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【BBS:Q&A 64】38歳発狂への疾走〜肚族の研究〜

仁悟の坐禅相談室『坐禅の智慧で答えます。』 38歳発狂への疾走〜肚族の研究〜

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2015年3月:スシュムナ様・行者様より


スシュムナ様の投稿

布施さん、私はこの一年に4回ほど禅定だか三昧に入りましたよう。

その情景を説明させて貰いますね。

それは、形而下の頭脳智(自我)を形而上の臟識(自律神経)が凌駕した状態で必ず奇経八脈が開き、ビュウビュウと胎息に入りますよ。 恍惚の没我状態にて直ぐそこに神さまでもいるんじゃないかしらと思わすような幸せの真ん中にて、心中、大悲心陀羅尼など唱えておりますが、そのセンターは下丹田ですから、そこが形而上の諸縁の玄関だからこそ元神とか縁中と云われるんだと思いますよう。 なので、どうしても私には丹田を欠いた瞑想はフォークですくうスープのようなものに思えてしまいますよぅ。

布施さんの説も立派ですよ。

寝ている間は自律神経優位になって形而上にアクセス出来ているのは間違いなく、それの意味をしっかり紡いでいるんですから。

私の体験では分裂というものは頭の中だけ、その頭をまるごと放下して自律神経(宇宙意識)が君臨した時に、己身の弥陀が出てくるんだと思いますよー。

(2015年3月)

【当山解説】
 この投稿は、32歳から一般的な小周天の行法をはじめ、36歳でクンダリニー覚醒の段階に至った修行者によるものである。 この投稿時は38歳になっていた。
 本来、諸縁の中心―玄関、縁中などと呼ばれているもの―は第三の眼とも呼ばれる眉間の“からっぽの空間”のことなのだけれど、そこは内観による自我暴露によりはじめて開発される。 この投稿者の場合、内観の修行を怠っていたため、眉間の第三の眼が正常に機能していなかった。 そのせいで36歳のクンダリニー覚醒時に眉間のからっぽの空間への性エネルギーの上昇が起こらなかったのである。 「センターは下丹田ですから、そこが形而上の諸縁の玄関だからこそ元神とか縁中と云われるんだと思います」と信じ込んでいるのは、クンダリニー覚醒未遂事件を起こして、眉間の第三の眼を正常に機能させることに失敗しているせいなのだ。
 内観による自我暴露ができていれば最初に上丹田が開発されるため、そこを出発点として下丹田に向かって降りていくルートが次第に開かれていく。 もしも最初から下丹田が活性するとしたら、それは内観による自我暴露の修行を怠っていた証拠で、いわば“邪道”なのである。 たいていの仙道や気功の解説書にも、最初に下丹田を開発した場合、そこから上丹田―眉間の第三の眼―につなげるルートをあらためて開発しなければならない、ことが書かれている。 この投稿者は、そうした記述を読んだことがないか、読んでも意味がわからないほどオツムが逝っているのだと推測される。
 当山はそんな類人猿並みの知性しか持たない原始的な種族を“肚族(はらぞく)”と呼ぶことにしたい。 この肚族は、やがて38歳の秋に取り返しのつかない状況に陥るのだれど、これは その過程の貴重な記録ともなっている。

赤雲水

当山の返答

黒雲水

私は今、昨日ガッツ石松の食べた三本のバナナが、フィリピンのバナナ農園で働く従業員の給与所得に与える影響について考えていたところだ。

これは、なかなか奥が深いぞ。君も考えてみたらどうかね。


スシュムナ様の投稿

少し考えてみましたよ。

これはバナナ観音が、ガッツには好物として、フィリピンの善男子には作務として同時に即現されている。 仏性をもって片や舌、片や汗の中の説法を観れば、両者ともにガンガーの砂粒の数ほどのガンガーの砂粒の数ほどのお宝を所得できる。

私からはこんなとこですかね。
お悟りを目差す方は、いろいろやるんですね。

(2015年3月)

桃雲水

当山の返答

青雲水

うむ、なかなかよろしい。オッケー牧場。

では、私はガンガーの砂粒に埋もれているバナナ観音の臍(へそ)のゴマを掘り出して明日の朝食としよう。


行者様の投稿

肚・下丹田の感覚を軽視しすぎと思います。

スシュムナさんが色々とコメントされていますが、一番言いたい事って、肚・下丹田の事でしょう。 言い方が、結構、挑発的ですが、言いたい事は決して間違っているとは思えません。

上達の手順って複数あると思うんですよ。 なので、下丹田は後からできてくるタイプの人もいると思います。 ただ、布施さんはすでに上級者でしょうから、そろそろ下丹田の感覚があった方がいいのではないでしょうか。 まして、下丹田から開発するのが安全であるという事は多く聞きますし。

