【BBS:Q&A 67】いささか…そののりが心配
仁悟の坐禅相談室『坐禅の智慧で答えます。』 いささか…そののりが心配
2015年6月:一修行者様・秀爺様より
一修行者様の投稿
先日こちらのブログにお邪魔し、記事全てを舐めるように読ませていただきました。
シュタイナーの『いか超』も買って読みました。
3年前(2012年頃)に仕事も私生活も何もかもうまくいかなくなり、家族が立て続けに亡くなって何か信じられるものが欲しかったことがあり、それを機に精神世界について調べるようになって、自分なりに修行をしていました。
ですが、変性意識体験らしきものは何度かあったものの、第6チャクラ(上丹田?でいいんですよね)の辺りが開くような感覚があった去年の4月以降はこれといった進展が感じられず歯がゆく思っていた時、ひょんなことからこちらのブログを見つけたんです。
悟りと統合失調(精神分裂)の関係については、以前から非常に気にかかっていたので(やっぱり禅病は怖いですし)頭の中の点が一気に繋がる感じがしました。
その時にいくつか気付きがあり、今まで無反応だった第5チャクラがむずむずするような反応がありました。
それから、仁悟先生がツインレイについて書かれていた事で、自分も今までの人生の異性関係などを振り返ってみて、いくつか大きな気付きがありました。
その気付きに反応するみたいに、その夜、第1チャクラが開く感じがありました。
そしてそして、私、一応文筆関係の仕事をしているのですが、こちらで紹介されていた『まだ見ぬ書き手へ』がとても気になったので取り寄せて読んでみたところ、一文一文にハッとさせられ、気付かされ、打ちのめされ、その夜、布団の中で大泣きしてしまいました。
そしてその晩、第7チャクラがぶわっと開くような感覚がありました。
(とりあえずクンダリニー覚醒失敗は避けられた? のですよね)
変性意識の名残の脳内麻薬でふらふらになりつつ、今朝も日課のチベット体操をしていたら、いつもどうやっても膝が曲がってしまっていた体操2で、脚がまっすぐ伸びるようになっていてびっくりしました!
取りとめがない文ですみません。
どうしてもお礼申し上げたくて、コメント致しました。
これからもこちらのブログを大いに参考にさせて頂き、頑張って修行を続けていこうと思います。
ちなみに、年齢は今年で36才です。
【当山解説】
この投稿者はもともと素質があったらしく肉体よりも微細な身体― アストラル体 ―の形成が相当に進んでいた。
アストラル体の感覚器官である蓮華(チャクラ)の体感を語っているのはそのせいなのだ。
ところが、それに意識が追いついていないらしい。
こういう修行者は案外多いのだけれど、このままいくと、やがて脳のみせる幻想や幻覚にとらわれてクルクルパアになってしまう。
大体この修行者の語っている状況を体験する頃には、脳のみせる幻想や幻覚にも無頓着でいられるクールなオツムになっているはずなのだけれど、どうやらそうではないらしかった。
ここでは正師・秀爺がそうした問題を指摘している。
運命の試練を中途半端に通過し、自我の観察をないがしろにしていると、誰でもクルクルパアになりうる。
正師・秀爺のお話をよく聞いて肝に銘じておこう。
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当山の返答
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>どうしてもお礼申し上げたくて、コメント致しました。
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どうもありがとう。素直に嬉しいです。
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>(とりあえずクンダリニー覚醒失敗は避けられた? のですよね)
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文面から推測すると、見性の真意がわかっていないようですので、このままいけばクンダリニー覚醒未遂による精神分裂症発症の可能性は未だ残っていると考えられます。
したがいまして、今回の「第7チャクラがぶわっと開くような感覚」という頭頂開は“やっちゃった感”があるような気がしてなりません。
どうやらヨーガから入っているようですから、サマタ瞑想(精神集中)系統の瞑想を実践されているのでしょうか?
R・シュタイナーや私の瞑想の立場は、精神集中ではなく、意識の変革です。
見性に到るために求められる疑団(気づき・わだかまり)は、己れの中に巣喰っているドロドロしたもの、これまで見たくないと思ってきた己れの愚かさ、を直視したときにはじめて生まれます。
そんなに簡単なものではないんです。
とはいえ…
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>私、一応文筆関係の仕事をしているのですが、こちらで紹介されていた『まだ見ぬ書き手へ』がとても気になったので取り寄せて読んでみたところ、一文一文にハッとさせられ、気付かされ、打ちのめされ、その夜、布団の中で大泣きしてしまいました。
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このときの“気づき”は、道を踏み違えてきたことに気づいたということかもしれませんから、表面的ながらも自分の内面を旅するためのきっかけになったと考えられます。
したがいまして、ここからさらに深く掘り下げて一槌を決めなければいけません。
「自分はどうやって道を踏み違えてきたのか」それを心の中に探ると、そこに、キーパーソンである両親の声か、あるいは、誰かの声、が巣喰っていることに気づくはずです。
その声に己れの自由を奪われていたことに気づけば、この体験を昇華して一槌を決めたことになります。
そこにあるのが“見性”なんです。
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>変性意識の名残の脳内麻薬でふらふらになりつつ、今朝も日課のチベット体操をしていたら、いつもどうやっても膝が曲がってしまっていた体操2で、脚がまっすぐ伸びるようになっていてびっくりしました!
