トップ写真 ゆんフリー写真素材集
Contents menu
Google Search
Google
Web サイト内
関連記事リスト

【坐禅作法13】クンダリニー覚醒と小周天

ちょっとはマシな坐禅作法 クンダリニー覚醒と小周天〜不動の体軸とは何か5〜

Presented by

〜不動の体軸とは何か5〜


もはや後戻りはできない

いよいよ結節解放の実態について第一の結節から解説していこう。

“無念無想”、“結跏趺坐”、“只管打坐”、“身心脱落”などなど…。
ペテン師ばかりの葬式仏教の僧侶による妄想三昧の解説で満足できないなら、
それは多少なりともオツムの調子を取り戻してきた証拠である。

そういうまともなオツムならこの記事を読むに足る十分な資格を持つだろう。
結局、禅の要領は結節を解かなければ伺い知ることはできないものだけれど、
一度解いてみれば凡人がその潜在的才能を眠らせている原因も明らかとなる。

そうなれば呆れるほどの自分の凡人ぶりにも気づいてしまうから、
「こんな身体で今までよく生きてきたもんだ」と関心すると同時に、
「早いとこ修行を完成させてしまおう」と固く決心するに違いない。

さしあたっては、その根拠を明示しておくことで凡人諸氏を挑発したいと思うのだ。

どのみち禅者諸君は遅かれ早かれ体験することになるはずなので、
結節の解かれる兆候および真相について知っておくことは損にはなるまい。
結節について正面(まとも)に解説してある本なんかどこにもなかったから、
ボクも結節を解いたときは何がなんだか分からなくて随分と慌てたものである。

そこで分かれ道まで辿りついた禅者の行く手を示す一里塚としてこの記事を残そう。
もはや凡人には後戻りできなくなるから覚悟を決めておくといい。

というわけでまずは第一の結節のお話。

赤雲水

第一の結節:解放の条件

黒雲水

ボクの第一の結節解放は33歳の初夏。

「チベット体操」というヨーガに似た運動を始めたのが32歳の初春で、
身体の変化に気をよくしたボクは心も変えようと半年後には坐禅修行も開始した。
それから約一年後の初夏に突如として結節が解けた。

ボクの体験から推察すると第一の結節解放の条件は、

1.延髄の経穴活性化
2.心随観修得
3.興菩提心体験

といったことになるだろう。手順もこのとおり。
これら条件の詳細については後の記事で解説するから、ここでは割愛したい。

問題は興菩提心体験の段階で神秘体験を伴なう人がいること。
すると、ほとんどの人がその神秘体験に囚われてしまうのだ。

この段階で授けられる神秘体験というのは、たとえるなら、
かけ算の九九を憶えたときに与えられる及第点みたいなもので、
その体験から得たものを活用することにより初めて生きてくるのだけれど、
その点にはなかなか気づけなくて、結局、進歩が止まってしまうのである。

そうした罠を体験を活かすことで乗り越え、時節の到来を確信できたら、
呼吸法その他の行法でクンダリニー(先天の気)を刺激してやるといい。
そうすれば次の第二の結節もめでたく解放されるという手はずになっている。

わかってると思うけれどこの段階での行法のやり過ぎは禁物だ。

“星まわり”という摂理のあるおかげで、ある年齢に達するまでは何も起こらない。
坐禅の進歩は“星まわり”に象徴される運命の左右する部分も少なくないから、
「先を急いで努力してもまったく無意味である」と断言してもいいくらいなのだ。

人生の適切な時期に種をまき、滞りなく世話をして、晩年の収穫期を迎えた後、
肉体が死を迎える頃になって、ようやく人生の目的を達成できる…

「まことに坐禅修行とは一生かかってするものである」くらいに構えたほうが、
自分の立ち位置を見失うこともなく好都合なのだけれど、たいていの修行者は、
そんな悠長なことも言っていられないほど八方塞がりの人生にあるだろうから、
このことも後の記事で詳細に説明しておかなければなるまい。

とにかく第一の結節解放の兆候を説明するとしよう。

第一の結節:解放の兆候

ボクは32歳の誕生日を迎えた頃から「チベット体操」という儀式を続けている。

矢印マーク 『5つのチベット体操-若さの泉・決定版』

ボクが始めた32歳の頃に比べて愛好者は予想外に増えているようだ。 ネットを探せば動画を公開している人もいるので、 まずは試しにはじめてみたらどうだろう?
効果を確認できたらこの本を読んでみるといい。 指示がいちいち的確であることに気づくだろう。
効果を上げるコツは効かせる気道を意識することだ。


これはチャクラの回転を促すと説明される5つの儀式から成る。

儀式といってもヨガみたいなもので10分程度でひと通り完了するから、
手軽な健康体操みたいなものだけれど、その効果には目を見張るものがあった。
ボクにとっては「人生を変えた体操」と言ってもいい。

