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【坐禅作法19】『創造の病』の禅的解剖学

ちょっとはマシな坐禅作法 『創造の病』の禅的解剖学〜才能とは何か6〜

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〜才能とは何か6〜


ユング、オマエもかっ!

「ユング、オマエもかっ!」

彼の自伝を読みながらボクは心の中でカエサルのごとく叫んでいた。

『ユング自伝』には武勇伝など一切なくただ一点のみ言及されている。
「いつどんな葛藤が自分の心に起こり心理的にどう克服していったのか?」
その克服の過程はボクの坐禅修行における心理的変遷とピタリ一致していた。

とくに才能発現に至るまでの心理的経緯を著した『ユング自伝機戮楼鬼だ。
それは人間の才能発現に至る過程は万人共通であることの証明であり、
心理分析に長けていたユングだからこそ書けた歴史的名著と言っていい。

その価値のわかる心理学者がいないために象牙の塔に埋もれているけれど、
ユングがその自伝の中に書き残していることは実に画期的なことなのである。

また同じ心理的変遷を経たもの同士となればそこで出す結論も同じはず。
『できる受験生できない受験生』でボクの出した結論とユングの説の奇妙な酷似。
あれは当たり前だったのである。ボクとユングは同じ修行をしていたのだから。

その事実を知ったボクはすっかりユングに心酔してしまった。

以下はユング自伝のプロローグから。

外界の出来事は内的な体験の代りにはならない。 したがって私の一生は外的な出来事では奇妙なほど乏しいものになっている。 私はそれがうつろで実質のないのに驚いているので、 そうした外的な出来事について多くを話すことができない。 私は内的な出来事にてらしてみる場合にだけ自身を理解することができるのである。 私の一生の特異さはこのことに由っており、 私の自伝は実にこれら内的な出来事を取り扱うのである。

(『ユング自伝機-P.20「プロローグ」より)


ユングの云うように内的な体験を外界の出来事で代替することはできない。

とかく伝記や自伝というものはその人物がいつ何をしたかはわかっても、
そこでどんな心理的変遷を体験したのかについては触れずじまいである。

ところが『ユング自伝』はまさにそこに踏み込んだ著作で、
伝記や自伝を読むボクたち凡人の知るべきことはそこにこそあるのだ。
なぜなら“内的な体験”だけが才能を育むからである。

ここに書かれてあるのは『人はいかにして天才となるのか?』

ミケランジェロやシェイクスピアやアインシュタインが、
もしもユングと同じ視点で自伝を書き残してくれていたなら、
きっとボクらはそこに共通点を見つけられたに違いない。

しかし残念ながら心理分析に長けていた天才は古今東西ユングただ一人。
そしてユングの天才を見抜けるほど世の心理学者は成熟していない。
たぶん現在のところ禅者以外にユングを理解できる者はいないだろう。

なぜなら彼は20世紀を生きた世界的な禅者だからだ。
象牙の塔で埃をかぶっている『ユング自伝』に禅の息吹を吹き込もう。

矢印マーク 『ユング自伝―思い出・夢・思想 (1) 』

「ユング、オマエもかっ!」
禅者なら体験できて当たり前。
悟境確認用に禅者の家に一冊いかが?

赤雲水

『創造の病』とは?

黒雲水

ユングの創造的な業績は精神的な病を克服した後になされた。
それを指摘したアンリ・エレンベルガーの『創造の病』とはこういうものだ。

『創造の病』


(1)長期間の不休の知的作業への没頭の後に起こる。 この知的作業の多くは新たな世界像や哲学的根本原理に関するものである。
(2)抑うつ、疲憊、いらいら、不眠、頭痛、心気症、心身症などの神経症的症状を伴う。 特にユングは幻聴や幻覚といった現代の医者が診れば精神分裂病と診断されかねない精神病的症状を示した。 症状には変動と変遷がある。
(3)症状は数年に渡るのが普通。 その間は社会から完全に孤絶する。 表面的な接触をもつ場合にも、心は完全に内面の作業に没頭。
(4)自分の創造的な仕事こそがこの「症状」の原因であり、 仕事の達成こそが真に唯一の治療手段であるという自覚がある。
(5)回復は突然、急速にやってくる。 爽快、多幸、誇大気分という躁状態を前景とし、自分が前人未踏の独創的な発見をなしとげ、 しかもその真理は宇宙や世界を支配する普遍的真理であるという強い確信に満たされる。 同時に根源的な自己変革の体験をもつ。

