トップ写真 ゆんフリー写真素材集
Contents menu
Google Search
Google
Web サイト内
関連記事リスト

【BBS:Q&A 77】コミュニケーション

仁悟の坐禅相談室『坐禅の智慧で答えます。』 コミュニケーション

Presented by

2016年1月:penguinewalk様より


penguinewalk様の投稿

わたしは先月布施さんのHP(電脳山 養心寺)を見つけて一気に読んだ者です。

そして今年に入って、この武禅ライフと、コメント欄のやりとりをまた偶然見つけて、また一気に読みました(養心寺に続きがある!と驚喜)。 先が見えない中で、とてつもなく大きな励ましと光とを貰いました。 ありがとうございます。

こういうのは、あまり書くのは、自分でもばかみたいだなあと思っていますが、書きます。

わたしは現在 32歳で、今年33歳です。 昨年、今迄生きてきた中であまりにも大きな出来事が重なり、参っていました。 親と喧嘩して距離を取る事になり、この人だと思った人とも別れ、この先手に入るかどうか分らない大事なものもの失くし、しごとを休み、暗いところに行きそうでした。

そんな折、秋に<バガヴァッド・ギータ>を手に取りました。 ヨガを続けてきて、文献も読む中でかならず出て来る<ギータ>に本屋でたまたま出くわしたのがきっかけです。

わたしは、踊りを大人になってから専門的にはじめてやっているのですが、それがなぜ先にすすまないのか、さらにいえば、どうして自分の人間性が先に進まないのか。 <ギータ>を読んで行く中で、雪崩が起きるみたいに一気に思ったことがあります。 それは、私が、、、人間ごときが、頭で考えてあれこれやろうとすること自体がよこしまなのだ、というただそれだけのことでした。 ただ、わたしにとっては、ズドンとあたまかち割られるようなことでした。

そのような中で、一つ、体の力が抜けるのがわかりました。 すると、力の抜けた身体の心地よさと、身体の中の滞りがわかるようになりました。 また、滞り(凝り)に呼吸を通すことで、取れることもわかるようになってきました(<気>なんでしょうか?まだよくわかりません)。

それから胸のあたりの汚れがクリアになった感じを保てるようになり、眉間の集中が少しだけはっきりとなり、軸の取り方が変わってきました。 そんな中で、少しずつ踊りに対する意識も変わって来ました。 踊りは瞑想なんだ、という気持が生まれました(エゴがあったら、踊れないです…)。 同時に、人に関わる事が、苦手なりにですが、少し変わったと思います。

そして、去年の暮れ頃からチャクラの事や、呼吸、アニミズム、仏教についての情報が、いろんな所から入ってくるようになり、さらには、チベット体操を始め、瞑想(呼吸を全身に通す事と白隠の卵を感じること)を始め、そして、インターネットを駆使するタイプではなかったのですが、布施さんの文章に出会いました。 それが昨年の秋から、今年の始めにかけて、立て続けて起こっている事です。

長くなってしまいますが、わたしが身体事に入ったきっかけは、25歳のときにある高齢の芸術家に「人間になれ」と言われたことが始まりです。 それを言われた瞬間、ほんとうに<ガーン>という音が頭のなかで鳴り響き、それから暫くの間、放心状態が続きました。 自分が人間でない自覚がどこかにあって、それを誰かに言って欲しかったのだと今は思います。

わたしは受験なども経て、他人を蹴落として進むこともいとわず、幾度かの精神的な危機があったにもかかわらず、この世の中でなんとか努力して、生き抜くのだ、他を排除してでも、という世界に浸って来てしまっておりました。 周囲の期待に応えたい願望もとてもありました。

でもそれではどうにもならなくなっている自分が、25歳のときから少しずつ前に現れ、それまでの優等生的人生経路とは真逆の方向を探ることをはじめました。 そしてアタマとカラダを根本から変える必要性に迫られて、でもなかなか出来なくて、七転八倒しながら色んな事を試して、(本当にかっこわるくて、人にはいえないです)今に至ります。