このチベット体操は5つの動作を21回繰り返すだけなのだけれど、

「まず3回から始めて週に2回ずつ増やし、10週間かけて21回にもっていく。
なぜなら初心者がそれほど多くの刺激を受けることは好ましくないから…」

などと説明されている。

当時のボクは筋トレマニアで身の程知らずでもあったから、
なんだバカにしやがって…、とばかりに、いきなり21回から始めて後悔した。
この5つの儀式はただの健康体操ではなかったのである。

とにかく三日目くらいからクラクラ目眩(めまい)がしてきて、
とくに後頭部の延髄のあたりが何やらジンジンして頭が重い。
そこで素直に回数を減らして少しずつ21回にもっていくことにした。

後に知ったのだけれど延髄というのは生命エネルギーの取込口とされ、
もっとも重要な経穴があるそうだから、そこが活性化されたのだとおもう。
どうやら、この延髄の経穴活性が第一の結節解放につながったらしい。

ボクが坐禅に入門したのはそれからで、最初にやったのは改宗である。
実家では神棚に大黒・恵比寿が祀られ、仏壇には阿弥陀如来がいるけれど、
それら得体の知れない神仏に見切りをつけて自分の仏性を信じることにした。

次にやったのが過去の清算で、トラウマになっていたことの懺悔である。
「自分は絶対に悪くない」と思い込もうとしてきたことをひとつずつ懺悔して、
「どうやら自分が間違っていたみたいだ」と認めていったのである。

第一の結節が解放されたのはその懺悔の最中だった。

飛び出るかと思うほど強い力で心臓が引っ張られる感覚と同時に激痛が走り、
あげくに呼吸も苦しくなってきたので、身をよじってしばらく耐えていたら、
心臓から何かがスポンと引っ剥(ぱ)がされる感覚とともに激痛が治(おさ)まった。

ボクは小学生の頃から、ときおり狭心症の症状が現れることがあり、
心臓の痛みと呼吸困難を体験していたけれど、この時のものは最後にして最大。
“最後”というのは、このとき以降、狭心症におさらばしたからである。

狭心症の原因というのは第一の結節なのではなかろうか。

その数日後のボクが興菩提心体験と呼んでいる軽い神秘体験を経て、
第二の結節解放に至るまでは数ヶ月しかかからなかった。

青雲水

第二の結節:解放の条件

黒雲水

ボクの第二の結節解放は33歳の晩秋。

第二の結節解放の条件は最も重要である。

1.ぷっつん体験

この“ぷっつん体験”というものが坐禅修行の入口である。
人間は普通に生きていたら意識に浮かぶ表面的な記憶や印象しか認識できない。
いわゆる顕在意識と呼ばれる領域の範囲内で生活しているわけだ。

坐禅は顕在意識に浮かんでくる記憶や印象を鎮めて潜在意識に働きかける。
その入口では普段は意識していない複雑な心の闇に直面しなければならず、
その最初の体験こそ、ボクが“ぷっつん体験”と呼んでいるものである。

慣れてしまえば大したことではないけれど誰でも最初はつらいものがある。

もしかしたら“ぷっつん体験”には前提条件が付くかもしれない。

前提条件:齢30に達してること。

これはいわゆる“星まわり”というやつなのだけれど、
占いのたぐいと一緒にしてはいけない。これらのことは後の記事で詳説する。

ここでは第二の結節解放の兆候を説明しておこう。

第二の結節:解放の兆候

これはボクのメモ帳に残っていた記述。

寝るときに左の耳から蜂がブンブンいうような音が聴こえる。しばらくすると消える。何だこれは!?


これはボクのメモ帳に残っていた記述。
これが兆候の一つ。

それと兆候はもう一つあるから、まとめるとこういうことになる。

1.蜂のブンブンいうような音
2.尾てい骨の辺りがムズムズして熱くなり、ときおり痛む。

それからボクだけかもしれないけれど一応こんなこともあった。

3.深夜二時頃に激しく勃起して起きる。そういう日はたいてい満月。

まるでオオカミ男である。

さらに結節解放の日もいよいよ迫ってきた頃にはこんなことになった。

頭にピリピリするものが上がって痛い。 風邪なのか?何かよくわからないのでインターネットで調べたら、 周天法という仙道の技法があれば それを動かせるというので、 ちょっと動かしてみたら動いた。 臍下丹田に戻したいところだけど うまくいかない。


この現象は結節解放の日の約2〜3週間前あたりのことだと思う。
そしてこちらが結節解放当日の様子。

ピリピリしたものが深夜に背中をツタって顔面に広がってきた。 顔面から空中に持ち上げられるような感覚になる。 たまらず坐禅の姿勢を組んだら頭頂からスコーンと抜けた。 とてもすっきりした。


このピリピリしたものが“気”。クンダリニーのシャクティのことである。
殊に結節解放時に発生するものは仙道でも“小薬”とか“大薬”などと呼ぶもので、
すなわち、一般に言われている“気”とはちょっと違う。

