【坐禅作法21】人生29年周期説
ちょっとはマシな坐禅作法 人生29年周期説 〜才能とは何か8〜
〜才能とは何か8〜
植芝盛平・謎の語録
合気道開祖・植芝盛平の語録『合気神髄』に奇妙な記述があった。
合気道に形はありません。
ずーっと以前は、いろいろの人々の熱誠をこめたところの武道をば、
私も教えを受けたのでありますが、昭和十五年の十二月十四日、
朝方二時頃に、急に妙な状態になりまして、禊(みそぎ)からあがって、
その折りに今まで習っていたところの技は、全部忘れてしまいました。
あらためて先祖からの技をやらんならんことになりました。
この技は気育、知育、徳育、常識の涵養であります。
(植芝吉祥丸編『合気神髄―合気道開祖・植芝盛平語録』P.23「第一章 合気道は魂の学び」)
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昭和十五年の師走というのは植芝盛平57歳の頃。
植芝はすでに42歳の覚醒体験を経ていたはずだけれど、
どうやらそこはゴールではなく、さらにその先があるようなのだ。
しかも植芝はこの現象の真意をはっきりと自覚していたらしい。
これは植芝の弟子・塩田剛三の著作にある記述。
後(のち)に先生はお話しになっていたそうです。
「昭和十六年で、自分の体術の稽古は終わった。
今は随神(かんながら)の修行に入った」
先生はそうおっしゃっていたそうですが、
十六年というのは私が植芝道場を離れた年です。
私はいわば、先生が体術を完成させる最後の仕上げの時期に、
相手を務めさせていただいたことになります。
(塩田剛三『合気道修行―対すれば相和す』P.202「第3章 修行」)
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昭和十六年で稽古にひと段落ついたというのだから“随神の修行”は58歳から。
いやはや“58”という数字は実に因縁めいた数字だ。
58÷2=“29”
なんと人生の変動期は29歳からのものだけではないのかもしれない。
もしかすると29年周期で何度か巡ってくるものなのだろうか?
ボクはすぐさまこの仮説“29年周期説”の証拠固めを始めた。つまり、
42歳からの人生はパッとしなかったけれど71歳から飛躍した人物を探せ!
しかし、これはこれでなかなか困難な作業ではあった。
ひと昔前までは「人間50年、下天のうちをくらぶれば…」だったのだから、
いっそ姥捨山に捨てたほうが世のためになるジジイとババアが闊歩して、
国家財政を逼迫させるような今の世は想像だにできなかったのである。
頭髪が白くなったからとて<長老>なのではない。
ただ年をとっただけならば「空(むな)しく老いぼれた人」と言われる。
(法句経260)
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とかくこの世はお釈迦さまのおっしゃるような“空しい老いぼれ”ばかりだ。
29歳からの人生の転換期を逸してうだつのあがらない運命を辿ったけれど、
くじけることなく凡人から天才へと変身を遂げた逸材なんかいるわけがない。
そう諦めかけた頃にボクの目に映ったのは怒涛渦巻く波濤だった。
“空しく老いぼれなかった人”は少ないけれど確かにいたのである。
『 合気神髄―合気道開祖・植芝盛平語録』
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これは宮本武蔵の『五輪書』を完全に越えている。
禅の十牛図で言えば宮本武蔵は『騎牛帰家』止まり。
植芝盛平は57歳で『忘牛存人』の境地に入った。
いうなれば植芝盛平は武道仙人だ。
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『合気道修行―対すれば相和す 』
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不世出の名人と呼ばれた合気道の達人・塩田剛三。
その技の奥義をサラりと書き記してある貴重な本である。
合気道修行は型稽古だけで試合はない。
型稽古だけでナゼ強くなれるのか?
その秘密は気にある。
読む人が読めば塩田剛三が気の達人であったことがわかるだろう。
これはまこと奥義書と呼ぶにふさわしい一冊。
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71歳からの天才
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葛飾北斎の代表作『富嶽三十六景』は1831〜32年の発表。71歳のことである。
西洋画壇に多大な影響を与えた幻想的表現は71歳以降に完成されてゆく。
北斎の70代・80代は晩年というより画狂として生まれ変わった感じなのだ。
北斎自身「70歳までの画業は取るに足らず」としていたように、
やはり71歳の転機を感じ取っていたのだろうと思われる。
北斎の創造力は誰もが認めるところでその悟境は相当なものだったろう。
さて、せっかく苦労して調べたのだから、意地でももう一人挙げなければならぬ。
お次はアメリカの建築家。“29年周期説”は古今東西変わらぬ法則なのだ。
『カウフマン邸(落水荘) 』
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天才発見!
