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【坐禅作法4】調身・調息・調心とは何か?

ちょっとはマシな坐禅作法 調身・調息・調心とは何か?〜武禅一如の方程式〜

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武禅一如の方程式


数息観とは絵空事

数息観(すそくかん)で呼吸を調えようなどというのは絵空事である。
と言って悪ければ方便である。

数息観とは?

[呼吸の整え方]
身体の外形が整ったら、あたりの人の妨げにならぬように腹の中の空気を全部口から静かに吐き出す。 すると自然に息が鼻から入ってくる。
そのとき“ひと”と心中でいい、息が出るとき“つ”という。つまり吸う息、 吐く息ごとに“ひと・つ、ふた・つ、み・つ”と十まで数えて、 また最初の“ひと・つ”にもどる。
このように自分の出入の息を数えて心の散乱をしずめる方法を「数息観(すそくかん)」という。

『わが家の宗教 臨済宗』(大法輪閣) P.48-49より


なぜなら“呼吸を調える”とは、すなわち、これだからである。

双葉山と塩田剛三の立ち姿図

参考:『スーパーボディを読む』P.92

参考:『写真詳解 合気道基本技全書』P.3


左は不滅の69連勝を記録した名横綱・双葉山。
右は不世出の名人と呼ばれた合気道養神館の塩田剛三。

両者の立ち姿に共通するものをボクは何となく見てしまう。
身体の中心を一本。真っ直ぐに通る体軸。
両者ともにその体軸に身を預けるようにして立っている。

塩田剛三は身体の中心線をまっすぐに保つ力を中心力と呼び、
その中心力を呼吸力の根本と言っていた。
これはその著書『合気道修行―対すれば相和す』の一文である。

合気道のいう呼吸力とは、人間が本来持っている、全身から生まれる力を自在に発揮させることなのです。
呼吸力の根本には、中心力があります。中心力というのは、体の中心線をまっすぐに保つ力のことです。
我々は、まっすぐに立てといわれても、たいてい、中心線にゆがみが生じているものです。 仮に、まっすぐ立っているときは中心線がしっかりしていても、ちょっと動くと、すぐにそれがゆるんでしまうのです。
(塩田剛三『合気道修行―対すれば相和す』P.102-103)


人はまっすぐに立てないという主張には当初 疑問を生じたけれど、
百聞は一見に如かずである。
塩田剛三と弟子の立ち姿を比較した写真をみたら納得せざるをえなかった。

塩田剛三と弟子の立ち姿模写

背筋を伸ばして立つ弟子(右)と体軸に身を預けている塩田剛三(左)の立ち姿。
弟子は真っ直ぐ立っているつもりでも、ガイドとなる体軸の感覚がないために、 歪んだ骨盤のまま身体を支えている。

参考:『写真詳解 合気道基本技全書』P.106


右の弟子は腰が浮いてしまって下半身が不安定に見えた。
これは上半身と下半身をつなぐ筋肉が硬く股関節を開けないせいである。
同時に骨盤も歪んでいるから背骨の湾曲も正常ではないため、
いくら背筋を伸ばしても身体の傾きを直すことができないのだ。

それでもたぶん真っ直ぐ立っているつもりなのだろう。
ともあれ真っ直ぐ立とうと努力する姿はなかなか微笑ましいものである。
たぶん、こういう姿をもって愚直と言うのに違いない。

とにかく不世出の名人・塩田剛三の言葉を信じれば、
呼吸を調えるコツは呼吸法よりも、むしろ体軸の維持にあるようである。

次に塩田剛三の集中力の定義を紹介したい。

さて、中心力は軸を維持する力のことでしたが、それから発展して、 動きの中で中心線を維持することによって生まれる大きな力があります。 それを集中力と呼びます。
(塩田剛三『合気道修行―対すれば相和す』P.110)