小さい頃から、どこか精神的な事とか、自然のことばかり考えるきらいがあって、なんだか見えない世界のことばかりぽかんと考えて来ました。 そして社会的な事は、どこかどうでもいいと思っているにもかかわらず、勉強したり会社に入ったりして、なんだかちぐはぐな努力ばかり、余計な力ばかりの人生です。 そして、一銭にもならないことにわけもわからず打ち込んだりして、はや三十路を過ぎ、将来の展望も目標もさだめられなくて、他者とのかかわりも浅いまま。 もう、だめかなと思っていた矢先に、ここを読んで、わたしまだこれからなのかな?と思う事ができました。 (どの辺りにいるのかは、よくわからないのですが、、、道は続くような気がします)

わたしも(女ですが)禅者になれるのか? もう少し踏ん張りたい。

布施さんの文章は、リズムがあって、無駄がなくて光ってて、ほとんどのめり込むように読みました。 そして、今生きている禅者のライブ中継を読むことが出来たことは、とてつもない幸運です。

長々と、すみません、ありがとうございました。

(2016.1)

【当山解説】
 この投稿者は、約半年後の8月に33歳の“ぷっつん体験”の時節を控えていて、そのための最後の勇気を集めにやって来ていたらしい。 この後、8月に実際に勤めていた会社を辞めて“ぷっつん体験”することになる。
 当山はこの投稿の2ヶ月後の3月に42歳になろうとしていたのだけれど、『電脳山養心寺』のメソッドを実践して実際に“ぷっつん体験”したのは、この投稿者がはじめてのケースになった。 そういう意味でこれは貴重な投稿である。
 この投稿者は、23-25歳の厄年から31-33歳の大厄に至る経緯や、そこで感じる心境の変化を、自分の言葉でしっかり説明していることがわかるだろうか。 当山もこの投稿者と同じ年頃に同じ内的体験を経ていたため、彼女が何を伝えようとしているのか良くわかったし、彼女が8月に“ぷっつん体験”に至るだろう宿命を確信することができた。
 これは、真っ直ぐに生きていたら、誰もが同じ年頃に同じような心境の変化を体験することの証明だろう。

赤雲水

当山の返答

黒雲水

私も『バガヴァッド・ギーター』は愛読書のひとつであります。 私の禅の道はカルマ・ヨーガという系統に属しているらしいのですが、『バガヴァッド・ギーター』を読むと「そうそう、コレコレ」なんて思えるんです。

------------------------------------------------------------
><ギータ>を読んで行く中で、雪崩が起きるみたいに一気に思ったことがあります。 それは、私が、、、人間ごときが、頭で考えてあれこれやろうとすること自体がよこしまなのだ、というただそれだけのことでした。 ただ、わたしにとっては、ズドンとあたまかち割られるようなことでした。
------------------------------------------------------------

32歳はこれからの修行ツールを手に入れる時期。 ちょうどよい時期に、適切な気づきを得られたようですね。

------------------------------------------------------------
>そのような中で、一つ、体の力が抜けるのがわかりました。 すると、力の抜けた身体の心地よさと、身体の中の滞りがわかるようになりました。 また、滞り(凝り)に呼吸を通すことで、取れることもわかるようになってきました(<気>なんでしょうか?まだよくわかりません)。
------------------------------------------------------------

ヨーガでは気のことをプラーナと呼びますけれども、日本語に翻訳すれば“呼吸エネルギー”といったところ。 つまり呼吸力のことです。

で、これなんですけど、面白いなあ、と思います。

------------------------------------------------------------
>そんな中で、少しずつ踊りに対する意識も変わって来ました。 踊りは瞑想なんだ、という気持が生まれました(エゴがあったら、踊れないです…)。 同時に、人に関わる事が、苦手なりにですが、少し変わったと思います。
------------------------------------------------------------

私は頭でっかちで身体から入るタイプではなかったから、文章修行を通じてエゴの観察をしてきてて、それが瞑想修行の補助になっていた感じがするんだけど、踊りが同じ効果を持ってるなんて、面白いですよね。

------------------------------------------------------------
>25歳のときにある高齢の芸術家に「人間になれ」と言われたことが始まりです。 それを言われた瞬間、ほんとうに<ガーン>という音が頭のなかで鳴り響き、それから暫くの間、放心状態が続きました。 自分が人間でない自覚がどこかにあって、それを誰かに言って欲しかったのだと今は思います。
------------------------------------------------------------