写真の『カウフマン邸(落水荘)』は、ライトが70代で表舞台に返り咲く転機となった業績。
景観に見事に溶け込んだ別荘はライトの信念そのものだ。
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図:ウィキペディアより。
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彼の名はフランク・ロイド・ライト。
ル・コルビュジエ、ファン・デル・ローエと並ぶ“近代建築三大巨匠”の一角である。
ライトの生涯は29年周期の運命をじっくり堪能したような人生で滅法面白い。
最終的に天才的な創造性の発現へと落着したのだから面白がってもいいと思う。
そこでまずは42歳で見事に転落したところからみていこうか。
そもそもライト自身は凡人としてではなく秀才として生まれついたようで、
建築家としては20代、30代の時点である程度の成功を収めていた。
プレイリースタイルの作品で広く知られるようになっていたのである。
ただし、誰しも29歳から“人生のテーマ”が変わる。
そこで気づけなければ才能に恵まれた秀才といえども転落してしまうものなのだ。
おそらくライトも世間的成功にかまけてしまった口だろう。
クライアントの奥さんと不倫関係となったライトは42歳、
妻子を捨てて駆け落ちする。このスキャンダル以降ライトの名声は地に落ちた。
大多数のクライアントの求めていたものはライトの才能より権威であったわけで、
たちまち“プレイリースタイルは時代遅れ”てなことになったのである。
ライトの転落物語はあまりに分かりやすい展開で面白すぎるよね。
ライトのように才能を持ちながらも運命に見放されてしまった秀才には、
たとえば他にオランダの画家・レンブラント=ファン=レインがいる。
上の画は財産家の娘と結婚して人生の絶頂期を迎えた29歳頃の作品。
その題名はいかにもな『放蕩息子』。
美術コレクションの蒐集癖が終生抜けずに借金苦に追われた画家で、
妻のサスキアの財産を蕩尽しているという悪い噂がつきまとってしまう。
36歳の最大の傑作『夜警』で評価を高めたものの人生自体は好転しなかった。
いかに才能に恵まれていても運に見放されたらその価値はなきものに等しい。
えてして凡人や秀才にとっての30代というのはバブルみたいなものだ。
うまくいっているようにみせかけておいて40代に入ると一気にハジける。
その結果だけをみれば正確無比な運命の法則は一見すると残酷である。
しかしそれは、ものごとの原因から目を背けているがゆえの誤解だ。
どうやら人生の飛躍と転落の命運は38歳までの執行猶予が付いているらしい。
つまり凡人に生まれついたら38歳まではどうあがいても努力は報われない。
逆に秀才に生まれついたら素行がどうであろうとなんとかなってしまうのだ。
ただし38歳には転落する秀才と飛躍する凡人のクロスポイントがある。
凡人が天才へ転身を遂げていく傍らで秀才が転落する逆転劇が始まるのだ。
これはお釈迦さまが法句経で指摘しているところでもある。
まだ悪の報(むく)いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遇(あ)うことがある。
しかし悪の報いが熟したときには、悪人はわざわいに遇う。
まだ善の報いが熟しないあいだは、善人でもわざわいに遇うことがある。
しかし善の果報が熟したときには、善人は幸福(さいわい)に遇う。
(法句経119-120)
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しかも運命はその38歳の誰にでもノスタルジックな最終警告を発している。
運命の法則というものは残酷でありながらも粋な性格を合わせ持つ。
その最終警告を無視するから悲劇の40代以降を迎えるだけの話なのである。
この38歳を迎えた頃に誰にでも与えられるノスタルジックな最終警告は、
凡人にとっては最終警告というよりある種の満足感を覚えるものらしい。
それは卒業アルバムを眺めながら因果の洞察力をためされる試験のようなもので、
人生の前半で起こった重要な出来事を振り返る機会を与えられる。
ただし方向性を間違えたまま38歳を迎えた人はオツムが逝っているため、
すなわち因果を洞察する能力を磨いてこなかったため、それに気づけない。
おめでたいことに思い出に浸ってそれでオシマイということになるのである。
その38歳の最終警告とは何か?ちょっと探ってみるとしよう。
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人生38歳の意味
『体は全部知っている (文春文庫) 』
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吉本ばなながちょっとはまともな小説を書けるようになった作品。
30代で作風の変わらない作家なんてニセモノなのだ。
この短編集の『西日』は傑作。次点『おやじの味』。
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吉本ばななの代表作『キッチン』『TUGUMI』を知ったのはボクが高校生の頃。
クラスメイトの女の子が授業中に熱中して読んで怒られていたので、
そんなに面白いのならと手にとってみたら子供だましの小説だった。
