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【BBS:Q&A 76】カオナシ地獄

仁悟の坐禅相談室『坐禅の智慧で答えます。』 カオナシ地獄

Presented by

2016年1月:秀兄(活発発)様・行者様・一修行者様より


秀兄(活発発)様の投稿

お邪魔します〜

『ちょっとはマシな坐禅作法』と『かなりキワどい坐禅作法』

本にして世に出さへんの?

間違っとる所を全部直して、時系列に並べて、ノンフィクションをフィクションとして出版社に売り込めば、いけるんちゃうかな?

フィクションならある意味、小説みたいなもんやろ? 嘘も方便やで。 それか絵や図を全面に打ち出して、絵本+解説みたいな物にする。

あと話は変わるんやが、中心点の移動の順番、俺の場合違うみたいなんや。

言ってもええかな?

(2016.1)

【当山解説】
 この投稿者は、31-33歳の大厄における人生の勝負時を迎えていたとき、“ぷっつん”する勇気がなかった。 それゆえ34歳の時点で引退の花道をひきあげなければならなくなったのである。
 ところが、その現実をおとなしく受け容れようとしなかったため、その直後から精神を病んで、精神世界をさまよいはじめたらしい。 すなわち典型的なカオナシなのだ。 この投稿の時点で、そろそろ38歳になろうとしていた。
 以下は、彼が以前に「活発発」というハンドルネームで投稿してきたときのコメントである。

31-33歳の大厄における選択の失敗

スタートが違うんですよ。 私の歩んでいたのが頓悟の道だったと、やっと気がついたんです(笑)。

震災で福島原発事故が起きた時ですね。 私の連れは外国人なんですけど、当然日本から避難しました。

その時に私は真剣に考えた。

(仕事も何もかも捨てて、一緒に逃げるべきか?)

でも私は死ぬ事を決意してしまったのです。

(被曝しようがガンで死のうが、まあ仕方がない)と。

正に天狗芸術論の(生きるは生きるに任せ、死ぬは死ぬに任せる)という心境です。

酷いめまいなどの体調不良は、そのあと始まり、36才で遂に死の直前まで追い込まれてしまいました。

ずっと変だと思ってたんですよね。 悟りの階悌があまりにも簡単すぎるし、適切すぎる。 常に最短ルートを走り抜けてる感覚でした。 あと、人に言えない経験が多過ぎるし。

(2015年12月の投稿)


 このコメントのあったとき、カオナシになっている現実を当山から指摘されたのだけれど、彼はその後もこりることなく「秀兄」という別のハンドルネームを使って頓珍漢な投稿を重ねた。
 こうした人たちは、歪んだ自尊心を満足させるために精神世界に入門してくるので、自分が思っている以上に精神年齢が低いという現実をなかなか認めようとしない。 おかげで「自分の立ち位置」がずっと高い位置にあると思い込んでいるため、増上慢になってしまう。 この投稿者のコメントには、そんなカオナシたちの“身の程知らず”がよく表れているだろう。
 またカオナシにはアリ地獄のように他人の足を引っ張る引力がある。 ここには、そのカオナシ地獄に巻き込まれていく修行者たちの様子も、よく描かれている。 カオナシにはよくよく注意しよう。

赤雲水

当山の返答

黒雲水

まだ本の形にする時節ではない気がするんだよね。 ここで展開している理論は、ほとんどの人にとって時期尚早だから、いま出版した場合、誤解されることは目に見えている。

たとえば、これね。

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あと話は変わるんやが、中心点の移動の順番、俺の場合違うみたいなんや。

言ってもええかな?
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秀兄さんの場合、まだ見性していないから、自我の観察がまったくできていないし、それがために自分の状況を客観的に判断する智慧が欠落し、なにごとも自分の都合の良いように解釈する傾向がある。 そういう場合、気の流入口が形成される時節が到来しても、延髄中枢が目覚めないため、中心点を別の場所に形成してしまうことになるんだ。 つまり、「中心点の移動の順番が違うみたい」ということは、秀兄さんは、いまのところ邪道を行っているというわけ。

こういう道理がさ、どれだけ説明しても、わからないみたいなんだよね。 普通の人には。

『ちょっとはマシな坐禅作法』と『かなりキワどい坐禅作法』は、現在まことしやかに信じられている密教的行法の誤りを指摘しているし、歴代の覚者たちが作り上げてきた伝統の欠点を暴き、むしろ、それらを真向から否定している。 ルネサンス時代もそうだったけれど、こうした逆説(パラドックス)を時代が受け入れるには時間がかかるんだ。 少なくとも私の理論を正確に理解できるもう一人の天才の登場を待たなければならない。

たとえば、ボッティチェリは、今でこそイタリアルネサンス期を代表する画家として知られているけれど、彼の作品が評価されたのは 彼の死後数百年経ってからだし、ガリレオなんかは、地動説を唱えたばかりに裁判にかけられた。

ただし、現代はインターネットという言論の武器がある。 私は今、そこで時節をじっくり待っているところなのだ。

これは米国の政治家・ベンジャミン=フランクリンが教えてくれたんだよね。 彼は自分の経営する印刷所で新聞を発行していたんだけど、何か新しい試みを議会に持ち込むときは、必ずその前に新聞紙上で問題提起をしておくんだ。 そうして機が熟した頃を見計らって議会に法案を提出する。

「天が下のすべてのことには季節があり時がある」というわけさ。

(2016.1)


秀兄(活発発)様の投稿

俺は邪道で行くで!って決めたわけではないんやが、言われてみるとそんな気もしますわ。

ほな、どないすれば延髄中枢が目覚めるんやろ??

