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【坐禅作法40】坐禅における足の組み方

ちょっとはマシな坐禅作法 坐禅における足の組み方〜ちょっとはマシな坐禅作法 1〜

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〜ちょっとはマシな坐禅作法 1〜


まずは警告

はじめに断っておかなければならないとボクは思う。

いまだ自分の愚かな心と対峙する勇気のない者は去っていただきたい。
これから紹介する行法は結果を得るための一捷径(しょうけい)である。
もちろん効果はテキメン。それゆえに危険も伴うからだ。

矢印マーク 『神癒の原理―ヒマラヤ大師の教え』


M・マクドナルド・ベイン。
ボクに師があるとすれば彼の著作だとおもう。
仲里誠桔氏の日本語訳したM.ベインの本は、
ボクの知る限り四冊あり、そのすべてを熟読した。
珍しく実践的な行法を録してあるのがこの本。


ボクは大マジメにもう一度繰り返したい。
いまだ自分の愚かな心を直視できない者はこの先に進んではいけない。
この行法の種本(たねほん)にはこうある。

この知識を見境なく洩らすことに筆者は警告を発しておきたい。 それは破壊的行為によって非常な害を与える手段にもなりかねないからである。 同じ力は邪悪な目的のためにも使えるのである。

(『神癒の原理―ヒマラヤ大師の教え』P.100)

教師につかずに実修するときは、決して悪意や抑制された想いを抱かないよう銘記するがよい。 さもないと、とかくこれらの波動を発動させて我人(われひと)ともに傷害を受けることになりがちだからである。

(『神癒の原理―ヒマラヤ大師の教え』P.101)

貴下は心の中に平安、調和、愛を維持していなければならぬ。 貴下が求めなければならないのは霊的発達であって力(フォース)のコントロールではないのである。 さもなければ貴下はその力に縛りつけられ、それよりの解放は一層困難となる。

(『神癒の原理―ヒマラヤ大師の教え』P.101)


というわけで十分警告をしておいたから、後はボクの与り知らぬところである。

ちなみにボクは坐禅を始めて約一年後に第一の結節が解けた。それから
この行法を実践するようになり、第二の結節が解けたのはその三〜四ヵ月後である。

これはもちろんセンスの問題だから微妙なところだけれど、
「禅者ならはじめるべき時期を自分で判断できる」というのがボクの意見だ。
心随観を修習してぷっつん体験を通過した禅者なら迷わず始めていいだろう。

ボクが坐禅をはじめてから約一年の間に実践した行法は、
『Trial Impossible』と『心随観のヒント』に記したとおりだから、
まだ自信のない禅者はそちらで準備を整えるといい。

どのみち焦れば却って進歩は遅れるものだからゆっくりやろう。

では、早速『ちょっとはマシな坐禅作法』の解説に入る。

とはいえ、ちょっとはマシな坐禅作法には作法と呼べるようなものは何もない。
体系的に説明できるようなものではないから、こういう時はちょっと困る。
何から行こうか?「とりあえず、ビール」のノリで、やはり、コレからかな。

坐禅における足の組み方
赤雲水

白隠禅師のお墨付き♪

黒雲水

足の組み方についてどうこう言う資格などボクにはない。
なぜならボクは背もたれ付きのビジネスチェアで坐ってきたからだ。
だから結跏趺坐でも正座でも寝坐でも立禅でも何だって構うことはない。
好きに坐っておけばいいとおもっている。

ただしバカにされるのも癪(しゃく)だから、ちょっと言い訳をしておこう。

骨盤をしっかり立てられるまでは身体の歪みを解消できない。
すると結跏趺坐の姿勢を維持するのに身体の筋肉を緊張させることになる。
なまじカッコつけたところで、そんな無理がたたれば腰痛の原因となりかねない。
ボクはそっちのほうが余程バカだとおもう。

さらに言えば白隠禅師の『内観の秘法』は寝坐を基本としているのである。

床に入り、眠りに入るまえに、両脚を長く踏みそろえ、 一身の元気を臍(へそ)のまわりから気海丹田、腰、股や両脚から足のうらに下し充して、 次のように何回も繰りかえし繰りかえし内観する…。(「夜船閑話・序文」)

(『白隠禅師―健康法と逸話』P.40)


