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【坐禅作法43】真言の効果

ちょっとはマシな坐禅作法 真言の効果〜ちょっとはマシな坐禅作法 4〜

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〜ちょっとはマシな坐禅作法 4〜


とりあえず警告

真言は法蔵の扉を開く(弘法大師・空海)

この空海の言葉はホントかウソか?結論から言えばホントなのだ。

ただし真言を唱え始めるにも時節というものを無視できないため、
ボクはここでも再び警告しておかなければならないのである。

心随観を修めていない未熟な禅者は絶対に手を出さないでくれたまえ。

というのも『真実の呼吸法』に匹敵する力を真言は持つからだ。
だから真言は禅の密教的世界への第二の門と言ってもいい。

矢印マーク 『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』

坐禅修行のプロセスを正確に記述してある唯一の本。
(2011年1月現在・ボク調べ)
こういう本が市場に出回っている現在、
秘密にしておくことなんてもはや何もないはずである。
そろそろまともな禅書を誰かが出版しても
いいのではないだろうか?


真言についてはR・シュタイナーが『いか超』でこう述べている。

現代文化の中に生きる人は仏陀の言葉に見られる多くの繰り返しを正しく理解できない。 しかし修行者にとってこの繰り返しは、自分の内的感覚が好んでその上に憩うことのできる場所になる。 それがエーテル体における特定のリズミカルな動きに対応していることが分るようになる。 完全な内的平静の中でこの繰り返しに沈潜すると、エーテル体がこの動きに同調するようになる。 この言葉のリズムは特定の宇宙的リズムの模像である。 宇宙的リズムもまた、特定の仕方で繰り返され、規則的に以前の部分に回帰している。 それ故仏陀の言葉に耳を傾ける時、人間はそのリズムを通しても、宇宙の秘密に参入することができるのである。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.173「霊界参入が与える諸影響」)


文中のエーテル体というのは気の身体のこと。
要するに気の制御に熟達するにつれて真言の効果もわかってくるのである。
そればかりか真言に耳を傾ければ法蔵の扉を開くことにもなると言うのだ。

だから気感を得られると面白いことになってくる。
功徳のあるお経とセンスのないお経を区別できるようになるのである。
具体的には特定のお経に体軸を調える効果を認められるようになるのだ。

矢印マーク 『わが家の宗教 臨済宗』

気の通りをよくする『延命十句観音経』
坐禅の真髄を説いた『坐禅和讃』
大乗経典の要諦を示した『菩薩願行文』
附録CDの充実した一冊。


ただ一口にお経と言ってもその性質によって2種類に大別できると思う。

一つは心言(しんごん)。

優れた心言としては曹洞宗の『修証義』や臨済宗の『菩薩願行文』がある。
その意味内容によって心に積もった塵(ちり)をはらう目的で唱えるものだ。
そういう意味では禅語も心言と言っていいだろう。

そして、もう一つが真言(陀羅尼)。いわゆるマントラである。

例えば『般若心経』の“ぎゃーてーぎゃーてーはらぎゃーてー…”などで、
特に意味はわからなくても身体や心に良い影響を与えるとされている。
よくできた真言による音の振動の共鳴は気道を調える効果まであるのだ。

かつてのインドでは振動を共鳴させる気道によって真言を使い分けたようで、
なんと空海ゆかりの日本の真言宗がそれを現代まで伝えてきているのである。
だから日本の禅者も真言を唱えれば効率的に修行できること請け合いなのだ。

赤雲水

真言宗の祖・空海に学ぶ

黒雲水

ただし万能の天才として知られる真言宗の祖・空海でもその扱いには慎重で、
『般若心経秘鍵』の中で天才としての苦悩を吐露している。

では、今しばらく弘法大師・空海の美文を味わおう。

難者の曰く「もし然らば、前来(ぜんらい)の法匠(ほっしょう)、何ぞこの言(ことば)を吐かざる」

答う。「聖人の薬(くすり)を投ぐること、機の深浅にしたがい、 賢者の説黙(せつもく)は、時を待ち、人を待つ。吾れ、未だ知らず、蓋(けだ)し、 言うべきを言わざるか、言うまじければ言わざるか。言うまじきを之を言えらん失(とが)、 智人(ちにん)、断りたまえまくのみ」


(空海コレクション2』P.324-325「般若心経秘鍵」)


