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【BBS:Q&A 79】千と千尋の神隠し考

仁悟の坐禅相談室『坐禅の智慧で答えます。』 千と千尋の神隠し考

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2017年3月:釜爺様・権兵衛様より


釜爺様の投稿

千と千尋はのう、中心線の話にワシは思える。

それは、一人の「千」という線の細い子が一般的なまかれた大人を対比させてえんがちょして、中心線を作り上げていくのじゃ。 本当の大人は子どもの体に線が通っていくことじゃが、一般的な大人は子ども+鎧じゃな。 それでは立命にはならんのじゃ。

舞台は風俗産業をモチーフにしていると宮崎監督も言っておる。 あの湯屋はそれにあたる、つまり性欲じゃ。 最初にいかにも、一般的な父、母が食べ物をあさりブタになる、食欲じゃ。 そして、顔なしが金をばらまき、一般的な人々が飛びつく、金欲じゃな。 つまり、性欲にひたると魔女に支配され、金欲にひたると顔のない実体のないものに食い物にされ、食欲にひたると豚のように飼いならされるという事じゃ。

ここで、大事なのは、映画でてくるような極悪人がそうなるのではなく、テレビを見ている一般的な善良な仮面を被っているあなたこそ、そうなってないですか?という投げかけではないだろうか、、、

話が戻るが、そこに「千」― 線という子がその欲と距離を保ちながら、顔なしを改心させ、龍を従え、魔女を報復させ、父母を助けるといったふうにも見えるんじゃがのう。

(2017.3.19)

赤雲水

当山の返答

黒雲水

26歳のときに上野の映画館で『千と千尋の神隠し』を観たときは、人間の欲のお話なのかと思いましたが、それだけではありませんでした。

冒頭の両親が昏睡状態の豚にみえてくる場面は、人間が両親との問題に対峙しはじめたことの象徴にもなってます。 その直後にアイデンティティクライシスが起こり、「千尋」という俗世の名前を忘れて“神隠し”に遭い、「千」としての修行がはじまる。 最初は釜爺のところでぼちぼちと…ここは私が27-37歳で体験したことです。

本格的修行道場の湯屋では、まず師に相当する腐れ神が登場し、その後にペルソナと自己同一化したせいで本来の面目をうしなったカオナシがやってくる。 その試練を終えると俗世の名前を思い出し、導師となる資格を得るための昏睡状態の豚の性質を見分ける最終テストを受ける。 それに合格できると、ようやく湯屋を後にして、ひとまわり成長して俗世に帰還する。 ここは私が38歳くらいから現在までに体験していることです。

先日43歳になったのですが、そのとき夢で「脳の手術をはじめます」と告げられました。 それから、ようやく中心軸のコアのところにアプローチできるようになってきたんです。 おかげで中心線を取り戻すお話というのもなんとなくわかるような気がします。 私もいよいよなのかな。

『千と千尋の神隠し』でみせた宮崎監督のインスピレーションは、それを観るものの内的体験レベルに応じて、各人各様の解釈を成り立たせるところが素晴らしいです。 アラビアンナイトやイスラムのスーフィズムの物語にも同様の“神隠し”の物語がありますが、これほどのものは私も目にしたことがありません。 多くを語らずとも、物語自体が能弁にものがたり、心にわだかりをつくる。 こういうものがホンモノの物語だとおもいます。

そんなわけで、この映画は宮崎監督自身が無意識から無自覚に引っ張り出してきた物語のようですから、ストーリーの流れに逆らわずに制作していったら、必然的にこうなったというようなもののようです。 「舞台は風俗産業をモチーフにしている」というのもストーリーの流れを引っ張りだすための足がかりについて語ったもので、物語を創作しているとこういうことがよく起こるようです。 自分でも思いがけないところから本筋に辿りつくというような…。 なので、こういうインスピレーションで創作された作品の場合、創作過程について本人が語っていることって、あまり物語の解釈の役に立たないことが多いんですよね。

おかげで「性欲にひたると魔女に支配される」「龍を従え、魔女に報復」というのは見落としてました。 あのエピソードは何を象徴しているのかよくわからなかった。 たしか『太乙金華宗旨』でも性エネルギーの話のところで九龍という言葉が出てきてましたが…ということはハクという名前には“魄”と漢字を当てることになる。 ちっとも思いつかなかったなあ。

それにしても魔女って、おっかねえ。


権兵衛様の投稿

以前に『かもめのジョナサン』を教えていただいたものです。 そのときはどうもありがとうございました。

いろいろありましたけど、とにかくなぜだか釜爺さんと布施さんのコメントをみて気になったことがあって、お聞きしたいです。

『千と千尋の神隠し』に豚を見分ける試験があって、それを布施さんもなされたということですが、たしかあのシーンでは出された豚の中に両親がいないのが正解でしたが、布施さんの場合だとどうなっていたのでしょうか?