つまり集中力もまた、体軸を維持することによって生じるようである。

赤雲水

武禅一如の方程式

黒雲水

ちょっとこれに坐禅における「調身・調息・調心」を当てはめてみよう。
するとボクには こんな方程式がみえてきた。

中心力=調身=体軸の維持
呼吸力=調息=体軸の維持
集中力=調心=体軸の維持

こうしてみると武禅一如の妙を感取せずにはいられない。
武道における奥義と禅における奥義はその揆を一にしていたのだ。
極論すれば「何はともあれ体軸を維持できればよい」のである。
とかく巷(ちまた)の禅書では、調身は坐相を調えること。
調息なら数息観・随息観。それから腹式・胸式呼吸法。
調心といえば公案あるいは只管打坐(しかんたざ)。
そんなものをクドクドと説明している。

しかし、坐相を調えるために結跏趺坐を組み、
呼吸を凝らして数息観を実践して無理に腹部を膨らませ、
眠気を我慢しながら公案を考えても、なかなかどうして坐禅は進歩しない。

それは当たり前だったのである。そもそも体軸感覚がないのだから。

矢印マーク 『写真詳解 合気道基本技全書』

不世出の名人と呼ばれた塩田剛三の技を収めた解説書。
資料的価値も高い一品。


総じて坐禅修行とは禅的弛緩体を錬ることで不動の体軸を得ることである。

そして、そのためには気感がどうしても必要なのだ。

まず、首尾よく菩提心を興せた禅者は気感を得ることができる。
すると気は脊髄にあたる督脈という気道を数年かけて頭部に向かって上昇してゆく。
督脈が貫通すると気は頭部から身体下部に向かって全身の気道を開き始める。
そうして身体前面を走る任脈を経由して臍下丹田へ気を降ろせるようになる頃には、禅者は いくらかの集中力を発揮することで気を制御できるようになっているはずだ。

しかし禅者は それと同時に自分の身体の筋肉の痛みを認識しなければならない。
凡夫の肉体の筋肉はこわばってガチガチである事実。
いわゆる“肉体の束縛”に否応なしに気づかされるのである。

ただし このときから全身の筋肉をほぐせるようになるので弛緩体へも日毎に近づく。
その筋肉の部位にあたる気道に気を流せれば筋肉は見事にほぐれるからだ。
そうして筋肉をほぐしてゆくほどに体軸を顕(あらわ)にできる。
坐禅修行は そんな過程を経ながら完成に向かうのである。

ホンモノの横綱よ。そろそろ出てこいや!

ただし、いまだ気感のない凡夫の身体においては、
筋肉がこわばってガチガチになっていることすら意識できないものだから、
「筋肉をほぐせるようになる」ことの効用もイマイチ理解できないものがある。

そういう禅者は、もしかしたら、双葉山のような肩をした力士が
なかなか世に現れてこないことを考えてみると納得できるかもしれない。

矢印マーク 大相撲中継 2010年 11月号

横綱ですら本物ではない現代日本の大相撲。 原因はシコとテッポウを勘違いしているからである。 本当のシコとテッポウを教えてあげるから、ボクを相撲協会の理事にしなさい。 (これは冗談)


現在であれば同じような肩をしてきた第69代横綱・白鵬を例に挙げよう。
横綱昇進時と比べてみると肩の僧帽筋の張りが解けてその印象は柔らかい。
2010年に63連勝を記録できたのもそんな肩になってきたからだろう。

ただ肩先の三角筋が前に張り出しているのはまだ筋力に頼っている証拠である。
もっと腰が強くなれば立ち姿も安定して三角筋が後ろに反ってくるはずだ。
そうすればハラで相撲をとれるようになる。白鵬はまだ25歳で若い。
双葉山のように三角筋が背面に反るようになれば70連勝も射程圏に入るだろう。

肩の筋肉をほぐせるようになることの重要なのは相撲だけに限らず。
坐禅においても然りである。
肩については道元禅師が『普勧坐禅儀』の中に残した卓見を参考にしよう。

耳と肩と対し、鼻と臍と対せしめんことを要す。

(意訳)耳は両肩を結んだ水平線上で垂直に交わり、
鼻と臍(へそ)を結んだ垂線と両肩を結んだ水平線もまた垂直に交わるべし。

(道元『『普勧坐禅儀』』)