そんな吉本ばなながまともな小説を書き始めたのが『体は全部知っている』。
36歳頃の作品だろうか。以下は38歳出版の文庫本あとがきから。
私は小さい頃片目があまり見えなくて、わりと内省的な気持ちで漫画ばかり読んで過ごしていましたが、
その時にいろいろなことを学んだような気がします。
しかしながらそれで、体を動かせなかったせいか生来の無精のせいか、
すっかり頭でっかちに育ってしまい、体を全然無視してきました。
大学生くらいの時には、きっと老人のような体調だったと思います。
ある時、自分の姿勢の悪さや、便の状態や、水分の摂り方、頭の熱さ、足の冷たさなど、
体の状態があまりにも悪いので愕然としました。もちろん酒の飲み過ぎと仕事のし過ぎ、
したくないことのし過ぎ、ヒールの靴、化繊の服、何もかもをもう感じなくなるほどの状態でした。
そして、もちろん倒れました。
しかも今まで気力でおぎなっていたのに、どうにもならず、ばたんばたんと何回も倒れ、
悲しくないのに涙が止まらない、そんな感じでした。体がストライキに入ったわけです。
まず食べ物を変え、生活を少しだけ変え、外反母趾に負担のかからない靴にし、
よく歩くようにし、酒を減らし、ストレスを減らし、自分のことを自分で守るようにしました。
肌もきれいにし、まぶたの震えもなおしました。
ついでに脱毛までしたりして。それはもう長い道のりでした。とにかくがんばりました。
たとえ人に嫌われてもおかまいなくです。
その大改造の結果、三十八にもなったのに、大学生の時よりもずっと快調になりました。
もともと体が強くないので、大健康!とまではいきませんが、ぼちぼちやってます、
と言える程度には健康です。体は自分で作ったものではなくて親からもらったものなので、
あまり汚くして天に返すのはいやだなあ、それに、
まだ当分使うからメンテナンスは怠りなくしないと、などと思っています。
大改造のさなかに、宗教的なことではなくて、体と自分のシンプルな関係について、
いろいろ気づいたことがありました。体と本能にまかせておけば、
さほど間違えることはないというようなことです。ひとたびそこを見失うと、
問題は迷路に入ってしまい、大ごとにならないと気づかなくなってしまうのです。
それをなんとなく盛り込んだのが、この本です。
(吉本ばなな『体は全部知っている』P.215「文庫版あとがき」より)
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ボクが若さだけでは体調を維持できなくなってきたのは26歳頃。
そして気力でもどうにならず体がストライキに入ったのが29歳。
おそらく同じ年ごろに吉本ばななも同じような体験をしていたのだろう。
『体は全部知っている』はそこから36歳までの過渡期に気づいたことを
小説の形にまとめあげた本で彼女の精神の成長記録みたいなものだ。
彼女自身も「この本によって書く技術が上がった」と自ら評しているらしく、
36歳までの肉体と精神の大改造が彼女の眠れる才能を引き出したことになる。
こうした人の価値観をゆさぶる出来事を体験するのは29歳から34歳までの間。
そこで“ぷっつん体験”を成し遂げた人だけが次のステップへ進むことになるので、
大改造をせずに35歳を迎えた凡人はすでに脱落が決定したも同然である。
“試練のとき”をただやり過ごすだけならば、それは転機にならない。
運命に価値観をゆさぶられる出来事は誰にでも起こるものだけれど、
そこで従来の価値観を捨てて別の選択をしなければならないのだ。
一方で“ぷっつん体験”に成功した人にはまったく新しい人生が開けてくる。
もしも35歳から37歳までの間に自分の本質的才能に気づくことができれば、
それは38歳を迎える頃から次第に芽を吹き出してくることだろう。
エレンベルガーの指摘した『創造の病の第一条件』を満たすのがこの時期だ。
『創造の病の第一条件』
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(1)長期間の不休の知的作業への没頭の後に起こる。
この知的作業の多くは新たな世界像や哲学的根本原理に関するものである。
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いわばこれは『卒業制作』。それまでの人生を総括・清算する意味を持つ。
この条件を満たすまでは次の段階へは進めないから“試練”といってもいい。
この『卒業制作』に着手するのはある種の使命感に突き動かされるからだ。
『創造の病の第四条件』
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(4)自分の創造的な仕事こそがこの「症状」の原因であり、
仕事の達成こそが真に唯一の治療手段であるという自覚がある。
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たとえば吉本ばなな本人が今までで一番うまく書けたと評している作品は、
38歳頃に書いた『デッドエンドの思い出』なのだそうだ。
悲惨なことや辛いことなどを清算してしまおうと考えて書いたというから、
たぶん30代で起こった出来事の意味がワカッテたんだね、この人は。
もしも、この38歳の吉本ばななが大学時代の友人にばったり遇(あ)ったり、
郷里など因縁深い土地を再び訪れるようなことがあったらどうだろう?