チベット体操だけではアカンやろうしな?

延髄斬り

(2016.1)

桃雲水

当山の返答

青雲水

秀兄さんのいいところは、ここなんだよね。

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俺は邪道で行くで!って決めたわけではないんやが、言われてみるとそんな気もしますわ。
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こういう己れのオツムを疑う“謙虚さ”が男の美学を持ち合わせていないオカマな連中には欠けているんだ。 その“謙虚さ”を忘れてはイケナイよ。

さて、仏教では正しい法の理解を妨げている障りが三つあると云われている。 その三つの障りのカラクリを見破らなければ、正法を学ぶことはできないというわけね。

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一.業障…人生選択の岐路に立ったときに、友人・妻子の愛情や地位や名誉を失う怖れから本心に従った行動を妨げる障害。 結局、こうした人生選択の誤りが生死流転のカルマ(業)の原因となるため業障と呼ぶ。
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二.煩悩障…過去の人生選択の誤りが心理的な引っかかりとして残り、そこから派生して生まれる思考パターンの障害。 色欲、利欲、憎愛、嫉妬のような形で噴出し、間違った欲望をみずから作り出す原因となることから煩悩障と呼ぶ。
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三.報障…両親や社会的権威によって擦り込まれた思想、信条、主義、偏見などの知識に執着する障害。 こうした知識は、因果律にしたがい、過去に蒔いた因果の種子に応じて擦り込まれる果報であることから報障と呼ぶ。
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これら三障を生み出す自我のカラクリを見破れば、経典や運命の試練から正法を学ぶことができるようになる。 このカラクリを見破ることを“見性”というのね。 延髄中枢の超意識は“見性”することで目覚めてくる。

その具体的な方法が『ちょっとはマシな坐禅作法』の「Trial Impossible」と「心随観のヒント」に書いてある。 それを総括したものが『かなりキワどい坐禅作法』の「縁覚道の地図」なんだ。 ただし、それはあくまでも私が「三障を生み出す自我のカラクリを見破った体験談」にすぎないから、それをどうやって自分のケースに落とし込むかは工夫次第。 そこからはセンスが問われるんだ。

頑張ってね。

(2016.1)


秀兄(活発発)様の投稿

布施さん、わかりやすい説明ありがとうございます〜

せやけど昨日、臍下丹田を見つけてしもたんでん。

しばらくは邪道で行きますわ(笑)

あと俺はなにごとも自分の都合の良いように解釈する訳やけど、周りも困らへんし、自分も困らへん。 何も問題は起こらないんやで〜。 斉藤一人さんが言うてるのって、こういう事ちゃうのん??

あとヨギさん、何だか大変そうやな〜

ヨーガやってチベット体操やってダメなら、もう無理やろ(諦めたらええやん)。 生きるのも死ぬのも諦めると、もうひとつの道が見えてくるんやで。

(2016.1)

緑雲水

当山の返答

赤雲水

斉藤一人という人物は少なくとも三障を見破っているんだよ。 そのため三障を受け流すことができるから、悪果に結びつく因果の種子を植えつけることはないし、運命の好機を逃すような障害もない。 だから「何も問題は起こらない」と言えるんだ。

彼と君とはベースにあるものが根本的に違うのさ。

また、まず自らの<生>を癒すことができなければ、<死>を諦めることもままならない。 斉藤一人さんの言葉は、君のそういう借り物の言葉と一線を画していることすらワカラナイ問題児なのに、「何も問題は起こらないんやで」とはね、ホントにおめでたいオツムの持ち主だよ、君は。

せっかく素質があるのに、みずから人生最大のチャンスを逃すというのは、私にはさっぱり理解できないけれど、他人の人生の選択に口をはさむつもりはない。 君は生来の素質を持ちながら、周囲のアホたちに流され、そうやって脚を引っ張られることが一番の問題であるとも気づかずに、ホントのアホに成り下がってしまったのだろう。

私の周囲の友人たちも、そうやって人生を転落していったもんだよ。 25、33、37歳の厄年のとき、私はできるかぎりの忠告をしてみたけれど、それは彼らの耳を右から左へとすり抜けていった。 42歳の大厄を迎えた今となっては何もかける言葉が見つからないんだ。 残念なことだが因果の法則は非情なまでに正確に働く。 人生の選択もまたそれまで植えてきた因果の種子に左右されるもので、人間にはどうすることもできないのさ。 まあ、君の好きなようにやりたまえ。

餞別に、スーフィーの物語を君に贈ろう。

イスラムでは好機を知らせてくれる運命の兆候を“ハディル”と呼ぶ。 一説には緑色の魔人として擬人化されていたりするものだけれど、それは、いわゆる“直感”にほかならない。 もしもハディルが現れたら、そいつの髪でも何でもいいから、とにかく掴まなければならないと伝えられている。 もしも掴まなかったら…その結果は、40数えた頃にみずからの運命を以って知るだろう。

(2016.1)


秀兄(活発発)様の投稿

他人の人生の選択に口をはさむつもりはないのは、俺も一緒やで!