(参考:福島章『創造の病―天才たちの肖像』)


エレンベルガーの研究したユング、G.T.フェヒナー、ニーチェ、フロイトの他にも、
ニュートン、ダーウィン、ヴィトゲンシュタイン、ショパン、夏目漱石など
優れた発見、発明、芸術・文学作品は精神的な病の克服過程で生まれている。
精神科医の事例研究から創造の病の真実は否定しがたいものになっているのだ。

ただし、この『創造の病』の解釈については彼らにとって荷が重すぎる。
どんなに理屈をこね回したところで精神医学の範疇では土台無理な話なのだ。
ここから先は禅者にまかせておきたまえ。

それでは『創造の病』の禅的解剖学を始めようか。

矢印マーク 『創造の病―天才たちの肖像』

学者先生の本ですからね。
こんなもんでしょ。

42歳の覚醒体験

『42歳の覚醒体験』…創造の病(5)


(5)回復は突然、急速にやってくる。 爽快、多幸、誇大気分という躁状態を前景とし、自分が前人未踏の独創的な発見をなしとげ、 しかもその真理は宇宙や世界を支配する普遍的真理であるという強い確信に満たされる。 同時に根源的な自己変革の体験をもつ。


まず創造の病の5番目の条件は『42歳の覚醒体験』である。
ここから菩薩道に入るというのはボクら禅者の常識だ。

ボクはこの創造の病を知る前に『人生二九歳変動説』による仮説を立てていた。
その頃は齢すでに37になっていたから29歳からそこまでは間違いない。

29歳頃…運命から価値観にゆさぶりをかけられる。
32歳頃…坐禅その他の自己変革のためのツールを手に入れる。
35歳頃…自分の進むべき道をおぼろげながら知り潜在意識を活用し始める。
38歳頃…?
42歳頃…ここから飛躍と転落の運命の明暗がはっきり分かれる。

38歳頃の空白期間を除けばほぼこの通りであることも先人の人生から明らかだ。
たとえばこれは合気道開祖・植芝盛平。

29歳…大東流柔術(合気道の本ネタ)の武田惣角に会い教えを乞う。
33歳…大東流柔術の免許を武田惣角から得る。
35歳…父逝去。父の墓前で武道で身を立てることを誓う。
大本教の出口王仁三郎に会い精神的修行も始める。
37歳…大本教本部内に『植芝塾』開講。修業に没頭。
42歳…開眼。『合気の道』主唱。

これは多くの伝記や自伝を読むと統計的に出てくる結論だけれど、
ホンモノの大器の人生は不思議と42歳から突然開けてくる。
その際に覚醒体験をしたと報告している人物が何人かいるのだ。

こちらは植芝盛平42歳の覚醒体験。

たしか大正十四年の春だったと思う。 私が一人で庭を散歩していると、突然天地が動揺して、 大地から黄金の気がふきあがり、私の身体をつつむと共に、私自身も黄金体と化したような感じがした。
それと同時に、心身共に軽くなり、小鳥のささやきの意味もわかり、 この宇宙を創造された神の心が、はっきり理解できるようになった。
その瞬間、私は「武道の根源は、神の愛-万有愛護の精神-である」と悟り得て、 法悦の涙がとめどなく頬を流れた。
その時以来、私は、この地球全体が我が家、 日月星辰はことごとく我がものと感じるようになり、 眼前の地位や名誉や財宝はもちろんのこと、 強くなろうという執着も一切なくなった。
「武道とは腕力や凶器をふるって相手の人間を倒したり、 兵器などで世界を破壊に導くことではない。 真の武道とは、宇宙の気をととのえ、世界の平和をまもり、 森羅万象を正しく生産し、まもり育てることである」と私は悟った。 すなわち「武道の鍛錬とは、森羅万象を正しく産み、まもり、 育てる神の愛の力を、我が心身の内で鍛錬することである」と私は悟った。

