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【坐禅作法39】想像から創造へ

ちょっとはマシな坐禅作法 想像から創造へ〜心随観のヒント 8〜

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〜心随観のヒント 8〜


生の転換点(レーベンスヴェンデ)


創造の扉はあからさまに開き、いつのまにかひっそりと閉じられる。

ボクは32歳から38歳の間に開く創造の扉をこのようにみているのだけれど、
これを同士ユングは“生の転換点(レーベンスヴェンデ)”と呼んでいたそうだ。

ユングによれば、三十二歳から三十八歳の間に個人の中にある深刻な変容が必ず起こる、と言う。 つまり、人生の前半に無視してきた問題や義務や欲求が、この時期になって姿を現すのである。 ここで神経症を病む人もある。これこそ、新しい自己実現のための病であって、 ユングはこの種の神経症は無意識の出す警告とみなすべきだ、と言う。

(山中康裕『臨床ユング心理学入門』-P.123「第3章 ユングの個性化過程」)


これは陰陽師・安倍晴明の発案とされる日本の厄年と同じことを意味していて、
つまり30代にある33歳と37歳の厄年を中心とした前後3年間を合計したものである。

よってボクの観察でもレーベンスヴェンデは二つの時期に分けられる。

鬼は32歳から35歳の誕生日まで。挟は35歳から38歳の誕生日まで。
38歳の一年間で人生の前半戦を総括・清算するプロセスを完了すると、
いよいよ39歳から運命は新たな展開をみせてゆく。

今生で善因を植えてきたものは42歳から飛躍して人生の収穫期に入り、
一方、悪因のタネを蒔いてきたものは58歳まで20年間の時の粛清を受けるのだ。

してみれば29歳から38歳の誕生日までは面壁九年の修行期間。
この時期に今生における人生の大半が決定してしまうことになる。
とりわけ大厄とされる33歳は“ぷっつん”しなければならないから重要だ。

レーベンスヴェンデの挟は潜在能力の開花しはじめる時期なのだけれど、
それは鬼に正しい選択をした人だけに許される。とはいえ難しいことはない。
この3年間は創造の扉が全開になっているので迷わずに飛び込めばいいのだ。

鬼に創造の扉へ飛び込まなかった人には挟3年間の苦悩が待っている。
心のどこかで創造の扉が閉じ始めていることを感じ取っているようなのだ。
おそらくデリケートな人は神経症を病むことになるのだろう。

ボクは29歳で体調を崩した経験以来、運命の機会に敏感になっていたので、
33歳の“ぷっつん体験”から創造の扉へ飛び込むことに成功した。
なので運命の打撃はできるだけ若いうちに経験して克服しておくべきだと思う。

矢印マーク 『臨床ユング心理学入門』

禅者は坐禅自体がユング心理学入門だけれど、
普通の人がユング心理学に入門するには最適。

赤雲水

いいかい、レーベンスヴェンデ鬼こそ人生一番の勝負時なんだ。

黒雲水

ただしユングの云うようにレーベンスヴェンデ鬼は誰にでもある。

今思えば35歳を目前にしたボクの周囲の人たちにも確かにあったようだ。
つまり、それは決まって34歳。33歳で“ぷっつん”しなかった場合、
その人を取り巻く環境が壮絶に崩壊する。

ある人は酒の席で会社の同僚達から暴行を受けて退職。
また偏屈な上司のいる職場に配属されてノイローゼに陥った人もいれば、
勤めている会社が倒産してしまった人もいる。これみんな34歳だから面白い。

その後は、親のすすめにしたがって職業訓練を受けて転職したり、
人事異動の季節を待ちわびたり、同じ職種で転社を繰り返したりした。

そして38歳。レーベンスヴェンデの最終章はひっそりと幕を引く。
その頃になるとみな揃って健康診断の尿酸値や血糖値に異常を示した。
詳しく訊くと多少の運動くらいでは変われない身体になっていたのである。
さしものチベット体操でさえ効かない身体になっているようなのだ。