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どうやらクンダリニーが活性したみたいですから、もはや“見性”しなければ未来はありません。
ほとんど脅しみたいですけど。
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>年齢は今年で36才です。
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ということは…33歳での“ぷっつん体験”の時節を見送ってきているようですから、38歳までが勝負です。
まだ運命の扉は閉じていませんので、今から心随観による自我暴露に真剣に取り組めばチャンスは十分にあります。
頑張りましょう。
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>これからもこちらのブログを大いに参考にさせて頂き、頑張って修行を続けていこうと思います。
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私のブログが修行の一助になれば幸いです。お互いに精進しましょうね。
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秀爺様の投稿
一修行者さん
久しぶりに綺麗な海を見ました。
色々な事があったのですね。
人生の中で、ときには助けてほしいと悲鳴を上げたくなるでしょう。
精神世界にはまると、より、高い領域に達したいと願うあまり、日常での仕事を忘れ、その高みにとどまりたいと願ってしまいます。
しかし、逆なのですよ。
だからこそ、地球に根をしっかり下ろす必要があるんです。
あなたの進化が加速するにつれ、しっかり地に足をつけ、つながっていないとオーバーフローして神経に問題が生じます。
自然に触れること、大切にして下さい。
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一修行者様の投稿
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布施仁悟先生
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>ヨーガから入っているようですから、サマタ瞑想(精神集中)系統の瞑想を実践されているのでしょうか?
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えっと、色々かじっているのですが、今現在は主にチベット体操です。
ですが職業柄、物を考えたり分析するのが好きなので、サマタ瞑想ではなくヴィパッサナー瞑想ばかりやっていました。
瞑想というより、疑問が出てくるとどうしても考えずにいられなくなる癖があって…
だから、布施先生のページが肌に合ったんだと思います)
今まで願望実現でちょこちょこした願いはいくつか叶っていたのですが、どうしても叶わない願望があり悩んでいました。
願いが叶わないということは叶えたくない観念があるに違いないけど、それが何だかわからなくて延々悩んでいた感じです。
それで、こちらのブログを読んでたくさんの気付きを得、ようやくそのブロックが見つかりました。
すみません、説明が足りませんでした。
”ぷっつん体験”に相当するかはわかりませんが、2011年、それまで思い描いていた未来が駄目になり、しばらく鬱状態みたいになっていました。
それで、本格的にスピ本や宗教本を渉猟し始めたのが2012年ということです。
まぎらわしくてすみません。
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一修行者様の投稿
秀爺先生
ありがとうございます!
迷いは晴れたので、後は進むのみです。
キリスト教でいうところの、全き者になる事を常に心掛けながら頑張ります。
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当山の投稿
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文面からの推量なのではっきりとは言い切れないのですが、やはり、33歳での“ぷっつん体験”を見送っていると思います。
まずは、これですけど…
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>”ぷっつん体験”に相当するかはわかりませんが、2011年、それまで思い描いていた未来が駄目になり、しばらく鬱状態みたいになっていました。
それで、本格的にスピ本や宗教本を渉猟し始めたのが2012年ということです。
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どうやら32歳から軌道に入ったことは間違いなさそうですよね。
次に、これなんですけど、32歳で軌道に乗るための方法論をそのまま続けているようです。
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>今まで願望実現でちょこちょこした願いはいくつか叶っていたのですが、どうしても叶わない願望があり悩んでいました。
願いが叶わないということは叶えたくない観念があるに違いないけど、それが何だかわからなくて延々悩んでいた感じです。
それで、こちらのブログを読んでたくさんの気付きを得、ようやくそのブロックが見つかりました。
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願望の実現を追求する時期というのは進化のために必要な過程なんですけど、いつまでもそれを継続しようとすると進歩がそこで止まります。
たとえば、禅の十牛図に示されている“見性”の階梯というのは、前の段階に到達したときの方法論を捨てたときに、次の段階に進めるようになってるんです。
一修行者さんは、この32〜35歳までの間、何ももたらさなかった方法論自体を疑ったことはないのでしょうか。
最初、人々は原因と結果の因果関係を学び始める。
肯定的な信念と行動が、肯定的な結果をもたらすことに気づいていく。
彼らの夢は実現し始める。
自身の中に信頼を確立し始めるのだ。
「効果があった!」彼らは喜びの声を上げる。
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(バーバラ・アン・ブレナン『光の手(下)』P.286「27章 ヒーラーとしての成長」)
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因果律を理解し始めたとき誰もが速攻的な効果に感嘆します。
しかしながら、その効果はいつまでも続きません。
何が起こるのだろうか?
肯定的な原因と結果の法則を外から証明するすべてのものが、しばらく人生から消え失せてしまうように感じられるときが来る。
物事が悪い方向に向かい始める。
肯定的なフィード・バック(効果の見返り)は弱まり、その人は動揺しだす。
おきまりの悲観主義がその醜い頭をもたげる。
スピリチュアル―真理の法則はどこに行ったのか?