求道者にとっては23-25歳の厄年に入口があります。 そのとき、ちゃんと聞く耳が開いていたんですね。

「自分が人間でない自覚がどこかにあって、それを誰かに言って欲しかった」

こういう心の準備を常日頃からしていないと、時節が到来して、絶好の機会がやってきても変われないんですよ。 それまでの努力が実ったんですね。

------------------------------------------------------------
>わたしは受験なども経て、他人を蹴落として進むこともいとわず、幾度かの精神的な危機があったにもかかわらず、この世の中でなんとか努力して、生き抜くのだ、他を排除してでも、という世界に浸って来てしまっておりました。 周囲の期待に応えたい願望もとてもありました。

でもそれではどうにもならなくなっている自分が、25歳のときから少しずつ前に現れ、それまでの優等生的人生経路とは真逆の方向を探ることをはじめました。 そしてアタマとカラダを根本から変える必要性に迫られて、でもなかなか出来なくて、七転八倒しながら色んな事を試して、(本当にかっこわるくて、人にはいえないです)今に至ります。
------------------------------------------------------------

35歳までの求道者なら誰でも、まずは俗世でエゴに染まることの屈辱を体験しなければなりません。 そうしてエゴの悲劇を味わい尽くした人だけが35歳から生まれ変われるんです。 それは宿命みたいなものですから、あまり自分を責めずに、いま為すべきことをやりましょう。

31-33歳の大厄の時期に重要なのは、どこで、どうやって人生の選択を間違えてしまったのか、その原因を心の中に見つけることであります。

------------------------------------------------------------
>ここを読んで、わたしまだこれからなのかな?と思う事ができました。 (どの辺りにいるのかは、よくわからないのですが、、、道は続くような気がします)

わたしも(女ですが)禅者になれるのか? もう少し踏ん張りたい。
------------------------------------------------------------

そうです。 まさに、これからです。 40-42歳の大厄まで踏ん張れば、それまでの人生に起こった出来事がすべて一本の線でつながって、目の前に一本の道が現れてきます。 そうなったらねえ、たまらないよ〜。

それにしても女性というのは、ほんとに謙虚だよね。 偉いよなあ。

------------------------------------------------------------
>布施さんの文章は、リズムがあって、無駄がなくて光ってて、ほとんどのめり込むように、読みました。
------------------------------------------------------------

わおっ!こういうのすげえ嬉しい。 どうもありがとう。 それから、よろしく。

(2016.1)


penguinewalk様の投稿

お返事ありがとーございます!

------------------------------------------------------------
>私の禅の道はカルマ・ヨーガという系統に属しているらしいのですが、『バガヴァッド・ギーター』を読むと「そうそう、コレコレ」なんて思えるんです。
------------------------------------------------------------

禅の道とヨーガの道が重なっているところが、養心寺をよみはじめたころ、かなり新鮮でした。

------------------------------------------------------------
>32歳はこれからの修行ツールを手に入れる時期。
------------------------------------------------------------

修行ツールですか、、、

なんと言うか、踊りとか諸々をはじめて、5-6年くらいかかって、ようやく身体の力を抜く事が意識してできるようになってきましたが、それは単なる序章みたいで、多分もっと力は抜けるし、身体と心の奥がもっともっとある気がするんです。 が、そこに行けなくて、

ほんとうは何を感じているんだろう?
ほんとうに何か感じてるんだろうか?

時々、わたしは本当は何も感じてないサイボーグなんじゃないか、と空恐ろしくなります。

<あなたの踊りは、日常性から外にでない。 社会性をはぎとらないと>

と言われます。 なにかはみだすための、めちゃくちゃな機動力みたいなものを働かせないと、先がなさそうです。 ちゃんと座ってみる必要があるのかもしれません。

、、、ちょっと 考えてみます。

------------------------------------------------------------
>文章修行を通じてエゴの観察をしてきてて、それが瞑想修行の補助になっていた感じがするんだけど、踊りが同じ効果を持ってるなんて、面白いですよね。
------------------------------------------------------------

なにかを<やろう>と思ったとたんに、動きにエゴが入って、そうすると、もうだめです、、、見ててもやってても、気持ち悪い! 自分でやろうとしないことがミソなんだと、ギータから学びましたが、なかなか待つ事が出来ません。

