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【坐禅作法23】厄年およびカーストの意味

ちょっとはマシな坐禅作法 厄年およびカーストの意味〜才能とは何か10〜

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〜才能とは何か10〜


意識の階層構造

大器晩成型の天才はたいてい42歳の覚醒体験以降から創造性を発現する。
その覚醒体験を経ていた植芝盛平は58歳からの次段階を“随神の修行”と呼んだ。
一体、“随神(かんながら)の修行”というのは何のことなのか?

ボクはそのヒントをインドのヨーガ行者の講話集にみつけた。

求道者は、霊的修行を積むと、三位一体の神の、三つの段階を経て霊的に上昇します。

第一の段階は超意識で、この状態で求道者の意識は、 オームまたは聖霊と呼ばれる神の創造力と一体になります。

次の段階はキリスト意識で、この状態に達すると、 求道者は、あらゆる創造物の中に浸透しているタット−神のひとり子とも呼ばれる神の普遍的知性−と合一します。

そして、最後に到達する段階が至高の宇宙意識で、 これは、あらゆる創造物を超越した唯一の存在、言葉では表現できない絶対者、 サット、父なる神などと呼ばれているものです。
(パラマハンサ・ヨガナンダ講話集『人間の永遠の探求』P.161「講話十九 真の至福経験」)


これによると坐禅修行による無意識層の探求で最初に遭遇するのが“超意識”。
創造性発現の意識段階ということになっている。つまり秀才・天才のステージだ。
この意識階層に到達した人だけが思考を具現化する創造性を身につけられる。

すなわち凡人は顕在意識の意識層しか認識できないため、
どんなに努力しても創造的活動なんてできるわけがないということなのだ。
夢を叶えるなんてことは、したがって、望むべくもない。

おそらく問題の“随神の修行”というのは“超意識”よりも深い意識階層の段階。
つまりこの講話集で第二段階とされている“キリスト意識”か、あるいは、
第三段階の“至高の宇宙意識”の階層におけるものだ。

ただし意識階層の名称なんてものはとりあえずどうでもいいことである。
ここでは人間の意識は幾つかの階層構造になっていることに注目しよう。

すると坐禅修行開始後は三つの意識階層を経て霊的に上昇するのだから、
人間は全部で三段階のステップアップを要求されていることがわかる。
つまり人間はその意識レベルによって四階層に分けられるというわけだ。

同じくインドのカースト制度も四階級の種姓に分かれている。

講話集の「転生…魂の完成への旅」という章にカーストの解説があるので、
それをちょっとまとめてみたい。

矢印マーク 『人間の永遠の探求』

修行者はどういう生活をしたらいいのか。
迷ったらこの人に聴けばいい。
ただし納得できたものから少しずつ取り入れていかないと、
ただのストイックな禁欲主義になるのでご用心。

赤雲水

カーストの意味

黒雲水

カースト制度の基になった『マヌ法典』では凡人階級をシュードラと分類してある。
シュードラというのは上層の三階級の人たちに仕えるしか能のない奴隷階級で、
それは何でも人の幸せのために主宰神の定めた区分なのだそうだ。

たしかに凡人階級は思考を具現化する創造性を持ちあわせないのだから、
大それたことなど一切考えずに運命にしたがったほうが幸せなのかもしれない。

その次が秀才・天才階級のヴァイシャで事業や創造的活動に熱中している状態。
知能や技能を使い農業、商工業、その他事業を営んで社会に奉仕する人たちだ。

自分の才能が芽生えてきたら創造活動に熱中したくなるのも無理はないわけで、
この段階に突入したらとにかく創造活動に没頭してしまったほうが近道だと思う。
なぜなら金儲けや創造活動に熱中する体験に飽きてくる頃ともなれば、
この世に未練なく人生の目標を煩悩の克服に定められるようになるからである。

