トップ写真 ゆんフリー写真素材集
Contents menu
Google Search
Google
Web サイト内
関連記事リスト

【坐禅作法9】普通の体軸、不動の体軸

ちょっとはマシな坐禅作法 普通の体軸、不動の体軸〜不動の体軸とは何か1〜

Presented by

〜不動の体軸とは何か1〜


すなわち体軸には二種類ある

合気道開祖・植芝盛平は言ったそうな。

「自分がいちばん強いのは死ぬときだ」

この言葉は見栄を張ったわけではなく、ましてやハッタリでもない。
不動の体軸を持っていたからこその言葉なのである。

矢印マーク 『合気道修行―対すれば相和す』

不世出の名人と呼ばれた合気道の達人・塩田剛三。
その技の奥義をサラりと書き記してある貴重な本である。
合気道修行は型稽古だけで試合はない。 型稽古だけでナゼ強くなれるのか?
その秘密は気にある。 読む人が読めば塩田剛三が気の達人であったことがわかるだろう。 これはまこと奥義書と呼ぶにふさわしい一冊。


普通の体軸と不動の体軸。すなわち体軸には二種類ある。

ほとんどの人のケースは普通の体軸。
先天的な筋肉の弛(ゆる)みを無意識的に維持しているだけなので、
年齢とともにテレテレと失われてゆく性質をもつ果敢(はか)なき代物である。

一方、われわれ禅者や武道の名人・達人の持つものは不動の体軸。
筋肉の弛みを心の性質を熟知することで維持するがために不退転の境地に立つ。
後天的に身につけた精神性を磐石にすることによって意識的に体軸を調えるのだ。
もう堕ちることなど有りえないがゆえに、しかるべく、不動の体軸と云えよう。

合気道開祖・植芝盛平は神道にしたがって心の性質を学んでいたから、
不動の体軸を持つ恩寵に与(あずか)り、死ぬまで強くなるとも言えたのである。

矢印マーク 『からだにはココロがある』

脊髄にある三つめの結節を解いた後、
人間にはどんな可能性が拓けるのか?
体験に基づく詳細な記述のある貴重な本である。
世の中の禅僧はこういうことを公開しなければならない。
それが禅者の値打ちというものである。
そういう意味で著者の高岡英夫さんは
21世紀の禅者と呼ぶにふさわしい人なのだ。

赤雲水

十七歳の壁

黒雲水

さて、これから「不動の体軸とは何か?」を解説してゆくつもりなのだけれど、
まずは合わせて普通の体軸が失われてゆく理由とともに説明してみたい。

幼児の歩き姿

健康な幼児の動作には体軸をみてとれる。 ただし、それも3歳頃まで。
そこからは失われてゆくばかりだ。

図:布施仁悟(著作権フリー) 参考:高岡英夫『からだにはココロがある』P.150-151


えてして健康な幼児であれば誰でも普通の体軸を持っているものらしい。

たとえば、まだ脚の短い幼児は電車などの座席の縁(へり)まで膝が届かないため、
座席に両脚を投げ出して“のっかっている”感じになる。
この座相は骨盤が歪んで後傾していると腰折れ状態になるものだけれど、
その姿に腰折れの様子はなく、腰が痛いとか姿勢がつらいなどとも言わない。

ところが小学校の高学年にあがる頃までにはその姿勢が崩れてしまうのである。

一方で、その姿勢をしばらく長い期間維持できている子供たちもいて、
そういう子供たちは、いわゆる“秀才”として青年期のスタートを切っている。
ただし、そのアドバンテージの効力もある時期を境に失われてゆくものらしい。

その境目(さかいめ)は16歳。どうやら人間の17歳には壁があるようなのだ。

どんな英才教育の効力もこの“17歳の壁”の前では無に等しくなる。
ボクたちの身近にもこんな悲劇があった。

一般的なフィギュアスケーター

体軸が歪んで骨盤が後傾しいるから綺麗に開脚できずに膝が曲がる。 スパイラルシークエンスが一番よくわかる。

図:布施仁悟(著作権フリー)