それは基本的に意念で動かすようなものではないから放っておけばいい。
すると全身を這いずりまわり尾てい骨から脊髄に進入してきて頭頂へと抜ける。

それから一週間くらいは頭頂に穴の開いていることを実感すると思う。
スースーというか、ヒリヒリというか、頭頂にミントを乗っけている感じかな。

ここからは第三の結節解放に向けて督脈を開拓していくことになる。

督脈図

第二の結節解放後に督脈はひらく。
尾てい骨から水溝へと気は昇る。
図の各経穴でみごとに立ち往生したボク。
ふむ、坐禅修行は忍耐と根気なのさ。

図・布施仁悟(著作権フリー)


督脈の気道は尾てい骨から頭部に向かって開けてゆく。
鼻と唇を結ぶ溝を人中とか水溝なんて呼ぶのだけれど督脈は一応そこまで。

図の命門、夾脊、大椎、玉沈、脳戸、泥丸、神庭は督脈の主要な経穴で、
それぞれの経穴を下から順番に一つずつ開発してゆくことになる。
このとき未開発の経穴のある部位で気の上昇はストップしてしまうだろう。

すると気道上に弁のついたフタがあって気が堰き止められる感じになるから、
督脈の気道を上に流れてゆこうとする気がその部位に圧力をかけることになる。

この圧力のかかった感覚は四六時中ついてまわるけれど坐禅中は別だ。
坐禅もたけなわになる60分頃にはその弁が弛んで圧力を解放できる。ただし、
それは喩えるならスプレー缶のガスを一旦噴射するようなもの。すぐ元に戻る。
気の圧力に神経を刺激され痛みを伴うのに、やり過ごすしかないから辛い。

しかも、一つの経穴を突破しても次の経穴のある部位でまた止まるわけで、
この過程を約2〜3ヶ月単位で繰り返すことは実にもどかしいものである。

また当初ピリピリとした感じでしかなかった気はしばらくすると熱感に変わる。
ただしこの熱感として感じられるのも命門から夾脊あたりまでの話。
さらに大椎に至ってトロリとしたゲル状のものに変わると熱は感じられなくなる。

玉沈から先へ進むにはいよいよ脳内の気道へ気を流さなければならない。
そのとき脳の血管が切れそうな痛みを伴うことになるけれど心配は無用。
そのピキピキとした感覚は仮死状態になっていた脳細胞復活の代償なのである。

ただし困ったことにこの頃から偏差による頭痛に悩まされることになるはずだ。
この段階では額に滞ってしまう気を水溝より先の任脈へ降ろせないからである。
ボクの知っている対処法は真実の呼吸法と真言読誦で体軸を調えることだけれど、
残念ながら一坐一呼吸、一坐一言を絶対に守ってもらいたい。

結局、やり過ごすよりほかに偏差による頭痛の対処法なんてないのである。
ただし、最速最短をゆく安全確実な近道がこれだ。『心随観を急げ!』

また任脈に気を流せないのは筋肉や神経組織の硬直に原因がある。
そこで阻まれた気がその部位の神経を圧迫するから痛みも生じるわけで、
ストレッチで筋繊維を伸ばして気を流してやれば痛みの緩和も可能となる。

この偏差による頭痛の解消のために経穴・缺盆について知っておくといい。

缺盆中継図〜身体前面〜

缺盆詰って、
さあ大変!

図・布施仁悟(著作権フリー)
缺盆中継図〜身体背面〜

缺盆詰って、
さあ大変!

図・布施仁悟(著作権フリー)


缺盆(けつぼん)は頭部から全身に流れてゆく気道のジャンクション(中継点)。
この缺盆で気が滞ると頭部にダイレクトに痛みが走る仕組みになってる。
それはヨーガのアーサナやストレッチで多少なりとも解消できるものだから、
効果的な操体のコツを追々(おいおい)紹介していこうともおもう。

さて、こうして督脈の気道を貫通する頃に第三の結節は解放され、
身体前面の任脈にアプローチするための準備段階に移ってゆくことになる。

青雲水

第三の結節:解放の条件

緑雲水

ボクの第三の結節の解放は36歳の11月中旬。
その年の7月の終わりに自発動功が起こり約100日後に解けた。

自発動功とは全身の気道に気が流れ始めた頃に起こるものらしく、
放っておくと身体が勝手に動く。その様は太極拳のようで阿波踊りでもある。
たとえるなら巻きグセのついたホースに水を流したら暴れるようなもので、
クセのひどい気道が修正された頃に自然に収まってくるものだから、
これは気の圧力の増加に耐えられる身体を造るための準備過程なのだと思う。

第三の結節はこの自発動功の収まった頃にちょうど解けたのだけれど、
自発動功発現から約100日後のことだったので得意の早とちりを仕出かした。

矢印マーク 『坐禅・瞑想・道教の神秘』

『天台小止観』の実践に基づく解説書。
呂洞賓の『太乙金華宗旨』と『慧命経』の要約付き。
ただ『天台小止観』の原文と読み下し文は掲載なし。
『太乙金華宗旨』の訳も全十三章中の八章まで。
ざっと概要を知るにはとても参考になるのだけれど、
ちょっと不親切で雑なつくりの本かな。