布施さんは悲劇の天才になりたいみたいやから、なったらええがな。 北斗の拳のアミバや、銀と金の中条を思い出すわ〜。

周囲のアホたちなんやが、布施さんもその一人やで! てな訳で、俺もこのへんでおさらばするわ。

餞別に、種明かししまひょか。

秀兄=活発発やでぇ

ほな!達者でな!\(^o^)/

(2016.1)

【当山解説】
 まるで小学生である。
 どうやら「おまえの母ちゃん出べそ」と言い合っているような子供時代に精神年齢が止まり、そのまま37歳になってしまったらしい。 これでよく社会人をやっていられるものだ。 まったく、なさけなくて仕方がない。

黒雲水

当山の返答

桃雲水

君は求道者として軌道に入っておきながら、運命の試練を中途半端に通過し、無駄に過ごしてしまったのだよ。

おかげで運命の試練から学ぶべきことがすべて知識どまりで智慧に昇華されていないのさ。 また、そのせいで性格がゆがみ、悪果につながる業の種子を植えまくり、今では運命のベクトルが転落へと向かっている。 そのゴロツキみたいな言動しかできない自分が恥ずかしくないのかね?

臍下丹田が活性化して健康になったとしても、運勢が悪かったら何の意味もないじゃないか。 それは私をなじってみたところで何の解決にもならないことだ。

まず人生の選択に失敗したことを認めるといい。 それを認めたくない己れの自我をしっかり観察するんだ。 そうすれば先がみえてくるだろうよ。

(2016.1)


行者様の投稿

秀兄さん、布施さんって結構重要な事を言っていると思いますよ。

秀兄さんがこういう精神世界系のブログを見てるって事は、今の自分に疑問がある、何か心に思う所がある、そのような事を自分の中に持っているって事ですよね? そのような事を考えていなければ、こうゆうブログに興味は持ちませんし、まして書き込みなんてしません。

実際に、この武禅ライフに書き込む人って、そのような人達です。 今日も、penguinewalkさんって方が書きこんでましたけど、やはり何か心に思う所があるようですよね。

秀兄さんって、活発発さんなんですよね? 布施さんが前に

「本当のことを語れよ。自分の言葉を。 人生をなんとかしたいからヨーガに興味を持ったんだろ。人生を切り拓くために武道をやろうと思ったんだろ」 とコメントされてましたけど、ただ、体を鍛えたいだけの人ならば、ヨガや武道はやっても、精神世界には興味はもたないでしょう。

自分は気功・ヨガ・呼吸法などをやってもいないのに神秘体験をした事が、精神世界に興味を持ったきっかけですが、それは珍しいケースで、ほとんどの人は、自分の中に何かの疑問があるから、興味を持つというパターンだと思います。

それで、それに対する答えが、自我完成、その先の自我放棄とか、この武禅ライフで語られている事ですよね。

これはなんとなくという感じの私見ですが、どの分野に限らず、ある程度の能力のある人って、自我完成は何となくできているように見えます。 その分野のトップクラスに立つような人は、特にそうです。 自我放棄の方は、人によるんですよね。 ただ、自我完成の方は必須という感じです。

また、これもなんとなくという感じの私見ですが、人生途中から転落というか、精彩を欠いてしまう人がいますが、このような人は自我というか、自分自身の価値観がない人が多いように見えます。 周囲に合わせるだけの人でも、上手く波にのれる事は多々ありますが、精彩を欠く場合は、本当の意味での自我が感じられない場合が多いですよね。

布施さんが、才能とか、センスとか、時節とか言いますけど、秀兄さんは少なくとも、自己に対して何か思う所があったわけです。 思わない人がいる中で、思ったわけです。 それが、布施さんの言う才能やセンスですよね。 そして、それと直面する機会があった、これが時節ですよね。

臍下丹田を鍛えるとかは全然良いと思いますよ。 布施さんとは見解が異なると思いますけど、プラスにはなっても、マイナスにはならないでしょう。

ただ、この武禅ライフ・精神世界と縁があったからには、他にも学ぶ事がありますよね。

(2016.1)

青雲水

秀兄(活発発)様の投稿

緑雲水

行者さん、布施さんは結構重要な事を言っていましたよ(過去形ですが)。 努力のみでよくここまで道を開けたもんだと、感心しています。

ただ、自分と同じなら正しい、違っていれば全て間違いという考え方。 要するに劣等感、自信の無さの表れなんですけど、これがどうやら乗り越えられないみたい。 鏡に映った自分と戦っているので、そっくりそのまま返せちゃう(笑)

禅者の厳しさを支持するって言ってたから、厳しく接していたけど、いざ自分の番になったら、てんでダメなんだもんな〜。 聞く耳も謙虚さもオツムを疑う事もいったいどこに置き忘れてきてしまったのやら。

布施さんの話はこのへんにして、俺の話なんですけど。

実は今でも精神世界とかそれほど興味がないんですよ。 体をなんとかしたくてヨーガとか始めた訳で、(クンダリニーって何ぞや?)って調べたらここに来た。

臍下丹田が活性化して健康になればそれで充分。 運勢が良い悪いなんて、知ったこっちゃないんです!

今現在で全てが足りている。過不足なし。 問題があってもそれはそれで良し!なんです。

でも天職の事になると、ついつい夢みちゃうよね〜(笑)

自我完成と自我放棄はどこを完成と見るか?
どこを放棄し終わったと見るか?