(植芝吉祥丸監修『合気神髄』P.53「第2章合気とは愛気である」)


植芝盛平はこの体験の後から合気道を完成させてゆく。
こちらは、われらが白隠禅師42歳の覚醒体験。

法華経を読ましむ。
一夜読んで譬喩品に至り、たちまちキョウ(こおろぎ)の古セイ(雨だれ石) に鳴き 、声声相連なるを聞きて、豁然として法華の深理に契当す。
初心に起す所の疑惑、釈然として消融し、 従前多少の悟解了知は大いにあやまって会することを覚得す。
経王の王たる所以、目前に燦呼たり。
覚えず声を放って号泣す。
初めて正受老人平生の受用を徹見し、 及び大覚世尊の舌根両茎の筋を欠くことを了知す。
此れより大自在を得て仏祖向上の機、 看経の眼、徹底了当して余蘊なし。

(東嶺禅師(白隠の弟子)『白隠禅師年譜』)


法華経を読んでいたら法華経の秘密に突然触れてしまって法悦の涙を流し、
大自在境に突入したとある。白隠はここから84歳までの生涯を布教にささげた。

またエレンベルガーが研究したフェヒナーも42歳の覚醒体験を自覚している。

視覚現象の研究の結果、彼は視力をそこない、 一八四〇年(三十九歳)になると消耗し、虚脱状態におちいって、 以後三年間は専門的活動を諦めねばならなかった。 現在の診断用語でいえば、心気症を伴う重い抑うつ神経症の状態であろう。
病気の間、彼は隠棲して暮らすべきだと感じ、 暗い部屋の中で、ほとんど食事もせずに日を送ったが、 治療は医学的なものでなく何か特別な方法によらねばならないと思っていた。 三年の抑うつの後、フェヒナーは健康をとりもどし、 神に選ばれたという誇大的観念を招き、今や世界の謎をすべて解くことができると感じた。 ニュートンの万有引力の法則が物理学の世界の原理であるのに匹敵するような、 精神界についての基本的・普遍的原理を発見したと確信したのである。 これを彼は「快楽原則」(pleasure principle)と呼んだ。

(福島章『創造の病―天才たちの肖像』P.228「3 フェヒナーの神経症と創造活動」)


この後フェヒナーは物理学教授から哲学教授に転身。
「快楽原則」の概念を発展させ精神生理学の創始者として知られるようになる。

この覚醒体験はどういうわけか42歳と相場が決まっているようなのだ。
さらに共通点として人生を決定づける智慧を勝ち得ていることも挙げられよう。

こちらはユングの回想。

○このころに私が経験し書きとめたことがらを 私の科学的な研究という容器の中で蒸留してゆくのに実際上四十五年間を要した。
○私の仕事はこの白熱している材料を世界のこの時代の像の中に組みいれてゆくことに、 多少とも成功的に努力することであった。
○私が自分の内的なイメージを追求していたころは、 私の生涯において最も大切なときであった… つまり、 そのときに、すべての本質的なことは決定された。 すべてがそれから始まったのだ。

(『ユング自伝機-P.283「此〔軌媼韻箸梁亰茵)


「このころ」というのは精神医学者のいう“精神分裂病”の症状を示していた頃。
1912年から第一次大戦終結の頃らしいので37歳から42、43歳のことだ。

ユング自身は精神病ではなく自分の無意識と対峙していたと認識していて、
その過程で得られた智慧がその後の人生を決定づけたと言っているのである。

当然ボクはこの創造の病を38歳頃から42歳までの空白期間に当てはめてみた。
そうしてみたところ運命のジグソーパズルは一気に完成をみることになる。

実に『創造の病』とはわれわれ禅者の“魔境”と“縁覚道”へのプロセス。
さらには“性エネルギー転換”のことだったのである。

矢印マーク 『 合気神髄―合気道開祖・植芝盛平語録』

これは宮本武蔵の『五輪書』を完全に越えている。
禅の十牛図で言えば宮本武蔵は『騎牛帰家』止まり。
植芝盛平は57歳で『忘牛存人』の境地に入った。
いうなれば植芝盛平は武道仙人だ。

