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【坐禅作法7】おすすめの禅書『解脱の真理』

ちょっとはマシな坐禅作法 おすすめの禅書『解脱の真理』

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心に巣喰う偏見の正体を暴く


おすすめしたい“禅書”がある

ここにおすすめしたい“禅書”がある。

『解脱の真理〜ヒマラヤ大師の教え〜』

もちろんボクも仰仰(ぎょうぎょう)しいタイトルだとは思う。
ただし3年半前に気感を得られたのはコレを読んだおかげなので、
このタイトルに、けだし、掛け値はない。

矢印マーク 『解脱の真理 改訂版―ヒマラヤ大師の教え』

ヴィパッサナー瞑想とはこれである。
天台の止観法というのもこれである。
つまり、坐禅とはこれなのである。


どういう経緯で3年半前のボクがこんな本に手を出したのかは、
今になってみれば知る由もないけれど正解だったとは思う。

ボクも含めて人間というものは愚かなもので、
人生のどツボにハマるまでは坐禅の類(たぐい)には目を向けないものだけれど、
せっかく坐禅に出会っても勘違いを続ける葬式仏教の学者坊主などもいるから、
そう考えると人間の愚かさというものは実に奥深いものがある。

ボクの場合は悪い頭のくせに公認会計士なんて試験に挑戦して、
実家でさんざん心配されながら過ごしているうちに、
ストレスでますます頭が悪くなって、どツボにハマったわけである。

今にしてみれば それで良かったと言えるのであるけれど、
当時はワラをも掴むおもいでこの本を読んだのだと思えば、
このタイトルにも退いていられないのっぴきならない状況へ追い込むことで、
ボクの錆び付いた心の扉をど突き壊してくれた神仏の慈悲への感謝で、
ひとしずくの涙すら流してしまいそうになる。

神仏とボクはそんなマゾヒスティックな関係をずっと続けてゆくのかもしれない。
『解脱の真理』はマゾダチであるボクと神仏との思い出の一冊とでも言おうか。

そして、これは近頃評判の坐禅入門書である。

矢印マーク 『ブッダの瞑想法―ヴィパッサナー瞑想の理論と実践』

心の中で何をしているか?
坐禅ではそれが重要なのである。
で、心の中ですることがコレ。


「理論と実践」とあるけれど実態は理論書の域を出ない。
つまり実践についての記述は実に貧弱なのだ。

それでも基本として身につけなければならない心の技術を知ることができる。
基本を無視して無念無想をいきなり目指す坐禅入門者が後を絶たないけれど、
その前になすべきことがあることを知らしめた点でこの本の功績は大きい。

その心の技術“ヴィパッサナー”というのは「心の動きを止めて観る」方法論。
たとえば天台の止観法というのも言ってみればヴィパッサナーなのである。
この止観法は坐禅の指南書である『天台小止観』を著した智ギ(ちぎ)をして、
悟りの真法とは「止観の二法を出ず」といみじくも喝破させるほどの技法。
すなわちヴィパッサナーこそ坐禅の基本であり正道なのである。

おしなべて道元禅師の“しかんたざ”とは“止観打坐”とも書けるのかもしれない。
ボクはますます只管打坐とは駄洒落であると確信せずにはいられないのだった。

それはそれ。『解脱の真理』はこの止観法の実践部分に焦点を当てた本である。
だからこの本に続けて『解脱の真理』を読むとより効果的だと言っておこう。

ただし『解脱の真理』に苦言を呈するとすれば、
修行のプロセスについて簡単にしか触れていないことだ。
つまり、禅者がもっとも不安になる問題。
「坐禅修行をすると心と体に何が起こるのか」
この点についての体系的な記述はないのである。

でも師匠に従(つ)いていないボクは修行のプロセスをどうしても知りたかった。
ちょっとはマシな坐禅をしていると、聴こえるはずのない音が聞こえたり、
医師の理解の及ばない肉体の変化に直面したりするものだからである。
だから自分の身に起こっていることを客観的に判断する基準が欲しかったのだ。