俺は完璧主義な所があって、完成したとか放棄できたとか思えないんですよ。 普通の人はたぶん、完成できた放棄できたと満足できるんだと思います。

他にも学ぶ事はもちろん、死ぬまであり続けます。

(2016.1)

【当山解説】

 ○「自分と同じなら正しい、違っていれば全て間違いという考え方。要するに劣等感、自信の無さの表れなんですけど、これがどうやら乗り越えられないみたい」

 当山は「違うものは違う」とはっきり指摘しているだけなのだけれど、それを「当山の劣等感、自信の無さの表れ」として片付けようとしている。 これは自分の愚かさを直視するのを恐れるあまり、他人に非をかぶせることで自尊心を保とうとする思考パターンの顕れである。

 ○「今現在で全てが足りている。過不足なし。 問題があってもそれはそれで良し!なんです」

 このように<いまここ>に意識をおくことができるようになるのは、40-42歳の大厄まで続く渾沌を透過した人だけであり、そうなったときには、自分のすることがどういうわけか道理に合致するようになる。 それは本来の面目の自然な行為を妨げていた自我が沈黙しはじめるからだ。 その境地に至っていないうちは問題行動を続けてしまうものなのだけれど、この投稿者は問題行動を起こしてる自我を客観的に観察することもなく、どこかで聞きかじった借り物の言葉を語っているのである。

 ○「俺は完璧主義な所があって、完成したとか放棄できたとか思えないんですよ」

 おそらく存在証明の喪失― アイデンティティ・クライシス ―を体験してきていないために、「自我の完成」と「自我の放棄」の意味するところがさっぱりわかっていないのだろう。 当山の場合、31-33歳の大厄で存在証明を完全に失ったところから、精神世界や禅に入門していった経緯がある。 そのため、この投稿者のようにアイデンティティ・クライシスを体験したことのない人物が、どうして精神世界に興味を持つのか…当山にはさっぱり理解できない。 そういう人物がこの世界に入門するのは危険が多すぎる。

 ○「臍下丹田が活性化して健康になればそれで充分」

 こんな風にヨーガや気功や禅をなめていてはイケないとおもう。


当山の返答

行者さん、よくわかったでしょう?

行者さんの話なんか、彼はまったく聞いちゃいない。 そもそも文章を読めてないから意味が通じてないじゃない。 ひどいもんだいよ。 これが“コミュニケーション障害”というやつです。 彼には、もう、何を言っても無駄なんだよ。

こういう人物に同情すると、ほんとに脚を引っ張られるから、まともに相手にしてはいけません。 ブチッと切るの。 ブチッと。

人生を転落することでしか学べない人もいるんです。 長いスパンでみれば、それはそれで何も問題はない。 だから下手に慈悲をかけるより、ブチッと切ったほうが相手のためだと思いません?

(2016.1)

赤雲水

行者様の投稿

黒雲水

秀兄さん

確かに、布施さんは独善的な所がありますし、前にも書きましたが、自分は布施さんの言っている事全てに賛成というわけではありません。

しかし、それでもやっぱりすごいですよね。 ちょっとはマシな座禅作法を見た時は、心に突き刺さるものがありました。 何か自分がなんとなく感じていた事をズバリ詳細に説明してくれているって、そう思いました。

SEから公認会計士の受験、それを捨てる過程などは圧巻でした。 「努力のみでよくここまで道を開けたもんだと、感心しています」 って書かれてますけど、まさにそうですよね。

精神的成長について書かれた本やブログって多くありますけど、ほとんどが当たり前の事を書いてるだけで、詳細な説明があるものって少ないですよね。 もちろん、当たり前の事をきちんとやる事は重要なんですけど、きちんと明示されると、やる側もやりやすいです。 昔も今も、布施さんは精神世界で、かなり大きな事ができるのではないか、とは思っています。

秀兄さんも、本質的に精神世界に興味があるタイプではないですか。 自分も入り口は偶然のようなものでしたけど、この分野の勉強で得たものは多いと思っています。

天職については、一応、自分は何ができそうかは、なんとなく分かってきています。 ただ、分かるには、本当の意味で自分と向き合わなければ、分かる様にはならないと、薄々感じています。 もっとも、本当に自分の天職を把握できているかは、分かりません。

修行や勉強は人それぞれですからね。 そして、それをサポートするために、布施さんが武禅ライフ、鬼和尚が鬼和尚のブログ、また、その他の方々が精神系のブログなどをやっていて、それを利用する人たちがいるわけです。

私も未熟ですし、互いにがんばりましょう。

(2016.1)


当山の返答

行者さん、あのね。

彼のやってることは、いわゆる“荒らし”とか“迷惑コメント”というやつですので、むしろ、「ここは君のような精神分裂症患者の来るところではない」「カウンセリングを受けにいきなさい」とはっきりわからせなくてはいけないのです。

「互いにがんばりましょう」なんて言ったら、また来ちゃうでしょ。

よろしくお願いしますわ。

(2016.1)

桃雲水

行者様の投稿

青雲水

秀兄さんが精神分裂症かどうかは分かりませんが、「達者でな」と言っているので、もう書きこまないでしょう。

「互いにがんばりましょう」っていうのは、エールの交換的な意味合いです。

(2016.1)

【当山解説】
 この行者と名乗る投稿者は、秀兄(活発発)がカオナシであることを理解できず、「エールの交換」などと悠長なことを言っている。 つまり彼もまた、カオナシと同類のカオナシ予備軍であるがゆえに見事に同調してしまっているのだ。 いわゆる「類は友を呼ぶ」というやつである。
 この投稿者は半年後に37歳8月の正念場を迎えようとしていたため、注意勧告をしたつもりだったのだけれど、まったく意図が伝わらなかった。 結局、この投稿者はカオナシたちに足を引っ張られ、翌年の2月から引退の花道をつけられてしまうことになる。


秀兄(活発発)様の投稿 【約半年後】

布施さん、お久しぶりです。

文章のキレも戻ってきたし、 無事に乗り越えられたみたいで、よかったですね。

前に「魔境に於ける幻想です。化城ですよ」 って言った事があったけど、やっぱりそうだったんですね〜

まあ一応の最後の仕上げを、お互い頑張りましょう!