白隠禅師は、雲水たちの禅病、すなわち偏差を解消させるために、
『夜船閑話』と『遠羅天釜』という書物を書き残してくれた。
そこに記述されているのが「内観の秘法」と「軟酥(なんそ)の法」。

この二つの行法は優れた気功法となっているだけではなく、
雲水にとって結跏趺坐はまだ早いことを暗に匂わせている点で、
さすがは五百年に一人の名僧と言われた白隠の著作だとおもう。

白幽先生はしずかに私の手をにぎり、くわしく身体をながめ、 さわって診察して、おもむろに口をひらき、 「よきかな、よきかな、あなたの病気は禅病である。 真理の究明に度をすごし、修養と精進の節度をうしない、 ついにこの重病にかかったのである。
〜 略 〜このままでは、あなたは死を待つばかりである。 真剣に『内観の秘法』を実習しなければ、あなたの重病は全快せず、 一生たちあがることはできないであろう」といわれた。(「夜船閑話・本文」)

(『白隠禅師―健康法と逸話』P.48-49)

そこで、自分はいった。 「つつしんで、お教えをうけたまわりました。 それではしばらく、いままで修行していました坐禅観法を中止し、 一所懸命にお教えの秘訣を修行し、心身を健全にし、 自然のままにしようと思いを決めました…」(「夜船閑話・本文」)

(『白隠禅師―健康法と逸話』P.55)


間違った坐禅をしてることに気づいたら中止したほうがいいのである。

どうだい?白隠禅師もボクの味方なんだな。

矢印マーク 『白隠禅師―健康法と逸話』


坐禅と氣の関係を明かした本。
内観の秘法と軟酥の法は坐禅の基本。
白隠禅師の『夜船閑話』と『遠羅天釜』で
ちょっとはマシな坐禅をしよう。

椅子坐

というわけでボクは坐禅を始めた当初から背もたれ付きの椅子で坐っている。

もちろん結跏趺坐は理想であるし憧れでもあるけれど、
現在の自分の肉体に忠実でありたいと思うからだ。しかも、
自宅でひっそりと坐っているだけだから見栄を張る必要もない。
それに、事実、この椅子坐で結節を解いてきたのである。

というわけでボクの工夫してきた椅子坐を紹介してみることにしたい。

椅子坐の図

図において両膝は離れているけれど、
できればぴったりつけると効果は高い。

図:布施仁悟(著作権フリー)


深く椅子に腰かけて背筋(せすじ)を伸ばし両膝をぴったり付ながら長時間坐る。
これを椅子坐の定義としよう。

おそらくこの椅子坐ですら出来ない禅者が多いとおもう。
十分も経過しないうちに身体のどこかに余計な緊張を感じるに違いない。
ただし辛くなったら両膝を離したり、背もたれに身をあずければいいわけで、
無理をしなくて済む椅子坐はその点において大変便利な坐相なのだ。

この椅子坐の着想は割烹料亭などでお座敷に出入りする仲居さんから得た。
彼女たちは和装を義務付けられ日頃からきものを着ている。
和装では両脚を自由に開くことはできないから、
いちいちの所作を両膝をぴったりとつけて行わなければならない。

しかし、これがすこぶる姿勢に良いらしいのである。
長年月きものを着て仕事をしてきた女性の姿勢は非常に良いだけでなく、
彼女たちは肩コリ無縁の生活を送っていたりするようなのだ。

この現象は「綺麗な姿勢を維持するための筋肉が発達するから」
なんて説明すると世間一般では理解され易いかもしれないけれど、
そういう理屈ではないことくらいボクたち禅者はお見通しである。
日頃から正しい姿勢を維持することを繰り返しているうちに、
気道に気が通うようになって筋肉が弛んできているわけだ。

そしてこの理屈を応用したのが他ならぬ椅子坐なのである。

おそらく肉体の関節の柔軟性を確保できるまでは椅子坐が望ましい。

またヨーガ的に見ても、プラーナ(宇宙に満ちている根源的生命エネルギー)の流れが滞りやすいのは関節部分であり、 わたし自身も、関節部分がエネルギーの流れが滞りやすいということは、体験からはっきりとつかんでいる。