チベット体操はかつて32歳のボクに光明をもたらした人生の特効薬。
中年太りのオヤジになってうだつの上がらない人生を送る覚悟した矢先。
チベット体操による身体の変化を体験したことがボクを坐禅へ導いた。

レーベンスヴェンデの鬼なら3ヶ月程度で効果を実感できるのに、
38歳を迎える頃にはチベット体操をもってしても効果を得られないなんて…。

肉体は心の成長に随伴して変性することを体感していたボクは言葉を失った。
「今となっては“叡智のささやき”すら彼らの心には響かないだろう…」と。
それと同時に運命の審判は38歳の誕生日にあることも知った。

矢印マーク 『成りあがり How to be BIG―矢沢永吉激論集』

10代・20代を正しく歩むためのバイブル。
10代・20代の諸君。人生には時節というものがある。
おそらく「聖書」や「経典」を読むのはまだ早い。
まず、これを読んで来たるべきときに備えよう。


創造の扉へはレーベンスヴェンデ鬼に飛び込まなければならないけれど、
誰にでも開かれれているはずの扉に気づかない理由は二つあるようだ。

一つは親の歪んだ愛情を見限れないこと。

たとえば人事異動の季節を待ちわびているうちに35歳を越えてしまう人は、
公務員や安定企業のサラリーマンに多いことだろう。
子供が公務員試験に合格したときに涙を流して喜ぶ親もいるそうだけれど、
自分の潜在能力を腐らせるような人生に幸せなんてあるわけがない。

今、レーベンスヴェンデ鬼にある人は、よく耳を澄ませてごらん。
その親の口からは人生を無駄に過ごした言い訳しか出てこないはずだ。

そして、もう一つには貯金がないこと。

レーベンスヴェンデの挟から潜在能力を磨きはじめるためには、
35歳あたりで自分の生涯をかけて没頭できるものを見つけておくといい。
そのためには自分の本心をじっくり見つめる時間がどうしても必要なのである。

だから、いいかい。レーベンスヴェンデ鬼こそ人生一番の勝負時なんだ。
この時期に創造の扉に飛び込まないともう後はないと思って間違いない。

そのとき貯金がなかったら安易な妥協策に走ることになる。
頼るべきものは職業安定所でも資格予備校でもない。
自分の本心とがっぷり取り組むための時間なんだ。

よって余計なお世話かもしれないけれど、あえてボクは老婆心を贈ろう。

貯金なくして創造なし!
(布施仁悟)

金あるときにパッパパッパ使ったらイザという時に金がないよ。
(矢沢永吉『成りあがり』より)


そしてレーベンスヴェンデ挟に自分の生涯をかけて没頭できるものを探せ!

自分だけがワクワクして没頭できるものなら何だっていい。
たぶんそれは、すぐに収入に結びつきそうにないものだと思う。
おそらくそれは、周囲に相談したところで誰からも反対されるものだと思う。
しかもそれは、人並み以下の努力で容易に身についてしまうものだと思う。
そしてそれを成し遂げられるのは自分だけなのだ。それを探し当てて欲しい。

矢印マーク 『5つのチベット体操-若さの泉・決定版』

29歳から38歳までを無駄に過ごしてしまった人でも、 29年周期の星まわりにしたがって、 58歳から67歳の間に再び効力が現れるみたい。 この本はその年代にある人向けに書かれたようだ。
体操はたったの五つ。時間にして10〜20分程度。 何でそれが続かないのかね?
どんな特効薬も服用しなければ効き目はないよ。

一体何のために生きるのか?

しかし、その探求の間に絶えず突きつけられてくる疑問がある。

「自分の個人的願望を実現することは宗教的命題に反するのではないか?」
あるいは「運命に自分の意志を差しはさむ余地は残されているのか?」

自分の個人的願望を実現することは“欲を持つ”ということになるため、
“欲を捨てろ”という宗教的命題に反することになりそうである。
一方で運命は自分の意志と無関係だとしたらどんな努力もバカバカしい。

つまり、これは「一体何のために生きるのか?」という命題でもあるのだろう。

矢印マーク 『GOLDEN BEST』

愛の裏側ジェラシー。
部屋のドアーは金属のメタルで。
井上陽水とは哲学者でござるか?