(2016.8)

【当山解説】
 約半年後、当山が42歳8月の同窓会でぷっつんレディ2号の幻想が消えた話を書き込んだところ、この投稿があった。 このとき彼は38歳の8月を迎えていた。
 どうやらさんざん忠告を受けたにもかかわらず、まったく反省していなかったらしい。 おかげで37-38歳の渾沌を乗り越えることに失敗して、引退の花道をつけられていた。 残念ながら当山は引導を渡さなければならなくなった。

緑雲水

当山の返答

赤雲水

やれやれ…“化城”の意味がさっぱりわかってないじゃないか。

君は31-33歳の大厄の賭けに敗れたことを認めたくないがために、精神世界に入門した単なる臆病者だ。 精神世界の耳ざわりのいい言葉ばかりを受け入れ、“化城”を活用する方法を学んでこなかったから、精神分裂症を引き起こしてしまっているんだよ。

とにかくカウンセリングを受けに行って、そのコミュニケーション障害を治療し、ちゃんと文章を読めるようになってから、ここに来なさい。

ここにある内容は君の類人猿並みの知性では読みこなせない。 まずは31-33歳の大厄の賭けに敗れた現実を直視し、振り出しに戻ってやり直さなければならないことを自覚するといい。

(2016.8)


秀兄(活発発)様の投稿

う〜む。 布施さんのその劣等感、どうにかならないの?

座禅観行は外道の法…とは六祖慧能もよく言ったもんだ。

知識をいくら集めても何にもならない(他人の役には立つかもしれないが)。 それが全然理解できないのですね。

まあ今までどおりのやり方で、好きにすればいいと思いますよ。

(2016.8)

黒雲水

当山の返答

桃雲水

この半年間をかけて書いてきた『アニムスの歌を聴け』は、以前に君の残した頓珍漢なコメントの回答になっている。

あいかわらず頓珍漢なことばっかり書いちゃって…君は自分がもの笑いの種になっていることがワカラナイのかね。 性懲りも無く登場してくるなんて君はどこまで馬鹿なんだ?

君のように精神分裂症を引き起こすような愚か者は、自分の心の問題を他人の中に観ていることにすら気づいていない。 どうしようもない劣等感を持っていて、つまらない知識を集めてクルクルパアになっているのは君自身なんだよ。

その言葉を自分にそっくり当てはめてみるといい。 それが“関係性の鏡”の現成公案の解き方だ。

(2016.8)


秀兄(活発発)様の投稿

布施さんもちょっとはましになったかなと、励ましにきただけなんだがな〜。 やっぱり相変わらず、口先だけか。 布施さんは

(早稲田を出たけど、落ちぶれてしまった。まわりの人達みたいに人並みの幸せな生活ができていない、現在も)

結局、この客観的事実は認められない訳だ。

昔、禅者は人を犬豚呼ばわりしない、って言ってませんでしたか?? ホント布施さんはいつも口先だけ、知識だけ、和尚の猿真似だけですね。

心は過去と未来を行ったり来たりで、全然前に進まない。

現実逃避じゃなく、悟りを目指してるんですよね???

(2016.8)

青雲水

当山の返答

緑雲水

かわいそうだけれど私の役割はここで終わりのようだ。

聞く耳の閉じた者に道理を説いてはいけないのが禅者の掟でね。 事実、いまの私には君に語りかけるべき言葉が見つからなくなってきている。 残念だが、これ以降、君のコメントに回答することはないだろう。

最後にささやかな助言を残しておくことにしたい。

私はちょうど4-5歳の頃に公園の池で溺れて<死>に直面することになったのだけれど、君の場合は30代に入ってからようやくその機会を与えられたのかもしれない。 そのとき「<生>は<死>ととなりあわせである」ことを認識した人間は十全に<生>を生きようとする。 <生>の挑戦がそこから始まるんだ。

もしもそこで、<生>の挑戦に応じる姿勢をみせたら、“9歳の運命のクロスポイント”や“38歳の運命のクロスポイント”を過ぎたあたりから、勇気と根性を育むために必要な試練が与えられるようになる。 私が世間の常識からみればクレイジーな行動をしてきたのはそのためなんだ。

ところが臆病者の君は、精神世界の夢物語に逃避し、35-37歳の厄年を無駄に過ごして、<生>の挑戦を放棄してしまっていたんだよ。 おかげで君は、いまだに凡人のレールに乗ってるから、私がどうしてこのような数奇な運命を辿っているのか、想像することもできないんだ。