今書いていて思いましたが、わたし多分、観察する能力が欠けている気がする、、、エゴを観察する、って、そうかあ、、、なぜか「何か気持悪い」で止まってました。

------------------------------------------------------------
>31-33歳の厄年の時期に重要なのは、どこで、どうやって人生の選択を間違えてしまったのか、その原因を心の中に見つけることであります。
------------------------------------------------------------

原因を心の中に見つけること、ですね。

たぶん、一つは親との関係です。 考えて来たつもりだけど、何か解消されてないです。

心の中に見つけることかあ、、、

------------------------------------------------------------
>そうです。 まさに、これからです。 40-42歳の厄年まで踏ん張れば、それまでの人生に起こった出来事がすべて一本の線でつながって、目の前に一本の道が現れてきます。 そうなったらねえ、たまらないよ〜。
------------------------------------------------------------

長いなーはるかはるか遠いな〜、、、 そのときまでワタシ 女でいられるだろうか。

がんばります。

また よろしくお願いします!

(2016.1)

桃雲水

当山の返答

青雲水

男は男の美学を追求していくと自分の中にある女性的な直感とか受容性が育ってきます。 一方、女は女の美学を追求していくと自分の中にある男性的な知性とか創造性が目覚めてきます。

こうして両性の性質を備えてはじめて一人前ですので、女性として生まれたからには、まずは女の美学をしっかり身につけないといけません。 たぶん、それがpenguinewalkさんにとって最善の道になっているんだと思います。

なので、いつでも美しい女でありましょう。

------------------------------------------------------------
>なんと言うか、踊りとか諸々をはじめて、5-6年くらいかかって、ようやく身体の力を抜く事が意識してできるようになってきましたが、それは単なる序章みたいで、多分もっと力は抜けるし、身体と心の奥がもっともっとある気がするんです。
------------------------------------------------------------

延髄中枢に超意識というのが眠っているんだけど、それが自性とか本性とか呼ばれているものの正体なんです。 で、そいつが目覚めると身体の奥にある中心軸がみえてきます。 ほんとに少しずつなんだけどね…。 その軸が頭頂から踵(かかと)まで抜けるようになると身心統一ということになって、統計的には40-42歳の厄年の頃に達成するというのが一般的なパターンです。

penguinewalkさんの場合、これまでの努力のおかげで、今ちょうど延髄中枢の超意識が目覚めはじめる過程に入ってるのね。

その課題は二つ。

------------------------------------------------------------
>たぶん、一つは親との関係です。 考えて来たつもりだけど、何か解消されてないです。

心の中に見つけることかあ、、、
------------------------------------------------------------

自分の本心にしたがった人生の選択をしないと、だんだん性格がゆがんでいってしまいます。 ほとんどの人は、どこかで自分の本心をゆがめて人生の選択をしてしまっているんですよね。 penguinewalkさんは、求道者なので、おそらく15-16歳くらいに何かあったんじゃないかな。 優等生的人生経路に大きく舵(かじ)をきった頃です。

その原因が、たいていは知らず識らずに両親から植えつけらてきれた言葉にあるんです。 「そんなことをしてはいけない」 「それはおかしいじゃないか」 「私の子供ならこうあるべきだ」みたいなものですね。 その心の中にある“両親の声”に耳を傾けて、聴いて、聴いて、聴き続けるんです。

そうすると、その両親の声に、反発したり、迎合したり、応えようとして、みずから本心をゆがめてしまっただけなのに、それを両親のせいにしたりしているヤツみえてきます。 そいつが自我(エゴ)です。

その自我(エゴ)を観察するの。 そうすると、もう一つの課題もクリアできる。

------------------------------------------------------------
><あなたの踊りは、日常性から外にでない。 社会性をはぎとらないと>と言われます。
------------------------------------------------------------

このお師匠さんすごいね。 よくわかってると思います。

「社会性をはぎとる」というのは、優等生的人生経路に大きく舵(かじ)をきった頃から身につけてきたアレコレを捨てること。 それは自分の本心をゆがめるのを止めるということですから、「自分の本心にしたがう覚悟」に等しいんですけど、突き詰めていけば、両親の声が「自分の本心にしたがう覚悟」の壁になっていますから、そいつを突き破ることができれば「社会性をはぎとる」こともできる。

------------------------------------------------------------
>なにかはみだすための、めちゃくちゃな機動力みたいなものを働かせないと、先がなさそうです。
------------------------------------------------------------