そもそも、こうした疑問はアプローチを間違えているために生じるものだ。

“自分の生涯をかけて没頭できるもの”は這いつくばって探すものではない。
それは探すのをやめたときに見つかるものだからである。

探すのを止めたとき見つかることもよくある話で
(井上陽水『夢の中へ』)


まさしくシンガーソングライター・井上陽水の逆説と言えよう。

“没頭できるもの”は“没頭できないもの”を見分けることで探し当てるしかない。
探し当てられない原因は“没頭できないもの”に執着している心にあるからだ。

不本意ながら給与所得のために勤めている会社。
違和感を感じながらもお体裁のために続けている夫婦関係。
かつて自分をバカにした人を見返してやるために続けている趣味。
心配性の両親を安心させるためだけに就職したお仕事。
学歴コンプレックス解消のために始めた難関資格のお勉強。

これら何ら自分のためにならないものに執着する原因を心に探ってみると、
将来不安、迷い、自分の潜在能力に対する疑心暗鬼などの劣等感が、
もろもろの歪んだ欲望を自分に抱かせてきたことに気づくと思う。

したがって宗教的命題における“欲を捨てろ”の“欲”とは、
この歪んだ欲望のことで意志の力を働かせてはいけないとは云ってない。
むしろ自分の意志の力を働かせろと云っているのである。

自分の心に巣喰う将来不安、迷い、疑心暗鬼に気づいて乗り越えるたび、
意志力や精神力は次第に強化され、終局、根源的欲求にたどり着く。
それが“自分の生涯をかけて没頭できるもの”なのだ。

そして、この根源的欲求は自分の個人的願望には違いないのだけれど、
それでいてどういうわけか宇宙の経綸に合致してしまうものでもある。

というのはこの根源的欲求に従っていると周囲の出来事が円滑に運ぶからだ。
精密な機械時計のように運命の歯車とキッチリ合って行動しているときは、
自他へ同時に利益がもたらされるため、人間は最も満足を覚えるのである。

業(カルマ)を解消した心に基づいて設計される運命は信頼に足るものなので、
もはや「運命は変えられるのか?」などと疑問を発する必要もない。
しかも、利己的であることが非利己的であることにまったく等しくなるのだ。

ではちょっと命題に立ち返ってみよう。

一体何のために生きるのか?

くだらぬ!くだらないぞ、そんな疑問は。ボクらは生きているから生きるんだ。

青雲水

牽引の法則

緑雲水

さて、人生のお楽しみはここからだ。

創造の扉へ飛び込んだ人は自分の中に芽生えてくる才能に気づくと思う。

絶好の機会を的確につかまえる嗅覚。
相手の人品を見透かす心眼。
ひとたび本を読んだら文の行間に隠れている意味が立ち上ってくるだろう。
そして、たとえば芸術作品の独創性を見分ける感性。
それから、問題解決や仕事のアイデアを得るときのインスピレーション。

これらは全部これまで眠っていたミューズの仕業である。
でもその才能は目醒めたばかりだから大切に育てなければいけない。
はやる気持ちを抑えてじっくり育てる覚悟を決めて欲しい。

なぜならこの時点では世間の誰もその才能には気づけないからだ。
その目醒めはじめた才能を見抜けるのは同じ慧眼を備えた禅者のみ。
残念ながら世間一般の凡人にはそれがない。呆れるくらい“おバカ”なのだ。

でもここで勘違いしたらせっかくの才能も台無しである。
才能とは“愛すべきおバカちゃんたち”に智慧を授けるためにあるからで、
ゆえに“自分の生涯をかけて没頭できるもの”もそういう性質を持っている。

ここから先の課題は、したがって、こういうことになるだろう。

凡人とその社会の中で自分の天才を如何に発揮するか?