青雲水

魔境

緑雲水

『魔境』…創造の病(2)


(2)抑うつ、疲憊、いらいら、不眠、頭痛、心気症、心身症などの神経症的症状を伴う。 特にユングは幻聴や幻覚といった現代の医者が診れば精神分裂病と診断されかねない精神病的症状を示した。 症状には変動と変遷がある。


創造の病の二番目の条件は『魔境』を意味している。
これもまた禅者の常識と言ってよいだろう。

魔境の期間はさまざまな幻聴や幻覚に悩まされるという。しかし、
幻聴や幻覚といっても煩悩だらけの自我を鏡のように映したイメージ映像。
解決されることを待っている心の問題を指し示しているにすぎない。

高次の認識にとって、内界は外界の一部分となる。 ちょうど自分の周囲を鏡で囲まれた人が、自分の姿をあらゆる側面から、 よく見ることができるように、高次の世界の中では人間の魂的本性が鏡像となって、 その人間の前に立ち現れてくる。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.180「霊界参入が与える諸影響」)


心の中にある問題を具体的なイメージ映像として見ることによって、
坐禅修行者の問題克服の進捗は加速度的になるのである。

しかし、この段階に到達するまでに内観の修行を十分積んでおかないと、
ユングの指摘するように打ち砕かれてホンモノの精神病者と化す。

たえまのない空想の流れが開放された。 私は夢中になってしまわずに、 これら奇妙なことがらを理解する何らかの方法を見出そうと最善をつくした。 私は異なった世界の前に、どうすることもできず立ちすくんでいた。 つまり、その中のすべてのことは難しく、理解し難いように見えた。 私は不断の緊張状態の中に生きていた。 しばしば私は巨大な岩が私の上におちてくるかのような感じをもった。 雷雨がたえまなくおそってきた。 この嵐に私が耐えぬけるかどうかは、動物的とでもいうべき力の問題であった。 他の人たち−ニーチェ、ヘルダーリンや多くの人たち−は、 これに打ちくだかれてしまったのだ。

(『ユング自伝機-P.253「此〔軌媼韻箸梁亰茵)


まさしく魔境を克服できるかどうかは天才と秀才を分ける分水嶺なのである。

矢印マーク 『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』

坐禅修行のプロセスを正確に記述してある唯一の本。
(2011年1月現在・ボク調べ)
こういう本が市場に出回っている現在、
秘密にしておくことなんてもはや何もないはずである。
そろそろまともな禅書を誰かが出版しても
いいのではないだろうか?

縁覚道

『縁覚道』…創造の病(3)


(3)症状は数年に渡るのが普通。その間は社会から完全に孤絶する。 表面的な接触をもつ場合にも、心は完全に内面の作業に没頭。


創造の病・三番目の条件は『縁覚道』で『魔境』の辺りから本格的に突入する。
『魔境』というのは縁覚道の入口で起こる現象なのだ。

法華経では縁覚道は十二因縁を知ることによって修行する過程と説く。
その十二因縁とはこういうものだそうである。

『十二因縁』


無明…生の根底にある暗がり。迷い。
行…生きようとする本能。現世につながる過去世の行ないの集積。
識…知覚し識別する働き。胎内での意識の宿り。
名色…事物を名づけ認識の対象とすること。意識の形成。
六入…眼・耳・鼻・舌・身の五感と意(心)。すなわち六根の備わり。
触…知覚と認識の対象に触れること。
受…対象を受容すること。
愛…対象に愛着をもち、自我を形成すること。
取…対象への執着。確立した自我から逃れられないこと。
有…存在し、生存すること。迷いの世界で業を重ねていくこと。
生…それぞれの定めによる出生と生存。未来につながるものの形成。
老死…老いと死。