その段階がクシャトリヤ階級。われらが釈尊はこの階級の出身だったそうだ。
職能分類では人民を保護する王侯、政治家、役人、武人がこの階級にあたり、
真理に則った秩序維持の智慧や争いを鎮めるための武道精神を求められる。

そして最高位の階級をバラモンと呼ぶ。
思索型、瞑想型の性質をもち、霊性に目覚め、他人も霊的に啓発できる存在。
感覚的誘惑を克服して神と霊交し英知を我がものとした意識状態なのだそうだ。
ホンモノの禅僧はこの意識レベルでなくちゃいけない。

このバラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラを日本語訳すると、
それぞれ聖人、君子、秀才・天才、凡人という感じに分類できそうである。
もちろん上の階層ほど数は少ないのでしばしばピラミッド構造で図示される。

『人間界のみえない身分制度』

天は人の上に人を造り、人の下に人を造れり。

図・布施仁悟(著作権フリー)


人間をこの四つの階級に分けて分類すると世の中の仕組みがスッキリみえてくる。
要するにカーストは人間界のみえない身分制度を表しているのである。

人間はその意識レベルに相応しい人生を歩むように計画されていて、
それが宿命であり、そこから外れたことをしようとするから人間は苦しむのだ。
逆に宿命を甘んじて受け入れることはステップアップの最短ルートである。

運命はステップアップする度にその意識レベルに相応しいものに変わる。
どの両親のもとに生まれるのか、誰と巡り合うのか、どんな仕事に就くのか。
運命は新たな宿命となってゆく。なぜならそれは次のステップへの課題だからだ。

その課題をこなそうとしなければ運命のドツボにハマる。それが法則なので、
下層意識の段階にいるかぎりロクな運命にならないのは当然のことなのである。

したがって福沢諭吉の有名な名言なんてものは嘘っぱちに外ならない。
身の程知らずの凡人に「天は人の上に人を造らず」なんて世迷言を吹き込むから、
世の中はどんどんおかしな方向に行ってしまうのだ。

凡人のくせに聖人の象徴である袈裟を着て仏教を金儲けの種にする。
君子たらんと政治にかかわる凡人は自分の粗相のツケを税金としてまきあげる。
凡人の分際でありながら秀才・天才の真似をしてはオツムも人生もパアにする。

「天は人の上に人を造り、人の下に人を造れり」

人間はそれぞれの意識レベルに相応しい居場所を持っているため、
無理な願いを叶えても必ずしっぺ返しが待っているものなのだ。

現前として存在している格差を社会保障や補助金で埋めようとすれば、
莫大な社会的コストがかかるばかりか、国民は何ら精神的に成長できない。
財政支出でカンフル剤を打てば景気は一時的な上昇傾向を示すけれど、
一方で“たかり根性”を植えつけられた寄食者が増え創造力は失われる。

戦後における日本復興の原動力は何か?身の丈(たけ)を知ったからだ。
植民地を拡げて化石燃料を漁れなくなったので足元で宝探しを始めた。
われわれ日本人はそうやって創造力を発揮してきたんぢやなかったのか?

ところが今はどうだ。戦後のシャウプ勧告で借金をチャラにできたはずなのに、
たった50年で借金まみれになった政府の財政管理能力は江戸幕府以下である。
ここに徳川の世が約300年間続いた理由も明らかだろう。
士農工商の身分制度が真理に適った秩序を作り出していたからである。

どうやらこの時代のボクらの常識は道理に反してしまっているようだ。
自分のみえない身分をわきまえること。その謙虚さが運命を拓くとボクは思う。

これはお釈迦さまがすでに指摘していたことでもあるのだ。

道に違(たご)うたことになじみ、道に順(したが)ったことにいそしまず、 目的を捨てて快いことだけを取る人は、みずからの道に沿って進む者を羨むに至るであろう。

(法句経209)


