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【坐禅作法17】大器になる人の三十路の歩き方

ちょっとはマシな坐禅作法 大器になる人の三十路の歩き方〜才能とは何か4〜

Presented by

〜才能とは何か4〜


坐禅とは“ぷっつん”することと見つけたり!

考えてみれば坐禅というものは滑稽な話だ。

ただ坐るだけのことを極めようというわけだから、
それもいい歳こいた大人がただ坐っているだけなのだから、
常識的に考えれば不可解きわまりない行為だとおもう。

しかも日本の坐禅の伝統はさらなる亜流を生み出し、
お茶を飲むという行為を極めようとした変人まで出現することになる。

狭い空間にちんまり座って、器をくるくる回したり、
欠けた茶碗を褒(ほ)めてみたりなんかするくせに、
「御託(ごたく)はいいからとっとと飲もうぜ」と言う者が嘲笑されるらしい。

この“ぷっつん”具合ときたらわれらが坐禅と双璧である。

坐禅とは“ぷっつん”することと見つけたり!

矢印マーク 『半生の記』

松本清張の作家デビューまでの半生を記した私小説。
みずから「どうせ面白くなりっこない」と呟きながらも
編集者にのせられて書いてしまったらしい。
たしかに面白くない小説だけれど価値ある作品ではある。


さて「才能とは何か」では、しばらく同じテーマを掘り下げていこうとおもう。
題して『大器になる人の三十路(みそじ)の歩き方』。

20代で“30代へのパスポート”を手に入れた人は、
閑居して不善をなしているような30代を経験することになる。
とはいえ、その状況は決して零落(れいらく)と呼ぶようなものではない。
たとえるなら影をひそめて海の底で待機している潜水艦のごときものだ。

この時期の経験はまさしく従来からの価値観を激しく揺さぶるもので、
直観ないしは本能にしたがって新たな人生航路の舵をきりはじめた人は、
ついに40代を迎えるにあたって突然のように急浮上していく。

つまり30代で人生のどん底を経験した人物は、
その間に期せずして意欲と才能を育むことになり、
気づいたらいつの間にやら大器となっているのである。

これが古今東西まったく変わらない法則として存在しているようなのだ。

その鍵となるのはボクが“ぷっつん体験”と呼んでいる運命の儀式。
この三十代にある“ぷっつん体験”を経た人だけが大器になる資格を持つ。
すなわち大器にとっての三十路というのは“ぷっつん街道”といってもいい。

ボクはこの法則を何冊かの自伝を読んでいる中で発見した。
その法則を体現した一人が今回紹介する芥川賞作家・松本清張である。

この三十路の“ぷっつん街道”をゆく者は本質的に同じ道を歩む。
各々の置かれる国籍や環境は違っても体験の本質を同じくするものだからだ。
そこで誰を紹介しても一緒なのだけれど、とりわけ松本清張は適任だと思う。
一つめの理由は清張自身が作家であり、心理描写に長(た)けていること。
もう一つには自身の悩んできた劣等感を告白した私小説の存在による。

赤雲水

文豪・松本清張の創作の秘密

黒雲水

清張の作家デビューは処女小説『西郷札』の入選した1951年、41歳の頃。
芥川賞を受賞した『或る『小倉日記』伝』を執筆したのが42-43歳の頃なので、
ちょうど42歳の厄年の時分から飛躍しはじめた人物と言っていいと思う。

一般には長編の推理小説作家として知られていると思うけれど、
作家デビュー直後は短編小説を熱心に手がけていて、
「劣等感」や「社会的孤立」を主題とした作品を書いていた。

これは劣等感や社会的孤立にさいなまれる30代を余儀なくされたものだから、
それに決着をつけるための鎮魂歌みたいなものだったのかもしれない。
この自身の苦悩克服の体験は鋭い人間洞察眼を生むことになり、
「社会派推理小説」と呼ばれるような新たな地平を創造することになる。

それまで推理小説といえば、トリックや本格推理に傾いたマニア向けの
お遊びみたいなものだったところに、人間の心理描写を持ち込んだのが清張なのだ。

動機を大切に描くこと、これは人間が異常な出来事にぶつかった場合、 日ごろ心の奥深くひそんで、自分自身にもまったく分からなかったような意識が、 思いがけず飛び出してきて、われわれに思いがけないような行動をとらせる。 だから推理小説においては、この動機を重要に扱うことによって、 人間の心理なり、性格なりを、引きだして描写することができるはずだ、 と、私は考えたのであります。 これは近代の小説が、すべて心理描写に力点をおいているのと、 まったく同じ行き方であると思います。

(『推理小説作法』-「推理小説の発想」より)