かつて16歳頃から脚光を浴びはじめた女子フィギュア・スケーターが日本にいた。
年齢規定でオリンピックに出場できなかったものの、
その後、数々の大会で優勝をさらい“天才”の名をほしいままにした選手だ。

ただ世間の圧倒的多数を占めているのは凡人なものだから、
少し飛びぬけた才能の持ち主でも“神童”やら“天才”などと呼ばれるもので、
正確にいえば“秀才”として青年期のスタートを切った子供の一人にすぎない。

彼女は3歳から12歳までバレエのレッスンを受け、5歳からスケートを始めた。
普通の体軸を維持できる子供は3歳〜5歳までの間に何かを始めているもので、
柔軟運動を含むバレエやスケートは普通の体軸の維持に一役買っていたのだろう。

そもそも年齢とともに体軸を失う原因は“筋肉組織の硬直”にあるため、
体操や武道を通じて幼児期に柔軟運動を始めることは体軸の維持に有効なのだ。

人間というものは様々な怪我や病気や心労を患(わずら)う度に、
神経組織や筋肉組織を硬直させ それを野放しにしながら生きている。
すなわち治ったようにみせかけて実は感覚をマヒさせているにすぎないのだ。

そのマヒが深刻になるといよいよ持病として認識されてくるのだけれど、
凡人のオツムは生活に支障をきたす頃まで気づかないほど鈍感になっている。
そのオツムのカラクリのせいで持病として認識できないだけの話なのである。

これは坐禅修行で“第三の結節”を解いて全身の気道に気を流せる頃ともなれば、
いよいよ事実であると誰にでもわかるようになるのだけれど、
それ以前の段階を彷徨っている凡人のオツムでは想像のしようもないことなのだ。

というのは凡人には“気の体感”がないからである。また、
普通の体軸を維持している秀才の子供たちにしても“気の体感”自体はない。

気の流れる気道「経絡(けいらく)」は筋肉組織に沿って存在していて、
中国気功にはその経絡と筋肉を関連づけた「経筋図」というものまであるほどだ。

すなわち神経組織や筋肉組織の硬直とは“気の流れの滞り”のことであり、
気を体感できなければ筋肉組織の硬直にも気づけないことになる。
そのため気を体感できない凡人の子供に限らず、秀才の子供たちも、また、
筋肉組織の硬直に気づくことなく年齢とともに体軸を失ってゆくのである。

くだんの“天才”スケーターも20歳を超える頃には、
ライバルと目されていた韓国選手の足元にも及ばなくなってしまっていた。
体軸が歪んできて得意のトリプルアクセルの精度が落ちているのに、
「ジャンプが…ジャンプが…」と繰り返すばかりで原因には気づけなかったのである。

天才的なフィギュアスケーター

体軸がビシッと通っているため、骨盤も正常な位置に収まっているから膝は曲がらない。

図:布施仁悟(著作権フリー)

ホルモンの魔法

では、こんなふうに秀才を凡人へと変えてゆく“17歳の壁”の正体を暴(あば)こう。
それはホルモンの分泌と密接に関連していて“魔法のとける16歳”に秘密がある。

加齢により減っていく成長ホルモン
図:布施仁悟 参考:『体脂肪が落ちるトレーニング』P.151


誰でも16歳までかけられている魔法の正体は成長ホルモン(GH:Growth Hormone)。
脳下垂体から分泌されるGHは16歳をピークに減少してゆくもので、
多感な青年なら17〜19歳を迎える頃にその変化に気づくものだ。

たとえば盗んだバイクで走り出したり、校舎の窓ガラスを割ってみるのだけれど、
そこに答えが見つかるわけもなく、とにかくやりきれない日々を過ごす。
こうした行動は成長ホルモンの分泌量減少に伴なう心身の不安を
出口のみえない既成の社会に向けた理由なき反抗なのである。

かの“天才”フィギュア・スケーターも20歳になった頃に、
「16歳の頃の自分に戻りたい」とSOS発言をしていたのだけれど、
周囲の凡人たちに助言などできるはずもなく転落してゆくしかなかったのだ。