もちろんカーストや士農工商を制度化することには問題点がある。
ステップアップの可能性を考慮していないことだ。

人間はたとえ凡人に生まれついたとしても凡人であり続ける必要は全くない。
幸い現代を生きるボクらは身分制度から解放されているので、
ステップアップしたうえで天才や政治家や僧侶になればいいのである。

「天は人の上に人を造れり。されどステップアップの機会を与えたり」

しかも親切なことにわが国にはステップアップの要領を指し示した風習がある。
それが厄年。こんな国は世界中のどこを探したって日本だけだと思う。

矢印マーク 『ブッダの真理のことば・感興のことば』

こなれた現代語で読める法句経。
私の仏教に対する誤解は この本で初めて解けました。

厄年の意味

その厄年は一般的に男性と女性のものに分けて考えられている。

男性…25歳・42歳(大厄)・61歳
女性…19歳・33歳(大厄)・37歳・61歳

中でも男性の42歳と女性の33歳は大厄で人生の最も不吉な年齢とされる。

今ではこの風習も真意を忘れ去られ迷信じみたものになっているけれど、
それはあまりにもったいないので正しい厄年の迎え方を考察してみよう。

そこでまず最初に解かなければならない誤解はこういうことである。

厄年には男も女もない。

その理由を人生29年周期説に当てはめて説いてみたい。

『人生の29年周期』
図:布施仁悟(著作権フリー)


男女の厄年を順番に並べて29年のサイクルに照らし合わせると、
厄年は人生を三つの時期で捉えていることがわかる。
それぞれ青年期、壮年期、老年期と名づけてみよう。

青年期(〜29歳)…19歳・25歳
壮年期(〜58歳)…33歳(大厄)・37歳・42歳(大厄)
老年期(〜87歳)…61歳

このうち最も重要な大厄が壮年期に集中している意味は、
人生29年周期説の三つの時期に当てはめてみると明らかとなる。

19歳・25歳…成熟期・収穫期の入口
33歳・37歳・42歳…萌芽期・萌芽期・成熟期の入口
61歳…萌芽期

たぶん壮年期の厄年は29から42歳に至る12年間の転換期を指している。
33歳はボクが“ぷっつん体験”をした年齢。37歳は9年目の審判前夜。
そして42歳は飛躍と転落という運命の明暗の分かれ道だからだ。

さらにわかりやすくするために壮年期を基準に厄年をまとめてみよう。
19歳と25歳に29を足し、61歳から29を引くとこうなる。

『29年周期説と厄年のコラボ』
図:布施仁悟(著作権フリー)


老年期の厄年61歳というのは男女共通で何か深い意味がありそうだけれど、
ボクはその年齢に達していないから、よくわからない。ただし…だ。
29年引いた32歳ならわかる。ボクはこの歳にチベット体操と坐禅を始めた。

その29年前は青年期の3歳にあたるということも面白い。

ロンドンオリンピック体操の金メダリスト・内村航平選手。
それから女子フィギュアスケートの浅田真央選手。野球界のイチロー選手。
秀才アスリートはみんな「3歳から始めた」と語っているのである。

凡人階級出身のボクは3歳のことなんて記憶にすらないけれど、
秀才・天才階級から人生をスタートした人は3歳で早くも転機を迎える。
つまり29年周期の3年目に自己変革のツールを手に入れているのだ。

厄年61歳は自己変革のツールを手に入れるべき時期を意味していたのである。

そして青年期の厄年19・25歳のことならボクも体験済みなのでよくわかる。
「20代をがんばったやつだけが30代へのパスポートを手に入れられる」
矢沢永吉の残した意味深なメッセージの意味を読み解いていこう。

しかもこれは42歳で転落した人にとって起死回生のヒントになるはずだ。
成熟期のちょうどド真ん中48歳と収穫期に入る54歳に何をすればよいのか。
19歳と25歳にボクの歩んできた道はその地図になるだろう。

(2012.11)

青雲水
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