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【BBS:Q&A 65】創造性の誤解

仁悟の坐禅相談室『坐禅の智慧で答えます。』 創造性の誤解

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2015年4月:行者様・スシュムナ様より


行者様の投稿

作家についてなんですけど、布施さんは何かやっぱり作家とは違うんですよね。

能力って、本質的な能力と具体的な能力があるじゃないですか。 で、本質的な知性とかがあっても、具体的な小説に関する能力がなければ、やっぱり小説って書けないわけですよ。

レベルの高い文系の学者は知能は高いでしょう。 しかし、理系の研究をするには、理系の知識がなければできません。 同じように、空手の達人は身体能力は高いんでしょうが、 柔道をやるには柔道のスキルが必要なわけです。

以前に布施さんが「小説を書くために座禅をしている」ってコメントされたじゃないですか。 これを見て自分は「なんか違うな」と思ったんです。 もちろん、座禅で雑念を取り除けば、本質的な能力が向上するので、小説のクオリティは向上するでしょう。 けど、小説の具体的な能力がなければ、やっぱり書けないわけです。 なので、小説家になりたければ、どんどん書くか、小説について常に考えなければ、なれないわけです。

作品や技芸の最終的なクオリティって、本質的な能力に依拠する所が大きいと思います。 しかし、その一方で、具体的な能力って簡単に身につきません。 これは、文系でやってきて理系に転身しても、すぐには何もできませんし、身体運動も同じでしょう。 やる事が高度になるほどそうです。

また、布施さんは「天才作家をイメージしている」って書かれていますけど、自分が本当にやりたい事って、イメージしなくても、自然とそれに関する行動をするものでしょう。 布施さんは座禅なんかについて、できる自分をイメージしているというより、自然と関心が行く、自然とやりたくなるという感じではないでしょうか。

実は自分は出版をしたことがあるんですよね。 小説ではなく、評論です。また、職業作家ではありません。 正体がバレでしまうので、書籍名は明かせません。

布施さんの小説を書くのは、実験的な意味合いが強いようですけど、どうも、何かが違うかなと思います。

赤雲水

当山の返答

黒雲水

まだ見性したことがなく、創造的知性(ミューズ)が覚醒してこないうちは、私の言っていることの意味がさっぱりわからないと思います。 まず見性して、“人々と分かちあうべきもの”を自分の中に宿し、それをどう生かすか、を考えたところに己れのなすべきことが見つかります。 そこに身につけた技術を乗っけていくんです。

「小説を書くために座禅をしている」というのは、現在よりもさらに静かになって創造性を発現させなければ、私の目指している小説を書けないから、そう言っているわけでして、技術的訓練をないがしろにしているわけではありません。

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また、布施さんは「天才作家をイメージしている」って書かれていますけど、自分が本当にやりたい事って、イメージしなくても、自然とそれに関する行動をするものでしょう。
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「天才作家をイメージしている」ではなくて「天才作家の自己イメージを作り上げることで自我を完成させた」と言っているんです。

創造的知性(ミューズ)が覚醒してきても、それを信じきることはなかなか難しいものです。 その信頼を育成するための殻として自己イメージを必要としたんです。 これは疑いを払拭するための心の観察と真剣さを伴わなければ成し遂げることはできないことだと思います。

行者さんは「坐禅で雑念を取り除けば、本質的な能力が向上する」などというおとぎ話をいつまでも信じていないで、まず、心随観を実践し、見性して、心を変性したときに生じる“本質的な能力”というものの“精髄(エッセンス)”を体験してみるといい。 見性すると、ほどなくして創造的知性(ミューズ)が覚醒してきますから、私の云っていることの意味がわかってくるはずです。

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なので、小説家になりたければ、どんどん書くか、小説について常に考えなければ、なれないわけです。
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さらに、インスピレーションのなんたるかを体験すれば、この発言がいかにナンセンスであるかがわかるでしょう。

努力や技術がインスピレーションを引き出すわけではありません。 インスピレーションの土台となり得るのは、あくまでも創造的知性(ミューズ)に対する信頼と時節因縁です。 努力は…時節因縁にしたがって自然に沸きあがってくるものですし、技術は…ミューズからの啓示にちょこんと乗っけるだけのものなんです。


行者様の投稿

本質的な明晰な知性が重要なのは分かります。

自分は実はある武道で、相当なレベルにあります。 昔、別の武道をやっていて、それをやめて、その後、身体トレーニングで本質的な身体の使い方を追求し、かなりのレベルに達し、それから自然な形というか流れというか、今の武道をやり始めました。 本質的な身体の使い方を身につけていたので、すぐに上達し、今はかなりのレベルにあります。