(成瀬雅春『ハタ・ヨーガ完全版』P.36)


ヨーガでは“気”を“プラーナ”と呼ぶのだけれど、その流れは関節部分で滞る。
肩関節、股関節、膝関節。関節で滞る気が結跏趺坐の姿勢を困難にするのだ。

柔軟体操みたいなヨーガのアーサナの目的もまた関節部分に気を流すことにある。

ヨーガのアーサナには関節を柔軟にする、という内容をもったものが多い。 一つには、パドマ・アーサナ(蓮華坐)を組めるように、ということもある。

(成瀬雅春『ハタ・ヨーガ完全版』P.145)


ここでパドマ・アーサナ(蓮華坐)とは、いわゆる結跏趺坐のことである。

「結跏趺坐をできなければ半跏趺坐で」と記述する禅の入門書もあるけれど、
椅子坐から始めたほうが無理なく結跏趺坐に移行できるとボクはおもう。
結局、気が肉体の各関節で滞っている限り結跏趺坐なんて無理な話だからだ。

たとえば、肩関節。肩甲骨が正常な位置に在る人はあまりいない。

肩甲骨はフワフワと羽根のように浮いて肩関節の柔軟性をサポートする役割をもつ。
ところが歪んだ身体の持ち主の場合には背中の筋肉と癒着することで、
逆に肩関節の動きを固定して脱臼などを保護するように機能しているものである。

一般的な人の肩甲骨は背中の筋肉にべったりと張り付いているのだ。

そうした肩甲骨と背中の筋肉が癒着しているケースでは、当然、
背筋(せすじ)を伸ばそうとするときの筋肉の伸縮を肩甲骨が邪魔する恰好になる。
すると背筋の伸びた姿勢を維持するためには筋肉に力をかけ続けなければならない。

というわけで身体の硬い禅者は椅子坐ですら辛くなってしまうのである。

おそらく「結跏趺坐をできなければ半跏趺坐で」という含意は、
半跏趺坐なら片脚の股関節や膝関節を解放する姿勢だから、
結跏趺坐に比べて幾分ラクだろうという配慮ではないかとおもう。

けれど下半身を固定して背筋を伸ばす姿勢を要求される点ではどちらも同じ。
そもそも、ほとんどの人は筋肉の癒着のせいで肩関節の柔軟性がないために
筋肉の緊張を生じ、背筋を伸ばす姿勢の維持自体が困難なのだから、
結跏趺坐でも半跏趺坐でも苦行であることに変わりはないはずである。

一度硬直してしまった筋肉や神経組織は気を流なさなければ回復できない。
気を制御する能力は心の成長に比例して高まってゆくものだから、
半跏趺坐をできるようになるにしても、無論、時間はかかるのである。

関節の柔軟さは、1年や2年で得られるものではない。 なかなかできないからといってあきらめないで、 少なくとも10年とか20年という単位で取り組むぐらいの気持ちで挑戦してほしい。

(成瀬雅春『ハタ・ヨーガ完全版』P.145)

矢印マーク 『ハタ・ヨーガ完全版』


なかにはビックリポーズもあるけれど、
あまり先走りせずに、当初はぐっと我慢して、
入門編をひたすら繰り返すのが王道だと思う。
今できる範囲でゆっくりやっているうちに、
知らずレベルも上がって次の課題もみえてくる。
そのときアーサナの本はこれ一冊で十分だとわかる。
なにげなく書かれているコツも実践的でいい。

青雲水

西洋便器は静養便器?

緑雲水

ついんじて関節の柔軟性を確保できるまでは椅子坐が望ましいとはいえ、
骨盤だって歪んでいたりするものだから腰にかかる負担は免れない。

そこで伝統的な坐禅では便利グッズとして坐蒲が登場してくるわけだけれど、
道元禅師の時代と違って今は21世紀なのだから改変を許してもらおう。

21世紀の禅者は西洋便器を坐蒲とせよ!