(参考『法華経大全』P.089-090)

『十二因縁の解釈』


これはものごとの因縁や縁起の法則を表したもの。
人間は智慧のない存在である(無明)から、 肉体や感覚器官や心(行・識・名色・六入・触・受)が備わっている。 それがために愛憎や執着(愛・取)を生じ、迷いの世界で彷徨い(有)、 輪廻を繰り返すから(生)、老死を体験し苦しまなければならない。
だから無明から順次に滅して、 ついに生を滅したら老死を体験しなくていい。 そうなれば憂い、悲しみ、苦悩はなくなる。

(参考『法華経大全』P.089-090)


「だからどうしろというんだ」と文句の一つも言いたくなるだろう。
もちろんボクだってさっぱり意味不明だからとばっちりは御免こうむる。

というのもボクらは十二因縁を知るための霊眼・霊耳を持たないからである。

十二因縁を知るとは肉体の感覚器官の束縛から逃れることだそうなので、
霊体の感覚器官である霊眼・霊耳を養生して肉体の束縛を越えないかぎり、
そもそも十二因縁なんて理解できるはずもない。

また霊体の感覚器官を養生するとは気の身体を養生することに他ならない。
ために坐禅修行とは気の身体を養生し霊眼・霊耳を備えることなのである。

矢印マーク 『図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説』

妙法蓮華経とは、最後まで読みきっても、
「どうせ読んだってわからん」としか書いてない経典。
それでも諸経の中の王なのである。
とても読みやすい現代語訳総解説。
読んでもわからん。だけど読む。それが法華経。


その霊眼・霊耳を備えた様子をシュタイナーはこう表現する。

比喩ではなく、現実の事件として、ひとつの誕生が霊界の中に生じたのである。 したがって新しく生れた者、すなわち高い自我は、 生き続けるために必要なすべての素質や器官をもたねばならないのである。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.184「霊界参入が与える諸影響」)


この高い自我は縁覚道突入以前に育んでおく必要がある。

人間の高い自我も、すでに地上生活の間に霊界の法則によって生きている。 そして胎児が暗い生命感情を頼りに、必要な力を身につけていくように、 高い自我を生む以前の人間も、予感を頼りに霊界の力を身につけていくことができる。 実際、高い自我が霊界で十分発達した存在として出現するためには、 このような地上生活での作業がどうしても必要になる。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.185「霊界参入が与える諸影響」)


せっかく創造の病の過程に入ったのに魔境の段階で打ち砕かれてしまう人は、
不十分な修行のせいで盲目のまま霊界に生まれついてしまったのである。

また霊界とは創造の病の期間にユングの対峙していた無意識の世界のこと。
つまりユングは霊界の視点で十二因縁を学んでいたということになる。

私は恐るべき洪水が北海とアルプスの間の北の低地地方をすべておおってしまうのを見た。 その洪水がスイスの方に進んでくると、われわれの国を守るために山がだんだんと高くなっていった。 私は恐ろしい破局が進行しつつあることをさとった。 私は巨大な黄色い波や、文明の残がいが浮かんでいるのや、無数の多くの溺死体を見た。 すると海全体が血に変った。 この幻覚は一時間続いた。私は困惑し吐気をもよおした。 私は自分の弱さを恥かしく思った。

(『ユング自伝機-P.251「此〔軌媼韻箸梁亰茵)


これは第一次大戦の予知だったのだけれど重要なのはそこではない。

ユングが「私は自分の弱さを恥かしく思った」と回想しているように、
魔境・縁覚道では無意識界の視点から己の無智ぶりを学んでゆくわけである。

もしも予知や幻覚のイメージ映像に囚われて自分の心と対峙しなかったら、
ユングは創造力を発揮することなく予知能力者として落着していただろう。

42歳の覚醒体験を経てきた大器たちは無意識界を探求することで、
己れの人生を決定づける智慧を引き出す方法までをも学ぶ。
このことは縁覚道の扉を開くのは夢であることを考えるとわかりやすい。