なので、本質的な能力を先に見につけた方が効率が良いし、最終的には本質的な能力で決するというのも分かります。 まさに、自分がたどってきた道ですから。

ただ、私が疑問に思うのが、布施さんって、既に小説を書く事は決めているわけじゃないですか。 その状況で、書いていないのはどうなのかと思うんですよね。

布施さんが座禅で明晰な知性を追求し、そこから、何か小説を書く気になった、または別の事をやることにした、って事ならば、分かるんですよね。

ただ、既にやると決めているならば、後はやるべきでしょう。 何か武道をやると決めているに、身体トレーニングをしていても、上手くいくとは思えません。 本質的・具体的、両方の能力を高めていけばいいだけですし、自分もそうしています。

別に小説を書く回数に制限などないのですから、書いていくなり、構想を練るなりしながら、一方で、座禅で明晰な知性を追求すればいいでしょう。

インスピレーションも、実際にやっている人に下り立つものでしょう。 これはどの分野でも同じです。 自分も武道で、インスピレーションというか、気づき、がありますが、 これもやっている武道で起こるものであって、やってもいない武道について起こる事は当然ありません。

小説って、本質的な能力が占める割合が多いですよね。 理系の研究や仕事なんかで世界レベルの事をしようと思えば、そうはいかないでしょう。 しかし、現実的に良い小説を書く人は小説家です。 やっぱり、「小説」なんですよね。

昔、自分はあるものを目指していたんです(昔やっていた武道とは関係はありません)。 できる方だったんですけど、結局、やめる事になったんです。 それで、当時を思い出して、自分が本当にそれをやりたかったかどうかを問うと、本当はそれほどやりたくはなかったと今は言えるんですね。 なので、結果的にやめてよかったと思います。

それで、布施さんが本当に小説を書きたいのかというと、実はそれほど興味がないのではないのか、と感じるんです。

本当にやりたい事だったら、やりたくてしょうがないでしょう。 自分は今、武道をやってるって書きましたけど、やっていて楽しいし、やめる気なんかさらさらありません。 小説だったらば、書きたいし、話を考えたくなるものでしょう。

生活上の時間がないとかなら、仕方がないですけど、やる事にしてるのに、やってないのは、結局、さほどやりたくないという可能性はありますよね。

やっていて、そして、そうゆう中で時節が到来し、飛躍したり、インスピレーションを得たりする。 成功する人って、どの分野でもそうゆうものじゃないですか。

桃雲水

当山の返答

青雲水

私の興味は文章道を極めることを通じて無為に至ることにある。

「いつの日か、ハリー・ポッターのようなファンタジー小説を書いてみたい」と書いたことはあるけれど「小説家志望」と言った覚えはない。 あくまでも…「作家志望」と断っていないかね?

すべての優れた文芸作品は己れの内的体験の爆発だ。 その本質にあるものは、論文だろうと、小説だろうと変わりはない。 “インスピレーション”というものは、内的体験の爆発であり、内的体験を磨きあげた者だけに時節因縁に応じて降りてくる。 君は、まだ見性したことがなく、芸術作品から作者の内的体験を読み取る心眼を持っていないから、私が『坐禅作法』シリーズのような論文を書いていることをもって「小説の創造をないがしろにしている」などと考えてしまうんだ。

また、“インスピレーション”と“単なる思いつき”の違いを知るのも、見性して創造的知性(ミューズ)を覚醒させた後のことだ。

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本質的な能力を先に見につけた方が効率が良いし、最終的には本質的な能力で決するというのも分かります。 まさに、自分がたどってきた道ですから。
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と言うけれど、君は人生のすべてを中途半端に生きてきたから、“インスピレーション”と“単なる思いつき”の違いもわかっていないんだよ。 だから、私の云っている「心を変性したときに生じる“本質的な能力”」の意味自体を曲解しているんだ。 君の武道の体験談のどこに心の変性を起こした見性の内的体験があるというのかね? そんな、まだ見性したことのない君に“インスピレーション”の何がわかるというのかね?