(2015年4月)

【当山解説】
 なんと、もう一人の肚族があらわれた。
 下丹田を崇拝する肚族は、内観による自我暴露によらなければ上丹田(眉間の第三の眼)が正常に機能しないという現実を軽視しすぎている。 しかしながら原始的な種族である肚族は、類人猿並みの知性しか持ちあわせていないため、自我暴露の重要性をいくら説明しても聞き入れることはない。
 彼らがどういうオツムの構造をしているのか…さらなる肚族の生態研究が待たれる。

緑雲水

当山の返答

赤雲水

スシュムナさんの場合は、間違っているというより“没交渉”なんです。 最悪なのは、すでに聞く耳が閉じてしまっていることで、もはや説得の余地すらありません。

彼は32歳から修行をはじめて、そこですぐに小周天ができたと言っていたのをご存知でしょうか。 そのため、本人は32歳から修行をはじめたつもりでいますけれども、そうではありません。 9年前の23歳から悟りの軌道に入って、運命の試練を体験していたのに、そのことに気づいていなかっただけなんです。 32歳で運命に促されるようにして行を開始した時点で、頭脳分裂が始まっていましたから、肉体がすぐに反応したというわけです。 私はスシュムナさんより9年遅れて32歳から悟りの軌道に入ってますから、現在38歳であるスシュムナさんの“行”自体の進捗は、41歳の私より6〜7年先を行っているんです。

おそらく悟りの軌道に入ってすぐの24歳の時点で“ぷっつん体験”に相当する体験をしているはずです。 ところがそのときに最初の見性に失敗していると、そのうち観察の価値をどれだけ説明しても理解できないほどオツムが逝ってしまうんです。

なぜなら己れの愚かさを直視するための試練が運命の試練だからです。 試練はだんだん過酷になっていきますから、最初の見性に失敗していた場合、己れの愚かさを直視するよりも、むしろ、現実逃避をするための言い訳が烈しくなっていきます。 肚・下丹田うんぬんは、そのための格好の言い訳― 逃避の温床 ―になるわけです。 つまり、運命の試練に直面したとき、観察よりも現実逃避を選んだ者が、スシュムナさんのように“肚・下丹田”を崇拝するインチキ気功師― 肚族 ―になるわけです。

それは われわれ禅者に言わせれば、現実逃避のあげくに、己れのバカさ加減を反省することもできなくなった愚か者という意味で、ただの“意気地なし”・“臆病もの”でしかありません。


行者様の投稿

下丹田から開発した方がいいというのはよく言われていることです。

心随観も当然、修めなければならないのですが、下丹田を作っておく事は、むしろ、安全に修行するための方法ではないでしょうか。

スシュムナさんもそうゆう事を言いたいのだと思います。

(2015年4月)

【当山解説】
 「下丹田から開発した方がいいというのはよく言われている」
 「下丹田を作っておく事は、むしろ、安全に修行するための方法」
 おそらく これが肚族たちのトーテム・ポールに燦然ときらめく教条なのだ。 みずからのオツムがどうかしてしまっているのに、そんなに祖先と精霊の言葉が大切なのだろうか。 原始的な種族の信仰はさっぱり理解できない。

黒雲水

スシュムナ様の投稿

桃雲水

流石に精神分裂なんて時代遅れの言葉はもうみんな聞き飽きたでしょう。

できれば爽やかに「分裂してるよ」って言ってあげたいけど、それで布施さんの格がひとつ上がるわけでもないし、こっちもしてないもんはしてないから困っちゃうな。

ちょっと前にさ、太極拳やりたいって言ってましたね。

是非、やってくださいよ♪ 体操じゃなくて武術としてですよ。 如何に小さな力で、相手を無力化するか、、、学んでください。

あなたには功夫が足りないわ。

(2015年5月)

【当山解説】
 「精神分裂してないもんはしてないから困っちゃうな」ときたもんだ。
 人の話をまともに理解できないほどのコミュニケーション障害を患っておきながら、みずからの精神異常を疑うことも出来ないらしい。 困っちゃうのはこっちである。 肚族との意思の疎通はほとんど不可能に近い。


スシュムナ様の投稿

複数の人を精神分裂やインチキ気功師などと仕立て上げ、晒すこと。 本人が嫌悪感を示しているのですから、いい加減にしないと法的措置とかに発展しちゃいますよ。 これ以上の誹謗中傷はご覚悟を。

(2015年7月)