矢印マーク 『まだ見ぬ書き手へ』

救済の文学を志す天才作家は必読である。
もちろん、そんな人がいればの話ですけど…。


たとえばこれは作家の丸山健二。

深夜に見る夢も大切ですが、 それよりもっと素晴しい閃きを得るのは朝目が覚める寸前の朦朧とした状態です。 どういう理由でそうなるのかよくわからないのですが、 しかしその一瞬に大きな閃きを爆発的に得ることがあるのはたしかです。 このときの閃きは、夢とは異なり、ヒントなどという生易しいものではなく、 それだけで作品の全体を構成してしまうほど素晴しい、 啓示と呼んでもおかしくないほどのものなのです。

(丸山健二『まだ見ぬ書き手へ』P.62-63「興颪ながら書き方を身につける」)


目が覚める寸前の朦朧とした状態は潜在意識と顕在意識の境界と説明される。

この潜在意識は大乗仏教の唯識論では阿頼耶識(あらやしき)と呼ばれ、
そこにあらゆる因縁の種子が植えつけられていると論じられる無意識層だ。
啓示にも似た爆発的な閃きの源泉はこの阿頼耶識にある。

ただし無意識の層は阿頼耶識だけではなく二層構造になっているらしい。
阿頼耶識の前に立ちはだかる末那識(まなしき)の層を通過しなければ、
阿頼耶識に到達することはならずこの末那識こそ煩悩の層とされる。

したがって丸山健二は末那識の煩悩を浄化することに成功しているため、
阿頼耶識に到達する経路を知っていると説明できるだろう。

そして縁覚道はこの潜在意識層を顕在意識化する過程に他ならない。
その兆候は眠っている間にみる夢の変化に現れてくるのだけれど、
『ジキルとハイド』で有名なスティーヴンソンが興味深い報告をしている。

彼は子供の時分には悪夢に相当苦しめられていたそうだ。
ところが大人になるにつれて夢を制御する技術を身につけるようになり、
ついには夢の営みに劇的な変化をもたらすことになる。
ブラウニー<小妖精>と呼ぶ小人達が夢の中に現れて物語を作り始めたらしい。

寝ていようと覚めていようと、スティーヴンソンと、 夢の中の<小人たち>と彼が呼ぶものは市場向けの物語をつくるのに忙しかった。 とりわけ、お金に窮しているときには、こんなことがあった。
…たちまち小人たちも金の工面に奔走しはじめて、 徹夜で働き、ライトで照らしだされた舞台で徹宵(てっしょう)つくり話を組立てるのだった。 もう夢を怖がることはなかった。 消し飛ぶ心臓や凍った頭皮はもう過ぎ去ったことだ。 喝采、いやます喝采、ふくれ上がる興味、 うまくやったという歓喜(なにしろ手柄はぜんぶ自分のものなのだから)。 そして、ついに喜びのきわみでぱっと目が覚めて、 いまにもこう叫びだしそうだ。「やったぞ、これでうまくいく!」

(パトリシア・ガーフィールド『夢学(ユメオロジー)』P.93「第三章 クリエイティヴに夢をみた人びと」)


このように悪夢を克服する過程でみずからの潜在意識層を知らずに開拓し、
夢を創造活動に活かすようになった人物は少なからずいるものなのだ。

矢印マーク 『夢学(ユメオロジー)―創造的な夢の見方と活用法』

夢は創造性の扉。
夢を制する者は人生を制する。


これはシュタイナーによる縁覚道突入の兆候としての夢の変化の解説。

前章に述べた発展段階に到達した兆候、 もしくはやがて到達しようとする兆候は修行者の夢の中に現れてくる。 これまでの混乱した、恣意的な夢が、今や規則的な在り方を示し始める。 夢の形象が日常生活の記憶表象と意味深く関連するようになる。 夢の法則、夢の原因と結果が認識できるようになる。 そして夢の内容もまた変化する。これまではただ、日常生活の余韻、環境の歪曲された印象、 もしくは自分自身の体調の反映でしかなかったところに、 今やこれまで経験したこともないような世界の心象風景が現れてくる。 勿論夢としての一般的な性格は存続している。 すなわち夢は覚醒時の表象とは異なり、表現しようとするものを象徴的に表す。 夢の注意深い解釈者なら、この象徴的意味を見逃すことはないであろう。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.189「神秘修行者の夢に現れる変化」)


