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【坐禅作法12】武芸百般と体軸

ちょっとはマシな坐禅作法 武芸百般と体軸〜不動の体軸とは何か4〜

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〜不動の体軸とは何か4〜


プロ野球選手の筋肉美

ダルビッシュ有投手はボクにとって事件だった。
後にテキサス・レンジャーズにメジャー移籍していくことになったけれど、
ボクが彼を知ったのは まだ北海道日本ハムファイターズの絶対エースだった頃だ。

ダルビッシュ有投手のような体軸の調った身体図

体軸が調ってくると身体は必ず変わる。

背中から真っ直ぐ上に首が伸びる。 肩が後ろに反ってくる。胸郭が広くなる。 骨盤が立ってヒップもあがる。 太腿の裏側に筋肉がつき綺麗な脚になる。 足の拇指球で蹴るように歩く。

肉体にも悟境は表れてくるものなのだ。 ここにホンモノとニセモノを見分けるコツがある。
ゴマカシは絶対に効かない。

図:布施仁悟(著作権フリー) 参考:『an・an』1572号


マガジンハウス発行の「an・an」誌上で彼がヌードを披露したとき、
ボクは禅者ではなくボディビルダーのようなマッチョに憧れていた。
だから雑誌でみた彼の肉体には、一流のアスリートというより、
むしろ、モヤシっ子のような印象を抱いたものである。

その肉体は余計な筋肉の隆起を一切みせない滑らかな肢体だったからだ。

高校球児だった頃から故障も多かったという先入観も手伝って、
「もっと筋肉つけなきゃダメになるぞこりゃ」なんてボクは思った。
彼が投手として活躍している事実をどうしても納得できなかったのである。

ただ当時、同じファイターズに新庄剛志という外野手がいて、
札幌ドームで彼の体躯(たいく)を見たときにカッコいいと素直に思った。
スラッと伸びた腕と脚に引き締まった尻。彼のいる周囲だけ空気が違った。

ボクはここでボディビルダーとは正反対のカッコよさに出会ってしまったのである。
こうしてトレーニングの方向性を変えた頃からボクは坐禅に目覚めてゆき、
優れた人を見ると脱がして裸にしてみたくなる悪い癖をこの頃から発症した。

それもこれも新庄とダルビッシュ!オマエらのヌードのせいだ。
さして問題行動を起こしていないのは、やはり、坐禅の功徳としか言いようがない。

そんなボクの性癖なんかはどうでもよくてダルビッシュ有投手の体軸である。
彼はアスリートの中でも飛びぬけて素晴らしい体軸の持ち主なのだ。

体軸の調った選手の特徴は肩を結んだ水平線上で真横を向けることにある。
ボクが何を言いたいのかは分解写真をみればすぐにわかるだろう。

ダルビッシュ有投手の投球フォーム図


4年連続防御率1点台を叩き出していた2011年の投球フォーム。
上体が地面に垂直に立ち、そのまま真横を向ける日本人投手は、 当時、ダルビッシュ、岩隈、杉内の三名がいた。

図:布施仁悟(著作権フリー)参考:『バッティング&ピッチング完全マスター』P.43


ダルビッシュ有投手のフォームは背中から真っ直ぐ上に首が伸びていて、
顔をかしげることなく真横を向いていることがわかると思う。

これは二流の投手には絶対に真似できないことだ。

二流投手のフォーム図

体軸に恵まれない投手に真横を向くことはできない。 上体を地面と垂直に保つことも難しい。

図:布施仁悟(著作権フリー)参考:『バッティング&ピッチング完全マスター』


体軸が調っていれば踏込みや捻りから生じる力を球に効率的に伝えられる。
それは筋肉の硬直が少ないため余計な力の分散を抑えられるからだ。
すると省エネ時代に相応しく無理のないクールなフォームになる。

その無理のないフォームのことを武道では古来「理合(りあい)」と呼び、
武道の稽古型にはそこかしこに理合をみることができる。

たとえば これは太極拳の単鞭の型。

太極拳の単鞭の型

体軸が調っていないと真横を向くことはできない。

図:布施仁悟(著作権フリー)参考:『気の力を覚醒させる太極拳』


この太極拳の型は真横を向く型なのだけれど、
この型を決めるためには体軸が調ってこなければまず無理だ。
無理に真横を向けば身体の歪みに気づく仕掛けが型のほうにある。