すなわち凡人にもわかるように才能を練磨しなければならないのである。

矢印マーク 『変な人が書いた成功法則』


読みやすいため理解は容易なのだけれど、
頭で理解するのと痛感するのとでは次元が違う。
一度読んだくらいでわかったと思ったら大間違いだ。
著者・斎藤一人さんは声聞道の大家なのである。
「声聞道って何よ」って言ったらコレなのよ。
『変な人が書いた驚くほどツイてる話』
と合わせて声聞道二部作ってとこかな。


この時点でのアドバンテージは独創的な才能を目醒めさせたことのみ。
絶品レシピがあっても中華鍋を振れなければ炒飯一つまともに作れないように、
才能だけで技術を伴わなければ誰もその業績に刮目(かつもく)することはない。
そこでまずは仕事の技術を磨く具体的な努力を必須条件とする。

創造の成否はこの努力を自分の中からいかに引き出せるかにかかってくる。

最初はその努力も空しく作品やアイデアを評価されることはないだろう。
恋人は「あなたがわからなくなったの」と別れを告げ、友人にはからかわれる。
母親は「あなたが心配ばかりかけるからよ」と鏡の前で薄い髪の毛を梳かし、
飼犬と戯れている父親は背中で呟く。「まともな仕事に就いたらどうだ」。
その努力を挫くような出来事をあげれば枚挙に遑(いとま)はない。

ただし、その“努力を挫くような出来事”こそ内なる師の指導なのである。
心の中にある将来不安、迷い、才能に対する疑心暗鬼を克服させんがために、
内なる師がそそのかしているのだと考えてみるといい。
すなわち試練を逆手に取ってミューズの栄養源とするべきなのである。

また困難に拍車をかけているのは試練を克服する特効薬のないことだ。
ただ心に湧きあがってくる将来不安、迷い、疑心暗鬼を何度でも叩きつぶし、
自分の中に目醒めはじめたミューズを信じ切るしかない。

そこでまずは“牽引の法則”を試すことから始めてみよう。
ミューズは誰の中でもこのように働くからだ。


人間には、とてつもなく不思議な力があります。 寝ている間にあなたの想念がその目的をつかむ、これが牽引(けんいん)の法則です。

(斎藤一人『変な人が書いた成功法則』P.203「目標は決して口に出さない」)


ボクがこの牽引の法則に気づいたのはシステムエンジニア(SE)時代のことだ。
SEとはコンピューターに魔法をかけるプログラムを操る仕事人。
そして、その実態は、ただの“はったり屋”である。

SEの辞書に不可能の文字はない。
どんな案件だろうと「おまかせください」と答えておいて後から必死こいて調べる。
解決できなければお金で手を打つまでだ。その奥の手を“外部発注”と呼ぶ。
どちらにしろ手柄は全部自分のものだからそれで無問題なのである。

ただし“必死こいて調べる”段階は一番つらい。
ボクが長時間残業で額や脇にねっとりと汗をかく方法をとっていた当初は、
まわりの先輩SEもそうしていたので定時で帰れる雰囲気ではなかった。
ところが2〜3年経って仕事を覚えた頃から定時で帰るようになる。

その方が効率のいいことに気づいたからだ。
前日に長時間残業しても解決できなかった問題が翌朝には数分で解決できる。
だからボクは難しい仕事を午前中に片付けて、単純な仕事は午後に後回し。
定時前に翌日解決したい問題点を洗い出して帰るという風にした。

この仕事のコツを知っている人と知らないでいる人の差はすぐに出る。
いつの間にか最も実力をつけていたし最新の技術に触れる機会にも恵まれた。
おかげで天狗になってしまった自分の性格が嫌になって退職したのだけれど、
ボクの発見した方法は天才画家サルヴァドール・ダリ様の秘伝でもあるのだ。