清張の執筆活動は推理小説に留まらず、時代歴史小説や古代史研究にも及び、
幅広いジャンルで活躍しただけでなく、非常に多作でもあった。

そこで、その発想の源泉はどこにあるのかということが、
せんさく好きなボクたち凡人の興味の対象となるわけだけれど、
清張は『推理小説作法』の中にこんなことを書き残している。

発想は机の前にすわってシンギンしても浮かぶものではない。 むしろトリックとかアイデアというものは風呂の中とか、 夜、寝床にはいってボンヤリしているようなときに、 ポツンと浮かんでくるもので、 こればかりはいくら考えてもそう理詰めに答の出てくるものではないのです。

(『推理小説作法』-「推理小説の発想」より)

たとえば、バスの中で電車に乗っていて、ちょっとした考えが頭の中に浮かぶことがあります。 これはヒント程度です。乗り物は込みあうほどよろしい。 真中に挟(はさ)まれて無心になれます。この無心の状態が最良の条件です。

(『推理小説作法』-「推理小説の発想」より)


「幼いころから興味のあることならなんでも挑戦させてくれる両親だったから、
その延長でいまでも多読なのでアイデアの源泉はそこにある」
などの分かりやすいものではなく、ボンヤリと無心のときにポツンと浮かぶと言う。
どうやらボクら凡人の興味なんかまともに取り合ってはくれないらしい。

処女小説『西郷札』を書いた経緯(いきさつ)についても、こんな感じである。

文学とか小説とかいうことに下心のない私には無関係なことだったが、 ある日、必要があって百科辞典を繰っていると「西郷札(さいごうさつ)」という項目が目についた。 何気なく読んでいると、その解説から一つの空想が浮んだ。 私にはなんだかその空想が小説的のように思われた。つまり、小説になるように考えられた。

(『半生の記』-「あとがき」より)


清張の憎らしいところは作家になろうという魂胆のまったくなかったことにある。
『西郷札』を懸賞小説に応募した理由も「生活費の足しが欲しかったから」なのだ。
さすがは戦後日本を代表する文豪・松本清張である。“おちょくり”も半端ない。

だから清張には「どうして世の中はオレのような天才を見抜けないんだ」
なんて不満を抱きながら小説を書きなぐっていた習作時代というものはない。
まるで小説家になるべくして小説家になったと言わんばかりの半生なのである。

ただし、おそらく三十路の歩き方に清張の秘密があるというのがボクの見解だ。
それではしばらく私小説『半生の記』から秘密を読み取ってみることにしたい。

矢印マーク 『推理小説作法―あなたもきっと書きたくなる』

江戸川乱歩と松本清張の共編という豪華な企画。
ちょっと古いので推理小説の古典を読むなら、
良いガイドブックになりそう。

松本清張の十代・二十代

清張の苦悩の始まりは非常にわかりやすく、“学歴コンプレックス”である。

商才のない両親が商売を始めては失敗することを繰り返していたから、
尋常高等小学校を卒業してすぐに川北電気株式会社の小倉出張所・給仕となる。

倉田百三の「出家とその弟子」が今でいうベストセラーになっていた。 ある晩、市内のある寺で、その朗読会があるというので行ってみた。 暗い本堂で、五、六人の若い男女がセリフの読み合いをしていたが、 そういう雰囲気が私にはひどく高尚に思われた。 とても私などが参加するようなグループではない。 小学校卒、会社の給仕という、自分ながら最下層にいる者にはとてもよりつけないと考えていた。
その頃の私はかなり前途に望みを失った気持ちだった。 勤めている会社は不況に喘ぎ、無謀な社債発行によって窮境を抜けきろうとしていた。

(『半生の記』-「途上」より)


そして清張の不安はみごとに的中。小倉出張所閉鎖の憂き目に会って失職する。

その後、モノ書きの職業に憧れはあったから、その世界に少しでも近づこうとする。
そこで印刷所の見習い技師として働き、手に職をつけることにしたらしい。
おそらく学歴コンプレックス克服の手だてとしての意味もあったのだと思う。

私はいつの間にか二十五になっていたが、待遇はやはり見習いである。 ときたま、昔の小学校の同級生が背広などきて歩いているのに出遭うと情なかった。 私は着物を着て下駄ばきで通い、その勤め先で汚ない作業服に着替えるのだった。 やがて、その印刷所も潰れてしまった。

(『半生の記』-「彷徨」より)


