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【坐禅作法42】真実の呼吸法

ちょっとはマシな坐禅作法 真実の呼吸法〜ちょっとはマシな坐禅作法 3〜

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〜ちょっとはマシな坐禅作法 3〜


再び警告

ちょっとはマシな坐禅作法における真実の呼吸法は云うなれば伝家の宝刀。
ただし扱い方を間違えると己自身をも傷つける“もろ刃の剣”にも似ている。

だから何度も繰り返すようだけれど再びボクは警告しておきたい。
自分の愚かさを直視できない未熟な禅者は絶対に手を出してはならぬ。

これから紹介する呼吸法は身体に眠っている氣のエネルギーを目覚ませる行法。
この“氣”は仙道では「先天の気」、ヨーガでは「クンダリニー」と呼ばれるもので、
こいつを目覚ませて第二の結節を解くと“気”を感じる能力を得られる。

もちろん当初は身体内部を巡る気の流れを感じとれるのみだけれど、
気の制御には心の制御を不可欠とするから未熟な禅者には危険な行法となる。

そればかりか、ひとたび目覚ませたら後戻りはゆるされない。
安全に先へ進む唯一の条件は禅の真髄・心随観を修することにある。

その心随観とは自分の愚かさを直視するための心の修練法であり、
『Trial Impossible』『心随観のヒント』で入門者向けの解説を試みている。
自信のない禅者は『Trial Impossible』のミッションを完遂してから挑戦して欲しい。

未熟な禅者には秘められている禅の密教的世界への鍵は実に呼吸法にある。
だいたい何の進歩も実感できないまま坐り続けるなんてつまらないとボクは思う。
禅者なら禅の教えの真実を確かめながら修行したいと望むのではないだろうか。
その望みは禅の密教的世界への扉をくぐったときにはじめて叶えられるものだ。

そうであればこそ十分な注意喚起を伴った公開なら率先してするべきだろう。
そもそもこの呼吸法自体は市販されている本に紹介されていたものでもある。

では今まさに己の愚かさと対峙している禅者諸君だけに告ぐ。
ようこそ禅の密教的世界へ。その扉をくぐって来るがいい!

赤雲水

発見の経緯

黒雲水

というわけで真実の呼吸法について解説していこう。

ご存知のとおり。一般的な坐禅作法において呼吸にかかわる行法は二つある。
『数息観・随息観』と『腹式・胸式呼吸法』である。
これらの行法を疑いはじめたボクの問いは、その一切を否定するものだった。

これらの効果のイマイチはっきりしない行法は一体どういうつもりなんだ?


禅の本質は心随観にあると気づいてから、自我を観察する習慣を身につけたため、
呼吸に精神集中するという行法には意味を見出せなくなっていたのである。

この疑問を解くきっかけをくれたのは合気道養神館の塩田剛三だった。
塩田剛三の呼吸力についての解説にボクは合点がいったのである。

集中力は、自分の力の出し方でした。 そこにさらに、心の問題とリズムが加わって生まれるのが呼吸力なのです。

(塩田剛三『合気道修行―対すれば相和す』-P.120「第2章 呼吸力 呼吸力の原理」)


塩田剛三は自身の体感で得たものをただ直感的に表現していた。

「リズム」

禅の本ばかり読んでいては、ちょっとお目にかかれない言葉である。

次に大切なことはリズムです。緩急のリズムを自分で作っていくわけです。
リズムといっても、一定の単調なリズムではありません。 その場その場における最もふさわしいリズムを取らなければなりません。
このリズムを作るのが、結局、自分自身の呼吸です。 吸ったり吐いたりというのを、ただ気まぐれに行うのではなく、 その場に応じて吸うべきときに吸い、吐くべきときに吐く。 それが結局、リズムを生み出すわけです。リズムが呼吸をととのえるのです。
こういった呼吸やリズムを集中力に乗せる。 それらがピタッと一体になって発揮されたときに、本当の呼吸力が生まれるわけです。

(塩田剛三『合気道修行―対すれば相和す』-P.120-121「第2章 呼吸力 呼吸力の原理」)