赤雲水

間違いだらけの修行本

黒雲水

そんな修行のプロセスについては、こんな本が有名だ。
恥ずかしながらボクも最初に手にした。

矢印マーク 『秘法超能力仙道入門』

読み物としては面白いけれど、
おすすめするのは躊躇してしまう…。


この本の修行法はすぐに気感を得られることを前提にしているのだけれど、
そもそも気には“先天の気”と“後天の気”の二種類がある。

先天の気は何歳になっても枯渇することのない本来の気。
精神修養により自然に循環するようになってくるもので、
禅の修行で扱う気は、無論、この先天の気である。

後天の気はいわゆる気功師や武術家たちの扱う気で程度の低い気。
この著者の示している行法は まず精神集中により後天の気を扱う。
精神修養の重要性は述べていないから、先天の気の発動については、
生来の素質や天稟(てんぴん)の才能まかせになっている。

この事実を知らずにいきなりこの本を読んだ読者は、たぶん、
精神修養よりも精神集中の行が重要であるかのように錯覚してしまうだろう。
ともすれば妄想から生み出した気を謬想(びゅうそう)し続けるかもしれない。

やはり一般的な人間というのは精神的欠陥の著しい凡人なのだから、
精神修養の記述を欠いた本書は坐禅入門者にはおすすめしかねる代物だ。
そもそも基本の行としている“小周天”自体が坐禅の実際と趣を異にしているし、
独自の“全身周天”なる概念を持ち出して修行手順をアベコベにしたりと、
親切が徒(あだ)となって信用ならない箇所も若干ある。

もちろん記述は中国の古い文献や自身の実体験に基づいているものだから、
その点を考慮したうえでなら何かと参考になるので手元に置いておくといい。

かくして、まともな禅書を求めてさまよう坐禅ジプシーと化していたボクは、
ついにヨーガにまで手を染めることになるのである。

矢印マーク 『 密教ヨーガ―タントラヨーガの本質と秘法』

本山博先生の著作は大いに参考になる。
ただし、凡人にとっては『正法眼蔵』のように
超然とした部分もあることは確か。

矢印マーク 『チャクラの覚醒と解脱』

『密教ヨーガ』の解説本。
お値段ちょっと高めですけど…
どうせならセットでどうぞ。


この本は精神修養の重要性も併せて説いている点で優れているけれど、
ボクのような凡人階級出身者と違って素質と環境に恵まれていた著者は、
やはり超然とした修行プロセスを辿(たど)ったようである。

著者はもとより霊能家系に生まれた霊的エリートだったこともあって、
中途半端ながらも生まれつきある程度の霊能力が目覚めていたらしい。
すなわち凡人には追体験不可能な過程を経て行を修めているのだ。

そのため、ヨーガの文献に沿って自身の実体験を照らしているのだけれど、
特殊な霊能体験に邪魔されて、おかしな解釈を展開している部分もあるので、
一から修行しなければならない多くの凡夫匹夫にとって誤解を招く記述も多い。

とはいえ、インド・ヨーガの修行過程を知るためなら格好の文献ではある。

一方、堅苦しい翻訳と冗長な文章に加えて抽象的な表現ゆえに読みづらいけれど、 坐禅修行者にとって確かな記述であると確認できたのがこれ。

矢印マーク 『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』

坐禅修行のプロセスを正確に記述してある唯一の本。
(2011年1月現在・ボク調べ)
こういう本が市場に出回っている現在、
秘密にしておくことなんてもはや何もないはずである。
そろそろまともな禅書を誰かが出版しても
いいのではないだろうか?


坐禅修行をしているとこの本の記述どおりのプロセスをなぞる。

本書は瞑想による精神修養一辺倒で悟ることを説いているので、
早道をするための行法を一切ゆるさない。
この点で上記2冊とは違っていさぎよく、いかにも禅者御用達の趣がある。
どおりで著者の解説する修行プロセスは坐禅修行の場合と一致しているわけだ。

しかも師匠につかない瞑想修行者を対象として書かれた著作なので、
正師に出会うことの困難な末法の世の禅者にとっても重宝する一冊に違いない。

ただ「植物の種を観想する」とか「石の意思を観想する」など。
入門段階における修行法はさながら臨済禅の公案のごとく意味不明。

劣等感の克服は“禅の極意”