諸君はおそらく、これからまさに描こうとしている絵にとっては、 眠っている時間などまったく非活動的で無駄な時間だと考えているだろうが、 この点はしっかり理解してほしい。精神の最深淵で、緻密で複雑な技術上の問題点のほとんどは、 この睡眠のあいだに解決されている。逆に目覚めているあいだはけっして解決しない。

(サルヴァドール・ダリ『ダリ・私の50の秘伝』P.33「秘伝3」)


ミューズは深夜の眠っている間に働いてくれている。
この事実を信じることは必ずや創造的人生の出発点になるだろう。

すると睡眠の定義は逆転し生活の中心は活動から睡眠にシフトするはずである。
つまり「活動のためだけに眠る」から「よりよい眠りのために活動する」へ。
夜明け前の“真の眠り”の時間に創造のための天啓すら得られるかもしれない。
ちなみに知る人ぞ知る“真の眠り”とはギリシアの哲学者・プラトンの命名である。

もちろん疲労の度合いは日によるから完璧な睡眠法なんてないのだけれど、
人を創造活動へ誘う“真の眠り”を効果的に引き出す秘儀ならば存在する。
その鍵を握っているのはスズキの目玉だ。

矢印マーク 『ダリ・私の50の秘伝―画家を志す者よ、ただ絵を描きたまえ! 』

これほどの秘伝を自覚し公開した天才が他にいるだろうか?
救世主ダリ様!
あなたの公開してくださった秘伝を試そうともしない
哀れなわれわれ凡人をおゆるしください。
ああ、私もダリになりたい…。


まずは焼いたスズキの頭のフェンネル添えを夕食にいただこう。
そこで準備するスズキの目玉は全部で三つ。

ベッドに寝そべったら、目玉を口から出す。 うち一つを掌(てのひら)に置き、残り二つは小さな本か黒い箱を膝に置いてその上に並べる。 距離のとりかたにコツが要る。 人さし指を二つの目玉の前に置いて、視線を人さし指に集中させる。 二つのスズキの目玉は重なり一つになる。 自身の眼との精確(せいかく)な距離がそうさせるのだが、 双眼視(そうがんし)のミステリーといっていい。 この目玉には催眠効果があるようだ。 だからその晩はできれば、これを見ながら就寝するのがたいへん望ましい。
この、一つになった二つの目玉を固定したとき、 さらに必要なことは、第三のスズキの目を取り出し、 交差した人さし指と中指で優しく撫(な)でることだ。 すると奇跡といっていい感覚に出会う。

(サルヴァドール・ダリ『ダリ・私の50の秘伝』P.42「秘伝5」)


しかし「ダリってだりだ?」という向きには仕方ない。これでどうだ。

矢印マーク 『どんどん目が良くなるマジカル・アイ プレミア版 TJ』


身体の歪みが視力低下の原因。
だから、これで目が良くなるかというと、
それはちょっと違う。
ただし身体の歪みの原因は心の歪みにある。
心の歪みに気づくための集中力のコツは、
これでつかむといい。
間接的に視力回復につながるというわけだ。


実はダリ様の秘儀は数年おきにブームの到来する立体視のことである。

立体視を続けていると目を閉じたときに紫色の光が見えてくる。
これは目を閉じて瞑想している人なら集中力の深まる頃にみえてくるもの。
この光をみながら寝る習慣をつけると寝つきは良くなり眠りも深くなるはずだ。
つまりダリ様は就寝前に立体視で集中力と創造力を養っていたことになる。

フロー感覚

ただし“牽引の法則”を用いるコツは睡眠や集中力だけの問題ではないらしい。
というのもSEの仕事を退職して公認会計士の試験勉強を始めた途端に、
ボクのミューズは働いてくれなくなったからだ。覚えたそばから忘れるのである。

ボクがSEを退職した動機には“35歳定年説”の存在も大きい。
日進月歩のコンピューターの世界の技術屋は35歳で頭打ちになるというものだ。
名の知れた企業に勤めていた父親の人格がろくに成長しないのを見ていたから、
あえて小さなソフトウェアハウスに就職したことも将来不安を助長していた。