「リズムが呼吸をととのえる」「リズムを集中力に乗せる」

矢印マーク 『合気道修行―対すれば相和す 』


不世出の名人と呼ばれた合気道の達人・塩田剛三。
その技の奥義をサラりと書き記してある貴重な本である。
合気道修行は型稽古だけで試合はない。
型稽古だけでナゼ強くなれるのか?
その秘密は気にある。
読む人が読めば塩田剛三が気の達人であったことがわかるだろう。
これはまこと奥義書と呼ぶにふさわしい一冊。


そういえば同じようなことを以前に読んでいたことを思い出した。

それは腹式呼吸の効果を実験した研究成果についての記事で、
脳の神経細胞に及ぼされる腹式呼吸の影響についての指摘であった。

セロトニン作動性ニューロンは脳全体を冷静な覚醒状態に保つはたらきをします。
〜略〜
リズミカルな運動がより明確な効果をもつことが示されています。 Aritaら(2002)は4〜5回一分のゆっくりとした腹式呼吸によって一定のリズムで腹筋を収縮させると、 5〜10分で、このニューロンの活動に特有の脳波のパターンが増大すると報告しています。

(石井直方『究極のトレーニング』-P.118-119「「こころ」と運動・トレーニング」)


どうやら『数息観・随息観』も『腹式・胸式呼吸法』も同じ効果を狙ったものであり、
セロトニン作動性ニューロンの活動に効果的な影響を及ぼす目的を持つようだ。

さらに、この実験は面白いデータを提示していた。


同様の効果は、一定のリズムの歩行、ガムなどを噛む咀嚼(そしゃく)運動、 お手玉などにも見られます。

(石井直方『究極のトレーニング』-P.119「「こころ」と運動・トレーニング」)


すなわち「坐禅の呼吸の極意はお手玉にあり!」というわけである。

鼻息のリズムに注意を向けたら集中力が高まったというだけの話ならば、
子どものお遊びと一緒ということになり腹式呼吸なんて実にアホらしい。
そういうことであれば『随息観』だけでも十分そうなので、
ひとまず呼吸法の問題は「腹式・胸式呼吸法など呼吸法の本質にあらず」
ということにして切捨御免でまるく収めることにした。

矢印マーク 『究極のトレーニング』


『スロトレ』で有名な筋肉博士・石井直方先生の本。
スポーツ生理学の最新の研究結果をまとめてある。
選ばれているテーマがまた興味深い。
筋肉と老化。筋肉と脳。筋肉と心。
筋肉の科学はスポーツをする人に限らず、
あらゆる分野の人に共通する人間科学でもある。
人間たるもの筋肉で成り立つのでありマッスルよ。


ところが心道流空手師範・宇城憲治の本の中にけしからぬ記述をみつけてしまう。

武術における呼吸は、奥義中の奥義と言われています。 呼吸を極めていくことは最終的には武術を極めると言っても過言ではありません。 武術における呼吸は日常の呼吸とは異なります。 また、一般的胸式呼吸とか腹式呼吸などの呼吸法とも異なります。

(宇城憲治『武術空手の極意・型』-P.208「【検杆撞枸蓮)


「呼吸は奥義中の奥義」なんて言われたら簡単に切り捨てるわけにもいくまい。
さらに「日常の呼吸とは異なる」となれば『随息観』で満足するわけにもいかぬ。
しかも「胸式呼吸とか腹式呼吸などの呼吸法とも異なる」ときてるから、
もうワケがわからなくて蒲団にくるまってフテ寝を決め込みたくなってきた。

矢印マーク 『武術空手の極意・型』


武道の型稽古の重要性を知るならこの本に限る。
宇城師範の強さの秘密を知ることは
武道の奥義へ至る道を知ることなのである。


ただ当時のボクは“興菩提心”と“ぷっつん”の二つの体験を通過していて、
夢の中で象徴的なメッセージを受け取ることもあったのだけれど、
自分の坐禅修行の進歩している実感なんてさっぱり湧きあがってこない。