で、両親の声に反応して、ああだこうだとへ理屈を繰り返している自我(エゴ)を観察する糸口をつかんだ頃に、必ず何か頭をハンマーで殴られるようなイベントがあるはずです。

私の場合は、33歳の夏に受けた面接で情けない男に出会ってね。 「自分の本心にしたがう覚悟」を決めなきゃいけないと思ったの。 それが“ぷっつん体験”。 両親の声に反応して、ああだこうだとへ理屈を繰り返している“リトル仁悟”と対峙して、自我(エゴ)を直視したのはその秋だった。

そうすると面白いものでね。 突然、環境がガラリと変わって、35歳からどういうわけか作家志望になった。 それで今に至るというわけ。

こうして環境がガラリと変わると、いよいよ、この先に進めます。

------------------------------------------------------------
>今書いていて思いましたが、私 多分、観察する能力が欠けている気がする、、、 エゴを観察する、ってそうかあ、、、なぜか「何か気持悪い」で止まってました。
------------------------------------------------------------

これは環境がガラリと変わった先に待っている運命の試練で克服するものなんです。

だから、penguinewalkさんにとっては、このさき一年くらいが人生の勝負どき。 今が一番つらい時期だけど、乗り越えたら必ず先が見えてくるから。

いい時期に電脳山養心寺にきたみたいだね。

(2016.1)


penguinewalk様の投稿

幾つか質問がありコメントします。

見性について、布施さんはリトルと対峙したときのことを書いておられましたが、リトルの存在と体験の昇華のためにする“決一槌”というのは、そのようにはっきりと言語化できる位のものでないとならないとお考えですか。

ここのところ、ずっと過去を観ることをしていると、わたしはどうやら大分若いとき、、、小学校の中?高学年くらいのときより道を徐々に見失っていたらしいと、確信にいたりました。ガーン、、、。

それには、実は、はっきりとした理由があって、「ワタシ、喜んだり驚いたり、なんだか前みたいにできない」と言葉にして父親に言った事をすごくよく覚えているんです。 あれ、おかしいな、前みたいに感情が動かない、となにかくっきり感じた強烈な思い出があります。 その少し前、担任の先生の言動がとても嫌でうまくいかず、問題になりました。 友達ともうまくいかないことが出てきて、学校もさぼったりしてました。

それで、家で自分をなぐさめられるかといったら、それは自然に触れているときだけで、家では自分を認める基準を、親が外部に求めている事を敏感に察知していたんだろうと思います。 それで、そのように、徐々に、道を外す、と。 それ以降も、折々、あ、ここ大きく外しね、というのが幾つかあります。

確かに、分裂病というのは良くわかります。 仮面を被った自分を自分だと思っているから、あらぬ方向に自分が分かれて行ってしまうんですね。

昨年末から、そういった過去のあれこれをやったりすると、ものすごく涙が出て来たり、座って過去をつぶさに見るとイメージが強く出て来て結構きつかったこともありました。 あと、チベット体操と気功法をやったりしているせいか、たまらないだるさなどが出ることもあります。 すこし経つと、一つ何か(胸の滞りとか、、、)が軽くなったことがはっきり分かることもあり、これは、こういうことだろうか、と自分なりに説明をつくってみたりするんですが、布施さんはそういうことはありましたか?

(2016.2)

緑雲水

当山の返答

赤雲水

『ちょっとはマシな坐禅作法』の「リトル仁悟はかく語りき」を書いたのは、40歳になって数ヶ月経ってからのことで、それまでは書こうと思っても書けませんでした。

内的体験が自分の中にいったん沈みきって、それが自分の言葉として浮かんでくるまでには、それなりに時間がかかるものでして、33歳の内的体験を消化して言語化するのに7年かかった、といったところでしょうか。 これには、それなりの文章技術もなければいけませんから、私の文章技術がちょうどその頃に書けるレベルに達していたということもあると思います。

また、ものごとを体系化して説明する能力も不可欠でした。 私が学生の頃は、学校の先生の教え方があまりに下手クソなので「こいつら努力不足だ」なんて思ってたものですけど、そうじゃなかったんですよね。 ものごとを体系化して教えるというのは“天性の才能のひとつ”らしくて、どんなに努力してもダメな人はダメなんです。 自分の本心にしたがって生きていないと間違った職業を選んでしまうこともありますから、あの学校の先生たちはそういう人種だったんだと気づいたとき、いろんなことが納得できました。 で、私の場合、たまたまそういう才能を持って生まれていたようなので、これは誰でもできることではないんじゃないでしょうかね。