もちろん気感を得る直前の3年半前のボクは違うことをやっていた。

それがこれ。

矢印マーク 『地球が天国になる話』
斎藤一人。この人、わかってます。
劣等感の克服をテーマにした名著。


劣等感の克服である。

「面白いんですけど、この問題はわかると大体の謎が解けちゃうんです」
こんな軽い語り口で著者は話を始めるのだけれど、
劣等感の克服は“禅の極意”と言ってもいいほど重要なことなのである。

しかしながら、たとえ禅者と言えどもそのカラクリに気づける者は僅少にすぎない。
そこで著者は諦念(ていねん)と幾分かの期待をこめて、こう語っている。

非常に簡単な話なんですけど、わかってくれる人が少ないです。百人に一人わかってくれればいいと思って話します。
(斎藤一人『地球が天国になる話』P.10)

もし百人に一人わかるようなら世の中はコペルニクス的転回をみせるだろう。
たとえば この本のタイトルどおり、地球が天国になる、とか。

そしてこれはコペ転を阻んでいる凡人の愚かさを説明した序章の叙述である。

いきなり劣等感と言われても何のことかわからないし、自分が劣等感を持っているとは思っていないのです。
この話の一番難しいところは、ほとんどの人は自分が劣等感を持っていることに気がついていないんです。
それと、また親のほうも劣等感を与えているとは思っていないんです。両方が気がついていないから、実は人は苦しむんです。
(斎藤一人『地球が天国になる話』P.11-12)


このカラクリに気づいてしまえば人生はたちまちその価値を取り戻す。
そのとき禅者はこのカラクリを伝えるために周囲に語り始めるだろう。
ところが聞く耳を持たない凡人の愚かさの前に途方に暮れるに違いない。
ときには開き直った凡人から理不尽な非難を浴びせられることだってある。

それでも禅者なら劣等感の克服は取り組むべき価値があるとボクは思う。
なぜなら、そんな愚かな凡人も心の底では心の解放を願っているものだし、
その手助けをできるのはカラクリをあばいた禅者以外にいないからである。

いやしくも坐禅に出会うことのできた禅者諸君においては、
願わくは劣等感の克服により禅の本質を是非とも掴み取られんことを。

矢印マーク 『坐禅・瞑想・道教の神秘』

天台小止観の実践に基づく解説書。
観光地に成りさがった総本山へ修行に行く前に。
葬式仏教の和尚の坐禅会に参加する前に。
まともな坐禅作法を知っておこう。


劣等感は幼少時に家族から吹き込まれる偏見に始まって人に一生つきまとう。
だから心を解放するためには自分と家族との関係を見直す必要があるのだ。
そうして劣等感を克服する度に心のガラクタの捨て方は明らかになってゆく。
なぜなら心に巣喰う偏見の正体を暴くことこそが禅の本質だからである。

したがって、公認会計士の受験をするために実家に戻って、
さんざん小言(こごと)を聞かされてストレスを溜め込んだボクの不幸も、
ちょっとはマシな坐禅を始めるために必要だったという意味では、
まさに時宜(じぎ)をえた出来事だったのだと今にして思うのである。

では思い出の『解脱の真理』から趣味ある禅の本質を堪能するとしよう。

君は自分の心の中身全体、種々様々の観念(かんがえ)・思想・形式化などがいかにして自分の心に入り込み、 巣喰い、どんな作用や反作用をしているか、その過程全体を知り尽さなければならない。 そうして始めて君は、今後は、そういった心の堆積物(ごもくた)に煩わされることなく、 各瞬間毎に自戒の態勢にあるようになるのである。 君の心は、受け容れることなく、抵抗することなく、断罪することなく、非難することなく、 完全に沈黙していなければならない。自我が死んだとき始めて真実なるものが出現するのである。
(M・マクドナルド・ベイン『解脱の真理』P.359)


総じて思う。

ボクのオススメする禅書とは、えてして一般的な禅書ではないようである。
果たしてボクの行じているものは坐禅なのだろうか?
ボクはときどき分からなくなる。

(2011.2・改訂2014.8)

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