だから坐禅修行と言っても「何だつまらん」というのが正直な感想で、
なんかこう坐禅の進歩を確信できるような何かが欲しかったのである。

そのせいもあって仙道やヨーガの本にも手を出すようになってしまったのだけれど、
おかげで呼吸法に関する次の目標みたいなものを見つけることができた。

それらの本には「呼吸が止まる」とか「身体の外に出る」などと、
にわかには信じがたいことを、さもありなん、と書いていたのである。

身体の外に出る時は、必ずその前に、いつもよく言うように、 下実上平の状態になっていないといけない。 こういう状態になって上に抜けていくのでないと、 身体に後で故障が起きることが多いのです。 クンダリニーが目覚めて、下の方が十分にエネルギーがいっぱいになって、 下腹がすごく熱くなって、上の方が空っぽのようになる、 そういう下実上平の状態になると、必ず呼吸が止まったようになるといいますか、 呼吸をしなくてもいいようになる。 そういう状態にならないと決して無念無想にはなれないのです。

(本山博『チャクラの覚醒と解脱』-P.248「サハスラーラチャクラ」)


普通に考えれば呼吸を止めたら人間というものは死ぬのである。
生きたまま死んで身体の外に出るなんてのはオカルト趣味もいいところだろう。

それなのに「呼吸が止まる」だの「身体の外に出る」なんてことを平気で言う
この本の著者が果たして正気なのかボクには判断できなかったわけで、
こういうときの常套手段としては思考を停止するに限る。

たとえばここに「そういう状態にならないと決して無念無想になれない」
という挑発的な記述がなければボクはこのオカルト本をパタリと閉じて、
古本屋へ売りに出していたに違いない。

外に出る時には、今も言ったように、無念無想の状態になっておかないと、 ある思いを持ったりなにかして外に出るようだと、 〜略〜今度はいろんな幽霊がみえたり聞こえたり、生霊がみえたりというふうに、 いろいろなものに出くわすようになってしまう。 そこで、いわゆる巷の霊能者のみえたり聞こえたりするようなことが起きてしまうのですが、 そういうところで止まってしまうと、いつまでたっても、ただの霊能者で終わって、 悟ることができない。まず下実上平の状態で、息が止まり、意識が止まり、 身体の意識がなくなって、無念無想の状態になって外に出られるようになると、 間違いなくずーっと高いところに行けるようになるのです。

(本山博『チャクラの覚醒と解脱』-P.249「サハスラーラチャクラ」)


たしかに霊能者は「お花畑でこんにちわ」みたいなことしか言わないものだけれど、
この記述も間違いなくずーっと遠いところに逝ってしまっているような印象がある。

矢印マーク 『 密教ヨーガ―タントラヨーガの本質と秘法』

本山博先生の著作は大いに参考になる。
ただし、凡人にとっては『正法眼蔵』のように
超然とした部分もあることは確か。

矢印マーク 『チャクラの覚醒と解脱』

『密教ヨーガ』の解説本。
お値段ちょっと高めですけど…
どうせならセットでどうぞ。


しかしちょっと考えてみれば「生死透脱さもなくば酔生夢死」という禅の発想も、
脳の血管の二、三本はプッツリいってるようなものでそう大差ないことに気づいた。

ボクはここにきて少しだけ信じてみてもいい気分になっていたのだと思う。
そもそも信念はこんなふうに想いはじめたときから確信に変わってゆくものだ。

そうかも知れないし、そうでないかも知れない…。


そして最期に振り返ってみれば理論や動機なんかはどうでもよくなっていたりする。
なぜなら、この信念を裏付ける確証を随所に見つけるようになるからだ。

以下は仙道の本にみつけた証拠のひとつ。

(1)〜(4)までの段階(注:行のすすんだ各段階で身心に起こるいくつかの現象)ができた人の中には、 胎息(たいそく)という状態が出現することがある。 胎息とは、口や鼻からの呼吸がまったく止まった状態で、 同時に胃腸などの消化吸収作用も停止する。 ちょうど母胎の中にいたときの状態が出現するのでこの名がある。 ただし、母胎のときのような栄養の補給源がないから、 直接全身から天地の気(宇宙エネルギー)を取り入れ、エネルギー源にする。 このとき、不識神の働きにより、先天の気が発動し、衝脈を突き上げ、頭頂を開かせる。

(高藤聡一郎『秘法!超能力仙道入門』-P.213-214「大周天の実際の姿」)