空海ともなれば“ぎゃーてーぎゃーてー…”の意味なんか当然わかるわけである。
それなのに学者坊主連中は盲目的に信じて唱えるばかりで如何にも嘆かわしい。

そこでこれから『般若心経秘鍵』を著して論破してやろうというのだけれど、
そんなことをしたらきっと論難者がこう言うに違いないと想定している。

「どうして祖師方は般若心経の秘密を説き明かさなかったと思うのか」

現代風に言えば、天狗になってんじゃないのか空海…てなとこだろうか?
それに空海答えていわく。

「聖人はそれを聞く人のオツムの調子を見計らって教えの処方箋を示す」
「だから賢者は時節を待ち、説くべき人の現れる時代を待つことも知っている」

そして、ここからが弘法大師の楽しいところだ。

「説くべきなのに説かなかったのか。説いてはならないから説かなかったのか」

そんなことは私の知ったこっちゃないというのである。

「その是非は智慧ある人だけが判断できることだろう」

もしも、その智慧があるなら反論なさってください…というわけだ。
ここには説き明かすべきは自分の他にいないという自負がある。さすがは空海。

矢印マーク 『実修 真言宗のお経 (宗教書ライブラリー)』

「真言は法蔵の扉を開く」
空海の言ったことはホントかウソか?
実践してみればわかること。
『十三仏真言』『光明真言』収録。
附録CDで唱えてみよう!


ところで禅の教えには“顕”の教えと“密”の教えの二種がある。
禅の『只管打坐』はそのうちの密教を学ぶための手段なのだ。
ただし密教を学ぶためには、まず顕教を修めなければならない。

ここではその解釈のために空海の言葉から学ぼう。

如来の説法に二種有り、一には顕、二には秘なり。 顕機(けんき)のためには、多名句(たみょうく)を説き、 秘根(ひこん)のためには、総持(そうじ)の字を説く。

(意訳)み仏の説法には顕教と密教の二種がある。
顕教のためには多くの言葉や文句を費やして説き、
密教のためには奥深い真言(陀羅尼)で説くのである。


(『空海コレクション2』P.376「般若心経秘鍵」)


まずは禅語や経典の言葉から顕教を学ぶ。そうして気の制御、
すなわち、五蘊(ごうん)を知るようになってはじめて真言から密教を学べるのだ。

また多くの『般若心経』の解説本は顕教的な解釈をしているから、
そこに秘められた密教的な意味なんかないように思えるかもしれない。
そんなオツムの調子のイマイチなボクらのために空海はたとえ話で答えている。

医王の目には、途(みち)に触れて、皆薬なり。 解宝(げほう)の人は、鉱石(こうしゃく)を宝と見る。 知ると知らざると、何誰(たれ)が罪過ぞ。

(意訳)すぐれた医者がみれば道端の草も薬草にみえる。
その価値の判る人には石ころも宝石にみえる。
わかるもわからないも、一体誰に責任があるのかな?


(『空海コレクション2』P.377「般若心経秘鍵」)


知ったかぶりで『公案』や『般若心経』を論じてみたところで、
何の意味もないとわからせたところに、弘法大師のとどめの一発!

顕密は人に在り、声字は、即ち非なり。 然(しか)れども猶(なお)、顕が中の秘、秘が中の極秘なり。 浅深(せんじん)重重まくのみ。

(意訳)顕密の相違は教えを受け取る側のオツムにある。
経文中の声字(真言・陀羅尼)に顕密の相違の責任はない。
それでも秘密の教え、さらなる極秘の教えが声字の中にやはりある。
このように、教えというものは、オツムの調子にしたがって、
浅い教えから深い教えへと幾重にも重なりあっているものだ。


(『空海コレクション2』P.377「般若心経秘鍵」)

矢印マーク 『空海コレクション 2 (ちくま学芸文庫)』

空海はわが国・日本の誇る万能の天才である。
達筆でも知られ、その書いた文章がまたいい。
禅の書物ではないけれど読む価値は十分ある。
画期的な安さで読めるありがたい文庫本。

禅師と真言

ということは歴代の禅師も当然のごとく真言の意味を解していたわけで、
十牛図でそれとなく仄(ほの)めかした粋な禅師が廓庵(かくあん)和尚。

騎牛帰家(十牛図第六)

頌(廓庵禅師)
牛に騎(の)ってゆらりと家に帰ろう。
夕焼け雲を見送るごとく笛の音は響く。
一拍一歌に込められた無限の意味。
音の真理を知るものに言葉は要らぬ。

図:布施仁悟(著作権フリー)


「真言の意味を理解できるようになれば騎牛帰家の段階に入ったと思っていい」
というメッセージを廓庵禅師は十牛図の頌に託して残してくれたのである。

ちなみに廓庵禅師の頌の下二句はこんな漢字。

一拍一歌無限意(一拍一歌、限り無き意)
知音何必皷唇牙(知音は何ぞ必ずしも唇牙を皷(こ)せん)
(→「唇牙(しんげ)」は言葉のこと)