武道の稽古型の多くは実践においてそのまま使える代物ではない。
体軸を調え実戦で自在に動ける肉体を造ることを主たる目的としているからだ。
身体操作の根本原理を表した太極拳などは武芸百般に通じる万能の型と云える。

その身体操作の根本原理は武道に限らずあらゆるスポーツの共通項。

さしてマッチョな体型ではないダルビッシュ投手が絶対エースとして君臨できたのも、
トレーニングを通じて体軸を調え実戦で自在に動ける肉体を造りあげていたから。
とすれば武芸百般の稽古やトレーニングの本質は筋肉を鍛えあげることよりも、
むしろ、体軸を調えることの方にありそうである。

矢印マーク 『an・an (アン・アン) 2007年 8/8号』

ダルビッシュ有投手のヌード写真掲載。
学術的価値もあるよね。きっと。

矢印マーク 『プロ野球選手に学ぶ! バッティング&ピッチング完全マスター』

自分の体軸がわかってくるとスポーツ観戦がホントに楽しい。
坐禅の喜びはこんなところにもあるんだな。

矢印マーク 『気の力を覚醒させる太極拳』

太極拳とは全てのスポーツに通じる基本の型である。
太極拳を舞えれば何でもできるぞ。

赤雲水

体軸と“抜き”

黒雲水

これは合気道養神館の塩田剛三による合気道開祖・植芝盛平の肉体観察。

ちなみに、植芝先生がどんな体をしていたかを振り返ってみましょう。
先生の場合、全体的には太いのですが、筋肉隆々という感じではありませんでした。 肖像画なんかではゴツゴツした体のように描いてありますが、実際には少し違います。 ゴツゴツしているのではなく、全体的にスーッとなめらかなのです。
私はよく風呂で先生の背中を流したり、 あんまをさせられたりしていたので実際に触わっているんですが、 とても弾力性があったことを覚えています。 指で押してパッと離すと、グーンと戻って来るような感じでした。

(塩田剛三『合気道修行―対すれば相和す』P.178より)


この証言からダルビッシュ投手同様、植芝盛平もまた滑らかな肢体だったらしい。
やはり体軸の調っている身体の筋肉は剛というより柔であることがわかる。

そこで植芝は筋力トレーニングについても的確な助言をしていたようだ。

植芝先生は、バーベルを挙げたり、ベルトを引っ張ったりするような運動を見て、 「あんなのは本当につまらない運動だ」とおっしゃってました。 そして私たちにも「ああいうことをやるな」といつも言っていた…。

(塩田剛三『合気道修行―対すれば相和す』P.172より)


植芝がこう助言したのは合気道の極意が力を抜くことだからである。

合気道でもうひとつ大切なことは、力を抜くということです。

(塩田剛三『合気道修行―対すれば相和す』P.134より)

力を抜けといわれて、ただ単にダラッと抜いてしまったのでは、 たちまち相手に抑えつけられてしまいます。そういうことではないのです。
先ほどから繰り返し説明している中心線、 あくまでもそれは生かしておかなければなりません。 ビシッと体に一本筋を通した上で、なおかつ力を抜く。

(塩田剛三『合気道修行―対すれば相和す』P.135より)

合気道の行きつくところはここです。 技とかなんとかではなく、この力の抜き方ができないと、 本当に体力差のある相手とは立合えないのです。

(塩田剛三『合気道修行―対すれば相和す』P.135-136より)

ですから、最終的には力の抜き方を覚えなくてはいけないのです。 抜いた力に乗るということ、これができれば、 もはや技があって技がなくなります。 こうなったとき、本当の自信がみずからの内に沸き起こってくるのです。

(塩田剛三『合気道修行―対すれば相和す』P.137より)


身体の歪んでいる体軸のない人はえてして関節の可動域が狭い。
それは歪んだ身体のままで下手に動くと関節に無理な負担をかけるから、
筋肉を硬直させて固定することで保護しているためだとボクは思う。