------------------------------------------------------------
>昨年末から、そういった過去のあれこれをやったりすると、ものすごく涙が出て来たり、座って過去をつぶさに見るとイメージが強く出て来て結構きつかったこともありました。あと、チベット体操と気功法をやったりしているせいか、たまらないだるさなどが出ることもあります。すこし経つと、一つ何か(胸の滞りとか、、、)が軽くなったことがはっきり分かることもあり、これは、こういうだろうか、と自分なりに説明をつくってみたりするんですが、布施さんはそういうことはありましたか?
------------------------------------------------------------

penguinewalkさんは、とても順調に来ていて、たぶん、もうあと一歩で“リトル”と対峙できるところまできているんじゃないかと思います。

これ、観察してるとすごく面白いんだけど、求道者の人たちって、同じ年齢の頃に、同じことを考えて、同じ行動をとるものなんです。 で、

― その時々に内的体験をどれだけ積みあげてきたか ―

それが33歳の大厄のときに試される。 誰でもハンマーで頭を殴られるようなイベントを体験するんだけど、そのときに“ぷっつん”して方向転換するだけの勇気が身についてないとダメなんです。 そのための準備活動を27歳くらいから少しずつやっているように見受けられます。

チベット体操とか気功法とかに興味を持つのもそうだし、過去を振り返るのもそうだしね。 私も、penguinewalkさんと同じ年齢の頃に、やはり同じようなこと考えて、同じような体験をしてきているんです。 小学校の中高学年くらいの体験もそうですね。 涙はちゃんと観察できている証拠みたいなものです。

それで求道者は27歳になるといよいよ外側に向けていた視点を自分の内側に向けはじめるんだけど、このとき問題が起こる。

それまでは何でも他人や社会のせいにして誰かを責めてやり過ごしていれば自分の心を慰めることができた。 でも、自分の内側に向かいはじめると、その誰かを責めていた刃が自分自身に向かってくるんです。 たとえば、自分のふがいなさに落胆したり、自分は役立たずなんじゃないかと思い込むようになっちゃう。 いわゆる自律神経失調症だよね。 それでも自尊心を守ろうとして強がってると余計にひねくれちゃって、職場なんかでは“腫れ物”みたいになるの。 それを解消しないまま32歳くらいから気功法とかヨーガに興味を持っちゃう人が邪道に走るんです。 特殊な能力を身に着ければ突破口が開けると思ってのめり込んでしまうのね。

もちろん解決策はそこにはありません。 必要なのは、自分を責めることも、他人を責めることもしないこと。

一、過去の自分の過ちを懺悔して他人を責めることをやめる。
一、自分を責めるような考え方を切り換えるために“言葉の処方箋”を何度も唱える。

32歳くらいから こうしたことをしっかり実践して、27歳以前に身に着けた思考パターンを一掃しはじめないと、33歳の大厄にある運命の試練は乗り越えられないんです。

最後に、アニムスの歌をひとつ。

どれほど目をこらしたなら 明日が見えるのだろう
ボクにもわからないけど 信じていたい
誰かを責めちゃいけない もちろん君自身も
何かが狂っただけさ よくあることさ

どれほど耳をすませば 答えが聞こえるだろう
ボクにもわからないけど 信じていたい
素直になれたらいいね 昔の君みたいに
笑って話してくれた 昔の君に

せめて君の夢がかなうよう
ボクは歌い続ける この歌を

(松山千春『夜明け』より)

33歳の大厄を乗り越える“夜明け前”ってこんな感じなんだよね。

(2016.2)


penguinewalk様の投稿

ありがとうございます。

見性というのは、そういうものですね。 そして、そうか、懺悔することと、自分を責めることは違いますね。

不思議なんですが、今、どうしても濃く関わらないといけない人たちがこぞって、ワタシがかつてまさにそうだった!という人たちで、全員がどこかしら、自分なんです。

かつてこういう風な思い違いをしながら人に接したり、自分を見損なっていたな、と。 日々思い知らされて、同時にそのとき怒ってくれた人は、こういう気持だったのか、それは怒るわな、と、、、