肉体的・精神的に成長した自分と過去の自分を比較して感慨にひたるはずだ。
まさに、そういうことが38歳を迎えた誰にでも起こる。
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凡人のレール、幸せのレール
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38歳の誕生日を迎えた頃にボクは京都を旅行することになった。
何を思ったか父親が「一緒に京都に行こう」と突然言い出したのである。
ボクは禅の名刹ガイドをする対価として旅行代金を全部支払ってもらう契約をした。
生きた仏法を語ることなど京都の観光タクシーのベテラン運転手にもできまい。
世にもありがたい説法つきのガイド♪都合そう考えればお値打ちである。
京都は高校の修学旅行とシステム屋を辞めた26歳の退職記念旅行以来のことで、
ボクはどういうわけか人生の節目の時期に必ず京都を訪れている。
修学旅行は16歳でピークを迎える“成長ホルモン分泌量”の激減した17歳のこと。
スポーツなどを何もしてこなかったツケはオツムにダイレクトに効いたらしい。
血迷って難関大学を目指したそのストレスでますますおバカになったのだった。
次に26歳の退職記念旅行で京都を訪れたときは、伏見稲荷大社に立ち寄って、
「人生をリセットするために会社を辞めました。よろしくお願いします」と祈願した。
その後32歳で禅に触れて願望成就と相成り、12年ぶりの御礼参りとは洒落ている。
偶然の出来事にしては出来すぎているので何か深い因縁があるに違いない…
と、しばらくして同期の38歳の朋友たちが好き勝手な報告をよこしてくれた。
ある同朋とは彼が38歳の誕生日を迎えた頃に郷里に帰省したとき再会した。
34歳で会社が倒産して再就職したらいきなり東京勤務を言いつけられたのだ。
ボクに“ぷっつん体験”のきっかけを与えてくれた電話の主が彼である。
またある朋友はかつて留学していたアメリカに家族で旅行してきたと言った。
留学といっても語学試験に通らずに半年で帰国してしまった苦い過去がある。
公務員になって34歳頃に偏屈な上司のいる部署に配属され深刻な状況になった。
チベット体操の本を贈り、坐禅をすれば乗り越えられる、と勇気づけた記憶がある。
どちらにしろ誰もが現在の状況にはたいへん満足しているらしかった。
ともに大学受験の浪人時代を経験し、それから約20年経過した38歳だ。
ボクは坐禅修行によって勝ち取った自尊心に乾杯してウーロン茶を飲みほし、
彼らは勤続年数や仕事の経験によって得られた自尊心に乾杯した。
ボクらは口々に「昔と違って今の自分には自信がある」と言い合ったものである。
ただしボクだけは気づいていた。自尊心のベースにあるモノが違うことに。
矢沢永吉の言っていた30代でみえてくる“幸せのレール”は、
29歳頃から“凡人のレール”へと次第に近づいてきてくれる。
32歳〜34歳頃に最も寄り添って走っているからそこで飛び移らなければならない。
そうしないと35歳頃から少しずつ遠ざかっていってしまうからだ。
そこで飛び移らずに38歳の誕生日を迎えた人にはどんな忠告も通じない。
「それは違う」というボクの叫びは彼らの耳を左から右へとすり抜けていった。
いつのまにかボクは一人ぽつねんと“幸せのレール”の上を歩いていたのだ。
彼らの歩む“凡人のレール”はもう眼路の届かないところを走っていたのである。
“ぷっつん体験”をする数年前までボクたちは同じレールを歩いていたのに…。
そんなボクの背中を押してくれたのは、やはりお釈迦さまの言葉だった。
朋友・親友に憐れみをかけ、心がほだされると目標を見失なう。
親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め!