この胎息なら「胸式呼吸とか腹式呼吸などの呼吸法とも異なる」だろうし、
もちろん「日常の呼吸とは異なる」ことになりそうだ。というか…もはや呼吸じゃない。

矢印マーク 『秘法超能力仙道入門』

この本の記述は古い文献や自身の実体験に基づいている。
何かと参考になるので手元に置いておくといいかもしれない。


さらに聖典までもがこの確信へのダメ押しを迫ってくる始末。

恍惚境に入るため呼吸を支配する者もいる
呼気(プラーナ)を吸気(アパーナ)に また吸気を呼気に捧げ
ついに呼吸を全く止めて恍惚境に入る

(バガヴァッド・ギーター4-29)


それから再度、心道流空手師範・宇城憲治の本を読み返して絶句するのであった。

武術空手の場合、力に頼らない威力、動き、スピード、およびゼロの力、 居付きのない動き、瞬発力などが求められます。 その大本は呼吸を根源とする腹力、背力にあります。 口で吸う、吐くの段階からスタートし、さらに身体での呼吸法を身につけ、 心身の調和を呼吸によってはかれるようにすることが重要です。 呼吸を根源とした強い腹力と背力そして鳩尾のゆるみがあってこそ、 剛柔の身体を創ることができ、武術空手の絶対条件である攻防一如の術技が可能となります。

(宇城憲治『武術空手の極意・型』-P.210「【検杆撞枸蓮)


ここでいう「身体での呼吸法」とは仙道の本の記述と一致するのかもしれない。
それは「直接全身から天地の気を取り入れエネルギー源とする」という記述で、
これはおそらく“胎息”のことを示唆しているようだと気づいた。

さらに「呼吸を根源とした強い腹力と背力そして鳩尾(みぞおち)のゆるみ」
を手に入れるなら、それは可能になると宇城師範は指摘しているのである。

もう疑う余地のなくなったときに発する問いなんてものはさしずめ決まっている。

一体どうやったらそれを実現できるのか?

矢印マーク 『神の詩―バガヴァッド・ギーター』

世界中で聖書の次に読まれているという聖典。
仏教とキリスト教をつなぐ架け橋となる。

発見から実践の経緯

幸いにして、この希求の答えは意外にもあっさりと与えられた。
禅の本質は心随観にあることを教えてくれたM・ベインの著作中にあったのである。
その名も『チャクラ開発呼吸法』。そのものズバリなネーミングがあやしくて好い。

矢印マーク 『神癒の原理―ヒマラヤ大師の教え』


M・マクドナルド・ベイン。
ボクに師があるとすれば彼の著作だとおもう。
仲里誠桔氏の日本語訳したM.ベインの本は、
ボクの知る限り四冊あり、そのすべてを熟読した。
珍しく実践的な行法を録してあるのがこの本。


この行法を読んでいたボクの身体に武者ぶるいによく似たうねりが走り抜けた。
わかりやすく言うと「ビビってオシッコをちびりそうになった」わけである。

貴下は自分でこのエネルギーを放出して発揮するようになるまでは、 自分の中にその力があろうとは思ってもみないはずである。 これが大師方が行使される力なのである。この神秘は秘密として護られてきて、 ごく少数の者にだけ明らかにされた。毎朝日の出の時刻と、毎夕日没時に実修するならば、 一年後には、もし正しく実行し、正しい想念を持(じ)するのであれば、 現在の貴下には信じえない多くのことをなしうるであろう。

(M・マクドナルド・ベイン『神癒の原理』-P.99「3…クンダリニーのコントロール」)

この力をコントロールすることができれば五大をもまたコントロールすることができる。 貴下は自分の欲することを成就する力を自分の中に獲得したのである。

(M・マクドナルド・ベイン『神癒の原理』-P.97「2…チャクラの開発と呼吸法」)


文中の“五大”というのは古代から地・水・火・風・空で表されてきたもので、
中国思想でも火・土・金・水・木の五行説として知られている。

この五大ないし五行は宇宙の運行を司る生命力の源であり、
気についても心・脾胃・肺・腎・肝の気と五種類に大別できるそうだ。
ちなみに気をプラーナと呼ぶヨーガにおいても五風として区別されるらしく、
なんでもプラーナ・アパーナ・ヴヤーナ・サマーナ・ウダーナなんだとか。
どうやら、それぞれを識別することは至難の業と察する次第である。