原因は中国道教『太乙金華宗旨』『慧命経』で耳年増になっていたせいである。

道教では気の体を正しく形成することを受胎と呼ぶらしいのだけれど、
その受胎は約100日間の禁欲節制の修練後になされるとあるのだ。
それから約一年の禁欲節制の行を経て意識が身体の外へでる出胎となる。

この受胎がクンダリニー覚醒で、その後の約一年間をチャクラ覚醒と考えると
ヨーガの文献の記述と矛盾なく一致するから、自発動功から約100日後の
第三の結節解放でボクもとうとうクンダリニー覚醒を達成したかと思った。

ところがチャクラの形成される予兆もなく筋肉組織も硬直したまま一年間経過。
出胎どころか受胎の予感すらもどこ吹く風でがっかりな一年後をボクは迎えた。

そもそも行の手順を祖師方が書き残していればこうはならなかったのだ。
できることなら釈迦イエス老子臨済道元白隠その他大勢を横一列に並べて、
片っ端からデコピンしてやりたい気分である。

矢印マーク 『黄金の華の秘密』

呂洞賓の『太乙金華宗旨』と『慧命経』の日本語訳。
本山博氏の訳本よりも読みやすいと思う。
なんと心理学者のC・G・ユングの編集。
『太乙金華宗旨』九章以降も補足してある労作。


それで再びボクの体験からの推察だけれど第三の結節解放の条件は、

1.天職発見と潜在意識の活用
2.神仏への絶対的な信頼の確立

といったことになるだろうと思う。手順は気にしなくていい。

この頃には漂うばかりの心をある程度制御できるようになっている。
心の彷徨癖や欺きの手口にすぐに気づけるようになっているからだ。
また自尊心の欠如しているのは神仏への信頼の不足によるもので、
不安や怒りの原因もその辺りにあることもおぼろげながら解ってくる。

そもそも天職は劣等感に阻まれて見えなくなっているだけなのだから、
1と2の条件は劣等感を克服して自尊心を取り戻すことに等しい。
つまりは心随観をさらに深めることを条件とするわけだ。

第三の結節:解放の兆候

こうした心の変化を体験する頃になって督脈は開通する。
そうすると肉体への気の流入口となる中心点が頭部に形成され始める。
それはサハスララに連なる。肉体的には松果体の上部に相当する。

中心点

この中心点を形成することが当初の目標。
松果体はアジナチャクラの正体と言われる。
この中心点形成時の第三の結節の解放で、 イダ・ピンガラ・スシュムナの結び目を解かなければならない。
この過程を無視するのは極めて危険だ。

図・布施仁悟(著作権フリー)


この中心点は図のような漏斗状の感覚器官として認識されると思う。
ちょうど眉間の奥にある松果体に向かって頭頂から気を流し込むような形だ。

R・シュタイナーの『いか超』ではこの中心点の重要性をこう述べている。

はじめにこのような中心点を作る行法だけに、完全な成功が期待できる。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.171「霊界参入が与える諸影響」)


この中心点の先にある松果体はヨーガでアジナチャクラの正体とされているもの。
アジナチャクラは霊視能力の中枢と考えられている眉間の感覚器官で、
そのため『第三の目』などとも呼ばれることもある。
イダ・ピンガラ・スシュムナナディの結び目・第三の結節もここにある。

この第三の結節を解放しておかなければクンダリニー覚醒に耐えられない。
イダ・ピンガラ・スシュムナの結びつきを解かないうちに、
クンダリニー覚醒を迎えるのは極めて危険。それはバーン!暴発を意味する。

クンダリーニが動きかけたら、シューッと上へあがるのが見えるようになってきます。
背骨のまん中をスーッとあがっていくのが一番無難なのです。 それから、背骨と、腹の正中線の間の、ちょうどまん中をすーっとあがっていくのがよい。 そのどちらかならよいです。
ところがイダとかピンガラのどちらかを走ると、必ず頭の中のどこかでつまってしまうから、 すごくそこが痛くなります。また胃のところでつまると吐いたり食べられなくなったりしますし、 心臓のところでつまると、心不全をおこして死ぬ場合もあります。

(本山博『霊的成長と悟り』P.180「修行と心のあり方」)


ここで「心臓のところ」というのは第一の結節のある場所。
クンダリニー覚醒前に三つの結節を解放することは最重要条件なのである。

また督脈を開く段階までは気を意念で動かすことなんてできないのだけれど、
貫通さえしてしまえば気は自然に頭頂まで昇り中心点から体内に流れ入る。

そしてこの中心点の形成される頃から気の制御が可能になってくる。
というのは硬直していた筋肉がほぐれて少しずつ動かせるようになるからだ。

神秘修行者は、一日の中の特定の時間を選び、その短い時間の間、 魂の中に行の内容を集中的に浸透させ、いわば内部を完全にその内容で充満させなければならない。 まず単純な内容から始める。知的な思考力を深化し、内面化するのに特にふさわしい内容が選ばれる。 思考はこのことによって、一切の感覚的な印象や経験から自由になり独立するようになる。 いわば思考は修行者自身の手が完全に掌握する一点に集中させられる。 このことによってひとつの暫定的な中心点がエーテル体の流れのために作られる。 この中心点は最初はまだ心臓部にではなく、頭部にある。 見霊者はこの部分にエーテル体の流れの出発点をみるであろう。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.171「霊界参入が与える諸影響」)