(犀角経)
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どうやら38歳というのは誰にとっても人生の前半戦を総括・清算する年齢らしい。
おそらく今生における善悪の果実の花がようやく芽吹き出す転換点だからだ。
あるいは前世の業は38歳まできっちり背負わされるということかもしれない。
しかし明暗のはっきり分かれる42歳と違って38歳の警鐘はわかりづらい。
もしもその警鐘に気づかないでいたら転落の原因すらわからないまま、
次に“幸せのレール”の近づいてくる58歳以降をひたすら待つことになる。
それではフランク・ロイド・ライト42歳以降のリベンジをみていこうか。
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フランク・ロイド・ライト42歳からのリベンジ
『マリン郡庁舎』
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フランク・ロイド・ライト最晩年の作品。
丘の斜面をそのまま利用してある。
ライトは完成を見ずに亡くなった。
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図:ウィキペディアより。
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42歳のスキャンダル後、ライトは新たな土地に建築事務所を構えた。
「タリアセン」と名づけられたその建築群はいわゆる建築家のコミュニティで、
スタッフや弟子たちと寝起きをともにする自給自足の生活空間だった。
そこで間もなく起こったのが「タリアセン惨殺放火事件」。
タリアセンの使用人が突如として発狂し、不倫相手の夫人と2人の子供、
及び弟子達を斧で惨殺して建物に放火。ライトは現場に出ていて難を逃れた。
このときライトは事件を知って手紙をくれた彫刻家ノエルと早速恋仲となる。
さらには57歳。ノエルとの関係を続けていたにもかかわらず、
最後の伴侶となるオルギヴァンナとダブル不倫のスキャンダルを起こした。
実に乗り換えの巧みな男である。またもや仕事激減の中で運命の58歳を迎えた。
さすがに懲りないライトも58歳前後の出来事に思うところがあったのだろう。
タリアセンが落雷で2度目の火事に見舞われたのである。今度は自然災害だ。
「建築は自然から発生したものであり、ここアメリカにあっては、
アメリカの大地に根づいたそこから生まれ出づるものである」
これがライトの信念であるから自然災害という形で報いを受けたとなれば、
少しは反省しようというものである。ここからの努力の結晶が奇跡の落水荘だ。
それは自然から発生した建築であり大地に根づいたそこから生まれ出づる建築。
ボクらはここにライトの信念の結実をみることができる。奇しくも竣工は70歳。
ライトはこの業績によって、勇躍、有名建築家に返り咲きを果たした。
こうしてライトの転落と返り咲きの経緯を俯瞰(ふかん)してみると、
42歳の転落以降でもライトの才能自体が転落したわけではないとわかる。
仕事は激減してもボチボチやっていけるだけの実力はあったのだから、
レンブラントと同様にただ運に見放されていただけのようなのだ。
このことからこういうこともわかる。
「秀才と天才の違いは運に見放されたか否かにしかない」
ひとたび創造力を発揮できるようになったら能力自体は落ちないということだ。
ただ運の味方している天才の業績は秀才のものとは次元が違うのである。
そこで気になってきたのが植芝盛平。
58歳以降からは人智の及ばない神業をみせるようになった人物だからだ。
秀才・天才のさらに上があるならとボクはこういう仮説を立ててみた。
人間の一生は29年周期のステップアップ式になってるんじゃないのか?
そうしてボクはまた妙なことに興味をそそられることになる。
北斎とライトの死期はともに90歳前後。
29年周期で考えれば次の周期の始まった87歳から3年後に亡くなっている。
二人とも最後まで運に見放されることなく創造力も旺盛になっていったから、
それは秀才・天才のステージの頂点まで達したということかもしれない。
彼らは次のステップを来世で続けるために死期を迎えたのだろうか?
こう考え始めたら世紀の発見・発明や天才の傑作の生まれる時期には、
共通点のあることがみえてきた。
(2012.10)
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