われらが大乗仏教において最も人気の経典・般若心経に五蘊とあるのもこれ。

照見五蘊皆空 度一切苦厄


「たしかに五大を制御できたら現世利益だって思いのままかもしれないけれど、
そんなことは空しいことだと見抜いたときに一切の苦しみから解放される」
というのが般若の教えなのである。

つまり、とりあえず五大をコントロールできなければ話にならないわけで、
その意味でこの本に紹介してある行法は“般若心経秘鍵”に他ならないわけだ。
どうだい、禅者なら武者ぶるいが止まらなくなってくるんじゃないかな?

ただし、ボクはこの行法をそっくりそのまま実践したわけではない。
それはM・マクドナルド・ベインの指示に反することでもあったからである。

以上の行法には神経系統を浄化する呼吸が先行しなければならないのであるが、 もし貴下が講習会などで教えを受けたことがないのであれば、 この行法を始める前に筆者と連絡を取り合わなければならない。

(M・マクドナルド・ベイン『神癒の原理』-P.94「2…チャクラの開発と呼吸法」)


「連絡を取り合わなければならない」とはよく言ったもので、
この本の著者はもとより翻訳者までもがすでに死んでいたのである。

しかも、M・ベインの行法ではいくつかのチャクラに精神集中してゆくのだけれど、
そんな行法は笑止千万。禅者のボクにはふさわしくない。
チャクラなんてものに精神集中したあかつきには祖師方に申し訳が立たぬ。
すなわち「拙者、坐禅の基本は“只管打坐”と心得える」というわけである。

そこでボクは行法のエッセンスを抜き出して独自の行法を編み出すことにした。
おそらくボクの禅者としての矜持(きょうじ)はM・ベインも理解してくれるはずなのだ。

深い霊的黙想(コンテンプレイション)によって、無限の智慧、 即ち、頭上の母性原理に対してキリスト意識が開かれ、 それによって同じ結果が得られることもあるので、 大多数の人々には時としてはその方がはるかによい方法である。 瞑想(メディティション)と聖なる推理(リーズニング)は信念を強化する。 この強化された信念があらゆるものの鍵である。

(M・マクドナルド・ベイン『神癒の原理』-P.100「3…クンダリニーのコントロール」)


そしてついに瞑想と聖なる推理によりM・ベインの行法の本質を見きわめた。
ボクはそのとき「腹式・胸式呼吸法」の本質をも見さだめていたのである。

このバランスのとれた力はスシュムナー(脊柱の中の不可視のエネルギーの管) といわれているものの中を通って脊柱のチャクラを昇っていく。 スシュムナーは頭の円頂の中で終り、そこであらゆる力(パワー)が意志のもとに集中される。 円頂の中のこのチャクラは千の花弁の蓮華といわれ無限の智慧の光線(レイ)に対して開かれる。

(M・マクドナルド・ベイン『神癒の原理』-P.97-98「2…チャクラの開発と呼吸法」)

右の鼻孔の背後にはピンガラがあり、これは陽性の電子力(フォース)を取り出して脊柱の右側に下してゆく。 左鼻孔の背後にはイダーがあって陰性の電子力(フォース)を脊柱の左側に下してゆく。 これらの力は、開発されつつある特定のチャクラの中でバランスがとられてスシュムナーの中を上昇してゆく。 これらの神経は目に見えないし、解剖学者にも知られていないが、 それがなければ人は肉体の中で生きることはできないのである。

(M・マクドナルド・ベイン『神癒の原理』-P.98「2…チャクラの開発と呼吸法」)


要約してみるとM・ベインは『チャクラ開発呼吸法』をこう解説しているようだ。

この行法は脊柱の中のスシュムナー上にあるチャクラを開発するもので、
そのためには左右の鼻孔背後にあるイダー、ピンガラから気を取り入れ、
気の陰陽のバランスをとればいい。

つまり要点は左右の鼻孔の背後には重要な気道が走っているので、
それを呼吸によって刺激しようというわけである。
坐禅の「腹式・胸式呼吸法」は鼻から息を吸うことになっているけれど、
それもおそらくこのためなのだろう。