その活路を公認会計士の肩書きに求めたのは父親の呪縛みたいなもので、
要するにボクは肩書き以外に寄るべのない父親と同じ道を選んだことになる。
こうして人生の選択を間違えているときミューズは窒息してしまうのだ。

逆に将来不安、迷い、疑心暗鬼を克服して人生を軌道修正し始めると、
ミューズは再び息を吹き返してくる。そこには名状しがたい感覚があった。
まさに必要としているものが周りに集まりはじめ、正しい方向に導かれるから、
自分が正当の流れに乗っているという“フロー感覚”を体験する。

たとえばボクはこの表現なんかが好きだ。

そうすると、歯車がキチッと合ってきます。だから、仕事はおもしろいのです。

(斎藤一人『変な人が書いた成功法則』P.215「今日のアイデアは今日行う」)


ただし“フロー感覚”の描写という意味ではキングに勝る書き手はいないだろう。

才能は練習の概念を骨抜きにする。 何事であれ、自分に才能があるとなれば、人は指先に血が滲み、 目の球が抜け落ちそうになるまでそのことにのめり込むはずである。 誰からも相手にされないにしても、行為それ自体が絢爛たる演奏に等しい。 表現者は満足を覚える。それ以上に、陶酔境に入ることさえしばしばだろう。 ことは楽器の演奏や、野球の打撃や、フルマラソンの完走ばかりではない。 本を読み、物を書くについてもまた同じである。

(スティーヴン・キング『小説作法』-P.171-172「小説作法」)


この“フロー感覚”の様子をありていに言えば“仕事ジャンキー”だろうか。

正直な話、私は仕事中毒の根暗人間と思われたくはない。 仕事中毒はその通りだとしてもだ。 ありていは、作品に取りかかっている間は毎日書くというだけのことである。 仕事中毒の根暗人間かどうかの問題ではない。 クリスマスも、七月四日も、誕生日も関係ない。 だいたい、この年齢になると誕生日など思い出したくもないのが普通だろう。 反対に、書かないとなると、いっさい書かない。 ただ、仕事をしていない時はどうにも気持が中途半端で寝付きが悪くなる。 やはり、書かずにはいられない。書いている間は楽天地である。

(スティーヴン・キング『小説作法』-P.176「小説作法」)


どうやら六日間で天地を創造した神は、自身は七日目に休んでおきながら、
その子供たち・人間には休みを与えてくれないおつもりらしい。

矢印マーク 『小説作法』

これぞ名著。文章もかっこいい。
でも…あたりまえか。
だってキングだもの。
なんで絶版にするかね?


ここで誤解されてはいけないのではっきり断っておいたほうがいいだろう。

もしも“フロー感覚”を得られるならサラリーマンでも家業を継いでもかまわない。
重要なのは“社会の仕組み”以前の“宇宙の仕組み”に乗っかることだからだ。
たまたまボクの場合は「サラリーマンは正解ではなかった」というだけの話で、
運命の妙は人それぞれ。杓子定規にはいかないようなのである。

桃雲水

創造性発現のための言葉の処方箋

赤雲水

では最後の仕上げの段階を説明する前におさらいをしておこうか。

レーベンスヴェンデの創造の扉に飛び込むことは“ぷっつん体験”を意味する。
このとき坐禅修行によって気の体を育成していれば第二の結節が解ける。

その後、将来不安、迷い、疑心暗鬼を克服するうちに35歳あたりで、
“自分の生涯をかけて没頭できるもの”がおぼろげながら見えてくる。
ここから牽引の法則を用いたミューズとのダンスレッスンを始めるといい。

ミューズと息のピタリと合う“フロー感覚”を知る頃になれば、
心に巣喰う将来不安、迷い、疑心暗鬼をはっきり認識していることだろう。
後はそれを叩き潰すのみだ。この時期に第三の結節は解ける。

