菩薩道のためにとりあえず生き続けることになる。
ならばニルヴァーナ(涅槃)よりも生活不安解消の話を先にしてもらいたいものだ。

インド人というものは何ゆえニルヴァーナ第一主義なのかわからないけれど、
おかげで生活不安を払拭するについては仏教経典ではちょっと役不足である。
それがために祈りの本家・キリスト教の聖書にボクはずいぶん助けられてきた。

何を食べ、何を飲み、何を着ようかと心を配ってはならぬ。

それらはみな異邦人が切に望むことである。 天の父はわれわれに必要なものをあらかじめ知っておられる。
(マタイ6-31・32)

ゆえに、まず神の国とその義とを求めよ。 さすれば、自余(じよ)のすべては添えて与えられん。
(マタイ6-33)

明日を思いわずらうな。 明日は明日自身で解決するであろう。 一日の苦労は一日にして足れり。
(マタイ6-34)


心に生活不安の湧き上がる都度、ボクはこれらの聖句を何度も思い返してきた。
また、この記述のあるマタイ福音書の14章には有名な水上歩行の場面がある。

イエスは「水上を歩いて渡ってこい」と弟子のペテロに命じた。
そこでペテロが命じられたままにすると水上を歩くことができたらしい。
ところが強風にあおられて不安になったとたんに沈みかけて叫んだ。
「主よ、お助けください!」

そのときペテロを救い上げてイエスの放った一言がいい。

おお、信仰うすき君よ、なぜ疑うのか?
(マタイ14-31)


ボクらは不安に駆られたときペテロのように「お助けください!」と心の中で叫ぶ。

ただし考えてみれば、思いわずらう必要もないことを心配し、
困難を解決する自分の能力を否定しながら神仏の恩寵ばかりを期待している。
それはそもそも疑心暗鬼にとりつかれているからではないのか。

おお、信仰うすき君よ、なぜ疑うのか?


だからボクは心にある疑いを払拭するために祈ることにしている。

不安解消の祈り

いつも諸事遅からず早からず、まさに適切な瞬間に、 救いの手を差し伸べてくださる慈悲に感謝いたしております。


しかし祈りはときに脅迫的だ。

最後の締めに「アーメン」と言いたくなる衝動を抑えられなくなるかもしれない。
禅者のボクらはそこをグッと我慢してお題目でも唱えておこうじゃないか。

祈りの締めのお題目

なーむみょーほーれーんげーきょーう!

青雲水

坐禅の本質、祈りの本質

黒雲水

結局、祈りが祈願にすぎないうちは常に不安に駆られているものである。

しかし、祈りは、君を祈らせている状態そのものを造り出すことから、 心を解放することは決してできないものであることが分かるであろう。 ゆえに、そこには常に不安がつきまとっている。

(M・マクドナルド・ベイン『キリストのヨーガ』P.119「第六章 未踏峰ニブルン・リチュンの征服」)


そうした祈りを何度も繰り返した挙句にこういうことに気づくだろう。
もしも願いを叶えてもらったところで不安から解放されるものではない。

祈りには、祈願者への解答などありはしない。 また、祈りは祈願への解答でもない! なるほど君は欲していたものを得るかもしれない。 だからといって、君が解放されたいと祈っているその状態を二度とは造り出さない、 ということにはならないのだ。 だから、本当の解決は自分の祈りへのうわっ面の答えを見出すことではなく、 君がそれより解放されたいと望んでいる問題を造り出しているところの心の全過程を徹見することにある。

(M・マクドナルド・ベイン『キリストのヨーガ』P.120「第六章 未踏峰ニブルン・リチュンの征服」)


このことに気づいたときから祈りはホンモノになる。
それは坐禅と本質においてなんら変わらないものなのだ。

白隠禅師が『夜船閑話』で紹介した内観の秘法の本質とて同じことである。

矢印マーク 『白隠禅師―健康法と逸話』


坐禅と気の関係を明かした本。
内観の秘法と軟酥の法は坐禅の基本。
白隠禅師の『夜船閑話』と『遠羅天釜』で
ちょっとはマシな坐禅をしよう。


『夜船閑話』によると『内観の秘法』とはこのような秘要である。

もしこの秘要(ひよう)を修せんと欲せば、しばらく工夫を放下(ほうげ)し、 話頭(わとう)を捻放(ねんぽう)して、まず、すべからく熟睡一覚(こう)すべし。
その未だ睡(ねむ)りにつかず眼(まなこ)を合せざる以前に向て、 長く両脚を展(の)べ、強く踏みそろへ、一身の元気をして臍輪(さいりん)気海、 丹田腰脚、足心(そくしん)の間に充たしめ、時々にこの観を成すべし。

○我此の気海(きかい)丹田、腰脚(ようきゃく)足心、 総(そう)に是れ我が本来の面目(めんもく)、面目なにの鼻孔(びくう)かある。
○わが此の気海丹田、総に是れ我が本分の家郷、家郷何の消息かある。
○我が此の気海丹田、総に是れ我が唯心の浄土、浄土何の荘厳(しょうごん)かある。
○我が此の気海丹田、総に是れ我が己身(こしん)の弥陀、弥陀何の法をか説く。

と、打ち返し打ち返し、常に斯(かく)の如く妄想すべし。


(『夜船閑話序』)


骨盤の歪んでいる現代人は腰から下の脚部に気を充たすこと自体困難なので、
前提条件のところでつまずいてしまうだろうけれど、ひとまずそれは置いといて…。

ここで『内観の秘法』の四句をさらに二句に短縮してみよう。

○わが本来の面目、総に是れ己身の弥陀。
○わが本分の家郷、総に是れ唯心の浄土。


(『夜船閑話序』)


すると第一句の『本来の面目、己身の弥陀』は不安を解消する祈りだとわかる。
己身こそ弥陀。自分の仏性を思い出し自信を取り戻すことを意図したものだ。

そうなると第二句の『本分の家郷、唯心の浄土』は見限りの祈りと気づくだろう。
俗世の人間関係にわずらうことなくあればそこが唯心の浄土というわけである。

したがって『内観の秘法』はその文句をいくら唱えたところで効果はない。
その感味を悟らなければ決して効果を得られない秘法となっているのだ。
たった四句に禅の本質を忍ばせてしまった白隠。やはり只者ではないぞ。

というわけで『ちょっとはマシな坐禅作法』について書いてきたのだけれど、
ここまでの坐禅作法を総合すると禅がいよいよ面白くなってくる。
それでは坐から立ち上がって本質的・日常的な坐禅作法を追求してみよう。

(2012.4)

白隠・内観の秘法二題(作:布施仁悟)

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