もしもそんな身体で筋力トレーニングなんかをしたら、
硬直した筋肉を肥大させることになり余計に関節は動かなくなってしまう。
すなわち、力を抜く“抜き”ができなくなってしまうのだ。

この“抜き”は合気道だけの極意ではなくオーケストラの指揮でも同じだそうである。
次は「世界のオザワ」と呼ばれたマエストロ・小澤征爾26歳のエッセイからの抜粋。

力を抜くということ、自分の筋肉の力を抜ききる状態をつくることが、 指揮の一つのテクニックだとぼくは思っている。
それと同じようなことを、言葉は変わっているが、 シャルル・ミュンシュも言っていたし、 カラヤンも、ベルリンでぼくに教えてくれたときに言っていた。

(小澤征爾『ボクの音楽武者修行』P.67-68)


このように「力を抜くとは筋肉の力を抜ききること」と断言しているのである。
さすがは世界のオザワと絶賛したいところだけれど、
彼はカラヤンに極意の出し惜しみを喰らってしまったのかもしれない。

筋肉の力を抜くためには体軸を保っておく必要がある。
体軸を失わないためには、筋肉組織の柔軟性を保ち続ければよいのだけれど、
その方法が分からなかったため晩年の彼は腰痛を抱え込んでしまったのだ。

軸を失くしたマエストロの指揮は公園で太極拳を舞うアル中ジジイのようだった。
指揮の極意をわかっていながらも衰えるしかなった世界のオザワ。
その一方で、合気道開祖・植芝盛平は「死ぬまで強くなる」と豪語していた。

その違いはどこにあるのか?それは“気の体感”を持っていたか否かにある。

矢印マーク 『合気道修行―対すれば相和す 』

不世出の名人と呼ばれた合気道の達人・塩田剛三。
その技の奥義をサラりと書き記してある貴重な本である。
合気道修行は型稽古だけで試合はない。
型稽古だけでナゼ強くなれるのか?
その秘密は気にある。
読む人が読めば塩田剛三が気の達人であったことがわかるだろう。
これはまこと奥義書と呼ぶにふさわしい一冊。

矢印マーク 『ボクの音楽武者修行』

これはユーモアの効いた名文エッセイだとおもう。
さらに小澤征爾その人自体に魅力がある。
ならばこの本が面白くないわけがないでしょう。

衝脈の体感

気の流れる経路と筋肉は密接に関係しているものだから、
気の流れの滞りは筋肉の硬直として体感されるものである。
したがって“気道に気を流す”とは体感的には“筋肉に気を流す”ことに等しい。

たとえば“気のバランスを調える”、つまり、“全身の筋肉に滞りなく気を流す”と、
気により硬直を解かれた筋肉は弛(ゆる)み、身体の歪みが解消され、無理のない
自然な姿勢となり、体軸も調って、全身から力が抜ける。こういうわけ。

つまり“抜き”のためには全身の気道に円滑に気を流せなければならない。
武道の達人の言葉にはこの理を述べたものが少なからずあるから挙げてみよう。

たとえば怪我らしい怪我をしなかった第35代横綱・双葉山。

私が怪我をしなかったことについては、べつだんの工夫があったわけではありません。 ただいくらか平素から「基本の型」に則った相撲を取ろうと心にかけ、 ひそかに「型はずれ」を戒めてきたことだけは事実です。 その自然の結果が、そういうことになったものかと思います。 さきにわたしが「無理をしなかった」といったのは、実はそういう意味でもあったのです。

(『横綱の品格』P.112)