青雲水

当山の返答

緑雲水

スシュムナくん

君に必要なのは、いちいち嫌悪感を抱いたと報告しにくることではなく、己れのコミュニケーション障害や幻覚障害をはっきり“精神障害”であると認識することだ。

ここにある記事は一般的な話をしているわけではなく、君のように精神分裂症を発症するリスクを伴う坐禅修行に関するものである。 それは己れの自我の嫌がることをみずから実践するこの世で最も過酷な修行だ。 自我の慰めが欲しいのならキャバクラやソープランドにでも行きたまえ。

それに私は坐禅修行者たちが精神に破綻をきたさないように処方箋を提示しようとしているだけだ。 個人名を特定できるようにして吊るしあげているわけでもない。 誹謗中傷だと思っているのは君だけだよ。

また、たとえ法的措置をとったとしても無駄なことだろう。 君の精神鑑定をすれば私の潔白は一発で証明される。 そもそも君は、己れの無実を証明できないだけの暴言を吐いてきたんじゃないのかね?

こんなところで脅迫まがいのことをやらかしていないで、精神科に行って治療を受けてきなさい。

【当山解説】
 もしも自分の精神障害をはっきりそうであると認識できれば、きっとそのときから回復の可能性が生まれるだろう。 精神障害におかされた現実を直視しようとしない心の弱さが治療を遅らせるのだ。 肚族たちが目覚めるのはその肚信仰が精神障害の原因となっていることを自覚したときなのかもしれない。


スシュムナ様の投稿

よしよし。 お元気そうで♪

頭と肚の差は点と面のそれ。 点は面を理解できるかどうか、面は立体を理解できるのか。
時間という観念はどうでしょう? その上には三昧もあります。 そっから先は知りません。
はたして下から上は観えるのでしょうか。

肉体において頭とは人体にある一点の俗物、動物。 そこが仮に壊れても聖なる力があるから身体は勝手に造血し、消化し、成長します。 その植物神経こそ縁の下の力持ちでしょ。 波は消えても大海はあって、宇宙の意思やリズムと言ってもいいんじゃないでしょうか。 そして誰しもその中に溶けていることの自覚を得、大海の一点であって自分という枠が無いことを知ることこそ見性でしょう。

言葉はどうでもいいんです。 止でも観でも空でも、名前が付いたらそれは俗智。 頭の中で振り分けられた証拠で束縛されている。 如来とは特徴がないのが特徴でしょう。

さて観とは定の中でオートマチックに展開される世界をただ観ることなんじゃないでしょうか。 目の前に小窓ができて、それがスーッと動けばパーっと知らない世界がよく観える。 それを長時間保持するのは至難の業ですが、定力ってそういうものでしょう。

先日私はクンダリニーであろうと思える物体を見ました。 黄金のタコ状の無脊椎動物に植物を足したような形を持ち触手の先の細かいヒダまでがイヤらしいほど活き活きと金粉を散らしながら動いていました。 肉眼で見る金色が霞む程の深度でビット数が違うんですよ。

とりあえず低いものでもなんでも、まず三昧ありきでしょう。 そこに一度でもお邪魔できれば瞑想は変わり、どんなボケでも聖なるものにちょこっとでも触れれればその印象は絶対忘れないですから。 これには天の恩恵もあるのかも知れませんが、中々どうして入れないですね。 そこで、書物には近世の南伝の覚者達は三昧をスキップしても、ある程度効果の出るラベリング瞑想などを開発したと書いてあります。 それもアリでしょうが発想は擬似瞑想であって、お釈迦さまのそれではないでしょうよ。

それからコメントに、蓮華は任脈にある云々ありました。 蓮華は督脈にも同様に伸びています。 この2つはあくまで勝手口であり、本尊はスシュムナの中です。 小周天をじっくり数年廻して裏から表からよくよく挨拶しておかないと真気発動が起きちゃった際に身体がもちませんよ。 待ったナシで、助けて下さい、なんて思っても遅いんですから。

思うに布施さんの言う結節とは督脈の三関のことではありませんかね? そう考えれば頷けます。 今、任脈がどうのならば、それが自然な順序でしょう。

また眉間の活性について、私が下丹田を自覚した際、まず眉間から冷たい液体が滴々と流れ落ち、任脈を抜けて滝壺でその飛沫が熱を持ちました。 督脈はその後でしたが、初めて背中の三関を抜けた時、着ていたシャツが浮かび上がったのを覚えています。