君がここに最初に書き込んできたときは、まだ37歳だったかな。 38歳にはヨーガで性質(グナ)と呼ばれるカルマの種子の発芽するポイントがある。 私はそこを“38歳の運命のクロスポイント”と呼んでいるのだけれど、このポイントでその後の29年間の運命の大筋が決まってしまうんだ。 だから運命を決するラストチャンスとして、君はこの『武禅ライフでいこう!』に導かれてきたというわけ。

-----------------------------------
イスラムでは好機を知らせてくれる運命の兆候を“ハディル”と呼ぶ。 一説には緑色の魔人として擬人化されていたりするものだけれど、それは、いわゆる“直感”にほかならない。 もしもハディルが現れたら、そいつの髪でも何でもいいから、とにかく掴まなければならないと伝えられている。 もしも掴まなかったら…その結果は、40数えた頃にみずからの運命を以って知るだろう。
-----------------------------------

覚えてるかな? 『アニムスの歌を聴け』を書き始めた半年前に、君に忠告しておいたはずだ。 「ハディルを掴め!」と。 運命のハディルは結構お人好しなんだぜ。 それを掴まなかった君は本当に馬鹿だとおもうよ。

『アニムスの歌を聴け』には君の回心に必要な助言がふんだんに盛り込まれていたんだ。 つまり、このシリーズ記事は、私から君に宛てた手紙の形をとった君のハディルだったんだよ。 私も、もしかしたら「君にもまだチャンスが残っているかもしれない」と思ってね。

われわれ禅者は、君のように文章の読めない人種の存在が本質的には信じられないんだ。 モノゴコロついたときには文章を読めていたから、君たちのオツムがどういう構造になってるのか、さっぱりわからない。 だから、どこかで回心してくれるだろう、と信じてしまうところがあってね。 自分でも甘いとおもうよ。

以前、君と同じ年頃に発狂した修行者がいたんだけど、君は彼の発狂した経緯とまったく同じパターンを示している。 発狂にもちゃんと年齢的パターンがあるんだ。 で、ヨーガの性質(グナ)には、サットヴァ、ラジャス、タマスと呼ばれる三つの性質(グナ)があるんだけど、それぞれ、上根機、中根機、下根機と言ったらいいかな。 現在38歳になった君は、下根機のタマス優位の種子が発芽してしまったようだから、内分泌腺のホルモンバランスが異常な数値を示しているとおもう。 たぶんカウンセリングくらいではどうにもならなくて、投薬治療が必要だから精神科に行って処方してもらうといい。

それから自我を観察する用意が微塵もない君にとって、坐禅やヨーガや気功は精神分裂の症状を促進するだけだから、すぐにでも止めた方がいいだろう。

タマスの性質(グナ)が発現するとろくな人生にならないし、君の内分泌腺のホルモンバランスがまともになるには数十年かかるとおもうけど、犯罪だけはおかすなよ。 この先、道を踏み外さなければ、70代に入ってから運勢が好転するかもしれない。 絶対に希望を失うな。

それじゃ、達者でな。

(2016.8)


行者様の投稿

活発発さん、1点だけ。

(早稲田を出たけど、落ちぶれてしまった。まわりの人達みたいに人並みの幸せな生活ができていない、現在も)

とありますが、禅者・求道者とは、まさに、この「普通の道筋」を捨てて、「自身の道筋」に向かうというのものです。 これは武禅ライフで布施さん自身の言葉、他者からの引用でたくさん言っている事です。

布施さんにとって、そのような事は、どうでもいいことなんですよ。

(2016.8)

赤雲水

秀兄(活発発)様の投稿

黒雲水

布施さんの場合は「普通の道筋」から逃避しているのが問題なんですよ。

「あの時のボクは正しかったんだ」っていう自分を慰める言葉ばかりでしょ。 他人の経典や歌を引き合いにだして、「やっぱりボクは正しいんだ」と。

そんな事しなくたって自分はいつでも正しいさ、現実を直視できていれば。 そもそもチャント地に足ついていれば、幽体離脱なんてしないよ〜

70代からのチャンスですね。 俺は「志」を持っていれば希望は不要だと思ってます。 なぜなら絶望しないから。

(2016.8)


行者様の投稿

いや、「普通の道筋」は既に捨てているので、逃避も何もないでしょう。

布施さんが一時期目指していたのって、公認会計士でしたっけ? これを世間の基準から選択していた自分を捨てた時点で、普通の道筋は捨てているんですよ。

確かに、その後は、全てが上手くいっているようには見えません。 しかし、布施さんがその道に戻る事はないでしょうし、戻る必要もないでしょう。

(2016.8)

赤雲水

一修行者様の投稿

黒雲水

えーっと……

活発発さんって確か、秀爺さんがここに書き込まなくなった時期、入れ違うようにここに来ましたよね?