双葉山はその自伝の中で怪我をしなかった理由をこう分析している。
「あえていえば無理をしなかったところに帰着するともいえましょう」

それで「基本の型」「型はずれ」と双葉山の言っている型の本質にあるのが衝脈。

経絡十講による衝脈図

中国気功におけるイダ・ピンガラ。
スシュムナー・ナディはイダ・ピンガラに支えられて現れる。

図:布施仁悟(著作権フリー) 参考:『気・流れる身体』P.41


ともかく衝脈の体感があってはじめて体軸感覚を得られるからだ。
どうやら武道の達人・名人クラスになるとやはり衝脈を感じていたようである。

中国気功の図によると衝脈の先が足の親指へつながっているのだけれど、
その証拠に体軸が調うにつれて足の親指に自然と力が入ってくるものだ。

たぶん熱心な坐禅修行者なら親指が腫れたように痛いことがあるとおもう。
なんらぶつけた記憶も無いのに痛む。それは衝脈のイタズラなのである。

これは双葉山の自伝から足の親指についての記述。

戦時中の勤労動員のさい、実はわたしどもも、靴をはいた経験があるのです。 これは力士としてはたいへんなことでした。 いままで靴をはいていなかったものが、にわかに靴をはくことによって、 それは自然に親指の「ふんばり」に影響してきました。 そのために土俵での「さぐり」がにぶくなってきたことは事実です。

(『横綱の品格』P.057)


こちらは合気道養神館初代館長・塩田剛三の解説。

集中力を生み出すコツは、足の親指にあります。 これを鍛えてグッと床にかませます。 すると、腰にビーンと力が入って強くなる。 このビーンとくる感覚がわかるようにならないといけません。 その力に、今度は膝のバネで加速をつけます。 これらの動きが一致すると、技に大きな威力が生まれるのです。

(『合気道修行』P.112)


このように名人・達人ともなれば同じような身体感覚を持つに至るため、
両者ともに臍下丹田の中心力のほかに親指の力の重要性を説く。
そしてこの一致は衝脈を感じとっているからなのである。

衝脈に肉体がハマるようになれば自分の筋肉の構造もわかるから、
自然と無理のない動きをできるようになり怪我もしなくなるのだ。
武道の型は自分の筋肉の構造を体感していた名人・達人、つまり、
衝脈の体感のある人物が考案したため理に合(かな)っているのである。
こうした理に合った動きを、武道では、古来、「理合」と呼んできたのだ。

次は理合(りあい)についての塩田剛三の説明。

合気道を成り立たせているものは、個々の技ではありません。理合なのです。
動きが理合にかなっていれば、おのずと個々の技に対するこだわりは消えていきます。 技が消えることによって、初めて相手のどんな動きにも臨機応変に対処することができます。
ここに至ったとき、合気道の武道としての真価が初めて発揮されるのです。

(『合気道修行』P.23)


しかし筋肉がほぐれてこなければ衝脈に肉体がハマることもない。
ところが武道の型稽古をいくら続けても凡人は気を体感できないから、
もちろん体軸感覚も得られず理合どころではなくなるわけである。

ならば武道の名人・達人はどうやって衝脈を体感できるようになったのか?

双葉山は力士ゆえに稽古で筋肉をほぐしていたわけだけれど、
筋肉の硬直を「シコリ」と表現していた双葉山が、
“心のシコリ”をつくらないことの大切さを説いていたことに注目したい。

要は、身体にも気分にも、いわゆる「シコリ」をつくらぬように心がけて、 かねて修練した実力を十分に発揮しなければならないのです。

(『横綱の品格』P.110)


“心のシコリ”をとらなければ“体のシコリ”もとれてこない。

気を感じるための第二の結節解放はオツムの調子を回復し始めたときに起こり、
さらに第三の結節を解放する頃には死滅しかけている脳細胞が復活してくる。
その結果として全身の気道に意念で気を流すことが可能になり、
硬直化して機能しなくなっている筋肉組織や神経細胞を再活性できるようになる。

ひとたびシコリ化した筋肉や神経は気を通さなければ治療できないものなのだ。

だから、まず“心のシコリ”を精神修養で取り除き、結節を解いて気感を得る。
そして全身へと流れはじめた気に筋肉や神経の硬直を解いていってもらおう。

すなわち、結局、最後は“心”に行きつくわけである。
つまり武道でもスポーツでも極めたければ心随観を修めよということになる。

では禅の真髄・心随観を修めると身体に何が起こるのか?
いよいよクンダリニー覚醒へ到る結節解放の実態の解説に移ろう。

(2011.3〜6・改訂2014.8)

矢印マーク 『横綱の品格』

双葉山の自伝。
この人、やっぱりわかってたんだとおもう。

矢印マーク 『気・流れる身体』

気感のない人の書いた気の本。
つい衝動買いしてしまった。

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