こういう学歴コンプレックスを抱きながら十代・二十代を過ごしている人は、
清張の過ごした戦前に限らず、現代でも多いことだろうと思う。

ただしこの漠然とした恐れや不安は実は学歴に起因するものではない。
各々の潜在意識にこびり付いた劣等感に原因があるからだ。
この劣等感を払拭できないかぎり恐れも不安もその人生に付きしたがう。
この恐れや不安を抱える人は運命の分かれ道で必ず不幸になる道を選ぶのだ。
逆に言えば劣等感を乗り越えたときから人生は開けるようになっているのである。

清張も手に職をつけたところで不安を払拭できないことを思い知ったようだ。

私はこの妹(注:知人Hの妹)と結婚したい気持はあった。 Hも妻(注:Hの妻)も私がそう言い出すのを待っているようでもあった。 しかし、私は自分の収入ではとても家庭が持てるとは思えなかった。 そのとき、私は二十六歳だったが、散々見てきた印刷職人の生活不安に結婚の自信を失っていた。 父も母も、まだ魚の行商をしていた。 こういうわびしい家に、その妹を引き入れる勇気はなかった。 私はいつまでも何も言わなかった。

(『半生の記』-「暗い活字」より)


そして印刷所は倒産。それを機会に印刷職人として独立した。

25歳の厄年前後で“独り立ち”を模索した人に“30代へのパスポート”は与えられる。 つまり、この独立が松本清張30代の試練を決定づけることになったのである。
実に厄年は“運命の地図”を示しているのだけれど世間では迷信されているのだ。

高度経済成長期と違って今では大卒の新入社員が2〜3年で辞める場合が多い。
それはよい傾向で、時代の変化のおかげで25歳の厄年前後に正しい選択をする人が増えているのである。

ただし大切なのは30代での価値観の転換であるから、そこで安心してはいけない。

独立後の清張は朝日新聞九州支社の広告版下制作者として採用された。
嘱託としての扱いだったから歩合給ではあったけれど、
とりあえず生活を安定させるには足りたようである。

この頃から清張の三十代は幕を開けることになった。

青雲水

松本清張の三十代

もちろん朝日新聞社の看板で心を満足させるほど清張の精神はたるんでいない。

朝日新聞社に勤めている間、私は概して退屈であった。 生活が最低の線で保障されていたため、一日一日を生き抜いて行くという緊張感を失った。
仕事の無気力は生活を空虚にした。 大きな機構の中の片隅の職場に居ると、実力の評価は顧みられない。 というよりも、存在そのものが認められないのだ。 このような下積みの者は絶対に浮び上がることはない。

(『半生の記』-「紙の塵」より)


清張は九州支社での採用だったから出世組とは一線を画することになった。
本社から出向してきて栄転してゆく者たちからは相手にもされなかったそうである。

そこで気晴らしに「九州の遺跡めぐり」を趣味としてはじめてみるけれど、
もちろんそんなことで茫(ぼう)として感じている劣等感を克服できるわけもない。

だが、それも一時の気休めでしかない。 結局、そのようなことをしても小さな趣味でしかなかった。 趣味は現実から逃避する一時の睡眠剤かもしれない。 冷めると、息の詰るような空気の中にまた投げ入れられてしまう。

(『半生の記』-「紙の塵」より)


これもまた現代社会においても変わらず存在している苦悩の一例であろう。

たとえばバブル景気の崩壊以降から正社員と派遣社員の違いが顕著になった。
先細りの将来しか描けない派遣社員と将来を約束された正社員。
この二つを対比して世間一般の人たちは正社員になりたがるものだし、
たとえ希望にかなわない仕事でも趣味に興じて妥協と逃避を肯定しようとする。

まったく浅はかな決断だ。それは必ずしも本当の幸福を約束するものではない。
もうしばらく清張の足跡をみればそんなことはどうでもよくなるだろう。

清張はほどなくして嘱託の地位から正社員の地位に変えてもらうことができた。
ただし正社員になったところで清張の苦悩の原因である劣等感を払拭することは、
とうてい叶わなかったのである。

建設的なものをもてと言っても、一体、私に何が出来るだろうか。 仮に些少(さしょう)の才能があるとしても、それを生かす機会はない。 貧乏な私は商売をする資金もなく、今さら転職もできなかった。 このまま停年を迎えるかと思うと私は真暗な気持ちになった。 私といっしょに仕事をしていた一つ年上の仲間は、 いずれ年を取ったら老眼鏡を掛けて版下を描くようになろうと自嘲(じちょう)していたが、 全くそれ以外に途(みち)は無いようであった。

(『半生の記』-「紙の塵」より)