一時期、『秀兄』って名前で書き込んで、布施さんに『ちょっとはマシな坐禅作法』を本にする事を勧めていた記憶があるんですが。

活発発さんってもしかして、秀じ……

(2016.8)

【当山解説】
 この一修行者と名乗る投稿者は、このとき37歳8月の正念場を迎えていた。 すなわち37-38歳の渾沌における青い闇の期間に入ったところなのである。
 ところが、この時点で当山との信頼関係が崩壊して、すでに当山の説いている道を疑いはじめていることがわかる。 どうやらこの投稿者にとっては、カオナシの頓珍漢な発言のほうが正論におもえてしまうようなのだ。 おそらく秀兄(活発発)と同じように、小学校の子供時代に精神年齢を止めてしまっていたのだろう。
 すぐに注意勧告してみたのだけれど、もはや手遅れだった。 結局、この投稿者もカオナシに足を引っ張られ、翌年の2月には引退の花道をつけられるコースに乗っていった。


当山の返答

40-42歳の大厄を迎えて眉間の結節を解放するときは、それまでの方法論がまったく通用しなくなるものでね。 その壁を乗り越えるためには導師が必要になる。 導師があらわれる時期というのも決まってるんですよ。

秀爺さんはそのためにあらわれてくれたの。 私が眉間の結節の解放に成功したんで、指導するべき時期が過ぎたから、今はたまにしか見にきてないんだ。 最後に残していったコメントで、行者さんに“思考の隙間”の見つけ方を指導してるんだけど、“思考の隙間”って眉間の第三の眼が作り出すものでね。 あれ、私への助言でもあるんだ。 覚者ってそういう粋なことやるんだよね。

で、活発発くんは単なる精神分裂症患者です。 一修行者さんは、彼の書いてる言葉が「過去志向の凡人による典型的なゴタクにすぎない」ということをちゃんと見抜けるようにならないといけない。 未来志向に移行した人たちとは話す言葉の次元が違うし、現在志向の秀爺さんの言葉ともまったく違うんですよ。

たとえば、行者さんは未来志向よりの意識を持っていて、活発発くんは過去志向の意識にどっぷりはまってる。 彼らのやりとりが平行線をたどるのは、住んでる世界が違っていて、話している言葉が違うからなんだ。 なにより活発発くんは、もう“38歳の運命のクロスポイント”を過ぎているので、過去志向の凡人の世界におさまりかえってる。 もはや別次元の人たちとは意志の疎通ができないんです。

また、活発発くんにしてみれば、私の返答が彼の追求から逃げているように感じるんだ。 だから、自分より意識レベルの高い人を前にしても、平気で増上慢に陥ることができるんです。 そもそも、私や秀爺さんのように妙観察智の目覚めている人物の返答の狙いは、ちょっと違うところにある。 これは和尚の『一休道歌』の記述なんだけど。

正師の言葉の性質

私は、あなたの質問に答えるというよりも、なぜその質問があなたに起こったか、その理由に答える。 だからときとして、私があなたの質問に直接答えていないかのように感じられることがある。 ときには私が少し遠まわしの、直接的ではない言い方をするので、あなたは驚くことさえあるかもしれない。 ときには出された質問を私が避けていると思うことさえあるかもしれない―。 そうではない。私のここでの努力全体は、質問に表面的に答えることではなく、その深層で、どこから、なぜそれが生じてきたかに答えることにある。

(和尚『一休道歌 上』P.477 第十話 誰もいません、王様)


こうするとね、自我がふくれあがるんです。 でも自我がパンパンにふくれあがった時が最大のチャンスなんだ。 ちょっと観察しただけで、一気に洞察が起こるから。 秀爺さんが二度にわたって私にやってくれたのはそれなんです。 でも、今回の活発発くんの場合、自我を観察する用意が微塵もなかったから、どこまでも増上慢になっていくだけで、洞察がさっぱり起こらなかったというわけ。

そういうことがわかってないと、せっかく導師があらわれても活発発くんみたいに時節を取り逃がすことになる。 気をつけなければいけませんよ。

(2016.8)

桃雲水

一修行者様の投稿 【約半年後】

青雲水

秀爺さんって、布施さんに「作家、小説家の才能がある」とは一言も書いてないんですよね。

「天才は既に片鱗を見せておると思うのじゃが」と書いてあるだけで、小説家と限定はしていない。 そもそも秀爺さんは、布施さんの小説を読んだことがないでしょうし。

それなのに、布施さんが頑なに『小説家』にこだわるのは、どうしてなんでしょう?

(2017.2)


当山の返答

私の内側に物語が眠ってるのは小学校の三年生のときに気づいた。国語の課題があってね。四コマの写真があって、それに物語をつけろという課題。生まれてはじめて興奮を覚えたのは、そのときなんだ。何枚も書いたよ。

でも、ぜんぜんうまく書けなかった。父親は「そんなものでメシが食えるか」という人生哲学を持ってる人でね。幼い私はそれに飲み込まれて、一度あきらめたんだ。ここに書いてあるのは、そこから反逆する人生の挑戦の物語なんだぜ。

秀爺さんは最高の師匠だよ。でもね、これについては私の人生の挑戦なんだ。秀爺さんが何を言ってるかなんて私の知ったこっちゃない。自分の中に眠っているものを引っ張り出さずに死ねるかってことさ。

君は、誰かにやめておけと言われたら、挑戦もせずに、人生の可能性をみずから潰しちまうのか?そうやって自分に課せられた運命の課題を放棄するのか?人生なめてんじゃないのかね。

(2017.2)

緑雲水

一修行者様の投稿

赤雲水

才能のない分野に無理に留まって鳴かず飛ばずで終わるより、才能を生かす道を選んだ方がいいのでは? ……と言っただけなんですが(布施さんに才能がないなんて誰も言ってないですし)。 それがどうして、人生をなめてる事になるのやら。

>でも、ぜんぜんうまく書けなかった。
>父親は「そんなものでメシが食えるか」という人生哲学を持ってる人でね。
>幼い私はそれに飲み込まれて、一度あきらめたんだ。

お父さんが反対しようがどうしようが、その時、諦めるという決断をしたのは布施さんですよね? 本気で好きな分野なら、誰に何と言われようと踏みとどまったと思うんですが。 まさか、今、天職に就いている人全員が、家族や周囲の人から全面的に応援してもらってたとでも思ってます?