このGHは体脂肪を分解し新陳代謝を活発にする若返りホルモン。
実際に成長ホルモンの注射で肌のしわが減ったり、頭髪の量が増えたりする。
これは肉体や脳の若さを維持するために不可欠なホルモンなのである。

ただし分泌の盛んなのは一般に16歳までで後は減る一方だという。

16歳までの人生は、前途洋々、誰でも右肩あがりである。
一見可能性は無限大にみえるけれど、実は、そんなことはない。
高校生になる16歳頃からは誰でも転落しているものなのだ。

この事実はインドのヨーガにおける「チャクラ」という概念を用いても説明できる。
チャクラは仏教において「蓮華」と呼ばれているものだ。

インド・ヨーガにおけるチャクラの図

チャクラは体軸上に存在している7つのシンボルで図示される。 インド・ヨーガでは体軸のことをスシュムナー・ナディと呼ぶ。

図:布施仁悟(著作権フリー)


チャクラを蓮華と呼ぶのは蓮(はす)の花に似た形状を持つ霊的器官だからで、
何枚かの花弁をもったその姿は霊視能力を発達させた人にしか認識できないそうだ。

チャクラは通常7つのシンボルで象徴される精神エネルギーのセンター。
いわゆる“気の出入口”にあたり、その中枢は体軸上に存在しているとされる。
その位置関係を説明するとこんな感じらしい。

ムーラダーラ・チャクラ:肛門付近。
スヴァディスターナ・チャクラ:脾臓付近。
マニプラ・チャクラ:臍付近。
アナハタ・チャクラ:心臓付近。
ヴィシュッダ・チャクラ:喉頭付近。
アジュナ・チャクラ:眉間付近。
サハスラーラ・チャクラ:頭頂付近。

またチャクラの存在するとされる位置はホルモンの分泌中枢と密接に関連している。

ホルモンの分泌腺の位置

チャクラは肉体のホルモン分泌腺と同じ位置にある。

図:布施仁悟(著作権フリー)


成長ホルモンは生後16歳までの肉体の発達段階において盛んに分泌されるもので、
肉体の成長過程をひと通り終えると分泌量を減らしてゆくのが自然の摂理である。

このチャクラの概念はその自然の摂理を逆転させるヒントを教えてくれているのだ。

さて、この「蓮華」は霊的に進化していない人間の場合、色が暗く、 安定し、動こうとしない。しかし見者の場合、それらは動いており、 光り輝く色彩の明暗を示している。
〜略〜
さて修行者が行を始めると、まずこれらの蓮華は輝き始め、 後になると回転し始める。回転し始めると、見霊能力が現れてくる。 つまりこれらの「花」は、魂の感覚器官なのである。 器官の回転は超感覚的な世界で知覚活動が生じたことの表現なのである。

(R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』 P.142)


坐禅修行により「蓮華は輝き始め、後になると回転し始める」のなら、
蓮華の位置に対応している肉体のホルモン分泌量にも影響を与えるに違いない。

つまり、人間は16歳までの肉体の発達段階を終える頃からは、
肉体のホルモン分泌量を正常に保つためチャクラ(蓮華)の開発を始める義務を負う。
すなわち16歳以降の肉体の衰えを蓮華の開発で代替しなければならないのだ。

そんな宿命にあることも知らずに16歳以前の地図を頼りに歩む人は、
学歴や経歴などで他人や自分を判断し挫折と後悔に打ちひしがれる運命を辿る。
肉体の衰えに抗おうとせず坐禅修行をないがしろにする凡人は覚悟するといい。