こんな感じだから徴兵されたときにもさほど苦痛を覚えなかったらしい。

この兵隊生活は私に思わぬことを発見させた。 「ここにくれば、社会的な地位も、貧富も、年齢の差も全く帳消しである。 みんなが同じレベルだ」と言う通り、新兵の平等が奇妙な生甲斐を私に持たせた。 朝日新聞社では、どうもがいても、その差別的な待遇からは脱けきれなかった。 歯車のネジという譬(たとえ)はあるが、 私の場合はそのネジにすら価(あたい)しなかったのである。

(『半生の記』-「紙の塵」より)


ところが清張35歳の頃には終戦。この軍隊生活も二年半ほどで終結してしまう。

さてさて、30代の厄年というのは33歳と37歳頃で二度もある。
とくに大厄と云われている33歳前後は重要で清張はこの時期に徴兵された。
実はこのときの価値観の転換が清張の才能を開花させることになったのである。

30代の価値観の転換は32〜34歳までの3年間に成し遂げなければならない。
この時期の価値観の転換をボクは“ぷっつん体験”と呼んでいるのだけれど、
その“ぷっつん体験”を経過した35歳以降から人間の才能は開花してくるのである。

非日常的な兵隊生活で“ぷっつん”してしまった松本清張は、終戦後、
朝日新聞社の仕事に戻ったけれど担当していた広告の仕事は激減していた。
そこで箒(ほうき)売りの行商をすることを思いつき実践する。

こんな感じで大器になる人は35歳から自身の才能を模索し始めるのだ。
というのも自分の中に何らかの才能が開花し始めていることを感じ取るからで、
とにかく何かを始めなければならない使命感が芽生えてくるのである。

ただし37歳前後にある厄年を経過するまで運命は開けてこないため、
清張の抱える苦悩は次第に猖獗(しょうけつ)を極めてゆくことになった。

以下は『西郷札』のアイデアを得る直前の四十歳頃の回想。

麻雀を終わって、とぼとぼと自分の家に戻ってくる頃には、 冬だとオリオン座が天頂近く昇っている。 ああ、こんなことではいけない。なんとかしなければ、 という焦燥(あせり)とも後悔とも虚無感ともつかぬものが 胃の腑(ふ)に重く落ちこんでくるのだった。

(『半生の記』-「泥砂」より)

砂を噛(か)むような気持とか、灰色の境遇だとか、使い馴らされた形容詞はあるが、 このような自分を、そんな言葉では言い表せない。 絶えずいらいらしながら、それでいて、この泥砂の中に好んで窒息したい絶望的な爽快さ、 そんな身を虐(さいな)むような気持が、絶えず私にあった。

(『半生の記』-「泥砂」より)

家に居てもいらいらし、外に出ても空虚さは満たされなかった。 人の集る街なかを歩いても、わけもなく腹が立つだけだった。 将棋や麻雀をしても、仕事をしていても、私の額からは冷たい汗が流れ、 絶えずタオルが必要で、仲間に笑われた。 神経衰弱になっていたのかもしれない。夜もあまり睡(ねむ)れなかった。

(『半生の記』-「泥砂」より)

家族の多い家に帰るのがうんざりしていたし、外に出ても行き場がなかった。 もし、私にもっと直接的な動機があったら、あるいはそのとき自殺を企てたかもしれない。 だが、そういう強いきっかけさえ身辺にはなく、ただ苛(いら)立たしい怠惰の中に身をひたしていた。 心はとげとげしいのに、身体はけだるく、脳髄はだらけていた。

(『半生の記』-「泥砂」より)


人間の劣等感は社会的地位や経済的安定などで満たされるものではない。

真剣にそれと対峙し克服しようとして二十代を行動した者は、
三十代になると必ず清張のような苦悩を体験することになる。
つまり精神的な八方塞がりの状況に追い込まれるのである。

一方、大器になれずに凡人として一生を終える人はどこかで妥協を覚えている。
たとえば親に勧められた仕事に就いて親孝行をしている自分に酔い、
世間一般の一流や安定などの常識的尺度に乗っかって満足するのである。

たしかに常識的尺度にあやかれば清張のような苦悩を体験せずに済む。
世間の常識とは凡人の凡人による凡人のための考え方なので、
凡人であるための妥協や逃避を弁護する慰めには不自由しないからである。

ただし、それは臭いものにフタをするようなもの。
あいかわらず悪臭を放っているにもかかわらず無視することと変わりない。
言い知れぬ不安を酒と女でうっちゃって酔生夢死の生涯を閉じることになる。
凡人の発想をしているかぎり凡人は凡人でなければならない。これが法則なのだ。

ところが清張は決して凡人としての妥協や逃避を潔(いさぎよ)しとしなかった。
自分の心の中に巣喰っている「これで本当にいいんだろうか…」という
感覚にどこまでも正直に十代・二十代・三十代を生きたのである。