さらにこの夢見の状態と日常の覚醒状態との垣根はやがて取り払われてゆく。

やがて、これに続く段階に到ると、修行者の夢は、 もはやこれまでのように悟性の思慮深い支配の外に逸脱することなく、 覚醒時の表象や感覚のいとなみと同じように、 この悟性の制禦を受け、それによって秩序を与えられるようになる。 夢と覚醒状態との間の区別がますます少なくなっていく。 夢見る修行者は、夢を見ている間も文字通り目覚めている。 すなわち彼は自分をその夢幻劇の演出家であり、監督であると感じているのである。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.190-191「神秘修行者の夢に現れる変化」)


未熟な坐禅修行者が廃人になるのはこの夢と覚醒状態との区別のなくなる頃。
行ばかり先行して洞察力を磨かなかったため、幻覚や妄想の餌食となり、
ただの精神異常者と化すのである。

ユングの場合は患者を通してその危険性を予め知っていたらしい。

私の心の中の「地下」において動いている空想を把握するためには、 私は、いわば、その中に自分を沈めてしまわねばならないことも知っていた。 私はそれについての強い抵抗を感じるのみならず、 はっきりとした怖れをも感じていた。 というのは、私は自分自身に対する支配力を失い、空想のえじきになることをおそれていた。 そして、精神科医として、それが何を意味するものであるかをあまりにもよく知っていたからである。 しかし、長い間ちゅうちょした後に、私は他に道のないことを見てとった。 私は一か八かの冒険をしなければならず、それらにまさる力を獲得するように努めねばならなかった。 というのは、私がそうしないならば、 無意識内の空想の方が私より力が強くなるという危険を冒すことになると知っていたからである。

(『ユング自伝機-P.255「此〔軌媼韻箸梁亰茵)


面白いことにユングが『夢判断』の著者・フロイトと出会った1907年は32歳の頃。
ボクの仮説では自己変革のためのツールを手に入れる歳なのだけれど、
ユングは坐禅の代わりに夢判断をツールとして選択していたことになる。

すなわち夢の象徴的意味を解釈する事情練磨を積んでいたおかげで、
魔境・縁覚道における幻覚への洞察力を自然に身につけることになったのだ。

そして一か八かの冒険に成功したユングは魔境から本格的な縁覚道に突入した。
そこからユングの高い自我との対話は始まり、その存在をフィレモンと名づける。

私の空想の中のフィレモンやその他の像は、 心の中にわたしがつくりだすのではなくて、それらが自分自身をつくり出し、 それ自身の生命をもつのだという決定的な洞察を私に痛切に感ぜしめたのである。 フィレモンは私自身のものではないひとつの力を表していた。 私の空想の中で、私は彼と会話をした。 そして、彼は私が意識的には思っても見なかったことをのべた。 というのは、話をするのは私ではなく彼であることを私ははっきりと観察したからである。

(『ユング自伝機-P.261「此〔軌媼韻箸梁亰茵)


後にインドのヨガ行者との対話でフィレモンこそ内なる正師であったことを知る。

私はちゅうちょしながら彼自身のグルーについて、 その人や性格などを話してもらえないかとたずねた。 すると彼はあたりまえの調子で「はい、私のグルーはチャンカラチャルヤです」と答えた。
「それは何世紀も前に死んだヴェーダの注釈者のことではないのでしょうね」と私はたずねた。 すると驚いたことに、
「いや、その人のことです」と彼は答えた。
「では、あなたは霊のことをいっておられるのですね」とたずねると、
「もちろん、彼の霊のことです」と彼は同意した。
ここで、私はフィレモンのことを思った。
「霊的なグルーもあるのです。ほとんどの人は実在のグルーをもっていますが、 自分の師として、誰かの霊をもっている人も必ず何人かはいます」と彼はつけ加えた。
この話は私にとって啓発的であったし、安心感を与えるものであった。 こうだとすると、明らかに私は人間世界の外にとび出したのではなく、 同じような努力をしている他の人にも生じるようなことがらを経験しつつあっただけなのだった。