ラクをした人生のツケはいずれ自分でオトシマエをつけることになるだろう。

青雲水

ホルモンと禅、それから潜在能力

緑雲水

もとより体軸の維持を困難にする筋肉の硬直は精神的ストレスに由来する。
それはホルモンの分泌構成の変化として説明できるものなのだ。

矢印マーク 『脳内復活-脳科学がたどりついた「幸福」の原点』

公認会計士受験生時代。 記憶力を回復させようとこの本を手にしたのが、 思えば、坐禅修行の始まりだったのかもしれない。 禅の科学的アプローチがここにある。


人間も動物である以上はストレス反応によって身を守らなければならない。
たとえば外敵に襲われそうになったら即刻その場から逃れようとする。
そのとき身体や脳はそのための信号を発し肉体を動かそうとするわけだ。
そこで一時的な緊張状態を生み出すためのホルモンを分泌するのである。

これはストレスに対する全身の反応。

一、運動能力増強のため心拍数・呼吸数・血圧を上昇させる。
二、アドレナリンなどのストレスホルモンを分泌し緊張状態をつくる。
三、感覚を鋭敏にして敏捷性を高めるため脳波の周波数を上げる。
四、身じろぎせずに立っていられるように筋肉の緊張度を高める。
五、身体を冷やすため発汗を促す。
六、血液の凝固を早くし出血量を抑える。

(参考:グレッグ・D・ジェイコブズ『脳内復活』P.60より)


おわかりの通り。坐禅の目指す境地とは真逆のことが起こるわけである。
そして筋肉の硬直する原因もストレス反応にあることも読み取れるだろう。

ところが緊急時に身を守るためのストレス反応を常に引き起す人がいる。
ストレス反応は、過去を悔やみ、未来を悲観することでも起こるからだ。
したがって日ごろからストレス反応を引き起すような考え方をしていると、
ホルモンの分泌構成が悪い方向に流れて筋肉が硬直していってしまう。

逆にストレス反応から遠ざかる考え方を身につければ、
体軸を取り戻すことで肉体と脳の若さを回復することも可能になってくる。

そして禅の教えとはそのための方法論をまとめたものにほかならないのだ。

そもそも禅の教えや聖典の聖句というものは、
ストレス反応を遠ざけるコツを表現を変えて述べているだけで、
道徳規範を述べたものではないから宗教宗派を問わず本質は同じもの。

17歳の壁にモロにぶつかって、転落の原因「ストレス反応」にさえ気づけば、
寺や教会で説教を聞かなくても自然にものの道理を掴むオツムになってくる。
すると本人も気づかぬうちに禅や聖典の教えに沿って生きることになるのだ。

ついんじて運命を拓くことも可能になるのである。

矢印マーク 『 密教ヨーガ―タントラヨーガの本質と秘法』

本山博先生の著作は大いに参考になる。
ただし、凡人にとっては『正法眼蔵』のように
超然とした部分もあることは確か。

矢印マーク 『チャクラの覚醒と解脱』

『密教ヨーガ』の解説本。
お値段ちょっと高めですけど…
どうせならセットでどうぞ。


ヨーガの解説ではチャクラの覚醒は眠っている潜在能力を目覚めさせるらしく、
中でもとりわけ目を引くのは心臓付近のアナハタ・チャクラと関連する能力だ。
心臓のアナハタチャクラには願望実現の木・カルパブリクシャがあるとされ、
このチャクラの目覚めた人においてのみ芽生え成長すると云うのである。

つまり「願いは叶う!」なんていうのは誰にでも当てはまることではなく、
このアナハタ・チャクラの目覚めた人においてのみ妥当するものというわけだ。

アナハタチャクラが目覚めると、自分の望むことが、直接手足を動かして働かなくても、 自然にまわりからできてくるような条件が整い、実現することがよく経験されます。
たとえば、こんなことがありました。私たちの研究所には、 ヨーガの道場が小田原の根府川にあります。敷地は約五千坪ほどですが、 川に面した千坪ほどが深い谷になっています。ここを埋めたてて、 ヨーガ行に集まる人の駐車場にしたら、道も安全だし、 車もたくさん駐車できていいのだがな、といつも思っていました。
一年ほどたったある日、元の地主から電話があって、 湯河原温泉で大きなホテル(十階建)ができるのだが、残土の捨て場に困っている、 道場の川沿いのクボ地に捨てさせてもらえないだろうか、 石垣も築いて立派に仕上げるからというのです。
私は早速、承諾しました。〜略〜こうして、千坪のうち約三〇〇坪は平らな土地となり、 立派な駐車場ができたのです。 50台ほどの車がゆったりおけるほどの広さです。
建設会社の人に、もしこちらから頼んでこの工事をするとどれほどの費用がかかるのかとたずねると、 約四千〜五千万円だということでした。そんな工事がただでできたのです。