それから、やはり白隠禅師も真言の意味を解していた一人なのである。
白隠は『延命十句観音経』という短いお経を民衆教化に利用したのだけれど、
『延命十句霊験記(八重葎[やえむぐら])』にこの経の効験を著している。

長年の病気が全快したり、牢屋へ入れられた死罪の罪人が突然許されたり、
死にかけの人が助かるなんてのはあたりまえで、息を引きとった人が、
ふたたび生き返ってしまったなんて実例まで書き残しているのである。

それでボクが体軸を調える効果を最初に認めたお経がこれなのだ。
ただし思えばこの『延命十句観音経』に至るまで随分遠回りをしたものだと思う。

たぶん仏教を学ぼうとしたら身近な実家の宗派から手をつけるに違いない。
そこでボクの場合は浄土真宗の『正信偈』というお経から仏教に入門した。
宗祖親鸞の著した『教行信証』の一節に奇妙な節回しをつけて読むものだけれど、
これがまたいい加減な内容のお経だったのである。

「ボクは歴代の高僧が阿弥陀様にすがれば救われると言ったから信じるの」
(by親鸞)

仏教に入門した当初のボクにはどう読んでもそうとしか読めなかった。
要するに師の法然を疑いそうになった宗祖親鸞の複雑な妥協点の告白文で、
おそらく、そんなもので納得できるのは親鸞聖人本人しかいないわけである。

また一本調子でお経を読誦する禅宗の伝統はまことに正しいもので、
なぜとならば、そうしてこそ音の振動は身体によく共鳴するものだからだ。
ところが『正信偈』の読誦は余計な抑揚(よくよう)をつけるものだから、
読誦するだけ時間の無駄という代物になってしまうのだった。

そこでどうやら浄土真宗は怪しいと禅に全面宗旨変えを試みていた頃、
白隠禅師の『坐禅和讃』を覚えるつもりでCD付きの本を買った。
そこに『延命十句観音経』を併録してあったから当然読誦してみたわけである。
すると『正信偈』のときとは全く違う手応えを感じてしまったのだ。

唱えるほどに体軸が調ってくるのである。
長時間坐ったときのような感覚すらあると言ってもいいほどだった。

青雲水

真言読誦の注意事項

黒雲水

そうなると真言宗のお経についても気になってくるという成り行きで、
真言を試してみようとするのが人情というもの。そうして、
真言について調べているうちにこんなインターネットサイトに行き着いた。

気功の穴【象気功】


唯一まともな記事のある気功サイト。
その管理人さん・象師匠は、いわゆる
声聞道をとっくに卒業されている。
私よりずっと修行の進んでいる方なのだ。
独特の文体もいいし足元にも及びません。


ボクの場合は、ある特定の真言に体軸調整効果を体感できても、
それぞれの真言の気道に及ぼす影響まではわからない。

ところがこのサイトの管理人さんにはそれがわかるらしいのである。
特に『十三仏真言』と『光明真言』の著しい効果を詳細に解説してあって、
試みに唱えてみたボクもすっかりこの真言を気に入ってしまった。

しかし、そのうち偏差による頭痛に悩まされることになる。

それはちょうど督脈の開通する頃に誰でも体験すると思われることで、
頭部に滞った気を降ろせないという問題に直面するのである。

ただ、真言読誦や真実の呼吸法によって一時的に体軸を調えると、
その気を降ろせるようになるから、それはそれで重宝するのだけれど、
滞っている気の圧力が日ごとに増してきておかしなことになってきた。

結論を言えば、頭痛を引き起す気は首筋を通る気道を開かないかぎり、
すなわち、経穴・缺盆を通る気道周辺の不随意筋を解消できないかぎり、
頭部から身体下部へ降ろすことはできない。つまり偏差は解消されない。

おそらく真言や呼吸法は不随意筋の解消を約束するものではないのだ。
あくまでも心随観でオツムの調子を取り戻し、
仮死状態になっている脳細胞を復活させ、
復活した脳細胞に関連する気道に気を流せるようになって、
そうしてはじめて不随意筋を動かせるようになるらしい。

少なくともボクの場合、そうしない限り偏差による頭痛は消えなかった。

矢印マーク 『5つのチベット体操-若さの泉・決定版』

第六の儀式は呼吸法。第七の儀式はマントラ。
なにげに高度な内容を記すチベット体操の本。
著者のピーター・ケルダーというのは
きっとただものじゃないぞ。


ご存知、5つのチベット体操ではマントラ読誦を七番目の儀式としている。
ただし、そこにはこんな注意書きを添えてある。

正しく詠唱すると、その振動周波数が、第7番目の、 そして最高位のチャクラと連動している松果腺を強力に刺激する効果を持つ。 しかしながら、人生を高度な水準に設定していない限り、 松果腺の刺激は試みるべきではない。不毛の地では発芽できないように、 高度な命令というものも、それを受け入れる素地が育っていない意識の下では、 生きないからである。最初の5つの儀式を通じ、肉体的にも精神的高揚し、 調和がとれるようになるまで、第7の儀式は行わない。 その前に、あなた自身の共振性を充分に高めることが必要で、 アルコールやニコチンを含む習慣性を持ったすべての薬物から完全に解き放たれていなければならない。