話がそれましたが、デコだろうがオッパイだろうが、下っ腹が目覚める前と後じゃエネルギーの桁が違うんですよ。 そこで読み物にある、蓮華は上から説と下から説の差、そこには上から下に行き終わる者、再度勢いよく上にいく者と二通りありそうです。 私からすると本山さんという方は親交あるインド人の面子を潰さないように控え目に振る舞い、シュタイナーは東洋の達人と比べると半人前、パワー不足に見えます。 彼はクンダリニーについて何か残していますか。

いやぁ。 毎度、コメントしても仕方ないから絡まんとこと思うんですけどね、凡夫の性でついつい。 しっかし不悪口も不両舌もなにも無い布施さんの雑言には不思議な魅力がありますな♪

(2015年9月)

【当山解説】
 自我の観察によりその手口を暴かれると自我はみずから沈黙する。 もしも見性して自我がみずから沈黙しはじめたなら、そのときから本来の面目が少しずつ顔を出してくるだろう。 自我の観察を坐禅修行の柱にしておけば、その様子に少しずつ気づいていくことができる。 すると「大海の一点であって自分という枠が無いことを知る」ということは自我暴露の先にしか待っていないこともわかってくるに違いない。
 ところが肚族たちは自我を観察して見性した内的経験がないため、「まず三昧ありき」という発想に陥り、自我の観察をないがしろにしてしまう。
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黄金のタコ状の無脊椎動物に植物を足したような形を持ち触手の先の細かいヒダまでがイヤらしいほど活き活きと金粉を散らしながら動いていました。 肉眼で見る金色が霞む程の深度でビット数が違うんですよ。
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 こうした妄想や幻覚をそれであると認めることもできない幻覚障害を引き起こしておきながら、ついに、みずからの精神疾患を疑うこともできなくなってしまったらしい。
 かくして肚族は黄金のタコを祭壇に祀り上げ日夜礼拝するのだった。

赤雲水

スシュムナ様の投稿

黒雲水

そこまで品性を犠牲にする必要はどこにもないでしょう。 徳を失えばそれだけ行果は遠のきますよ。 何度も言いますが私は願以此功徳〜ですから、多少あなたのプライドを逆撫でしようが愛嬌です。 あなたが人に対してしていることと同じ。 ですが私はこれでもあなたの友人のつもりですよ。

三昧だってね、妄想でもSFでもなくあなたの好きなバグワンの初三昧体験を拾い読みしたこと、それから名前はちょっと言えませんが、あまり世間には出回っていない、ある道士の大陸での記録、語録を通して確信したのです。 両者、異口同音。 私のした体験は同じなのですよ。 だから妄想かどうかはご自分でそこに溶けてから語りましょう。 あれが妄想だというあなたが妄想しか知らないのです。

ともかくも法、覚りの空売りは罪を生むだけですよ。

私の知る範囲、大周天と性命の解釈がおかしいです。 道家でいう命とは釈家でいう業のことです。

それに応験ほど正直なものはない。 SFで三昧が作れるほどの功力だれが持てましょうか? 験が出ないのは只徳がこぼれている、あるいは体行と心行のバランスが悪いなど、功夫が足りないだけですよ。

大周天は何度発生するかというような性質ではありませんよ。 行を止めない限り洗練されていくのみです。 奇経が〜意識圏が〜前のコメントの通りですよ。 何も盛っていないし省いてもいない。 その後の小周天は大の中の小になるだけです。 うまくいっていれば遅かれ早かれ丹が出来ます。 私のそれは拳大のカチカチのボールで背骨に潜ろうとしています。 それが先日心眼に映った金のタコですよ。

晴れたら禅、曇れば仙道、降ればヨーガですか。 そんなスタンスじゃ喰い合うだけ。つまみ喰い行法は食中毒起こしますから。ビュッフェとは違いますからね(^_^;) 水でも油でもアルコールでも加熱すれば沸くでしょう。 沸点だけ違う。 まして佛ですよ。 人が自我を沸かしきるのにアレもコレも混ぜていたら最後には汚れが残るでしょう。

(2015年9月)

【当山解説】
 肚族たちは自我暴露の内的体験がないため、禅の『十牛図』などに示されている自我暴露による覚醒の証果を読み取ることができない。 おそらくそのために気功やヨーガの行法に走り、脳のみせている妄想や幻覚を三昧の証験などと勘違いしてしまうのだろう。 そもそも「黄金のタコ」が禅定や三昧の証果などと書いてある文献がどこにあるのだろうか。
 自分に都合の良い話ばかりを受け入れて、自分に都合の悪い話には聞く耳を閉ざすのは自我の仕業(しわざ)である。 そうした思考習慣を野放しにしておくと、己れのオツムを疑うことがなくなり、何でも自分勝手に翻訳して解釈するようになってしまう。 それがコミュニケーション障害。 この障害が進展すると、ものごとを客観的に判断することができなくなり、脳のみせる妄想や幻覚をそれと認めることもなく、もっぱら主観的な妄想幻覚の世界を生きるようになってくる。 その末路が幻覚障害なのだ。
 普通に生活していればとくに問題は起こらないのだけれど、坐禅や気功やヨーガの技法を用いて蓮華(チャクラ)にアプローチすると、頭脳分裂の開始とともにその弊害が次第に表面化してきてしまう。
 どうやらこの肚族はコミュニケーション障害を通り越して幻覚障害を患っていることにすら気づいていないらしい。 嗚呼…もはや彼を文明社会へ連れ戻すことは不可能となった。
 当山はそろそろ肚族たちの村を後にしようとおもう。肚族よ、さらばだ。