この関係は3月いっぱい濃く深く続きそうなので、これはこれで結構つらいものもありますが、ケジメをつけておかないといけないってことなのかもしれません。

いろいろ必要に迫られてやっているから、自分がほんとにそういう道の上にあるのか、全く未知ですが、、、

私のアイ・ポッドに「夜明け」、ちゃんと入ってましたので、これ初めて聞くのですが、今日はよく眠れそうです。

(2016.2)

緑雲水

当山の返答

赤雲水

どうやら因果律がみえてるみたいだから、内なる師に遭遇する“興菩提心体験”は透過してるんじゃないかな。 なのでバッチリ軌道に乗ってますよ。

で、次の見性体験なんだけど。 リトルと対峙して“ぷっつん体験”を昇華するための一槌を決めると ご褒美のイベントがあるから、たぶん、わかります。 親しい人たちとの旅行とかね。 それはスタンド・バイ・ミー現象でもあるから、最後の思い出になったりもするんだけど、それは“一期一会”ってことで楽しめばいい。

松山千春は典型的な早熟の天才で27歳までに一生分の歌を創ってるんです。 井上陽水とか中島みゆきなんかは、年齢相応の歌を創るんだけど、この人は違うの。 松山千春が若い頃に創った歌は聴いておくと後々役に立つよ。

(2016.2)


penguinewalk様の投稿

ちょっとはマシな、、、の“興菩提心”をもう一回読んでみたところ、これは、、、ううむ、、、全部、そのまま思い当たりました。

「心の奥底にもう一人の自分がいて、そいつが泣いているような感覚」という、まさにそうでしたし、ものすごく、ひとり、というのを思いました。 (寂しいとか孤独とかではなくて、たったひとりでここにあることの、何ていうのか、宇宙的な感じ)

何度か読んでいるはずですけど、自分が通ったあとの振返りじゃないとビシッっと来ないようになってるものですね。 布施さんの記事を読むのにいつも、あんたはただ未来に保証がほしいんじゃないのかい、何かあざといかな、という気持ちがあったんですが、そういうものでは全然ないみたいだ。

因果率、その試練という無茶振り、ですが、ある部分これを乗り越えるために、身体をみつめて色々はじめないとならなかった側面もある気がします。 あとは、ぷっつん体験を乗り越えられる勇気、と。

求道者とは、業がふかいということなんでしょうか。

陽水、中島みゆき、長渕と五輪真弓などをだいぶ小さい時から好き好んで聞いてますが、松山千春、気になっちゃいますね。

(2016.2)

緑雲水

当山の返答

赤雲水

どうやらバベル語を学んだみたいですね。

------------------------------------------------------------
>何度か読んでいるはずですけど、自分が通ったあとの振返りじゃないとビシッっと来ないようになってるものですね。
------------------------------------------------------------

経典の文言や聖典の聖句も同じ原理になってます。 自分が内的体験を透過してはじめてわかるようになる。 頭で理解していただけの知識がホンモノの智慧にかわる。 そういうバベル語の旋律が自分のハートと共振するときは自然に涙があふれるものなんです。

------------------------------------------------------------
>求道者とは、業がふかいということなんでしょうか。
------------------------------------------------------------

五輪真弓は聴き込んだことがないからよくわからないけれど、井上陽水、中島みゆき、長渕剛については、みんな求道者です。

井上陽水だと最初のアルバムのタイトルが『断絶』だからね。 社会と断絶しちゃってる感覚をもう二十歳そこそこで歌ってる。 そういう感覚を強く抱いている人が求道者なんです。 つまり、社会の敷いたレールの上を歩く虚しさを見抜いて、それに反逆しようとしてるの。 なんていうのかな。 時代やシステムが変わったら壊れちゃうものじゃなくて、自分が死んでも変わらないもの。 もっと恒久的な何かを求めてるのね。

だから、ほとんどの人が人生を妥協するポイントで疑問を投げかける。 「君たち、ホントにそれでいいのかい?」って。 井上陽水の『夢の中へ』とか中島みゆきの『ホームにて』なんかは、そういう歌ですよね。

なので求道者というのは、“業がふかい”というより、妥協点が普通の人より深いところにあるのかもしれません。 penguinewalkさんも、そういう性質を持っているから、彼らの歌に惹かれるんです。