(ピーター・ケルダー『5つのチベット体操-若さの泉・決定版』P.120「五部」)


修行が進めばアルコールやニコチンを断つことだけでなく、
性欲すらなんらの努力なしに制御できるようになってくる。
なぜならそれは精神論ではなく身体が自律的に成し遂げるものだからだ。

また5つのチベット体操の第六の儀式は呼吸法なのだけれど、
そこにもやはり注意書きを添えてある。

また誰でも、本当にそうしたいと思わないかぎり、第6の儀式を試みるべきではない。 もし、性的衝動がなかったり、また性の魅力に打ち勝つのに非常な努力を要するならば、 その人には真に性エネルギーを変容させ、それを上昇させることは不可能なのだ。 かわりに、エネルギーは闘争や内部葛藤という間違った方向へ流れることになる。 第6の儀式は、性的能力はあるが、違う目標に昇華させたいと真に願う人だけのものなのだ。

(ピーター・ケルダー『5つのチベット体操-若さの泉・決定版』P.85「第6の儀式」)


すなわちいまだ天職を探し当てられていない禅者にとっては、
呼吸法なんて弊害しか引き起こさないと言っているのである。

ただし天職を見つけその遂行を真剣に願う禅者においては、
飲酒や性欲などの煩悩を身体が自律的に断つようになってくる。

矢印マーク 『氷川清話(角川文庫ソフィア)』

勝海舟の語録。
やっぱり幕末の偉人は面白いこと言うよね。
禅者たるものこれくらいの人物にならなくちゃ。
坐禅てそういうものなんだぜ。


こちらは幕末の偉人・勝海舟の色欲克服のお話。

若いときのやりそこないは、たいがい色欲からくるので、 孔子も「之を戒むること色に在り」といわれたが、実にそのとおりだ。
しかしながら、若いときには、この色欲を無理に押えようとしたって、 それはなかなか押え付けられるものではない。ところがまた、 若い時分に一番盛んなのは功名心であるから、 この功名心という火の手を利用して、一方の色欲を焼き尽くすことができれば、はなはだ妙だ。

(『氷川清話』P.213「歴史と人生について-青年の色欲と功名心」)

そこで、情欲が盛んに発動してきたときに、じっと気をしずめて英雄豪傑の伝を見る。 そうするといつの間にやら、だんだん功名心に駆られて、専心一意、ほかのことは考えないようになってくる。
こうなってくれば、もうしめたものだ。今の書生連中も、試みにやってみるがよい。けっして損はないよ。

(『氷川清話』P.213「歴史と人生について-青年の色欲と功名心」)


こうなってきたときが真言や呼吸法の行法を本格的に始める合図となるはずだ。

とは言っても真言の体軸調整効果は捨てがたいものがある。
まるで親鸞のようだけれど複雑な妥協点としてこうしてみたらどうだろう。

『延命十句観音経』『十三仏真言』『光明真言』は一坐一言とする。


呼吸法と真言はあくまでも密教の門戸。時節の到来まで謙虚に顕教を修める。
それを忘れなければ、これくらいの邪道は許されてしかるべきだ(よね)。

最後に、顕教を修めるまでの長い修行期間を歩む禅者へ。
『5つのチベット体操』からの一節を紹介してこの記事を締めくくろう。

多くの人にとり、性のない生活は実行可能な選択ではないから、 最初の『5つの儀式』だけを実践すべきだ。だが、 やがて『5つの儀式』が優先順位に変化をもたらして、 スーパーマンやスーパーウーマンになりたいと心底から希望する時がくるかもしれない。 そうしたら、新しい生活を開始する固い決意をすべきだ。 そのような人はぐらついたり、後ろを振り向いたりせずに前進する覚悟ができているに違いない。 希望を達成するために自分の生命力を自由に駆使できる、真の達人への道を歩んでいるのです。
繰り返し言っておきたい。男女の別にかかわらず、 真の連達とひきかえに肉体的な必要性を捨てる覚悟がないかぎり、 性エネルギーを上昇させようとは思わないことだ。覚悟ができたら、 踏み出そう。努力の後には、成功が待っているのです。

(ピーター・ケルダー『5つのチベット体操-若さの泉・決定版』P.86「第6の儀式」)


(2012.2)

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