それがために精神的な八方塞がりの状況に追い込まれたのだけれど、
これこそが大器になるために欠かせない“ぷっつん体験”の前提となる。
自分の努力と才覚だけではどうにもならないことを思い知った人は、
運命に抗うことがバカバカしくなって、何のためらいもなく、お手上げしちゃうのだ。

天に抵抗しても無駄だということを思い知ったとき心からガラクタが抜け落ちる。
すると思いと行動の間にスジを通せなかった原因がわかり、心にオトシマエがつく。
これが禅で言う“捨てる”ということであり、それは放棄・離欲の行に通じるものだ。

名利を求める目的(ため)の活動を止める
これを偉大な学者は出家生活と称(よ)び
仕事の結果を期待しないことを
賢者たちは離欲とよんでいる

(ギーター18-2)


放棄・離欲の行を続けて“捨てる”ことの意味を理解するようになる頃から、
運命を天に全托(ぜんたく)するという態度の重要性にも気づいてくる。
なぜなら、そうしてはじめて心は落ち着きを取り戻すからだ。

その結果として清張が天から授かったのが『西郷札』のアイデアなのである。
それは期せずして幼い憧憬にあったモノ書きの道へ通じるものでもあった。

矢印マーク 『聖書―旧約・新約』

イタリア人神父が粋に日本語訳した聖書。
イラスト・地図などの資料も豊富で、
旧約・新約、あまつさえ詩篇もついたお徳な一冊。
聖書は坐禅修行にも必ず役立つ。
かりそめにも軽んじてはならない。


求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。
叩けよ、さらば開かれん。
(マテオ7-7)

総じて運命の扉には正しい叩き方というものがありそうだと感じて欲しい。
どちらにしろ四十一年間は、求め、尋ね、叩き続けなければならないけれど、
それを実践できた人にとって四十二歳の厄年は飛躍の年となるからである。
しかし、四十一年は長いね。

緑雲水

大器になるためのもう一つの課題

桃雲水

ところで清張の抱えていた苦悩はもう一つある。家族関係のことだ。

そもそもの苦悩の始まりは、商才のない両親の生活を支えるために、
小学校卒で働かざるをえなかったことにあるようなものだから、
両親を恨んでもおかしくない半生だった。

しかし、少年時代には親の溺愛から、十六歳頃からは家計の補助に、 三十歳近くからは家庭と両親の世話で身動きできなかった。 …私に面白い青春があるわけではなかった。濁ったくらい半生であった。

(『半生の記』-「白い絵本」より)

一人息子ということで、小さい時から必要以上に両親は私を拘束した。 それは息苦しいほどだった。 ひとりで勝手な行動ができる友だちを、どれほど羨ましく思ったかしれなかった。 それは、この立場に置かれた者でなければ理解はできないだろう。

(『半生の記』-「かささぎ」より)


そのため三十代前半で体験した軍隊生活ではある種の開放感を味わったらしい。

だが、物心がついてからの私には自由はなかった。 だから、二年間の軍隊生活は家族から離れているということで一種の自由感があった。 いやでならなかった軍隊生活だが、その自由さだけは一種の生き甲斐と言ったものを私に与えた。

(『半生の記』-「かささぎ」より)


というわけで、戦争終結後に最寄駅のホームへ帰ってきたとき、
家族を捨ててひとりでどこかに逃げていく想像までしたと告白している。

“ぷっつん体験”には家族関係に新たな折り合いを見出す必要があり、
清張もどこかでその方法を発見したはずなのだけれど、
この辺のことについては残念ながらあまり語ってくれていない。

おそらく語りたくなかったのだろう。

そこで、この辺りの事情についても詳しく自己分析した大器を紹介したい。
その人物は松本清張よりもずっとスケールの大きい偉業を残した心理学者。
偉人の残した業績のスケールは人物の器の大きさに比例するものであり、
また大器になるほど自身が業績を残せた理由をしっかり自覚しているものである。

同時に世間一般のオツムの調子のイマイチな人たちからは誤解されがちなので、
彼の自伝は遺言によって死後発表されたといういわくつきの一冊なのだ。
ために、自己分析については清張よりも詳細を極めているから、
その自伝は禅における心の成長過程を浮き彫りにしたものともなっている。

彼の名はカール・グスタフ・ユング。

深層心理学の祖にしてオカルト心理学の父のように誤解されている人物だ。
どうやらオツムの調子のイマイチな心理学者にはその価値はワカランらしい。
それでもボクは彼を認めている。彼こそは二十世紀の禅者と呼ぶにふさわしいと。

(2011.10)

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