矢印マーク 『ダンロップ フック式 エアークッション U座』

体重を分散するクッション。
悔しいけれど身体の歪んでいるうちは、
こういうグッズが便利ではある。


21世紀の日本人の脱糞(だっぷん)事情には変化がある。西洋便器の登場だ。

そこで脱糞にあたって西洋便器のU字型便座に腰をかけていると、
背筋の伸びてくることに気づいてる禅者も多いのではないだろうか?
どうやら便座には体重を分散して身体の筋肉の緊張を解く効果があるようなのだ。

であるからして「西洋便器は静養便器」と言っても、たぶん過言ではない。
ボクなんかは、つい安住(あず)ましき便座で長脱糞に耽(ふけ)ってしまって、
家族から、お腹の調子が悪いのか、と心配されたりするから、
たとえば便座クッションなんてものがあれば便利なのではないかと思うのだ。

もの好きな禅者諸君!U字型便座クッションで椅子坐なんてのはどうだろうかね?

腰割坐

閑話休題…と言いながら、ふたたび便座の話なのである。

西洋便器のU字型便座に腰かけるにあたって両脚を閉じる人は、
おそらくいないとおもう。というか、いないと思いたい。

女性のことはわからないけれど男性ならば、まずいないはずだ。
いわゆる“あそこ”が邪魔になってこうなるはずである。

腰割りの図

日本の国技・相撲というのはスゴイんです。
なんかボキャ貧の小学生みたいですけど、
スゴイという表現がピッタリくる。
学校教育でも武道を必修化したわけですし、
もっと相撲を見直そうよ。

図:布施仁悟(著作権フリー)


実はU字型便座に腰をかけていると背筋が伸びてくるのはこのためで、
このときに作られる腰の形はあらゆる武道の型に取り入れられている。

わが日本の国技・相撲でも『腰割り』と呼んで、
相撲の型稽古で有名なシコを踏むにも、この腰割りが基本となるのである。

もちろん坐禅でも基本は腰割り。
坐蒲は何のためにあるのかと言えば、ひとえに腰割りのためなのだと思う。

坐禅の腰割り

坐禅の作法にも最初はみんな意味があったはず。
形式ばかりを受け継いで本質を忘れたら、 作法なんて覚えたって何の意味もない。
大切なのは本質なんだよ。

図:布施仁悟(著作権フリー)


一般的に骨盤は後傾しているものだから骨盤をグイッと前傾ぎみにしたい。
そこで坐蒲を使えば骨盤は立ってくるだろうという寸法なのだ。

相撲の腰割り型のように両脚をひろげて左右の足を外側に向けて開いても、
やっぱり骨盤は立ってくる。
琉球空手のサンチン型なんかは左右の足を内側に向けて肩を反るけれど、
結局それも同じ効果を狙ったものだ。
こう考えてみれば坐禅と武道の原理原則は同じということがわかるだろう。

修行が進んで全身の気道が開いてくると、腰割りの姿勢を維持しているうちに、
背中と腹に等量の圧力のかかる緊張状態が生まれるようになってくる。
この状態を意識的に作り出すことが坐禅の坐相のねらいだ。

琉球空手のサンチン型

これも腰割り。

図:布施仁悟(著作権フリー)


そのとき何が起こっているかと言うと、
督脈という背中を走る気道と任脈という身体前面を走る気道に円滑に気が流れる。
そのため背腹等量に圧力がかかり身体を真っ直ぐに支えてくれるのである。
すなわち筋肉で身体を支える労力から解放されるわけだ。

だから本当は便座に座る坐相と同じ“腰割坐”を椅子坐の型としたいけれど、
残念ながら初心者は止めておいたほうが無難だとボクは思うのだ。
たくさんの不随意筋を抱えて督脈と任脈に気が円滑に流れていない人は、
骨盤をどこまで前傾したらいいのかわからないはずだからである。

坐る姿勢は武道の型の立ち姿勢と違って上半身の重みが腰にかかるから、
無理に骨盤を前傾することは腰痛を招くだけだろう。

ただし、そんな人でも一坐禅につき十分間の腰割坐なら無理はないと思う。
ここで重要なのは“坐禅六十分過ぎからの十分間”。
初心者でもこの十分間なら骨盤をどこまで前傾したらいいかわかるかもしれない。
いうなれば“坐禅のゴールデンタイム”はここにあるからだ。

さて、ここからがちょっとはマシな坐禅作法の真骨頂。
次回からは、ちょっと危険な行法の解説に入る。

(2011.9・改訂2014.8)

桃雲水
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