そうしてぶち当たるのが“想像の壁”。それは人間のオツムの限界である。
創造性の発現のためにはこの“想像の壁”を乗り越えなければならない。

創造の扉に飛び込んだ人の慧眼に映るものは何かといえば、
“想像力”による業績と“創造力”による業績の違いである。
つまり“凡人”と“秀才”と“天才”の業績の違いを知るのだ。

せっかくここまできたのに凡人に逆戻りする手はないだろう?
したがって最後の仕上げの段階は“秀才”から“天才”への飛翔である。
そのためにはオツムの使い方自体をコペ転しなければならない。

ではどうやってコペ転を成し遂げればよいのか?
天才のことは天才に聞け!というわけで再びダリ様に登場願おう。

スズキの目玉三個に導かれて得た「真の眠り」から目覚めたばかりの絵描き初心者諸君は、 仕事を始める時間は朝と決めていただろうが、これまではむにゃむにゃ、だらだらと、 眠いだけの時間だっただろう。それはもう終わりだ。まったく反対になる! たっぷりとった休養、前夜の睡眠にもかかわらず、とくべつぱっちり目覚めた気分でいる諸君、 いまこそ眠り続けることが必要だ。しかし今度は、もっと難しい方法で。 可能な限り目覚めていながら、眠らなければならないからだ。

(サルヴァドール・ダリ『ダリ・私の50の秘伝』P.43「秘伝5」)


これがオツムの使い方をコペ転して“想像の壁”を突破する方法である。

可能な限り目覚めていながら眠れ!

われわれ禅者の目指している境地もここにある。

矢印マーク 『解脱の真理 改訂版―ヒマラヤ大師の教え』


つまり心随観の入門書がコレなのである。
霞ヶ関書房の本はAmazonで絶版扱いになっていても
大型書店で注文すれば取り寄せてもらえるはず。
いざとなれば出版社に直接注文するといい。
送料はかかるけどマーケットプレイスでカモられるより、
ずっといい。
参考までに…定価:5250円TEL:03(3951)3407

矢印マーク 『キリストのヨーガ―解脱の真理 完結編』

解脱の真理の続編。前作の内容をさらに掘り下げている。
心随観のより実践的な内容でありがたい一冊。
続編なのに出版社が違うのはどういわけだ?
参考までに…定価:3360円TEL:03(3439)0705


ここまできた禅者ならこれからボクの語ることがよくわかると思う。

きっと将来不安、迷い、疑心暗鬼を見つめる心随観にかなり長けているだろう。
こうした劣等感は創造性を認めようとしない心によって生じたもので、
その原因は「人生そんなに甘いもんじゃない」などの迷信に基づくことも知った。

それらの創造性を認めようとしない心を克服できたかどうかも、
心の饒舌(おしゃべり)が次第に少なくなってくる静けさの中で知っている。
少なくなってくるというより劣等感にすぐに気づけるという感じかもしれない。

そうして、ついには自我=心がおのずから饒舌(おしゃべり)を止めるまで、
根気よく心随観を続けてゆくなら、その静けさの中に創造性を発見するそうだ。

「それでは、どうすれば創造性が獲得できましょうか?」

「創造性は獲得できるものではない。 君が徹見しなければならないのは、創造性を認めようとしない働きだ。 それを徹見することは、自我を徹見することになるのだ。 心が自我の要求より解放されると、平安が生ずる。 この平安の中にこそ創造性があるのだ。 それは努力をしなくても、あるいは苦闘しなくても、おのずからにして出現する。 なぜなら、それは常在であるからだ。 創造性は瞬間より瞬間にわたって存在している。 しかし、君らは創造性をつかめば、創造性が表現できるだろうと思って、 それをつかみたがる。しかし、それはできない。 なぜなら、創造性は心を超越し、時間を超越しているからだ。 従って、創造するためには、君は時間の中で機能(はたら)くことをやめなければならない。 自我が死んだ時、生命が現前する。同様にまた、創造性が現前する。

(M・マクドナルド・ベイン『キリストのヨーガ』P.181-182「第十章 「死」の恐怖からの解脱」)


こざかしい理性で創造性を手に入れようとするとき“想像の壁”は出現する。
心であれこれ考えて手に入れようとするものは想像の産物にすぎないからだ。
創造性は逆に心の動きを止めたとき、当たり前にそこに在る。

可能な限り目覚めていながら眠れ!