判りづらいかもしれないから、早速、わが弟子・ラーメンマンに登場願う。

耳と肩と対し…

凡夫的硬直体の肩

禅的弛緩体の肩


臍下丹田を認識できない凡夫においては、
首筋から肩にかけての筋肉が縮んで硬くなっている場合が多い。
すると左のラーメンマンのように肩先が身体前面へ引っ張られるため、
両肩を結んだ水平線上に耳が位置することはない。
こういう凡夫的硬直体の禅者が普勧坐禅儀のように坐ろうとしたら、
そうとう力んで肩を後ろに反らせないといけないだろう。

一方、禅的弛緩体を完成すると首筋から肩にかけての筋肉がほぐれて、
両肩を結んだ水平線上に何の力みもなく耳が位置するようになる。
この坐相を楽にとれるようになれば胸郭の圧迫も解放されてくるため、
呼吸に関わる筋肉も緩むから、より深く呼吸できるようになってきたりする。
つまり、禅的弛緩体を錬って体軸感覚を得てゆく過程で、
内臓の諸器官を含めた身体全体の筋肉の緊張がほぐれてくるのだ。
すると身体は余計な負荷から解放され当然のように健康になってゆく。

このように坐禅とは精神的な問題の解決を扱っているようでいて、
その実、身体的な問題の解決も包含しているものなのである。

青雲水

禅者たるもの筋肉をほぐせ!

桃雲水

またガチガチの状態にある自分の身体の筋肉を痛みとして意識したとき。
禅者は潜在意識の領域への意識の拡大を認識したことになる。

それは「この世は苦である」と言った釈迦の真意に触れることであり、
自分が肉体に束縛されていることに気づかされる瞬間だからだ。

禅者とて ただ坐っているだけではいけない。

なぜならそれは肉体に束縛されたままの意識をもって、
肉体に束縛されない潜在意識の次元に踏み込もうとすることだからだ。
はじめから不可能なことを成し遂げようとしているのであってみれば、
そんな禅者の坐禅が一向に進歩しないのは当然の帰結なのである。

だから禅者は筋肉をほぐさなければならない。

肉体の束縛から自由になるために、まず筋肉をほぐすのである。
筋肉をほぐして体軸を顕にした禅者だけが禅の奥義に到達できる。
どうやら、このことに例外はないようだとボクは今、身体で感じているのだ。

さて双葉山と塩田剛三をもう一度みてみよう。

双葉山と塩田剛三の立ち姿図

参考:『スーパーボディを読む』P.92

参考:『写真詳解 合気道基本技全書』P.3


塩田剛三はともかく、問題は双葉山である。

余計な力みが抜けて理想的な肩はよいけれど、
身体前面にたっぷりと張り出したお腹のために、
鼻と臍を結んだ垂線が双葉山の場合は随分と傾いてしまう。

道元禅師は いわゆるデブの坐相をどう判断していたのだろう?

ただし『普勧坐禅儀』の記述はデブの坐相を容認するものだから、
道元禅師はデブでも悟れると考えていたと推測していいとおもう。
いやはや、これは飽食時代の禅者に対する大いなる慰めとなりうる。

(2010.11)

矢印マーク 『合気道修行―対すれば相和す 』

不世出の名人と呼ばれた合気道の達人・塩田剛三。
その技の奥義をサラりと書き記してある貴重な本である。
合気道修行は型稽古だけで試合はない。
型稽古だけでナゼ強くなれるのか?
その秘密は気にある。
読む人が読めば塩田剛三が気の達人であったことがわかるだろう。
これはまこと奥義書と呼ぶにふさわしい一冊。

矢印マーク 『スーパーボディを読む』

達人・名人は身体から違う。
一線を越えたパフォーマンスの秘密を知ったら、
次は自らその身体を体験してみたらどうだろう?
坐禅はその秘鍵を握っている。

矢印マーク 『ミクロマン ラーメンマン』

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いい歳こいてオモチャつうのも一興である。

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