【坐禅作法15】35歳自立説
ちょっとはマシな坐禅作法 35歳自立説〜才能とは何か2〜
〜才能とは何か2〜
マルケン発見!
この間、マルケンのブログを発見した。作家の丸山健二氏のブログ。
『丸山健二のブログ』
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この人の文体が好きだ。
硬派でカッコいい。
マネのできない代物だ。
しかし、たまらんね。この文章。
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若くして芥川賞を受賞して、都会から田舎に拠点を移して小説を書いてる。
文壇に背を向けて孤高の作家道を突き進んでいらっしゃる。
そんな人だ。
この人の転機は35歳にあったらしい。
短編小説を書いてたら創造の深淵を覗き込んじゃったというわけ。
丸山健二氏は20代で作家デビューしてから、
編集者の言われるままに好きでもない仕事をしたり、
生活費に困ったら原稿料の前借りをしたりしながら、
仕事をそつなくこなすようにしていたそうだ。
ところが30代に入った頃からそんな生活に矛盾を感じ始める。
「それは自分の魂を売り渡すことではないのか」
それで前借りを止めたりして、自立のための模索をするなかで、
自分でもびっくりするような短編小説を書き上げる。
それが35歳前後の出来事だったようだ。
おそらくそのとき丸山健二氏はそれまでの価値観を捨てる決意をしたのだろう。
それからマルケンの自立した自由な人生は始まった。
彼に言わせれば夏目漱石も芥川龍之介も三島由紀夫もオカマなんだとか。
「そのへんの二流作家の小説なんか、ぶっちぎってやる」
いいねえ、この感じ。
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“個の自立”と才能
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それで、その後、こんな本も書いている。
マルケンは創造の大海原から“個の自立”というテーマを掴んで泳いで帰ってきた。
これは、その集大成みたいなエッセイ。
『生きるなんて』
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決定的な体験をした人間てのはさ。
底なしの優しさと底なしの非情さっていうのかな。
そういうものを併せ持ってるもんなのよ。
甘ったれた坊ちゃん、嬢ちゃんには、
たぶん、これは読めないぜ。
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自分の才能を開花させようと思ったら自分探しの旅に出たってしょうがない。
“個の自立”にしか答えはないからだ。
本物の夢に向かって自分の才能を開花させようと思ったなら、自立の道を歩むしかほかに方法はありません。
第三章「才能なんて」
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しかも才能の枯渇する人がいる理由も“個の自立”にあるという。
さいわいにもかなりの才能を持って生まれ、また、
それに気づくことに成功してその道を進めたとしても、
自立の度合いが浅いと、せっかくの才能も次第に萎(しぼ)み、
枯渇し、やがては必ず行き詰ることになるでしょう。
そうした転落のコースを辿った芸術家は枚挙にいとまがありません。
もしかれらが自立していたなら、後世に残った作品の数倍、
いや、数十倍も素晴らしい作品が残せたはずなのです。
第三章「才能なんて」
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ここで言っているのは精神的自立のことで経済的自立のことではないから、
勘違いしてはいけない。
生活費を自分で稼ぐことができたというだけでは、とても自立とは言えません。
精神的にいつまでも親離れができず、母親の影に終始付きまとわれ、
母親の代わりとして結婚した妻にいつまでも依存しているようでは、
とても自立とは言えないのです。
わが国では、情けないことに、この手の男が大多数を占めているのです。
第三章「才能なんて」
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それで、どうしてこんな偉そうなことを言えるのかといえば、
要するに35歳で決定的な体験をしちゃったんだな。この人は。
マルケンはその後、その体験で得たものをずっとテーマにしてきた。
それがエッセイにも小説にも重低音のように鳴り響いている。
35歳の決定的な体験が終生のテーマになっているかのようだ。
こういう人には自分には伝えるべきものがあるという使命感が根付いている。
なぜなら、この決定的な体験をした人は、いずれ天職を探し当てるからだ。
したがって、そのアイデアの源泉が枯れることはない。
一方で二流、三流の人というのは、この決定的な体験を欠いている。
そういう人の業績には創造力の源泉から放たれる輝きがまるでない。
だから慧眼の士にかかると即座にバレてしまう。
そこで、夏目漱石の小説は思いつきだけで閃きの欠けているものが多く、
則天去私どころか、こざかしくて噴飯ものだから白々しくてしかたがない。
てなことがマルケンにはわかってしまうのである。
これも35歳のときの“個の自立”の体験のなせる業(わざ)。
この体験だけが人に慧眼を与えてくれる。
するとニセモノがわかるからホンモノを創造する意欲も湧きあがってくる。
したがって、この体験こそ人間が才能を発揮し始める鍵なのである。
いずれ坐禅の修行が進むと孤独の深淵に向かっていることに気づいて
“ハッ”とすることがある。そして恐怖と不安に駆られるんだ。
でも孤独の深淵に降りていかないと創造力の源泉にたどりつけはしない。
そんなときマルケンは禅者の背中を蹴り飛ばして突き落としてくれるだろう。
底なしの優しさと底なしの非情さを併せ持った稀有な作家。それがマルケン。
そんな丸山健二氏がブログを始めた。
すなわち無料で読める。いやはや感無量ではあるまいか?
(2011.7)
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