自我の眠りはとりもなおさず無念無想。ボクら禅者の目指す境地である。

さて、本書の読者はどうすれば創造性を獲得できるか。 その方法を知りたがるかもしれない。 本書を読んで、あなたは創造性を発揮する方法を、 わたしが提示していると考えているかもしれないが、それは違う。 あなたは、ある行法(テクニック)を実習することによって、 創造するようになり得ると思うかもしれない。 しかし、お断りしておくが、それは不可能である。

あなたは楽器を一日に八時間練習することによって、 創造し得るようになると思われるだろうか。 本を書くことや、作曲、作詩によって、講演、演説によって、 創造力がもたらされるものではない。あなたは完全な弁士、 暢達(ちょうたつ)な作家、有能な画家であるかもしれない。 しかし、依然として「わたし」(自我)が介在している限り、 そこには創造性はあり得ない。心を超えたもの、 唯一の創造の本源の通路に立ちはだかっているのは「わたし」…自我…ではないか。 自我がなくならない限り、創造性はあり得ない。

(M・マクドナルド・ベイン『キリストのヨーガ』P.124「第七章 「理想主義者」こそ殺戮の元凶なり」)


しかも創造のカラクリを知ろうとする瞬間に創造性はその手からこぼれ落ちる。

『知り得ざるもの』が裡(うち)なる創造の本源であり、それが創造するのである。 併(しか)しそれ自体は常に『創造されざるもの』、『知り得ざるもの』の儘(まま)でいる。 創造されたものは知ることができるが、『創造するもの』自体は何時までたっても知られずにいるのである。

(M・マクドナルド・ベイン『解脱の真理』P.361「第十二章 隠者様の説く解脱の真理(二)・再び俗界へ」)


したがってボクらの才能とは創造性を独り占めにすることではないのだ。

あなたは、真理をまるでシャベルやつるはしであるかのように使うことはできない。 なぜならば、使い得るとするならば、あなたは真理よりも偉大であるということになり、 そんなことは不可能だからである。しかし、もしあなたが真理を悟り、 それを使役しようなどと考えずに、真理自らが働くままに打ち任せるならば、 その時真理はあなたの人生とあなたの諸関係とに基本的な変質をもたらす。 しかも、その働きは甚大にして広大、無限、広範である。

(M・マクドナルド・ベイン『キリストのヨーガ』P.102「第五章 「希望=不安」との決別」)


やはりボクもこの辺で心の饒舌(おしゃべり)を止めたほうがいいだろう。

Case8 創造性発現のための言葉の処方箋


ミューズは自我の眠っている間に働いてくれている。

準備は見えない舞台裏で着々と進むもの。
(布施仁悟)


そうして歯車がキチッと合ってくると誰でもこうなる。

仕事の極意はやるはめになったことを淡々とこなすこと。
(布施仁悟)


そんな仕事ジャンキーになると凡人とその社会のアラ探しはつまらなく感じる。

“アラ探しをやめられた人”から成功します!
(斎藤一人)

凡人とその社会のアラ探しほど才能の枯渇を招くものはない。
(布施仁悟)


いずれ才能が備わっても天狗になるなよ。

神仏のはからいを独り占めすることはできない。
(布施仁悟)


どのみち創造性のカラクリを知ることなんてできないのだ。

わからないものはわからないままでいい。
(布施仁悟)


心の饒舌を止めるには心随観で養った能力を総揚げして向かえ!

すべては心随観のごく自然な延長としてやってくる。
(布施仁悟)


やっぱり最後は心随観万歳!というところに帰着するのであった。

さしあたり心随観についてボクの語れることはここまでだ。
あとは禅者各自の努力あるのみ。以上、『心随観のヒント』をここに記す。

(2012.4・改訂2014.8)

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