青雲水

真実の呼吸法

黒雲水

それではボクの実践してきた「真実の呼吸法」を紹介しよう。

真実の呼吸法

一、右鼻孔に指を当てて塞ぐ。

二、空いている左鼻孔から息を思いっきり吸い込む。

三、息を止めて左鼻孔の奥にある気道から真直ぐ下に息を降ろす。
(気道のわからないうちはイメージで降ろす)

四、会陰(肛門と性器の真ん中にある経穴)のあたりまで降ろしたら、我慢の限界まで息を止め続ける。

五、我慢の限界のきたところで右鼻孔の指を離し、今度は左鼻孔を指で塞ぎ、右鼻孔から息を吐き切り、 それから、おもむろに思いっきり息を吸い込む。

六、息を止めて右鼻孔の奥にある気道から真直ぐ下に息を降ろす。
(気道のわからないうちはイメージで降ろす)

七、会陰のあたりまで降ろしたら、我慢の限界まで息を止め続ける。

八、我慢の限界のきたところで左鼻孔の指を離し、今度は右鼻孔を指で塞ぎ、左鼻孔から息を吐き切る。

九、以上を一完全呼吸セットとする。

注:これは朝の行法。夜は左右逆から。

図:布施仁悟(著作権フリー)


ただし、この呼吸法はヨーガの呼吸法の技術としても当然のごとく存在していた。
ヨーガの呼吸法は一般に「プラナヤーマ」として知られ、真実の呼吸法は、
ナディを浄めるプラナヤーマ(ナディ・ショーダン・プラナヤーマ)とよく似ている。

それは本山博の『密教ヨーガ』で第一段階の呼吸法として紹介してあるもので、
彼にとっては基本中の基本の呼吸法らしい。だから、何のことはない。
「真実の呼吸法」と言っても基本中の基本にすぎないのである。

たしかに伝統的な坐禅作法のように左右両方の鼻孔で呼吸するよりも、
片方ずつ塞いで呼吸した方が合理的だとボクも思う。当たり前の話だったのだ。

経絡十講による衝脈図

イダー・ピンガラとはこの衝脈のことである。
当初は脚部と背中の気道は認識できないけれど、
行が進めば、いずれ必ず明確になってくる。

図:布施仁悟(著作権フリー) 参考:石田秀実『気・流れる身体』-P.41


この真実の呼吸法を続けてゆくとイダー・ピンガラ(特に身体前面の二本の衝脈)
が、自分の身体のどこを通っているのかがわかってくる。

最初は上図の衝脈のうち脚部や背中の気道は認識できないはずだけれど、
真実の呼吸法を続けるにつれて、それも次第に明らかになってくるものだ。
そのためにはまず身体前面の二本の衝脈にしっかり気を流せなければならない。

もちろん、このイダー・ピンガラに気を通して掘り起こしてゆくにつれて、
身体の中心を真っ直ぐに走る体軸(スシュムナー・中心線)もあらわとなってくる。
坐禅の姿勢だって次第に矯正されていくことは付言するまでもない。

ちなみに先に仙道の本からの引用で高藤聡一郎が衝脈と言っていたのは、
イダー・ピンガラではなくスシュムナーのことで、そのへんはちょっと紛らわしい。

振り返って衝脈の図をよく見てみれば「強い腹力と背力そして鳩尾のゆるみ」
という心道流空手師範・宇城憲治の言葉の意味もおのずからわかってくるだろう。
おしなべて坐禅と武道の呼吸法の眼目は衝脈を掘り起こすことにあったのである。

矢印マーク 『気・流れる身体』

気感のない人の書いた気の本。
つい衝動買いしてしまった。


ただし、身体のできていない禅者にとって真実の呼吸法は刺激が強すぎるため、
M・ベインの本の中には、こんな警告がある。

最初は一完全呼吸セット以上はしてはいけない。


真実の呼吸法は一時的であれ姿勢を矯正する効果もあるので、
坐禅の補助としても最適な呼吸法なのだけれど、むやみにやってはいけないらしい。

となれば坐禅の黄金時間に突入した時点でおもむろに行ずるとよいだろう。
伝家の宝刀は抜くタイミングが肝心というわけである。

(2011.12・改訂2014.8)

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