心随観を続けるとエーテル(=気)の制御のための感覚器官ができるとあるのだ。
ここから先の課題は頭部の中心点から体内に流れ入る気の制御を学ぶことである。

シュタイナーによると集中と瞑想の行で気の制御を学んでゆくうちに、
この中心点は頭部を去って喉頭部→心臓部へと移動してゆくものらしい。
それは任脈を開拓して仙道の小周天を完成させることだろうとボクは推測した。

その小周天とは仙道の本を読むかぎりこういうものである。

一般的小周天および一般的任脈

みんなの憧れ一般的小周天。
一般的任脈は図の桃色の気道。
ただ任脈の明確な体感がないので
ホントかウソかについて
ボクは未だによくわからない。

図・布施仁悟(著作権フリー)


督脈を開通できたら今度は引き続き身体前面の任脈に気を降ろしてゆく。
やがて督脈と任脈はつながり小周天は完成をみるということだった。
仙道ではクンダリニー覚醒を大周天と呼ぶこともあって、
小周天はそこへ到る修行者の登竜門的位置づけとなっている。

ところがここでまたしてもぬか喜びさせられた。
督脈を貫通させたはずなのに肝心の任脈の感覚がなかったのである。
正確には在るようで無いけれど、無いようで在るという感じだ。
ただし仙道の本の記述によるとそのうち感覚もはっきりしてくるはずだった。

はじめての人の場合、それほどはっきりつながった感じはしない。 ところどころ消えて、急に次の場所に陽気が現れたりする。
これを知らない初心者は、陽気がどこかへ消えてしまったと早合点し、 せっかくの行を中断してしまったりする。 著者は、何人もこうした人を見ているので、ここまでいった人は、十分に注意してもらいたい。 はじめはつながっていないように見える陽気のルートも、 毎日小周天をやっていると、やがてはっきりしてきて完全につながっていく。

(高藤聡一郎『秘法超能力仙道入門』P.176「第4章 小周天の行とは気による肉体の錬金術!」)


丁度それは自発動功発現以降に気づいた筋肉の硬直も顕著になっていた頃。
任脈の気道の入口さえ見つければそれを解消できるかもしれないから、
どうせならさっさと見つけて楽になりたいものだった。

ただしボクは禅者なので小周天のルートに気を巡らすなんて邪道はしない。
チベット体操と坐禅で何とかなると信じて待っていたら第三の結節が解けた。

しかし、いつもながら結節解放時に出現する小薬は何とかならないものかと思う。
ひとりでに発生して、無言で身体中を巡り、挙句に性器を勃起させ、
ことわりもなく脊髄に侵入し、強引に結節を解き、勝手に頭頂から抜ける。

まるでゲリラである。

とはいえ予兆はあったから想定内ではある。第三の結節の予兆はこんな感じ。

1.尺八やフルートのかすれたような音。
2.尾てい骨の辺りがムズムズして熱くなり、ときおり痛む。

それに第二の結節解放時とは違って二度目ともなれば慣れたものだった。
前回と違ったのは頭頂から抜けるとき軽い幽体離脱を体験したこと。
肉体はそのままで身体が浮いたような感覚になる。さすがにこれはびびった。

矢印マーク 『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』

坐禅修行のプロセスを正確に記述してある唯一の本。
(2011年1月現在・ボク調べ)
こういう本が市場に出回っている現在、
秘密にしておくことなんてもはや何もないはずである。
そろそろまともな禅書を誰かが出版しても
いいのではないだろうか?

矢印マーク 『霊的成長と悟り―カルマを成就し、解脱にいたる道』

本山博語録をまとめた本らしい。
なんだかんだ言ってもヨーガの詳しい解説は、
この人の本にしかないんだよね。

矢印マーク 『秘法超能力仙道入門』

この本の記述は古い文献や自身の実体験に基づいている。
何かと参考になるので手元に置いておくといいかもしれない。

桃雲水

真実の小周天

赤雲水

さあ、これで第三の結節解放の儀も済ませた。いよいよ何かあるはずだ。
任脈様のご来臨を期待して気も逸(はや)るのも当然である。
ところが一向にその入口の見つかる気配はない。
筋肉の硬直も相変わらずでやはり首や肩のハリは解消されなかった。

どうやらボクの行の進行は一般的な小周天とは違うようで、
督脈開通のあとは任脈ではなく身体の中心線(体軸)を開いているのだ。
仙道の本にも上の段階へ進む行は通俗的な小周天だけではないとあり、
そこにまさしくボクの体験に一致する行法を発見する。