「たぶん、あれは底抜けの楽天主義の宇宙観にすぎなかったんだ」これと同じことは、あなたにも起こるかもしれない。
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(バーバラ・アン・ブレナン『光の手(下)』P.286「27章 ヒーラーとしての成長」)
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実は、このときから、本当の修行が始まります。
もし、あなたの人生でこれが起きたら、それはより大きく成長するサインである。
より長いレンジ(周期)で、原因と結果の因果関係に取り組み始めたことになる。
自分自身の人生だけでなく、最終的には人類の進化の一部として自分の人生をとらえるようになる。
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(バーバラ・アン・ブレナン『光の手(下)』P.286「27章 ヒーラーとしての成長」)
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ただし、たいていの人は“見性”を透過しようとせずに、いつまでも以前からの方法論を続けて人生を無駄に過ごすんです。
― 何が正しいのかを認識する以前には、どのような願望ももち得ない ―
(R・シュタイナー)
“見性”しないかぎり、正しい願望の持ち方を知らないまま一生を終えることになります。
“見性”したときに、己れの本心から沸きあがってくるものが、本当に実現すべき願望なのであります。
一修行者さんの見つけた“ブロック”というのが、どういうものかわからないので、もしかすると杞憂かもしれませんけど、とりあえず書きつけておきます。
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秀爺様の投稿
一修行者さん
全き者とはなんですか?
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一修行者様の投稿
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『汝らの天の父の全きがごとく、汝らも全かれ』
雪の結晶と同じく、この世に生み出された時のままの、何かを足す必要も引く必要もない完全な姿と解釈しています。
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秀爺様の投稿
一修行者さん
いささか、そののりが心配です。
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一修行者様の投稿
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今後も、浮つかないよう謙虚に修行に励みます。
せっかく運命の道筋が見えてきたところなので。
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秀爺様の投稿
黙っておこうと思ったのですが、おせっかいじじいですまないです。
あなたは、しっかり謙虚な感じに応対している風にはお見受けしますが、どこか浮いております。どこへ進むのでしょうか?
私は最初に、”精神世界にはまると、より、高い領域に達したいと願うあまり”日常での仕事を忘れ、その高みにとどまりたいと願ってしまいます。
と言っているのですが、、、
あなたは、
ありがとうございます!
迷いは晴れたので、後は進むのみです。
キリスト教でいうところの、全き者になる事を常に心掛けながら頑張ります。
私の最初に書いてある事を理解しているようには見受けられません。
言い忘れとか、表現が遠回しで、すみません的な偽謙虚な文言は結構なので、しっかりその真意を読みとっていただけると秀爺は幸いです。
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一修行者様の投稿
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申し訳ありません。
例の、キリスト教云々は『素のままの自分で頑張ります』という感じの意味合いで書いたのですが、トラブル続きの生活や長い停滞を乗り越えた直後だった事もあり、大仰な言い回しになってしまいました。
日常生活を疎かにするつもりはもちろんありませんし、地に足を付けて一つ一つコツコツやっていくのが一番だという事は、よくわかっています。
それでも、ようやく道筋が見えた事がとても嬉しかったので、つい浮かれてしまいました……。
ご苦言、心に留め置きます。ありがとうございました。
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秀爺様の投稿
舞い上がるの仕方ありません。
私だって、きっとテストで良い点とって褒められたらウキウキでしょうな。
ただし、精神世界はそれだけ危険が伴うのですよ。
そのまま、手法にはまりこみ、仮にも光やお告げなど聞いてしまったら、あなたの感じですと、それが単なる脳による幻覚を疑うことなく、後は進むのみです!と、忠告を聞かず進んでしまう感じがします。
あなたが見るべきものは、光でも全き者でもなく、土が泥がしっかりついた根っこですよ。
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一修行者様の投稿
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ありがとうございます。
私の投稿を改めて見直してみると、テンション高すぎてちょっと怖いですね……(脳内麻薬が出てたせいもあるとはいえ)
昨日、犬を連れて近くの自然公園に散歩に出かけてみました。
空気が結構ジメジメしていたので汗だくになりましたが、その後、お風呂で汗を流すとさっぱりしました。
いかなるお告げがあろうと、私が生きているのはこの地面の上であり、日常世界ですものね。
そのことを常に忘れずにいようと思います。
本当にありがとうございました。
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秀爺様の投稿
少し落ち着きましたかな。
そうです。
地球で生まれるという事は、肉体を持っているということ。
そして、矛盾が同居する世界です。
天と地、男と女、戦争と平和、、、、。
だから、問題は起きて当りまえです。
なので、あまりそこにとらわれないでください。
もし、あなたに今、なりたい自分があるとしたら、それはどこから生まれたものなのか、見性してみましょう。
それは、神や光や愛とか上を向く作業でなく、芋や大根引っこ抜くような作業です。
しっかり足腰で踏ん張って、掘り起こしてあげましょう。
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