(『ユング自伝機-P.262「此〔軌媼韻箸梁亰茵)


グルーとは正師のこと。
内なる正師は自身の高い自我なのだけれど、分離感に囚われている間は、
自分とは別個の存在として認識してしまうようなのだ。

この内なる正師との対話が始まった後の目標はそれに全面的に随うことである。

特に彼は自分の高い自我が霊界の中に存在しているのを認識することができる。
― 次の課題はこの高い自我の中に没頭することである。 すなわちこの高い自我を自分の真の本性と見做し、それに則って生活することである。 ますます彼は自分の肉体や以前「私」と呼んでいたものが、 この高い自我のむしろ道具に過ぎない、という生きいきした想念や感情を抱くようになる。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.193「神秘修行者の夢に現れる変化」)


するとやがて夢を見ていない深い眠りの状態をも意識化できるようになる。
また気の身体も完成に近づき肉体感覚に左右されることもなくなってくる。
すなわち思考や感情や意志は肉体の束縛から逃れ自由になるのだ。

そうしてこの悟境に到達してようやく十二因縁を理解できるようになる。
ものごとの縁起を知って目覚めてゆくから“縁覚道”というわけだ。

桃雲水

大ぷっつん体験

赤雲水

『大ぷっつん体験』…創造の病(4)


(4)自分の創造的な仕事こそがこの「症状」の原因であり、 仕事の達成こそが真に唯一の治療手段であるという自覚がある。


縁覚道の期間は遁世状態。俗的に言えば“引きこもり”のようになるらしい。

ユングもフロイトと喧嘩別れして学会から追放されたようになったから、
この縁覚道の期間は仕事らしい仕事をしていなかったのだ。

そこから抜け出す鍵は“大ぷっつん体験”にある。

私は自分の前に平坦な道のひらけているアカデミックな経歴を続けるか、 私の内的人格の法則、つまり、より高い理性に従い、 無意識との対決における実験という奇妙な仕事をもって進んでゆくか、 その選択を迫られていると感じた。 しかし、それが終るまでは、私は公の場に出ることはできなかったのだ。
そこで、意識して、私は自分のアカデミックな経歴をすてた。 というのは、何か偉大なことが私の中に起こりつつあると感じ、 私が永遠の相の下でより重要であると感じることに信頼をおいたからである。 私は、それが私の人生を満たすだろうと知っていたし、 その目的のためには、どのような危険もおかす用意があった。

(『ユング自伝機-P.275「此〔軌媼韻箸梁亰茵)


天職を確信しフロイトの下で築いた経歴を捨て独自路線を貫く覚悟を決めた。
この“大ぷっつん体験”が創造の病第四の条件である。
換言して“天命への屈服”とか“使命感の確立”と呼んでもよいだろう。

おしなべてボクら禅者は『眠りながら成功する』わけある。
そしてこれは知る人ぞ知る有名な自己啓発書のタイトルでもある。

矢印マーク 『眠りながら成功する―自己暗示と潜在意識の活用』

胡散臭くとも書いてあることは本当である。
効果の出ない原因は二つ。
一つはチベット体操と坐禅をしないこと。
もう一つには時節が到来していないからさ。


胡散臭いタイトルを本屋のブックカバーに覆われて本棚にひっそり鎮座している。

自己啓発書とはそういう扱いを受ける宿命にある本のようだけれど、
そのタイトルを胡散臭いと思うのは人間として未成熟な証拠である。

たとえば『思考は現実化する』。

そもそもこれだって禅者の常識ではないか。

(2012.3)

矢印マーク 『思考は現実化する』

胡散臭くとも書いてあることは本当である。
効果の出ない原因は二つ。
一つはチベット体操と坐禅をしないこと。
もう一つには時節が到来していないからさ。

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