(8)衝脈(中脈)開発型…発生した陽気を任・督二脈ではなく、身体の中心を通る衝脈に通す方法だ。 いわゆるヨーガのクンダリニー法に相当する。 仙道的にいうと大周天型の陽気の開発で、むずかしいものに属する。 そのかわり、効果はいちばん大きい。

(高藤聡一郎『秘法超能力仙道入門』P.187「第4章 小周天の行とは気による肉体の錬金術!」)


文中の「身体の中心を通る衝脈」はボクの言っている中心線(体軸)のこと。

ボクには“拙者、坐禅の基本は只管打坐と心得る”という禅者の矜持がある。
たしかに身体に気を巡らし丹田や眉間に精神集中する行法もあるけれど、
そうした通俗的な手法を嫌いあくまでも心随観にこだわってきた。
結果として効果のいちばん大きい近道をゆくことになったようなのである。
そこでごく単純で極めて明快な結論が浮かびあがってくるだろう。

やはり坐禅は最高だ!心随観万歳!

この衝脈(中脈)開発型の小周天を『禅的小周天』と名づけよう。

とはいえボクはまだクンダリニー覚醒(大周天)に至っていないので、
その全容を推測に基づいて書くことは差し控えなければならない。

経験の弟子レオナルド・ダ・ヴィンチ。

単純明快な経験を真の教師とした天才レオの託宣の前に頭を垂れようと思う。
まずは禅的小周天のさわりをボクの体感にしたがって説明したい。

禅的小周天の当初の目標は身体の中心をまっすぐに貫く体軸を調えること。
つまり頭の中心点(松果体)から伸びるスシュムナー管を開発することである。

この体軸とは人間の肉体を天地に貫く空洞構造をした棒のごときもの。
それは全ての人間に備わった如来の光明を受けとる器官と考えればいい。
ゆえに肉体がこの体軸からズレていれば凡人で、ピッタリはまれば天才となる。
人間の才能発現のメカニズムなんて非常に単純なものなのである。

だから凡人の肉体において体軸なんてものはないに等しい。
凡人かどうかは姿勢を見れば一目瞭然で骨盤の後傾と猫背の特徴を持つ。
加えてボクの骨盤は右後方に傾いていたからボクなんかも凡人中の凡人出身。
こうして凡人は自らの肉体を持って凡人の証明をしているものなのだ。

そうした凡人出身の禅者が第三の結節解放の段階に突入すると、
体軸の周辺にいくつかの支線の存在を認めるに違いない。

体軸の支線
図・布施仁悟(著作権フリー)


この体軸の支線はコレといった名称がないようなので仮に名前を付けてみた。

まず身体前面の菩薩軸は任脈の両側を走っている支線。
この軸はボクがこれまで身体前面の衝脈として紹介してきたものでもある。

この菩薩軸の外側の不動軸は身体背面の仁王軸と対になっている。
不動軸の歪みは仁王軸の歪み。椅子の四本足のような関係である。

体軸が調うと菩薩・不動・仁王軸は合体して一本の太い軸のようになる。
すなわち如来の光明を受け取る如来軸になるというわけだ。

そうして太くしっかりした体軸にならないとクンダリニー覚醒はできないと思う。
以下は本山博の『密教ヨーガ』にあるクンダリニー覚醒体験。

私は自分の心臓が金色に光り輝くのを超感覚的に見ました。 クンダリニーから熱い力が脊柱を登り、心臓に入って、胸のあたりが熱くなり、 心臓が金色に光り輝くのが見えたのです。

(本山博『密教ヨーガ』P.201「 私のチャクラに関する体験」)

クンダリニーは心臓から再び脊柱を登り、頭頂に至り、さらに白色に光り輝いているように見えました。 そして、頭頂を抜け出て、高みに登り、自分の心もいっしょに高い神々の世界に登っていきました。 意識はなかば失われ、身体のことは忘れて、ただ、高みに登り、神々を拝していることだけがはっきりしています。
身体は、寒中の吹きさらしている外でつっ立ったままなのですが、その意識はほとんどありません。 そして、神々の御声を聞き、ふつうの人には聞こえない音を聞いていました。 15〜20分ほどして我にかえった…。

(本山博『密教ヨーガ』P.201-202「 私のチャクラに関する体験」)


本山博氏によるとこの体験の後から超常的能力が目覚めたとあるので、
この体験をクンダリニー覚醒と考えていいと思う。本山博氏の体験は、
チャクラの覚醒はクンダリニー覚醒後からとするヨーガの記述と一致するからだ。

するとクンダリニー覚醒時に発生するクンダリニー・シャクティは、
一度心臓部を経由して脊柱を上っていくことになるようなので、
心臓と脊髄の結節を解放できていないと詰まって死ぬという話もわかる。

また結節は脊髄の上・下端と心臓の位置にあるということであれば、
一般的な小周天を行じても何の意味もないとわかってくるだろう。

一般的小周天と結節の位置関係

結節は小周天のルートと別の位置にある。
つまり一般的小周天をいくらやっても
大周天にはならないっつーの!