よろしくお願いします。

桃雲水

当山の返答

青雲水

『かもめのジョナサン』もそうなんだけど、『千と千尋の神隠し』はいろんな見方のできる優れた物語で、これから書いていく記事(『養心門』シリーズ)の理解にも役立つとおもうから、ちょっと謎解きしておこうと思います。

[両親が昏睡状態の豚にみえてくる場面]

27-37歳までは両親のもとから精神的に出家できるかどうかがひとつの課題になる。

で、私の場合は27歳で東京から札幌の実家に戻ってきたときから、両親と自分の思い癖の共通項をみつめることになった。 そこがすべてのはじまりだったのね。 ギリシア哲学でも「汝、自身を知れ」と云われるけど、両親を「関係性の鏡」にして自分自身を知っていったということです。

で、自分自身を知るとあらゆるほかの人たちをも知ることになる。 たとえば誰かと対立することになっても、なぜ相手がそんな風に感じているかを理解できるようになる。 するとそこに“ゆるし”が起こるんです。 それは“いつくしみ”と言ってもいいとおもう。 だから“ゆるし”とは理解のことなんです。 理解こそが“ゆるし”なの。 その理解というか“ゆるし”を学ぶ入口に両親が立ってる。

ただ、両親の性質は自分と近似しているからよくわかるんだけど、自分とはまったく違う性質の人になると理解するのが難しいんです。 だからこの段階を乗り越えると、次には両親以外の人を関係性の鏡としてさらに自分自身を深く知る修行に移ることになる。

[本格的修行道場としての油屋の場面]

私の場合、38-42歳までは俗世から隔絶された環境にいたから、私にとってはこのブログのコメント欄が油屋になった。 まあ、賑やかなコメント欄だったよね。

○腐れ神

これは正師・秀爺ね。 「なんか面倒くさそうなやつが来たなあ」みたいな第一印象を伴ってやってくる。 でも修行者はそれがすげえ神様なんだってことを見抜かなくちゃいけない。

覚者というのは自我が落ちてるから、相手の心の問題点を映し出す「関係性の鏡」として目前にたち現われてくる。 “変幻自在の古だぬき”なんです。 だから正師の生態を理解しようとすることで自分自身をより深く理解することもできる…「汝、自身を知れ」というわけ。

だけど、腐れ神が現れるまでに、両親を関係性の鏡として自分自身を知るという修練を積んできていないと、ただ<<面倒くさそうなやつが来た>>とおもうだけで、それが覚者だと見抜くことができないのね。 おかげで正師を取り逃がしてしまうことになるんです。 なのでこれが最初の試練。

○カオナシ

で、次にやってくるのは両親とは違う性質をそなえた人の中でも無知な部類に属する人たち。 無知な人間というのはアフマド・アルバダヴィーというスーフィーの導師の定義によるとこんな感じになる。

「あまりに鈍感で、真理への絶えざる専心と自己発展の努力と勇気を通じてのみ知りうる事柄を、思考や感覚の力によって認識できると思い込んでいる者たち」

このブログにはカオナシが三人やってきたんだけど、彼らは悟りの世界を一瞥できるだけの禅定力を身につけてはいたんだ。 映画のカオナシもそういう神秘科学的な力を身につけていたでしょ? つまりカオナシというのは、あまりに無知なために覚者になり損ねた「禅定バカ」なんです。

そういう無知な人たちはあきらかに言動がおかしいから性質を見破ることは比較的簡単なんだけど、やっぱり喧嘩を売られると頭にくるもんだからね。 そのやりとりを通じて理解と冷静さを身につける。

カオナシってイキがってるんだけど、もともとオツムの弱い連中だから、なんかカワイイの。 手招きしてからかいたくなっちゃう。 何かの拍子に態度が豹変するところなんか、まったくあの映画の通りだよね。

○昏睡状態の豚

昨年の八月(42歳のとき)にカオナシの一件が落着したら、今度は昏睡状態の豚がやっぱり三人あらわれた。 ただ、この人たちは無知ではないんだ…普通の凡人たち。 これは老子が『道徳経』の41章で定義してる中士にあたる。

「道を聞いたらそれが正しいことはわかる。けれども理解して、なおかつ理解しない者たち」

こういう人たちは、処世術に長けていて、あるていど自制ができるから洗練された謙虚さを身につけてる。 だから「真実の謙虚さ」が身についているかどうかで見分けるのね。 一般的な道徳律にしたがっているだけなら「偽善の謙虚」、道(タオ)や法(ダルマ)にしたがっているなら「真実の謙虚」。

カオナシと昏睡状態の豚は、性質としては求道者の素質を持って生まれてきたんだけど、中途半端に生きてきたおかげで、本格的修行道場としての油屋での修行をゆるされなかった人たちなんだ。 だから、彼らを正道に戻すために「えんがちょ」って鉄槌をくらわせなくちゃいけない。 神隠しの最後の試練では、両親ではなくて、そういう人たちが最終試験としてあらわれる。

だから、最後の試験で見分ける昏睡状態の豚の中には「両親がいない」。


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