(本山博『密教ヨーガ』P.203-204「兄笋離船礇ラに関する体験」)


これは“第三の結節”解放以降くらいから誰でも体験できるようになることである。
アナハタ・チャクラは その頃より次第に開発されてくるからだ。

ヨーガではその後に“クンダリニー覚醒”体験が待っていると説明されていて、
それは中国気功や仙道において“大周天”として知られている現象と同じもの。
このクンダリニー覚醒体験以降から潜在能力が本格的に目覚めてくることになる。

そのクンダリニーは肛門周辺で蛇のようにとぐろを巻いて眠っているとされる
潜在能力覚醒のための根元的エンジン。しばしば性エネルギーとも説明される。
クンダリニーを覚醒させると潜在能力が目覚めるとさかんに喧伝されるものだから、
肛門を閉めたり緩めたりする行法でクンダリニーを刺激する修行者が後を絶たない。

ところが行法を間違えるとクンダリニー覚醒は廃人ともなりかねないものらしい。

高熱にやられて頭がどうかしたとか心不全で死んだなんて報告まであるほどで、
インチキな行法を教える指導者も含めて身のほど知らずもいい加減にして欲しい。
そもそも体軸の歪んでいる凡人のくせに近道や邪道をするからそんなことになるのだ。

そこで禅者に待っているクンダリニー覚醒の実態をボクの実体験から解説しておこう。

(2011.3〜6・改訂2014.8)

矢印マーク 『体脂肪が落ちるトレーニング』

メタボリックな禅者っていうのはカッコ悪い。
ボクはそう思うね。

矢印マーク 『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』

坐禅修行のプロセスを正確に記述してある唯一の本。
(2011年1月現在・ボク調べ)
こういう本が市場に出回っている現在、
秘密にしておくことなんてもはや何もないはずである。
そろそろまともな禅書を誰かが出版しても
いいのではないだろうか?

肴はとくにこだわらず厳選情報

HPランキング参加中!

凡人たちにも本物のスピリチュアルを!

ワンクリック運動に参加しませんか?

ブッダの瞑想法―ヴィパッサナー瞑想の理論と実践

坐禅入門の決定版!

心の欠陥を克服する唯一最善の方法は坐禅・瞑想を実践することです。そして、この本以上の坐禅・瞑想の入門書を私は知りません。

聖書―旧約・新約

伝道の情熱を読みとれる貴重な一冊

イタリア人神父が丁寧に日本語訳した聖書。聖書は坐禅修行にも必ず役立つ。かりそめにも軽んじてはならない。

ブッダの真理のことば・感興のことば

こなれた現代語で読める法句経

私の仏教に対する誤解は この本で初めて解けました。

白隠禅師―健康法と逸話

坐禅と気の関係を明かした本

内観の秘法と軟酥の法は坐禅の基本。白隠禅師の『夜船閑話』と『遠羅天釜』で ちょっとはマシな坐禅をしよう。

5つのチベット体操-若さの泉・決定版

これはエクササイズの革命だ!

たった5つの体操を毎日続けるだけで体調は良くなるわ、痩せるわで驚きの効果が・・・!?食事に関するアドバイスも実に簡潔で的を得たもの。これはエクササイズの革命だ!

決定版 真向法

チベット体操と併せてどうぞ。

たった4つの体操を毎日続けるだけで怪我を予防するための柔軟な筋肉を作れます。チベット体操と併せてどうぞ。

魂をゆさぶる禅の名言

何にもならない坐禅はやめよう!

坐禅は単なる心の慰めではありません。坐禅を人生に役立てるための智慧がここにあります。救いのある仏教の入門書。