もっと言うなら、布施さんの内なる師は、今に至るまで小説のインスピレーションを授けてくれていないわけで。 それが答えなのでは?

(2017.2)

【当山解説】
 この一修行者と名乗る投稿者は、このとき37-38歳の渾沌における青い闇の半年間を終えようとしていた。
 もしもこの投稿が35-37歳の厄年を迎える以前の人物のものなら、こういう疑問を抱くのも無理はないとおもう。 けれども35-37歳の厄年ともなればインスピレーションを受胎する試練がすでにはじまっているはずだから、当山がどうして小説を書かずに『坐禅作法』シリーズばかりを書いているのか、分かろうというものだ。
 おそらくこの投稿者は35-37歳の厄年の期間を無駄に過ごしてしまっていたのだろう。 後厄37歳の8月からはじまる37-38歳の渾沌における青い闇は、創造の病に入れるかどうかを決する重要な期間になっている。 その青い闇の終わる翌年2月までに突破口を開けなければ、その運命の扉はひっそりと閉じられるのだ。
 しかしこのときすでに2月…もはや手遅れだった。 この投稿者がこのまま渾沌に取り残されたら、カオナシとして誕生してくることは目に見えている。 こういう人物は半年後の8月くらいにあらわれる引退の花道を引き上げたほうがいい。 当山は引導を渡すことにした。


当山の返答

自分の中に眠っているものがどんな形になるかは誰にもわからない。

私の場合は『坐禅作法』シリーズを書くことが精神的変性のエンジンになってきた。 そのインスピレーションしか来てないのは、それが現在の私にとって最適な変性の方法だからなんだ。 次にどんなインスピレーションがやってくるのかは私にもわからない。 やっぱり小説じゃないかもしれない。 けれども、望まずとも自分にやってきたものを最大限に活用すると、必ず精神的変性を遂げられるようになってる。

君はそういう精神的変性のサイクルを経験したことがないから、「才能のない分野に無理に留まって鳴かず飛ばずで終わるより、才能を生かす道を選んだ方がいいのでは?」という発想が生まれる。 望まずとも自分にやってくるものが才能で、それは精神的変性を遂げるための贈り物だとすれば、私はいままさに才能を生かしてる。 そしてその成果にも十分満足している。 どうして私が才能を生かす道を歩んでないと思うのかね?

すなわち君は精神的変性を遂げる方法がいまだにわかってないし、精神的変性に価値を見出してもいないんだ。 人生の方向性をそもそも履き違えているんだよ。 君がここに来た最初のときに「あなたは、しっかり謙虚な感じに応対している風にはお見受けしますが、どこか浮いております。どこへ進むのでしょうか?」と秀爺さんに指摘されたことを、もう忘れちゃったのかい? だから人生をなめてると言ったんです。

また父親との軋轢を乗り越えるのが私の運命の課題だった。 だから私は自分の生まれながらの才能をつぶされるような環境に生まれてる。 それを10-20代で軽々と乗り越えてしまう人もいるし、私のように30代からようやく乗り越える人もいる。 おそらく君はそういう家族のカラクリをいまだに乗り越えてないんだろうな。

「本気で好きな分野なら、誰に何と言われようと踏みとどまったと思うんですが」という発想も人生をなめてるよ。 たいていの場合“本気で好きな分野”なんて当の本人がわかってないもんなんだ。 上のコメントに挙げてある“三障”のせいでね。 私の場合は35歳の誕生日になって、はじめて「自分は何をするべきなのか」にようやく気づいた。 「思い出した」と言ってもいいかもしれない。 そのためには父親との軋轢を乗り越えて“三障”を見破る“ぷっつん体験”がどうしても不可欠だったんだ。 君はここに来た最初のときに「もし、あなたに今、なりたい自分があるとしたら、それはどこから生まれたものなのか、見性してみましょう」と秀爺さんから指摘されたことを、もう忘れちゃったのかい? 自分の本当の願望を見つけることって、かなり難しいことなんだぜ。

そういえば秀爺さんはこうも指摘してたよね。 「ただし、精神世界はそれだけ危険が伴うのですよ。そのまま、手法にはまりこみ、仮にも光やお告げなど聞いてしまったら、あなたの感じですと、それが単なる脳による幻覚と疑うことなく、後は進むのみです!と、忠告を聞かず進んでしまう感じがします」。 いまや君はかつての謙虚な感じまで失くしちゃってさ。 でも秀爺さんは、君のは“偽謙虚”だって言ってたっけ。

君はもはや得意の“偽謙虚”を装うこともできないらしいね。 これたぶん頭脳分裂の進行のせいだぜ。 抑圧していたいやらしい人格が表面に出てきてるんだ。 半年前の8月頃に何があったのか知らないけどさ、あのとき君はすでに壊れはじめてた。 いまやもう手遅れだとおもうよ。かわいそうに。

君がこれ以降も精神世界に止まり続けるのは危険を伴う。 悪いことは言わないから、俗世にお帰り。

おもふままに なせばなりぬる 心にて
       後世ねがふ 人ぞはかなき
(至道無難禅師『即心記』)

(2017.2)

黒雲水
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