図・布施仁悟(著作権フリー)


図のように三つの結節は一般的な小周天のルート上にはないからである。

何らかの形で結節を解放する必然性があるとなれば、
一般的小周天の行だけでは大周天の達成を約束できないはずなのだ。

おそらく一般的小周天は大周天(クンダリニー覚醒)とは無関係なのだろう。
したがって通俗的小周天はたぶん改名したほうがいい。たとえば凡人周天とか。

凡人周天

第二の結節を解放して“クンダリニーのシャクティ”を督脈に流す。
それが禅的小周天である。
一方、各種修行法により丹田の経穴をこじ開け、 そこから流入する“気”を任督二脈に巡らす。
それが凡人周天である。
もちろん問題なのは各種修行法を用ることで、 無理やり丹田の経穴をこじ開ける凡人周天。 精神の成熟を待たずにクンダリニーを刺激するため、 オツムの機能回復の過程をまったく無視しているものだから、 気のコントロール能力を持たないクルクルパアと化す。 そればかりか任脈の経穴をこじ開けることで無責任な霊能力すら現れてしまう。 おそるべし凡人周天。
無論そのまま突き進んでも悟境の進歩はない。
オツムの調子は相変わらずイマイチなものだから、 そのケースの霊能力はお花畑に飛んでいくばかりで何の価値もない。
ゆえに心随観を修めてもいないうちから クンダリニーに屁(へ)をこかそうなんてしちゃいけないのである。

図・布施仁悟(著作権フリー)


凡人周天の修行者がしていることはこういうことである。

1.丹田の経穴をこじ開けて気を体内に取り入れる。
2.それでも物足りず眉間の経穴をこじ開ける。
3.喉や心臓や鳩尾部の経穴をこじ開けようとする無鉄砲なやつもいる。
4.オツムの調子も省みず真言や呼吸法をやったらクンダリニーが屁をこいた。
5.だからどうした。

もしはじめから中心点を心臓部におくなら、 見霊能力を得たばかりの修行者は霊界を瞥見することができるであろうが、 霊界と感覚的世界の関係について正しい洞察を得ることはできないであろう。 そしてこの洞察こそ、人類の意識の進化における今日の段階を生きる者にとって、 無条件に必要とされる事柄である。見霊者は夢想家となることは許されない。 足をしっかりと大地の上に置かねばならない。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.171「霊界参入が与える諸影響」)


洞察力を欠いた霊界の覗き魔たちが引き出すのはニセモノの才能でしかない。

画期的な『夢判断』を著しながら性理論へ偏向した心理学者フロイト。
晩年に精神崩壊を起こした超人哲学者ニーチェ。
人生を悲観して自殺を遂げた芥川龍之介や神経衰弱文学の川端康成。
それから躁鬱を繰り返した『雨ニモマケズ…』の宮沢賢治。

こうした秀才たちの中途半端でノイローゼきみ業績の原因もここにある。
だから心随観の実践で洞察力を磨きながら結節解放を心待ちにして欲しい。

するとそこに立ちはだかる問題はただ一点に絞られる。
第三の結節解放後に感じられる筋肉の硬直を解消して体軸を調えることだ。
すなわち不動・菩薩・仁王軸の歪みを修正することである。

それはヨーガのアーサナやよくあるストレッチ体系で達成できるのだけれど、
その工程はまさしく肉体的修行。集中力や気合がモノを言う。

そもそも宮沢賢治だって『雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ』
たければ詩を書かずにストレッチで気合を入れたらよかったのである。

また体軸を調えてゆくと一般的小周天のルートも自然に開発されてゆく。
任脈というのは菩薩軸がはっきりしてくるとその真ん中に浮き出てくるもので、
そこからようやく喉頭・心臓・眉間・鳩尾・臍下丹田の経穴が形成され始める。
もちろん、これらはチャクラとか蓮華と呼ばれているものと同じものだ。

矢印マーク 『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上』

第三の結節の解放は天才への登竜門でもある。
坐禅の進歩を確かめるためにも読んでみるといい。
ダ・ヴィンチと同じ発想をしている自分に気づくはずだ。
天才は天才を知る。

矢印マーク 『 密教ヨーガ―タントラヨーガの本質と秘法』

本山博先生の著作は大いに参考になる。
これはヨーガのテクニック的なことについて、
まとまった記述のある貴重な本。
参考程度に読むなら、むしろ有益だとおもう。

矢印マーク 『チャクラの覚醒と解脱』

『密教ヨーガ』の解説本。
お値段ちょっと高めですけど…
どうせならセットでどうぞ。

R・シュタイナーの説くチャクラ形成過程

ただし、この辺りのお話になるとボクも未体験の領域であるからして、ここでは
シュタイナーの『いか超』から読み取った経穴の形成手順を紹介するに留めたい。

シュタイナーの説く経穴形成1:体軸の形成

体軸の形成も一段落するころになると、 二本の菩薩軸の真ん中に任脈が浮き出てくる。
体軸が頭の天辺から足裏まで貫く頃ともなれば、 骨盤の後傾や猫背は必然的に解消されている。
この頃から肉体への気の流入口である中心点は、 頭の中心部から喉頭部へ移動する気配を示す。
つまり喉頭部の経穴が開発され霊妙な感覚器官を形成し始める。