当山の返答

スシュムナくん。

人とコミュニケーションしたければ、まず相手が何を言っているかに耳を傾けなければいけませんよ。

その基本ができていないからコミュニケーション障害を悪化させて幻覚障害まで発症してしまったんです。 今回の記事はそれがテーマなの。 ありがたいことに君の抱えている心の問題にピッタリの主題じゃないか。 君は一体どこを読んでいるんだい?

まず、カウンセリングを受けに行って、普通の人と同じように文章を読み書きできるようになってから、ここに来なさい。

桃雲水

スシュムナ様の投稿

青雲水

いつぞや私に吹っ掛けてきたフィリピンの話の布施さん自身の回答を直ぐにお聞かせください。

(2015年9月)


当山の返答

私は今、メラネシアのエロマンガ島にエロ漫画を持ち込んで読みふけった歴代のプエルトリコ出身女性について考えていたところだ。

君も、そういう女性たちと付き合ってみたいとは思わないかね?

つまりは、そういうことだ。

緑雲水

スシュムナ様の投稿

赤雲水

鮮やかに決まらないまでも、自分でセットしたボールくらい蹴って欲しかったね。

布施さんには、フリスクのCMのようなかわいさが欲しいね。

(2015年9月)


当山の返答

君はホントにバカだね。

「君の言ってることには私はまったく興味がない」と遠まわしに表現していただけなんだよ。 最初から回答なんてないのさ。

「心を静めて、複雑な言葉使いの背後にある真意を感じ取るように努めなさい」
(by スリ・ユクテスワ)

バカが伝染するといけないから、親戚のおばさんに隔離塔を建ててもらって、そこに住みなさい。 そこを“スシュムナ塔”と名づけるといい。

黒雲水

スシュムナ様の投稿

桃雲水

いや、違うでしょ。 都合がわるくなって、煙に巻こうとしたんでしょ。

(2015年9月)


当山の返答

そんな風に考えてるから、何時まで経っても「己れのオツムを疑う」という基本が身につかないんだよ。

世の中には君のようにプライドを肥大させるのではなく、プライドを落とす方法を知っている人たちがいる。 私はその人たちが実践していた観察の技法を学んでそれを実践し、実際にプライドを落とすことに成功したんだ。 だから観察の技法である心随観を奨めている。

君がバカでありつづけるのは君の勝手だが、心随観を学ぶ気がないのなら、迷惑なだけだから、ここに来ないでくれ。 それくらいは理解しなさい。

青雲水

スシュムナ様の投稿

緑雲水

もう一仕事。

人に精神分裂だの異常だのレッテルを貼ったんですから、それこそ異常でしょう。 たとえ仮に本当に精神異常だったとしても、そういう人にそれを叫びますか? 論外でしょう。 どっちにしろ悪質ですね。

その落ちたプライドを見込んで最後にひとこと謝罪してもらいましょうか。 あなたにおべっかやヨイショをしなかった面々に。

(2015年9月)


当山の返答

最後にいいことを教えてやろう。

― 自分が精神分裂症患者であることを自覚したときから人は禅者になる ―

これは観察の技法を学ぶ誰もがたどる道なんだ。 だから私は容赦なく現実を突きつける。 それが禅なんだよ。

それから君の見た黄金のタコ。 それ君自身の姿なの。君の法身なんだよ。 あんまり徳がないからそんな姿になっちゃってんの。

で、このまま行ったら来年あたりに運命は君のカルマの支配権を手放す。 でも君はそれに対応できるだけの智慧が身についてないのさ。

もう手遅れだとおもうけど、まあ、せいぜい頑張りたまえ。

赤雲水

スシュムナ様の投稿

黒雲水

タコ壺が出来てからの話ですがね。
そんなに醜いものじゃないですよ。

黄金の中の黄金ですから♪

(2015年9月)

【当山雑感】
 ダメだ…こりゃ。


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