行者さんね、君、残念ながら、もう、すでに聞く耳が閉じてるよ。 これは、私の話を聞く耳のことじゃない。 君の中に息づいているミューズの声や内なる師のささやきを聞く耳のことだ。

聞く耳が閉じていると人の文章の意図をまともに汲み取れなくなる。 また、わかったつもりになって己れの立ち位置を見失うとそこで進歩がピタリと止まってしまう。 その末路の症例が精神分裂症だ。 坐禅はその症状を悪化させる危険性もあるため、私はどこまでも厳しくありたいと思っている。 そこに妥協はない。

まず己れのオツムを疑え!

これは禅の修行者にかぎらず、人としての基本ではないだろうか。


スシュムナ様の投稿

布施さんね、本は読まなくてイイから空気を読んだらどうかね。

一昨日から今日まで東京は雨が降りました。 ずっと空は暗かったけれど、太陽もお月様も無くなったわけではないでしょう。 行者氏はそこを観てくれて、最後にリップ・サービスまで賜ったのにそれを踏みにじってどーしましょ。

五蘊皆空なればここは陰画の世界。 影に向かって汚名のレッテルをせっせ貼るあなたを観る者はどう思うでしょうか。 この人は劣等感の塊かしら、低級な動物霊にでも憑かれているのかしら…こんなところが関の山でしょう。

愚痴を呑み込んでください。 偉大な先行たちを讃えてください。 それが心の栄養になり、清らかな蓮の華を咲かせると疑いません。

共に仏道を成ぜんことを

謹合掌  九拝

緑雲水

当山の返答

赤雲水



すなわち、ここまで文章の意図を汲み取れなくなったら、もはやおしまい、ということだ。

君の聞く耳がまだ残っているなら、この愚か者のオツムが、自分に都合の良いようにしか文章を解釈できなくなっていることがわかるだろう。 これが聞く耳が閉じてるために起こるコミュニケーション障害というものだ。

坐禅修行にともなう精神分裂症はまことにおそろしい。

私は完全に聞く耳が閉じたと判断するまで見捨てることはしない方針である。 もし、この愚か者の意見が正しく思えるなら、聞く耳が閉じている証拠だ。 しかし、おかしいと思えるなら、まだ聞く耳が残っている。

この愚か者のようになりたくなかったら真剣に心随観をはじめて見性してみたまえ。


当山雑感

これは35-37歳の厄年にさしかかった人物からの投稿だった。

それは31-33歳の大厄の時節に見性した者たちが創造性を学びはじめる年齢なのだけれど、残念ながら、この投稿者は見性することなくやり過ごしてきていたため、創造的知性(ミューズ)の覚醒に失敗しているのである。

そもそも創造性は身につけるものではなく、見性によって“人々と分かちあうべきもの”を自分の中に宿したとき、自然にほとばしり出てくる。 すなわち、己れの中から自然にほとばしり出てくるようになったものを表現するのが創造なのである。

また、それが、いつ、どのような形で表現されるかは、本人にわかることではなく、ましてや他人にわかるものでもない。 ただ、これらの創造の掟が存在するだけなのだ。

ニサルガダッタ・マハラジの説く創造の掟

もしあなたがただ静かにするように試みるならば −仕事、仕事のための能力、正しい動機− すべてはやってくるだろう。

(『アイ・アム・ザット』P.267-268「53 満たされた欲望は、より多くの欲望を生みだす」)

あなたが平和な時間を豊富に許すかぎり、あなたのもっとも敬うべき仕事を間違いなく実践できる。

(『アイ・アム・ザット』P.234-235「47 あなたのマインドを見守りなさい」)

いつであれ、あなたに求めずともやってくるものは神から贈られたものであり、もしもそれを精いっぱいに使うなら、かならずやあなたを助けることだろう。

(『アイ・アム・ザット』P.509「95 人生を起こるがまま受け入れなさい」)


ところが見性していないとこれら創造の掟の本質を学びはじめることもできない。 そのため創造的知性(ミューズ)の覚醒についての話題を聞いたとき、この投稿者のような勘違いをしてしまうのだ。 これでは増上慢もいいところで、ほとんど己れの立ち位置を見失っている。 このままでは進歩がピタリと止まり、この先何年も盲目的な努力を続けることになりかねない。

見性の前に創造なし。

創造的知性(ミューズ)について語るのは見性してからにしようではないか。

矢印マーク 『アイ・アム・ザット 私は在る』

結局このニサルガ・ヨーガに行き着いたのは驚きだ。
ニサルガダッタ・マハラジはあまりにクール。
そのため当初は冷徹な印象を受けたものである。
でも実はそれが本当の慈悲であり愛だった。
愛は神であり、神は愛である。
ゆえに愛はパラドックスである。

黒雲水
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