図・布施仁悟(著作権フリー)
シュタイナーの説く経穴形成2:ヴィシュダチャクラの形成

喉頭部の感覚器官をヴィシュダチャクラと呼ぶ。
この感覚器官の形成以降は気を自在に操れる。
気は身体の外に放射されるようになり、 網膜組織で境界づけられたようになる。
この感覚器官の形成を完了する頃になると、 中心点を心臓部へ移動する準備が始まる。

図・布施仁悟(著作権フリー)
シュタイナーの説く経穴形成3:アナハタ・アジナチャクラの形成

心臓部の器官はアナハタチャクラと呼ばれる。
気はアナハタから入り込み各チャクラへ送られる。
アナハタチャクラの形成により、
霊界参入(クンダリニー覚醒)を果たす。
ここから「内なる言葉」を理解できる段階に入る。
その後、いわゆる魔境を乗り越えてから、 眉間のアジナチャクラを目覚ませるのが正しい。
すると各種能力が与えられる。
一、自分の高い自我を知る。
二、輪廻転生・カルマの法則を知る。
三、自分より霊位の高い存在を知る。
これが迷いを克服した証。

図・布施仁悟(著作権フリー)
シュタイナーの説く経穴形成4:マニプラチャクラと臍下丹田の形成

鳩尾の器官をマニプラチャクラと呼ぶ。
この感覚器官の目覚めにより、
他人はみずからの魂の才能や能力。
自然はみずからの隠された特性や力。
これらを明らかに告白してくるようになる。
臍下丹田の開発はもっとも困難だけれど、 超感覚的世界の存在と交わりを得られる。
ただしその存在が自らを開示してくれる時に限る。

図・布施仁悟(著作権フリー)


よくあるヨーガの行法本には「チャクラの開発は下から上へ」とあるけれど、
シュタイナーは上から下が基本と説いているのである。

しかも各感覚器官を形成するのは精神集中の行だとしても、
それを成熟させるのは徳性の習慣化であるとあくまでも手厳しい。

ボクのこれまでの体験もシュタイナーの手順そのままだったので、
おそらく心随観に基礎を置く禅的小周天はこの手順をなぞると思われる。

ともかくこれで坐禅修行における肉体変性とその階梯を理解できたことだろう。
ここに記したことは正統の坐禅修行の過程で必ず体験するものであるし、
体験できていなければ未だ未熟な雲水にすぎないこともわかったと思う。

さてさて、そこで次の課題に移ろう。

この肉体変性は坐禅修行で得られるものではないことは、
永平寺から下山してきた僧侶どもが その体たらくをもって証明している。
すなわち坐禅の進歩は修行では得られないというわけだ。

ゆえにボクら禅者は坐禅の進歩を約束するものを別の要因に求めねばならない。
その要因は第三の結節解放の条件『天職発見と潜在意識の活用』にある。
それがボクの見解だ。

それでは新たな章に突入するとしようか。題して『才能とは何か?』

(2012.2・改訂2014.8)

黒雲水
肴はとくにこだわらず厳選情報

HPランキング参加中!

凡人たちにも本物のスピリチュアルを!

ワンクリック運動に参加しませんか?

ブッダの瞑想法―ヴィパッサナー瞑想の理論と実践

坐禅入門の決定版!

心の欠陥を克服する唯一最善の方法は坐禅・瞑想を実践することです。そして、この本以上の坐禅・瞑想の入門書を私は知りません。

聖書―旧約・新約

伝道の情熱を読みとれる貴重な一冊

イタリア人神父が丁寧に日本語訳した聖書。聖書は坐禅修行にも必ず役立つ。かりそめにも軽んじてはならない。

ブッダの真理のことば・感興のことば

こなれた現代語で読める法句経

私の仏教に対する誤解は この本で初めて解けました。

白隠禅師―健康法と逸話

坐禅と気の関係を明かした本

内観の秘法と軟酥の法は坐禅の基本。白隠禅師の『夜船閑話』と『遠羅天釜』で ちょっとはマシな坐禅をしよう。

5つのチベット体操-若さの泉・決定版

これはエクササイズの革命だ!

たった5つの体操を毎日続けるだけで体調は良くなるわ、痩せるわで驚きの効果が・・・!?食事に関するアドバイスも実に簡潔で的を得たもの。これはエクササイズの革命だ!

決定版 真向法

チベット体操と併せてどうぞ。

たった4つの体操を毎日続けるだけで怪我を予防するための柔軟な筋肉を作れます。チベット体操と併せてどうぞ。

魂をゆさぶる禅の名言

何にもならない坐禅はやめよう!

坐禅は単なる心の慰めではありません。坐禅を人生に役立てるための智慧がここにあります。救いのある仏教の入門書。