ところが、そういうことを続けていくと完全に社会から孤立するときがくる。 それが33歳の大厄なのね。 それまでは、何だかんだ言っても社会の敷いたレールの上に立って吼えていればよかったんだけど、その足場が崩れ落ちるの。 それが33歳の大厄にある“ぷっつん体験”。 それは、自由への飛翔ではあるんだけど、自由を手に入れるとそれまで寄りかかっていたものが崩れ落ちてしまうのね。 何も頼るものがないから人生のすべてを自分の力で切り開いていかなければならないような気がしてくる。 だから今度は将来不安に追い立てられるようになるんです。

残念ながら長渕剛はその将来不安に耐え切れなくなって30代の途中で脱落していったんだけど、彼の失敗は従来の方法論でそこを乗り切ろうとしたことです。 でも、井上陽水と中島みゆきは違う。 彼らは自我を放棄することに気づいていった。 自分の人生のすべてを宇宙にまかせる視点へのシフトと言うのかな。 そういう視座の転換が起こると自我を放棄できるようになる。

------------------------------------------------------------
>布施さんの記事を読むのにいつも、あんたはただ未来に保証がほしいんじゃないのかい、何かあざといかな、という気持ちがあったんですが、
------------------------------------------------------------

私が“ぷっつん体験”以降にとった方法論は、将来不安を払拭するために、星まわりの科学を研究して、自分の未来をシミュレーションすることでした。 でもね、それはどこまで突き詰めても将来不安は消えないの。 その点に気づく頃から、ようやく自我の放棄を学び始めることができるんです。 <<思考による推理をどれだけ押し進めても人間の理解には限界がある>>…そこまでとことんやったら、あとは諦めるしかなくなるでしょう? ここまで来るのに、やっぱり33から42歳くらいまでの9年間が必要だったんじゃないかな。

------------------------------------------------------------
>あとは、ぷっつん体験を乗り越えられる勇気、と。
------------------------------------------------------------

おそらく今、penguinewalkさんは限界を感じてるでしょう? 現実社会で現在やっていることをこのまま続けていっても、自分の未来はないというかね。 そういう「もうたくさんだ。いい加減にしてくれ!」という“うんざり感”。 それが“ぷっつん体験を乗り越える勇気”につながるんです。

なので、もっと“うんざり”しちゃいましょう。

(2016.3)


当山雑感

この投稿者は、適切な時期にやってきて、適切な質問を投げてきたので、当山の返答も自然に的を射た助言となっている。

こういうものが“コミュニケーション”なのだ。 <受け容れる準備の出来ている者>と<求められたものを返す用意のある者>が出会ったときに、こういうコミュニケーションが起こる。

緑雲水

肴はとくにこだわらず厳選情報

HPランキング参加中!

凡人たちにも本物のスピリチュアルを!

ワンクリック運動に参加しませんか?

ブッダの瞑想法―ヴィパッサナー瞑想の理論と実践

坐禅入門の決定版!

心の欠陥を克服する唯一最善の方法は坐禅・瞑想を実践することです。そして、この本以上の坐禅・瞑想の入門書を私は知りません。

実修 真言宗のお経

真言は法蔵の扉を開く!

空海の言ったことはホントかウソか? 実践してみればわかること。

わが家の宗教 臨済宗

毎日唱えたいお経CD

大乗経典の要諦を示した『菩薩願行文』 坐禅の真髄を説いた『坐禅和讃』 気の通りをよくする『延命十句観音経』。附録CDの充実した一冊。

5つのチベット体操-若さの泉・決定版

これはエクササイズの革命だ!

たった5つの体操を毎日続けるだけで体調は良くなるわ、痩せるわで驚きの効果が・・・!?食事に関するアドバイスも実に簡潔で的を得たもの。これはエクササイズの革命だ!

決定版 真向法

チベット体操と併せてどうぞ。

たった4つの体操を毎日続けるだけで怪我を予防するための柔軟な筋肉を作れます。チベット体操と併せてどうぞ。

魂をゆさぶる禅の名言

何にもならない坐禅はやめよう!

坐禅は単なる心の慰めではありません。坐禅を人生に役立てるための智慧がここにあります。救いのある仏教の入門書。