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歌篇 四

み仏の詩 因果の法に死角なく・・・

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懺悔の本質


ホントの慈悲ってむやみにキツイ(作:布施仁悟)

み仏の詩04img み仏の詩04txt

努力の挫折

世の中にはツイてる人とツイてない人が確かに存在する。

矢印マーク 『面白いほど成功するツキの大原則』
今の自分の境遇は今までの自分の責任。
そう思えるためにはどツボにハマっている
愚かな自分を素直に認める必要がある。
この本で徹底的に打ちのめされるべし。
『面白いほど成功するツキの大原則』
俗なこの本によると、この理(ことわり)を認めたがらない人に限って、
こんなことを信じたがるそうだ。

努力は必ず報われる。

かつて、その一人だった私は よくこう言ったものだ。

神も仏もあったもんじゃない。頼れるのは自分だけだ。

お題目のようにそう唱えながら、せっせと努力するほどに
どツボにはまってゆくのは因果律を誤解していたからにほかならない。

そう気づいたのは、法句経(ダンマパダ)を読んだときである。
矢印マーク 『ブッダの真理のことば・感興のことば』
本文「法句経」の引用はここから。
こなれた現代語で読める法句経です。
私の仏教に対する誤解は、この本で初めて解けました。

赤雲水

法句経の解

黒雲水

法句経の第一句ほど、因果律を端的に表現したものはない。

ものごとは 心にもとづき 心を主とし 心によって作り出される(法句経1)

これをどう読んでも、こう書いていなかったのである。

ものごとは 努力にもとづき 努力を主とし 努力によってつくりだされる

この因果律とは「原因と結果の法則」と換言できる。
そして人生の結果に直面する原因は心にあるとお釈迦さまは説いていたのだ。

つまり、こういうことだと私は解釈した。

人生は人の心の状態にまかせて忠実に設計されてゆく(布施仁悟)

誰一人として いわれのない苦しみは受けないことになっているのだ。
この啓示にどれほど喜んだことだろう。それは経典を読み進む十分な動機となった。

すると次に こんな問題に直面することになった。

そんなに単純ならば、どうして私はツイてないのだろうか
---この疑問を解決するためにも経典を読み散らかす必要があったわけだ。

実は、その疑問にもお釈迦さまは親切に答えている。

「われらはここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。
----この理を人々は知ろうとしない。
(法句経6)

生まれたから死ぬということも因果律であり変えられないのである。
人々の心には変えられないものを受け入れる潔さがないから、
この世の責苦(せめく)に苛(さいな)まれるとお釈迦さまは説いていた。

おしなべて、こういうことだと私はおもった。

人生は心一つ。それ次第によってどうにでもできる。
ただし、変えられないものをあきらめる潔さも肝心。

残念ながら、その潔さを持ち合わせていないものには、
何を言っても無駄であるとお釈迦さまですらさじを投げていた。

浄いのも浄くないのも各自のことがら 人は他人を浄めることはできない。
(法句経165)

み仏の教えは何時でも手の届くところにあったのに、
聞く耳を持たなかった私はどツボにはまるしかなかったのである。

矢印マーク 『「原因」と「結果」の法則』
葬式仏教の坊主。結婚教会の牧師。
彼らの唱える教条的な因果律がどツボにハマる原因。
この本で正しく因果律を解釈するべし。


聖書と因果律

聖書には、聞く耳のあるものは聞け!(マルコ4-9)とわめき散らして、
磔(はりつけ)にされてしまったおっさんの物語が残っている。

だから お釈迦さまに倣(なら)って私もさじを投げたほうが賢明かもしれない。
されど、この世の責苦を克服する方法を記す懸命さも無駄にはなるまい。

というわけで、インターネットの片隅で私もちょっとわめき散らすことにしてみよう。
いわく、読む頭のあるものは読め!

聞く耳を持ち合わせるには坐禅を行じながら因果律を観ずるのが手っ取り早い。
因果律は誰のうえにも働いているからだ。

つまり因果律のおかげで心の汚れているものと心の浄らかなものの区別なく、
その心の豊かさにふさわしい人生の結果に人は直面しているものだ。

このことについて磔のおっさんは、こう言っている。

実(み)をみれば、その人物の正体がわかる(マテオ7-16)

だから、もしも今ツイていないなら、自分がどツボにハマっている原因を
自分の過去に探ってゆくと自分の人生に働いている法則に気づくことができる。

それこそが因果律だ。

矢印マーク 『聖書―旧約・新約』
イタリア人神父が丁寧に日本語訳した聖書。
伝道の情熱を読みとれる貴重な一冊。
聖書は坐禅修行にも必ず役立つ。
かりそめにも軽んじてはならない。

青雲水

懺悔の本質

桃雲水

そして因果律を観ずる手段こそ懺悔(ざんげ)にほかならない。

具体的には、嫉妬深さや、怒りにまかせて逆上して失敗した経験や、
家族・友人・恋人ひいては神仏と罵(ののし)り合ってきた過去の心の傷を
あからさまに認めて胸の内でゆるし和解することである。

こうして自分自身も気づきたくないような、そして他人には無論、
知られたくないような心の中の思いを暴(あば)き出すのである。

それは自分と正直に向きあうことを意味している。

例えば、恋人にフラれた原因を自分の愚かさに求めるのではなく
相手に責任転嫁していたり、家族が自分の思い通りにならないことに
腹を立て相手がどうして愚かなのかという理由をいつまでもネチネチと
思い返していたり、友人に嫉妬して愚痴を吐いたりした自分をいつも
恥ずかしく思っては言い訳を繰り返したり、人生のうまくいかない理由を
神仏にあてこすりしている間は、自分に嘘をついている。

愚かなのは自分の時もあり、他の誰かの時もあるけれど、
坐禅において その全ての愚かさをゆるし自分と正直に向きあうのである。

だから、自分が傷つけてしまった誰かを目の前にして謝る必要もなければ、
自分を傷つけた誰かに謝ってもらうにも及ばない。

ただ自分と正直に向きあえば、それで十分事足りる。

すると、いくら環境を変えても、必然的に同じような出来事や人物に出会い、
同じような苦悩に直面させられる人生の法則が身にしみて分かってくるはずだ。

そうして はじめて、自分の心をどう組み替えるべきか分かってくる。
つまり、人生の変え方、道の開き方が分かってくるのである。

この因果律こそ、言わば、神のみえざる手であり、み仏の方便だと私はおもう。
愛や慈悲とは必ずしも人の思い通りを叶える力のことではないのである。

こうして因果律を観じて菩提心や信仰心が心の底からわき興るのを体験する時、
自分が情けないのか、ありがたいのか、意識できないまま号泣するに違いない。
はじめて神仏と和解し、その慈悲にふれるとき、人は魂の涙でそれに応えるのだ。
その時こそ、ホントの得度の時であり、ホントの洗礼の時なのである。

もしもこの体験に成功した人がいたら、私の好物のポテチとコーラで祝福したい。
ちょっとはマシな坐禅の世界へようこそ---と。
そして、この歌の意味を心ゆくまで分かち合おうぢやないか。

追伸:ポテチはカルビーうすしお派で、ペプシ・コーラは邪道だとおもっているけれど、
お望みとあらばコイケヤのポテチやペプシ・コーラの用意もやぶさかではない。


ホントの慈悲ってむやみにキツイ(作:布施仁悟)

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